ときは18世紀前半、大坂近郊の貧しい百姓の倅(せがれ)は、「天下の台所」大坂堂島の米問屋に丁稚奉公に出ます。
ただし米問屋というので大八車で米俵を運び、と思っていたら――
この時代(戦国の世を終わらせた徳川幕府の成立から1世紀)、この国でもすでに市場経済が大きく発展しはじめていて、
大坂堂島の米問屋というのは、全国から集まってくる米の価格の上がり下がりを見込んだ相場取引、つまり現代の株売買のようなことをおこなっていました。
で、「先物取引」とか「空売り」とか、こういうこと(に限らずお金のこと)にとんと疎いものですからf(^_^;)、よう分らん話もいっぱい出てきます。
が、そんな者でも引き込まれてどんどん読み進んでしまうというのは、要するに、物語の軸になっているのが、お金をどう稼ぐか、ではなく、人は何のためにお金を稼ぐか、どう使うか、つまりはどう生きるか、という根源的、普遍的な問いだからだと思います。
同じ時代、同じ大坂商人を扱った朝井まかて『すかたん』、高田郁『銀二貫』、「みをつくし料理帖」シリーズなどに比べると筋立てでやや劣りますが、でも同じように爽やかな物語でした。