分かり易い中東問題解説 No2. イスラエル対イランから見た中東

f:id:shalom417:20200716104026j:plain

 

         スコープス山からのエルサレム  1978年

 

下記の文章は2020年9月27日に発表したブログです。

 

 1978年から1979年にかけてのイラン革命は、冷戦時代のアメリカ合衆国ソビエト連邦双方の傀儡政権が起こす革命と違い民衆が立ち上がり、蜂起し、成功したイスラム革命で、フランス革命並ぶ歴史的大事件でありました。

 フランスに亡命していたホメイニ氏を中心に革命は遂行されましたが、フランスに居るホメイニ氏とイラン本土との連絡等、革命を支えたのが、パレスチナ出身のエリートたちでした。

 その為、恩義があるパレスチナの人々のために、また、イスラムの盟主に成る為、エルサレム奪回至上命令でした。すなわち、イスラム大義として、エルサレム奪回は、是が非でも成功させなければならないことなのです。なぜなら、イスラムの盟主になるには、「エルサレム奪回」が唯一の手段であり、実現しなければならない命題でもありました。

 それ故、イランが革命以後、「海外で争い事を起こす」時には、必ず「エルサレム奪回」という言葉が、「大義」として唱えられました。対イラク戦争(1980~1988)の時も、直接原因が他にあったとしても、「エルサレム奪回」を唱え、戦争を続行しました。

 今も、「エルサレム奪回」はイランにとって最も大切な大義であり続けています。この大義の成就の為に、イランは現在、2つの事を遂行しようとしています

 ひとつは核兵器の自国保持」、もう一つは、「三日月地帯の勢力地域を完成させる」ことです。

 三日月地帯とは、「イラン、イラク、シリア、レバノン(イスラエルにテロ行為を仕掛けるヒズボラ)」までの地帯で、この地域が完全にイランの支配下になれば、イスラエルは「自分の心臓にナイフを突きつけられているのと同じ状態」になります。

 イランの宗教指導者が「ユダヤ人の生存権を認めず、地中海に追い出す」と宣言した事は、イスラエルにとって、それは、「宣戦布告」と同じでした。その為、現在に至るまで、水面下でイスラエル対イランの争いは、日々激しさを増しています。シーア派イランの進出を望まない、サウジアラビアの国を筆頭とした、スンニー派イスラム諸国を巻き込み、イランの「三日月地帯の支配完成」を阻止するための、イランに対するイスラエル・アラブ、スンニー派諸国との闘いはさらに激しさを増すでしょう。

 イランのもう一つの野望は、核兵器の保持」です。現在、「イスラエルはすでに核兵器を保持している」と言われています。そのイスラエルに戦いを挑むには、「対等に核兵器を保持することが必要」と考えています。

 イランが核兵器保持のために、動向を注視しているのが、「北朝鮮核兵器保持を、世界、特にアメリカはどのように対処するか」です。北朝鮮は、イランをはじめシーア派の諸国と「蜜月の関係」にあります。

 もし、世界が北朝鮮核兵器保持を許すなら、イランは間違いなく「北朝鮮に右へ倣え」をして「核兵器保持」に走るでしょう。

 イランが核兵器を持てば、100パーセント間違いなく、サウジアラビア核兵器を保持し、「核ミサイルの発射台をイラン、イスラエルに向ける」でしょう。

 中東は、さらに、「力のバランス」を失い、「世界大戦の火薬庫」と化します。

 中東問題は宗教問題も含んでいますので、ネオコンと呼ばれる世界の「新保守主義」の人々をも巻き込んで、中東は、「戦争の火薬庫」となってしまいます。

 ネオコンと呼ばれる、「新保守主義」の人々は、アメリカだけではなく、ヨーロッパにも存在します。しかし、アメリカとヨーロッパのネオコンでは、「ユダヤ人に対する接し方」が、違います。

ヨーロッパのネオコンは、「ユダヤ人の人々をキリスト殺しとして、迫害して来ました。」

 ところが、アメリカの新保守主義の人々は「ユダヤ教キリスト教の母体である」として、「ユダヤ人に選民としての尊敬の念」を持っています。ですから、アメリカの新保守主義の人々は、「エルサレムの帰属」に関して、イスラエル支持に回るのです。

 イランが核兵器を保持してしまえば、「中東のバランス」がさっらに破壊されます。さらに、自国の利害のために、ロシア・中国覇権主義の参戦もあり、「中東は第三次世界大戦の火薬庫」となってしまうでしょう。

 日本人である私たちにできることは、「北朝鮮核兵器保持」を許さないことです。また、あらゆる手段を使って、シリア難民を救う努力をして、「崩れた中東のバランスを回復させる」ことです。

 イランの野望は「さらに、中東のバランスを壊し、多くの人の命を奪い、血を流させることに繋がるということ」理解することです。                     

 

 

大韓航空機事件 「九死に一生を得る」

銃撃直前の写真

1978年「ロシア(ソビエト連邦)の戦闘機に大韓航空撃墜されました」

私はこの大韓航空機に搭乗しており、「九死に一生」を得ました。

この写真は、私が撮影し、某新聞社の「報道写真年間グランプリ」を受賞しました。

f:id:shalom417:20200606125102j:plain

 

