歌劇「タンホイザー」その4

ヴェーヌスとの言い合いの後、ついにタンホイザーはヴェーヌスを讃える歌の3回目を歌う。

https://www.youtube.com/watch?v=KvZPY1-cAWA&t=1959s

3回目(31:58)

Stets soll nur dir, nur dir mein Lied ertoenen!

あなただけ…私が歌いかけるのはあなただけです。

Gesungen laut sei jetzt dein Preis von mir!

あなたの賛歌を高らかに歌いましょう!

Dein suesser Reiz ist Quelle alles Schoenen,

あなたの甘美な魅力は、あらゆる美のみなもと。

und jedes holde Wunder stammt von dir.

優しい奇跡は全てあなたから湧き出す。

Die Glut, die du mir in das Herz gegossen,

私の心に注ぎ込まれた愛の灼熱よ。

als Flamme lodre hell sie dir allein!

あなただけのために赤い炎となって燃えよ!

Ja, gegen alle Welt will unverdrossen

そうだ、私は全世界を敵にしてもひるまず

fortan ich nun dein kuehner Streiter sein.-

これから私はあなたの勇敢な戦士になります。

 

音楽的には1~3回目は、歌詞の6行目までの旋律はほぼ同じ。3回目の7行目の歌詞である「Ja, gegen alle Welt will unverdrossen 以下」の旋律だけは1~2回目の旋律とは異なっていてしかも引き込まれる旋律です。そしてこの歌詞はこれから現実に起こることを予言しているものです。

 

その直後

bei dir kann ich nur Sklave werden; 

あなたの元では奴隷になるほかはない。

 

kann wedenは可能性を含んだ言い回しだが、nurがつくので他の可能性はなく必然的にそうなると言っている。

nach Freiheit doch verlangt es mich,

(私の内から)自由への欲求が湧き上がる

 

これはドイツ語講座にもなりますが

ich verlange nach Freiheitと

es verlangt mich nach Freiheitではニュアンスが異なる。

前者のichから始まる文は、自分の意志・理性による欲求であるが、後者のesから始まる文は、内なるものから湧き上がる感情・衝動によるものです。しかし西洋人はFreiheit(自由)という概念が好きらしい。

 

33:30

O Koenigin, Goettin! この旋律は、3回繰り返される。

Lass mich ziehn! これも3回繰り返される。

これは前述したように伏線です。

 

どういう伏線かというと、のちにも解説するがここではヴェーヌスベルクに滞在したタンホイザーが去るというシーン。しかも幸福の時は過ぎ去って、飽き飽きして倦んでいるいう場面で去るときにLass mich ziehn!(行かせてくれ)と言う。これに似てるやり取りはのちにも出てくる。そしてかつて愛したヴェーヌスをO Koenigin! と呼ぶのも伏線です。

 

さて、ヴェヌスはキレてしまいます。

hin zu den kalten Menschen flieh,
vor deren blödem, trübem Wahn;
der Freude Götter wir entflohn,
tief in der Erde wärmenden Schoß.

(34:21から)

動画での訳 

行けばいい、冷たい人間どものもとへ

そいつらの汚れた狂気を逃れて

歓びの神々である私たちは

ぬくもれる大地の懐深くに身を隠したのよ。

 

とあるが、3行目以降は誤訳だと思う。つまりder Freude Goetter wir....からの訳だ。

der Freude Goetter wir、これは歓びの神々(である)我々は、と訳しているが、

ドイツ語では文法上はこの表記をしない。der Freude Goetterとwirを一緒のものとして、またはwirを説明するものとしてder Freude Goetterと書いたと訳しているが、

中高ドイツ語(古語のようなもの)の詩的な文章において

der Freude Goetter wir entflohn tief in der Erde wärmenden Schoß.は、以下のように変換できる。

Wir entfflohen den Goettern der Freude tief in den waermenden Schoss der Erde.

 

つまりder Freudeのderは2格である。(Freudeは女性名詞)

GoetterはGottの複数形であるから、そもそもder Freude Goetterは定冠詞としておかしい。entfliehen+Dativ(3格)は「~から逃れる」という意味なので、den Gotternのdenは複数形の3格(die der den die)。

したがって、

Wir entfflohen den Goettern der Freude tief in den waermenden Schoss der Erde.

