むかし武道をやっていたころ「統一体」という言葉をよく耳にしていたのだが、今になって考えるとわかったようなわからないような観念的な言葉である。
大学の頃に通っていた空手道の先生も「統一体」という言葉を使っていたし、たしか合気道の本にも統一体という言葉が出てきた。当時にしてそれらが全く違うものを差しているように思えたことを覚えている。
確かに体が統一されれば理想的と考えられるが、具体的に「何が、どう」ということはこれまで深く考えてはこなかったのである。
特に「統一」の中に「こころ」とか「精神」といった形而上の概念が含まれると、途端に語意がぼやけてくる。
統一体はこころも澄んでいる、精神も統一されている、などというとこれは外から判断することはむずかしい。そもそも精神統一などという言葉からして定義が曖昧である。
武道の場合は被験者を立姿の状態にしてそれを他者が持ち上げたり、横から押したりして確かめたりもするが、この方法は試す人と試される人との関係性(師弟、先輩、後輩)などによって結果が左右されてしまい普遍性に欠ける。
そんな中、最近になって一定の情報量と自分なりの経験や気づきによって「統一体」に関する一つの仮説ができた。
わかってみれば(?)非常に単純なことだったのだが、まず定義として人間の力が十二分に発揮される状態をして統一体と考えたい。
それも精神力とか集中力といった観念的なものを除外して、物理的なものに限定するとより輪郭がはっきりしてくる。
人間の身体を上半身、下半身、そして右と左という風に分けた時にこれらの中心となるのは腰(あるいは背骨)である。
使い古された言葉になるが、腰は体の要(かなめ)と書く。人間は四つ足状態から「手」が離脱し、二足歩行になったことで腰が重要なジョイント部分になったのだ。
部位として腰のない人は特別な障害等を除けばいないわけだが、高度なジョイント機能としての「腰」を具えているか否かは別の問題である。
その腰をさらに分析すると、背骨・骨盤・大腿骨の上部といった骨、そして筋肉(インナーマッスルとアウターマッスル、横隔膜)、そしてそれらを支配する神経系などになる。
こちらもそろそろ使い古された感があるが、今ごろになって胴体の深層筋にあたる腸腰筋、そして腰方形筋に着目している。
上記の筋肉群が一定に覚醒している状態は物理的な「統一」を生み出しやすい。つまり立ったり歩いたりする場合に自然とバランスがとりやすく、また壊れにくくなるのだ。さらに何か仕事をする(力を出す)にしても、下半身から上半身へと力の連絡が強固になり、個々の筋骨が生み出すパワーが分散されずに統一的に作用する。これが今回の仮説の中核である。
昔は家事を含めた労働によって機能としての腰は自然と養成されてきたわけだが、現在は文明の発展によりそうした機会が相当に奪われて成人しても腰の働きが十分に形成されず、また加齢による衰えも早くなっている。
野口整体の野口先生が見ていた日本人は充分に体を動かしていた世代(主に昭和の中期)であって、腰も腹も比較的しっかりしていたのである。よってその状態から一過性にバランスを崩した人達を相手に整体指導を行い整える(元へ帰す)、という仕事も多かったと思われる。
ところが現代は事情が大分変わってきて、老若男女を問わず体幹や下半身を中心とした体育の潜在需要が高まっているように思われる。
そんなことを考えているため最近はうちの個人指導でも簡単な体操、というか訓練法を実習したりしている。空手の立ち方と移動法がベースなのだが、単なる思いつきと違い古人の研鑽と歴史によって磨かれた身体技法なので効果はそれなりにある。
これによって統一体になります、というとハードルが高くなるので効果のほどは「足腰(体幹)がしっかりする」くらいに留めたい。
足腰、姿勢の訓練に特化した教室なども勘案中である。今月末からしばらく自宅の指導室はなくなるので、活元運動とは別の教室形式としてどこかで実施できたら面白いのではないだろうか。