   この記事は、2020年9月10日に発表したものです。

概 略
 皆さんは大韓航空機事件」と言われて、どの事件を思い出すでしょうか。一番日本人にとって衝撃的なものは、「樺太沖で、その当時ソビエト連邦と呼ばれていたロシア戦闘機によって大韓航空機が銃撃を受け、撃墜された事件」ではないでしょうか。この時には悲しい事ですが、すべての乗員・乗客が死亡するというものでした。しかし、それよりも前、今から40年以上も前に、同じような事件が、ソ連フィンランドの国境線」のところで発生しました。「私はその大韓航空機に乗り、九死に一生を得た人間です。この出来事から、社会の人々、特に生徒のみなさんと教師の方々に「少しでも勇気を与えられるお話」ができればと願っています。


事件前
 私は学生時代、「卒論」の研究のためイスラエルに行くことになりました。しかし、イスラエルという国をよくご存知の方でしたら理解していただけると思います。イスラエルは、今も、その当時も「血生臭い事件が絶えない国です。

私が滞在した時も、テロによってバスが時限爆弾によって爆破されたり、学校が占拠されたり、血生臭い事件は日常茶飯事でした。そのため、私にはイスラエル暮らす事は、死と背中合わせに暮らすことのように思えました。

 そのため、イスラエルで暮らすうちに、私にはある一つの覚悟ができていました。「私は危険を承知でこの地に来たはずである。もし命を落とすことがあっても、それは自業自得だ。しかし同じ死ぬなら、価値ある死に方をしたい。」
 
価値ある死に方とは、

もし、自分が死ぬ時に幼い子供が巻き込まれているなら、その命を救いたい。死ぬ際に見苦しいまねだけはしたくない。死に際だけは潔くありたい。という意味です。

 このような覚悟を持ってイスラエルで暮らしていましたので、私の毎日は充実したものとなりました。なぜなら、「明日、命を落とすかもしれないという気持ちが、今日という日を精一杯生きよう」という気持ちにさせてくれるからです。しかし、神様は「この覚悟が本物かどうか試してやろう」私に試練を用意されていたようです。

 しかも、私の予期していイスラエルの地ではなく、思いもよらないところで「試練」は起きました。

 

事件発生

 1978年4月20日、無事イスラエルでの研究を終え、ヨーロッパを独りで放浪した後、私はパリから大韓航空に乗って、帰国の途に着きました

飛行機に乗って数時間が過ぎました。私は左翼席に座っていたのですが、右翼席地平線にまさに身を沈めようとする太陽の美しさにつられ、カメラを持って右翼席に移動しました。

 とその時、ミサイルを装備した戦闘機私たちの乗っている大韓航空に平行して飛んでいるのが分かりました。

 私は咄嗟にカメラのシャッターを押しました

 戦闘機はなおも大韓航空機に接近してきました。誰の目でても、接近が「異常」であると理解された時、私は怖くなって自分の席に戻りました

 数分後、突然戦闘機は機体を立てて、後ろに下がって行きました。私は不安な気持ちを紛らわそうと新聞を読んでいたのですが、

 「その時です。」すぐ後ろで青白い光が走ったかと思うと、「ぱーん」とい、鋭くて乾いた音がしました。 

 すると、私が持っていた新聞は「あっ」という間に燃えてなくなり

 私の頬を生ぬるい風がすり抜けたかと思うと、目の前を私の鮮血が飛んでいくのがわかりました。

 私はやられたと思い、傷ついた頬を手で押さえながら後ろに振り替えると、あたり一面「血」の海でした。

 すぐに硝煙の臭いが立ち込め、急降下が始まりました。

 しかし、乗客である私たちには、「真っ暗な中、下へ落ちて行く機体左翼を見ると、翼は爆発で先が無くなり炎上しています。」

 私たち乗客にはそれは、「墜落」でしかありませんでした。

機内の中

 「あぁ、もうだめだ」という思いが脳裏をかすめました。 

 私は落ち着くために、大きな声で讃美歌を歌いました。たとえ死の陰の谷を歩むとも、災いを恐れません。主が私とともにおられるからです。聖書詩篇23編の歌詞です。

 私は何度もこの歌を歌うことによって、冷静さを取り戻すことができました。

 大韓航空機は3000メートル上空をなおも飛びつづけました。

 その間に起こったことは、今でも私の脳裏から離れません。あんちゃん、大丈夫か。」自分の両足の怪我も忘れて、出血多量で危篤状態の兄に叫び続ける日本人の方「白いワイシャツがあっという間に血で真っ赤になった友を抱えながら嗚咽する韓国人の方、しかし、その友から、もはや何の返事もありませんでした。

 私はハングルを全く知りませんでした。しかし、友人を抱きながら腹の底から絞り出す「アイゴー」という鳴き声の言葉は、私の脳裏から離れることは一生ありません。


奇跡
 大韓航空犠牲者を出しながらも旧ソ連領内に着陸しました。いくつかの偶然が重なって着陸に成功したのですが、それは奇跡しかありませんでした。

 奇跡の幾つかを紹介します。着陸後、軟禁され、取り調べを受けていました。その時、たまたま、私は、大韓航空機の機長と話しをする機会がありました。

 以下は、機長からのお話です。「銃撃後も飛び続けていたのは、燃料を使い切るためでもあったが、至る所に「高圧電線」があったので、着陸が困難であった。

 そこで、凍った湖の上に着陸することを決断した。しかし、4月になっていたので、氷の厚さがはたして、100トンの機体の重さ耐えられるのか、上空から判断できるはずもなく一か八かのギャンブルでしかなかった。」さらに、機長のお話は続きます