この形は正しい。そしてtief以下の文章もtief in der Erde wärmenden Schoß.ではなくてtief in den waermenden Schoss der Erde.となる。schossは男性名詞derであり、tief in+

Akksativ(4格)は「深く~の中へ」を意味する。大地の温かな胎へ(ふところ)となる。

 

訳すとこうだ。

歓喜の神々から逃れて、私たちは深く大地の温かな胎の奥深くへ降りていった。

こうなるとwir(私たち)はなんであるかが見えてくる。それは人間達と訳すのが自然であろう。「人間達は歓喜の神々(ヴェーヌスのこと)から逃れ、深く大地の温かな胎の奥深くへ降りていった」。Schossは懐・胎・子宮などのニュアンスを持つ言葉。

 

さらにentflohn 振り切って逃げ→tief in Schoss 下へ、内へ、という上から下へという空間的垂直軸の移動を示す動詞が思想を表しているともいえる。つまり神々が上位で、tief inの人間は下位。支配と被支配の構造が発言からも見える。

意訳としては

「私たちは歓喜の神々の支配から逃れ、天上ではなく、大地の温かな胎、人間の生の奥へと身を沈めたのだ。」

となる。

これはヴェーヌスがキレで、

Ich geb' dich frei,- zieh hin! zieh hin! (34:00)

自由などくれてやるわ 行けばいい!行けば!

Was du verlangst, das sei dein Los! 

あなたが望んだのだから、その報いを運命として受けなさい!

zieh hin! zie hin!

行けばいい!行けば!

Hin zu den kalten Menschen flieh,

冷たい人間のもとへ

vor deren bloedem, truebem Wahn

 

ここにも同じ中高ドイツ語の詩的な表現がつかわれていて、現代調にすると。

Flieh vor deren bloedem,truebem Wahn

hin zu den kalten Menschen

となる。つまり訳として正しいのは

「あの愚かで陰鬱な妄念に囚われている冷たい彼らの世界へ逃げるがいい」

となり、この彼らのことを話題にしたあとで、

der Freude Goetter wir entflohn tief in der Erde wärmenden Schoß.

がくるので、wirは人間達をさし、かれらは歓喜の神々から逃げ、深く大地の温かな胎の奥深くへ降りていったとなるわけです。

つまり、ヴェーヌスは皮肉というか呪った言葉をタンホイザーに吐いているわけです。お前(タンホイザー)もあの人間どもと一緒だと。

 

ところがです。この解釈をA解釈とすると、これらのヴェーヌスの歌詞からはB解釈が同時に生まれそうです。

Wir entfflohen den Goettern der Freude tief in den waermenden Schoss der Erde.

我々(人間)が、歓喜の神々(ヴェーヌスではない高貴な神をここでは想定している)を逃れ、地下深く暖かい胎の中に降りて行った。

暖かい胎の中とは、ヴェーヌスベルクのことです。なにしろSchossとは子宮や胎や懐をさす言葉であり、まさにヴィーナスの丘たるヴェーヌスベルクは直訳すると女性の性器であり、神々から逃れあたたかい子宮におりていく。と解釈することができるわけです。(B解釈)

このあとヴェーヌスはこの外には救済はない!といっている。つまりB解釈でいえば、一度ヴェーヌスベルクに堕ちた限りはもう救済はない!という、まるで第二幕で領主たちや第3幕で教皇に言われたようなことを突き付けています。

 ワーグナーの言葉選びからして、このあたりの歌詞は意図的にどちらともとれるような表現にしている。Schossなどという言葉選び、tief in der Erdeなどの表現をみれば、A解釈よりもむしろB解釈のほうが強く感じる。

 

 この直後からのヴェーヌスの歌詞(34:40)

Zieh hin,Betoerter! Suche dein Heil,

suche dein Heil- und find es nie!

 

ここから先はドレスデン版とパリ版では大きくセリフ内容にも変更があるので、ちょっと省略。だがパリ版に挿入されている新たな歌詞もあるので、ここはワーグナーの思想的な解明のためには、本当は詳しくやらなければならない箇所なのだが、手を広げ過ぎて現在手一杯である。音楽的には手直しした箇所はヴェーヌスの旋律がドレスデン版よりも美しく仕上がっているとだけ書いておこう。

 ドレスデン版ではすぐに聖母マリア様!とさけんでヴェーヌスベルクからでられるのだが、パリ版ではもうちょっと長くかかる。

 補足する点としては、ヴェーヌスがその直前に呪いをかけるシーンがあることを付言しておく。すなわち

so sei verfluchet von mir das ganze menschliche Geschlecht!(35:54)

Nach meinen Wundern sann vergebens suchet!

