「またミスした。やっぱり私はダメだ」──自己批判ループを断ち切る

 

「できない自分」が許せない

カウンセリングルームに入ってきたクライエントは、背筋をピンと伸ばし、きちんと整えられたスーツを着ていた。しかし、その表情には疲労の色が濃く浮かんでいた。

クライエント「最近、仕事でミスが続いて...もう、自分が情けなくて」

声のトーンは低く、どこか自分を責めるような響きがあった。

ダイキ「ミスが続いているんですね。どんな感じのことがあったんですか?」

クライエント「先月、大事な商談で資料の数字を間違えて...あと、メールの宛先を間違えたり。本当に些細なことなんですけど、こんなこと、昔の私だったら絶対にやらなかったのに」

クライエントはそう言いながら、両手を強く握りしめた。

ダイキ「昔の私だったら...ですか」

クライエント「はい。私、数年前までは営業成績トップだったんです。賞も何度ももらって。でも今は...ミスばかりで。周りから『どうしたんだ?』って言われるたびに、自分がダメになってるんだって思うんです」

その言葉には、深い自己否定の響きがあった。

ダイキ「成績トップだった頃と、今と。何か変わったことはありますか?」

クライエント「...正直、何が変わったのかわからないんです。でも、前は当たり前にできてたことが、今はできない。それが怖くて」

クライエントの声が少し震えた。

見えない期待という檻

ダイキ「怖い、というのは?」

クライエント「...このまま、どんどんできなくなっていくんじゃないかって。今までの自分が、全部嘘だったんじゃないかって思うんです」

ダイキ「今までの自分が嘘だった...」

クライエント「そうです。トップだったのに、こんな簡単なこともできないなんて。周りは『大したことない』って言うけど、私にとっては大したことなんです。できて当然のことができないって、すごく恥ずかしくて」

その瞬間、ダイキは「できて当然」という言葉に引っかかりを感じた。

ダイキ「できて当然...今、そう言いましたよね」

クライエント「え、はい...だって、これくらいのこと、普通できますよね?」

ダイキ「普通できる、と思うんですね。じゃあ聞いてもいいですか。『これくらいのこと』って、誰が決めたんでしょう?」

クライエントは一瞬、言葉に詰まった。

クライエント「それは...私が、ですかね。でも、昔はできてたんだから、今もできないとおかしいじゃないですか」

ダイキ「おかしい、と思うんですね」

クライエント「...そうですよね?」

少し不安そうな表情で、クライエントはダイキを見た。

ダイキ「おかしいかどうかを私が判断することはできません。ただ、今お話を聞いていて思ったのは、『できて当然』という期待が、とても大きいのかなって」

クライエント「期待...ですか」

ダイキ「はい。昔の自分はできた、だから今もできるべきだ。そういう期待を、自分に対して持っているのかもしれません」

クライエントは黙り込んだ。部屋には静寂が流れた。

100点じゃないと...という呪縛

しばらくして、クライエントがゆっくりと口を開いた。

クライエント「...そうかもしれません。100点じゃないと、意味がないって、どこかで思ってるのかもしれない」

ダイキ「100点じゃないと、どうなりますか?」

クライエント「...ダメだ、って思います。90点でも80点でも、100点じゃなかったら、もう失敗なんです」

ダイキ「90点も失敗?」

クライエント「はい。だって、100点取れるはずなのに、取れなかったってことは、手を抜いたか、能力が落ちたかのどっちかじゃないですか」

クライエントの声には、強い確信があった。

ダイキ「なるほど。じゃあ、もし100点を取り続けることができなかったら?」

クライエント「...それは」

クライエントは言葉に詰まり、俯いた。

ダイキ「言いにくいことですか?」

クライエント「......私は、価値がなくなる、と思います」

その言葉は、とても小さな声だった。しかし、その重みは計り知れなかった。

ダイキは静かに頷いた。

ダイキ「価値がなくなる...そう感じているんですね」

クライエント「はい...。できないなら、私がいる意味がないんです」

涙が一粒、クライエントの頬を伝った。

期待の正体

ダイキは少し間を置いてから、優しく尋ねた。

ダイキ「ちょっと聞いてもいいですか。その『100点じゃないとダメ』っていう考え、いつ頃からあったんでしょう?」

クライエント「...昔からですね。子どもの頃から、できないと怒られたし。『お前ならできるはずだ』って、よく言われてました」

ダイキ「できるはずだ、と」

クライエント「はい。期待に応えないと...ダメだって。だから、ずっと頑張ってきたんです。そうしたら、ちゃんと評価されて、成績も上がって。それで、『やっぱり頑張れば認められるんだ』って思ったんです」

ダイキ「頑張れば認められる。それを証明してきたんですね」

クライエント「そうです。でも今は...頑張ってるのに、できない。だから、もう認められないんじゃないかって」

クライエントの声が震えた。

ダイキ「今、すごく苦しそうですね」

クライエント「......はい」

ダイキは静かに、クライエントの言葉を待った。

クライエント「正直、すごく疲れてるんです。でも、疲れたなんて言えない。弱音を吐いたら、もっとダメになる気がして」

ダイキ「弱音を吐いたら、ダメになる?」

クライエント「はい。だって、優秀な人は弱音なんか吐かないじゃないですか。ずっと強くて、完璧で」

ダイキ「...優秀な人は、弱音を吐かない」

クライエント「そう思ってました。でも...」

クライエントは言葉を止めた。

崩れ落ちる防衛

ダイキ「でも?」

クライエント「...でも、もう限界かもしれません」

その言葉と同時に、クライエントの目から涙が溢れ出した。それは、ずっと我慢していた感情が堰を切ったような涙だった。

ダイキ「限界...」

クライエント「夜も眠れなくて。ミスした場面が何度も頭に浮かんで。『また失敗するんじゃないか』って、仕事に行くのが怖いんです」

ダイキは静かに頷いた。

ダイキ「怖いんですね」

クライエント「はい...。でも、こんなこと、誰にも言えなくて。言ったら、『あいつも終わったな』って思われるんじゃないかって」

その言葉には、長年抱えてきた孤独が滲んでいた。

ダイキ「終わった、と思われることが怖い?」

クライエント「...はい。認められなくなるのが、一番怖いんです」

クライエントは顔を覆って泣いた。強がり続けてきた自分が、ついに崩れ落ちた瞬間だった。

ダイキは何も言わず、ただその場にいた。泣くことを許された空間で、クライエントは長い間、声を上げて泣き続けた。

しばらくして、クライエントが顔を上げた。目は赤く腫れていたが、どこか穏やかな表情だった。

クライエント「...すみません。こんな、情けない姿を」

ダイキ「情けないですか?」

クライエント「だって、泣くなんて...」

ダイキ「泣いたら、ダメなんですか?」

クライエントは言葉に詰まった。

ダイキ「今、すごく正直な気持ちを話してくれましたよね。それって、情けないことなんでしょうか」

クライエント「...わかりません。でも、弱いってことですよね」

ダイキ「弱い、と思うんですね」

クライエント「...そう思ってました。でも」

ダイキ「でも?」

クライエント「...少し、楽になった気がします」

その言葉には、驚きが混じっていた。

期待と現実のギャップ

ダイキ「楽になった?」

クライエント「はい。ずっと、『弱音を吐いちゃダメだ』って思ってたんですけど...今、話してみて。なんだか、少しだけ肩の荷が下りた感じがします」

ダイキ「そうですか。じゃあ、ちょっと聞いてもいいですか」

クライエント「はい」

ダイキ「今まで、『できて当然』『100点じゃないとダメ』って思いながら仕事してきて。それで、本当に100点を取り続けられましたか?」

クライエントは少し考えてから、首を横に振った。

クライエント「...いいえ。成績トップだった頃も、実は失敗はありました。でも、それは『たまたま』だと思ってたんです」

ダイキ「たまたま?」

クライエント「はい。本気でやれば100点取れるはずだから、失敗するのはたまたま調子が悪かっただけだって」

ダイキ「なるほど。じゃあ、今のミスも、たまたまじゃないんですか?」

クライエントは黙り込んだ。

クライエント「...それは...でも、最近、多すぎるんです」

ダイキ「多すぎる。何と比べて?」

クライエント「昔と、です。昔は...」

そこでクライエントは言葉を止めた。

ダイキ「昔は?」

クライエント「...昔は、そんなにプレッシャーを感じてなかったかもしれません」

ダイキ「プレッシャー?」

クライエント「はい。トップだった頃は、『できなくてもいいや』って、どこかで思えてたんです。でも今は、『できないとダメだ』って、ずっと思ってる」

ダイキ「それは、どうしてでしょう?」

クライエント「...トップだったっていう過去があるから、ですかね。周りも私に期待してるし。『またトップ取れよ』って言われるし」

ダイキ「周りの期待と、自分の期待。両方があるんですね」

クライエント「はい...。でも、もう昔みたいにはできない気がして。それが、すごく怖いんです」

ダイキは少し考えてから、静かに尋ねた。

ダイキ「もしかして、その期待って、最初は『やる気』になってたんじゃないですか?」

クライエント「え?」

ダイキ「『期待に応えよう』『もっと上を目指そう』って。最初は、それが力になってたかもしれない」

クライエントはハッとした表情を浮かべた。

クライエント「...そうかもしれません。昔は、期待されるのが嬉しくて」

ダイキ「でも、今は?」

クライエント「...今は、重いです。期待が、プレッシャーになってる」

その言葉には、深い疲労が滲んでいた。

期待を手放す勇気

ダイキは少し間を置いてから、静かに尋ねた。

ダイキ「ちょっと想像してみてほしいんですけど」

クライエント「はい」

ダイキ「もし、『できなくてもいい』って思えたら、どうなりますか?」

クライエント「...え?」

ダイキ「『100点じゃなくてもいい』『失敗してもいい』って、もし思えたとしたら。どんな感じがしますか?」

クライエントは戸惑いながらも、少し考えた。

クライエント「...怖いです。そう思ったら、本当にダメになりそうで」

ダイキ「ダメになる、と思うんですね」

クライエント「はい。だって、『できなくてもいい』なんて思ったら、甘えちゃうじゃないですか」

ダイキ「甘える?」

クライエント「はい。頑張らなくなるっていうか...手を抜いちゃうっていうか」

ダイキ「なるほど。じゃあ、今みたいに『できないとダメだ』って思ってる方が、頑張れるんですか?」

クライエントは言葉に詰まった。

クライエント「...それは...」

ダイキ「どうでしょう?」

クライエント「...実は、頑張れてないんです。怖くて、動けなくなることが多くて」

ダイキ「怖くて、動けない」

クライエント「はい。失敗したらどうしようって思うと、手が止まっちゃうんです。だから余計に、ミスが増えて」

クライエントは深いため息をついた。

ダイキ「今、すごく大事なことに気づいたんじゃないですか?」

クライエント「え?」

ダイキ「『できないとダメだ』って思うと、かえって動けなくなる。そういうことですよね?」

クライエントはハッとした表情を浮かべた。

クライエント「...そうかもしれません」

ダイキ「だとしたら、『できないとダメだ』っていう期待は、あなたを助けてるんでしょうか?」

クライエントは黙り込んだ。

クライエント「...助けてない、ですよね。むしろ、苦しめてる」

その言葉には、諦めにも似た静けさがあった。

小さな許可

ダイキ「苦しめてる、と思うんですね」

クライエント「はい。でも...じゃあ、どうしたらいいんですか? 『できなくてもいい』なんて、思えないです」

ダイキ「思えない?」

クライエント「だって、それって諦めるってことじゃないですか。私、諦めたくないんです」

クライエントの声には、強い意志があった。

ダイキ「諦めたくない、んですね」

クライエント「はい。ずっと頑張ってきたのに、ここで諦めたら...全部無駄になる気がして」

ダイキ「全部無駄になる...」

クライエント「そうです。だから、もっと頑張らないと」

ダイキ「ちょっと待ってください」

ダイキは穏やかに、しかしはっきりと言った。

ダイキ「『できなくてもいい』っていうのは、諦めるってことなんでしょうか?」

クライエント「...え?」

ダイキ「『100点じゃなくてもいい』っていうのは、『頑張らなくていい』ってことですか?」

クライエントは考え込んだ。

クライエント「...違う、かもしれません」

ダイキ「どういうことでしょう?」

クライエント「...『100点じゃなくてもいい』っていうのは、『90点でもいい』『80点でもいい』ってことで。それって、諦めてるわけじゃ...」

クライエントは言葉を止め、何かに気づいたような顔をした。

クライエント「...そうか。100点じゃなくても、ちゃんと価値はあるんですよね」

ダイキ「どう思いますか?」

クライエント「...たぶん、ある。90点でも、80点でも、それはそれで、ちゃんと頑張った結果で」

その瞬間、クライエントの表情が変わった。何か大きなものが腑に落ちたような、そんな表情だった。

ダイキ「今、何か気づきましたか?」

クライエント「...はい。私、ずっと『100点じゃないと無意味だ』って思ってました。それって...自分で自分の価値を否定してたんですね」

ダイキ「自分の価値を?」

クライエント「はい。90点の自分も、80点の自分も、全部『ダメな自分』だって。そんなの、おかしいですよね」

クライエントは少し笑った。苦笑いではあったが、そこには自分を客観視できる余裕が生まれていた。

クライエント「...自分を追い詰めてただけ、かもしれません。『できて当然』って思うことで、自分を動かそうとしてたんです。でも、実際は...」

その言葉には、深い気づきがあった。

新しい自分への一歩

ダイキ「自分を追い詰めてた、と思うんですね」

クライエント「はい。『できて当然』『100点じゃないとダメ』って。そう思うことで、自分を動かそうとしてたんです。でも、実際は...」

ダイキ「実際は?」

クライエント「動けなくなってました。怖くて」

クライエントは深く息を吸った。

クライエント「もしかしたら、私、『できなくてもいい』って自分に許可を出す必要があるのかもしれません」

ダイキ「許可?」

クライエント「はい。完璧じゃなくてもいい。ミスしてもいい。それでも、私には価値がある。そう思えたら...」

ダイキ「そう思えたら?」

クライエント「...もっと、楽に動けるかもしれません」

その言葉には、希望の光が宿っていた。

ダイキ「いいですね。じゃあ、ちょっと試してみますか?」

クライエント「試す?」

ダイキ「はい。今週、何か一つでもいいので、『100点じゃなくてもいい』って思いながらやってみる。どうでしょう?」

クライエント「...怖いですけど、やってみます」

ダイキ「どんな小さなことでもいいですよ。メールを送るとき、資料を作るとき。『完璧じゃなくてもいい』って、自分に言ってみる」

クライエント「わかりました。やってみます」

クライエントの顔には、少しだけ柔らかさが戻っていた。

ダイキ「それと、もう一つ」

クライエント「はい」

ダイキ「もし、また『ダメだ』って思ったら、『でも、これでいい』って言ってみてください。呪文みたいに」

クライエント「呪文...」

ダイキ「はい。『100点じゃないけど、これでいい』って」

クライエント「...やってみます」

対話の終わりに

カウンセリングが終わり、クライエントが立ち上がった。

クライエント「今日、来てよかったです。ずっと、一人で抱え込んでて」

ダイキ「よく来てくれましたね」

クライエント「はい。正直、カウンセリングなんて受けたら、『私、病んでるのかな』って思われるんじゃないかって怖かったんです」

ダイキ「そうだったんですね」

クライエント「でも、話してみて。別に病んでるわけじゃなくて、ただ、期待が大きすぎただけなんだって思えました」

ダイキ「そうですね。期待は、時に自分を追い詰めることもあります」

クライエント「はい。もう少し、自分に優しくしてみます」

クライエントは、来たときよりも軽やかな足取りで部屋を出ていった。


エピローグ:3週間後

3週間後、クライエントが再びカウンセリングルームを訪れた。その表情は、初めて会ったときとは明らかに違っていた。肩の力が抜け、穏やかさが漂っていた。

クライエント「あれから、『これでいい』って、毎日言ってみたんです」

ダイキ「どうでしたか?」

クライエント「最初は違和感がすごくて。『これでいいわけないだろ』って、自分でツッコミ入れてました」

クライエントは少し笑った。

クライエント「でも、続けてたら...不思議なことに、本当にそう思えてきたんです。『100点じゃないけど、これでいい』って」

ダイキ「変化があったんですね」

クライエント「はい。それで、ミスも減りました。というか、ミスしても『まあ、いっか』って思えるようになって。そしたら、余計な緊張がなくなったのか、かえって集中できるようになったんです」

