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サッカーの歴史や人物について

クラウディア・カルディナーレさん死去

 

イタリアの巨匠に愛された名女優

セクシーな容貌や庶民的なキャラクターで1960年代に人気を博したイタリアの女優、クラウディア・カルディナーレさんが、仏パリ郊外・ヌムールで死去したことが、イタリアメディアなどで伝えられた。没年87歳。

カルディナーレさんは1938年チュニジア(当時、フランス保護領)生まれ。19歳の時に美人コンテストで優勝したのをきっかけに、イタリアに移って映画界入りする。

59年、ピエトロ・ジェルミ監督『刑事』で重要な役を演じると、60年には巨匠ルキノ・ヴィスコンティ監督の『若者のすべて』に出演。翌61年には『鞄を持った女』で主演を果たし、一気に注目を集めた。

62年、ヴィスコンティと並ぶイタリアの巨匠フェデリコ・フェリーニ監督『8 2/1』に出演。同年には『山猫』(ヴィスコンティ監督)、『ピンクの豹』『ブーベの恋人』と、話題作に次々と出演を果たし、国際的に知られるトップ女優となる。

その庶民的なエロチズムは観客を魅了し、フランスのブリジッド。バルドー(BB)、アメリカのマリリン・モンロー(MM)と並ぶセックス・シンボルとして、「CC」の愛称で親しまれた。

晩年になっても精力的に俳優活動を続け、2022年の『許しの島』が遺作となっている。

 

 

ロバート・レッドフォードさん 死去

 

ハリウッドを代表する二枚目スター

明日に向かって撃て!』『スティング』などの映画で知られる米俳優、ロバート・レッドフォードさんが16日の早朝に亡くなったことが、現地メディアから伝えられた。

具体的な死因は発表されていないが、ユタ州の自宅で睡眠中に息を引き取ったという。没年89歳。

レッドフォードさんは、70~80年代ハリウッドを代表する二枚目スターとして活躍。また監督としてもアカデミー賞に輝くなど、映画界に大きな実績を残した。

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米映画監督 ロバート・ベントンさん死去

 

俳優の演出家

「クレイマー・クレイマー」「プレイス・イン・ザ・ハート」などで知られるアメリカの映画監督で脚本家のロバート・ベントンさんが、5月11日にマンハッタンの自宅で死去したことが代理人から伝えられた。没年92歳。

1932年9月29日、テキサス州ワクサハチー生まれ。テキサス州立大学卒業後、画家を目指してニューヨークのコロンビア大学で学び、「エクスワイヤー」誌のアシスタント・アート・ディレクターの職に就いた。

やがてイラストレーター兼ライターに昇進し、編集者を務めているときにライター・エディーターのデヴィッド・ニューマンと知り合う。

気が合った二人は一緒に映画の脚本を書き始め、そのうちの1つである『ボニーとクライド』がウォーレン・ベイテイに気にいられれ、67年に『俺たちに明日はない』(アーサー・ペン監督)が公開。同作品はアメリカンニューシネマを代表する傑作となり、ベントンたちはたちまち花形ライターとして脚光を浴びた。

その後もニューマンと共同で『大脱獄』(70年)『おかしなおかしな大追跡』(72年)『スーパーマン』(78年)などの脚本を執筆。72年にはニューマンと共同脚本の『夕陽の郡盗』で映画監督デビューを果たす。

79年には単独で脚本と監督を担当した、『クレイマー・クレイマー』が米アカデミー賞の作品賞・脚本賞を受賞。一躍その名声を高めた。

84年には『プレイス・イン・ザ・ハート』で2度目のアカデミー賞脚本賞に輝き、その後も『ノーバディーズ・フール』(94年)『白いカラス』(03年)などの佳作を発表している。

ベントン監督は「俳優の演出家」としても知られ、彼の作品で8名の俳優がアカデミー賞にノミネートされ、そのうち3人がオスカーに輝いている。それでもハリウッドでは控えめな監督として知られ、「大スターをどうやって演出したのか」と質問された際には、「彼らを邪魔しないようにした」と答えたという。

篠田正浩監督 死去

 

