殺しの柳川
2020年 07月 05日

東京の町井久之と同じ在日韓国人、同じ1923年生まれ、同じ元ヤクザ、同じく強烈な民族意識を持ち、日韓の政治に深くかかわった、ということで「東の町井、西の柳川」と称されたという柳川次郎(梁元錫、ヤン・ウォンソク)の生涯、特にヤクザから足を洗って以降の後半生を追っています。
しかし、前に読んだ『猛牛(ファンソ)と呼ばれた男――東声会・町井久之の戦後史』とくらべてみますと、町井(鄭建永、チョン・ゴニョン)とのかなり大きな違いを感じました。

例えば町井は戦後すぐ、在日韓国人・朝鮮人の民族運動に身を投じ、そのあと暴力団、暴力団解散、実業家という歩みがあり、民族運動がむしろ人生の原点のようなものでしたが、柳川の場合、戦後、大阪の愚連隊から出発し、「殺しの柳川」と恐れられる山口組きっての武闘派としてその全国進出の先兵となり、やがて組が解散に追い込まれると、ここで初めて、日韓政治への関与がはじまります。
また、町井の場合、「毒を以て毒を制す」で北朝鮮の独裁体制に対抗するには韓国においても強力な政権が必要(必要悪)だとして当初、朴正煕(パク・チョンヒ)政権を支持しますが、やがて民主化勢力が育ってくると、金大中(キム・デジュン)、金泳三(キム・ヨンサム)らにも手をさしのべる幅の広さ、視野の広さがありました。
が、柳川の場合は朴正煕、つづいて全斗煥(チョン・ドファン)の軍事独裁政権一辺倒で、最後まで、金大中、金泳三らを毛嫌いしていたといいます。
等々。
ただ、むしろそれだけに、読んでいて柳川の悲哀は伝わってきました。
戦前、戦後の非常に差別意識の強かった日本で疎外され、祖国(北朝鮮、韓国)からも棄民扱いされ、利用され…。
しかも、民団幹部の言葉が印象的でした。
「『殺しの柳川』というイメージが広がって誰がいちばん迷惑したか言うたら、そら、在日ですわ。在日はああいう恐ろしいことをする連中、いう偏見を持たれたらたまりません」。(-_-;)
by sam0802 | 2020-07-05 10:34 | 読書・勉強

