日本語について考え直すブログ

日本語の面白さを再発見。一緒に頭をひねりましょう!

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日本人でも難しい日本語part18「嘘つけ!」は嘘をついても良いのか、悪いのか。

 

昔から疑問と言うか、気になっていた言葉が

 

てきとう

 

と言う言葉です。

てきとうにするなと怒られた経験から「てきとう」は良くない意味だと理解してきましたが、高校生あたりから「以下の選択肢の中から適当なものを選べ」という問題文が現れ始めます。

 

この時の「適当」は正しい、ふさわしいと言った意味で使われています。

同じ言葉でこれほどまでも反対の意味になるなんて、信じられません。

一時期は、ひらがなで書くと悪い意味で、漢字で書くと良い意味になると考えていたこともあります。

 

それに類して、

 

いい加減にしろ!

いい加減にするな!

 

と言う言葉もあります。

 

「いい加減」というのは、良い塩梅と言う意味なのか、てきとうと言う意味なのか。

「いい加減にしろ!」と言われると、ちょうどいいタイミングで止めなさい→もうやり過ぎているぞ、という注意になります。

「いい加減にするな!」だと、てきとうにするな→真面目にしろという注意になります。

 

この2つに関して言えば、「いい加減」をどのように解釈するかで変わっていることが言えます。

 

しかし、画像2枚目のこちらはどうでしょう。

 

嘘つくな!

嘘つけ!

 

こちらは、どちらも「嘘を言わないでください」という意味で使われていることが多い言葉です。どちらも使うという人が多いんじゃないでしょうか。

 

「嘘つくな!」の方は分かりやすく、そのまま禁止の命令をしています。

一方、「嘘つけ!」は真逆の嘘をつくことを命令しています。

 

色々調べてみましたが、明確な答えに辿り着けませんでした。

そのうち、なるほどとなった二つを紹介します。

 

まずは、「つけ」は命令形ではなく已然形であるという説。已然形というのは、古文で完了形を表します。つまり、「嘘つけ」は「嘘をついた」という意味で使われていて、嘘をつかれた人が「今あなたは嘘をついた」と言っているという意味になるそう。

 

もう一つは、「嘘をつきたいなら、好きなだけつけ。どうせそんな嘘、みんなすぐ見破るぞ」という皮肉を省略したものという説。

 

確かに「嘘つけ」が命令だとしたら、順番がおかしくなります。

「嘘つけ」という言葉が必要になる場面は、必ず誰かが嘘をついてから使います。

「嘘つけ」が命令だとしたら、「嘘つけ」と言ってから、誰かが嘘をつく必要があります。そう考えると、完了形であるという説は納得されます。

 

また、皮肉で「そんな嘘、みんなすぐ気づくさ。つきたければ好きなだけつけ」と言う気持ちも理解できます。ちょっと省略し過ぎだろうと思いますが、日本語は省略が多いので納得。

 

このように、普段何気なく使っている言葉でも考えてみると「なぜ?」という言葉がたくさんありますね。

 

 

日本人でも難しい日本語part17「最後の一粒まで食べる」は「最後の一粒になるまで食べる」?


今日は「まで」について考え直してみたいと思います。

まずこちら。

 

ゴールまで走る

 

この例の「まで」は、ゴールという到達点を表しています。

「ゴール」に到達するという意味です。

 

家まで走る

東京まで行く

 

と言うように、「まで」の前は目的地や到達点をよく使います。

この時、「家」や「東京」には到着しているでしょうか。

と言うのが今日のお題です。

 

「ゴールまで走る」と聞いて、「ゴールまで走って、ゴールしないわけない」と考えると思います。「東京まで行く」と言った人が東京の手前で戻って来るとは考えづらいです。

 

ですから、「ゴールまで走る」と言うのは「ゴールした」と言い換えてもよさそうです。同じように「東京まで行く」は「東京に着く」と言い換えられそうです。

 

そして、「ゴールまで走る」人は「ゴール」という到達点に達した時点で走ることを止めることも想像できます。「東京まで行く」人がそのまま東京を通り過ぎて東北に行くとは考えにくいですし、おそらく東京が目的地であることが言えます。