ダイキ「それは素晴らしいですね」

クライエント「不思議なんですけど、『できなくてもいい』って思ったら、かえってできるようになったんです。期待を手放したら、逆に力が出せるようになったっていうか」

ダイキ「期待を手放した?」

クライエント「はい。『できて当然』っていう期待が、実は一番のプレッシャーだったんだって、今ならわかります」

その言葉には、深い理解が込められていた。

クライエント「まだ完璧じゃないですけど」

そう言いかけて、クライエントは自分で笑った。

クライエント「あ、また『完璧』って言っちゃいました」

ダイキ「気づけましたね」

クライエント「はい。完璧じゃなくていい。むしろ、完璧じゃない自分の方が、人間らしくていいかもって。そう思えるようになってきました」

クライエントの顔には、柔らかな笑顔が浮かんでいた。

クライエント「ダイキさん、ありがとうございました。まだ時々、『できないとダメだ』って思っちゃうんですけど、そのたびに『でも、これでいい』って言い直すようにしてます」

ダイキ「それでいいんじゃないですか。完璧に変わる必要はないですから」

クライエント「そうですね。少しずつ、自分に優しくなれたらいいなって思います」

クライエントは深く頷き、明るい表情で部屋を後にした。その背中からは、以前のような強張りは消えていた。


「この記事を最後まで読んでくださった方へ」

ここまで読んでくださったということは、あなたも今、何か抱えているものがあるのかもしれません。

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「自慢っぽくて嫌だ」と思っていた自己PR

 

はじめに:自己PRが苦手なのは「あなたのせい」じゃない

「自己PRをしっかりしないと、これからの時代生き残れないよ」

SNSを開けば、そんなメッセージがあふれています。転職サイト、キャリアコーチ、インフルエンサー。みんな口を揃えて「自分の価値をアピールしろ」と言ってきます。

でも、実際にやろうとすると、頭が真っ白になる。何を言えばいいのか分からない。そもそも、自分に誇れるものなんてない気がする。

35歳の女性、マサコさん(仮名)も、そんな悩みを抱えていました。

彼女は地方の製造業で10年以上働いていましたが、リモートワークの普及で働き方を見直したいと考え、転職活動を始めました。しかし、面接のたびに「あなたの強みは何ですか?」と聞かれると、言葉に詰まってしまう。「特にありません」と答えて、何度も落ちました。

「10年も働いてきたのに、私には何もアピールできることがないんだ」

そう思い込んでいました。

でも、ある時、彼女はあることに気づきます。

「自己PRが苦手なのは、私の能力が低いからじゃなかった」

実は、自己PRが苦手な人には、共通する「ある特徴」があります。そして、その特徴を理解して、ほんの少し視点を変えるだけで、驚くほど自己表現が楽になるのです。

この記事では、自己PR能力の不足を解消するために、あなたが今日からできる具体的な方法をお伝えします。


第1章:なぜ自己PRが苦手なのか? その本質を理解する

1-1. 「嫌われたくない」という本能が、あなたを縛っている

自己PRが苦手な人の多くは、実は過度に他者の評価を気にしているという特徴があります。

心理学の専門家によれば、人間は本能的に「嫌われること」を極度に恐れる生き物です。なぜなら、原始時代、集団から排除されることは「死」を意味したからです。この本能は、現代でも私たちの中に深く根付いています。

自己PRをする場面では、この本能がフル稼働します。

「こんなことを言ったら、自慢だと思われるんじゃないか」
「大したことないのに、偉そうに見えるんじゃないか」
「間違ったことを言って、恥をかくんじゃないか」

こうした不安が頭の中をぐるぐると回り、結果として何も言えなくなってしまうのです。

1-2. エネルギーを使いすぎて、疲れ果てている

自己PR以前に、日常生活で「警戒心」にエネルギーを使いすぎている人がいます。

職場で、友人関係で、SNSで。常に「どう見られているか」を気にして、波風を立てないように、嫌われないように、細心の注意を払いながら生きている。

これは、心理的には非常にコストの高い生き方です。

専門家はこれを「過剰な警戒モード」と呼びます。毎日、他人の顔色をうかがい続けることで、エネルギーが枯渇し、気持ちが沈んでいく。すると、警戒心はさらに強くなり、より多くのエネルギーを消費する。やがて限界が来ると、イライラが抑えられなくなり、自分から人間関係のトラブルを起こしてしまう。

この悪循環を「過剰警戒サイクル」と呼ぶ専門家もいます。

自己PRが苦手な人の多くは、このサイクルに陥っています。日常で疲れ果てているため、自分をアピールするという「攻めの行動」に使うエネルギーが残っていないのです。

1-3. 「自己PR=自慢」という誤解

もう一つ、大きな誤解があります。

それは、「自己PR=自分を大きく見せること」という思い込みです。

実際には、自己PRとは「自分の経験や価値観を、相手に分かりやすく伝えること」です。決して、自分を偽ったり、誇張したりする必要はありません。

にもかかわらず、多くの人は「自己PR=自慢話」だと勘違いしています。だから、「自分には自慢できることがない」と感じてしまうのです。

1-4. 小さな成功体験の不足

自己PRが得意な人と苦手な人の決定的な違い。それは、「自己表現の成功体験」の量です。

幼い頃から、自分の意見を言って受け入れられた経験。何かを成し遂げて、褒められた経験。失敗しても、周りがサポートしてくれた経験。

こうした小さな成功体験を積み重ねることで、人は「自分を表現しても大丈夫だ」という自信を育てていきます。

逆に、意見を言って否定された経験、頑張っても認められなかった経験、失敗して笑われた経験が多いと、「自分を表現するのは危険だ」と学習してしまいます。


第2章:自己PRが苦手だった人たちの物語

ここで、実際に自己PR能力を高めることに成功した人たちのエピソードを紹介します。

ケース1:マサコさん(35歳・元製造業)の場合

冒頭で紹介したマサコさんは、地方の小さな工場で10年以上働いていました。真面目で、コツコツと仕事をこなすタイプ。でも、自分をアピールすることは本当に苦手でした。

転職活動を始めたとき、彼女は何度も面接で落ちました。

「あなたの強みは何ですか?」と聞かれると、「特にありません」と答えてしまう。「これまでの経験を教えてください」と言われても、「ただ言われたことをやってきただけです」としか言えない。

ある日、オンラインコミュニティで、同じように転職活動をしている人たちと話す機会がありました。そこで、一人の女性が「私も自己PRが苦手だったけど、ある方法で克服した」と教えてくれました。

それは、「自分の日常の行動を、第三者の視点で観察してみる」という方法でした。

マサコさんは、その日から毎日、自分の行動を記録し始めました。何時に何をしたか、どんな工夫をしたか、どんな問題を解決したか。

すると、驚くことに気づきました。

「私、けっこういろんなことをやってるじゃん」

製造ラインの効率化のために、自分なりに手順を工夫していたこと。新人が困っていたら、わざわざ時間を作って教えていたこと。機械のトラブルが起きたとき、マニュアルにない方法で応急処置をしたこと。

これらはすべて、「ただ言われたことをやってきた」中に含まれていた、彼女の「強み」でした。

次の面接で、彼女は緊張しながらも、これらのエピソードを話してみました。

「製造ラインで、作業の無駄を減らすために、自分なりに手順を変えてみたんです。最初は不安だったんですけど、結果的に作業時間が15%短くなりました」

面接官の表情が、明らかに変わりました。そして、その企業から内定をもらうことができました。

ケース2:ヒロシさん(28歳・元IT業界)の場合

ヒロシさんは、新卒で入った会社で5年間、プログラマーとして働いていました。技術力はそこそこあったのですが、社内の人間関係に悩んでいました。

特に、自分の仕事の成果を上司に報告する場面が苦手でした。「今月、○○の機能を実装しました」と報告すると、上司は「それで?」と冷たい反応。もっと詳しく説明しようとすると、「要点を簡潔に」と言われてしまう。

彼は、「自分はプレゼンが下手なんだ」と思い込んでいました。

ある時、転職エージェントから「自己PRの練習をしてみませんか?」と提案されました。最初は乗り気ではありませんでしたが、試しに参加してみることに。

そこで、エージェントから驚くべき指摘を受けました。

「ヒロシさん、あなたは自分の仕事を『ただの作業』として報告していますね。でも、その作業が『誰のために、どんな価値を生んだか』を伝えていないんです」

言われてみれば、確かにそうでした。彼は「何をしたか」だけを報告していて、「それがどう役立ったか」を全く伝えていませんでした。

エージェントは、こうアドバイスしました。

「自己PRは、『自分がやったこと』を話すのではなく、『自分がやったことで、誰がどう助かったか』を話すことです」

次の報告会で、ヒロシさんは試しにこの方法を使ってみました。

「今月実装した検索機能によって、お客様からの問い合わせ対応時間が平均3分短縮されました。これにより、サポートチームの負担が20%減少し、他の業務に時間を使えるようになったそうです」

上司の反応が、明らかに変わりました。「おお、それはいいね」と、初めて褒められました。

ケース3:アイコさん(42歳・元事務職)の場合

アイコさんは、15年以上、地元の中小企業で事務職として働いていました。子育てもあり、キャリアアップよりも安定を選んできました。

しかし、会社の業績悪化により、リストラの対象に。再就職活動を始めましたが、面接のたびに「あなたは何ができますか?」と聞かれ、答えられませんでした。

「私、本当に何もできないんです」

彼女は、そう思い込んでいました。専門的なスキルもない、資格もない、ただ言われたことをやってきただけ。

ある日、ハローワークの就職支援セミナーに参加しました。そこで、講師がこう言いました。

「みなさんは、『自分には何もできない』と思っていますか? でも、それは大きな間違いです。あなたが『当たり前だと思ってやっていること』が、実は他の人にはできない貴重なスキルなんです」

講師は、参加者に「これまでの仕事で、あなたが工夫したことを3つ書き出してください」と言いました。

アイコさんは、最初は「工夫なんてしてない」と思いましたが、必死で思い出してみました。

すると、出てきました。

  • 電話応対で、お客様の要望を正確に聞き取るために、独自のメモフォーマットを作っていたこと

  • 社内の書類整理で、誰でもすぐに見つけられるように、色分けとラベル付けのルールを作ったこと

  • 新人が入ったとき、自分が苦労した経験をもとに、簡単なマニュアルを作って渡していたこと

「これ、工夫って言えるのかな...」と不安でしたが、講師は「それです! 素晴らしい!」と褒めてくれました。

次の面接で、アイコさんはこれらのエピソードを話してみました。すると、面接官から「あなたは、現場の改善を自分で考えて実行できる人なんですね」と評価され、内定をもらうことができました。


第3章:自己PR能力を高める3つの実践ステップ

ここからは、具体的にどうすれば自己PR能力を高められるのか、3つのステップで解説します。

ステップ1:自分の「当たり前」を疑う

自己PRが苦手な人の多くは、「自分がやっていることは、誰でもできる当たり前のこと」と思い込んでいます。

でも、それは大きな誤解です。

あなたが「当たり前」だと思ってやっていることは、実は他の人にはできない貴重なスキルかもしれません。

具体的な方法:

  1. 行動記録をつける
    1週間、毎日30分、自分の行動を記録してみてください。何時に何をしたか、どんな工夫をしたか、どんな問題を解決したか。できるだけ具体的に書きます。

  2. 「なぜそれをしたのか?」を考える
    記録した行動の中から、自分が「工夫したこと」「考えて行動したこと」を見つけます。そして、「なぜそれをしたのか?」を考えます。

  3. 三者の視点で見る
    もし自分の行動を、他の人が見たらどう思うか? を想像してみます。「ただの作業」ではなく、「問題解決」「効率化」「配慮」など、別の言葉で表現できないか考えてみます。

例:

  • 「電話応対をした」→「お客様の不安を取り除くために、丁寧に状況を聞き取り、適切な部署につないだ」

  • 「資料を整理した」→「誰でもすぐに見つけられるように、色分けとラベル付けのルールを作った」

  • 「後輩に教えた」→「新人が困らないように、自分の経験をもとに簡単なマニュアルを作った」

ステップ2:小さな表現の練習を積み重ねる

自己PR能力は、一朝一夕には身につきません。小さな成功体験を積み重ねることが大切です。

具体的な方法:

  1. 安全な場所で練習する
    いきなり本番(面接や商談)で試すのはハードルが高すぎます。まずは、安全な場所で練習しましょう。

    • オンラインコミュニティで、自分の経験をシェアしてみる

    • 信頼できる友人や家族に、自分の仕事について説明してみる

    • 日記やブログで、自分の一日を振り返って書いてみる

  2. 反応を観察する
    自分の表現に対して、相手がどう反応するかを観察します。興味を示してくれたか? もっと聞きたいと言ってくれたか? それとも、退屈そうだったか?

  3. 少しずつレベルを上げる
    安全な場所で自信がついたら、少しずつレベルを上げます。たとえば、社内の会議で意見を言ってみる。SNSで自分の考えを投稿してみる。

重要なポイント:

最初から完璧を目指さないこと。「ちょっと言ってみた」「小さく試してみた」というレベルで十分です。100点を目指すのではなく、30点でもいいから一歩を踏み出すことが大切です。

ステップ3:「価値の翻訳」スキルを身につける

自己PRが得意な人と苦手な人の最大の違いは、「自分の行動を、相手が理解できる言葉に翻訳できるかどうか」です。

たとえば、プログラマーが「今月、○○の機能を実装しました」と言っても、非エンジニアには伝わりません。でも、「今月実装した機能によって、お客様の作業時間が30%短縮されました」と言えば、誰にでも価値が伝わります。

具体的な方法:

  1. 「誰が、どう助かったか」を考える
    自分の行動の結果、誰が助かりましたか? お客様? 同僚? 上司? それとも、将来の自分?

