歴男マイケルオズの「思い入れ歴史・人物伝」

戦国や幕末・維新を中心に古代から現代史まで、主に「人物」に視点を置きながら、歴史好きのオヤジが思いつくままに書いています

歴史・人物伝~大河コラム:大河ドラマ「べらぼう」~1年間見続けてきた感想など

大河ドラマ「べらぼう」は12月14日放送分にて最終回となりました。蔦屋重三郎という一般には知られていない人物の物語が見事に描かれ、1年間楽しく見続けさせていただきました。

最終回は蔦重の臨終がラストシーンとなったわけですが、べらぼうなドラマにふさわしく、かかわりのあった人たちによる「へ」の連呼からの「拍子木が・・・」からのカチンで幕。いやあ、面白かった(笑)

 

正直、番組が始まる前は「江戸時代中期」という馴染みの薄い時代であり、かつ「蔦重って誰?」ということもあって、1年間見続けられるかどうか、自信がなかったわけです。

第1話から全裸の女性の死体(AV女優が出演)が登場するという度肝を抜かれるシーンに驚かされましたし、何よりも遊郭である吉原をドラマのど真ん中に据えていたことが画期的でした。

劇中の重要人物である喜多川歌麿についても、異性でも同性でも恋愛対象となる難しい人物像に描かれていますし、いろいろな意味でタブー視されていることにあえて挑戦したドラマだったと言えるでしょう。

それから、田沼意次の政治についてきちんと取り上げているなという印象を持ちました。かつては悪名高き人物の代表格とまで言われていた田沼ですが、近年再評価された田沼像が描かれたと思います。

ドラマ最終版では、東洲斎写楽を「蔦重が生み出した架空の人物」として登場させ、挙句の果てには一橋治済を成敗してしまうという破天荒というか、まさに「べらぼうな脚本・演出」を見せてくれました。

 

私個人としては、これまであまり勉強してこなかった江戸時代の政治や文化を学ばせてもらう機会になり、とくに田沼時代に花開いた江戸文化の粋でツウな面白さに触れることができました。

そういえば2024年の大河ドラマ「光る君へ」も番組が始まる前は、あまり興味がわかなかったものの、脚本の秀逸さとドラマの面白さに惹かれて最後まで見続けました。

戦国時代ものや幕末ものばかりに目を向けていた私にとって、平安時代と江戸時代を舞台にした大河ドラマが2年続いたことは、より日本の歴史を深く知れてよかったなと感じているところです。

 

さて、来年2026年の大河ドラマは「豊臣兄弟」

舞台はもちろん戦国時代で、豊臣秀吉の弟である豊臣秀長が主人公。お馴染みの戦国ものだけに、早くも期待に胸を膨らませています。もちろん、第1話からしっかり見るつもりですよ。

さらに言えば、再来年2027年の大河ドラマ「逆賊の幕臣」も、かなり注目しています。こちらも定番の幕末もので、主人公が小栗忠順となれば、どんなドラマになるのか注目せざるをえません。

 

話が少々脱線してしまいましたが、何はともあれ蔦重役の横浜流星さんはじめ、俳優さん、スタッフさん、そして脚本の森下佳子さん、「べらぼう」で楽しいドラマを1年間ありがとうございました!

 

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歴史・人物伝~大河コラム:大河ドラマ「べらぼう」~一橋治済のべらぼうな結末

大河ドラマ「べらぼう」の7日放送分は、黒幕として己の思うがままに振る舞い、まさに今大河のラスボスとなった一橋治済をどうやって成敗するか、という視点で全編描かれていました。

 

まずは史実の一橋治済について触れておきます。

8代将軍徳川吉宗が、将軍家を自身の血脈でつないでいくため、御三家とは別に御三卿として、田安家、一橋家、清水家を創設。治済は一橋家の2代目当主となりました。

10代将軍家治が実子・家基を失ったことで、治済の子を養子に迎え、11代将軍家斉となります。さらに当主が不在となった田安家に斉匡を入れ、清水家の後継者も家斉の弟を据えたのです。

一橋家は斉敦が3代目を継いだことで、治済は悠々自適な隠居生活をおくり、文政10年(1827年)に77歳の生涯を閉じました。死没後も太政大臣を追贈される名誉を受けたのでした。

ここからは大河ドラマの話になります。ネタバレありです!