 

そう考えると「まで」は、前で到達点を表す言葉を使うと同時に、後ろでそこに至るまでの行動を続けて、到達点に来た時点で止めるということが分かります。

 

では、次の例文はどうでしょうか。

 

最後の一粒まで食べてよ

 

これは、親が子どもに注意する時に良く聞くフレーズです。

これをさっきの解釈で考え直してみると、

 

「最後の一粒」という到達点に達するまで食べるが、「最後の一粒」に達した時点でその行動を止める。ということになります。

 

つまり、最後の一粒は残していることになります。

 

 

もちろん、そんなことはなく最後の一粒も食べて欲しいということは間違いないと思います。

 

最後まで諦めるな

 

これに関しても同じことが言えます。

「最後になると諦める」ということでしょうか。

 

最後の一粒も食べてね

最後も諦めるな

 

と言うように「も」を使えば良いんですが、それだとしっくりこないんでしょうか。

或いは、

 

お皿がきれいになるまで食べてね

試合終了まで諦めるな

 

と言うように、範囲を結果の方に置けばこれも問題ないように思います。

 

この二つが混ざってしまってしまい、変な解釈が生まれる文法になってしまったんでしょうか。或いは、最初から何も変な所はないんでしょうか。

 

「まで」という言葉は奥が深いですね。

今回は、考え直すだけで特にこれと言った答えのない問い掛けでしたが、単純に最後の一粒まで食べてと言われて最後の一粒を残したり、最後まで諦めるなと言われて最後に諦めたりする人はいないという結論があった上での、私個人の勝手な解釈でした。

 

 

 

日本人でも難しい日本語part16「新入社員が遅刻。どの謝り方なら許す?」

 

今日は、新入社員の謝罪方法について。

全然新入社員とは季節外れになりましたが、お付き合いください。

 

新人A「電車が遅れたから、遅刻しました」

新人B「電車が遅れたので、遅刻しました」

新人C「電車が遅れたため、遅刻しました」

 

この3名の謝罪方法の内、あなたが許すならどの新人?

という問い。

 

実はこの問いと同じものを前日に投稿しました。

 

sappy.hatenablog.com

 

その時は、JRのアナウンスを例に出していたんですが、全く同じものをタイトルに「新人とか上司」と言う言葉を入れるだけで閲覧数100万回を超えました。テクニックも必要だということを学びました。

 

話がそれましたが、以前書いた記事では、

 

①電車が遅れたため、遅刻しました。
②電車が遅れたので、遅刻しました。
③電車が遅れたから、遅刻しました。

この3つの文を比べると、「ため」「ので」「から」が違います。
これらはいずれも理由を述べる接続詞です。

これは、私が学んだ使い方では、

① > ② > ③
この順番で固い表現、フォーマルな表現になります。

そして、客観的から主観的になると学びました。

と書きました。

 

つまり、新人Cが一番丁寧な謝罪になるということが言えます。

しかし、TikTokのコメントでは議論は別の方向に向かいます。

 

「遅れると分かった時点で連絡するべき」

 

というもの。確かに、遅刻してから謝っていては遅いのかもしれません。もう遅刻だと悟った瞬間、上司に一報せよ、というコメントが多かったです。

 

ほかには、

 

「こんな言葉尻で態度を変える上司は嫌だ」

「遅刻の理由なんて要らない」

 

と言うものも割と多かったです。

 

少々の言葉の間違いを細かく気にするより、早く作業に入った方が効率的だ、という意見でした。

 

人それぞれの考えが聞けて、面白い議論になっていました。

皆さんはどの新人に、なんて言うでしょうか。

 

 

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日本人でも難しい日本語part15「危ないですから、黄色い線の…」「危ないですので」じゃないの?