  2. 数字で表現する
    可能であれば、数字で表現します。「時間が短縮された」よりも「30%短縮された」の方が、具体的で説得力があります。

  3. ビフォーアフターで説明する
    「以前はこうだった。でも、自分がこうしたことで、こうなった」というストーリー形式で説明すると、相手に伝わりやすくなります。

例:

悪い例:
「毎日、お客様からの問い合わせに対応していました」

良い例:
「毎日、平均20件のお客様からの問い合わせに対応していました。特に、クレームの電話では、まずお客様の不満を丁寧に聞き取ることを心がけました。その結果、クレームの再発率が以前の半分に減少し、上司からも評価されました」


第4章:自己PR能力を高めるための心構え

4-1. 「自己PR=自慢」ではない

繰り返しになりますが、自己PRは自慢ではありません。

自己PRとは、「自分の経験や価値観を、相手に分かりやすく伝えること」です。相手があなたを理解し、適切に評価するための情報提供です。

もし、あなたが「自慢っぽくて嫌だ」と感じているなら、それは「表現の仕方」の問題かもしれません。

自慢っぽくならないコツ:

  • 「私はすごい」ではなく、「こんな工夫をした」と事実を淡々と伝える

  • 「私だけができる」ではなく、「こういう経験があるので、こういう場面で役立てると思います」と控えめに伝える

  • 成功だけでなく、失敗や学びも一緒に伝える

4-2. 完璧を目指さない

自己PRが苦手な人の多くは、完璧主義です。

「完璧な自己PRをしなきゃ」「間違ったことを言ったら恥ずかしい」と思うあまり、何も言えなくなってしまいます。

でも、自己PRに完璧は必要ありません。

大切なのは、「自分のことを、少しでも相手に伝える」こと。たとえ拙い表現でも、誠実に伝えようとする姿勢が、相手に届きます。

4-3. 拒絶されても、あなたの価値は変わらない

自己PRをすると、時には拒絶されることもあります。面接で落ちたり、提案が通らなかったり。

でも、それはあなたの価値が低いからではありません。

たまたま、その場面では「マッチしなかっただけ」です。

拒絶を恐れて何も言わないよりも、拒絶されても伝え続けることの方が、長期的にはあなたの可能性を広げます。

4-4. 日常的に「自分を観察する」習慣をつける

自己PR能力を高めるためには、日常的に「自分を観察する」習慣が大切です。

  • 今日、自分はどんなことをしたか?

  • どんな工夫をしたか?

  • どんな問題を解決したか?

  • どんな感情を感じたか?

こうした観察を続けることで、自分の「強み」「価値観」「行動パターン」が見えてきます。


第5章:よくある質問

Q1. 「自分には本当に何もアピールできることがない」と感じます

A. それは、「自分の当たり前が見えていない」状態です。

ステップ1で紹介した「行動記録」を、まずは1週間続けてみてください。必ず、あなたが「工夫していること」「考えて行動していること」が見つかります。

もし、それでも見つからない場合は、信頼できる人に「私って、どんなところがいいと思う?」と聞いてみてください。他者からの視点が、新たな気づきをくれることがあります。

Q2. 面接で緊張して、うまく話せません

A. 緊張するのは、当たり前です。誰でも緊張します。

大切なのは、「緊張していても、伝えたいことを伝える」こと。

対策:

  • 伝えたいエピソードを、事前に3つくらい準備しておく

  • それを、箇条書きでメモしておく(面接中に見てもOK)

  • 深呼吸を3回してから話し始める

完璧に話す必要はありません。拙くても、誠実に伝えようとする姿勢が、相手に届きます。

Q3. SNSで自己発信するのが怖いです

A. いきなりSNSで発信する必要はありません。

まずは、「安全な場所」で練習してください。オンラインコミュニティや、信頼できる友人とのチャットなど。

SNSで発信する場合も、最初は「いいね」や「コメント」を期待せず、「自分のための記録」として投稿してみてください。

反応がなくても、それはあなたの価値が低いからではありません。たまたま、タイミングや内容がマッチしなかっただけです。

Q4. 自己PRが得意な人が羨ましいです

A. 自己PRが得意な人も、最初から得意だったわけではありません。

小さな成功体験を積み重ねて、少しずつ自信をつけてきたのです。

あなたも、今日から小さな一歩を踏み出せば、必ず変われます。


第6章:自己PR能力を高めることで得られるもの

自己PR能力を高めることで、あなたの人生はどう変わるのでしょうか?

6-1. 仕事のチャンスが増える

自己PRができるようになると、面接の通過率が上がります。昇進のチャンスが増えます。新しいプロジェクトに参加できるようになります。

なぜなら、あなたの価値が、正しく相手に伝わるからです。

6-2. 自己肯定感が高まる

自分の行動を「価値」として認識できるようになると、自己肯定感が高まります。

「私には何もできない」ではなく、「私は、こんなことができる」と思えるようになります。

6-3. 人間関係が改善する

自己表現ができるようになると、人間関係も改善します。

なぜなら、あなたの考えや感情が、相手に正しく伝わるからです。誤解が減り、理解が深まります。

6-4. ストレスが減る

「言いたいことを言えない」ストレスから解放されます。

自分を表現することが、少しずつ楽になっていきます。


終わりに:小さな一歩から始めよう

自己PR能力は、一朝一夕には身につきません。

でも、小さな一歩を積み重ねることで、必ず変われます。

マサコさんも、ヒロシさんも、アイコさんも、最初は自己PRが苦手でした。でも、小さな練習を続けることで、少しずつ自信をつけ、今では堂々と自分を表現できるようになりました。

あなたも、きっと変われます。

今日から始められること:

  1. 今日の行動を、5分だけ振り返って記録する

  2. 自分が「工夫したこと」を1つ見つける

  3. それを、誰かに話してみる(家族でも、友人でも、SNSでも)

たったこれだけです。

完璧を目指さなくていい。30点でいいから、一歩を踏み出してみてください。

その小さな一歩が、あなたの未来を変えていきます。


「この記事を最後まで読んでくださった方へ」

ここまで読んでくださったということは、あなたも今、何か抱えているものがあるのかもしれません。

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みんなと同じ人生を目指して疲弊した

 

なぜ「普通」じゃないとダメなんだろう

カウンセリングルームのドアが開き、30代前半に見える女性が入ってきた。落ち着いた服装だが、どこか緊張した様子が伝わってくる。

ダイキ「はじめまして。ダイキです。今日はお越しいただきありがとうございます」

クライエント「あ、はい......よろしくお願いします」

彼女は椅子に座ると、バッグをぎゅっと握りしめた。しばらく沈黙が続く。

ダイキ「今日は、どんなことをお話ししたいと思って来られましたか?」

クライエント「えっと......なんていうか、自分が普通じゃないような気がして」

小さな声だった。

クライエント「周りを見ると、みんな普通に仕事をして、普通に結婚して、普通に生きてるんです。でも私は......なんかずっとずれてる感じがして」

ダイキ「ずれてる、というのは?」

クライエント「たとえば......」

彼女は少し考えてから話し始めた。

クライエント「会社で、みんなが当たり前にできることが、私にはすごく難しく感じるんです。飲み会とか、雑談とか。みんな楽しそうにしてるのに、私だけ何を話していいかわからなくて」

ダイキ「具体的には、どんな場面でそう感じますか?」

クライエント「ランチの時間とか......みんなはテレビの話とか芸能人の話で盛り上がってるんですけど、私、そういうの全然わからなくて。テレビもあまり見ないし、流行りのものにも興味が持てないんです」

クライエント「だから、会話に入れなくて......いつも黙って聞いてるだけになっちゃうんです」

「普通」を目指して生きてきた

ダイキ「そういう場面で、クライエントさんはどんな気持ちになりますか?」

クライエント「......情けないです。なんで私だけこんななんだろうって」

彼女の目が少し潤んでいた。

クライエント「小さい頃から、ずっとそうでした。クラスの女の子たちがアイドルの話で盛り上がってる時も、私だけついていけなくて」

クライエント「母に『もっとみんなと仲良くしなさい』って言われて......でも、どうやって仲良くすればいいのかわからなかったんです」

ダイキ「お母さんは、どんな風に言ってたんですか?」

クライエント「『あなたは変わってる』って......よく言われました」

彼女の声が震えた。

クライエント「『普通の女の子はもっと明るいのに』『そんなんじゃ友達できないよ』って。だから、私は普通になろうって、ずっと頑張ってきたんです」

ダイキ「普通になるために、どんなことをしてきたんですか?」

クライエント「まず、みんなが見てるドラマを無理して見るようにしました。でも......全然面白いと思えなくて。ただ、次の日の会話のために内容だけ覚えてたんです」

クライエント「それから、みんなが行くお店に行ったり、みんなが聞いてる音楽を聞いたり......」

彼女は言葉を切った。

クライエント「でも結局、全部表面だけで。本当は全然楽しくなかったんです」

「普通」でいることの代償

ダイキ「そうやって『普通』であろうとすることで、どんなことが起きましたか?」

クライエント「......疲れました。すごく」

彼女は深いため息をついた。

クライエント「仕事でも同じです。上司に『もっと周りを見て動いて』って言われるんですけど、私、周りが何を求めてるのかがわからないんです」

クライエント「だから、マニュアルを作って、こういう時はこうするって決めて......でも、それも『臨機応変にできない』って言われて」

ダイキ「それは、しんどかったですね」

クライエント「はい......。で、最近、ふと思ったんです。私、8年間会社にいるのに、全然楽しくないなって」

彼女は顔を上げた。

クライエント「同期はみんな昇進したり、結婚したり、充実してるように見えるんです。でも私は......何も変わってなくて」

クライエント「このまま、ずっとこうなのかなって思ったら......怖くなっちゃって」

ダイキ「怖い、というのは?」

クライエント「普通になれないまま、一人で年を取っていくのが......怖いんです」

涙が一筋、頬を伝った。

本当は何が好きなのか

しばらく沈黙が続いた。クライエントはハンカチで涙を拭いながら、小さく息を吐いた。

ダイキ「一つ、聞いてもいいですか」

クライエント「......はい」

ダイキ「クライエントさんが、本当に好きなこと、楽しいと思えることって、何ですか?」

クライエント「え......?」

彼女は戸惑ったように顔を上げた。

ダイキ「『普通』じゃなくてもいい。クライエントさん自身が、心から楽しいと思えることです」

クライエント「......考えたことなかったかもしれません」

彼女はしばらく黙っていた。

クライエント「あ、でも......古い建物を見るのは好きです」

ダイキ「古い建物?」

クライエント「はい。休みの日に、一人で古い洋館とか、昔の商店街とか......そういうところを歩くのが好きで」

彼女の表情が、少し柔らかくなった。

クライエント「なんていうか、昔の人がどんな生活をしてたんだろうとか、この建物を建てた人はどんな思いだったんだろうとか......想像するのが楽しいんです」

ダイキ「それは、どのくらい続けてるんですか?」

クライエント「大学生の頃からです。当時、建築史の授業があって......それがすごく面白くて」

クライエント「でも、周りの友達は『地味だね』って言うし、母にも『そんな趣味、結婚に役立たないわよ』って言われて......だから、あまり人には言わないようにしてたんです」

ダイキ「今も、続けてるんですね」

クライエント「はい......。でも、これって普通じゃないですよね」

「普通」のコストを計算する

ダイキ「ちょっと、一緒に考えてみたいことがあるんですが」

クライエント「何ですか?」

ダイキ「クライエントさんが『普通』でいるために、これまでどんなことを我慢してきたか、数えてみませんか」

クライエント「......我慢してきたこと、ですか」

ダイキ「はい。たとえば、さっきの建築の話。それを『普通じゃない』と思って隠してきたことも、一つの我慢ですよね」

クライエント「あ......そうですね」

クライエント「他にも......本当は読書が好きなんですけど、みんなが見てる動画を見るために、読書の時間を減らしました」

クライエント「それから、本当は一人の時間が必要なんですけど、『協調性がない』って思われたくなくて、無理に飲み会に参加したり......」

クライエント「あと......休日も、本当は静かに過ごしたいのに、『若いんだから遊ばなきゃ』って思って、疲れてるのに出かけたり」

彼女は次々と口にしていった。

クライエント「......結構、ありますね」

ダイキ「そうですね。では、それらを我慢して『普通』でいることで、クライエントさんは何を得ましたか?」

クライエント「......」

彼女は黙り込んだ。

クライエント「......何も得てないかもしれません」

小さな声だった。

クライエント「普通になろうとしたけど、結局普通にはなれなくて。それどころか、自分が何が好きなのかも、わからなくなっちゃって」

涙が再び溢れてきた。

クライエント「こんなに頑張ったのに......何も変わってないんです」

手持ちの資源

ダイキ「では、少し視点を変えてみましょうか」

クライエント「......はい」

ダイキ「さっき、クライエントさんは『古い建物を見るのが好き』って話してくれましたよね。他にも、クライエントさんが持ってるもの、できることって、どんなことがありますか?」

クライエント「......持ってるもの?」

ダイキ「たとえば、知識とか、経験とか、スキルとか」

クライエント「うーん......建築史の本はたくさん読みました。あと、週末に建物を見に行ってるので、各地の古い建築物についてはそれなりに詳しいかもしれません」

クライエント「あ、あと写真も撮ります。建物の細部とか、構造とか......気になったところを記録してて」

ダイキ「それはすごいですね。何年くらい続けてるんですか?」

クライエント「10年以上......ですね。もう習慣みたいになってます」

ダイキ「10年以上。それって、クライエントさんにとっての大きな資源ですよね」

クライエント「資源......? でも、これって仕事にも何にも役立たないですよ」

ダイキ「本当にそうでしょうか」

クライエント「え......?」

ダイキ「クライエントさんは、10年以上かけて、建築についての知識を蓄えてきた。各地の建物を実際に見て、写真も撮ってきた。それって、誰にでもできることじゃないですよね」