Die Welt sei oede, und ihr Held ein Knecht!-

ヴェーヌスはここで呪いの言葉を言いますが、これはまさに人間の性を言っているようにおもえます。あたかもヴェーヌスがこのような呪いを過去にも人類にかけたからこそ、人類はこの性からのがられないというように読めますね。

 

次回は脱出したあとから。第一幕がまだ終わってないのにその4まできてしまった。

次回からすこしスピードアップすることにしますか。

 

 

 

 

 

 

 

 

歌劇「タンホイザー」その3

第一幕 16:00あたり

Naht euch dem Strande,

この浜に来なさいよ…

Naht euch dem Lande,

この国に来なさいよ…

wo in den Armen gluehender Liebe

この国に来て、女神の燃える愛の腕に抱かれなさい!

selig Erbarmen

憐れみにあずかりなさい!

still' eure Triebe

欲望を鎮めなさい!

 

 selig Erbaemen  still' eure Triebeとはすごい表現です。Erbarmenという単語はキリスト教的文脈のいわば神の赦し・救済をさす言葉です。それがヴェーヌスベルクの中でニンフ(妖精)たちが歌っている。しかもヴェーヌスベルクの燃える愛の腕の中で欲望を鎮めなさいという。

 「神の憐れみによって欲望を鎮めなさい」という言葉と「ヴェーヌスの腕の中で、(彼女の)憐れみにあずかり、欲望を鎮めなさい」では意味が異なり、ほとんど真逆な意味です。

 

 19:30からのzu viel!に関しては過去に解説した通り、zu ihr(彼女のもとへ)に対応している。

旋律的には18:20~フルートの音が何度も挿入される。18:40まで挿入されている。

このフルートの音は、地上の美しい景色を表している。なぜなら19:42においてタンホイザーが以下のように歌う中にフルートの同じ音色が入るからである。

 

In Traum war mir's als hoerte ich-

夢になにかが聞こえました

was meinem Ohr so lange fremd!

(それは)長いあいだ私の耳にとって異質だったもの

als hoerte ich der Glocken froh Gelaeute;-

まるで晴れやかな鐘の音のようでした…

 

 鐘の音はまぎれもなく教会の鐘を指す。それが長い間私の耳には異質だったものだという。それが遠い過去なのか幼少期なのか、そういう感覚として聞こえたといっている。つまりタンホイザーは教会の教義にかつてでさえ異質に思っていたわけだ。

それが懐かしく心地よいものに聞こえるくらい、タンホイザーはヴェーヌスベルクに飽きている。

 

 この先は時間間隔が女神と人間である自分では全然違うことを歌う。

重要なのは21:00あたりで

den Halm seh' ich nichtmehr, der frisch ergruenend den neuen Sommer bringt;-

新しい夏をもたらす、瑞々しく緑に萌えるその一筋の芽(藁)も、私はもう見ない。

 

 ここです。定冠詞den Halm(一筋の葦の茎)そしてそれは「あの新しい夏をもたらす」Halmである。消えゆく鐘や一筋の葦というこの歌詞は、つまりは地上への希望がほとんど絶たれつつあるということを歌っているわけです。

 

 人間とはこういう生き物だと言っているわけです。かつて楽園だと思っていた場所。そこは快楽の園であり、時間間隔もなく、神のように不変にすごせる場所。しかし人間はそういう環境に永続的にいられるものではないと。まるでこれはエデンの園そのもののようにも思えます。

 

 過去に書いた通り、もしこの歌劇が3幕のラスト~1幕の冒頭につながっている永劫回帰的な作りをワーグナーが込めていたとしたら恐ろしい話です。3幕でエリザベートによって天に召されたタンホイザーは、(天国で)二人結ばれた。そして月日がたち、その楽園はいまや愛に飽き、変化がない天国に飽きたタンホイザーは、天国が彼にはヴェーヌスベルクのように感じ、というか結ばれたあとのエリザベートはヴェーヌスになるという話であって、そこから逃げるタンホイザーということになる。まぁこの解釈は妄想の域をでていないのですが、そうだとすると、変化がないと生きていけない人間のどうしようもない性というものを考えさせられます。