 

私は地方出身者で、今は関東圏に住んでいます。
普段あまり電車には乗らないのですが、
JRの駅のホームで聞きなれない日本語が聞こえてきました。

それは、

「危ないですから、黄色い線の内側までお下がりください」

一言一句正しいかと言われると、自信がありませんが、特に前半部分に違和感を覚えました。

その違和感の正体は、上記の画像からです。

①電車が遅れたため、遅刻しました。
②電車が遅れたので、遅刻しました。
③電車が遅れたから、遅刻しました。

この3つの文を比べると、「ため」「ので」「から」が違います。
これらはいずれも理由を述べる接続詞です。

これは、私が学んだ使い方では、

① > ② > ③
この順番で固い表現、フォーマルな表現になります。

そして、客観的から主観的になると学びました。

では、このJRのホームで聞こえてきた

「危ないですから」

は、一番柔らかく、かつ主観的な言い方なんでしょうか。
なぜ、「危ないですので」や「危ないため」を使わないんでしょうか。

私なりの解釈を書いていきたいと思います。

今日の話題はこれで決まり。
会社、学校の話のネタにどうぞ。

さて、まず「危ないですから」という言葉自体に違和感を覚えませんか?

今日は、暑いですから、外出を控えましょう。
雨が強いですから、気を付けて帰ってください。
スヌーピーはかわいいですから、好きです。

「形容詞+ですから」は「形容詞+から」でカジュアルな言い方にできます。

今日は、暑いから、外出を控えましょう。
雨が強いから、気を付けて帰ってください。
スヌーピーはかわいいから、好きです。

ただ、そうしてしまうと本来の丁寧さが欠ける、と言うのであれば「形容詞+ので」で代用ができます。

今日は、暑いので、外出を控えましょう。
雨が強いので、気を付けて帰ってください。
スヌーピーはかわいいので、好きです。

少々、固すぎる印象を持ちますが、十分代用できています。
ただ、客観性と主観性というところで意味が食い違ってきます。

今日は暑いですから、外出を控えましょう。
今日は暑いので、外出を控えましょう。

「ですから」の方が主観的で、「ので」は客観的だと言われています。
つまり、「今日は暑いですから」には、「私も暑いと思っている」という主観性が含まれています。

一方で、「今日は暑いので、外出を控えましょう」は、今日の気温は暑いということを伝え、外出を控えるよう注意喚起している印象になります。例えば天気予報などは特にこうした表現を用いることが多いです。

(視聴者により感情移入して伝えるときは、「今日は暑いですから」と言う天気予報士もいるかもしれません)

そう、この「ですから」には感情があるのです。
では、トピックに戻ります。

「危ないですから、黄色い線の内側までお下がりください」

JRのホームですから、比較的フォーマルな言い方をしてもよさそうですよね。しかし、「危ないですので」ではなく「危ないですから」をわざわざ使う理由は、この感情移入、或いはそもそも違和感を持たせる働きがあると私は考えています。

特に毎日電車を利用する方にとっては毎日流れているアナウンス。
聞き流すことがほとんどでしょう。

「危ないですので、黄色い線の内側までお下がりください」

と言われると、客観的に注意を促しているだけでそれほど心に響きません。

しかし、

「危ないですから、黄色い線の内側までお下がりください」

と言われると、主観的で、より親身になってもらっている気がする。

…と言う効果を狙ったんじゃないでしょうか。

また、少なからずこの「危ないですから」に違和感を覚える人はいます。
違和感を覚えるということは、そのアナウンスが耳に残るということ。

それも危険防止策に一役買っているのかもしれませんね。

 

 

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日本人でも難しい日本語part14「この話の違和感はどこから?」

 

この問題はどこで見たのかうろ覚えですが、経済をもっと小さい世界で見たらどうなるのかというお話です。

 

それでも町は廻っている』という漫画の中に似た話がありました。

 

sappy.hatenablog.com

 

 

 

それは、小さい町の住民同士がお互いの店で買い物を続ければ不景気にならないのではないかという主人公の疑問でした。

 

読んだ当時は「確かに」と思ったこともありますが、仕入れだったりその他もろもろでどことなく「そうはならないだろう」とも思った記憶があります。

 