クライエント「......そう言われると、確かに」

ダイキ「では、その知識や経験を、何か形にしたことはありますか?」

クライエント「形に......? いえ、自分一人で楽しんでただけです」

ダイキ「もし、それを誰かと共有したら、どうなると思いますか?」

クライエント「......想像したことなかったです」

彼女は少し考え込んだ。

クライエント「でも、こんなマニアックなこと、誰が興味持つんですかね」

「異常」は資産になる

ダイキ「『マニアック』って、悪いことですか?」

クライエント「え......」

ダイキ「世の中には、みんなと同じことをする人はたくさんいます。でも、クライエントさんみたいに、一つのことを10年以上続けて、深く知っている人は少ないですよね」

クライエント「......そうかもしれません」

ダイキ「『みんなと違う』というのは、視点を変えれば『他の人にはないものを持っている』ということでもあるんです」

クライエント「他の人にはないもの......」

彼女の表情が、少しずつ変わっていった。

ダイキ「クライエントさんが『普通じゃない』と思っていたものは、実は誰も持っていない、クライエントさんだけの資源なんじゃないでしょうか」

クライエント「......」

しばらく沈黙が続いた。

クライエント「私......ずっと、この趣味を恥ずかしいと思ってました」

クライエント「『こんなの何の役にも立たない』『時間の無駄』って、自分でも思ってたんです」

ダイキ「今は、どう思いますか?」

クライエント「......わからないです。でも」

彼女は顔を上げた。

クライエント「もしかしたら、これって......私にしかできないことなのかもしれないって、少し思いました」

ダイキ「そうですね」

クライエント「普通になろうとして、こんなに苦しかったのに......」

彼女の目に、また涙が浮かんだ。でも、今度は悲しみではなく、何か別の感情のようだった。

クライエント「普通じゃない自分を、ずっと責めてたんです」

新しい可能性

それから数ヶ月後、彼女は再びカウンセリングルームを訪れた。

クライエント「ダイキさん、報告があるんです」

彼女の表情は、以前とは明らかに違っていた。

ダイキ「どうされましたか?」

クライエント「SNSで、建築探訪の写真を投稿し始めたんです」

クライエント「最初は怖かったんですけど......建物の歴史とか、構造の面白いところとか、自分が感じたことを書いて投稿したら」

彼女は嬉しそうに話した。

クライエント「『こんな視点で見たことなかった』『詳しく知れて面白い』って、コメントをもらえて」

クライエント「中には『ガイドしてほしい』って言ってくれる人もいて......」

ダイキ「それはすごいですね」

クライエント「はい。それで、思い切って小さな建築ツアーを企画してみたんです。週末に、3人だけでしたけど」

クライエント「自分の知ってることを話したら、みんなすごく喜んでくれて......」

彼女の目が輝いていた。

クライエント「初めて、『私にしかできないこと』をしてるって実感できたんです」

ダイキ「会社のことは、どうですか?」

クライエント「実は......転職を考えてます」

クライエント「建築関係の仕事がしたいわけじゃないんですけど、もっと自分らしく働ける場所を探してみようって」

クライエント「もう、『普通』を目指すのはやめようと思って」

コストと資産

ダイキ「『普通』を目指すのをやめて、どうですか?」

クライエント「......楽になりました」

彼女は穏やかな表情で答えた。

クライエント「これまで、『普通じゃない自分』を否定することに、すごくエネルギーを使ってたんだなって気づいたんです」

クライエント「みんなと同じドラマを見て、みんなと同じ話題についていって......でも全然楽しくなくて、疲れるだけで」

ダイキ「そのエネルギーを、今は何に使ってますか?」

クライエント「自分の好きなことに使ってます。建築の本を読んだり、新しい場所を探したり、投稿の文章を考えたり」

クライエント「同じように忙しいんですけど......全然違うんです。疲れるけど、楽しい疲れで」

ダイキ「それは大きな変化ですね」

クライエント「あと......気づいたことがあるんです」

クライエント「『普通』って、実はすごくコストがかかるんだなって」

ダイキ「コスト?」

クライエント「はい。私、『普通』でいるために、自分の時間も、興味も、エネルギーも、全部犠牲にしてたんです」

クライエント「でも、得られたものは......何もなかった」

彼女は少し笑った。

クライエント「逆に、『普通じゃない』自分を認めたら......それが資産になったんです。お金もかからないし、誰にも奪われない、私だけの資産」

ダイキ「いい言葉ですね」

クライエント「ダイキさんに『手持ちの資源』って聞かれた時、最初は何もないと思ったんです」

クライエント「でも、実はちゃんとあったんですよね。ずっと、そこにあったのに、私が『これは価値がない』って決めつけてただけで」

これからのこと

ダイキ「これから、どうしていきたいですか?」

クライエント「まずは、建築ツアーをもっとやってみたいです。いろんな人に、建物の面白さを伝えたい」

クライエント「それから......いつか、建築探訪のガイドブックみたいなものを作れたらいいなって」

クライエント「あ、でも、まだ全然わからないことだらけなんですけど」

彼女は少し照れくさそうに笑った。

ダイキ「わからないことがあっても大丈夫ですよね」

クライエント「はい。今は、『やってみたらどうなるか』を楽しめるようになった気がします」

クライエント「失敗しても、それはそれで学びだし......」

クライエント「『普通』を目指してた時は、失敗が怖くて何もできなかったんですけど」

ダイキ「大きな変化ですね」

クライエント「ダイキさん、一つ聞いてもいいですか」

ダイキ「どうぞ」

クライエント「私みたいに、『普通』を目指して苦しんでる人って、他にもいるんでしょうか」

ダイキ「......たくさんいると思いますよ」

クライエント「そうですよね......」

彼女は少し考え込んだ。

クライエント「もし、そういう人に出会ったら、伝えたいです」

クライエント「『普通』でいることのコストと、『普通じゃない』自分が持ってる資産のこと」

クライエント「私は、それに気づくのに30年以上かかっちゃったけど......」

彼女は微笑んだ。

クライエント「でも、気づけてよかったです」


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3人の賢者が共通して語る「時間の黄金律」とは?

 

時間に追われる現代人の悩み

「今日も忙しかった」 「時間が足りない」 「充実した一日だったのかな...」

仕事に追われ、SNSを眺め、気づけば一日が終わっている。あなたもそんな毎日を送っていませんか?

世間では「時間管理術」や「生産性向上」といった言葉があふれています。スケジュール帳を埋め尽くし、やることリストを作り、一分一秒を無駄にしないよう頑張る。でも、不思議なことに、心は満たされない。

30代半ばのAさんは、都内のIT企業で働いていました。毎日10時間以上働き、週末も資格取得の勉強。効率的に時間を使っているはずなのに、ふとした瞬間に「このままでいいのか」という不安が襲ってくるのです。

実は、この悩みの答えは、何百年も前から賢人たちが示してくれていました。

17世紀の哲学者パスカル、19世紀の思想家ニーチェ、そして現代のダライ・ラマ

時代も文化も異なる3人の賢者が、不思議なことに共通のメッセージを伝えているのです。それが「時間の黄金律」――奉仕し、人を傷つけず、今を大切にするという生き方です。


柱1:3人の賢者が語る「時間の黄金律」

パスカルが警告した「気晴らしの罠」

17世紀フランスの数学者・哲学者パスカルは、人間の本質について鋭い洞察を残しました。

パスカルが生きた時代、貴族たちは狩猟や舞踏会、賭博に明け暮れていました。現代で言えば、SNS、動画配信サービス、ゲームに夢中になる私たちと同じです。

パスカルはこう指摘します。人は「自分自身と向き合うこと」を恐れている。だから、絶えず気晴らし(divertissement)を求めてしまう。しかし、その気晴らしは一時的な快楽にすぎず、心の空虚さは埋まらない。

では、どうすればいいのか?

パスカルは「他者への奉仕」に答えを見出しました。自分のためだけに時間を使うのではなく、誰かのために役立つ時間を持つこと。それが、真の充実感につながると考えたのです。

ニーチェが説いた「永劫回帰」と今を生きる力

19世紀ドイツの哲学者ニーチェは、「永劫回帰(えいごうかいき)」という思想を提示しました。

もし、あなたの人生が何度も何度も繰り返されるとしたら?全く同じ人生を、永遠に生き続けることになるとしたら?あなたは今の生き方を選びますか?

この問いは、私たちに「今」の重さを突きつけます。

ニーチェは言います。過去を悔やんでも変えられない。未来を不安がっても意味がない。大切なのは「今、この瞬間」をどう生きるかだ。そして、その「今」を永遠に繰り返してもいいと思えるほど、充実させること。

ただし、ニーチェは重要な条件を付け加えます。それは「他者を傷つけないこと」。人を傷つける行為は、自分自身も傷つける。永劫回帰の思想は、倫理的な生き方へと私たちを導くのです。

ダライ・ラマが伝える「慈悲の心」と現在への集中

チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世は、現代を生きる私たちに「慈悲(コンパッション)」の大切さを説き続けています。

ダライ・ラマの教えの核心は、シンプルです。

「他者の幸せを願い、苦しみを減らそうとする心を持つこと」 「過去にとらわれず、未来を心配しすぎず、今この瞬間に意識を向けること」

仏教では「今、ここ」を大切にします。過去は変えられず、未来はまだ来ていない。確かに存在するのは「今」だけ。その「今」に集中し、目の前の人を大切にする。それがマインドフルネスの実践です。

「時間の黄金律」

パスカルニーチェダライ・ラマ。生きた時代も、文化的背景も全く異なる3人の賢者のメッセージです。

1. 他者への奉仕:自分だけのために時間を使わない
2. 人を傷つけないこと:倫理的な生き方を選ぶ
3. 今を大切にする:過去や未来ではなく、現在に集中する

この3つが「時間の黄金律」です。

どんなに効率的にスケジュールを組んでも、どんなに生産性を上げても、この黄金律を無視していたら、心は満たされません。逆に、この黄金律に沿って生きれば、忙しい日々の中にも深い充実感が生まれるのです。


柱2:現代に生きる3人の物語

では、この「時間の黄金律」を実践すると、人生はどう変わるのでしょうか?3人の架空の人物の物語を通して、その変化を見ていきましょう。

Aさん(32歳・女性・東京在住)の場合

Aさんは都内の広告代理店で働く女性です。仕事は充実していましたが、毎日会社と家の往復。気づけば友人との連絡も疎遠になり、休日は動画を見て終わる日々でした。

「このままでいいのかな」

そんな漠然とした不安を抱えていたAさんは、ある日、地域の子ども食堂のボランティア募集を目にしました。最初は躊躇しましたが、思い切って参加してみることに。

週に一度、金曜の夜2時間だけ。子どもたちと一緒に食事を作り、一緒に食べる。たったそれだけのことでしたが、Aさんの心に大きな変化が起こりました。

「ありがとう、Aさん」 「また来週も来る?」

子どもたちの笑顔と言葉が、仕事では得られない充実感をもたらしたのです。自分が誰かの役に立っている。その実感が、一週間の疲れを癒してくれました。

パスカルが語った「他者への奉仕」を実践したAさん。今では、金曜の夜が一週間で一番楽しみな時間になっています。

Bさん(27歳・男性・関西在住)の場合

Bさんは大阪のスタートアップ企業で働くエンジニアです。常に次のプロジェクト、次の締め切りのことを考え、頭の中は常に「やるべきこと」でいっぱいでした。

休日も仕事のことが頭から離れず、友人と食事をしていても、スマホが気になってしまう。目の前の時間を楽しめない自分に、Bさん自身が嫌気がさしていました。

転機は、会社の先輩に誘われて参加した瞑想ワークショップでした。

「呼吸に意識を向けてください。今、この瞬間だけに集中してください」

最初は落ち着かなかったBさんですが、毎朝5分間の瞑想を続けるうちに、変化が現れました。通勤電車の中で、窓の外の景色がこんなに美しかったことに初めて気づきました。友人との会話に、本当に集中できるようになりました。

ニーチェの「今を生きる」という教えを、Bさんは瞑想を通じて体得したのです。過去の失敗を悔やむ時間も、未来の不安に囚われる時間も減り、今この瞬間の豊かさを味わえるようになりました。

Cさん(45歳・女性・地方都市在住)の場合

Cさんは地方都市で暮らす主婦です。夫との関係は冷え切っており、子どもは反抗期。イライラすることが多く、つい家族に辛く当たってしまう日々でした。

夫への不満、子どもへの小言。気づけば、自分の言葉が家族を傷つけていることに、Cさん自身も気づいていました。でも、どうすればいいのか分からなかったのです。

ある時、Cさんは図書館で見つけた仏教の本を手に取りました。そこに書かれていたのは、ダライ・ラマの言葉でした。

「他者を傷つけることは、自分自身を傷つけることでもある」 「慈悲の心を持つことが、幸せへの道である」

その日から、Cさんは夜寝る前に自分に問いかけるようにしました。

「今日、誰かを傷つけなかっただろうか」 「明日は、どうすれば家族に優しくできるだろうか」

すぐには変われませんでした。でも、少しずつ、言葉を選ぶようになりました。イライラする前に、深呼吸をするようになりました。

半年後、夫から言われた言葉があります。

「最近、何か変わったね。前より穏やかになった気がする」

人を傷つけないという意識が、Cさん自身の心も穏やかにしたのです。家族との関係も、少しずつ改善していきました。


柱3:あなたも実践できる「時間の黄金律」

では、私たちはどうすれば、この「時間の黄金律」を日常に取り入れることができるのでしょうか?具体的な3つの実践方法をご紹介します。

実践1:週に一度の「奉仕の時間」を作る

具体的な方法:

  • 毎週決まった曜日に、2〜3時間の「誰かのために使う時間」を確保する

  • ボランティア活動、地域の活動、家族や友人のサポートなど、形は何でもOK

  • 重要なのは「見返りを求めない」こと

なぜ効果があるのか: 現代人の多くは、「自分のため」に時間を使います。スキルアップ、キャリア、趣味。それ自体は悪いことではありません。

しかし、自分のためだけに時間を使い続けると、心は次第に満たされなくなります。なぜなら、人間は本質的に社会的な生き物だからです。

誰かの役に立っている。自分が必要とされている。その実感こそが、深い充実感をもたらします。

実践のヒント:

  • 最初は小さく始める(月1回でもOK)

  • 自分が興味を持てる分野を選ぶ

  • 活動後に「今日はどんな気持ちだったか」を振り返る

実践2:毎朝5分間の「今を感じる時間」

具体的な方法:

  • 朝起きたら、5分間だけ座って瞑想をする

  • 難しく考えなくてOK。ただ呼吸に意識を向けるだけ

  • 雑念が湧いたら、優しく呼吸に意識を戻す

なぜ効果があるのか: 私たちの心は、常に過去と未来を行き来しています。昨日の失敗、明日の心配。でも、実際に生きているのは「今」だけです。

瞑想は、「今、この瞬間」に意識を戻す訓練です。継続することで、日常生活の中でも「今」に集中できるようになります。

通勤中の景色、食事の味、目の前の人の表情。当たり前だと思っていた日常が、実は豊かな体験に満ちていることに気づくでしょう。

実践のヒント:

  • 完璧を目指さない(雑念が湧くのは普通)

  • タイマーを使って5分間だけ

  • 最初は3日間だけ試してみる

実践3:夜寝る前の「振り返りの質問」

具体的な方法:

  • 毎晩寝る前に、自分に3つの質問をする

    1. 今日、誰かを傷つけなかっただろうか?

    2. 今日、誰かの役に立てただろうか?

    3. 今日、今を大切に生きられただろうか?

  • 答えを書き出す必要はない。静かに自分と対話するだけでOK

なぜ効果があるのか: 私たちは日々、無意識に言葉や行動を選んでいます。イライラして家族に当たる、焦って仕事を雑にする、スマホばかり見て目の前の人を疎かにする。

夜の振り返りは、自分の行動を意識化する作業です。「今日はこうだったけど、明日はこうしよう」と考えることで、少しずつ行動が変わっていきます。

実践のヒント:

  • 自分を責めない(反省ではなく、気づきが目的)

  • 小さな良い行動も認める

  • 週に一度、振り返りを振り返る


実践すると何が変わるのか?

これらの実践を続けると、3つの変化が起こります。

変化1:充実感が生まれる

「忙しいけど空虚」な状態から、「忙しいけど満たされている」状態へ。

誰かの役に立っているという実感が、仕事の疲れを癒してくれます。週に一度の奉仕の時間が、一週間を支える柱になるのです。

変化2:ストレスが減る

過去を悔やむ時間、未来を不安がる時間が減ります。

「今」に集中できるようになると、無駄な心配が減り、目の前のことに全力を注げます。結果として、ストレスが軽減され、集中力も高まります。

変化3:人間関係が改善する

人を傷つけないという意識が、言葉と行動を変えます。

家族、友人、同僚との関係が、少しずつ改善していきます。周りの人も、あなたの変化に気づくでしょう。


結論:時間の黄金律で人生を変える

パスカルニーチェダライ・ラマ

数百年の時を超えて、賢人たちが伝えてきたメッセージは明確です。

奉仕し、人を傷つけず、今を大切にする。

この「時間の黄金律」こそが、真の充実した人生への道なのです。

どんなに効率的な時間管理術を学んでも、どんなに生産性を上げても、心が満たされないのなら、それは本当の意味で「正しい時間の使い方」ではありません。

今日から、あなたも始めてみませんか?

