歌劇「タンホイザー」その2

今回はヴェーヌスの旋律からと書いたが、その前に重要なことを一つ。

https://www.youtube.com/watch?v=KvZPY1-cAWA&t=7744s

今回もこの動画を参考にして書きます。

旋律の説明をするときに文字で記すのは難しいので、上記のリンクの2:52の場所の旋律が・・・というような説明だと明確になるので、以下はそのように記していく。

 

 前回の記事の「3:異様な和音」の箇所が分かりづらかった。これはリンク動画の1:57~2:02の間の旋律のことを指す。この旋律がヴェーヌスのものだと示す証拠は6:05からの数秒の旋律と聞き比べてもらいたい。巡礼の旋律の間にわずかにヴェーヌスの旋律がひっそりと指し込まれているわけだ。そしてその直後の2:04から拡張高く金管楽器が奏でられるが、その後ろで弦楽器が絶え間なく3連符を繰り返し弾いているのが確認できる。3連符は前回に描いたように情念・呪い・官能などの理性ではない感情を表す象徴として用いられている。

 

 さてヴェーヌスの旋律に移ろう。4:52~6:29まで妖しげな半音階によるヴェーヌスの旋律が続く。注目すべきは6:26にまたも3連符が入ること。ヴェーヌスの旋律は基本的には官能であり、のちにも書くが3連符はかなりヴェーヌスを象徴している気がする。

 さてこの3連符のあとに上昇する旋律を通じて6:32からはタンホイザーのヴェーヌスをたたえる歌のメロディが流れる。第一幕において、タンホイザーはヴェーヌスを讃える歌を3回繰り返す。歌詞は以下の通り。

 

1回目

Die toene Lob!

あなたを讃えましょう!

Die Wunder sei'n ge priesen,

愛の魔法を讃えましょう!

die deine Macht mir Gluecklichem erschuf!

私を幸福にしたあなたの愛の力を!

Die Wonnen suess, die deiner Huld entspriessen,

甘美な歓びが、あなたの恩寵から芽吹き

erhab' mein Lied in lautem Jubelruf!

私の歌を高め、喜びの賛歌を歌わせるのです!

nach Freude, ach! nach herrlichem Genisessen

ああ!歓喜を、快楽を

verlangt' mein Herz, es duerstete mein Sinn:

わが心は求め渇望しました…

da, was nur Goettern einstens du erwiesen,

かつて神々にのみ与えられたものを

gab deine Gunst mir Sterblichem dahin.-

わが求めに応じて、死すべき私に与えてくださった。

 

2回目

Dank deiner Huld! Gepriesen sei dein Lieben!

ご寵愛はうれしいのです!あなたの愛を讃えます!

Begluecket fuer immer, wer bei dir geweilt!

あなたとともにいる者は、永遠の幸せを得るのです!

Ewig beneidet, wer mit warmen Trieben in deinen Armen Goetterglut geteilt!

熱い欲望を心に抱き、あなたの腕にくるまれて、神々の炎に触れた者は、

永遠に皆からの羨望を受けるでしょう!

Entzueckend sind die Wunder deines Reiches,

あなたの国の素晴らしい奇跡を

den Zauber aller Wonnen atm' ich hier;

あらゆる喜びの魔法を私はここで吸いこんでいる…

kein Land der weiten Erde bietet Gleiches,

広い地上のどこを探してもこの国に比肩できる国はない。

was sie besitzt, scheint leicht entberhrlich dir.

地上など、あなたにとっては無価値に等しいもの。

 

3回目

Stets soll nur dir, nur dir mein Lied ertoenen!

あなただけ…私が歌いかけるのはあなただけです。

Gesungen laut sei jetzt dein Preis von mir!

あなたの賛歌を高らかに歌いましょう!

Dein suesser Reiz ist Quelle alles Schoenen,

あなたの甘美な魅力は、あらゆる美のみなもと。

und jedes holde Wunder stammt von dir.

優しい奇跡は全てあなたから湧き出す。

Die Glut, die du mir in das Herz gegossen,

私の心に注ぎ込まれた愛の灼熱よ。

als Flamme lodre hell sie dir allein!

あなただけのために赤い炎となって燃えよ!

