四日 夜や明なん、とりの鳴づるころ雨のいたくふれり。
きのふ聞しなる神は、かゝる雨もよにてなど、相やどりのたび人の語れば、やのあるじも寝ざめして、はたけのくさ/″\に又なきくすりの雨や、ありがたのなもあみだぶととなへ、あくびうちせり。
はや女の起出て、麻機をる音のしたり。
「かけて織る賤が麻はたあましやまとをにだにも君が来まさぬ」
とずんじて、この宿をたちて黄金橋(コガネバシ)をうちわたる。
むかし長者どのといふがありて、こがねあまたもてかけたりしかば、しか名におへり。
その末いまもありとか。
三戸を放れて浅水(三戸郡五戸町)のうまやあり。
遠きむかしは家二三ありて、よべ宿しつる旅人を、うむすといひ人しらずころして、その人をあさ見ざる名なりなどいへれど、こと処にも浅水の橋などいふ名どころも聞えたり。
過来つる村はいづくならんと、古町、小向、清浄寺(正寿寺)、宮沢(以上南部町)、この浅水にて侍ると人のいらふ。
前なる水の細くながれたるを、
里の子が汲ほすばかりあさ水のながれつきせぬものにぞありける
五戸に来けり。
八幡坂のしたより西に別れて、種原村(十和田市)にかゝりて十和田山に行の路あり。
一本松(以下十和田市)、伝法寺村、藤島に来て、以地川といふに木の皮の綱をひきはへて、くり舟の渡りしたり。
この水上は、十湾(トワタ)のぬまとていと大なる湖のありて、盛岡なる奈良崎といへる処の永福寺の僧侶南層といふが、弥勒ぶち(仏)のいでませるを見奉らまくほりして、ふかくいのりて夢のをしへにまかせて、たうばりたるわら沓さしふんで、此、やりたらんところをもとめありくに、十曲(トワタ)(十和田)の水海にいたりて沓のやりはててければ、こは、わがねがひこゝにいたれりと、あめにむかひ、つちにふしてぞよろこぼひ、こゝにすみつる八郎太郎といふ、みづちをおひやらひて、われあるじとなりしといふ物語をせり。
しかはあれど、いつの世のことならん、みかしほの幡摩(播磨)かた、書写の山かげに難蔵といへるすけ(出家)ありて、あけくれ、ほくゑきやう(法華経)をとなへ、うちには経典をずんじて露のいとなう、外には権現をいのることのおこたらずして、さうじん(精進)のとこあり。
みずきやうのいさおし、つもり/\て三千部にみち、神まうでの日数三十度になりぬ。
しかるに難蔵おもへらく、わがいのち世にながくいきたらましかば、猶みずきやうし、弥勒のほとけをもをろがみたいまつりてんと、熊野に三とせばかり山ごもりしてひたぶるにいのり、浦のはまゆふ、もも重に日数のかさなりて、すでに千日にあたれるの夜半うち過るのころ、夢となううつゝにもあらで、みあらかのうちより白髪の翁のいでおはして、いかに、いましが願のいとかたけれど、あがいふについてあづまにくだりて、陸奥の国と出羽の国とのさかひに言両(コトワケ)といふ山のあんなり。
そこにわけ入てすまば、みろくほとけのいでらんその暁にもいたらんと、みさかありつることのうれしう、いでとて旅だちはる/″\といたり、八重山遠くわけ入て見れば、大なる池のほとりにたてる、としふる松のもとに、窟のあるをたよりに草ひきむすび、木の菓をとりくひ水をむすびて、みどきやうのみして、やま人にことならず。
かゝるに、かほかたちきよげなる女のいづこよりか来て、みのりをきくこと日久しかりき。
難蔵あやしみながら、さらにことなう猶ほくゑきやうをよみてけるに、この女の云、われ希有に得がたき妙典にあひ奉りて、五障の雲みのりの風にたちまちに晴て、心の月いとすゞしくすめり。
あふぎ願はくば、あが棲に来てみどきやうして、群類をも化導し給ひてよ。
難蔵、われ神の告によてこそかゝる山おくに入たれ、女がもとにいたらんこと、かなふまじきよしをいへれば、女、わがすめるかたとて遠からじ、この池のこゝろなりといふ。
難藏がおもふ、これも神のをしへにて、千仏の世に値ふのたつきならんか。
女のふたゝび、われといもとせのかたらひをしてながくこゝにましませ。
難蔵、わが此女におちて菩提心のうしなひて、などか悪趣の底にしづまんゆめ/\とおもへれど、はた、これも神のみちびき給ふことならん。
かくて、慈尊の出ませる世に会ふことの山口にやと、女のいふについて、いざなはれて、はかりもしらぬ太池の面にうち入ぬとぞ。
そのをりしも女、かの僧にむかひていふ、この山の西に、奴可(ヌカ)の嶽(タケ)とて、いと高き山の麓に又池あり。
この、ことわけの嶽より、みちはつか三里ばかり、かの池に八頭の大蛇ありて吾れを妻として、月ごとの上の十日あまり五日は、ぬかの池にすみ、月のなからより下は、このことわけの池に来りてすめり。
いますでに来らん、こゝろへたまへお僧、といふ。難蔵さらに怖れたるいろなう、八まきのきやうをかうべにふりかざせば、かしら九のたつとくゑしたり。
とく風ふき雨のふりしきりて、八かしらの竜のさと飛来りて、このふたつ竜七日くひあふ。
といきの音は、なる神のごとくなりひかり、雨かぜいよゝはげしう、つゐに八竜のくはれおはれて、もとの池に皈りいなんとせしかど、大松の生ひ出たるにへだてられて、しほ海のかたへにげうせてけるといふもの語りは『三国伝記』にも見えたれど、此ふみにはみちのくと、ひたちとをかいあやまれり。
かゝる物話は、みちのおく、出羽にてまち/\にいへり。
言両(ことわけ)は十曲の湖にてやあらん、奴可は、糠部(ヌカノブ)など郡の名に、むかしこのあたりをいひしかば、いまいふ八ツ耕田の嶽をやいふらん。此たけのなからに大なる湖のあり。
春雪氷たるを通路として、そのたけのそがひのかたにあるいで湯浴に、此あたりよりも津刈(軽)郡よりも、きさらぎ、やよひには、人あまた行といへり。
かくゆきゆきて、相坂(十和田市)といふさゝやかの村に泊りてと、ゆきずりに人のいへば、その名たよりに、霧にこめて、屋根のみはつかばかりみゆるを、しるべにたどる。
河にそひたるこなたかなたは、みな六戸の郡なりけりとか。
川霧に猶くらくその村にいたる。
里遠みそこともしらぬ霧のうちにみちとひまどふタぐれの空
せんだびつ(千駄櫃)やうのものをおひ行翁あり。
かゝる五七の戸の山里のあたりに、嫁入のとき、かく、木匱てふものを女のなにくれと調度入とし、その女の身まかれば、この木匱にむくろををさめ、わがへのそのに埋むとなん。



























