古代史好きなサラリーマンのブログ

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【千と千尋の神隠しと日本史】春日様はなんの神?

この記事では『千と千尋の神隠し』に登場する春日様の元ネタを考察し、何の神なのか考えていきたいと思います。

 

 

 

千と千尋の神隠しの春日様とは?

千と千尋の神隠し』より

登場する八百万の神々の中でも、特に印象的なのが「春日様」です。 白い装束に、顔には目や鼻を象徴的に描いた独特の「面」をつけています。

 

春日様の元ネタは、奈良県春日大社で祀られる神や、「舞楽(ぶがく)」で使われる面であることがわかりました。

 

春日様はなんの神?

一般的に「春日様(かすがさま)」のいうと、奈良の春日大社に祀られる四柱の神様の総称を指すことが多いです。  

元は藤原氏氏神として茨城県鹿島神宮から奈良県春日大社へやって来た神様でしたが、やがて藤原氏の繁栄とともに広がり、現在では家内安全や厄除けの神として全国各地で祀られています。

 

 

春日様は地震の神?

 

春日様は地震の神でもある可能性があります。

 

日本昔ばなしには「春日様の握り飯」というお話があります。

『春日様の握り飯』より

むかし、大鯰(おおなまず)が起こす地震津波に村人が苦しんでいたところを、白い鹿に乗った春日大明神が大鯰を倒し、村人を救うという物語です。  

     『春日様の握り飯』より

実は、春日大社の主神である武甕槌命タケミカヅチ)は、武神であると同時に「地震を司る神」でもあります。

    鹿島神宮にある武甕槌命の像

鹿島神宮にある「要石(かなめいし)」で、地下にいる大なまずの頭を押さえつけて地震を鎮めているという伝説は有名ですよね。



 昔話に登場する「大なまず」は、実際には存在はしませんが、当時の人々にとっては「地震」や「水害」そのものの象徴でした。

 

春日様に祈り、震災が収まったという史実が、こうした昔話へと形を変えて語り継がれてきたのでしょう。  

 

春日様の仮面の元ネタは四天王寺の舞

春日様がつけている特徴的な面に似たものを、大阪・四天王寺で行われる「聖霊会(しょうりょうえ)」の舞楽でも見ることができます。

 

聖霊会(しょうりょうえ)」は、毎年聖徳太子命日(旧暦2月22日)で現在の4月22日に開催されています。起源や理由は不明なそうですが、四天王寺を創建した聖徳太子の魂を慰めるために行われているのでしょうか。

 

四天王寺の創建は、物部氏との戦いで不利な状況を打開するため、聖徳太子が自ら四天王像を彫って祈願し、勝利後に建立を誓ったとされていますので。

千と千尋の神隠し』より

春日様の元ネタでなったであろう聖霊会(しょうりょうえ)」の面を「雑面(ぞうめん)」といいます。白い厚紙に目を三角形に切り抜き、鼻や口を墨で描いた非常に抽象的な面です。

  

 

まとめ

・ 『千と千尋の神隠し』の春日様 は春日大社の4神がモデルか?

・春日様は地震を司る神である可能性がある

・春日様の元ネタは四天王寺聖霊会(しょうりょうえ)である可能性がある

 

 

広島旅:厳島神社を参拝

 

この記事は厳島神社を参拝した記録です。

 

 

厳島神社を参拝

 

厳島神社とは

祭神は 市杵島姫命(いちきしまひめ) 、田心姫命(たごりひめ) 、湍津姫命(たぎつひめ)の3人の女神です。

『マンガ古事記』より

古事記』によれば、アマテラススサノオが誓約(うけい)(身の潔白を証明する儀式)をした時にアマテラスの勾玉から誕生したとされています。

『マンガ古事記』より

 

 

厳島神社の歴史

 

社伝によれば、厳島神社の創建は推古天皇元年(593年)にまで遡ります。

地元の豪族、佐伯鞍職(さえきのくらもと)が、神の宣託を受けたのが始まりです。

 

伝承によれば、佐伯鞍職が神を祀る場所を探していると、雌雄二羽のカラスに先導されて島を一周し、現在の場所にたどり着いたといわれています。

宗像大社(福岡県宗像市)

