3回目は、「日本橋クルーズ」です。

選んだコースは、上記パンフレットの「神田川コース90分コース」。
日本橋舟着場から乗船し、日本橋川、神田川、隅田川を巡り、日本橋舟着場に戻るコースです。

出航予定は、12:45。
ほぼ、満席でした。

添乗員さんの説明によると この黒くなっている部分は、1923年(大正12年)に発生した関東大震災に伴う火災の跡だそうです。現在の日本橋は、1911年(明治44年)に竣工したものですので 既に架け替えられてから100年以上経過しており、その歴史の長さを物語っています。
さて、定刻通り出発です。

川沿いの紫陽花が綺麗です。

常盤橋

常盤橋公園の渋沢栄一像
江戸時代、木橋だった常磐橋は明治になって一度撤去され、文明開化の時流のなかで1877年(明治10年)、洋式の石橋に改架されました。しかし、1923年(大正12年)の関東大震災で大きな被害を受け、そのまま放置されていました。やがて復興の機運が高まり、公園が整備されて、1934年(昭和9年)には橋の修復工事が決定しました。この復興事業に尽力し 成功に導いたのが 渋沢栄一でした。
江戸城外堀の石垣

江戸城の外濠にあった常盤橋門跡

新幹線 山手線 中央線などが通る 新常磐橋。
SLの動輪をかたどったエンブレムに 右から 大正七年と書かれています。

カルガモの親子

石垣をよく見ると何やら文字が書かれている石があります。これらは江戸城築城に係る天下普請(てんかぶしん)により運ばれてきた石で、誰が工事を行ったかがわかるよう藩の印が彫られているのだそうです。

中央線と総武線を見上げます。

後楽橋。
太平洋戦争中にB29が投下した焼夷弾が貫通した跡だそうです。




聖橋

総武線 神田橋橋梁

中央線 旧万世橋駅


柳森神社

係留されている屋形船

総武線鉄橋

隅田川の船上より神田川を望みます。緑の橋が柳橋、奥の青い橋が浅草橋。2つの橋の間には、今でも船宿が立ち並び、屋形船と釣り船が係留されています。

両国橋

竪川水門テラス連絡橋

水難消防艇 はまかぜ

芭蕉庵史跡展望庭園




かって渋沢栄一の邸宅があった場所に建てられた「日証館」。東株ビルディングとして1928年(昭和3年)建設されました。1943年(昭和18年)、全国の株式取引所の統合により日本証券取引所が発足したのに伴い、東株ビルディングは日証館に改称されました。 終戦後の1946年(昭和21年)6月、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)により取引所本館および市場館が接収されると、日証館にて株式の集団取引が行われるようになり、1949年(昭和24年)に東京証券取引所の発足により取引所取引が再開されるまで続きました。

先程 食事をした「たいめいけん」が川沿いに望めました。
我々が座った場所は1階の一番右の窓際でした。

日本橋舟着場に戻りました。

90分のクルージングでしたが あっと言う間に終わってしまいました。今回のクルーズは再確認、再発見の連続でした。新たに発見したものは、日本橋川を覆っている高速道路の一部(江戸橋出入口、呉服橋出入口)を撤去する工事が既に進行中であること、外堀近くに2027年に日本一の高さのトーチタワーが竣工すること、お茶の水分水路の吞口、吐口を再確認できたこと、隅田川、日本橋川の堤防に洪水の恐れがあるときにセンサーが働いて水門が閉じるようになっていることなどでした。添乗員さんが90分間休みなくしゃべり続けていたことには感服しました。
さらに日本橋川を覆う高速道路の地下化工事が既に始まっていて、高速道路の地下道開通が先行し、最後に高架の道路が完全に撤去されるのが2040年を予定していることも確認できました。15年後、日本橋に青空が戻ってきます。
日本橋周辺散策④に続きます。