HSS型HSPのママが生きづらさから卒業する

 

おはようございます。

 

HSS型HSPな気質がある自分だから

生きづらかったんだなぁと

繊細さんという言葉を知って

 

またひとつ救われたあの日から、

 

ここ最近

自分の中で生きづらさの正体が

点だったものが

線になって繋がってきているような感覚があります。

 

とはいっても

まだまだその道の道中で...

 

わかったことと

体得したことは全然ちがうので

学問や専門知識を通して

「そういう仕組みなんだ(°_°)」を知り、

実際に実用的なものに実践してみる

 

そんな繰り返しを過ごしております。

 

私は最も若い活気のある時期に、苦しいけど抜け道が見出せない時間を長らく過ごしてきました。

(可哀想って思われたいアピールなどではございませんからねm(_ _)m)

(むしろ、わたしなんかよりも壮絶な人生を過ごされている方も多いと思います)

 

・愛されないと感じた幼少期

・幼い頃の交通事故

・外見的コンプレックス

不登校

・うつ

パニック障害

・躁鬱

・不眠

・飽き性/続かない

・引きこもり

 

その時に辛くてたまらなかったのは、

 

機能不全家族とよばれる環境だったからなのかぁ

アダルトチルドレンだったのかぁ

思い込みが捻じ曲がってたのかぁ

HSS型HSPだったのかぁ

被害者意識を持っていたんだなぁ

 

などなど。。。

 

おとなになって

経験値が少し上がってきたおかげで

今までの生きづらさの不思議が

スルスル紐解けていくような感覚

 

そうは言っても

まだまだ未熟ですし机上の空論になっては

意味がないので

実際に得た知識とやっていたことが

生きづらさの解消につながっていたのかぁという

気づきをつたない言葉で

今後このブログで綴っていきたいなと

勝手にひとりで意気込んでおりますm(_ _)m

 

「なんであの人はうまくいっていて、私はなぜうまく生きられないのか?」

 

この疑問が幼い頃から

ずーーーーーっとあったように思います。

 

すごい変態みたいなことをいうと

その生きづらさの謎が

謎解きのように解決されているような

アハ体験のような感覚に今なっています。

 

(興味ある方いらっしゃいますかね。。。)

 

(あったら嬉しいなぁと思うのですが、なくてもブログに書かせていただきたいなと思っています)

 

 

生きづらさはないほうがいい

 

 

だけど、

生きづらさを誰に相談したからって

なんにもなるわけじゃないしなぁって

思っていました。

 

 

生きづらさは

きっと一人、ひとり異なっていて

 

生きづらさを解明することなく

前に進んで行ける方は

それはもちろん素晴らしすぎますし

 

生きづらさを紐解いて

対処法を知り

高められる実技スキルとして育んでいけば

いくつからでも

自分という限りある命を輝かせて生きるほうに

エネルギーを使っていけるのではないかなと

ワクワクしています。

 

(勝手に一人で、です笑)

 

 

なんだか宣言的なブログになってしまいましたが、

 

今日も同じ生きづらさを感じている方に

心からここでエールを送らせていただきます^^

 

 

いっしょに、いきましょう!

 

 

本日もあなた様にとって

いい日になりますように

 

ふわこ

 

 

うつになってから忘れてしまったもの

 

10代の交通事故をきっかけに、

人間関係に悩むようになって

生きていくつらさを感じるようになり

 

夜は眠れず

朝寝るようになり

 

過呼吸で倒れるようになり

 

薬がないと眠れなくなり

 

気づけばうつ病だと診断されたのが

10代でした。

 

そこから試行錯誤を繰り返して

今はどん底な毎日から抜けた

新しい毎日を日々送れるようになりました。

 

なんか綺麗事のように聞こえて

嫌だなぁと思うので補足させていただくと

ほんとうに紆余曲折色々ありました。

 

早起きが好きになり

寝る前は「ありがとう」と心から祈って

感謝して寝るようになりました。

 

仏教など素敵だなと思い

気づけばそういう本を選んでいることも

ありますが、(仏教関連だと思って選んだわけではなかった)

