身近な防災知識
VOL-4-6 災害から自分の身を守るため(その6 避難のイメージを作っておこう)
定期ブログアップの木曜日です。
今週は久しぶりに時間がありましたので、いろいろとブログをアップしています。
sawakouji's diaryには、福井のぶらり旅の記事を連載していました。
「澤 我二」で検索すると「はてなブログ」がすぐに出てきます。
時間があれば覗いてみてください。
さて、本日の定期ブログに「身近な防災知識 第6回目」をまとめてみました。
本日のブログは長文になりますが、きっと皆さんの避難イメージを作ることの参考になると思っています。
今年最後の木曜日なので、これで今年も最後の定期ブログアップになりました。
よく頑張ったと自分で自分をほめてもいいでしょうか?
■最近の地震
12月8日の青森県東方沖の地震の後、後発地震発生注意報も出されました。
1週間の期間が過ぎて注意報は解除されましたが、大きな地震は数年単位で関係していることを再認識いただきたいと思っています。
二三日食事をしなくても人は生きていけます。
しかし、災害の時に困ってしまうことは、水とトイレです。
特に簡易トイレは女性の方にはなくてはならないものとなってしまうでしょう。
避難訓練の参加記念品に、乾パンばっかりでなく、簡易トイレのセットもいいのではないかと思っています。
予算に限界があるのであれば、凝固剤とセットになったビニールセットだけでもいいと思います。


写真のように簡易トイレは自宅にあるもので簡単に作れます。
写真は買い物籠を利用していますが、座って壊れないプラスチックや金属のごみ箱でもいいです。常時に座って、座った時の高さや強度など確認しておくとよいでしょう。
避難訓練の参加賞で、この簡易トイレ用の凝固剤のセットを配ってくれるといいなあと思っているのは、私だけなんでしょうか。
段ボールで作った便座は、冬は座っても冷たくないし、汚れたらごみと一緒に捨てればいいのです。
スーパーに行った時に買い物をして、食品を入れるために段ボール箱を時々頂いてくることも、防災のためには必要かもしれません。
10日間程度は自分で頑張ることのできるように考えてみたいものです。
■大地震の体験
2011年3月11日の大地震の時に、私は東京の秋葉原にいました。
15時半から近くで打ち合わせを控えており、ちょうど秋葉原の東口にある大きな電気店にて待機していました。8階でテレビを見ていました。
そこに大きな揺れです。
実験場では鉄骨のきしむ音を聞いたことはあるのですが、一般に建っている建物の躯体の鉄骨がきしむ音を聞くことは人生で初めてでした。
この大きな揺れの次に起きることはと考えました。「ボルトが破断する、バシーーンという音が聞こえたらただ事ではない」と考えていました。
2025年12月8日の地震の時に、電波塔の鉄骨のボルトが破損したという報道がなされていますが、ボルトが破損するほど大きな揺れであったのだということです。
大きな揺れを感じた時、まず自分の身を守ることをしました。
床に這いつくばるほどの揺れではなかったので、近くの商品棚から離れ、天井を見て上部に空調、照明などの落下物が無いかを確認しました。
①まず自分の身を守るための行動をとりました。
周辺には多くのテレビがありました。しばらくして、放送局のビルの被害についての放映がなされていました。この放送は後になり、津波の避難を妨げる、テレビの前で映像を見入っていた人を作ってしまったのではないか、津波が予想されるとなったら避難を呼びかける放送をすべきであったと反省があったと思われます。
「今いるところは上層階だから揺れが大きいが、きっと震度5強程度の揺れではないか」と直感的に思いました。ボルトの破断が無かったので、震度6ではないと判断していました。地震の震度と建物の被害状況の想定が自分の中ではできていました。
だから、社会インフラはある程度生きていると思って次の行動を起こしました。
商業施設から全館避難の放送がありました。
②これからの状況を考えて、家族の待つ名古屋の自宅を目指して、まずトイレに向かいました。
避難にどのくらい時間がかかるか分かりませんが、数時間はトイレに行かなくてもいい状況を作りたかったからです。
③そして、コンビニによって「かわき物」のお菓子類を少し、飲み物を少し多めに買い、東京駅を目指しました。この時のコンビニでは、おにぎりとかパンとかがすでに売れ切れていました。長期化することが予想されましたから、その時のために、ある程度腐らないものがいいと思います。
