文学的消費生活者動向2025winter

だいたい読んだ順、逐一メモってなかったので上にいくほど記憶があいまい。

うたかたの日々,ボリス・ヴィアン,光文社

訳は野崎歓。めっちゃよかった。比喩表現が字義通りに物質化されるような世界観。

著者はウリポ界隈の人で、文学だけでなくジャズミュージシャンでもあったがそれに加えてタイヤの特許も持っているってどんだけ多才なんだよ。

私のフランス語レベルは保育園以下級なので無理だが、読めるなら原語でよんだほうがいいのかも。

貴族故でもあるが、お前らどんだけ労働を蔑視するん?これフラグやろと思っていたら案の定……という展開。

しゃべるネズミ、春樹の初期作、羊の冒険などはここから影響を受けているのか?

生殖記,朝井リョウ小学館

アンリミにて

敬体の饒舌体というのは珍しいのでは。普通饒舌体は文章を加速させるが、敬体でやると進行を遅延させる効果がある。小説なんてものは結論に至るまでの遅延行為にすぎないというひらきなおりなのかもしれない。この人の作品は読んだことがなく、桐島を映画で見ただけだがギミックを利かせるのが好きな感じ? 社会の需要にはよく応えられる達者なものかきなんだろうなという感想。なんとなく吉田修一を軽薄にしたような印象だがそれは軽蔑しすぎか。

黄色い家,川上未映子,中公新社

2日で一気に読んだ。

水商売シンママ世帯JK家出してスナック運営順調も、家事で店を失うなど不幸を経てカード詐欺共同生活にたどり着く。

川上未映子はデビュー作とその次の作品を当時読んだ。あんま話の内容は覚えていないが関西弁の饒舌体でよかった。

タイトルの黄色は風水の金運を呼び込む色、帆のガタリの発端である黄美子の黄、スナック「れもん」、そして狂気の色。補色の青は時間の経過、黄美子の墨など対照的な位置づけとして効果的に描写される。

黄美子の印象の変遷、冒頭ではネット記事で記憶に蘇ってきた恐るべき存在みたいな感じだが、それが肩透かしであったことがわかってくる。こたつぶあんを忘れていたり。

文体としてはかなやや多め、ややブロークンな語り口だが、饒舌体というほどではなくほどよく読みやすい感じ

新聞連載という媒体の制約もあってか非常に強力なページターナーでぐんぐん読めるが、読み終わってみると社会的な問題意識を含んでいるということはありつつも、優れたエンタメ作品だなという印象にとどまった。

 

続く

ニッポンの音楽番組について

増補・決定版 ニッポンの音楽 (扶桑社BOOKS文庫)

増補・決定版 ニッポンの音楽 (扶桑社BOOKS文庫)

という本を先々月くらいに読んだ。

著者も認めるようにいわゆる細野晴臣史観に基づき、歴史がつづられる。

日本語ロック論争にも当然触れる。松本隆が先導して細野、大瀧を日本語でロックをやることに納得させたという。何語であろうとロックという枠組みに乗せたらことばは変形されるだろうと。であれば我々の日常が立脚する日本語をつかうのが道理ではないか。むしろいかに日本語をディストーションをかけるかを楽しもう。多分に意訳がはいったがだいたいこんな話だった。

はっぴいえんど:日常を抽象化した日本語でやるバッファロースプリングフィールド的音楽

YMOマーティン・デニークラフトワーク化あるいは機械化、没個性化、ネタ化

音楽的な挑戦はやりつくし、解散(散会)していくが、日本において売れるのには重要なのは音楽性ではなくキャラクター性なのだという諦念があった。

YMOの振る舞い、そのアティチュードを一言でいうならば、期待に応えない、ということだと思います。……ニッポンでは、ひとたびキャラクターとしての人気が確立し、その存在の肥大化があるレヴェルを越えたなら、そのバブルがはじけるまでは、何やっても人々は悦んで受け入れてしまう、これほどアーティストにとって、つらいことがあるでしょうか。誰でもYMOになれる、ということは、その「誰でも」がたまたま自分たち三人だったということです。そうあるべきだし、事実そうなのだ、と細野は思ったことでしょう。しかしそれでも、YMOYMOで、この三人であったことは決定的な、運命的な事実なのです。P98/274

そのあとはJ-POPの誕生、渋谷系・小室系、中田ヤスタカの話になる。

ニッポン的歌番組

最近YouTubeで昔のHEY*3を眺めていることがあった。間違いなくこの番組はアーティストのキャラクター的消費を助長した一翼だろう。

番組名 放映期間 司会 前番組 概要
ミュージックステーション
1986.10-
生放送6-8組各1局
HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP
1994.10-2012.12
ゲッパチ!UNアワー ありがとやんした!?
メインゲスト2-3曲+他ゲスト3組程度1曲ずつ
うたばん
1996.10-2010.3
とんねるずのカバチ!
ゲスト3-4組各1曲