松竹ヌーベルバーグの旗手から名匠へ

心中天網島』『瀬戸内少年野球団』『少年時代』などの名作で知られる映画監督の篠田正浩さんが、25日に東京都内の病院で死去した。死因は肺炎、94歳だった。

篠田さんは1931年生まれの岐阜県岐阜市出身。早稲田大学時代には、箱根駅伝に選手として出場した経歴を持つ。

53年に松竹へ入社し、小津安二郎渋谷実らのもとで助監督を務めた後、60年に『恋の片道切符』で監督デビュー。岩下志麻を起用した2作目、『乾いた湖』で高評価を受け、同世代の大島渚吉田喜重とともに「松竹ヌーベルバーグ」の旗手として注目を集める。

66年には松竹を退社し、翌年に独立プロダクション「表現社」を設立。同年3月に結婚した岩下志麻とともに、映画作りをスタートさせた。

69年の『心中天網島』では、キネマ旬報ベストテンの日本映画第1位、毎日映画コンクール大賞など国内各賞を受賞。その後も『沈黙 SILENSE』(71年)『はなれ瞽女おりん』(77年)『瀬戸内少年野球団』(84年)『鑓の権三』(86年)『少年時代』(90年)といった話題作・注目作を世に送り出し、名匠と呼ばれる。

03年に念願だった『スパイ・ゾルゲ』を発表すると、「もう撮りたいものもなくなった」と引退を表明。その後は母校である早大の特命教授を勤めるなど、後進の指導にあたっていた。

21年4月にはパーキソン病を患っていることを公表。晩年は妻・岩下志麻による献身的な看護を受けていたという。

オスカー俳優 ジーン・ハックマンさん死去

 

自宅で夫婦ともに死亡

オスカー俳優のジーン・ハックマンさんが26日、ニューメキシコ州サンタフェの自宅で亡くなったことが、アメリカのメディアから伝えられた。没年95歳。

報道によると、ハックマンさんは隣人の通報を受けた警察官に死亡した状態で発見されたとのこと。また自宅では再婚相手の日系人ピアニスト、ベッツィー・アラカワさんと、愛犬1匹も一緒に亡くなっていた。夫婦の遺体の状況により、発見時からすでに数日間が経っていたものと推測されている。

それぞれ目立った外傷や部屋が荒らされた形跡などなく、警察は事件性がないものとみているが、これから死因を詳しく調べて事故、事件、自殺、自然死とあらゆる可能性を見据えながら捜査を進めていくという。

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デイヴィッド・リンチ監督 死去

 

「カルト映画の帝王」

映画『エレファント・マン』『ブルー・ベルベット』、TVドラマシリーズ『ツイン・ピークス』などの作品で知られる監督・制作者のデイヴィッド・リンチさんが、1月15日に亡くなったことが家族のSNSより伝えられた。

死因は明らかにされていないが、昨年に長年の喫煙による肺気腫を患っていると公表。酸素吸入なしでは歩けない状態だったという。78歳没。

リンチ監督は異形なものや不気味な世界観を扱った独特の作風で知られ、「カルトの帝王」「シュールレアリズムの巨匠」とも呼ばれた。

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《サッカー人物伝》ジェルジ・シャーロシ(ハンガリー)

 

ハンガリーの英雄」

積極果敢なドリブルとエレガントな身のこなしで観客を魅了し、高い得点力でゴールを量産した1930年代の名選手。優れたリーダーシップで攻撃から守備までこなし、チームに多くの栄冠をもたらした。その威名を欧州に轟かせ、「ハンガリーの英雄」と呼ばれたのが、ジェルジ・シャーロシ( György Sárosi )だ。

 

ハンガリーの名門フェレンツヴァロッシュTCで選手のキャリアを貫き、チームの大黒柱として5度のリーグ優勝と4度の国内カップ制覇に大きく貢献。37年には国際大会ミトローパ・カップ優勝の立役者となり、クラブに不滅の伝説を残した。

 

ハンガリー代表には18歳で初選出。37年の中央ヨーロッパカップでは、強豪チェコスロバキアを相手に1人7得点を叩き出すという離れ業を演じ、世界を驚嘆させた。38年フランスW杯では代表キャプテンとしてチームを率い、5得点を挙げてハンガリーを大会準優勝に導く。