④東京駅への移動中は、再び余震が起きてビルからの落下物を避けるように、そして余震によって山手線の擁壁の崩落もあるかもしれないと考えて、山手線に沿った歩道といえ、できるだけ車道側を歩いて東京駅に向かいました。
東京駅に着いて新幹線側の放送が聞こえる地下に入りました。
⑤地震に対しては地下街は強固です。心配はガス爆発です。それと集団パニックによる避難行動です。
地下街でも比較的出口に近い、鉄道会社のアナウンスの聞こえる場所に陣取っていたら、お店の人が「今日はガスが止まってしまい、お店は開店休業。どうぞこの椅子に座って下さい」とお店の椅子を出してくれました。
私はその椅子に座って鉄道のアナウンスを聞いていました。
「震度は5程度のようだから、ある程度すると電車も運転を再開するだろう」と踏んでいました。ガスの匂いがしたら、すぐに地上に避難する覚悟でいました。
その地下街で見た光景です。
長蛇の列がどんどん伸びていました。何の列なのだろうかと観察すると、トイレに向かう人の列でした。鉄道会社が入場をシャットダウンしたため、駅構内のトイレが使えず、地下の使えるトイレに多くの人が殺到していたのです。
私はトイレを済ましていましたから、あと数時間は大丈夫だと確信がありました。
地下街で椅子に座っていると、隣にヘルメットを持った人がやってきました。
そのヘルメットには会社名が書かれており自宅まで帰るためにとりあえず鉄道会社の状況を確認し、無理であったら徒歩で帰るというお話でした。
ヘルメットに書かれた会社は大手の会社であり、さすがこのような災害の時にヘルメットが準備され頭を保護することをまず第一に考えて、自宅への帰宅を促していたのだと感心をしました。
新幹線は二時間近く遅れて、15時過ぎ発予定の列車が先行発進して、小田原迄、徐行運転を行うという放送がありました。そして、改札が開きました。
私は、先行列車を避け、次の発車案内のあった新幹線に乗り込みました。理由は自分自身の安全確保のためです。
確かに、小田原迄は徐行運転でしたが、小田原を過ぎたらトップスピードになり、名古屋の自宅には20時には着いていた記憶があります。
会社関係者から、私が東京に滞在中は、私の携帯が通じなかったと後で伺いました。
20時過ぎに「なかなか連絡が取れなかったが、今日は東京出張だったよな、大丈夫か」との連絡を受けましたが「無事名古屋に戻っています」と報告をしました。
後日、それら話を関係者にしたら「豆鉄砲を食らった鳩の様に」目を丸くして驚いていました。
しかし、これら行動は「危機管理学習のたまもの」と私は今でも考えています。
地震直後に、先方関係者と連絡をすぐ取ったこと、営業所の女性には「東京は激しく揺れたけど、身の安全は確保したから、これからできるだけ名古屋方面に向かう努力をする」と報告しておきました。その後の携帯の連絡は、通信の制限もあったのかつながらなかった状況が続いたと、後で会社関係者から報告を受けました。
ある程度地震のことを知っていたからこそ、あの日は無事に家族の元に戻れたと思いました。皆さんも、いざとなったら何が必要なのかをもう一度災害に対して勉強し直して、避難用リュックには何を入れた方がいいのかも考えてみましょう。
夏用と冬用の避難リュック、常時の持ち出し品を入れたリュックの三つを準備しておいた方がいいと考えているのは私だけかもしれません。季節によって常時用と二つのリュックサックを急いで持ち出すことができるでしょう。
日本列島は全体的に押されたり引っぱられたりと、10年から20年単位で呼吸をしています。押された時は内陸での地震が多発するように感じます。いわゆる直下型の地震です。引っぱられた時はプレートの跳ね上がりを誘発しているようにも感じます。いわゆる津波を伴う地震と考えられます。
地震・雷・火事(・おやじ)はいつ起こるか分からない災害として過去から恐れられてきました。忘れた時にやってくる災害として言い伝えられてきました。
いざという時のために、持ち出し用のリュックを再チェックしていただき、自分を守り家族を守るために、避難のイメージを作っていただきたいと思っています。
■追伸
星印★(いいね)が本日累計100になりました。
ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。
澤 我二 2025年12月25日 アップ メリークリスマス