信仰などはしていません。

 

当たり前のように感じる毎日を過ごせてることに

ありがたいなぁと思う日々ですが、

 

鬱になったことで、

忘れてしまっていたことがあることに

気づきました。

 

それは、

たくましく、強いメンタルを持って

行動していく力です。

 

鬱を経験して、躁鬱気質が今もあると

「豆腐メンタル」がビクビクすることが

何度もあるんです。

 

大丈夫かな

また落ちないかな

どうしよう

不安だ

 

怖くなってしまって、

気持ちを強く持つことを忘れてしまっていることに気づきました。

 

ですが、鬱が治り

本来のじぶんに戻ってきて

 

毎日を淡々と過ごせるようになってきた私は

 

どうやら次のステップが

あるようなのです。

 

それが、、、

 

たくましく強いメンタルを

身につけていくこと。

 

行動できる力を身につけること。

 

それは正に

死ぬまでやれることに終わりがない。

 

人生はどうやら

結婚したから終わり。

 

では、もちろんないように

子供を産んだから終わりでもなければ

子離れ親離れで終わりでもない。

 

いのちの時間が続く限り

それぞれのペースで

磨きつづけることを期待されている

 

そんな気がするのです。

 

そして、その期待みたいなものに

答えたくて人間を選んでいるような

そんな気もしています。

 

だけどこれは、その人それぞれの

必要なタイミングや

必要なことが違うから

誰かと比較するものではないということ。

 

どんな時も自分に集中して

進みつづけることを選んでしまうように

できているのかもしれないなぁなんて

思っています。

 

今できることが小さくても必ずある。

 

それはどのタイミングでもそう。

 

必ずあるのです。

 

今いるここから、忘れてしまった大切なものを

改めて思い出して、育み直してみようと

そんなことをふと思ったという話しでございました。

 

 

 

 

ふわこ

 

 

今日もあなたにとって

喜び溢れる1日になりますように

神のみぞ知ること

 

コントロールできるのは

自分のみ

 

天気も、天災も、他人も、起きる出来事も

わたしたちは何もどうにもできません

 

思うようにできるのは

「自分のことだけ」ですね。

 

冷静になれば

そんなことわかっちゃいるよって

ツッコミたくなることも多いですが、

 

人生生きづらいなぁと感じてるときは

そんな当たり前が抜けてしまっていることって

ある気がするなぁとおもっています。

 

人間関係の悩み

お金の悩み

仕事の悩み

 

うまくいくかどうか

どう思われるか

どうなるか

 

それらに気を揉むことは

実は無駄な時間なのかもしれません。

 

だけどどこかで

そんな無駄なことばかりしている自分に

嫌悪感や自分責めが始まってしまいそうだから

 

無駄なことをしているわけではないと

思いたい自分がいたりします。

 

「そんなの無駄だよ」なんて

誰かにまっすぐバッサリ言われた日には

怯えて布団から出られないかもしれません。。。

 

そのくらい

わかっちゃいるけどできないことって

歯痒さを感じたりします。

 

そんなとき、いい言葉を思いつきました。

「あ、神のみぞ知るんだ」

 

これからどうなるのかも、

あの人との関係も、

仕事も、出来事も、お天気も。

 

全部神さまというものしか知らないんだ。

 

↑ってそんな風に

「もし神さまがいるとしたら...」と

都合よく使ってみるのです。

 

で、ここでスピリチュアル難民に

なってしまわないように

 

ゆだねるところは、ゆだねて、

自分でコントロールできる部分は

着実に小さくコツコツ淡々とやっていく

という、

 

両軸が大切です。

 

おまかせする部分と、

自分でできる部分。

 

この2つさえできていれば

頭がおかしくなりそうなくらい

わけがわからない生きづらさっていうのは

少しずつ減っていくのではないかなぁと

実際に日々実験してみて感じています。

 

もしかしたら、何を偉そうなこと言ってんだよとこのブログを読んでくださった方の中で感じた方がいらっしゃるかもしれませんm(_ _)m

 