現在、祭神として祀られているのは「宗像三女神」ですが、もともとは宗像神社(福岡)から分霊されたものです。

 

創建から1400年以上経った現在も、佐伯鞍職の子孫である佐伯氏が代々宮司を務めています。

 厳島神社平清盛

 平安時代、この美しい島に魅せられたのが平清盛でした。

平清盛は大規模な社殿の改修を行い、平安貴族の邸宅様式である「寝殿造り」を神社建築に取り入れ現在の形になったといいます。

 

平清盛の時代、祀られていたのは「伊都岐島大明神」という神でした。現在の宗像三女神として定着したのは、後の鎌倉時代になってからだといわれています。

 

 平清盛厳島神社を厚く信仰し、朝廷の「二十二社」(国の重大事や災害時に朝廷から特別な奉幣を受けた格式の高い神社)に匹敵する地位にまで押し上げようと尽力しました。

 

 厳島神社空海

宮島は古来より島全体が御神体であり、人が住んだり、立ち入ることが禁じられていました。

ここに修行の場として足を踏み入れたのが、真言宗の開祖空海弘法大師)です。

 

 唐から帰国したばかりの空海は、宮島の弥山(みせん)で修行を行い、現在も「消えずの火」として守られている霊火を灯しました。  

 

なぜ禁足地であった宮島に立ち入れたのかといえば、空海は讃岐(香川県)の佐伯氏の出身(幼名:佐伯眞魚)であり、宮島を管理していた佐伯氏となんらかの関係があったのではないでしょうか。

 

厳島神社を参拝

厳島神社にはフェリーで向かいます。フェリーには車も乗り込めます。

宮島には多くの野生の鹿がいます。聖域なので殺傷が禁止されてきたためです。鹿ソフトなるものを食べておきました。

浜辺の鳥居が美しい。すごい人です。

横からまた鳥居。後ろに本州が見えます。

干潮なので本殿まで海水は届いていません。

正面から見たところ。床板の間隔を開けて鉄の鍵を使わないことで満潮時に海水に浸っても負荷を減らしているそうです。

祭神の宗像三女神が祀られていました。

摂社として大国主を祀る大国神社には出雲の主神・大国主命が祀られています。厳島神社主祭神の一柱である田心姫命(たごりひめのみこと)と夫婦であるためです。

あめのほひも祀られており、島根の「出雲」との強い繋がりを感じます。  

広島(安芸国)には素戔嗚(スサノオ)を祀る神社が多いですね。かつての安芸国一宮であった「速谷神社」の祭神・飽速玉男命は、天孫降臨に供奉した天湯津彦命の末裔であり、この地を開拓した初代安芸国造です。  平清盛によって注目される以前から、この地には出雲や天孫系に繋がる古い神々の歴史が幾層にも重なっているのですね。

佐伯鞍職(さえきのくらもと)を祀る三翁神社

 

 

ワンピースと世界史:「ラグニル」の元ネタ・由来は北欧神話?

この記事では『ワンピース』第1170話で登場した王家に伝わる伝説の悪魔の実やそれを守る「ラタトスク」と北欧神話の関連性をまとめます。

 

 

ロキのハンマー「ラグニル」とは

 

ワンピース1141話より

『ワンピース』でロキが手にしたエルバフ王家に伝わる伝説の武器、それが鉄雷「ラグニル」です。

                   ワンピース1142話より

鉄雷(ラグニル)はハンマーでありながら、「自らの意思を持っており」悪魔の実がある宝物庫への侵入者を自ら撃退する番人のような役割を果たしていました。

ワンピース第1170話より

ラグニルは「動物系の悪魔の実を食べたハンマー」であり、その本体がリスのような姿に変身することが判明しました。

『ワンピース』より

今までも悪魔の実を食べた武器は登場してきました。直近だとエルバフでロキに対してシャムロックがケルベロスを使用していましたね。

 

 

 

 ラグニルの元ネタ・由来は北欧神話

「ラグニル」の元ネタは、北欧神話における最強の雷神トール(英語名ソー)が持つ槌「ミョルニル」と考えられます。  

『Thor(ソー)』より

ミョルニルは「狙った標的に必ず当たり、持ち主の手元に戻る」という能力があります。marvelコミックに登場するソーの武器と同じですね。意思を持つかのようなラグニルの挙動と重なります。

『ワンピース』1170話より

北欧神話におけるミョルニルは、重すぎて選ばれた者(トール)にしか扱えない武器ですが、『ワンピース』で、ロキが試練を乗り越えて手にした描写と共通していますね。

『ワンピース』1170話より

ラグニルの名前の由来は北欧神話は?