週に一度の奉仕の時間。 毎朝5分の瞑想。 夜寝る前の振り返り。

小さな一歩が、あなたの人生を変える大きな転換点になるかもしれません。

賢人たちが数百年かけて伝えてきた知恵を、現代を生きる私たちも実践する番です。

あなたの時間が、本当の意味で「あなたのもの」になりますように。


「この記事を最後まで読んでくださった方へ」

ここまで読んでくださったということは、あなたも今、何か抱えているものがあるのかもしれません。

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毎日誰かと話しているのに、なぜこんなに孤独なのか

 

カウンセリングルームで

その日、カウンセリングルームに入ってきた彼女は、一見すると何の問題もないように見えた。きちんとした服装、整った髪型、柔らかな笑顔。でも、椅子に座って少し経つと、その笑顔がほんの少しだけ固くなった。

ダイキ「今日はどんなことでお越しになりましたか?」

クライエント「えっと...何から話せばいいのか...」

彼女はしばらく言葉を探すように視線をさまよわせた。そして、小さく息を吐いた。

クライエント「...本音を話せる場所がないんです」

その言葉は静かだったが、確かな重みを持っていた。

表面的な人間関係の中で

ダイキ「本音を話せる場所がない、ですか」

クライエント「はい。職場では、いつも笑顔でいなきゃいけないじゃないですか。上司の機嫌も気にしないといけないし、同僚との関係も壊したくないし...」

ダイキ「職場では、笑顔でいることが求められる」

クライエント「そうなんです。でも、それって...」

彼女は言葉に詰まった。しばらくの沈黙の後、ようやく続けた。

クライエント「それって、本当の私じゃないんですよね。疲れたとき、イライラしたとき、悲しいとき...そういう感情を全部押し殺して、笑顔を作ってる」

ダイキ「感情を押し殺して、笑顔を作る」

クライエント「はい...」

その「はい」という言葉には、長年の疲労が滲んでいた。

ダイキ「職場以外では、どうですか?」

クライエント「家でも同じです。家族には心配かけたくないし、友達にも『大丈夫』って言っちゃう。本当は大丈夫じゃないのに」

彼女の目に、うっすらと涙が浮かんだ。

孤独の正体

ダイキ「毎日、いろんな人と関わっているのに...」

クライエント「孤独なんです」

その言葉を口にした瞬間、彼女の肩が小さく震えた。まるで、長年抱えてきた重荷の存在を、初めて言葉にしたかのように。

クライエント「おかしいですよね。毎日職場で同僚と話して、家族とも一緒に住んでて、友達とも連絡取り合ってるのに...なんでこんなに孤独なんだろうって」

彼女の声は、どこか遠くを見ているようだった。

ダイキ「人と一緒にいるのに、孤独を感じる」

クライエント「そうなんです。表面的には仲良くしてるんですけど、本当の自分は誰にも見せてない。だから...」

彼女は言葉を選ぶように、ゆっくりと続けた。

クライエント「...だから、誰も本当の私を知らない。私がどんなことで傷ついてるのか、どんなことで悩んでるのか、何も知らない」

ダイキ「本当のあなたを知らない、と」

クライエント「はい。みんな、『しっかりしてる私』とか、『明るい私』とか、そういう表面だけを見てる。その裏で、私がどれだけ疲れてるか、どれだけしんどいか...誰も気づいてない」

その言葉には、深い寂しさが滲んでいた。

クライエント「それって...結局、私は一人なんですよね」

彼女は小さく笑った。でも、その笑いには悲しみが混じっていた。

しばらく沈黙が続いた。

ダイキ「その『一人』という感覚、いつ頃から感じていましたか?」

クライエント「...いつからだろう」

彼女は天井を見上げた。記憶を辿るように。

クライエント「多分...ずっと前からです。気づいたら、いつもそうだった気がします」

ダイキ「ずっと前から」

クライエント「はい。子供の頃から、親の期待に応えることばかり考えてて、学校でも『いい子』でいようとしてて...本当の自分の気持ちを押し殺すのが、当たり前になってました」

彼女の目に、また涙が浮かんだ。

クライエント「だから、誰かと一緒にいても、ずっと孤独だったんだと思います。本当の自分を見せられないから」

ダイキ「その『本当の自分』って、どんな自分なんでしょう?」

クライエント「え...?」

彼女は顔を上げた。その質問に、少し戸惑っているようだった。

クライエント「本当の自分...それは...」

彼女は言葉を探した。でも、すぐには見つからなかった。

自分でも分からない「本当の自分」

クライエント「...分からないです」

ダイキ「分からない」

クライエント「はい。いつも周りに合わせて、期待に応えて、空気を読んで...そうしてるうちに、自分が本当は何を感じてるのか、何を思ってるのか、分からなくなっちゃって」

ダイキ「周りに合わせ続けているうちに、自分の感情や思いが見えなくなってきた」

クライエント「そうなんです」

彼女は再び俯いた。その肩は、何か重いものを背負っているように見えた。

ダイキ「いつ頃から、そういう感じだったんですか?」

クライエント「...覚えてないくらい、ずっと前からです。子供の頃から、親の期待に応えようとしてたし、学校でも『いい子』でいようとしてた」

ダイキ「子供の頃から」

クライエント「はい。『いい子』でいれば、認めてもらえる。褒めてもらえる。だから、自分の本音よりも、周りが期待する自分でいようとしてきました」

その言葉を話しながら、彼女の声は少しずつ小さくなっていった。

疲れた心

ダイキ「それは、とても疲れることだったんじゃないですか?」

その問いかけに、彼女の目からポロリと涙が一粒こぼれた。

クライエント「...疲れました」

ダイキ「疲れましたか」

クライエント「もう...限界なんです。いつも笑顔でいて、いつも前向きで、いつも頑張って...でも、本当はもう...」

彼女は言葉に詰まった。涙がポロポロと流れ始めた。

クライエント「本当は、休みたい。弱音を吐きたい。泣きたい。でも、それをできる場所がないんです」

ダイキはティッシュを差し出した。クライエントはそれを受け取り、目元を押さえた。

しばらく、静かな時間が流れた。

「できる場所がない」の意味

ダイキ「『できる場所がない』とおっしゃいましたね」

クライエント「...はい」

ダイキ「それは、物理的な場所のことでしょうか。それとも...」

クライエント「...両方、かもしれません」

彼女は少し考えてから答えた。

クライエント「職場では絶対に無理です。弱みを見せたら、評価が下がるかもしれない。家でも、家族に心配かけたくない。友達にも、『しっかりしてる私』を見せてるから、今さら弱音なんて...」

ダイキ「今の人間関係の中では、弱さを見せることができない」

クライエント「そうなんです。みんな、『私はこういう人』っていうイメージを持ってるじゃないですか。それを壊すのが怖くて」

ダイキ「イメージを壊すのが怖い」

クライエント「はい...」

恐れの正体

ダイキ「もしそのイメージが壊れたら、どうなると思いますか?」

クライエント「...嫌われるかもしれない」

その言葉は、小さな声で発せられた。

ダイキ「嫌われるかもしれない」

クライエント「そうです。『あの人、実はこんな人だったんだ』って、がっかりされるかもしれない。距離を置かれるかもしれない」

ダイキ「それは、とても怖いことですね」

クライエント「...はい」

彼女は再び涙をぬぐった。

クライエント「だから、ずっと...ずっと演じ続けてきました。でも、もう疲れちゃって...」

演じ続けることの代償

ダイキ「演じ続けることで、何を失ってきたと感じますか?」

その質問に、クライエントは少し驚いたような表情を見せた。しばらく考え込んでいた。

クライエント「...自分を、失ってきたのかもしれません」

ダイキ「自分を」

クライエント「はい。本当の自分の感情とか、本当に大切にしたいこととか...そういうのを全部押し殺して、周りに合わせてきたから」

彼女の声には、深い悲しみが滲んでいた。

クライエント「気づいたら、自分が何をしたいのか、何が好きなのか、何が嫌なのか...全部分からなくなってました」

ダイキ「自分の感覚が、見えなくなってきた」

クライエント「そうなんです。最近、何を食べても美味しいと思えないし、何をしても楽しくない。ただ、毎日をやり過ごしてるだけで...」

その言葉を聞きながら、ダイキは静かに頷いた。

安全な場所とは

ダイキ「安心できる場所って、どんな場所だと思いますか?」

クライエント「...どんな場所、ですか?」

ダイキ「はい。もし、そういう場所があったとしたら、そこはどんな場所でしょう」

クライエント「...」

彼女は目を閉じて、少し考えた。その間、カウンセリングルームには静寂が広がった。壁の時計の秒針の音だけが、規則正しく時を刻んでいる。

クライエント「...ありのままの自分でいられる場所、かな」

その声は、とても小さかった。まるで、そんな場所が本当に存在するのか確信が持てないかのように。

ダイキ「ありのままの自分でいられる」

クライエント「はい。疲れたら疲れたって言えて、泣きたいときに泣けて、弱音を吐いても...」

彼女は一瞬言葉を詰まらせた。

クライエント「...弱音を吐いても、『甘えてる』とか『逃げてる』とか言われない。ただ、そのままの自分を受け止めてもらえる...そういう場所」

ダイキ「受け止めてもらえる」

クライエント「そうです。否定されたり、ダメ出しされたり、『もっと頑張れ』って励まされたりしない。ただ...」

彼女は目を開けた。その瞳は涙で潤んでいたが、何か大切なものを見つめているようだった。

クライエント「...ただ、『そうなんだね』『つらかったね』って、そのままを受け止めてもらえる場所」

その言葉を話す彼女の表情は、少しだけ柔らかくなった。まるで、想像の中でそんな場所に少しだけ触れたかのように。

ダイキ「それは、どんな感覚だと思いますか?」

クライエント「...感覚、ですか?」

ダイキ「はい。もし本当にそういう場所にいたら、どんな感じがすると思いますか」

クライエント「...」

彼女は胸に手を当てた。自分の感覚を探るように。

クライエント「...多分、肩の力が抜ける感じ」

ダイキ「肩の力が抜ける」

クライエント「はい。いつも、無意識に体に力が入ってるんです。緊張してるというか、警戒してるというか...でも、安心できる場所では、その力が抜けて、楽になれる気がします」

その言葉には、実感がこもっていた。

受容という経験

ダイキ「そういう場所を、これまで経験したことはありますか?」

クライエント「...ないです」

即答だった。

クライエント「小さい頃から、ずっと『いい子』でいることを求められてきたし、大人になってからも、周りの期待に応えることばかり考えてきたから」

ダイキ「期待に応えることばかり」

クライエント「はい。だから、ありのままの自分を受け止めてもらうって、どういう感じなのか...正直、想像もつかないです」

彼女は少し寂しそうに笑った。

ダイキ「今、ここで、少しだけそれを試してみませんか?」

クライエント「え...?」

小さな一歩

ダイキ「ここは、カウンセリングルームです。私はあなたの話を聞くためにここにいます」

クライエント「...」

ダイキ「ここでは、『いい人』を演じなくてもいいんです。疲れたら疲れたと言っていいし、泣きたかったら泣いていい。あなたがどんな感情を持っていても、それはあなたの大切な感情です」

クライエント「...本当に、そんなこと...」

ダイキ「本当です」

その言葉に、クライエントの目から再び涙がこぼれた。でも、今度は少し違う涙だった。

クライエント「...実は、もうずっと前から限界だったんです」

ダイキ「ずっと前から」

クライエント「はい。でも、誰にも言えなくて。言ったら、迷惑かけちゃうから」

ダイキ「迷惑をかけてしまう、と」

クライエント「そうです。だから、一人で抱え込んで...でも、もう無理で...」

彼女は声を詰まらせた。

クライエント「朝起きるのがつらくて、仕事に行くのがつらくて、笑顔を作るのもつらくて...もう、何もかもがつらいんです」

感情を言葉にする

ダイキ「今、それを言葉にできましたね」

クライエント「...え?」

ダイキ「『つらい』って。自分の本当の感情を、言葉にできました」

クライエント「...あ」

彼女は少し驚いたような表情を見せた。そして、自分が話した言葉を反芻するように、もう一度小さく口にした。

クライエント「...つらい、って...」

その言葉は、長年閉じ込めてきた感情の扉を、ほんの少しだけ開いたような響きがあった。

クライエント「...そうですね。今、『つらい』って、言いました」

ダイキ「はい。それは、とても大切な一歩だと思います」

クライエント「...」

彼女は涙をぬぐいながら、小さく頷いた。その涙は、もう止めようとしていなかった。

しばらくの沈黙。その沈黙は、重苦しいものではなく、何かが解放されていく過程のような、不思議な静けさがあった。

ダイキ「他に、今感じていることはありますか?」

クライエント「...怖いです」

その声は震えていた。

ダイキ「怖い」

クライエント「はい。本当の自分を出したら、嫌われるんじゃないかって。ずっと、ずっとそれが怖くて...」

彼女は両手で顔を覆った。肩が小刻みに震えている。

でも、数秒後、彼女は顔を上げた。目は赤く腫れていたが、その瞳には何か決意のようなものが宿っていた。

クライエント「でも同時に...」

彼女は言葉を探した。胸に手を当てて、自分の感覚を確かめるように。

クライエント「...安心してる、かも」

ダイキ「安心している」

クライエント「はい。ここでなら、ありのままの自分を話してもいいんだって。否定されないんだって。そう思えて...」

彼女は小さく息を吐いた。

クライエント「...ちょっとだけ、安心してます。不思議ですね。こんなに泣いてるのに、どこか安心してる」

安心感の芽生え

ダイキ「その安心感、大切にしてください」

クライエント「...はい」

ダイキ「安心できる場所というのは、完璧な場所である必要はないんです。ただ、そこにいる自分を否定されない。ありのままの感情を持っていても大丈夫だと思える。そういう感覚があれば、それが安心できる場所です」

クライエント「...そうなんですね」

ダイキ「そして、そういう場所は、一度に完成するものではありません。少しずつ、積み重ねていくものです」

クライエント「積み重ねていく...」

ダイキ「はい。今日、ここで『つらい』と言えた。『怖い』と言えた。それも積み重ねの一つです」

クライエント「...」

彼女は静かに涙を流していた。でも、その涙は、最初とは違う涙だった。

自己開示の難しさ

しばらくして、クライエントは落ち着きを取り戻した。

クライエント「でも...」

ダイキ「でも?」

クライエント「ここではこうやって話せても、外ではできないんじゃないかって...」

ダイキ「外では、また笑顔を作ってしまうんじゃないか、と」

クライエント「そうなんです。結局、職場でも家でも、同じように演じ続けるんじゃないかって」

ダイキ「それは、とても正直な不安ですね」

クライエント「...はい」

ダイキ「では、ちょっと考えてみましょうか。なぜ、外では本音を言えないんでしょう」

クライエント「...それは、さっきも言ったように、嫌われるのが怖いからです」

ダイキ「嫌われるのが怖い。それ以外には?」

クライエント「...」

彼女は少し考えた。

クライエント「...信頼できないから、かもしれません」

信頼という土台

ダイキ「信頼できない」

クライエント「はい。本音を言っても、ちゃんと受け止めてもらえるかどうか分からない。もしかしたら、バカにされるかもしれないし、噂を広められるかもしれない」

ダイキ「信頼できる関係性がないと、本音は言いにくいですね」

クライエント「そうなんです」

ダイキ「では、逆に聞きますが、もし信頼できる相手がいたら、本音を話せそうですか?」

クライエント「...」

彼女は少し考えた。

クライエント「...たぶん、話せると思います。でも、そういう相手がいないんです」

ダイキ「今はいない」

クライエント「はい...」

ダイキ「でも、これから見つけていくことはできますよ」

クライエント「...本当ですか?」

関係性を育てる

ダイキ「信頼できる関係というのは、一朝一夕にできるものではありません。時間をかけて、少しずつ育てていくものです」

クライエント「少しずつ...」

ダイキ「はい。最初は小さな自己開示から始めればいいんです。いきなり全部をさらけ出す必要はありません」

クライエント「小さな自己開示...」

ダイキ「例えば、『今日は疲れた』とか、『ちょっとしんどい』とか。そういう小さな本音から始めてみる」

クライエント「...でも、それすら言えないんです」

その言葉には、深い悩みが滲んでいた。

ダイキ「言えない、ですか」

クライエント「はい。『疲れた』って言ったら、『みんな疲れてるよ』って言われそうで。『しんどい』って言ったら、『甘えてる』って思われそうで」

ダイキ「そう思われることが、怖いんですね」

クライエント「...はい」

彼女は膝の上で手を握りしめた。

ダイキ「その恐れは、どこから来てるんでしょう」

クライエント「...」

彼女はしばらく考えていた。そして、ゆっくりと口を開いた。

クライエント「...昔、弱音を吐いたら、馬鹿にされたことがあるんです」

ダイキ「馬鹿にされた」

クライエント「はい。中学生の頃です。部活がきつくて、『しんどい』って言ったら、先輩に『根性なし』って言われて...それ以来、弱音を吐くのが怖くなりました」

その記憶は、今でも彼女の心に深く刻まれているようだった。

ダイキ「それは、とても傷つく経験でしたね」

クライエント「...はい。だから、それ以降、絶対に弱音を吐かないって決めたんです」

ダイキ「弱音を吐かない、と」

クライエント「はい。どんなにつらくても、笑顔でいようって。そうすれば、傷つかないから」

でも、と彼女は続けた。

クライエント「...でも、傷つかない代わりに、本当のつながりも失ってたんですね」

ダイキ「本当のつながりを」

クライエント「はい。表面的な関係だけで、深いつながりはできなくて...結局、孤独なまま」

その言葉には、深い気づきがあった。

ダイキ「でも、全ての人が、あの先輩のような反応をするわけじゃありません」

クライエント「...そうですよね」

ダイキ「弱音を受け止めてくれる人も、必ずいます。そういう人を見つけることが大切です」

クライエント「見つける...どうやって見つければいいんでしょう」

ダイキ「それは、少しずつ試していくしかありません。小さな自己開示をして、相手の反応を見る。もし受け止めてくれたら、もう少し深い話をしてみる。そうやって、徐々に関係を深めていくんです」

