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ゆっくりとまったりと(983)
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いままででの人生で、一番通った店は居酒屋だと思う。たぶん、これは間違えないと思う。それが今や、1ヶ月に10日の飲酒。辛いよ~。休肝日の過ごし方ってむつかしい。
それで学生時分に戻って、いつでもどこでも映画と読書に明け暮れようと思う。大好きな川上弘美さんは、読書三昧の毎日を、なんだか彩りに欠ける人生ではありますと謙遜して書いていた。
う~む、ボクの方は、こりゃ実感だなぁ。
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再び、夜空ノムコウ 後期高齢者になったなあ...と思うのは、めっきり外で飲まなくなったからだ。 居酒屋で飲むと、いろんなつまみが楽しい。 今や、外出するのは毎日の買い出しに行くだけで、飲むのは宅飲みだ。面倒くさいのもある。 だから、ちゃんとした酒肴ではなく、レトルトのおでんや豚汁、手作りといえるかはわからないけれど鍋か湯豆腐で飲む。 それが一番、気楽だ。 学生時分は、下戸だった。大学4年の秋頃から、少しだけれど飲みだした。 馬場下から穴八幡を左に見て、西早稲田に向かうと、15号館傍で安部球場があるグランド坂通りと合流する三叉路に前野書店がある。指定の教科書を売っていた本屋さんだ。 その先に串亭という串揚げのお店があった。そこで、酒を飲み、鍋を食した。 なにしろ、みんな、お金がなかった。ボクは学生会館と同じくらいで、もっと安い稲穂のラーメンか三朝庵のモリを食した。 学生時代の「飲み」といえば、つぶれるくらいに飲むサークルが多かった。 シネ研などもそうで、女子がきもちわるいーというくらいに飲む。 それが嫌で、シネ研は半年でやめた。 この間、「夜空ノムコウ」を聴いて、あらためてSMAPの中で、唯一好きな曲だなあと思った。これは、すでに書いた。 あれからボクたちは 何かを信じてこれたかなぁ.... 上のフレーズを聴きながら、ああ、あの頃のボクは、「この先どうなるか」など悩むどころか、考えたこともなかった。 もうすぐ今年も終わる。 クリスマスが終ると、大掃除やしめ飾りや、年賀状を書くなどしていると、あっという間に大晦日になる。 昨日も一昨日も最高気温は、15度とか18度だったが、今日は6度だから寒い。 数日前の深夜2時ちょっと前に、夜空に小さく、うすぼんやりと浮かんだ金平糖のような星を1つだけ見つけ、50年以上昔になった串亭の鍋の味を思い出した。
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by nonoyamasadao
| 2025-12-26 12:41
| 雑文
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夜空ノムコウ もうすぐ12月だから、世間の人はみなあわただしくなっている。ボクはヒマだ。 毎日何をしているかというと、ときどき掃除、ときどき洗濯、たまに銀行や郵便局に行く。 あとは、Facebookで2、3行呟いたり、月に1度だけブログを書く。 他には、新聞の一面の見出しをチラ見する。 たとえば、昨日なら「柏崎刈羽原発再稼働」とか、今日なら「G20で、日中首相会話せず」のヘッダーだけを見る。 ヒマな余った時間に何をするかといえば、You Tubeでボクシングや野球の話題を聞き流したり、晩ご飯の後は医療ドラマをイッキ見している。 若い頃は、どんなに仕事が忙しくても、家にいるときは小説などの読書をしていた。 好きなことだから易々とやっていたのだが、今や、それも面倒になってきた。 イカンなあ、イカンですよ。これじゃあ、頭が空っぽになってしまう。 まあ、三大欲求の食欲だけは旺盛だ。 だから毎日、スーパー(正しくはGMSの食料品売り場)に買い出しに出掛ける。 スーパーは元勤務先の真向かいだから、その時だけ現役感がよぎることがある。 スーパーでは、一昨日はホワイトクリスマスが流れ、昨日はイーストルメンタルのラストクリマスが流れていた。 ちょっと前までは、”クリスマスが来るなあ、何かいいことがあるといいなあ”と、実はなんもないのだが、ちょっとだけ華やいだキブンになった。 今の楽しみは、1年のうちで、12月だけは、通常月の酒量の1.5倍飲めることだ。 なんとかならぬものかと思うけれど、とりあえず健康であるし、歩けるし、マンネリな毎日が不快ではなく、むしろ、ゆるやかに、ゆったり暮らせるから”まっ、いっか”と思うことにしている。 昨日の寝しな、雲のない夜空に、いくつもの星が散らばっていた。一昨日もそうだった。 SMAPのヒット曲の中に、唯一、ボクが好きな「夜空ノムコウ」がある。 「あれから ぼくたちは」という歌い出しの曲だ。 冬っぽい風の匂いが流れてきて、ボクはたぶん、シアワセなのかなぁ...と思った。