 しかし、偶然にも、氷の厚さは百トンの機体の重たさに耐えるだけの厚さがありました。
 さらに、機長は続けます「着陸する時に、車輪が中途半端にしか出なかったことも、我々には幸運であった。
 もし、正常に車輪が出ていれば氷の上なので、停止できずに、どこかにぶつかり炎上していたでしょう。ぜんぜん車輪が出なければ翼のエンジンが氷との摩擦で機体は爆発炎上していたかもしれない。

 車輪が中途半端にしか出なかったこと胴体着陸がより楽にできた

 しかし、何よりも奇跡だと思うのは、戦闘機に銃撃を受けた時、私たちは3500フィート・1万3千メートル上空にいたが、爆発で機体に拳大の穴があいた。普通、このような高度で飛行している際にそのような穴が開けば機内と外との気圧の差で空中分解しているはずだが、なぜ空中分解しなかったのか、私には分からない。」

 この言葉だけでも、いかに私たちが助かったのが奇跡であるか理解していただけると思います。
 

メッセージ

 さて、皆さんに今日伝えたいメッセージは、「人間にとって最も大切なことは、死という極限状態に追い込まれても、人間としての尊厳を失わないこと」です人間は「死という極限状態に追い込まれる動物化して自分のことしか考えなくなるものです。

 皆さんが私と同じ経験をすることはないかもとれません。しかし、もうすでに国際舞台で働いている人も、これから働こうという若者たちも、

 「戦争・自然災害・感染病」など死という極限状態に追い込まれることは十分にあり得ることです。そんな時こそ、あなたの真の価値が問われる時なのです。逆境に置かれこそ、あなたの真価を発揮するときなのです。

 そして、教育の目標「このような事を成し遂げる力の人物育成」にあるべきだと私は思うのです。

-----

大韓航空機事件

銃撃直前 スホーイ15戦闘機

1980年毎日新聞年間グランプリを取った写真(作者撮影)

 

 私は学生時代、卒論の研究のためイスラエルに1年間滞在しておりました。滞在場所は、エルサレム郊外のあるキブツでした。キブツとは、集団農場で、7時間労働すれば、衣食住はキブツが与えてくれ、ビザもキブツが延長してくれました。国民全員皆兵制の為、それだけ労働力が不足していたのでしょう。

 日本の学生、日本ではそれほど厳しい環境を経験したことのない私にとって、イスラエルでの、キブツでの厳しい生活は、私を成長させてくれました。日本では、労働をしたことのない、ひ弱な私を、肉体的にも、精神的にも逞しく成長させてくれました。

当時のイスラエルは、さすがに自爆テロはなかったですが、バスに爆弾がしかけられたり、学校がテロリスト達に襲われたり、血生臭い事件は、日常茶飯事でした。その為、私にはイスラエルで暮らすことは、「死と背中合わせに暮らすこと」のように思えました。

 その考えが、私に「1日1日を大切に生きなければ」という気持ちを持たせ、自然と私の心の中に、ある覚悟が芽生えて来ました。

「私は危険を承知でイスラエルに来たはずである。私が命を落とすようなことがあっても、それは仕方がない。しかし、事件に巻き込まれ、もし、子供が巻き込まれているなら、私の命を犠牲にしてでも子供の命を救おう。クリスチャンとして、潔くありたい」と言う覚悟でした。

 しかし、この覚悟が、神様から試される時が私には用意されておりました。しかも、私か予期したイスラエルでではなく、思いもよらない所で、試練は訪れました。

 1980年4月20日、無事卒論の研究を終え、ヨーロッパを独りで放浪した後、パリから大韓航空機に乗って、帰国の途につきました。

 飛び立ってから、数時間が過ぎようとしていました。窓から外を見ると、「眩しいぐらい晴れ上がった空と地平線との所に、太陽がその身を沈めようとする景色が、あまりにも美しかったので、その景色を自分のカメラに撮影しようと、自分の座っていた左翼席から、右翼席に移動いたしました。

 すると、サンセットを背景にミサイルを装備した戦闘機が私の視界に入って来たのです。咄嗟に私はシャッターを押しました。その写真が上記に載せている写真です。

 戦闘機は尚も私達が登場している飛行機に、警告ランプを灯しながら近づいて来て、窓を覆うほどになりました。

 

 

 

 

人類とタイタニック号と原発事故

BODY:

f:id:shalom417:20200827102008j:plain

             雲間からの月光 京 都               

 

 この記事は、2020年9月23日に発表したものです。

 

皆さんは、旧約聖書の中のバベルの塔のお話をご存知でしょうか。「各言語の起源としてのお話」という所でしょうか。しかし、この「バベルの塔」のお話には、旧約の時代からの「厳粛な教訓」が存在するお話なのです。そのテーマは「人類の傲慢さ」です。
 
タイタニックは、20世紀の初頭に、その当時の最新の技術で造られた不沈」と呼ばれるほどの「優れものです。その当時の科学者たちは、「科学の粋を極めたタイタニック号」自慢し、バベルの塔を創ろうとした人々と同じ望みを抱くようになりました。