ドラマとしては、何としてもラスボスを倒さねばなりません。が、史実の治済を考えると、簡単に殺してしまうというわけにもいきません。かといって、精神的に追い詰めるだけでも不十分・・・

そこで登場したのが治済の替え玉。しかも、阿波国の能役者・斎藤十郎兵衛という二重の奇想天外さ。言うまでもなく、斎藤は東洲斎写楽その人であるとの定説がある人物なのです。

さらに奇想天外だったのは、治済に毒饅頭を食べさせるという企みに将軍家斉を巻き込んでしまおうという発想。そして、それを実行に移すべく動いていくわけですから、破天荒もいいところですね(笑)

ただ、さすがと思わせたのは家斉にも「動機」の伏線を張っていたこと。前将軍家治が、今わの際に治済への恨み言をぶちまけたシーンを家斉はしっかりと覚えており、父子の葛藤が生まれていたのです。

その結果、治済に眠り薬入りの茶を飲ませることに成功。替え玉の治済が城中に入り、ホンモノの治済は阿波国の離島に幽閉しました。松平定信蔦屋重三郎らの助けを借り、ラスボス倒しを果たしたのでした。

 

とまあ、簡単にドラマを振り返りましたが、文中に奇想天外やら、破天荒やらと表現せざるをえないような、あっと驚く展開は、まさに「べらぼうな脚本・演出」でしたね(笑)

史実を丹念に追うような大河ドラマをお好みの方からは、批判の声も上がってくるでしょうが、私自身は「フィクションの世界のエンタメとしては、なかなか面白いドラマだった」と評価します。

そんな「べらぼう」も、いよいよ14日が最終回。蔦重臨終のシーンまで、どんなドラマが繰り広げられるのでしょうか?

 

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歴史・人物伝~大河コラム:大河ドラマ「べらぼう」~東洲斎写楽の描き方

30日放送の大河ドラマ「べらぼう」は、蔦屋重三郎東洲斎写楽の役者絵を大々的に売り出すという、1年間のドラマの中でも最大のクライマックスが描かれました。

 

「べらぼう」がスタートした時、キャストの発表のなかに東洲斎写楽役の俳優が明かされていませんでした。前宣伝では「写楽を売り出す蔦重」というのを大々的にアピールしていたはずなのに・・・

ドラマが進み、蔦重晩年に登場する滝沢馬琴葛飾北斎十返舎一九のキャストがリリースされても、肝心の東洲斎写楽役は出てきません。よほどの大物俳優なのか、謎は深まるばかり。

そして、ドラマがクライマックスを迎え、ついに写楽が登場しました。それは特定の個人ではなく、「蔦重がプロデュースした架空の存在」という形だったわけです。

蔦重が影響を受けた平賀源内がモチーフとなり、喜多川歌麿をはじめ、蔦重が信頼してきた絵師や戯作者らが知恵を絞って生み出された「東洲斎写楽」は、江戸の町に一大センセーションをもたらしたのです。

 

この写楽の描かれ方について、歴史研究家の中には「写楽が誰なのかは明らかになっているはずだ」と批判する人もいるようです。確かに、写楽=斎藤十郎兵衛という説が有力であることには間違いありません。

ただ、私は「べらぼう」での写楽の描き方の方がいいと思っています。有名俳優をゲスト出演のようなサプライズで登場させるのではなく、ドラマのストーリーや流れを重視した演出は見事だと唸りました。