『ワンピース』1170話より

北欧神話のトールのハンマーの名前が「ミョルニルがモデルとなっているとすれば、ワンピースのロキが持つ「鉄雷(ラグニル)」の「ラグ」はどこから来ているのでしょうか。

 

ラグニルの由来は、北欧神話の「ラグナロク(神々の黄昏)」だと思われます。

ラグナロクとは北欧神話における神と巨人の最終戦争のことです。

 ラタトスク

また、北欧神話には「ラタトスク」という、世界樹ユグドラシルを駆け回るリスの姿をした精霊がおり、ラグニルのモデルとなっていると予想します。

 

まとめ

・ラグニルの由来は北欧神話におけるトールのハンマーのミョルニル

・ラグニルの由来は北欧神話における最終戦ラグナロク

・ラグニルがリスであるのは北欧神話におけるラタトスクがモデルになっている可能性がある

呪術廻戦と日本史 摩虚羅の由来・元ネタは?

この記事は『呪術廻戦』に登場する伏黒恵の式神摩虚羅(まこら)の由来・元ネタについてまとめます。

 

 

呪術廻戦の「摩虚羅(まこら)」とは

『呪術廻戦』229話より

摩虚羅(まこら)の正式名称は「八握剣異戒神将魔虚羅(やつかのつるぎいかいしんしょうまこら)」です。

『呪術廻戦』118話より

その強さは、五条悟や両面宿儺ですら一目置くほどでした。

 

摩虚羅(まこら)の由来・元ネタは仏教の守護神?

『呪術廻戦』の摩虎羅(まこら)の由来は、薬師如来を守る「十二神将」の一尊である摩虎羅大将(まこらたいしょう)」である可能性があります。

 

摩虎羅大将は、サンスクリット語で「偉大な蛇」を意味する「マホーラガ」から来ています。  

十二神将は12の干支を象徴していますが、摩虎羅大将はうさぎの守護神です。

『呪術廻戦』233話より

『呪術廻戦』の摩虚羅は、頭にある4本の羽のような突起がありますが、うさぎの耳のようにも見えますし、蛇の尾のようにもみえますね。

 

背後の「法輪」の由来は仏教か?

『呪術廻戦』118話より

摩虚羅の最大の特徴である、頭上の「車輪」。

これが「ガコン」と音を立てて回転すると、摩虚羅はあらゆる攻撃に「適応」します。

このモデルは仏教における「法輪(ほうりん)」だと思われます。

「法輪」とは、仏様の教えが広まる様子を、転がる車輪に例えたものです。釈迦の後ろにもセットで描かれます。

ベルセルク』より

法輪はインドの武器「チャクラム」が仏教に取り入れられたものです。

 

  「十種神宝」とは?

また、八握剣異戒神将魔虚羅は、日本神話(神道)の要素も由来しています。

     十種神宝(とくさのかんだから)

八握剣(やつかのつるぎ)とは、日本最古の歴史書の一つ『先代旧事本記』に登場する「十種神宝(とくさのかんだから)」の一つです。

これは天照大神の孫である瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)あるいは饒速日命(ニギハヤヒノミコト)が天孫降臨する際に授かったとされる宝物です。

『呪術廻戦』より

『呪術廻戦』の八握剣は、対呪霊に特化した「退魔の剣」として右手に装備されていますが、その形状が、十種神宝(とくさのかんだから)に類似していますね。

 

 まとめ

・摩虚羅の由来は薬師如来を守る「十二神将」の摩虎羅大将(まこらたいしょう)」である可能性がある

摩虚羅の頭上にある法輪の由来は仏教か

摩虚羅の由来は神道における十種神宝か

大黒天のモデルはヒンドゥー教のシヴァ神

お正月に年神として福を運んでくれる七福神のメンバーである大黒天。実は海外からやって来た神であることはご存知でしょうか?