 「神にとって代わる」という野望です。

彼らはその野望を込めてタイタニック号の船底「神は死んだのだ」と書いたと言われています。これは、「もはや、人類は神の代わりに、自然界を支配できる存在になった。」という意味です。
 20世紀初頭に、「人類の傲慢さ」は頂点に達しました。

 ここに、「自然界の摂理」が働きます。

タイタニックはその処女航海に於いて、氷山のために沈没してしまいます。


「自然界の摂理」「人間の傲慢さ」打ち砕いたのです。

 地球・自然界とは、 神から私達人間に与えられたものではなく、マグマという血を滾らせる生き物だと私は考えています。

 私達人間は、自由意志を与えられています。同じように、地球・自然界自由意思を、から与えられているようです。

 は、私達人間の自由意志を尊重されるように自然界の自由意志をも尊重されるようです。

 21世紀の初頭に於いても、「人間の傲慢さ」は頂点に達したようです。
 現代の科学者たちの中には、傲慢にもゲーテ作品中の登場人物である、ファウスト博士同じ選択してしまったようです。
年老いたファウスト博士は、永遠の若さを手に入れるために悪魔に自分の魂を売り渡します。

 同様に人類は永遠のエネルギーに魅せられて、悪魔に地球を売り渡し、地球放射能によって、永遠に蝕まれてしまうことを許してしまったのです。


 2011年東日本大震災時の津波によって、

「福島原子力発電所」の事件がおきます。
この事件もまた、自然界の摂理」が「人間の傲慢さ」を打ち砕いた事件だと言えます。

 科学者たちは、「科学の進歩によって、人類は自然をコントロールできるようになった。」と過信し、傲慢にも、「原発は100%安全」という神話を打ち立てたのです。


 この神話・過信「自然界の摂理」が木端微塵に打ち砕いたのが、「福島原子力発電所の事件」の結末です。


 人間の科学による進歩裏に潜む「人間の傲慢さ」「自然の摂理」の関係を示す、「歴史上の出来事」を2例挙げてみました。


 元々人類は、自然に対して、歴史の初めから闘いを試みて来ました。しかし、その戦い「人命を少しでも守ろう、救おう」という戦いでした。そうして、生み出されて来たのが「科学」です。


 科学の歴史に於いて、科学を武器に、自然から人の命を守ること」が、人類にとって最も大切なことだったのです。

 それとともに、歴史の初めから、自然に対する畏怖と敬意が人類にはあったのです。
 ところが、現代人は、この自然に対する畏怖の念を忘れかけているのではないでしょうか。

 人間の「神の域に入り、自然界の支配者になろうとする傲慢さ」が、災害・病気等を招く結果繋がっているのではないでしょうか。

 「地球がこのままでは滅びる」自然災害や感染病等により、「自然界の摂理」が私達人類に繰り返し警告しているのではないでしょうか。


 東日本大震災を通して、私達日本人は、自然の自由意志と言う脅威に晒され多くの尊い命を失っています
 

その失われた尊いを、私達は無駄にしてはいけないと思うのです。

「私達は、今現在の試練に勝利しなければなりません。

 しかし、それとともに、私たち現代の人間は、自然の摂理の警告に耳を傾けるべきではないでしょうか」というのが、

  本日私の伝えたいメッセージです。
 

 

-----

完全な防災よりも、出来る限りの減災を ?

f:id:shalom417:20210216142455j:plain

         加 茂 川 の 水 鳥   京 都

 

 地震に対する防災について過去に述べたものです。

 

 私は、夢・幻を見ました。私は学生に戻っていて、大学で有名な教授の講義を受けているのです。講義内容は、「地球環境学というタイトルです。300人程度の受講生の講義ですが、講義の内容があまりにも、ショッキングなので、誰一人雑談する者もなく、真剣に受講しております。

「本日は、南海トラフ地震についての話です。地震の歴史から紐解きを試みた結果、まず、名古屋沖、続いて、東海沖、最後に、南海沖という3連動南海トラフ地震が、向こう20年の間に起こる確率は、100パーセントです。つまり、2030年から2040年までに、確実南海トラフ地震は起きると予測しなければならないということです。」

 教授はさらに講義けます。南海トラフ地震被害額は、建物の被害額だけでも、220兆円、この額は、日本の税収の3年分にあたります。すべての被害額を計算するならば、1400兆円以上の被害となります。

 地震のための防災必要ですが、現在、政府は、「コロナ禍・経済問題、特に円安・日本防衛力の強化・ウクライナ問題等」、至急対処しなければならない課題を抱えているのは事実です。

 地方自治体も、地球温暖化のために起きる災害、特に洪水対策に追われ、地震対策後回し等閑にされているのが現状です。完全な防災を望むのであれば政府・地方自治体の公助力必要ですが、それを望めない現在の情況では、私達国民は、自助力により、自分たちの被害を、出来る限り小さくする努力をするべきなのです。すなわち、「出来る限りの減災」日頃から心掛けなければならないのです。」