 

本日はここまで。

次回はつづきからになります。

 

 

 

 

 

 

 

 

歌劇「タンホイザー」その2

今回はヴェーヌスの旋律からと書いたが、その前に重要なことを一つ。

https://www.youtube.com/watch?v=KvZPY1-cAWA&t=7744s

今回もこの動画を参考にして書きます。

旋律の説明をするときに文字で記すのは難しいので、上記のリンクの2:52の場所の旋律が・・・というような説明だと明確になるので、以下はそのように記していく。

 

 前回の記事の「3:異様な和音」の箇所が分かりづらかった。これはリンク動画の1:57~2:02の間の旋律のことを指す。この旋律がヴェーヌスのものだと示す証拠は6:05からの数秒の旋律と聞き比べてもらいたい。巡礼の旋律の間にわずかにヴェーヌスの旋律がひっそりと指し込まれているわけだ。そしてその直後の2:04から拡張高く金管楽器が奏でられるが、その後ろで弦楽器が絶え間なく3連符を繰り返し弾いているのが確認できる。3連符は前回に描いたように情念・呪い・官能などの理性ではない感情を表す象徴として用いられている。

 

 さてヴェーヌスの旋律に移ろう。4:52~6:29まで妖しげな半音階によるヴェーヌスの旋律が続く。注目すべきは6:26にまたも3連符が入ること。ヴェーヌスの旋律は基本的には官能であり、のちにも書くが3連符はかなりヴェーヌスを象徴している気がする。

 さてこの3連符のあとに上昇する旋律を通じて6:32からはタンホイザーのヴェーヌスをたたえる歌のメロディが流れる。第一幕において、タンホイザーはヴェーヌスを讃える歌を3回繰り返す。歌詞は以下の通り。

 

1回目

Die toene Lob!

あなたを讃えましょう!

Die Wunder sei'n ge priesen,

愛の魔法を讃えましょう!

die deine Macht mir Gluecklichem erschuf!

私を幸福にしたあなたの愛の力を!

Die Wonnen suess, die deiner Huld entspriessen,

甘美な歓びが、あなたの恩寵から芽吹き

erhab' mein Lied in lautem Jubelruf!

私の歌を高め、喜びの賛歌を歌わせるのです!

nach Freude, ach! nach herrlichem Genisessen

ああ!歓喜を、快楽を

verlangt' mein Herz, es duerstete mein Sinn:

わが心は求め渇望しました…

da, was nur Goettern einstens du erwiesen,

かつて神々にのみ与えられたものを

gab deine Gunst mir Sterblichem dahin.-

わが求めに応じて、死すべき私に与えてくださった。

 

2回目

Dank deiner Huld! Gepriesen sei dein Lieben!

ご寵愛はうれしいのです!あなたの愛を讃えます!

Begluecket fuer immer, wer bei dir geweilt!

あなたとともにいる者は、永遠の幸せを得るのです!

Ewig beneidet, wer mit warmen Trieben in deinen Armen Goetterglut geteilt!

熱い欲望を心に抱き、あなたの腕にくるまれて、神々の炎に触れた者は、

永遠に皆からの羨望を受けるでしょう!

Entzueckend sind die Wunder deines Reiches,

あなたの国の素晴らしい奇跡を

den Zauber aller Wonnen atm' ich hier;

あらゆる喜びの魔法を私はここで吸いこんでいる…

kein Land der weiten Erde bietet Gleiches,

広い地上のどこを探してもこの国に比肩できる国はない。

was sie besitzt, scheint leicht entberhrlich dir.

地上など、あなたにとっては無価値に等しいもの。

 

3回目

Stets soll nur dir, nur dir mein Lied ertoenen!

あなただけ…私が歌いかけるのはあなただけです。

Gesungen laut sei jetzt dein Preis von mir!

あなたの賛歌を高らかに歌いましょう!

Dein suesser Reiz ist Quelle alles Schoenen,

あなたの甘美な魅力は、あらゆる美のみなもと。

und jedes holde Wunder stammt von dir.

優しい奇跡は全てあなたから湧き出す。

Die Glut, die du mir in das Herz gegossen,

私の心に注ぎ込まれた愛の灼熱よ。

als Flamme lodre hell sie dir allein!