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アラン・ドロンさん死去

 

映画界を代表する二枚目俳優

太陽がいっぱい』『山猫』『冒険者たち』などの作品で知られ、映画界を代表する二枚目として60~70年代に大人気を博したフランスの俳優、アラン・ドロンさんが仏中部にあるロワレ県ドゥシーの自宅で、18日に亡くなったことが欧州のメディアから伝えられた。

詳しい死因は公表されていないが、2019年には脳出血による手術を受け、長く療養生活を送っていたという。没年88歳。

最期を看とった親族からは「3人の孫、家族に囲まれて安らかに亡くなった」との声明が寄せられている。

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米女優 ジーナ・ローランズさん死去

 

夫カサヴェテスとの名コンビ

映画『こわれゆく女』『グロリア』などの作品で知られるアメリカ女優のジーナ・ローランズさんが、14日にカルフォルニアの自宅で亡くなったことが米メディアから伝えられた。

今年6月には家族からアルツハイマー病を患っていることが公表されており、その合併症が死因となった。没年94歳。

ジーナさんは1930年生まれのウィスコンシン州マディソン郡出身。銀行家で州議会議員の父と、女優だった母のもとで兄のデヴィッドと共に育つ。

その後一家は、父の仕事に伴いワシントンDCやウィスコンシン州ミネソタポリスなどで生活。ジーナは47年から50年までウィスコンシン大学に通っていたが、すでにその頃から彼女の美貌は際立っていたという。

卒業後はニューヨークに向かい、演劇学校で演技を履修。ここで生涯のパートナーとなるジョン・カサヴェテスに出会い、二人は54年に結婚する。

50年代初頭は舞台やテレビドラマで俳優活動を行ない、58年の『The High Cost of Loving』で映画デビュー。59年には夫カサヴェテスの初監督作となる『アメリカの影』に端役出演する。

このあと夫婦はいくつもの作品でコンビを組み、74年の『こわれゆく女』ではアカデミー賞の監督賞と主演女優賞にノミネート。残念ながらオスカーを逃すも、ジーナはゴールデングローブ賞の主演女優賞を受賞した。77年には同じくカサヴェテスが監督を務めた『オープニング・ナイト』でベルリン国際映画祭銀熊賞・主演女優賞に輝く。

80年の『グロリア』ではマフィアに立ち向かう女性を熱演。ジーナは2度目となるアカデミー賞の主演女優賞にノミネートされ、この映画は夫婦の代表作となった。

89年に夫カサヴェテスと死別。その後もジーナは俳優活動を続け、2004年には長男ニックが監督を務める『きみに読む物語』に出演。アルツハイマーで記憶をなくしたヒロインの晩年を演じた。

07年には次男のゾエが監督を務める『ブロークン・イングリッシュ』に出演し、15年にはアカデミー賞の名誉賞を受賞。同年の『Six Dance Lessons in Six Weeks』を最後に俳優業を引退することが発表されていた。

 

《サッカー人物伝》フランク・ランパード(イングランド)

 

「異能のミッドフィルダー

恵まれた体格と豊富な運動量で守備を支え、狙い澄ましたロングパスでチャンスを創出。さらに左右の足から強烈なシュートを放ち、多くの得点を生み出したハイブリッド型MF。そのオールラウンドな能力でパーフェクトな選手と評されたのが、フランク・ランパード( Frank James Lampard Jr. )だ。

 

ウェストハムで頭角を現すと、01年には同じロンドンのチェルシーへ移籍。石油王アブラモビッチのもとでビッグクラブ化を進めるチームの中心選手となり、04-05シーズンのプレミアリーグ初制覇に大きく貢献。FWA年間最優秀選手賞に輝き、モウリーニョ監督から「世界最高の選手」と称賛された。

 

イングランド代表では3度のW杯と2度のユーロ大会に出場。06年ドイツW杯では、ベッカム、ジェラード、ジョー・コールと豪華な中盤を組んでベスト8進出。10年W杯南ア大会のドイツ戦では、ランパードのゴールが誤審で認められないという不運に見舞われ、惜しくもベスト16敗退となった。

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