今回は、もう少し話が複雑です。

 

では、画像の文章をご一読ください。

 

私は、ホテルに泊まろうと思いました 。

一泊1万円だったので、受付に1万円置いて部屋に行きました。

受付の人が行き付けの居酒屋にツケがあったのでその1万円を持って行きました。

居酒屋の店長は今朝財布を忘れて八百屋で仕入れをしました。

その遅れていた未払い1万円を払いに行きました。

八百屋の店主は以前友人に借りた1万円を返しました。

友人はよくいく風俗のツケ1万円を返しに行きました。

風俗店は良く店で使うホテルのツケを返しに行きました。

しかし、受付が居なかったのでカウンターに1万円を置いて帰りました。

 

私は、部屋が気に入らなかったので帰ろうと思い、

受付に置いてある1万円を取って帰りました。

私はお金を使っていないのにその村の借金は消え、活気が生まれました。

 

最終的には私にお金が戻ってきている、お金を支払っていないにもかかわらず、その町の借金は消えた。これは経済が回っているのではないか、というお話。

 

これは、最後の方をよく見るとすぐ分かりますが、風俗店が返したお金を私が取って帰っています。つまり、ホテルのお金を盗んだことになります。

 

私の立場になると、ホテル宿泊をキャンセルして戻ってきた1万円に見えますが、ホテルの立場からすると風俗店からの借金返済です。ホテルと私が話をしてキャンセル料を受け取ったなら良いですが、このままだと窃盗事件です。

 

では、この部分が話し合いのうえ行われていたらどうでしょうか。

最後にホテルは私と話し合った末に1万円返します。すると窃盗罪にはなりません。

そうなると、今度は(さっきからですが)、ホテルの受付がホテルのお金を自分の借金返済に充てている、横領も問題視されます。

 

仮に、このホテルの受付が個人営業の民宿で、すぐに自分のお金として使えるなら良いかもしれません。そうすると、全体的にきれいにまとまる・・・んでしょうか。

 

実は、私もこの話のどこに違和感があるのかわかっていません。

どなたかすっきりする説明をしていただければと思います。

 

しかし、ホテルの受付にとっては、居酒屋に1万円支払って、キャンセルされた1万円を支払って、さらには風俗店からの支払いも実質受け取っておらず、かわいそうな結果になっています。

 

 

日本人でも難しい日本語part13「私の10ドルどこにいった?」

残りの10ドルどこに行った?」と言うのが質問

読めば読むほど、「確かに10ドルが消えています」どこかで計算ミスしているんでしょうか。
でも、単純な掛け算と足し算ばかり。

レートが返金時に変わったんでしょうか。
さて、明日の話のネタはこれで決まり。
会社、学校の話題にぜひ!

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さて、まず最初に、この問題は計算の方法が間違っていることをお伝えしなければなりません。
はっきりと、合計290ドルで10ドルがなくなったように書く(話す)パターンもあります。しかし、それだと、騙すために書いていることになるので、今回は避けました。

途中で気づくことができるギリギリを攻めました。


まず、ホテルの利益を「+」で、ホテルの損失を「−」として書いてみましょう。

最初支払った300ドルは「+300ドル」
キャンペーンで戻した50ドルは「−50ドル」
ボーイがポケットに入れた20ドルは「−20ドル」
3人に返ってきた30ドルは「−30ドル」3人が結果的に支払った270ドルは「+270ドル」

いかがですか?

利益と損失を同時に計算してしまっていることがわかるかと思います。

つまり、ホテルの利益である+270ドルとボーイの−20ドルは足すことのできないお金です。(足してもいいけど、−20ドルを足すから、合計は250ドルになる。)

本来は3人の元へ返るはずの20ドルですから、ホテルの利益である+270ドルから引かなければなりません。

すると、3人の支払い合計は250ドルとなり、実際にホテルの元には250ドルあるので何もおかしな点がありません。

ホテルの元には250ドルしかありません。
それなのに、270ドル払ったと言い、その元凶である20ドルをさらに足すかのようなミスリードをすることで、290ドルと言う架空の数字が出来上がり、10ドルがなくなったように見えた、と言うお話でした。

 

 

日本人でも難しい日本語part12「えーっと、すみません」「あのー、すみません」の違いは?