ですが、生きづらくて

豆腐メンタルでスピリチュアルに偏りすぎて現実を疎かにして、居心地の良さだけを追求してしまって気づいたことを

 

過去のうまくいかなくて苦しんでる自分に

少しでも届けたくて書き綴っています。

 

 

まだまだ私も実験の日々でございます。

 

生きづらさがあったっていい。

 

そこにもし、

自分のこと以外に気を揉んでいる時間が

あまりにも割合として多いかもなと感じるなら

 

神さまというものに

ゆだねてみる。

 

任せてみるというのは

名案なのかもしれません

 

 

今日も一日あなた様にとって

いい日になりますように♩

 

 

ふわこ

 

 

 

 

虚無感。こんな自分でいいのかな

 

こんな自分でいいのかな

このままじゃ良くない気がする

もっとがんばらないとダメだよな

 

そんな声が響くとき、

 

もしかしたら私たちは、

理想と現在地点が

ごっちゃごちゃになってしまって

いるのかもしれません。

 

今、自分はなにをしているのか

 

今、じぶんにはなにができるのか

 

そして、

 

こうなりたい

こうでありたいな

 

憧れから生まれる理想。

 

 

思考はとても面白いものだなぁと

思うのですが、

 

理想と現在地点が

よくわからない。

 

 

だけど、どうやら身体は

すべてを知っている。

 

 

頭の中では

あんな自分やこんな自分

 

なんでもできて

こなせて

豊かで何でも手に入れてて

欲しいものがある自分

 

どんな自分も、誰かの生活から

そうだったらいいなぁと

自分に転写することができてしまいます。

 

 

だけど、それは「頭の中だけ」

 

 

そこにいすぎることは

人間のわたしたちはどうやら

あんまりお勧めされていないようで、

 

 

頭の中だけの時間が長く、

 

身体がなにも動いていないと、

 

「不快感」や「不安感」

「焦り」がどうやらうまれてくるようなのです。

 

頭の中だけでもいいし

考えることもいいし

浸ることもいいんです

 

 

ただ、そこにいすぎると

バランスが崩れて

逆に心地悪さが現実で襲ってくる...

 

 

システムみたいなものがあるような

そんな気がしております(実験の日々です

 

 

そんなわたしが最近素敵だなぁと思った本は、

 

ぜんぶ、捨てろ。

 

持たない生き方。

 

この2冊です。

 

(スマホからだとリンクを貼れませんでしたので、また改めて明日以降追加で貼らせていただきますm(_ _)m)

 

 

こんな自分でいいのかなと

空を眺める時間もいいし、

 

その時間が苦痛になったら

身体を動かす。(小さな行動を与える)

 

そうするとまた、

現実の自分が生きてる心地がするようになる

 

 

ふわこ

 

 

今日もお疲れ様でございました

 

アダルトチルドレンなじぶんに負ける

 

アダルトチルドレンとは、

機能不全家族で育った影響で大人になっても生きづらさを抱えている人だそうです。

 

実はこの言葉が目に入るたびに

「なんか嫌な気分」を感じておりました。

 

だけど気になるなぁと思って

関連本を読んでみると、

おーーーこれはなんと...!自分じゃないかと

目が点になりました。

 

ですがラッキーなことに

どうやら私はこの生きづらさを

少しだけ扱えるようになって

生きていたんだなぁということにも

気づけたんです。

 

アダルトチルドレンによく当てはまるわたしは

「とにかく自分で決められなかった」のです

 

最近は自分と向き合い続けて

こうかな?あぁかな?と

生きづらさを少しでもじぶんに合うカタチで攻略したいという気持ちで、実験というなの研究をする日々のおかげで、

 

自分の気持ちがわかるようになり

ほんとうはこうしたいがわかるようになり

好きがわかるようになり

どう生きていたいかもわかるようになりました。

 

だけど、だからってアダルトチルドレン卒業できたのかしら?って考えると、

 

正直そんなことないんじゃないかなぁと

思っているんですよね。

 

だって、クセなので

どうしても自分を否定してしまうクセは

よく出てくるし(少なくなりましたが...