「べらぼう」は大河ドラマ、つまりフィクションの世界です。史実を全く無視した突拍子も無いような演出なら論外ですが、このくらいのフィクションに目くじらを立てるのはいかがなものかと(苦笑)

 

ちなみに脚本の森下佳子さんは、4月のステラのインタビュー記事で「私にとっての写楽の謎は、彼が誰なのかということよりも、その出し方です」と語っています。

森下さんの構想に中には、すでに写楽という人物像は無く、蔦重がどのような過程で「写楽を売り出した」のかが、脚本の根幹になっていったのではないかと推察されます。

その意味では蔦屋重三郎東洲斎写楽というのが、大河ドラマべらぼうの答えだったのかもしれませんね。

 

写楽の件とは別に、ドラマはなんだかきな臭い雰囲気が一層高まって来たようですね。大河ドラマべらぼうもいよいよあと2回。ラストがどのように描かれるのか、楽しみです!

 

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歴史・人物伝~大河コラム:大河ドラマ「べらぼう」~将軍の跡継ぎ問題

大河ドラマ「べらぼう」もいよいよ大詰めとなってきました。謎多き浮世絵師・写楽蔦屋重三郎らがどのように生み出していくのか・・・実は蔦重にとって最後の大仕事となるわけですね。

さて、将軍家に目を向けると、第11代将軍の徳川家斉が、父である徳川治済の後ろ盾によって徐々に権力を集中させています。父の死去後、名実ともに権力のトップとなり、長期政権を築き上げるのです。

その家斉は「オットセイ将軍」と陰口を叩かれるほど、たくさんの子宝に恵まれ、後継者以外の子供たちは御三卿をはじめとする大名家に養子に出し、将軍家と縁続きの大名家が増えていくはずでした。

ところが、生まれた子供の半数以上が幼少期に亡くなってしまい、成人したなかで後継者となり得たのは12代将軍となる家慶と、御三卿の清水家に入った斉順、田安家に入った斉荘くらい。

家斉がなかなか将軍の座を手放さなかったため、家慶が将軍に就任したのは45歳になってから。大御所だった家斉の死去後、財政再建のために水野忠邦を登用して天保の改革を行わせましたが、失敗に終わりました。

 

そんな家慶ですが、彼も後継者には苦慮しました。父の家斉には及びませんでしたが、家慶も27人という子だくさんに恵まれたものの、大半が幼少期に亡くなってしまったのです。

後継者にした4男の家定は障害を持っていたとされ、将軍として君臨するのは不安視されてしました。ただ、成人まで生き延びたのが家定一人しかおらず、消去法で後継者とせざるをえなかったのです。

13代将軍となった家定は懸念されたとおり、子供を持つことができず、家斉からの直系将軍は途絶えることになります。おまけにペリー来航で物情騒然とした時期と重なり、将軍継嗣問題を引き起こしてしまうのです。

その将軍継嗣には、大老井伊直弼らが押した紀伊藩主の徳川慶福が14代家茂として就任。家茂は家慶の異母弟である斉順が父親で、家定とは従兄弟同士という関係となります。

傍系とはいえ、家斉の血脈がつながったわけですが、その家茂も子供がいないまま若くして亡くなってしまいます。次の15代将軍に就いたのは、家斉とは血縁関係の無い徳川慶喜だったのです。

 

徳川将軍のなかでも飛びぬけた子だくさんだった11代家斉ですが、まさか自分の血を受け継いだ将軍が3代で居なくなってしまうとは、夢にも思わなかったでしょうね。

 

 

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歴史・人物伝~「戦国ヒストリー」掲載コラムをご紹介:武士として生きたかった近藤長次郎の無念な運命

戦国ヒストリーという日本の歴史に関するサイトへの投稿を続けています。専門家、歴史愛好家ら多士済々の執筆者にまじって、歴史ファンの一人として、ユーザー投稿の形で執筆しているところです。

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今回の掲載コラムご紹介は武士として生きたかった近藤長次郎の無念な運命です。