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by nonoyamasadao
| 2025-11-24 15:47
| 雑文
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もう少ししたら... 10月の下旬になって、やっと秋である。 気候は急勾配の坂道のようだから、もう少ししたら”秋も本番です”になるだろう。 自宅前の疎水の河岸には、淡紅色のふようが咲き、ムラサキシキブも紫の小さな球形の実をつける。もっとも、全体が10ある実だとすれば、3くらいが実をつけている感じだ。 買い物帰りにゆっくりと歩いていたら、キンモクセイの花の匂いが、ほのかに漂っていた。 もう少しすれば、隣のお屋敷の境栽のキンモクセイがだいだい色の灯りをともすはずだ。 キンモクセイのお楽しみは1週間くらいだから、あと何回楽しめるかも怪しくなっているので、今年は大切に味わいたい。 秋の午後の日ざしは明るく、見上げれば、青空が広がっている。もう少ししたら、陽が暮れる。 今月になって、もう何回も食したが、おでんや秋刀魚がもっとおいしくなるなるはずだ。 離れているし、建物が邪魔しているので見えないけれど、路面電車の5分間隔くらい時間をおいて走る音が聞こえる。 こういう時、なぜかわからないが幸せを感じて、地方都市に移り住んでよかったなあと実感する。 帰宅したら、スティックのインスタント緑茶ではなく、久しぶりに丁寧に緑茶を淹れよう。 そして、これも久しぶりの読書をするのだ。 老母が元気な頃は、いちにち本を読んでいた。 遠い遠い昔の子供の頃は、本を読んだことなどなかった。それよりも面白ことが、原っぱに行くと、山ほどあった。 読書をしたのは、中学校に入ってからだ。 手がつけられない乱暴者の悪ガキから、ちょっとだけだけれど勉強をし始めると、内向的な性格に変わった。 中学生にして、人間ってかわるものだなぁと実感した。 来月の初旬には、守谷へ墓参に行く。 久しぶりに友人と飲み、昔、勤務していた会社近くの紀尾井町に一泊する。 いつもは墓参だけだけれど、人任せにしていた掃苔もきちんとしなければいけないな。 最近は不思議なことに、若い頃よりもコーヒーが増えた。というより、コーヒー中毒に近い。その分、日本茶はかなり減った。 ちょっと前までは、日本茶をすすり、部屋でじっと本を読んでいると、孤独を感じた。でも、それも楽しみだった。 今風のオシャレなカフェに本がたくさん置いてあるような雰囲気の本屋さんは、どうも落ち着かない。あまり得意じゃない。 ふと思ったのだけれど、後期高齢者の独居老人になってから、つねに孤独だから、本を読まなくなったのかもしれない。 でもね、人から見たら、暗く地味な老境かもしれないけれど、もともとくすんだ青春だったし、これはこれで、悪くないなと思っている。 まあ、それって、今現在、健康だから言えることなんだろうけれど...。
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by nonoyamasadao
| 2025-10-30 15:05
| 雑文
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孤独を楽しむ 一昨日は、朝ご飯を作って、ずっとYou Tubeを観て、買い物に行って、晩御飯を食べて、U-NEXTを観ていたら、深夜になった。 深夜2時近く、ベランダから夜空を眺めると星も月も出ていない。虫の音が聞こえて、暑さもあまり感じなくなった。そのままぐっすりと寝た。 翌朝、快適に目覚めた。快眠だ。 だが、待て!。昨日は、集合住宅の住民と挨拶したのとスーパーのお姉さんと会話しただけだった。 古希過ぎての孤独は、早死につながるという。まあ、古希過ぎたら、早死はヘンだが、体や精神にはよくない。 だから、昨日は少し本気を出して、家事にいそしんだ。 徹底的に、リビングとキッチンの掃除をした。 ついでにバスルームもたまには本気を出さねば...ということで、排水口や排水トラップ迄も徹底的にお掃除した。 いやあ。疲れた。 腰に疲労を感じたのは、生まれてはじめてかもしれない。 髪が女の命なら、腰は男の魂である。 しかし、独居老人の孤独は、たしかに体にはよくないだろうなと思う。 尾崎放哉に「咳をしても一人」という句がある。山頭火と間違える人もいるが、尾崎放哉である。 尾崎センセイは、一高=東大だから、今風に言えば、筑駒(もしくは灘高)=東大の秀才である。 その気になれば、日銀総裁にだってなれる。って、なりたくないか。 