早速ですが、皆さんは話始めるときに「えーっと」とか「あのー」を付けて話をしますか。

 

「えーっと、今日は何曜日だ?」
「あのー、今日は何曜日だ?」

 

この2つの文を見てください。
どちらも成り立つように思いませんか。

 

ただ、使用状況は同じではなさそう。

 

「えーっと」と「あのー」の違い、皆さんは説明できますか。
説明できなくても使い分けられている。
凄いと思いませんか?

 

明日の話題はこれで決まり。
会社や学校の話のネタにどうぞ。

 

 留学生が日本で迷子になった時に、「すみません」と日本人に声を掛けると、「I don’t speak Enlish.」と言って逃げられるか、英語で道案内をされるかのどちらかで、「日本語できるのに!」と困ることがあるらしいです。

 

 そんな時、「あのー、すみません」と声を掛けると、ほとんどの日本人が日本語で話してくれる、ということに気付いた、なんて話があります。


 この「あのー」はフィラー感動詞、間投詞)と呼ばれるもので、上の例からも分かるように「自然な日本語」を話す上で非常に重要な語句です。遠い物を指す指示語を使って「思い出したいけど、思い出せない。頭の中の遠いところにあるあの情報…」という気持ちから「あのー」と表現されるのでしょうか。


 「あのー」とよく混同するフィラーに「えーと(えーっと)」があります。フィラーは無意識に口から出てくるので、感覚的に使っている母語話者がフィラーを言い間違えることはないと言われています(定延2010)。その使い分けは定延・田窪(1995)の中で使用された問題を試しに解いて、考えてみると理解しやすいです。
 
(1)佐藤:123足す456は? 
  田中:___、579。
(定延・田窪(1995)、発話者は筆者追加)
 
(2)(道を尋ねようと、話しかける時)
  「___、ちょっとすみません」
 
 
(1)で日本語母語話者は「あのー、」とは言わず、「えーと、」と言いますよね。(2)は「あのー、ちょっとすみません。」と言いますよね。
 定延(2007)によると「えーと」は“頭の中で作業(計算)している時”に、「あのー」は“言う事は決まっているが、その言い方を考えている時”に自然に口から出てくる言葉であるそうだ。
 
(3)佐藤:昨日は何を食べましたか?
   田中:___、焼肉だったかな。
 
 何かを思い出す時は「あのー」と「えーと」のどちらを使うだろうでしょう。多くの日本人は(3)では「えーと、焼肉だったかな」と言うだろう。ここで冒頭を思い出してください。

 

(「えーと、何て書いてあったかな…」)

 

 「思い出せない時、遠い記憶を指して指示語「あの」を使うのかもしれない」と言っていましたが、思い出そうとする時は「あのー」ではなく「えーと」を使っています。

 「えーと、何て書いてあったかな…」と自問自答する際の独り言では「あのー」が使えません。(カレンダーを見ながら自分に「あのー、今日は何曜日だったかな…」とは言わない。)“言う事は決まっているが、その言い方を考えている時”に「あのー」を使います。

 

 つまり、“対話者”のために表現方法を考えているということは、逆に対話者のいない独り言では「あのー」を使う必要が無いということです。



 まとめると、「えーと」は頭の中で次に話す言葉を思い出す(考える)作業をしている時や、独話の時に使い、「あのー」は相手のために表現方法を考えている時に使うということ。「相手のために」という点では敬語同様目上が目下に「あのー」を使うことは少なくなります。


<参考文献>
定延利之『ささやく恋人、りきむレポーター : 口の中の文化』2005年、岩波書店
定延(2010)「会話においてフィラーを発するということ」音声研究14号、pp.27-39.
定延・田窪(1995)「談話における心的操作モニター機構--心的操作標識『ええと』と『あの(-)』--」『言語研究』108,pp.74-93.