クライエント「...」

ダイキ「そして、相手がそれを受け止めてくれたら、少しずつ安心感が生まれます。その安心感の上に、また次の自己開示を重ねていく」

クライエント「積み重ねていくんですね」

ダイキ「そうです。信頼関係は、そうやって少しずつ築かれていくものです。階段を一段ずつ登るように」

彼女は小さく頷いた。その表情には、希望のようなものが見え始めていた。

完璧でなくていい

クライエント「でも、もし拒否されたら...」

ダイキ「拒否されることもあるかもしれません」

クライエント「...そうですよね」

ダイキ「でも、それはその人との関係が、そこまでだったということです。全ての人と深い信頼関係を築く必要はないんです」

クライエント「全ての人とじゃなくていい...?」

ダイキ「はい。本当に信頼できる人は、何人もいる必要はありません。一人でも二人でも、本音を話せる相手がいれば、それで十分です」

クライエント「...そうなんですね」

ダイキ「そして、その関係も、完璧である必要はありません。時には意見が合わないこともあるし、傷つけ合うこともあるかもしれない。でも、それでも向き合おうとする。それが本当の関係性です」

クライエント「完璧じゃなくていい...」

その言葉を繰り返す彼女の表情は、少しだけ楽になったように見えた。

自分との関係

ダイキ「それから、もう一つ大切なことがあります」

クライエント「何ですか?」

ダイキ「安心できる場所を作るために、まず必要なのは、自分自身との関係です」

クライエント「...自分自身との?」

ダイキ「はい。他人に本音を話す前に、まず自分自身に対して正直になること」

クライエント「自分に正直に...」

ダイキ「今、あなたは何を感じていますか? 本当は何がしたいですか? 何が嫌ですか? そういう自分の感情や欲求に、まず自分が気づいてあげること」

クライエント「...」

ダイキ「ずっと周りに合わせてきたあなたは、自分の感情を押し殺すことに慣れてしまっています。でも、その感情は消えたわけじゃない。ただ、見えなくなっているだけです」

クライエント「見えなくなってる...」

ダイキ「はい。だから、まず自分の感情に目を向けてあげる。『あ、今私は疲れてるんだ』『今、イライラしてるんだ』『今、悲しいんだ』って」

感情への気づき

クライエント「...正直、そういうの、よく分からないんです」

ダイキ「分からないですか」

クライエント「はい。自分が今何を感じてるのか、すぐには分からなくて」

ダイキ「それは、長年感情を抑え込んできたからかもしれませんね」

クライエント「...そうかもしれません」

ダイキ「でも、大丈夫です。少しずつ練習していけば、自分の感情に気づけるようになります」

クライエント「練習...」

ダイキ「例えば、一日の終わりに、今日はどんなことがあったかを振り返ってみる。そのとき、どう感じたかを思い出してみる」

クライエント「...」

ダイキ「最初は難しいかもしれません。でも、続けていくうちに、だんだん自分の感情が見えてくるようになります」

クライエント「そうなんですね...」

今日の気づき

ダイキ「今日、ここで気づいたことは何ですか?」

クライエント「...気づいたこと、ですか」

ダイキ「はい」

クライエント「...たくさんあります」

彼女は少し考えてから、ゆっくりと話し始めた。

クライエント「まず、自分がすごく疲れてたんだってこと。それを認めてなかったんだって」

ダイキ「疲れを認めていなかった」

クライエント「はい。ずっと『頑張らなきゃ』『弱音を吐いちゃダメ』って思ってたから、疲れてることも認めちゃいけないって思ってました」

ダイキ「今は?」

クライエント「...今は、疲れてていいんだって。疲れてる自分を認めていいんだって。そう思えました」

その言葉には、確かな変化があった。

クライエント「それから...」

ダイキ「それから?」

クライエント「安心できる場所って、完璧じゃなくてもいいんだって。少しずつ作っていけばいいんだって」

ダイキ「そうですね」

クライエント「そして、まず自分が自分に対して正直になること。それが大事なんだって」

ダイキ「はい、その通りです」

小さな希望

クライエント「...ありがとうございます」

ダイキ「どういたしまして」

クライエント「今日、ここに来て...本当によかったです」

ダイキ「よかった、と思えますか」

クライエント「はい。ここでなら、本音を話せる。否定されない。そう思えて...初めて安心できました」

その言葉を話す彼女の表情は、最初に比べてずっと柔らかくなっていた。

クライエント「この感覚を、忘れたくないです」

ダイキ「忘れないでください。そして、この感覚を少しずつ広げていってください」

クライエント「広げていく...」

ダイキ「はい。まず自分に対して。それから、信頼できる人に対して。少しずつ、本当の自分を見せていく」

クライエント「...怖いけど、やってみます」

ダイキ「怖くて当然です。でも、その一歩を踏み出そうとしているあなたは、とても勇気がある人だと思います」

クライエント「...本当ですか?」

ダイキ「本当です」

彼女は少し恥ずかしそうに笑った。その笑顔は、最初の作られた笑顔とは違う、本物の笑顔だった。

これからの一歩

ダイキ「次にここに来るまでに、何か試してみたいことはありますか?」

クライエント「...試してみたいこと、ですか」

ダイキ「はい。小さなことでいいんです」

クライエント「...じゃあ、一日の終わりに、自分の感情を振り返ってみます」

ダイキ「いいですね」

クライエント「それから...もし機会があれば、信頼できそうな人に、小さな本音を話してみようと思います」

ダイキ「『疲れた』とか、『しんどい』とか」

クライエント「はい。いきなり全部は無理だけど、小さなことから始めてみます」

ダイキ「それは素晴らしい一歩だと思います」

クライエント「...ありがとうございます」

最後に

カウンセリングが終わり、彼女が立ち上がった。その姿は、最初に比べて少しだけ軽やかに見えた。

ドアのところで、彼女は振り返った。

クライエント「また来てもいいですか?」

ダイキ「もちろんです。ここは、あなたの安心できる場所の一つです」

クライエント「...ありがとうございます」

彼女は深く頭を下げて、部屋を出ていった。


エピローグ

安心できる場所。自己開示できる関係性。それは、一朝一夕に手に入るものではない。

長年、周りに合わせて生きてきた人にとって、本音を話すことは大きな恐怖を伴う。嫌われるかもしれない。否定されるかもしれない。そんな不安が、心にブレーキをかける。

でも、その一歩を踏み出さなければ、本当のつながりは生まれない。

完璧な自分を演じ続けることで得られる関係性は、表面的なものでしかない。ありのままの自分を受け入れてもらえる関係性こそが、本当の安心をもたらす。

そして、そのためには、まず自分自身が自分を受け入れること。疲れている自分も、弱い自分も、不完全な自分も。全てを含めて、自分なのだから。

安心できる場所は、外にあるだけではない。自分の心の中にも作ることができる。自分に対して優しくなること。自分の感情を否定しないこと。それが、最初の一歩なのかもしれない。

始まりを待つ勇気──なぜ無理に始めると必ず失敗するのか

 

あなたは今、「始めなければ」と焦っていませんか?

転職活動、副業、新しい趣味、人間関係のリセット──。

「そろそろ動き出さなきゃ」 「いつまでも立ち止まっていられない」 「周りはもう始めているのに」

そんな声が、あなたの頭の中でぐるぐる回っているかもしれません。

就職情報サイトには「今すぐ行動を!」と書いてあるし、SNSでは誰かが新しいチャレンジを報告している。自己啓発本は「思い立ったらすぐ始めよ」と励ましてくる。世の中のすべてが、あなたに「早く始めろ」とプレッシャーをかけているように感じます。

でも、ちょっと待ってください。

頑張って始めたのに、全部うまくいかなかった彼女の話

ユキさん(仮名・42歳)は、営業職として15年働いてきました。でも最近、仕事に意味を感じられなくなっていました。「何のために働いているんだろう」──そんな思いが、毎朝の通勤電車で頭をよぎります。

ある日、彼女は決意しました。「このままじゃダメだ。新しいことを始めよう」

資格の勉強を始めました。オンライン講座に登録し、朝5時に起きて勉強時間を確保しました。「頑張れば変われる」──そう信じて、毎日机に向かいました。

でも、3ヶ月後。

テキストを開いても、頭に何も入ってきません。「なんでこんなことやってるんだろう」という疑問ばかりが浮かびます。結局、オンライン講座の期限が切れて、彼女は何も得られませんでした。

次に彼女は、副業を始めようとしました。「収入源を増やせば、気持ちに余裕ができるはず」

ウェブデザインのスクールに通い、クラウドソーシングに登録しました。でも、作業をしていても楽しくありません。クライアントとのやりとりが苦痛で、締め切りに追われる日々。「これも違う」──3ヶ月でやめました。

「私はダメな人間だ」

彼女はそう思い込むようになりました。周りの人はちゃんと新しいことを始めて、成功しているように見える。なのに自分は、何を始めてもうまくいかない。

でも実は──ユキさんは何も悪くなかったんです。

彼女が間違えていたのは、たった一つ。「始まり」は自分で計画して作り出すものだと思い込んでいたこと。

実は、始まりというのは、あなたが無理に作り出すものではありません。内側の準備が整ったとき、自然に訪れるものなのです。


本当の始まりの前には、必ず「終わり」がある

世の中の常識は、こう言います。

「新しいことを始めたければ、計画を立てて行動しよう」 「目標を設定して、ステップを踏んで進もう」 「思い立ったら、すぐ動こう」

でも、人生の転機を研究してきた専門家たちは、まったく違うことを言っています。

「始まり」は、最後にやってくる。

どういうことでしょうか?

人生の大きな変化──転職、結婚、離婚、引っ越し、キャリアチェンジ──には、必ず3つの段階があります。

トランジションの3つの段階

第1段階:終わり(方向感覚の喪失)

まず最初に来るのは、「終わり」です。これまでの現実が、壁にかかった絵のようなものではなく、実際はどこにでも行けるドアだったことに気づく段階。過去を振り返って、方向感覚を喪失します。

「あれ、私は今までどこにいたんだろう?」 「これまでやってきたことは、本当に自分がやりたかったことだったのか?」

このとき、人は混乱します。これまでの人生の意味が、ぼんやりとかすんでいきます。アイデンティティが揺らぎ、自分が何者なのかわからなくなります。

第2段階:中立圏(ニュートラルゾーン)

次に来るのが、「中立圏」です。これは、もう過去には戻れないけれど、まだ新しい未来も見えていない──どっちつかずの、宙ぶらりんの状態

多くの人は、この段階がとても苦しいと感じます。

「早く次に進まなきゃ」 「いつまでもこんなところにいちゃダメだ」

でも──この中立圏こそが、最も大切な時間なんです。

なぜなら、ここで内的な準備が進むからです。表面的には何も起きていないように見えますが、あなたの内側では大きな変化が静かに進んでいます。

古い自分が少しずつ剥がれ落ち、新しい自分の輪郭がぼんやりと見え始める。種が土の中で根を張るように、見えないところで準備が進んでいくのです。

第3段階:新しい始まり

そして最後に、自然に「始まり」がやってきます。

計画したからではありません。 頑張ったからでもありません。 「もう待てない」と焦って動いたからでもありません。

内的な準備が整ったとき、始まりは勝手にやってくるんです。

ある朝、目が覚めたら「あ、これだ」と思う。 偶然見かけた記事に、心が動く。 何気ない会話の中で、「やってみようかな」と思う。

それは、外側から押し付けられた「べき論」ではなく、あなたの内側から湧き上がってくる、本物の動機なんです。


なぜ、無理に始めると必ず失敗するのか?

ユキさんの話を思い出してください。

彼女は、資格の勉強も、副業も、計画的に始めました。朝5時に起きて、スケジュールを組んで、努力しました。

でも、うまくいかなかった。

なぜでしょうか?

答えは簡単です。彼女の内側は、まだ準備ができていなかったから。

彼女が本当に必要としていたのは、「新しいスキル」でも「副収入」でもありませんでした。

彼女は、15年間のキャリアの「終わり」を、ちゃんと受け入れる時間が必要だったんです。

営業職として頑張ってきた自分。数字を追いかけ、お客さんに頭を下げ、上司に怒られながらも、なんとか食いつないできた自分。その自分に、ちゃんとお疲れ様を言ってあげる時間。

そして、「私は本当は何がしたいんだろう?」と、静かに自分と向き合う時間。

でも彼女は、その時間を自分に与えませんでした。

「早く次を見つけなきゃ」と焦って、資格の勉強を始めてしまった。だから、続かなかった。心がついてこなかったんです。

「すぐ動け」という世の中のプレッシャー

現代社会は、私たちに「すぐ動け」と迫ります。

転職サイトは「今すぐ登録!」と叫びます。 自己啓発本は「行動こそすべて!」と励まします。 SNSでは、誰かが「新しいことを始めました!」と報告しています。

でも、それはあなたの内側のタイミングとは関係ありません。

企業は、あなたにすぐ動いてほしい。だから「今すぐ」と煽ります。 SNSは、目立つ投稿が優先されます。だから「始めました!」という投稿ばかりが目に入ります。

でも、本当に大切な変化は、静かに、ゆっくりと起きるものです。

ツイッターで報告されることもなく。 誰にも気づかれることもなく。 あなたの心の奥深くで、少しずつ、何かが変わっていく。

その変化が、ある日、「始まり」として表面化するんです。


中立圏で起きていること──見えない変化の正体

タクヤさん(仮名・35歳)は、IT企業で10年働いてきました。でも、ある日突然、仕事に行けなくなりました。

朝、起きようとすると、体が動かない。会社のことを考えると、吐き気がする。「このままじゃまずい」──彼は休職を決めました。

最初の1ヶ月は、ただただ寝ていました。何もする気が起きません。テレビを見ても、頭に入ってきません。「自分は壊れてしまったんじゃないか」──そんな不安が、ずっとつきまとっていました。

2ヶ月目。少しずつ、散歩ができるようになりました。公園のベンチに座って、何も考えずにぼーっとする時間が増えました。

3ヶ月目。ふと、昔好きだったことを思い出しました。学生時代、彼は絵を描くのが好きでした。でも就職してから、一度も筆を持っていませんでした。

試しに、100円ショップでスケッチブックと色鉛筆を買ってきました。公園で、目の前の木を描いてみました。下手くそでした。でも、なぜか心が落ち着きました。

4ヶ月目。毎日、公園で絵を描くようになりました。別に誰に見せるわけでもありません。ただ、描きたいから描く。それだけ。

そして5ヶ月目──。

ある朝、彼は目が覚めたとき、ふと思いました。

「そうだ、デザインの仕事がしたい」

IT企業でコードを書く仕事ではなく、デザインの仕事。それまで一度も考えたことがなかった選択肢が、突然、目の前に現れました。

彼は、Webデザインのスクールに通い始めました。今度は違いました。毎日の勉強が楽しくて仕方がありません。課題をこなすのが、ワクワクします。

半年後、彼は小さなデザイン事務所に転職しました。給料は前より下がりましたが、彼は毎日笑顔で仕事をしています。

「あの休職期間は、無駄じゃなかった」

彼はそう振り返ります。

「あの時間がなかったら、自分が本当にやりたいことには気づけなかった」

中立圏は「無駄な時間」じゃない

タクヤさんの話で大切なのは、4ヶ月間、彼は「何もしていなかった」ように見えたということです。

資格の勉強をしたわけでもありません。 転職活動をしたわけでもありません。 ただ、散歩をして、絵を描いていただけ。

でも、その時間があったからこそ、彼は「本当にやりたいこと」に気づけたんです。

もし彼が、最初の1ヶ月で「こんなことしてちゃダメだ」と焦って、無理やり次の仕事を探していたら?