Ja, gegen alle Welt will unverdrossen

そうだ、私は全世界を敵にしてもひるまず

fortan ich nun dein kuehner Streiter sein.-

これから私はあなたの勇敢な戦士になります。

 

 この3回の歌はその直後にdoch(しかし)と続き、ヴェーヌスベルクを去るべき本音を歌うことになります。重要なのはどちらもタンホイザーの本音です。かつてタンホイザーはこの3回の歌のように本当にヴェーヌスを渇望し身を焼かれた。そして今はそれに倦んでヴェーヌスベルクを出ようとしている。これも本音である。つまりタンホイザーという人を通じてワーグナーがいいたいことは、男(または人間)は同じ環境がずっと続くことは如何なるものでも「飽きる」ということ。タンホイザーなる人間は、さまよえるオランダ人のように、同じ場所にずっと居続けることができない呪われた宿命を負っているという人間観をワーグナーは持っているのだろう。

 この3回繰り返す歌の歌詞で重要な点は以下の通り。

1:Die Wonnen suess, die deiner Huld entspriessen,

甘美な歓びが、あなたの恩寵から芽吹き

ここでentspriessenとは芽吹くということ。ここから連想されるのは、オペラのラストで教皇の杖から芽が吹くということ。Huld(恩寵)から芽吹く。ラストのまんまです。ただし対象がここではヴェーヌスであり、ラストの場合はエリザベート(または神)であるのが違いです。なんとも考えさせられる歌詞です。

2:nach Freude, ach! nach herrlichem Genisessen

ああ!歓喜を、快楽を

nachが2回続けて歌われています。nachはFreudeやGeniessenという対象に「向かう」という意味の言葉で、英語でいえばforとかtoにあたる言葉です。渇望を表しています。このnachの繰り返しを覚えておいてもらいたい。

ヴェーヌスを讃える歌が3回続き、そしてそのあとそれぞれdoch(しかし)が続き、24:13からは以下の歌詞がタンホイザーによって歌われる。

nach unseres Himmels klarem Blau,

人の世の澄み切った青空を。

nach unserem frischen Gruen der Au,

あのさわやかな緑の野原を。

nach unserer Voeglein liebem Sange,

あの小鳥の愛らしい歌声を。

nach unsrer Glocken trautem Klange:-

心にしみわたる鐘の音を。

そしてその歌詞を締めるがごとく、タンホイザー

Aus deinem Reiche muss ich fliehn,-

だからこそ、あなたの国を去らねばなりません…

 

となる。nachがここでは嫌というほど繰り返されるわけである。

ここでのnachの対象は全てヴェーヌスベルクにはないものである。

ヴェーヌスベルクで受けた恩恵のnachと、ヴェーヌスベルクには無く地上にしかしないnachをこういう歌詞の形で対比させているわけだ。nachが向かう対象はまさに渇望である。

 つまり、タンホイザー(または人間)の渇望は同じ場所に留まることはなく、つぎつぎと移り変わっていく、俗な言い方をすれば飽きるわけです。後の第三幕で、タンホイザーローマ教皇へ懺悔の告白のシーンで、彼は「どんなに贖罪の悔い改める心を抱いて巡礼しても、私の渇望は消えない」と言った。ワーグナーは、人にとって渇望とはそういうものだ、と言ってるのかもしれない。

 

3:Dein suesser Reiz ist Quelle alles Schoenen,

あなたの甘美な魅力は、あらゆる美のみなもと。

Quelleは源という意味や泉という意味もあり、やはり水はエロスや性的なものを表す。

同時に

Die Glut, die du mir in das Herz gegossen,

私の心に注ぎ込まれた愛の灼熱よ。

als Flamme lodre hell sie dir allein!

あなただけのために赤い炎となって燃えよ!

 

灼熱、炎なども、渇望や欲求をあらわすメタファとなっている。

 

さて、序曲に戻ろう。

7:20から再びヴェーヌスの旋律が繰り返される。ヴェーヌスの旋律では弦楽器の震えるような、まるでおだやかな水の流れのような旋律が伴奏で流れ続ける。

7:58からの旋律は、第一幕でヴェーヌスが歌詞つきで歌っている。歌詞は以下の通り。場所は29:18から。

Geliebter, komm! Sieh dort die Grotte,

おいでなさい!愛しい人!あの洞窟をみて!

von ros'gen Dueften mild durchwallt!