もっともバラエティ番組よりのうたばん、トークから演奏への遷移がどうなっていたか確かめようとしたがネットにはトーク部分しか動画が見当たらずわからなかった。トークとは別スタジオで他2番組がトークからの連続性があったのに対して、本人や司会の曲紹介などなしにCM明けに始まるみたいな感じも多かった気がするが記憶があやふや。いずれにせよ、演奏が従属的な部分とみなされていたのは確かだ。

HEY*3やうたばんにおけるいじりによって、キャラを与える。イコンたるアーティスト・アイドルの解釈づけを担うDTや石橋・中居はさながら神父で、我々視聴者はそれを(少なくとも当時は)疑うことなく享受する。しかし握手会制度・SNSそのほか独自フォーマットによって媒介なしに神と接続できるようになり、生き残ったのは”やる気のない”タモリだった。

姿を消したMCたちは彼らが特別悪辣だったということではなく、権力勾配構造に浸りきって適切に老いることができなかったということなのかな。

知りたいこと

・坂本教授がごっつええ感じに出た経緯

・Mステ司会を関口からタモリに移行した意図

三宅唱『旅と日々』感想

つげ義春ねじ式しか読んだことない、三宅唱は初見の人間の感想

週末夕方渋谷にて客入り1、2割

スタンダードサイズに映し出されるひと夏のボーイミーツガール的物語。私大好き河合優実さんが出ています。別れの時間が近づくかというところでこれは劇中劇だと知らされる。そこからはその作品を書いた脚本家の話になる。恩師?の死を契機になんとなく、旅に出る。冬の温泉地、予約なしゆえ、宿の当てが外れて彷徨って偏屈そうな男が営む客のない宿にたどり着く。ちょっとした冒険(犯罪)を経て少し主人公は変わっただろうか。宿の主とは無言で別れる。

旅、言葉を超えて

言葉に還元しえない人間の表情がよく撮られている。宿の主と共犯関係になり、宿に帰還し酒を飲んでいるときの主人公シムウンギョンのにやついた表情がとてもよかった。急に饒舌になってそれを主=堤真一にも指摘される。こうした時間の経過とともに(指の包帯とってみたとか、)変化する人間関係や表情が穏やかでありつつしっかりと描かれる。随時挟まれる日記による主人公の独白で日々の生活は周囲のものを名付け馴致していくことみたいなことだ、我々はあまりに言葉にとらわれすぎている(もっと違う言い方はしていたが)という。旅を通じて言語に支配され、飼いならされた日常を打破する。いや打破という言葉はこの映画のトーンに対して強すぎる、ずらす、脱臼させるくらいな感じ。

異邦性

主人公の脚本家が韓国人であるという設定も旅がもたらす日常と非日常のゆらぎをより強調する。周囲をしっかり観察しながらも遠慮がちな主人公は持ち前の性格もあるが、異邦人であることにも起因している。恩師の形見にもらったカメラを窃盗現場に置き忘れるが、これはいっとき、彼女が観察者から行動者へ立場を変えていることを示している、だからこそ宿に戻ったあと、酔っぱらうことができる。

 

とても地味だがよい映画、休日に勇んでいくというより、しごおわシミジミ向きか

入江悠『あんのこと』感想

最悪の家庭環境、シャブ中の杏。売りの客がオーバードーズ、逮捕。だがこれを契機に光を得る。 光に導かれ更生の軌道に乗ったかと思いきやそれらも外的要因によって長くは続かなかった。次々と消えていく光、それでも常夜灯は点りつづけているだろうか。

あん以外のこと

恩人二人

杏に社会的な繋がりをもたらす二人。多々羅は型破りの刑事、桐野は忠実な記者と、人間的欲動が職業倫理を優越しているか否かという点や、杏に対しても肉体的接触を伴う多々羅と親切ながらも一線を引く桐野では対照的敵である。

新たに得た絆から次々と切り離されていく杏に最後に残ったのがはやとだった。唐突に現れた彼の世話をし疑似的な母子関係を結ぶことで彼女の心は救われていた。だが母が暴力的にはやとを簒奪する。杏の母のふるまいは、はやとが杏の実子であるという誤った認識と泣き止まないからという身勝手な動機ではあるが、外形的には日本の社会常識にかなっている。ふつう朝叩き起こされて子供を突然預けられたら、行政機関などに連絡するだろう。一方杏は児童相談所といった窓口があることさえしらないだろう。

母は心根のやさしい杏を隷属的立場に置き使役し続けることができる程度に社会性と狡知をもっている。

美術・衣装

杏の愛用する薄ピンクのリュックは服装に対して不釣り合いに幼い。

シェルターハウスのカーテンを開けると光りが差し込む。薄暗い団地のゴミ部屋から比べるととても眩しい。

杏は団地にいるころ帰ると洗濯物を取り込むためか窓をあける。このときの光量はさして大きくないものの、彼女が外気を求めていることを示している。

希望を示すようだった窓だが、同時に危険性もはらんでいることが示唆される。このベランダの外縁にある柵は容易に開けることができる。

窃盗

多々羅が日記をつけろ、ドラッグを使わずに済んだ日に丸をつけろと言っていた。その帰りに日記を買いにいく。一瞬万引きをしようか逡巡するが、結局ちゃんと購入する。一方ではやとのおしめを変えている際に目に入った乳母車を盗む。これは彼が正当に得られた子ではないことを示す。