 私は、この講義で語られた事を真剣に耳を傾け厳粛に受け止めました。

  は続いて、場面は「防災ショップの中」に変わりました。

 私は、もはや学生ではなく、現在の自分、即ち、69歳の3人の子供の父親であり、3人の孫を持つ老人に戻っておりました。

 防災ショップ内で、私は、講義で語られた、「自助力による、出来る限りの減災を実行できる品物」を購入しております。

 まず、私が購入したものは「2週間分の水と非常食」です。

 マグニチュード「9」以上の地震が起きた場合、自衛隊救助隊が救援に来るには時間が掛かり、長い間到着しない可能性があるからです。

 次に購入したのは、2週間程使用可能「ポータブル発電機」「簡易トイレ」手回し発電で使えるラジオ懐中電灯物の下敷きになっている人を救出するためのシャベルや鋸の入った「工具セット」防寒のための「折り畳み式毛布」停電時のための「ランタン」、その他、万能ナイフ、マスクを含む救急用品筆記用具等は、水にも、火にも強いものを選び、持ち出せる物だけ非常持ち出し用リュックサックに入れました。

 家に帰っても、「神から、災害の予言を受けた旧約聖書のノアのように、災害のための防災準備に余念がありません

 まず、自室の上の方には、重たい物を置かない工夫をいたしました。また、家具が倒れないように、「接続器具」を使って、壁・天井に家具を接続いたしました。

 親しい大工さんに頼んで、自室のガラス製サッシに、ガラスが内部で散乱しないよう、透明フィルムってもらいました

 本棚からが散乱しないように、防災グッズを使って、工夫もいたしました。

 の場面は、私の自室に変わりました。時間は、明け方近くのようです。

 私はベッドに寝ています。とその時突然、大きな縦揺れに続いて、数十秒間、激しく横揺れが続きました。

 その、まず、私は自分の頭を守ろうとして、机等の下に入ろうとしましたが、あいにく、適切な家具ありません

 そこで、私は、手元にあった、大きめの分厚い雑誌を、手で自分の頭にえて頭を保護いたしました。

 そのおかげで、手に軽傷負ったものの頭と顔は無事でした。

 まず、非常用バックから、ラジオを取り出し、情報を入手いたします。

 ついに、南海トラフ地震現実となったようです。すでに、海岸近くの人々には、「津波に備えて、高台に避難をするように」と警報が出ています。

 2時間後何度も押し寄せる余震怯えながらも、私は、空が明るくなったのをに、非常用バッグから丈夫そうな「底圧スリッパ」を出して履き、バッグを背負い、外に出てみることにしました。

 に出てみると、辺りは、「瓦礫の山」していましたが、不思議火災はほとんど起きていません。

 神戸大震災からの経験が生かされたのでしょう。地震発生と同時に、多くの火の元栓は絞められたのではないでしょうか。

 真冬で、外は冷たい風が吹く、本当に寒い朝でした。私はたまらず、非常用バッグの中から、折り畳み式毛布と火を付ける為のライター・チャッカーを出しました。

 ラジオからの情報で、この付近のガス栓は、大元から遮断されていることを確認し、さらに、この付近にガス漏れは無いか臭いも確認してから、空き地真ん中に、瓦礫の中破損した木材利用して、焚火を炊くことにしました。

 毛布を肩から被りながら、焚火から暖を取り、しばし私は茫然自失の状態ました。

 ふと、我にかえると、まわりに、たくさんの人々も暖を求めて集まって来ていました。

 人々の顔には、涙はありませんが、私と同じく茫然自失の状態で、炎をただ見つめております。そこには、悲しみの深さが窺がえました

 その人々の中に、パジャマ姿の幼い男の子が、寒さ震えているのを見つけました。私は、その男の子に近づき、そっと、私の毛布男の子にかけてあげました。

 その幼い男の子は、私の孫同じくらいの年で、その幼い男の子姿は、私に「孫は大丈夫だろうか」という考えに、私をいてくれました。

 娘夫婦は、私の家の近くに住んでいましたので、とは、「もし、地震が起きたなら、避難場所指定されている小学校落ち合おうと、かねてから、約束していたのを思い出しました。

すぐに急いで、非常用リュックだけを背負い約束小学校向かいます

果たして、孫は、娘夫婦と一緒に小学校にいました。私達は、全てを失いましたが、孫と娘夫婦が無事でいてくれたことを神様に感謝しました。

 その時、一つの知らせが、小学校に届きました。「まだ、崩壊した家屋の下に生き埋めになっている人たちがいるけれど、救助隊の到着は間に合いそうもないので、救助を手伝ってくれるボランティアを募る」とのことでした。

 私は、即座にボランティアに参加し、学校にあったシャベルと鋸を持って、生存者がいるかもしれない現場に、走って向かいました。

 2時間ほど、救出作業に没頭している時でした。崩壊した家屋の下から微かな、弱々しい赤ちゃんの泣き声が聞こえるではありませんか。

 「おい、赤ちゃんだ。赤ちゃんが生きているぞ」とボランティアの一人が叫んでいます。

 私の目はもうでいっぱいで、前が何も見えませんでしたが、必死でシャベルを使い掘り進みます

 障害となっている大きな柱を鋸で砕いて行きます。

 遂に、赤ちゃんが救出されました。赤ちゃんは、偶然にも、瓦礫と瓦礫の隙間に居て、奇跡的に生存していたのです。

 私達ボランティアは、抱き合って、赤ちゃんの無事救出喜び合いました。

 地震発生後、初めての夜を迎えています。救援物資はまだ、届いていないので、自宅に戻り、備えていた水・食料を持参し、他の人たちと分かち合います。断水の中、簡易トイレを学校の然るべき位置に備え、共同で使うことにしました。