あなただけのために赤い炎となって燃えよ!

Ja, gegen alle Welt will unverdrossen

そうだ、私は全世界を敵にしてもひるまず

fortan ich nun dein kuehner Streiter sein.-

これから私はあなたの勇敢な戦士になります。

 

 この3回の歌はその直後にdoch(しかし)と続き、ヴェーヌスベルクを去るべき本音を歌うことになります。重要なのはどちらもタンホイザーの本音です。かつてタンホイザーはこの3回の歌のように本当にヴェーヌスを渇望し身を焼かれた。そして今はそれに倦んでヴェーヌスベルクを出ようとしている。これも本音である。つまりタンホイザーという人を通じてワーグナーがいいたいことは、男(または人間)は同じ環境がずっと続くことは如何なるものでも「飽きる」ということ。タンホイザーなる人間は、さまよえるオランダ人のように、同じ場所にずっと居続けることができない呪われた宿命を負っているという人間観をワーグナーは持っているのだろう。

 この3回繰り返す歌の歌詞で重要な点は以下の通り。

1:Die Wonnen suess, die deiner Huld entspriessen,

甘美な歓びが、あなたの恩寵から芽吹き

ここでentspriessenとは芽吹くということ。ここから連想されるのは、オペラのラストで教皇の杖から芽が吹くということ。Huld(恩寵)から芽吹く。ラストのまんまです。ただし対象がここではヴェーヌスであり、ラストの場合はエリザベート(または神)であるのが違いです。なんとも考えさせられる歌詞です。

2:nach Freude, ach! nach herrlichem Genisessen

ああ!歓喜を、快楽を

nachが2回続けて歌われています。nachはFreudeやGeniessenという対象に「向かう」という意味の言葉で、英語でいえばforとかtoにあたる言葉です。渇望を表しています。このnachの繰り返しを覚えておいてもらいたい。

ヴェーヌスを讃える歌が3回続き、そしてそのあとそれぞれdoch(しかし)が続き、24:13からは以下の歌詞がタンホイザーによって歌われる。

nach unseres Himmels klarem Blau,

人の世の澄み切った青空を。

nach unserem frischen Gruen der Au,

あのさわやかな緑の野原を。

nach unserer Voeglein liebem Sange,

あの小鳥の愛らしい歌声を。

nach unsrer Glocken trautem Klange:-

心にしみわたる鐘の音を。

そしてその歌詞を締めるがごとく、タンホイザー

Aus deinem Reiche muss ich fliehn,-

だからこそ、あなたの国を去らねばなりません…

 

となる。nachがここでは嫌というほど繰り返されるわけである。

ここでのnachの対象は全てヴェーヌスベルクにはないものである。

ヴェーヌスベルクで受けた恩恵のnachと、ヴェーヌスベルクには無く地上にしかしないnachをこういう歌詞の形で対比させているわけだ。nachが向かう対象はまさに渇望である。

 つまり、タンホイザー(または人間)の渇望は同じ場所に留まることはなく、つぎつぎと移り変わっていく、俗な言い方をすれば飽きるわけです。後の第三幕で、タンホイザーローマ教皇へ懺悔の告白のシーンで、彼は「どんなに贖罪の悔い改める心を抱いて巡礼しても、私の渇望は消えない」と言った。ワーグナーは、人にとって渇望とはそういうものだ、と言ってるのかもしれない。

 

3:Dein suesser Reiz ist Quelle alles Schoenen,

あなたの甘美な魅力は、あらゆる美のみなもと。

Quelleは源という意味や泉という意味もあり、やはり水はエロスや性的なものを表す。

同時に

Die Glut, die du mir in das Herz gegossen,

私の心に注ぎ込まれた愛の灼熱よ。

als Flamme lodre hell sie dir allein!

あなただけのために赤い炎となって燃えよ!

 

灼熱、炎なども、渇望や欲求をあらわすメタファとなっている。

 

さて、序曲に戻ろう。

7:20から再びヴェーヌスの旋律が繰り返される。ヴェーヌスの旋律では弦楽器の震えるような、まるでおだやかな水の流れのような旋律が伴奏で流れ続ける。

7:58からの旋律は、第一幕でヴェーヌスが歌詞つきで歌っている。歌詞は以下の通り。場所は29:18から。

Geliebter, komm! Sieh dort die Grotte,

おいでなさい!愛しい人!あの洞窟をみて!

von ros'gen Dueften mild durchwallt!