 

亡くなられた方の冥福を祈る。

文学的消費生活者動向2025summer-fall

マネーロンダリング橘玲幻冬舎

売れっ子のデビュー作。小説も書いてたのは知らなんだ。

ドロップアウト海外放浪系元エリート金融マン、香港でモグリのFPしてたら謎の美女と50億事件に巻き込まれたでござる。

オフショア金融機関を活用した資金洗浄や徴税回避策が面白い。人物描写はやや類型的、メインプロットの隙間をサブプロットで的確に埋め、興味を尽きさせない。ただしメインとサブの弁別が明確でよく言えば整理されているが、ミステリ的にはやや意外性を欠くかもしれない。

セミコロン,セシリア・ワトソン,萩澤大輝、倉林秀男訳

やっかいな約物に関するあれこれ。セミコロンは15世紀末イタリアのフマニストの書物が初出とされている(セミコロンに似た形状をしたものにqueの略記号がある)。英文法書戦争についても記されている;しばしばそれは商業的意図の見え隠れするものだった。法律上の問題や文学上の事例なども取り上げる。英語で読んだことないから知らなかったけど白鯨には4000回以上使われているらしい。ほかにヘンリー/ウィリアム・ジェームズ兄弟のことなど。

標準的記法の規範性はコミュニケーションの便宜を図る面はあるが、同時に差別的視座や排他性をはらんでいる。

人間がいなくなった後の自然,カル・フリン,木高恵子訳,草思社

学術的なものかと思って読み始めたが、紀行エッセイだった。人工/自然という二分法でものごとが語られることが多いが、人工的なものは自然に内包されているわけでこの二分法自体が人間中心的な偏見に基づくのではないか。そのような事例が12例示される。スコットランドのウエストロージアンファイブシスターズ、キプロス北キプロス間の緩衝地帯、エストニア ハリュ、チェルノービリ、デトロイト、パターソン、スタテンアイランド アーサー・キル、ヴェルダン ゾーンルージュ、タンザニア アマニ、スコットランド スウォナ島、モンセラト プリマス、カリフォルニア ソルトン湖。

人間が引き起こした事態を契機として人間を含む生物が去る。そうして生まれた空白には優越的捕食者も存在せず、時間をかけることで希少な種が栄えることがある。

何をもって外来種とみなすのか、そこには一定の価値判断が伴う。

「好き」を言語化する技術,三宅香帆,ディスカバリートゥエンティワン

流行りの人、キンドルアンリミにあったから読んでみた。軽く書いた本って感じ、文芸批評とかを読んだほうがおもしろいかも。

貧困と脳,鈴木大介幻冬舎

やくざものなどルポを書いてきた著者が脳梗塞になって体感した貧困に至るものたちのリアルを語る。医学的見地にもとづくものではないことのお断りあり

 

ダニエル・ソカッチ『イスラエル 人類史上最もやっかいな問題』感想

例によってKindle Unlimitedにて

著者はアメリカ国籍のリベラルなユダヤ人でイスラエル居住歴あり、NGOニューイスラエルファウンドを運営している。

本書はこれまで(2023年頃)の歴史の振り返る1部と、アメリカのユダヤ人コミュニティとイスラエルの微妙な関係性など各種トピックを参照する2部という構成。

今となってはガザ占領に進まんとするイスラエルだが、過去にはオスロ合意など和平=二国家解決に至る筋道が見えたこともあった。建国時の首相ダビド・ベン=グリオンが賢しくも認識していたように(ベン・グリオンの三角形)イスラエルはその国是と設立経緯に根源的な自己矛盾を抱えており、それがトラウマを形成している。強力な磁場をなすシオニズムの物語はたくさんの人間を引き寄せ、寛解への道を困難にする。それでもイツハク・ラビンは忌み嫌うアラファトと握手をした。しかしその試みは暗殺によって力つき、イスラエルは自己抑圧を強め、トラウマは強化される。またアラファトの死後パレスチナ側の権力がファタハからハマスへ移行したことも事態を難しくしている。

かつて偉大な仲介者であったアメリカのまともな行動を期待できないなか、解決の道はあるのだろうか。だがイスラエル人と言っても多様な人々が包含されていることを忘れてはいけない(ウィキによると無神論者だという)。ハダシュ党首アイマン・オデーのような人がいる。彼はアラブ系イスラエル人である。こうした双方の属性を持つ越境可能な人物を少なくともわれわれは忘れてはいけない。

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河合優実は言った「世界が良くなること。それしかないです」と

朝会社に行くと私は腰を屈めてPCの電源を入れて、ニュースサイトを開く。

彼女は世界をよくする仕事をしたいと言っていた。身じろぎもせず言った。ごくごくフラットに真剣な眼差しをもって言った。臆することなく(たぶん)。

懐疑主義の悪魔は囁く、より良い世界とは何か、良いとは誰が審級したものなのかと。彼女は決して無知なのではない。おそらくそうした眼差しを浴びたこともあるだろう。それでも、なお世界を良くすることと正面向いて言える。

そのような姿勢を私は愛し、かつ羨望する。