 

この記事では大黒天のモデルについてまとめました。

 

 

 

大黒天のモデルはシヴァ神

大黒天のルーツは、インドのヒンドゥー教における最高神の一柱であり、破壊と創造の神、シヴァ神にあります。

シヴァ神 

シヴァ神をサンクスリット語で「マハーカーラー(Mahākāla)」といい、「偉大なる黒」という意味があります。

チベットの黒いマハーカーラー

これを日本語で「大黒」と訳したのです。

 

 

 

 

大黒天信仰のはじまりは最澄

 

ヒンドゥー教においては、破壊神だったマハーカーラーが、なぜ日本では「福の神」になったのでしょうか。

 

そのはじまりは、平安時代最澄比叡山延暦寺において、大黒天を「台所の神」として祀ったことが始まりと、鎌倉時代から南北朝時代にかけてまとめられた天台宗の百科事典的文献『渓嵐拾葉集(けいらんしゅうようしゅう)』に記されています。

最澄

 『渓嵐拾葉集』巻第四十 「伝教大師比叡山建立の時、一人の老翁来たりて云はく、我は大黒天なり。三千の衆徒の供養を引受けん。云々」

天武天皇の皇子舎人親王が建立した松尾寺にある『大黒天立像』

修道に励む僧侶たちの食を支える守護神として信仰されたことからはじまり、やがて民間の「豊穣の神」としての信仰へと広がっていったと考えられています。

 

 大国主神との習合

日本において大黒天の信仰が広がった背景には、出雲大社などで祀られる日本古来の神である大国主神オオクニヌシノミコト)と結びついたことにあると考えられます。

大国主

 「大国」も「大黒」も、日本語ではどちらも「ダイコク」と読めます。

 

 破壊と創造仲間として力強さを感じるシヴァ神は、次第に大国主神のイメージと重なり、頭巾を被り、大きな袋を背負い、打ち出の小槌を持つという、現代でお馴染みのやわらかい姿へと変わっていったのでしょうか。

 

大国主と恵比寿の関係

七福神のメンバーであり、大黒天と一緒に描かれることが多い、恵比寿(えびす)は、一説には大国主神の息子である「事代主神コトシロヌシ)」とされています。

 

そのため、大国主と習合した大黒天と恵比寿様は、親子として並べて描かれることが多いのです。  

西宮神社

イザナギイザナミの子である蛭子命(ひるこのみこと)を恵比寿として祀る神社もあります。

 

まとめ

・大黒天の由来はヒンドゥー教シヴァ神

・大黒天は大国主と習合された

・恵比寿は大国主の子の恵比寿

 

 

  

滋賀旅:建部大社に参拝

  

やまとたけるを祀る神社が滋賀にあると知り、訪問したの記録です。

 

建部大社とは?

建部大社(たけべたいしゃ)は、滋賀県大津市神領にある式内社名神大社)で、近江国一宮として古くから信仰を集めています。

 

祭神

 

 

  • 天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)

天明玉命(あめのあかるたまのみこと)とする場合もある

 

 

建部大社の歴史

建部大社の創建は、第12代景行天皇46年といわれています。

日本武尊(やまとたけるのみこと)の妃である布多遅比売命(ふたじひめのみこと)が、神の教えに従い、御子とともに住んでいた神崎郡建部郷千草嶽(ちくさだけ)(現在の東近江市五個荘伊野部町付近)に、日本武尊を「建部大神」として祀ったのが始まりとされます。

 

 この建部郷(たけるべごう)という地名は、日本武尊の名を後世に残すために名付けられたといわれているそうです。

 天武天皇4年(675年)に、近江の守護神として近江の国府があった現在の地、栗太郡勢多(せた)(大津市)へ遷されました。

 