やさしいバラの香りが立ち込める洞窟を!

Entzuecken boet selbst einem Gotte

陶酔は、神のような者にすら、

der suess'sten Freuden Aufenthalt:

甘美な歓喜の訪れを許すわ…

besaenftigt auf dem weichsten Pfuhle

柔らかな寝床の上で、心を静めれば、

flieh' deine Glieder jeder Schmerz,

どんな苦痛だって体から消え去ってしまう。

dein brennnend Haupt umwehe Kuehle,

熱く(燃えた)なった頭を水に冷やして、

wonnige Glut durchschwell' dein Herz.

喜びの炎に胸をふくらませなさい。

 

 とにかくヴェーヌスの旋律は渇望を満たす肉欲的なエロスである。渇望が炎だとすれば、エロスは水である。この歌詞はかなりエロい。なぜかというとヴェーヌスベルクが「洞窟」であるからだ。

 そもそもヴェーヌスベルクとは、venusberg、直訳すればヴィーナスの山→ヴィーナスの丘→恥丘である。そしてその恥丘たるヴェーヌスベルクは洞窟なのである。洞窟は長い穴であり、内部には水がたたえてある。濡れている。ハッキリとは書かないがアレである。

 そのアレを

「おいでなさい!愛しい人!あの洞窟をみて!」

「やさしいバラの香りが立ち込める洞窟を!」

「陶酔は、神のような者にすら、甘美な歓喜の訪れを許すわ…」

「柔らかな寝床の上で、心を静めれば、どんな苦痛だって体から消え去ってしまう。」

「熱く(燃えた)なった頭を水に冷やして、喜びの炎に胸をふくらませなさい。」

 

と言っているのである。もうこれは洞窟に挿入してS〇Xしているような表現に他ならない。

 

 

 序曲にもどろう。

9:20まではヴェーヌスの旋律がつづき、9:26から再びタンホイザーによるヴェーヌスを讃える旋律が流れる。ここで注目すべきは9:51から流れる旋律である。

歌詞でいえば以下の通り。

Die Glut, die du mir in das Herz gegossen,

私の心に注ぎ込まれた愛の灼熱よ。

als Flamme lodre hell sie dir allein!

あなただけのために赤い炎となって燃えよ!

Ja, gegen alle Welt will unverdrossen

そうだ、私は全世界を敵にしてもひるまず

fortan ich nun dein kuehner Streiter sein.-

これから私はあなたの勇敢な戦士になります。

 

この9:51から弦楽器によって伴奏的に奏でられ、繰り返される下降するメロディを覚えておいてほしい。これと同じ旋律が序曲のラストの巡礼のテーマ中ずっとなり続けているからだ。9:51からだと聞こえづらいかもしれないが、

タタタタタタタタタタタタ タタタタタタタタタタタタ タタタタタタタタタタタタ

と数十回繰り返される。

ラストの巡礼のテーマは11:18から。ここからほぼ序曲のラストまで

タタタタタタタタタタタタ タタタタタタタタタタタタ タタタタタタタタタタタタ

というのが聞こえる。

 

 つまりこのタタタタタタタタタタタタはタンホイザーがヴェーヌスを讃える歌の中で現れる旋律であり、それがラストの巡礼のテーマで現れるというのは、どういう解釈ができるのか?ということだ。私はこのタタタタタタタタタタタタという旋律は、タンホイザーの消えることのない渇望であると解釈している。ただし、この渇望の対象は序曲の冒頭ではヴェーヌスであったが、序曲のラストではエリザベートに変わっているということもできるだろう。そしてこの渇望の響きは、13:38から突如消え、序曲の締めには表れてはいない。つまり最後の最後にはこの渇望は消えた=救済とも解釈できる。

 このあたりの解釈は人によってさまざまな解釈を許す作りとなっているので、一元的な見方はできない。そこが芸術の面白いところである。

 

 最後に指摘しておきたいのは、10:39から鳴り響き10:51までつづく、ちょっと半狂乱的な旋律の拍は、第三幕でローマ教皇からタンホイザーがお前の呪いは永久に溶けない!と宣告された時に流れる旋律の拍とほぼ同じである。その箇所は2:51:58。

 

 語り残したことはあるが、序曲についての解説はこれで締めることにする。

次回は第一幕の重要な場所を順次解説していく。