 また、電気が途絶えているので、ポータブル発電機を利用し、被災者全員の携帯電話充電使用しました。

 ランタンを使用することもできました。そのおかげで、書類を読むことや、作成することができました。

 筆記用具も役にたちましたが、特に役立ったのが先に蓄電装置が装着された油性のボールペンです。雨で濡れても、滲まず読むことができ、夜に電灯が無くても書けるからです。

 悪夢のような一日が終わろうとしています。

 多くの持ち物を失いましたが、不思議と私の心は、平静と安らぎ、そして、微かな光も差し込んでいるような感覚です。

 「出来る限りの減災」のお陰で、家族全員が無事だったこともありますが、何よりも、私の心の中に平和があるのは、「災害を受けた者たち同士が、分かち合い、助け合い、労り合うことができたこと」、それが、大きな要因のようです。

 神戸大震災、東日本大震災の時に、人々が示してくれたのと、同じように、「世界が驚異と感じる程の、日本人の素晴らしさ」を、私達も再び、示すことができたからです。

 大災害が起きた世界の都市では、治安が悪くなり、人々が理性を失い、強盗・強姦など、野獣と化すのが常識です。

 しかし、日本では、秩序が保たれ、人々は、お互い助け合っているのです。

 西洋社会の人々は、この事に感嘆しているのです。

 全世界の人々は、驚嘆と称賛日本人に与えているのです。

 私は、自分が日本人であることを誇りに思い、日本人の素晴らしさに対する誇りと感動で、涙が溢れて来ます。頬に流れた涙の冷たさで、私は夢・幻から目覚めました

 さて、現在、コロナ禍で、政府も自治体もその対策で懸命です。

 また、地球温暖化による大雨などの天変地異にも、備えなければなりません。しかし、巨大地震も、将来必ず起こる大災難です。

 政府・地方自治体が、コロナ禍の中、経済対策優先で予算等進めるのは、仕方がないにしても、地球温暖化による天変地異と巨大地震の災害は、優先順位をつけずに、対策を進めねばなりません。

 現在、東日本大震災の大きな余震も起き、地震の恐ろしさを、再認識した私達国民は、「自助力による減災対策」を進める必要があります。

 それと共に、コロナ禍中にあっても、地球温暖化による災害と同じ様に、「公助力による、出来る限りの防災対策」を求める世論を創り出す努力をしなければなりません。

 即ち、政府と太平洋側の各自治が、「緊急巨大地震対策本部」を速やかに機能させ、防災を進めるよう、私達国民は、声たかだかに訴えていかねばなりません。

これが本日のメッセージです。

 

 

原子力発電には断固反対いたします。

    サ ン セ ッ ト   日  没     岡  山

 

 この論文は、2024年2月に再度発表したものです。

 

地球温暖化に対処する為、また、ロシアのウクライナ侵攻により、エネルギー代金高騰の為原子力エネルギー見直されようとしています。しかし、敢て再度原発に対して反対し、警笛を鳴らします。

 日本政府は、エネルギー政策について、「脱炭素エネルギーを目指して、2050年までに、温室効果ガス、0%を目指す。」と公言しています。

 確かに、地球温暖化に対して、2050年まで、「地球温暖化が生み出す、あらゆる弊害対処しなければならない」のは事実です。

 しかし、京都大学地殻変動額学」専門家は、この先30年間は、地球温暖化に進む可能性高いが、百年、二百年単位で地球れば、氷河期に向かって、ゆっくりと寒冷化に向かう可能性が高い。」公言しています。

 寒冷化に向かう大きな要因は、「火山活動」とのことです。火山が大爆発すると、空中に火山灰舞い上げ、それによって、太陽光線が地球上に届く量甚だしく減少するため作物が取れなくなるほど、寒冷化が進むのです。

 日本火山が多いです。そんな国で、炭素エネルギー0%にすることは、危険な選択肢と私は考えます。

 2050年までに、温室効果ガスを出す炭素エネルギーを「0」にする為、太陽、地熱、風力、水などの、他のグリーンエネルギーだけでは、現在の電力を賄うことができないのは事実です

 現在、日本政府では、それを口実に、原発正当化する」という、目論見が浮上しております。

 私は、原発」には断固反対です。日本国民は、原発事故に見舞われた「福島の悲劇」忘れてはいけないのです。

 私達は、この悲しみを歴史に刻み、歴史から学ぶという姿勢を、絶対に失ってはいけないのです。

 2011年福島の原子力発電所で、メルトダウンという事故が起きました。地上で「メルトダウンが起きた場合、「広島・長崎の原爆の約400倍」の放射脳発生します。放射能汚染は億年単位続きます。

 広島、長崎とは違って、放射能除去装置が発明されない限り「半永久的に事故現場周辺では、生活する事すら出来ない」のが現状です

 日本の様に、地震津波起きやすい国で、どうして原発は安全だ」言い切れるのでしょうか

 原発の専門家は、東日本大震災の前は、「原発安全宣言」を出し、事故が起きれば、「想定外の事が起きた」弁解し、現在、また、地震の備えは出来た」「安全宣言」を出しています。自然界を見切って、支配している口ぶりです