源頼朝と建部大社

建部大社を一躍有名にしたのが、鎌倉幕府を開いた源頼朝との関わりです。  

平治物語絵巻』三条殿焼討

平治の乱で敗れた頼朝が伊豆国へ流される道中、建部大社に立ち寄り、源氏再興を強く祈願しました。後にその大願が成就したことから、建部大社は「出世開運の神」として、信仰されるようになりました。

近代に入ってもその信仰は厚く、1945年(昭和20年)に日本で初めて作られた千円紙幣(甲号券)の図柄に、御祭神の日本武尊と建部大社の本殿が使用されています。

 

 

 

建部大社に参拝

JR石山駅から京阪石山駅に乗り換えて、唐橋前駅に向かいます。

石山駅芭蕉さんがいました。

 

 

唐橋前駅から徒歩5分で、古来より交通・戦略上の要衝として知られる「瀬田の唐橋(せたのからはし)」に到着しました。

歌川広重の沙汰の夕照(せきしょう)は有名です。

壬申の乱(大海人皇子vs.大友皇子)

藤原仲麻呂の乱

藤原秀郷

木曽義仲

数々の戦いの中で瀬田の唐橋は焼かれがちです。

瀬田川と琵琶湖

瀬田の唐橋をわたり、東へ500mほど歩くと近江国一宮「建部大社(たけべたいしゃ)」に到着しました。

建部大社が鎮座する滋賀県大津市神領ですが、神料田(神領)(神に備える米を作る水田)があったことから神領という地名がついたといわれています。

有名なやまとたける草薙剣の伝説は熊襲を平定してから12年後だったとは。

律令制がはじまり、中央から全国に国司を派遣した時にここに国府を置いた。国府の守護神として東近江に祀られていたやまとたけるが選ばれたという経緯です。

境内にはやまとたけるの神話がイラストと共に紹介されておりわかりやすい。インスタのリールに載せています。

やまとたけるの妃、子のいなよりわけが祀られていました。

やまとたけるにお供した家臣たちも祀られていました!!

 

やまとたけるをまつった妃の謎

古事記』と『日本書紀』に記載される出自や子の名前が異なるので注意が必要です。

日本書紀』だと日本武尊(やまとたけるのみこと)は、第11代垂仁天皇の娘である兩道入姫皇女(ふたじのいりびめみ)を娶って妃として、稻依別王(いなよりわけのみこ)を生みました。次に足仲彦天皇(たらしなかつひこのすめらみこと=仲哀天皇)、稚武王(わかたけみこ)が兄弟です。

一方で古事記』だと、倭建命(やまとたけるのみこと)近江の安国造(やすのくにのみやつこ)の祖先の、意富多牟和気(おおたむわけ)の娘の布多遅比売(ふたじひめ)を娶って生んだ子が稲依別王(いなよりわけのみこ)です。  

古事記』には布多遅比売とは別に垂仁天皇の皇女の「布多遅能伊理毘売命(ふたじのいりびめ)というヤマトタケルの妃がいて、仲哀天皇を生んでいるのです。

 

建部大社の由緒に登場するのが布多遅比売(ふたじひめ)であることを見ると、2人の妃の子をまとめて記したのが『日本書紀』なのではないかと思えてきます。

 

 

佐伯氏の由来は蝦夷?縄文人?

先日、広島の厳島神社を訪問した際に、佐伯鞍職(くらもと)という人物が建てたと由緒を知り、佐伯氏について調べてみました。この記事では佐伯(さえき)の由来についてまとめていきます。

 

「佐伯(さえき)」の名の由来

佐伯という苗字は現在の日本に約6万人いるそうです。その歴史は古く、『日本書紀』には、部民(べみん)※としての「佐伯部(さえきべ)」の由来が記されています。  

 

大化の改新以前に有力豪族の元で、労役の提供や生産物の貢納を義務付けられた職業集団のこと。

日本書紀景行天皇51年条に、  日本武尊東国遠征の際に捕えた 蝦夷(えみし)伊勢神宮に献上したが、昼夜なく騒がしいので播磨・讃岐・伊予・安芸・阿波に移して住まわせた。

 

このように、佐伯部は、元々「東国に住んでいた人の捕虜」であった人々であると伝えられています。  東国といっても関東なのか東北なのか範囲が広すぎますね。

 