「咳をしても一人」は一般的には、離婚、放蕩の果てに、肋膜を患った放哉センセイの”言葉を失うくらいの孤独”をよんだ俳句だと言われる。 たしかに誰もいない、ひっそりしたした部屋で、ゲホッとかコホンとか咳をしても、壁に囲まれた空間の中でうつろに響くだけだ。 心配してくれる人なんていない、深い孤独も感じる。 だったら、ボクも咳こそしないけれど、”独り言を言っても一人”である。 尾崎放哉の俳句は、自由気儘で、読みやすくて好きだ。 山頭火との比較はあまり意味ないと思うけれど、ボクは尾崎放哉センセイの方が好きだ。 たとえば、「墓のうらに廻る」は、守谷のお墓ではしないけれど、その前の茨城大学近くの水戸市公園墓地のころには、よくお墓の裏にまわった。 俳句の解釈は、お参りする墓がわからなくて、そうするという考え方もあるようだが、ボクは出雲大社でも、拝殿で参拝するだけでなく、本殿の裏手の砂利道を歩いた。 出雲大社の裏手は、よくパワースポットといわれるけれど、癒されるというよりも、怨念のような強烈なエネルギーを感じて、怖くなった。 怖くなったのは、中学生の頃、東大寺の大仏殿の建物が巨大すぎて、覆いかぶさるようで、圧倒されて以来だ。 けれど、放哉センセイの「木犀に人を思ひて徘徊す」は、毎年、秋になって、キンモクセイの匂いが漂う頃によく思い出す。 「こんなよい月を一人見て寝る」は、秋の夜は、寝る前に必ずそうする。毎年そうだ。 人はそれを孤独と言うかもしれないし、実際、そうなんだろう。 ボクは、残りの人生はずっーとそうなんだろうなと思っている。負け惜しみではないけれど、きれいな月を独り占めしているという図太さも身についたみたいだ。 一番好きな俳句は、「障子あけて置く海も暮れきる」かもしれない。 パァっと障子を開け放った先に、暮れ方の海が広がる。それに憧れて、天草の下田温泉あたりに終の棲家を考えたこともある。いや、今でもその気がなくはない。 遠い遠い昔、学生の頃にケメルマンの「九マイルは遠すぎる」と言う短編ミステリの傑作を読んだ。 「9マイルは遠すぎる。...雨が降ったらなおさらだ」という言葉遊びとおなじような感覚を、尾崎放哉には感じる。 そういえば、「竹の葉さやさや人恋しくて居る」も好きだけど、たぶん、竹秋のころだろうから、季節外れでしょうね。
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by nonoyamasadao
| 2025-09-28 13:17
| 雑文
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暑い 今年の夏は、比類なく暑い。それも毎日暑い。 今日も暑い。 昔なら、よく涼みに喫茶店に出掛けた。 近くにスタバがあるが、室内は若い人ばかりで、こっ恥ずかしいので、オープンカフェになる。しかも周囲はコンクリートだから、屋根はあっても、よけい暑い。 だから行かない。 遠い昔の学生の頃、今の季節は喫茶店で、コーヒーを飲んで、映画やミステリの話をして、半日過ごした。 そうだ。そういえば、最近、ほとんど本物のコーヒーを飲んでいない。 映画も観ないし、ミステリも読んでいない。 酒を飲み、ドラマをサブスクで一気見するだけだ。 昔、映画館や自分の部屋で、映画やミステリにいそしむときは一人きりになり、少し孤独を楽しんだ。 今や、一年中、お1人様だから、映画や読書が楽しみではなくなったのかもしれない。 昨日も暑かった。 夕ご飯のために買い物に行く。毎日、買い物に行くから、あまり新鮮味はない。 元の勤務先の向いのGMSの食料品コーナーか、近くのこじんまりした最後の良心的なスーパーしか行かない。 まあ、徒歩で3000歩か、4000歩くらいの運動にはなっているが、さすがにマンネリだ。 でも、あんまり暑いから、近いのはありがたい。 一昨日も暑かった。 最高気温は、35度を超えていた。暑い時は、やな事を思い出すと、体から熱を奪うという説がある。 それで、高畑勲監督のジブリの『火垂るの墓』を、久しぶりに観る。 2度めだ。野坂昭如さんの原作も読んでいたが、アニメも「うわっ」と言うくらい、つらくて深い。 2度と観るものかと思っていた。 やっぱり観たら観たで、「うわっ」と堪えるのは、初見の時と変わらなかった。 とっても良いアニメだ。 なるほど、嫌なキブンは、たしかに暑さをいっとき忘れさせてくれた。 このアニメを観ていると、地味な老後のボクも、けっこう贅沢なことをして満足してたんだなぁと思う。 ずいぶん楽しい想い出にめぐまれて、ボクは生きているんだなぁと、ちょっとだけシアワセ気分に浸る。
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by nonoyamasadao
| 2025-08-30 15:01
| 雑文
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