 

やばい、こんなことしちゃった

どうしよう間違ってたんじゃないか

わたしってなんてダメなんだ

恥ずかしい

どうしようどう思われるだろう(少なくなりましたが、かっけのように反射的にでるでる

 

だけど変わったことといえば

「ハッ」やっちゃってる。って

気づけるようになったことかなぁと

思うんですよね。

 

ハッッッ。

わたしまた爪噛んでるわ。

また歯ぎしりしてるわ。

また足組んでるわ。みたいな感じです。

 

そうすると、

怖すぎる不安感とか

焦燥感とかに

飲み込まれすぎずに

 

冷静さを取り戻している自分が

何分後かの未来にはいるんですよね。

 

アダルトチルドレンなじぶんに

負けてみると、

 

どうにかしようとコネコネ

力むことがないので

 

反発感がうまれず、

 

淡々と対処できる側のじぶんに

バトンタッチする感覚が訪れているようです。

 

 

生きづらさを感じていたって

だいじょうぶ。

 

 

小さな「あ、だいじょうぶなんだ( ゚д゚)」

っていう成功体験を

自分サイズで体験していけば

 

 

ありのままの自分で生きることに

力を入れすぎて不自然に苦しくなることは

大分なくなりました。

 

 

ほんと、ひとりではこんなふうに

思えなかっただろうなぁと

寝る前のストレッチをしていたら

ありがたいなぁ少しでもお裾分けしたいなぁと

そんな気持ちになってしまったので

ここに書かせていただきましたm(_ _)m

 

 

生きづらさはきっと

ヒトの数だけありそうですよね。

 

 

そして、それは消さなくってもいいもの。

大丈夫なもの。

 

 

「ええいっ。わかった。降参して、スカッとしない。そんな日々を淡々と生きてやろうじゃないか。(いのち尽きるまで、なるべく楽しく生きたいな」

 

ふわこ

 

 

 

 

 

 

HSS型HSPの人間関係シャッター降ろすあるある

 

おはようございます^^

 

昨日話を聞いていて

「わっかるなぁ〜(T . T)」とおもったのが

 

あ、無理。ってなるとシャッターを降ろしちゃうんですよね・・・。

 

だから、人間関係ほんっとに苦手なんです。

 

ほんとうの友達っていない気がします。。。

 

そうおっしゃっていて、

いや〜ほんとそうなっちゃいますよねって

共感の嵐でした。

 

HSS型HSP気質があると、

人間関係リセット症候群とか、突然人間関係を切ってしまう。

 

じゃあこれってなんで突然起きちゃうんだろう?ってところを掘り下げてみます。

 

①良いところの自分しか出せないから

②ひとの言葉が全部グサグサ刺さりすぎちゃうから

③繊細すぎて「ん?」って相手の言動や態度に不安になっちゃうから

④豆腐メンタルだけど実は強い信念があるから

⑤残像が残っちゃうから

⑥未来予測をしすぎて「あー、もう無理ってなっちゃうから」(未来に溜まりすぎているであろうネガティブ感情を感じ取って嫌になる)

⑦小さな嫌だな(不快感)をスルーできないから

⑧好奇心が逆行してひとをジャッジする方向に脳が活性化してしまうから

⑨傷つくのが怖いから

⑩ひとりで心の距離感がバグることに疲れちゃうから

 

***

 

P.S

こじらせにこじらせまくったからこそ

「わかる〜〜〜〜(T . T)」

 

だけど、今になってやっとわかったことは

人間関係って、実はそんなにむずかしくないってこと

 

体得するのに時間はちょっとかかるけど

シンプルになると

ストンと必要なひととのご縁で生きていけるということ

 

(だけどもがく時期があるから、わかる笑)

 

 

ふわこ

 

 

今日もいい日になりますように♩

 

 

持たない工夫で人生好転

 

こんばんは。

 

みなさま今日もお疲れ様でございました。

 

" 持たない工夫 "

 

こんなにありふれた資源、物、サービス、人。

 