やさしいバラの香りが立ち込める洞窟を!

Entzuecken boet selbst einem Gotte

陶酔は、神のような者にすら、

der suess'sten Freuden Aufenthalt:

甘美な歓喜の訪れを許すわ…

besaenftigt auf dem weichsten Pfuhle

柔らかな寝床の上で、心を静めれば、

flieh' deine Glieder jeder Schmerz,

どんな苦痛だって体から消え去ってしまう。

dein brennnend Haupt umwehe Kuehle,

熱く(燃えた)なった頭を水に冷やして、

wonnige Glut durchschwell' dein Herz.

喜びの炎に胸をふくらませなさい。

 

 とにかくヴェーヌスの旋律は渇望を満たす肉欲的なエロスである。渇望が炎だとすれば、エロスは水である。この歌詞はかなりエロい。なぜかというとヴェーヌスベルクが「洞窟」であるからだ。

 そもそもヴェーヌスベルクとは、venusberg、直訳すればヴィーナスの山→ヴィーナスの丘→恥丘である。そしてその恥丘たるヴェーヌスベルクは洞窟なのである。洞窟は長い穴であり、内部には水がたたえてある。濡れている。ハッキリとは書かないがアレである。

 そのアレを

「おいでなさい!愛しい人!あの洞窟をみて!」

「やさしいバラの香りが立ち込める洞窟を!」

「陶酔は、神のような者にすら、甘美な歓喜の訪れを許すわ…」

「柔らかな寝床の上で、心を静めれば、どんな苦痛だって体から消え去ってしまう。」

「熱く(燃えた)なった頭を水に冷やして、喜びの炎に胸をふくらませなさい。」

 

と言っているのである。もうこれは洞窟に挿入してS〇Xしているような表現に他ならない。

 

 

 序曲にもどろう。

9:20まではヴェーヌスの旋律がつづき、9:26から再びタンホイザーによるヴェーヌスを讃える旋律が流れる。ここで注目すべきは9:51から流れる旋律である。

歌詞でいえば以下の通り。

Die Glut, die du mir in das Herz gegossen,

私の心に注ぎ込まれた愛の灼熱よ。

als Flamme lodre hell sie dir allein!

あなただけのために赤い炎となって燃えよ!

Ja, gegen alle Welt will unverdrossen

そうだ、私は全世界を敵にしてもひるまず

fortan ich nun dein kuehner Streiter sein.-

これから私はあなたの勇敢な戦士になります。

 

この9:51から弦楽器によって伴奏的に奏でられ、繰り返される下降するメロディを覚えておいてほしい。これと同じ旋律が序曲のラストの巡礼のテーマ中ずっとなり続けているからだ。9:51からだと聞こえづらいかもしれないが、

タタタタタタタタタタタタ タタタタタタタタタタタタ タタタタタタタタタタタタ

と数十回繰り返される。

ラストの巡礼のテーマは11:18から。ここからほぼ序曲のラストまで

タタタタタタタタタタタタ タタタタタタタタタタタタ タタタタタタタタタタタタ

というのが聞こえる。

 

 つまりこのタタタタタタタタタタタタはタンホイザーがヴェーヌスを讃える歌の中で現れる旋律であり、それがラストの巡礼のテーマで現れるというのは、どういう解釈ができるのか?ということだ。私はこのタタタタタタタタタタタタという旋律は、タンホイザーの消えることのない渇望であると解釈している。ただし、この渇望の対象は序曲の冒頭ではヴェーヌスであったが、序曲のラストではエリザベートに変わっているということもできるだろう。そしてこの渇望の響きは、13:38から突如消え、序曲の締めには表れてはいない。つまり最後の最後にはこの渇望は消えた=救済とも解釈できる。

 このあたりの解釈は人によってさまざまな解釈を許す作りとなっているので、一元的な見方はできない。そこが芸術の面白いところである。

 

 最後に指摘しておきたいのは、10:39から鳴り響き10:51までつづく、ちょっと半狂乱的な旋律の拍は、第三幕でローマ教皇からタンホイザーがお前の呪いは永久に溶けない!と宣告された時に流れる旋律の拍とほぼ同じである。その箇所は2:51:58。

