歌劇「タンホイザー」について

 久々にタンホイザー全曲を聴く。初めて聴いたのは17歳の頃。現在50代になり改めて聴くと、恐ろしいほどこの歌劇は緻密に作られているのがわかる。それでもすべての伏線を回収できてはいない。全曲の楽譜は1万円で売られているが、買おうかどうか半ば本気で悩んでいる。

 ここから数回にかけてタンホイザーの伏線などを序曲から順に書いていくがこの記事に需要はない。面倒な画像などもUPする予定はない。読み手は少なくともタンホイザー全曲のメロディーとそれなりに歌詞をある程度原文で覚えていることが前提になる記事である。しかも内容上長文になること。

 とはいえまったく手掛かりがないとそれもマズイので、以下に参考となる動画のリンクをUPします。

https://www.youtube.com/watch?v=KvZPY1-cAWA&t=7744s

 

 残念なことは、この動画はドレスデン版であり、のちにワーグナー自身が改定を大幅に加えたパリ版ではないこと。

 

 今回は序曲について語りたい。

 ワーグナーの歌劇の序曲は、初期においては作品そのもののダイジェストである。つまりこのわずか10分程度の序曲の中に、歌劇全体のストーリーを詰め込んでいる。

1:始まりと同時に巡礼の旋律がながれる。このメロディの歌詞つきのものは、第三幕でローマから巡礼を終えた巡礼者が歌う

Beglueckt darf  nun dich, o Heimat, ich shauen

嬉しや、故郷に戻り来て

und gruessen froh deine lieblichen Auen;

懐かしの(水辺の)野を目にできるとは。

nun lass'ich ruhn den Wanderstab,

今こそ巡礼の杖を休めるとき

weil Gott getreu ich gepilgert hab'.

私は神を信じ、巡礼を果たした。

 

 ワーグナーのオペラはライトモティーフを使う。メロディは動機として使われ、繰り返される同じメロディは特定の事物、感情などが動機として組み込まれているのだ。

この序曲の冒頭の巡礼の旋律は上記した歌詞のイメージが入っている。

 この巡礼の旋律は3拍子で奏でられるが、序曲のラストにもう一度これと同じ巡礼の旋律が流れるがそれは4拍子であって同じではない。3拍子の旋律のほうが緊張感があり4拍子の(序曲ラストの)旋律はどことなく格調高く聞こえる。つまりラストの巡礼の旋律は救済であり、冒頭の3拍子の旋律は救済前である。

 したがって普通に考えれば冒頭の巡礼の旋律は、タンホイザーではない巡礼者達がローマから帰ってきたことを表しているととれるがそう単純ではない。

 歌詞をみれば分かるのだが、deine lieblichen Auenで、これは故郷の水辺の野と直訳できるが、ワーグナーの歌劇において「水」というのは性の象徴である。後に出てくる「泉」だの「ヴェーヌスベルクの海岸、水の流れ」などは性・またはエロス、消えがたい欲望などを表している。lieblichenというのは「かわいらしい」という意味だが、これは人間に対してもよくもちいられる。Mein Lieblingで、わが愛しい人(愛する人)という意味にも使われる。Auenは水辺の野である。つまりdeine lieblichen Auenというのは、暗喩的にエリザベートともとれるわけだ。となると、この冒頭の巡礼者の歌の主語は誰か?といったときに、Aタンホイザー以外の巡礼者、B巡礼者であるタンホイザー本人という2つの可能性がでてくるわけだが、ワーグナーはこれを明確にはしない。つまりどちらの可能性も取りうるという曖昧さを残している。

 さらにこの冒頭の巡礼者の旋律には3連符がついている。この歌劇における3連符というのは、のちに詳しく解説するが情念や呪いや官能などを象徴している動機である。とにかく歌劇タンホイザーでは3連符とその変形がいたるところで使われている。巡礼の旋律にもこの3連符が潜んいることに注意をする必要がある。つまり巡礼という贖罪と悔い改めの中にも、依然として情念や呪いやそして官能などが潜んでいるという示唆が序曲の冒頭に仕込まれているのである。

 

2:巡礼の旋律のあとには、苦しそうな旋律が流れる。この旋律も劇中に歌詞がついたものがある。

 それは第一幕でヴェーヌスベルクから抜け出したタンホイザーが以下のように歌う箇所である。

Ach, schwer drueckt  mich der Suenden Last,

ああ罪の重みが私の心にのしかかり

kann laenger sie nicht mehr ertragen;

もはや耐えられそうにない。

drum will ich auch nicht Ruh noch Rast

だから私は安らぎを求めず、

und waehle gern mir Mueh' und Plagen.

 

3:異様な和音 サビに移行する手前に半音階の上昇する旋律が不気味に表れる。その時間は約2~3秒ほどしかない。直後にすぐ金管楽器が鳴り始め盛り上がりをみせるのだが、重要なのはこの2~3秒の旋律の解釈だ。

 この旋律は半音階なので、理性的ではなく感情的である。ワーグナー全音階の古風な旋律を「理性」として表現し、半音階を「感情的」なものとして表現した。すなわちヴェーヌスの旋律は半音階なので感情的であり官能的でもある。ヴァルトブルクの騎士たちの歌や領主の旋律、そしてローマの旋律などは全音階の古風な旋律であり「理性」である。したがってこの刹那の異様な和音は、多分にヴェーヌス的性格を伴っているので、解釈の一つ目はヴェーヌスの動機のようなもの。解釈の2つ目は、この半音階の上昇は第2幕にあるエリザベートの祈りの動機にもやや似ている。この可能性も否定できない。

 

4:上昇する旋律で盛り上がる場所

den Herrn, dem mein Lied ertoent.

(わが悔い改めに祝福を授けた主なる神に)わが歌よ、響け。

Der Gnade Heil ist dem Buesser beschieden,

この贖罪者にも恩寵の救いが与えられた。

er geht einst ein in der Seligen Frieden!

(彼は)いずれ至福と平和の眠りにつこう!

Vor Hoeell' und Tod ist ihm nicht bang,

地獄も死も、(彼には)もうこわくない。

drum preis' ich Gott mein Lebelang.

命ある限り神よ讃えよう。

 

という歌詞に対応する旋律である。問題は「わが歌よ響け」

「この贖罪者にも恩寵があたえられた」「(彼は)いずれ至福と平和の眠りにつこう」

「地獄も死も(彼には)もう怖くない」という歌詞の中の「彼」や「この贖罪者」とういう主語は誰なのかということだ。erとかihmとかあきらかに人物をさしているわけだが、これはタンホイザー本人を指していることに疑いがない。

 ただしちょっとした矛盾があって、「この贖罪者にも恩寵があたえられた」というところで、彼はローマでは恩寵はあたえられてはいない。しかしフィナーレでは、まさに上記の歌詞通りにタンホイザーは恩寵の救いを与えられ、至福と平和の眠りにつくのである。そして地獄も死も、彼にはもう怖くないのだ。

 

長すぎるので今日はここまで。次回はヴェーヌスの動機からになる。