豊かな時代の中で

わたしの人生がどん底よりもほんの少しだけ

「あ、生きてるってけっこうおもしろいぞ」

って思えるようになってきた一つが、

 

『持たない工夫をしていたこと』でした。

 

HSS型HSPの人あるあるなのかは

わかりませんが、

 

わたしはとにかく

「視覚的に散らかっていることが苦手」です。

 

それも小学1年性の時にはその意識がすごくありました。

 

散らかっている=視覚的な刺激が強すぎるのか

ほんとうにだめで、、、

 

片付けが苦手で忙しい母の目を盗んでは

毎日勝手に片付けという名の

「とにかく目につく空間のものをなくす」

という大変迷惑な行為を毎日繰り返しているよつなそんな子でした(ーー;)

 

話を戻すと、

そんな特性が昔からあったからなのか

 

部屋に物が多いという環境が

かなり苦手で、

 

例えば気に入って家具を買い足しても

少し時間が経つと

部屋の物の質量が重くなっている肌感覚に

ゾッとして、、、

(または視覚的に色が乱雑な状態が本当に苦手なので色のチグハグもかなりストレスになってしまいます)

 

すぐに家具を手放す→または分解してカタチを変える→色を変える

 

そして手放すということに執着が

少ないほう

 

そういう自分の特性はなんとなーく

わかってはいたのですが、

 

ある時から意識して

「持たない工夫をしてみよう」と

面白がるスイッチが入ってしまったんですね。

(気づけばですよ笑。好奇心めっちゃ出てます

 

例えば、

本は大好きだけど、本が増えていくと

その質量で部屋が重くなることや

視覚的に刺激が多くなることに疲れてしまうから

「1度欲しい」と書店で瞬発的に思ったとしても

「うんOK!わたしはこれが好き!じゃあまた今度ね♩」といってその瞬間は飲み込んで手放す。

 

そして、やっぱり読みたいなーと、2度3度ウズウズするようなら

 

「図書館で借りる」

→まだここでは終わらず

 

一度借りてもその後また2回頼んで欲しくなるなら買おうかな?と検討に入る。

 

そんな流れを持っています。

 

(おもしろいのが、これをやってからというもの、私に合っているというサインのようで「ピンポーン」って前に欲しいと思った書店で見たあの本を、プレゼントされるようになったりしました^^)

 

持たない工夫が

わたしには合っていたのか

 

・常に部屋は余白7割ほど

・物が散らかることが基本ない

・片付けることがそもそもない

・管理がラク

・部屋の空気がおいしく感じる

・隙間があるからいつも余裕がある

・人や社会、他者、この世界にあるものに心から感謝が湧いてくる日々になった

SNSでキラキラ「これいいよ!」を一切見ることのない日々だからこそ、「え、そんなのあり?」ってことが当たり前になり、臨機応変柔軟にある暮らしの中で満たせるようになる

 

・「ある」を心から喜べて、満足感をいつでも当たり前に感じられる自分になれた

 

・思考力が鍛えられるようになった

(すぐ買えばいい→ではなく、どうしたら今この瞬間わたしは満たされるのかな?を今ある環境、与えられていることの中で瞬時に導き出せるようになった)

 

などなど、、、

 

昔は誰かや他人が羨ましくてしょうがなかったのに、

 

そう思うことが日頃全くなくなってしまいました。

 

もちろん人にもよると思いますが、

溢れている今の時代だからこそ

「足そうとする」ことで

心の欠けを補おうとすることは

『ほんの一瞬』しか続かないもろいもの。

 

高い金額で手に入れたものは

「せっかく買ったのに」と手放すことに

執着が湧いてきたりするものですよね。

(高い低い関係ないかもですね(ーー;))

 

子供がいると尚更

「いいよ買ってあげる」と

折れた方が後々めんどうなことにならずに

その瞬間済む。なんてことも沢山あります。

 

それがダメだとは思っていません。

 

持たない工夫。

ほんとうにたのしいです^^

 

ハマると爽快感がやみつきになります

 

 

ふわこ