 

 語り残したことはあるが、序曲についての解説はこれで締めることにする。

次回は第一幕の重要な場所を順次解説していく。

 

 

 

 

 

 

歌劇「タンホイザー」について

 久々にタンホイザー全曲を聴く。初めて聴いたのは17歳の頃。現在50代になり改めて聴くと、恐ろしいほどこの歌劇は緻密に作られているのがわかる。それでもすべての伏線を回収できてはいない。全曲の楽譜は1万円で売られているが、買おうかどうか半ば本気で悩んでいる。

 ここから数回にかけてタンホイザーの伏線などを序曲から順に書いていくがこの記事に需要はない。面倒な画像などもUPする予定はない。読み手は少なくともタンホイザー全曲のメロディーとそれなりに歌詞をある程度原文で覚えていることが前提になる記事である。しかも内容上長文になること。

 とはいえまったく手掛かりがないとそれもマズイので、以下に参考となる動画のリンクをUPします。

https://www.youtube.com/watch?v=KvZPY1-cAWA&t=7744s

 

 残念なことは、この動画はドレスデン版であり、のちにワーグナー自身が改定を大幅に加えたパリ版ではないこと。

 

 今回は序曲について語りたい。

 ワーグナーの歌劇の序曲は、初期においては作品そのもののダイジェストである。つまりこのわずか10分程度の序曲の中に、歌劇全体のストーリーを詰め込んでいる。

1:始まりと同時に巡礼の旋律がながれる。このメロディの歌詞つきのものは、第三幕でローマから巡礼を終えた巡礼者が歌う

Beglueckt darf  nun dich, o Heimat, ich shauen

嬉しや、故郷に戻り来て

und gruessen froh deine lieblichen Auen;

懐かしの(水辺の)野を目にできるとは。

nun lass'ich ruhn den Wanderstab,

今こそ巡礼の杖を休めるとき

weil Gott getreu ich gepilgert hab'.

私は神を信じ、巡礼を果たした。

 

 ワーグナーのオペラはライトモティーフを使う。メロディは動機として使われ、繰り返される同じメロディは特定の事物、感情などが動機として組み込まれているのだ。

この序曲の冒頭の巡礼の旋律は上記した歌詞のイメージが入っている。

 この巡礼の旋律は3拍子で奏でられるが、序曲のラストにもう一度これと同じ巡礼の旋律が流れるがそれは4拍子であって同じではない。3拍子の旋律のほうが緊張感があり4拍子の(序曲ラストの)旋律はどことなく格調高く聞こえる。つまりラストの巡礼の旋律は救済であり、冒頭の3拍子の旋律は救済前である。

 したがって普通に考えれば冒頭の巡礼の旋律は、タンホイザーではない巡礼者達がローマから帰ってきたことを表しているととれるがそう単純ではない。

 歌詞をみれば分かるのだが、deine lieblichen Auenで、これは故郷の水辺の野と直訳できるが、ワーグナーの歌劇において「水」というのは性の象徴である。後に出てくる「泉」だの「ヴェーヌスベルクの海岸、水の流れ」などは性・またはエロス、消えがたい欲望などを表している。lieblichenというのは「かわいらしい」という意味だが、これは人間に対してもよくもちいられる。Mein Lieblingで、わが愛しい人(愛する人)という意味にも使われる。Auenは水辺の野である。つまりdeine lieblichen Auenというのは、暗喩的にエリザベートともとれるわけだ。となると、この冒頭の巡礼者の歌の主語は誰か?といったときに、Aタンホイザー以外の巡礼者、B巡礼者であるタンホイザー本人という2つの可能性がでてくるわけだが、ワーグナーはこれを明確にはしない。つまりどちらの可能性も取りうるという曖昧さを残している。

 さらにこの冒頭の巡礼者の旋律には3連符がついている。この歌劇における3連符というのは、のちに詳しく解説するが情念や呪いや官能などを象徴している動機である。とにかく歌劇タンホイザーでは3連符とその変形がいたるところで使われている。巡礼の旋律にもこの3連符が潜んいることに注意をする必要がある。つまり巡礼という贖罪と悔い改めの中にも、依然として情念や呪いやそして官能などが潜んでいるという示唆が序曲の冒頭に仕込まれているのである。

 

2:巡礼の旋律のあとには、苦しそうな旋律が流れる。この旋律も劇中に歌詞がついたものがある。

 それは第一幕でヴェーヌスベルクから抜け出したタンホイザーが以下のように歌う箇所である。

Ach, schwer drueckt  mich der Suenden Last,

ああ罪の重みが私の心にのしかかり

kann laenger sie nicht mehr ertragen;

もはや耐えられそうにない。

drum will ich auch nicht Ruh noch Rast

だから私は安らぎを求めず、

und waehle gern mir Mueh' und Plagen.