 この傲慢さ東日本大震災」を招いた事を気付かず、専門家たちは懲りずにいます。

 自然の力は偉大であり、脅威です。人間の知力で、推し量れる範囲には限界があるはずです

原子力発電所の事故は起こりうるのです。専門家が言うような、原発の完全安全」など、あり得ないのです。

 さらに、原発は、平和憲法全方位外交のもと、どの国とも仲良くして行くという外交政策があったからこそ始めることが出来ました

 しかし、現在中国・韓国・ロシア・北朝鮮、それぞれに、「争いの原因」日本は持っています

 特に、土地所有が原因の争いは、バランス崩れた時に必ず戦争になる」というのは、歴史が証明しているところです。

 暴走するロシアの「南下政策」、習近平氏が指導する中国共産党の「清朝領土再興政策」は、差し迫った「日本の脅威」となっています。

 一旦争いが勃発すれば、テロ行為、ミサイル攻撃で、原子力発電所が、脅迫や攻撃目標にされるのは明白です。

 現に、ウクライナにあるヨーロッパ最大の原子力発電所は、ロシアがウクライナに侵攻に際して、原子力発電所を、ウクライナに対する脅迫と攻撃目標にしているではありませんか。

 原発周辺「ホットポイント」してしまえば、300万人が避難しなければならなかった「福島の悲劇」繰り返すことになるでしょう

 もう二度と「原発事故」を起こしてはならないのです。原子力エネルギー頼ってはならないのです。

 放射能除去装置AIによる機器等の発明により、原発事故」に100%対応できる対策が、完全確立しない限りグリーンエネルギーとして、原子力エネルギーを選択するべきではないのです。

 最近、「事故を起こしても、対処し易い、小規模の原発」が話題になっていますが、向こう30年、即ち、2050年までの実用化は、ほとんど不可能な様です。

 仮に実用化できても原発採用当時からの基本問題であった、核のゴミ高レベル放射性廃棄物の処理問題」について、日本も他の先進国諸国も、解決策は未だ発見できずにいるのです。

 人類は、「高レベル放射性廃棄物処理法生み出す前に原子力発電」を選択してしまったのです。

 人類原子力エネルギー」を選択してしまったのはゲーテの戯曲に出て来るファウスト博士の選択」同じ選択をしてしまいました。

 即ち、「ファウスト博士は、永遠の若さを手に入れるために、悪魔、メフィストに魂を売り渡してしまいます。人類無限のエネルギーを手にいれるために、地球を永遠に汚染してしまう悪魔の誘惑に負けてしまったのです。」

 今回の日本の「脱炭素エネルギー政策」の陰に、ファウスト博士の亡霊のような、原発の誘惑に負けてしまった学者たち企業見え隠れしています。

 原発」を忖度するような政策には、私達国民は「NO」と言わねばなりません

 私は、日本政府のエネルギー政策の見直しを切望いたします。

 では、どのようなエネルギー政策が、日本にとって、良いのでしょうか

 私の意見は、「上記で述べましたように、日本は、火山の大爆発等により、温暖化が寒冷化に激変する可能性のある国です。確かに2050年までの30年間は、地球温暖化による環境危機」備えるあらゆる努力必要です

 しかし、原子力エネルギーを使う事は、さら地球環境を悪化させることにしか繋がりません。

 しかも、百年、2百年単位で地球環境考えるなら「地球は、ゆっくりと、氷河期に向かい、寒冷化に進んで行きます。」

 さらに、日本では、2050年まででも、火山の大爆発により「日本は、寒冷化に変化してしまう可能性」さえあります。

 従って、温室効果ガスをゼロにするために、炭素エネルギーを「0」にするというのは、得策ではありません

 日本のエネルギー政策は、「水力・太陽光・風力・地熱等の安全エネルギー主軸に据え不足する電力は、発生した二酸化炭素を、外界に放出することなく再利用できる「炭素エネルギーの最新技術」を開発して行くのが、より良い選択です

 たとえ、日本が、脱炭素をして、温室効果ガスを0%できたとしても、大国、「中国」・「アメリカ合衆国どちらかが、「温室効果ガス0%実施する」のを中止すれば、日本の努力は、地球に何の良効果も与えることも出来ずに、無駄になります

 特に、暴走する中国共産党が、温室効果ガス0%」よりも、自国の利益だけの為「炭素エネルギーを復活させる可能性は非常に高い」と思われます。

 その場合、開発途上国も中国に習い、火力発電を主力していくでしょう。中国は、温室効果ガスを依然出す低次元の技術をプラント輸出さえするかもしれません。

 日本は、「炭素エネルギーが復活する未来の世界状況」見据えて「発生する二酸化炭素を、外界に出すことなく再利用できる技術」に取り組んで行くべきなのです。

 少なくとも、日本の技術力なら、「中国より、環境により優しい技術開発を完成させる」ことは、絶対に可能なはずです。

 この技術を世界にプラント輸出するならば、日本の為にも、世界環境にとっても、最も素晴らしいエネルギー政策となります。

 ロシアのウクライナ侵略の為、天然ガスが手に入りにくい現状ですが、人類の為、決して、足りない電力を原子力エネルギーで賄ってはならないのです。

 政治家の皆様ファウスト博士の亡霊のような、「原発を推進したい」という誘惑に負けた学者たちや企業に耳を貸してはいけません

 人類のために、日本の政治家の方々が、エネルギー問題について英断を下していただけることを切に望みます

 