実は『常陸国風土記』にも「佐伯」が登場します。

 

昔、山の佐伯、野の佐伯といふ国巣(くず)(俗に「つちくも」または「やつかはぎ」)がゐた。普段は穴を掘ってそこに住み、人が来れば穴に隠れ、去った後でまた野に出て遊んでゐた。まるで狼か梟ででもあるかのやうに、あちこちに潜んでゐては、物を盗み、祭に招かれても様子がをかしく、風習がまったく異なってゐた。あるとき、大(おほの)臣の一族の黒坂命が、野に狩りに出て、あらかじめ彼らの住む穴に茨(うばら)の刺を施し、突然、騎兵を放って彼らを追ひ立てた。佐伯たちは、あわてて穴に逃げ帰ったが、仕掛けられた茨の刺がからだ中に突き刺さり、あへなく皆死んでしまった。このときの茨から、茨城の名となった。 諺に「水泳(みづくぐる)茨城の国」といふ。

 

土蜘蛛とは大和政権に従わない土着の人々を呼んだ言葉です。土蜘蛛(つちぐも)=佐伯とあるので佐伯は縄文人であったと考えられます。

      『土蜘蛛草紙絵巻』

もののけ姫の祟り神のモデルは土蜘蛛?縄文人との関係

大和政権の命令を「さえぎる者」だから、「さえぎ」と云われたという説もありますが、『語源由来辞典』によると、「遮る」の語源は「先切る(さききる)」とあり、「さききる」が平安時代に音便化して、「さいきる」や「さいぎる」となり、鎌倉時代頃から「さえぎる」の例が見られるようになったとあるので、佐伯(さえき)の由来は遮(さえぎ)るではなさそうです。

佐伯直(さえきのあたえ)とは

 この東国から移住させられた佐伯(さえき)を統率するために任命されたの姓(かばね)が、佐伯直(さえきのあたい)です。  

 

東北からの移住者が佐伯部(さえきべ)、佐伯部を支配したのが佐伯直(さえきのあたい)という関係です。

 

佐伯直は地方豪族が任命されたことがわかっています。例えば『新撰姓氏録』には、播磨国(現在の兵庫県南西部)の佐伯直のルーツについて記されています。

10代景行天皇の皇子・稲背入彦皇子(いなせいりひこのみこ)の子の御諸別命が13代成務天皇の時代に針間(播磨)国に封ぜられて以来、氏名を「針間別(はりまわけ)」とした。

15代応神天皇播磨国行幸した時に、御諸別命の子の針間国造の伊許自別命(阿良都命)に佐伯部を伴造として管掌させるとともに、「針間別佐伯直」と改賜姓した。38代天智天皇の時代(670年)に「針間別」の三字を除き、単に「佐伯直」と名乗るようになった。

 

つまり、景行天皇の子孫が播磨国の支配者(国造)に任命され、その子孫に佐伯部(東国からの移民)支配権を与え、佐伯直と呼ばれたということです。

 

日本書紀』には日本武尊(やまとたける)が連れ帰った東国の人を播磨を含む5カ国に分けたとありましたが、『新撰姓氏録』だと応神天皇の時代のこととしており、ずれがありますね。

 

空海は佐伯氏か?

佐伯の子孫は後の時代にも活躍していきます。

真言宗の開祖である弘法大師こと、空海讃岐の有力な佐伯氏の出身で、幼名を佐伯真魚(さえきのまお)といいました。 『日本書記』にある讃岐に移住させられた佐伯部もしくは、それを統括した佐伯直の子孫でしょうか。

 

広島の厳島神社を建立したのも佐伯鞍職(くらもと)という人物であり、奥宮に祀られています。『日本書紀』にある安芸に移住させられた佐伯部もしくは、それを統括した佐伯直の子孫でしょうか。

rekitabi.hatenablog.com

まとめ

・佐伯とは東国の蝦夷のことである

・東国の蝦夷は西日本に移住させられて佐伯部と呼ばれた

・佐伯部を統括する姓として「佐伯直」がある

・『新撰姓氏録』の播磨国造が任命された記事から佐伯直は地方豪族であった可能性

真言宗の開祖である空海も佐伯氏の出身である