ドイツの作家レマルクの「西部戦線異状なし」(秦豊吉訳 新潮文庫)を読み終えました。久しぶりに骨のある一篇だった。

時は、第一次世界大戦。独仏国境の戦場が舞台。主人公「僕」は志願兵。19、20歳と彼は戦場で過酷な経験を重ねる。本来しなくてもよいはずの経験だ。そんな日々を彼の手記という形で作者レマルクは淡々と描いていく。静謐と言っていいようなタッチだ。それが余計に戦争という闇を浮かび上がらせる。
ある友は足を切断し、またある友は頭部に弾丸を受ける。弾丸よりもその破片が怖いと学ぶ。死体はつねにそばにある。そんな描写の中に、こんな「僕」の述懐がある。長いけれどこの作品の核のような部分なので引用します。
「僕はまだ若い。二十歳の青年だ。けれどこの人生から知りえたものは、絶望と死と不安と、深淵のごとき苦しみと、まったく無意味なる浅薄粗笨(そほん)とが結びついたものとにすぎない。国民が互いに向き合わされ、逐い立てられ、何事も言わず、何事も知らず、愚鈍で、従順で、罪なくして殺し合うのを、僕は見てきた。この世の中のもっとも利口な頭が、武器と言葉とを発見して、戦争というものを、いよいよ巧妙に、いよいよ長く継続させようとするのを僕は見てきた。このあらゆるものを、僕と同じ年齢の人間は、僕とともに、こことかしことで見てきたのである。この全世界において、僕と同じ時代の者が、僕とともに体験したのである。もし僕らが今日僕らの父の前に立って、その前に進み出て、この弁明を求めたとしたら、父たちははたしてなんと言うであろう。もし一朝、戦争終了の時が来たとしたらば、父たちは僕らから何を期待するであろう。幾年のあいだ僕らのする仕事は、人を殺すことであった・・・・人を殺すことが僕らの生活における最初の職務であった。僕らがこの人生から知りえたことは、死ということに限られていた。そもそも今後どういうことが起こるであろう。しかも僕らは一たいどうなるであろう。」
これほどの反戦の弁はなかろう。20歳ころの男の感慨には読めないし、同時に20歳ころだからこそにも読める。「僕」は青春を知らない。なのに人生を知ってしまった。そしてこう続く、
「僕らはまず兵隊だ。それから後に、恥ずかしながら辛うじて、ようやく一個の人間なのである。」
まるですべてを諦めたかのような一文がある。どうしようもない、逃れることのできない立場に追いやられた若者の諦観である。もういい、もう考えるな。
「僕」が戦死した日は、全戦線にわたってきわめて静かで、指令部報告には「西部戦線異状なし、報告すべき件なし」とあった。そして「ボイメル君(主人公)は前に打伏して倒れて、まるで寝ているように地上にころがっていた。(中略)あだかもこういう最期を、むしろ満足に感じているような覚悟の見えた、沈着な顔をしていた。」(原文ママ)という一文でレマルクはペンを置いている。ずしりとくる一篇だった。




