 

3:異様な和音 サビに移行する手前に半音階の上昇する旋律が不気味に表れる。その時間は約2~3秒ほどしかない。直後にすぐ金管楽器が鳴り始め盛り上がりをみせるのだが、重要なのはこの2~3秒の旋律の解釈だ。

 この旋律は半音階なので、理性的ではなく感情的である。ワーグナー全音階の古風な旋律を「理性」として表現し、半音階を「感情的」なものとして表現した。すなわちヴェーヌスの旋律は半音階なので感情的であり官能的でもある。ヴァルトブルクの騎士たちの歌や領主の旋律、そしてローマの旋律などは全音階の古風な旋律であり「理性」である。したがってこの刹那の異様な和音は、多分にヴェーヌス的性格を伴っているので、解釈の一つ目はヴェーヌスの動機のようなもの。解釈の2つ目は、この半音階の上昇は第2幕にあるエリザベートの祈りの動機にもやや似ている。この可能性も否定できない。

 

4:上昇する旋律で盛り上がる場所

den Herrn, dem mein Lied ertoent.

(わが悔い改めに祝福を授けた主なる神に)わが歌よ、響け。

Der Gnade Heil ist dem Buesser beschieden,

この贖罪者にも恩寵の救いが与えられた。

er geht einst ein in der Seligen Frieden!

(彼は)いずれ至福と平和の眠りにつこう!

Vor Hoeell' und Tod ist ihm nicht bang,

地獄も死も、(彼には)もうこわくない。

drum preis' ich Gott mein Lebelang.

命ある限り神よ讃えよう。

 

という歌詞に対応する旋律である。問題は「わが歌よ響け」

「この贖罪者にも恩寵があたえられた」「(彼は)いずれ至福と平和の眠りにつこう」

「地獄も死も(彼には)もう怖くない」という歌詞の中の「彼」や「この贖罪者」とういう主語は誰なのかということだ。erとかihmとかあきらかに人物をさしているわけだが、これはタンホイザー本人を指していることに疑いがない。

 ただしちょっとした矛盾があって、「この贖罪者にも恩寵があたえられた」というところで、彼はローマでは恩寵はあたえられてはいない。しかしフィナーレでは、まさに上記の歌詞通りにタンホイザーは恩寵の救いを与えられ、至福と平和の眠りにつくのである。そして地獄も死も、彼にはもう怖くないのだ。

 

長すぎるので今日はここまで。次回はヴェーヌスの動機からになる。

 

 

 

 

 

隠岐旅行一覧表 もくじ

 

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旅の終わり 摩天崖

摩天崖

隠岐旅行記も今回で終わり。ほとんど地質の話となってしまった。

隠岐島前は西海岸に崖がつくられる。これは対馬海流などの影響もあるだろうし、風の流れもあるだろう。

 

フェリーしらしま

本州の島根に着いてから、関東地方まで車で帰ることになるがそれはまた別の話。

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国賀海岸と船引運河 おまけに屋那の松原船小屋群

国賀海岸

その2

その3

その4

その5

国賀海岸からの景色。

船引運河

島前

島前西ノ島の外浜海水浴場には運河がある。

船引運河

この細い運河がそれである。

運河その2

大正時代に開削された運河は今も利用されている。

 

屋那の松原船小屋群

 隠岐の舟小屋群。日本海側には写真のような船小屋がいくつもある。太平洋側にこのような小屋がないのは潮位が激しいからである。日本海は内海で外海とつながる海峡が細いため、太平洋側が満潮になり日本海に海水が流入しても、日本海全体が満たされる前に太平洋側で干潮の時間になり日本海の水は排水される。そのため日本海側は満ち引きが小さく、このような船小屋をたてても水没することもなければ干上がって船が出せないこともないのだ。

 

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