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蛙声雑記 ・一句一楽の巻

歩くのみの冬蠅ナイフあれば甜め 三鬼

 
 「五月蠅い」と書いてうるさいと読むように、蠅というのはむやみに元気が良かった。
 そう過去形でいうのは、この頃は春夏の間でも、痛んだ生モノに湧いてくる小蝿ごときは別にして、蠅そのものを余り見かけなくなった。
 昔は、蠅退治のグッズがどこの家庭にもあったのではなかったか。
 自分の記憶でも、蠅たたき、蠅取り紙、それと殺虫剤スプレーなどは、ずっと最近のように思う。
 中でも一番奇妙なモノだと思うが、フラスコの首が一メート程も伸びたようなガラス製の蠅取り器があった。主に天井など手の届かない所に留まっている蠅を長い首の先を当てて捕らえ、下の球形部分にぽとんと落とす。何とそには水が注がれていて、蠅はそこで溺れ死ぬのであった。
 
 そういう元気者も秋が過ぎて冬ともなると、すっかり衰えて日だまりの石にじっと腹ばっている、そんなのをしばしば目にしたように思う。


歩くのみの冬蠅ナイフあれば甜め 三鬼

 
 冬蠅は冬蠅でも、この西東三鬼のこやつにはちょっとどきりとさせられる。
 余命幾ばくもなさそうな老衰した蠅ではあるが、ナイフにかすかに残った血の臭いにはいつまでも惹かれて止まないものだと、なんてね。
 こういうのは、三鬼さんほんとに凄い。


 そういうことで同じ冬の蠅でも一茶となるとこうなる。


冬に蠅逃がせば猫にとられけり 一茶


 取り逃がしたのは、自分である。弱り切って逃げる気力もなさそうな冬の蠅を叩こうとしたが、あれあれ逃げられた。と思ったら猫が・・・・。
 嗚呼情けないのは、自分でございましたと。句の主役は自分である。

 とすれば、これが一茶だというなら。


霜がれてしやうじの蠅のかはゆさよ








# by ribondou55 | 2025-01-29 16:08 | この一首その一句 | Trackback

葱根深大根白菜底曇  石塚友二


 地球温暖化は、どうやら猫の額ほどの自分の畑にも及んできた。
 白菜の出来が悪い。
 白菜のことを、土地の古い人々は結球と呼んでいる。
 葉が折り重なって巻く姿をそう呼んだのだ。
 キャベツなどもそうなのに、白菜だけの言い方である。
 ところが、その葉が夏から秋にの高温のせいか巻いてこない。
 葉が広がったまま太陽の光を浴びて青青としているのだ。
 おかげで、今年は白菜漬けも、例年のようにはできなかった。

葱根深大根白菜底曇  石塚友二
 
 白菜だけではない、大根もいま一つであった。
 葱は夏場のものでないせいか、さほどの影響はないようであるが、お隣深谷の深谷葱も昨年末高騰していた。

 石塚さんの句には、身につまされることがおおいのだが、この句も「底曇」でグッとくる。
 この句、皆冬野菜。
 勝手な空想だが、八百屋の店先に立って、それらを眺めている男の後ろ姿が見える。
 もしかすると、昨今の野菜急騰、キャベツ1000円とかいうこの頃に通じる憂鬱を抱えていたのかも。

 農学校を出て、農業に従事したことがある人である。

玉萵苣の早苗に跼みバス待つ間


 こんな句も。「たまちしゃ」と読むのだが、これレタスのことである。レタスの苗は、本当には早春らしいいいものだ。

 

# by ribondou55 | 2025-01-24 15:55 | この一首その一句 | Trackback

かなしいことがある耳掻いてもらう 山頭火


 もう半年ほど経ったか。
 耳鼻科のお世話になった。
 左耳が、ぼわーんとして聞きづらくなったような気がした。
 飛行機が上昇してゆくと、気圧の関係で耳のおかしくなることがあるが、あれに似ていた。
 そこで、診察を受けた。
 すると、まずはいくつか検査を先にしますと云われて、別室に移動し、聴力検査やらなにやらでデータを取られた。
 そのうえでドクターが言うのは、検査の上では問題ないのですが、耳を見せてくださいと、耳の穴を覗かれた。
 一瞬で判明。
 耳垢ですねえ、と。
 そこで耳垢を吸引する器具で、スバスバっとやられた。
 にこりともしないで、「これですね」と耳垢を見せてくれた。
 
 山頭火の句は、「床屋にて」と前書きがある。

かなしいことがある耳掻いてもらう 山頭火
 
 長年通っていた床屋さんでは、耳搔きをしてくれた。
 年を取りついに体調を壊して廃業してしまったのだが、40年間、そのおばちゃんに耳を掃除してもらっていた。
 今の通いつけの理髪店は、耳掃除をしてくれない。
 ちょっと、物足りない気がする。
 
 妻も耳掻きをしてくれない。
 してくれたのは、母親である。
 恥ずかしいことに中学生くらいまで、母の膝の上でしてもらった。
 なつかしい。
 
 山頭火も、そんな誰かがいたのではなかろうか。
 勿論、床屋さんではない。
 いや、こぎれいな床屋さん奥さんだったりして、そうなら楽しい。
 耳鼻科のドクターも女性であったが、終始ポーカーフェイスのクールな方であったなあ。
 
 
 

# by ribondou55 | 2025-01-21 23:17 | この一首その一句 | Trackback

うち晴て障子も白し春日陰  鬼貫


 半年以上、不在しておりますが、復帰します。

 内容は、代わり映えいたしませんが、よろしくお願いします。

 ※
 
 年が明けたが、いよいよ増して住みづらい憂き世ではありませんか。
 
 昨年暮れ、いつものように障子を張り替えました。
 
 気分一新、せめてくすみ始めた安普請の陋宅でも、少しは明るくなるであろうと、ということです。

 今日は1月17日、まだ小正月といってよいのかどうかも知りません。

 初春とは云え、良く晴れてはいますが、冷たい風が吹きすさんでおります。

 
うち晴て障子も白し春日陰  鬼貫


 長い不在に入る際に残したのが、鬼貫の句でしたので、再開も鬼貫です。

 この句は「『仏兄七くるま』の元禄十一年(1698年)の条に「居所のうつり変て」の前書とともに見える」と岩波文庫本の脚注にあります。

 (引っ越し先の新居の)障子が真っ白であるよ、晴れ上がった春の明るい光をうけて。
 
 引っ越してくる新しい住人のために家主が歓迎の心遣いである。

 この良い気分で、再開させていただきます。
 


 



 

 

# by ribondou55 | 2025-01-17 11:08 | この一首その一句 | Trackback

人間に智恵ほどわるい物はない  上嶋鬼貫


 人間に智恵ほどわるい物はない  上嶋鬼貫

 人間にとって知恵ほど悪いものはない、読んでそのままの句意。
 簡単そうだが、まあ、これこそ人間のどうにもならない悪の根源といえるかも知れない。

 悪智恵だけなら、まだしも、煩悩とはその智恵が導きだすのだ。
 煩悩というの、まことにやっかいである。
 一旦頭に巣くってしまった執着心は、今度はその智恵を総動員して、実現を図ることになる。
 「戦争」なんていうのも、とある独裁者の煩悩がなすものではないかと思う。

 だからといって、悟りを開こうというわではない。
 けれども、自分をちょっと振り返って見るとき、この句を思い出そうと思うのだ。
 
 季語はなく、雑の句である。




# by ribondou55 | 2024-05-29 23:11 | この一首その一句 | Trackback