おそらく、また同じような会社に転職して、同じように壊れていたでしょう。

中立圏というのは、表面的には「何も起きていない」ように見えます。でも、あなたの内側では、とても大切なことが起きているんです。

古い価値観が剥がれ落ちる。 新しい自分の種が芽を出し始める。 本当にやりたいことが、ぼんやりと見えてくる。

それは、急いではいけないプロセスです。種に「早く芽を出せ!」と叫んでも、芽は出ません。種は、土の中で根を張る時間が必要なんです。


「計画された偶然性」──準備はできても、タイミングはコントロールできない

ここで、もう一つ大切な考え方をお伝えします。

「計画された偶然性理論」という考え方があります。

これは、キャリアに関する心理学者のジョン・D・クランボルツという人が提唱した理論です。彼は、成功したビジネスパーソンや専門家たちにインタビューして、こう気づきました。

「成功している人たちのキャリアの8割は、『計画していなかった偶然』によって決まっている」

つまり、人生の大きな転機は、ほとんどが「偶然」によってもたらされるということです。

でも、ただボーッと待っていれば偶然が起きるわけではありません。偶然を引き寄せるために、できることがあります。

クランボルツは、偶然を引き寄せるために必要な5つの要素を挙げています。

偶然を引き寄せる5つの力

1. 好奇心(Curiosity)

新しいことに対して、素直に「面白そう」と思える心。

タクヤさんが、ふと「絵を描いてみようかな」と思ったのは、好奇心でした。別に誰かに勧められたわけでも、計画していたわけでもありません。ただ、「やってみたい」と思ったから、やってみた。

その小さな好奇心が、彼を新しいキャリアへと導いたんです。

2. 持続性(Persistence)

すぐに結果が出なくても、コツコツ続ける力。

タクヤさんは、毎日公園で絵を描き続けました。上手くなるためではありません。ただ、楽しかったから。

その持続性が、彼の内側で何かを育てていきました。

3. 柔軟性(Flexibility)

状況が変わったら、考え方も変える柔軟さ。

以前のタクヤさんは、「IT業界で成功しなきゃ」と思い込んでいました。でも休職期間を経て、その固定観念が崩れました。「デザインの仕事もありかも」と、考え方を変えられたんです。

4. 楽観性(Optimism)

新しい機会を、前向きに捉える力。

「今さらデザインなんて」と思うこともできました。でもタクヤさんは、「面白そう」と前向きに捉えました。その楽観性が、彼を動かしました。

5. リスクテイキング(Risk-taking)

失敗するかもしれないけど、やってみる勇気。

デザイン事務所への転職は、給料が下がるリスクがありました。でもタクヤさんは、そのリスクを取りました。


現代に生きる私たちと、始まりの関係

ここまで読んで、あなたはこう思うかもしれません。

「でも、そんなにゆっくり待っている時間なんてない」 「家族がいるから、すぐに次を決めなきゃいけない」 「周りはみんな、どんどん前に進んでいる」

その気持ち、すごくよくわかります。

現代社会は、私たちに「効率」と「スピード」を求めます。

SNSを開けば、誰かが「新しいことを始めました!」と報告しています。 転職サイトには、「今すぐ登録!」という文字が躍っています。 会社は、「結果を出せ」とプレッシャーをかけてきます。

でも──人間の心は、そんなに早く動きません。

SNS時代の「見えないプレッシャー」

サトミさん(仮名・38歳)は、出版社で編集者として働いていました。でも、業界の不況で会社が倒産。彼女は突然、職を失いました。

最初の1週間、彼女は必死に求人サイトを見ました。「早く次を見つけなきゃ」──焦りが、彼女を駆り立てました。

でも、どの求人を見ても、ピンときません。「とりあえず応募してみよう」と思っても、履歴書を書く手が止まります。

そんな時、SNSを見ると、友人が「新しい仕事始めました!」と投稿していました。別の友人は、「副業で月収10万円達成!」と報告していました。

「みんな頑張ってるのに、私は何やってるんだろう」

彼女は、自分を責めました。

でも──SNSに投稿されているのは、ほんの一部の人たちの、ほんの一瞬の姿だけです。

実際には、多くの人が、サトミさんと同じように悩んでいます。でも、そういう人たちは、SNSに投稿しません。だから見えないだけ。

サトミさんは、SNSをしばらく見るのをやめました。

そして、ゆっくりと自分と向き合う時間を持ちました。

「私は、本当は何がしたいんだろう?」

編集の仕事は好きでした。でも、ずっと忙しくて、「本当にこれでいいのかな?」と考える余裕がありませんでした。

今、初めて、その問いと向き合っています。

2ヶ月後、彼女はフリーランスの編集者として働き始めました。収入は安定していませんが、自分で仕事を選べるようになりました。「私は、こういう働き方が合っていたのかもしれない」──彼女はそう感じています。

リモートワーク時代の「始まり」

コロナ禍以降、リモートワークが増えました。

それによって、多くの人が「自分の働き方」を見直す機会を得ました。

毎日の通勤がなくなったことで、時間に余裕ができた。 オフィスにいないことで、「本当にこの仕事、意味あるのかな?」と考える時間ができた。

ケンジさん(仮名・45歳)は、大手メーカーで営業職として20年働いてきました。リモートワークが始まって、彼は気づきました。

「あれ、オフィスに行かなくても、仕事って回るんだ」

それまで、彼は「会社に行くこと」が仕事だと思っていました。毎朝7時に家を出て、満員電車に揺られて、夜9時に帰宅する。その繰り返し。

でも、リモートワークになって、通勤時間がゼロになりました。その時間で、彼は料理を始めました。今まで、料理なんてしたことがありませんでした。でも、やってみたら楽しかった。

半年後、彼は会社を辞めて、料理教室を開きました。

「まさか自分が料理で食べていくなんて、想像もしていなかった」

彼は笑いながら言います。

「でも、リモートワークで時間ができて、料理を始めてみて、『これ、楽しいな』って思ったんです。それが始まりでした」

ケンジさんの話で大切なのは、彼は最初から「料理教室を開こう」と計画していたわけではないということです。

ただ、時間ができたから、料理をしてみた。 楽しかったから、続けた。 そうしているうちに、「これを仕事にできるかも」と思った。

始まりは、そうやって自然にやってくるものなんです。


AI時代の「始まり」──これからの働き方と内的準備

2023年、ChatGPTが登場して、世の中は大きく変わり始めました。

「AIに仕事を奪われるんじゃないか」 「今の仕事は、10年後もあるのだろうか」

そんな不安を抱える人が増えています。

でも、ここでも同じことが言えます。

焦って「何か始めなきゃ」と動いても、うまくいきません。

アイさん(仮名・33歳)は、Webライターとして働いていました。でも、AIが文章を書けるようになって、仕事が激減しました。

「このままじゃまずい」

彼女は焦りました。AIについて勉強しなきゃ、プログラミングを学ばなきゃ、動画編集もできるようにならなきゃ──。

でも、どれも続きませんでした。焦って始めたことは、心がついてこなかったんです。

そんな時、彼女はふと気づきました。

「私、何のために書いているんだろう?」

それまで、彼女は「稼ぐため」に文章を書いていました。でも、本当は書くことが好きだったはず。いつから、書くことが苦痛になったんだろう?

彼女は、しばらく仕事を減らしました。そして、「書きたいことを書く」時間を作りました。

誰にも見せない日記。 好きな映画の感想。 子供の頃の思い出。

そうやって書いているうちに、彼女は気づきました。

「私は、人の人生を記録する仕事がしたいんだ」

今、彼女はインタビューライターとして働いています。高齢者の人生を聞き取って、本にまとめる仕事です。AIには絶対にできない、人と人とのつながりが必要な仕事。

「AIが出てきて、最初は焦りました。でも、あの焦りがあったからこそ、『私は何がしたいのか』を考えるきっかけになったんです」

AIは「始まり」を教えてくれる

AIの登場は、多くの人に不安を与えています。

でも、見方を変えれば、AIは私たちに「あなたは本当に何がしたいのか?」と問いかけているとも言えます。

AIにできることは、AIに任せればいい。 では、あなたにしかできないことは何ですか? あなたが本当にやりたいことは何ですか?

その問いと向き合うことが、新しい「始まり」への第一歩なんです。


内的準備を整えるためにできること

ここまで読んで、あなたはこう思うかもしれません。

「じゃあ、ただ待っていればいいの?」 「何もしないで、始まりが来るのを待つの?」

違います。

待つことは、何もしないこととは違います。

中立圏にいる間、あなたにできることがあります。

1. 小さな好奇心に従ってみる

「ちょっと面白そう」 「なんとなく気になる」

そんな小さな好奇心を、無視しないでください。

別に、それが将来の仕事につながる必要はありません。 誰かに見せる必要もありません。 ただ、「面白そうだから、やってみる」

それだけでいいんです。

タクヤさんが公園で絵を描き始めたのも、そういう小さな好奇心からでした。別に「これを仕事にしよう」と思っていたわけではありません。ただ、やりたかったから、やった。

その積み重ねが、彼を新しい道へと導いたんです。

2. 「終わり」をちゃんと受け入れる

新しい始まりの前には、必ず「終わり」があります。

これまでの仕事。 これまでの人間関係。 これまでの自分。

それらに、ちゃんと「お疲れ様」と言ってあげてください。

急いで次に進もうとしないでください。 「もうあれは過去だから」と切り捨てないでください。

あなたのこれまでの人生は、すべて意味があったんです。うまくいかなかったこともたくさんあったかもしれません。でも、それらすべてが、今のあなたを作っています。

だから、まず過去を受け入れる。 そして、「ありがとう」と言って、手放す。

それが、新しい始まりへの準備になります。

3. 自分の内側の声に耳を傾ける

世の中には、たくさんの「べき論」があります。

「こうするべきだ」 「こうしなければいけない」 「普通はこうだ」

でも、あなたの人生は、あなたのものです。

他の人の「べき論」ではなく、あなた自身の内側から湧き上がってくる声を聞いてください。

それは、小さな声かもしれません。 不確かな感覚かもしれません。 言葉にならない、ぼんやりとした感じかもしれません。

でも、その声こそが、あなたを本当の始まりへと導いてくれます。

4. 「何もしない時間」を持つ

現代人は、忙しすぎます。

常に何かをしている。 スマホを見ている。 情報を取り入れている。

でも、本当に大切なことは、静かな時間の中で見えてきます。

1日10分でいいから、何もしない時間を作ってください。

スマホも見ない。 本も読まない。 ただ、ぼーっとする。

その時間が、あなたの内側で何かを動かし始めます。

タクヤさんが公園のベンチでぼーっとしていた時間。 サトミさんがSNSを見るのをやめて、自分と向き合った時間。 ケンジさんがリモートワークで得た、通勤時間の余白。

そういう「何もしない時間」の中で、新しい何かが芽を出し始めるんです。


始まりは、忘れた頃にやってくる

ここまで読んできたあなたに、最後に一つだけ伝えたいことがあります。

始まりというのは、あなたが忘れた頃にやってきます。

「そろそろ何か始まるはずだ」と期待しているときには、来ません。 「もうダメかもしれない」と諦めかけたときに、ふと訪れます。

それは、虫の知らせのように。 偶然の出会いのように。 何気ない一言のように。

「あ、これだ」

そう思う瞬間が、必ずやってきます。

それまでは、焦らないでください。

中立圏にいる自分を責めないでください。 「何もしていない」と思わないでください。

あなたの内側では、今、とても大切なことが起きています。

種が土の中で根を張っているように。 春を待つ冬の木のように。

見えないところで、あなたは確実に次の段階に向けて準備をしているんです。


まとめ:焦らず、待つ勇気を持とう

最後に、もう一度、大切なことをまとめます。

1. 始まりは、計画して作り出すものではない

世の中は「すぐ動け」と言います。でも、本当の始まりは、内側の準備が整ったときに自然にやってきます。

2. 新しい始まりの前には、必ず「終わり」がある

これまでの自分、これまでの人生に、ちゃんと「お疲れ様」と言ってあげてください。急いで次に進もうとしないでください。

3. 中立圏は「無駄な時間」ではない

表面的には何も起きていないように見えても、あなたの内側では大切な変化が起きています。この時間を、大切にしてください。

4. 小さな好奇心を大切にする

「ちょっと面白そう」という感覚を、無視しないでください。それが、新しい道への入り口になるかもしれません。

5. 偶然を引き寄せる準備をする

好奇心、持続性、柔軟性、楽観性、リスクテイキング──この5つを意識して過ごすことで、偶然があなたのもとにやってきます。

6. 自分の内側の声を聞く

他人の「べき論」ではなく、あなた自身の内側から湧き上がってくる声を大切にしてください。

7. 焦らない勇気を持つ

周りがどんどん前に進んでいるように見えても、焦らないでください。あなたには、あなたのタイミングがあります。


最後に──今、あなたにできること

この記事を読んでいるあなたは、おそらく今、人生の中立圏にいるのかもしれません。

「早く次に進まなきゃ」という焦りと、「でも、何をすればいいかわからない」という不安の間で、揺れているかもしれません。

でも、大丈夫です。

あなたは、何も間違っていません。 今のあなたの状態は、とても正常です。

種が土の中で根を張るように、今は見えないところで準備が進んでいます。

だから、焦らないでください。

今日、あなたにできることは、たった一つ。

小さな一歩を、踏み出してみること。

それは、本を1ページ読むことかもしれません。 散歩に出ることかもしれません。 ずっと気になっていたことを、ちょっとだけ調べてみることかもしれません。

その小さな一歩が、やがて大きな始まりへとつながっていきます。

でも、それは「いつか」のことです。

今すぐではありません。 来月でもないかもしれません。

でも、必ず、そのときは来ます。

だから──。

焦らず、待つ勇気を持ってください。

あなたの始まりは、もうそこまで来ています。


おわりに

この記事を書きながら、私自身もたくさんのことを思い出しました。

焦って始めて、失敗したこと。 「何もしていない」と自分を責めたこと。 周りと比べて、落ち込んだこと。

でも今なら、わかります。

あの時間は、無駄じゃなかった。 あの「何もしていなかった」時間が、今の自分を作ってくれた。

だから、今、中立圏にいるあなたに伝えたい。

その時間は、決して無駄ではありません。 あなたは、ちゃんと進んでいます。

ただ、見えないだけ。

種が土の中で根を張るように、あなたの内側では、確実に何かが育っています。

だから──焦らないで。

あなたの始まりは、必ずやってきます。


「この記事を最後まで読んでくださった方へ」

ここまで読んでくださったということは、あなたも今、何か抱えているものがあるのかもしれません。

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専門職15年目、キャリアの岐路で見えた「もう一つの可能性」