 

 

死の恐怖に捕りつかれたことはありませんか。死の恐怖に打ち勝つ方法

 f:id:shalom417:20200618101639j:plain

           京都   鴨川になる直前の加茂川

 

 この論文は阿部氏が暗殺された直後に書かれたものです。

先日、阿部元内閣総理大臣非業の死を遂げました。彼が国葬に相応しいかどうか」を今議論することは、「死者に鞭打つこと」と私は考えます。

 ここは、黙って、阿部氏の来世への旅たちとご冥福をお祈りしようではありませんか

 本日は、「死」ということをテーマにしてみたいと思いのす。

 皆さんは「死の恐怖に捕りつかれたこと」はありませんか。私は、経験があり、その恐怖は、鮮烈に脳裏に残っております。

 私は幼い頃、祖母を胃癌で亡くしました死期近づいた時の祖母の顔は、私の知っている祖母ではなく、骨と皮だけに変わり果てた祖母でした。幼い私は祖母の顔が恐ろしくなり、近づくことさえできませんでした。

 祖母が亡くなり、お葬式の日、私は愚かにも火葬場まで付いて行きました

 当時の火葬場は、近代的ではなく棺を焼く時の釜の轟音が60年経った今でも、私の脳裏から離れません。

 私はその日から、「死の恐怖に憑りつかれた者」となりました。

 楽しいことをしていても、突然「死の恐怖」に駆られるのです。何処へ逃げても恐怖は付きまとうのです。

 私は精神的に異常をきたすほどになっていました。

 私の母は私の異変に気付き、私をキリスト教の教会につれていきました

キリスト教の教義にある「来世」の概念時の経過が、私を「死の恐怖」から救ってくれたようです。

 死の恐怖から逃れる方法はいくつかあると思いますが、「死」という出来事を色々な側面から研究する事役立つようです。

 まず、「自殺」について学んでおきましょう。

さて、「自殺」の概念が日本と西洋では全く違うという事を学びましょう。

 日本では切腹など自分の命を絶つことは、文化の一部として、敬意を払われるところがあります。しかし、西洋では、「自分で自分の命を絶つこと」は、「他人を殺すこと」と同じに扱われます 
 ですから、キリスト教の国自殺未遂すると、他の人を殺そうとする「殺人未遂」と同じ罪になり、警察に逮捕される国が 今でも存在します。

 理由は「自分の命も神が与えたものであり、自分のものではなく、他の人のために、世界のため、人の為、神のために使う命だからです。

 そんなキリスト教の教義の中で、一つだけ例外、「自分の命を犠牲にして良い場合」があります。

それは、「自分の命を犠牲にしなければ、他の人の命を救う方法が、他に無い場合のみ、自分の命を投げ出すこと」が許されます。

 キリスト教の教義では、これは「最も崇高な行為」として扱われ、「殉教」と呼ばれます。

 テロリストたちもよく「殉教」という言葉を口にします。しかし、テロリストの「殉教」キリスト教の「殉教」とでは天地雲泥の差があることを、心に留めてください。

 即ち、キリスト教では、「命を犠牲にして、他の人の命を救います。」

 しかし、テロリスト集団は「命を投げ出して、他の人の命を奪う」のです

 「天国」「地獄」なのです。

 この様に「死」に対して思考を深め、立ち向かうことは、「死の恐怖」に打ち勝つための一つの対処方法でもあります。

 

 私の独断ですが、大人と子供の境目は、死に対して何らかの解決策を持って生活しているのが大人で、死を考えないように、無知で逃げの姿勢で暮らしているのが子供だと思うのです。

 

対処法

 私のように、「神様・来世」を信じて死の恐怖に打ち勝つのも一つの方法ですが、神様がまだ苦手な方にご紹介したい人物が居ます。

徒然草」の著者、吉田兼好です。

 彼は、「人間の命は、短いから美しいのである。だから、短い一生をどのように使うかが大切である。短い故に、一日、一日を精一杯生きることが大切である。」と言うのです

 ある哲学者が、「人間は毎日自分の可能性を失って行く動物である。」と言っています。

そして、「毎日可能性を失って、ある人生の分岐点で、残された可能性から自分の進む道を選択しなければならない。」というのです。

 

 ならば、毎日努力をし、将来に、可能性を少しでも多く残そうではありませんか。

 若者の可能性は100%です。何でも出来ます。どんな職業にもつけるのです。若者の定義は、年ではありません。「心の持ち方・若さ」です。

 

最も効果的な対処法

最後に最も効果的な方法をご紹介します。それは、「恋をすることです。」

 年齢は関係ありません。「愛する人が出来れば、自分の命を掛けてでも、愛する人を守ろう、サポートしよう」という勇気が湧いてきます。

 

「愛は死よりも強し」です。だから、死の恐怖に打ち勝つことができるのです。

 因みに、クリスチャンが、自分を犠牲にしてまでも、友を救うという崇高なことができるのは、クリスチャンにとって、エスキリストは、「永遠の恋人」であり、自分も、愛するイエス・キリストの為に、死の恐怖に打ち勝つことが出来るのです。