 

「このままでいいのか」という違和感

カウンセリングルームに入ってきた彼は、落ち着いた雰囲気の男性だった。スーツ姿で、物腰は丁寧。しかし、椅子に座ると少し緊張した様子で、何度か深呼吸をしてから話し始めた。

クライエント: 「あの...今日はよろしくお願いします」

ダイキ: 「こちらこそ、よろしくお願いします。今日はどんなことでいらっしゃったんですか?」

クライエント: 「実は...最近、仕事のことで悩んでいて。いや、悩みというか...何て言えばいいんでしょう」

彼は言葉を探すように、少し間を置いた。

クライエント: 「ずっと営業をやってきたんです。もう15年くらい。それなりに成果も出してきたし、評価もされてると思うんですけど...」

ダイキ: 「でも?」

クライエント: 「でも、最近...このままでいいのかなって」

その言葉を口にした瞬間、彼の表情が少し曇った。


突然の異動が引き金に

ダイキ: 「『このままでいいのかな』って思うようになったのは、何かきっかけがあったんですか?」

クライエント: 「ええ...半年前に、ちょっと違う部署に異動になって。今まで法人営業だったのが、新規事業の企画みたいな部署に配属されたんです」

ダイキ: 「それは大きな変化ですね」

クライエント: 「はい。最初は戸惑いました。営業は得意だったんですけど、企画とかアイデア出しとか...そういうのは苦手だと思っていたので」

ダイキ: 「思っていた、ということは...?」

彼は少し驚いたように顔を上げた。

クライエント: 「...あ、そうなんです。やってみたら、意外と面白くて。というか、楽しいんですよ」

ダイキ: 「楽しい?」

クライエント: 「はい。お客さんと話して、ニーズを聞いて、それに合わせた提案をする営業も好きでした。でも、企画の仕事は...もっと自由というか。ゼロから何かを作る感じが新鮮で」

そう言いながら、彼の表情が少しだけ明るくなった。でもすぐに、また曇りが差した。

クライエント: 「でも、それが逆に不安になって...」


「一本の道」を歩むべきという思い込み

ダイキ: 「不安?」

クライエント: 「はい。だって、今まで15年かけて営業のスキルを磨いてきたのに、今さら違うことを始めて...それって遠回りじゃないかって」

ダイキ: 「遠回り...」

クライエント: 「キャリアって、一つの専門性を突き詰めていくものだと思っていたんです。営業一筋、みたいな。それが正しい道だと」

彼は少し苦しそうに続けた。

クライエント: 「でも、今の仕事が楽しいって思ってしまう自分もいて...それが裏切りみたいな気がして」

ダイキ: 「裏切り?」

クライエント: 「今まで営業を頑張ってきた自分への、裏切りというか...」

ダイキは少し間を置いてから、静かに尋ねた。

ダイキ: 「その『一本の道を歩むべき』っていう考えは、どこから来たんでしょうね」

クライエント: 「え...?」

ダイキ: 「誰かにそう言われたんですか?それとも、何か本で読んだとか?」

彼は考え込んだ。しばらく沈黙が続いた。

クライエント: 「...いや、言われたわけじゃないです。でも、なんとなく...そういうものだと思っていました」

ダイキ: 「そういうものだと」

クライエント: 「はい。成功している人って、みんな一つのことを極めているイメージがあって」


タコの腕は、それぞれが「考えている」

ダイキは少し考えてから、不思議なことを尋ねた。

ダイキ: 「タコって、知ってますよね?」

クライエント: 「...タコ、ですか?食べ物の?」

ダイキ: 「そう、あのタコです。実は、タコってすごく面白い生き物なんですよ」

彼は困惑した表情でダイキを見た。突然の話題転換に戸惑っているようだった。

ダイキ: 「タコには脳があるんですけど、実は腕にも神経の塊があって。それぞれの腕が、ある程度独立して判断して動けるんです」

クライエント: 「...はあ」

ダイキ: 「つまり、中央の脳だけが全てをコントロールしているんじゃなくて、それぞれの腕が状況に応じて考えて動いている。これを『分散型知性』って言うんです」

彼は少し興味を示したようだった。

クライエント: 「それぞれの腕が...考えている?」

ダイキ: 「そうです。で、これって人間のキャリアにも当てはまるんじゃないかなって思うんです」

クライエント: 「どういうことですか?」

ダイキ: 「今までのキャリアの考え方って、『一つの専門性を中心に、全てをそこに集中させる』みたいな感じですよね。まるで、脳だけが全部コントロールしているような」

クライエント: 「...たしかに」

ダイキ: 「でも、あなたの中には営業の能力もあれば、企画の能力もある。もしかしたら、他にもいろんな可能性があるかもしれない。それって、タコの腕みたいに、状況に応じて違う部分が活躍するってことじゃないですか?」

彼は黙って考え込んだ。


「手の中にあるもの」から始める

クライエント: 「でも...それって、結局中途半端になりませんか?一つのことを極めないと」

ダイキ: 「『極める』って、どういうことだと思います?」

クライエント: 「え...一つの分野で、トップレベルになるとか...」

ダイキ: 「それも一つの道ですね。でも、もう一つ考え方があって」

ダイキは続けた。

ダイキ: 「今、あなたの手の中には何がありますか?」

クライエント: 「手の中...?」

ダイキ: 「15年の営業経験、最近始めた企画の仕事で感じた楽しさ、お客さんとの対話で培った洞察力...そういうものが、今あなたの中にあるわけですよね」

クライエント: 「...はい」

ダイキ: 「それって、すごく豊かな資源だと思いませんか?」

彼は少し驚いたような顔をした。

クライエント: 「資源...ですか?」

ダイキ: 「はい。で、大事なのは『将来どうなるべきか』を決めることじゃなくて、『今ある資源をどう組み合わせるか』を考えることなんじゃないかって」

クライエント: 「...」

ダイキ: 「営業の経験があるからこそ、顧客視点の企画ができる。企画の楽しさを知ったからこそ、営業のときにも創造的な提案ができるかもしれない。それって、一つを極めるよりも、もっと面白い可能性じゃないですか?」

彼の目に、少しずつ光が戻ってきた。


「失敗」ではなく「学び」として捉え直す

クライエント: 「でも...今まで営業一筋でやってきたのに、違うことに手を出すのって...」

ダイキ: 「何か失うものがあると思ってます?」

クライエント: 「...正直、営業のスキルが落ちるんじゃないかって」

ダイキ: 「なるほど。じゃあ、逆に聞きますけど、企画の仕事をやることで、営業のスキルが上がる可能性はないですか?」

彼は考え込んだ。

クライエント: 「...上がる、というか...視野は広がるかもしれません」

ダイキ: 「それって、すごく大事なことですよね」

クライエント: 「はい...」

ダイキ: 「それに、もし仮に企画の仕事が合わなかったとしても、それって『失敗』じゃないと思うんです」

クライエント: 「失敗じゃない...?」

ダイキ: 「ええ。むしろ『自分には企画は合わないって分かった』っていう、すごく価値のある学びじゃないですか」

彼は目を見開いた。

クライエント: 「...そうか」

ダイキ: 「それに、許容できる範囲でいろんなことを試してみるって、リスクを取りすぎてるわけじゃないですよね。今の会社で、与えられた仕事をやってみるだけなんですから」

クライエント: 「たしかに...」


過去の経験が、今の選択を支えている

ダイキは少し間を置いてから、尋ねた。

ダイキ: 「ちなみに、なぜ最初に営業を選んだんですか?」

クライエント: 「え...なぜ、ですか」

ダイキ: 「ええ。何か理由があったんじゃないかなって」

彼は少し照れたように笑った。

クライエント: 「恥ずかしい話なんですけど...学生時代、あんまり成績が良くなくて。でも、人と話すのは好きだったんです」

ダイキ: 「人と話すのが好きだった」

クライエント: 「はい。だから、営業なら自分の強みが活かせるかなって」

ダイキ: 「それって、すごくいい選択だったんじゃないですか?」

クライエント: 「...そうですね。実際、楽しくやってこれましたし」

ダイキ: 「で、その『人と話す』っていう強みは、今の企画の仕事でも活きてますか?」

彼ははっとした表情になった。

クライエント: 「...ああ、そうか。企画の会議でも、いろんな人の意見を聞いて、まとめるのは得意かもしれません」

ダイキ: 「ね。結局、あなたの根っこにある『人と関わる』っていう部分は変わってなくて、それが営業でも企画でも活きてるんじゃないですか」

クライエント: 「......そうですね」

彼はゆっくりとうなずいた。


予測ではなく、コントロールできることに集中する

ダイキ: 「ちょっと話は変わりますけど、5年後どうなっていたいとか、考えたことあります?」

クライエント: 「ありますよ。よく自己啓発の本とかに書いてありますよね。目標を立てろって」

ダイキ: 「で、どうでした?」

クライエント: 「...正直、全然その通りにならなかったです」

彼は苦笑した。

クライエント: 「5年前に立てた目標、今見返すと全然違う場所にいます」

ダイキ: 「それって、悪いことですか?」

クライエント: 「え...?」

ダイキ: 「予測通りにならなかったけど、今のあなたは5年前のあなたより成長してますよね?」

クライエント: 「...まあ、そうですね」

ダイキ: 「未来って、正確には予測できないんですよ。でも、コントロールすることはできる」

クライエント: 「コントロール...?」

ダイキ: 「今日何をするか、誰と会うか、どんなことを学ぶか。そういう『今』の選択は、あなたがコントロールできますよね」

クライエント: 「はい」

ダイキ: 「で、その積み重ねが未来を作っていく。予測することに必死になるよりも、今できることをやって、それを積み重ねていく方が、結果的にいい未来になるんじゃないかって」

彼は深くうなずいた。

クライエント: 「...そうか。だから、今の企画の仕事も、楽しいならやってみればいいんですね」

ダイキ: 「そうです。で、やってみて何か気づいたら、また次の一手を考えればいい」


「正しい道」はない、あるのは「自分の道」

しばらく沈黙が続いた。彼は何かを考え込んでいるようだった。

クライエント: 「......ダイキさん」

ダイキ: 「はい」

クライエント: 「私、ずっと『正しい道』を探していたのかもしれません」

ダイキ: 「正しい道?」

クライエント: 「はい。営業一筋が正しいのか、それとも企画に転向するのが正しいのか...どっちが正解なのかって」

ダイキ: 「で、どうですか?正解は見つかりました?」

彼は首を横に振った。

クライエント: 「...ないんですね、正解なんて」

ダイキ: 「そうかもしれませんね」

クライエント: 「でも...それって、逆に自由ってことですよね」

その言葉を口にした瞬間、彼の表情が明るくなった。

クライエント: 「営業もやりたいし、企画も楽しい。両方やってもいいんですよね?」

ダイキ: 「どう思います?」

クライエント: 「...いいと思います。むしろ、両方できる環境にいるのはラッキーかもしれない」

ダイキ: 「そうですね」

クライエント: 「そっか...『一本の道』にこだわる必要なんてなかったんだ」

彼は、少し肩の力が抜けたような表情で、深く息を吐いた。


複数の可能性を持つことの強さ

ダイキ: 「タコの話に戻りますけど」

クライエント: 「はい」

ダイキ: 「タコって、一本の腕だけで生きてるわけじゃないですよね。八本の腕があって、それぞれが状況に応じて働く。だから、柔軟に対応できるし、生き延びる力が強い」

クライエント: 「...なるほど」

ダイキ: 「人間も同じだと思うんです。一つのスキルだけに頼るより、複数の可能性を持っている方が、変化に強い」

クライエント: 「変化に強い...」

ダイキ: 「これからの時代、一つの会社に定年まで勤めるとか、一つのスキルだけで食べていくって、難しくなってきてますよね」

クライエント: 「そうですね。実際、うちの会社も事業再編とか多いですし」

ダイキ: 「だからこそ、営業もできて、企画もできて、っていう風に、複数の引き出しを持っている方が、長い目で見たら強いんじゃないかって」

クライエント: 「......たしかに」

彼は何度もうなずいた。


周囲との関わりが、新しい可能性を開く

ダイキ: 「ちなみに、今の企画の部署で、何か面白い出会いとかありました?」

クライエント: 「出会い...ですか」

ダイキ: 「ええ。今まで営業だと会わなかったような人とか」

クライエント: 「ああ、ありますね。デザイナーとか、エンジニアとか...今まであまり話したことのない職種の人と一緒に仕事してます」

ダイキ: 「それってどうですか?」

クライエント: 「...新鮮です。全然違う視点で物事を見ていて、刺激になります」

ダイキ: 「それって、すごく貴重な経験ですよね」

クライエント: 「はい...」

ダイキ: 「で、その人たちとの関わりの中で、また新しい可能性が見えてくるかもしれない」

クライエント: 「新しい可能性...?」

ダイキ: 「たとえば、営業とデザインを組み合わせた仕事とか、エンジニアと組んで新しいサービスを作るとか。そういう、今は想像もしていないような道が開けるかもしれないですよ」

彼の目が輝いた。

クライエント: 「...そうか、可能性って、無限にあるんですね」

ダイキ: 「そうです。で、それって全部、今あなたが持っている資源と、周りの人たちとの関わりから生まれてくる」


これからの一歩

ダイキは時計を見た。そろそろ時間だ。

ダイキ: 「そろそろお時間ですけど、今日の話、どうでしたか?」

クライエント: 「...すごく楽になりました」

ダイキ: 「良かったです」

クライエント: 「今まで、『どっちか選ばなきゃ』って思っていたんですけど、両方やってもいいんだって分かって」

ダイキ: 「ええ」

クライエント: 「それに...未来を予測しようとするんじゃなくて、今できることを積み重ねればいいんですよね」

ダイキ: 「そうですね。で、何か具体的にやってみたいことはありますか?」

彼は少し考えてから、答えた。

クライエント: 「まずは...今の企画の仕事を、もっと楽しんでみようと思います」

ダイキ: 「いいですね」

クライエント: 「で、営業の経験も活かせる場面があったら、積極的に提案してみたいです」

ダイキ: 「素晴らしいです」

クライエント: 「あと...デザイナーとかエンジニアの人たちと、もっと話してみたいですね。どんな視点で仕事してるのか、興味が出てきました」

ダイキ: 「それって、全部『今できること』ですよね」

クライエント: 「はい」

彼は立ち上がり、深く頭を下げた。

クライエント: 「今日は本当にありがとうございました。すごく救われました」

ダイキ: 「こちらこそ、ありがとうございました。応援しています」


対話を終えて

彼が帰った後、ダイキは窓の外を見ながら考えた。

「一本の道」を歩むべきだという思い込み。それは、とても強い呪縛だ。特に、真面目で努力家な人ほど、その思い込みに囚われやすい。

でも、人間の可能性は、もっと豊かで多様だ。タコの腕のように、状況に応じて違う能力が発揮される。それが、本当の意味での「強さ」なのかもしれない。

大切なのは、「正しい道を見つける」ことではなく、「今ある資源を活かして、自分の道を作っていく」こと。

彼は、きっとこれから面白いキャリアを築いていくだろう。そんな予感がした。

 

「この記事を最後まで読んでくださった方へ」

ここまで読んでくださったということは、あなたも今、何か抱えているものがあるのかもしれません。

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