幕末・維新は日本の歴史の中でも、最も劇的な国家の大転換期となった時期と言えるでしょう。その膨大なエネルギーはたくさんの若き命が源になっているのではないかと思わざるをえません。

近藤長次郎もわずか28歳という若さでこの世を去っています。近藤は自ら命を絶つ選択をしたのですが、正直言って「なんて無駄なことをしたんだろう」と思える残念な死だったのです。

町人に生まれた近藤は、坂本龍馬と出会い、勝海舟を師に持つことで、武士として生きていくようになります。ただ、その生きざまが最終的には近藤の運命を決してしまうことになるとは・・・

コラムでは近藤長次郎の生涯をたどりながら、幕末という大きなうねりの中で、武士の価値観に翻弄された悲劇をご紹介します。よかったら、ぜひ読んでみてください。

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歴史・人物伝~「戦国ヒストリー」掲載コラムをご紹介:関ケ原の合戦で「西軍勝利」のキーマンになるなら誰だ?

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今回の掲載コラムご紹介は関ケ原の合戦で「西軍勝利」のキーマンになるなら誰だ?です。

戦国時代最大にして、天下分け目の戦いと言われた関ケ原の合戦。徳川家康率いる東軍がわずか1日で大勝利をおさめ、家康は天下取りへの王道をまい進することになったのです。

明治時代にドイツ軍人が、両軍の布陣図を見て即座に「西軍の勝ち」と言ったとされれます。その逸話からも分かるように、結果的に圧勝だったとはいえ、家康が必ず勝てたという保証はありませんでした。

史実に「もしも」はありえませんが、歴史好きは「もしも」を語りたいもの。そこでこのコラムでは、西軍が勝つという「もしも」の世界を想像し、その要因を探ってみようと思いました。

西軍勝利のキーマンとなったのは、裏切者の小早川秀秋か、日和見吉川広家か、あるいは別の人物か・・・その場合、徳川家はどうなっていたのか、についても想像を膨らましてみましょう(笑)

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歴史・人物伝~大河コラム:大河ドラマ「べらぼう」~尊号事件と大御所

大河ドラマ「べらぼう」は、筆頭老中の松平定信による寛政の改革に何とかあらがおうとする蔦屋重三郎らの苦闘が描かれています。その結果、出版統制によって蔦重らはピンチに追い込まれる・・・というくだり。

 

松平定信が改革で目指しているのは、幕府の財政再建だけではなく、封建的秩序の復権もありました。祖父でもある8代将軍・徳川吉宗享保の改革を手本にした改革であることは明白です。

私の個人的な見解ではありますが、定信という人はバリバリの保守政治家ではないかと思います。封建的秩序を守っていくことこそが正しい道だと信じて突き進んでいる感じがするのです。

その一例が、朝廷がかかわる「尊号事件」ではないでしょうか。

当時の皇室は、直系男子がいなかった後桃園天皇の後継として、傍系の光格天皇が即位していました。光格天皇は父親である閑院宮典仁親王太上天皇上皇)の尊号を与えるよう幕府に働きかけます。

幕府が定めた禁中並公家諸法度では、親王太政大臣左大臣、右大臣より下の身分に置かれることになっていますが、光格天皇はそれが我慢ならなかったのでしょう。

上皇であれば、天皇より上位もしくは同格ということになり、少なくとも臣下である大臣たちよりも上になります。傍系出身の負い目もあり、何とか父親の尊厳を守りたいと思ったのでしょう。

しかし、松平定信は頑として天皇の意向を認めようとしませんでした。そこには、神君家康公以来の祖法である禁中並公家諸法度は絶対守るべきだとの強い信念があったのではないかと思われます。

幕府側と朝廷側が対立するという事態に発展しそうになりましたが、天皇を後見していた後桜町上皇らの説得によって天皇は折れ、幕府も親王の待遇改善を約束するなどして、何とか事態を収束できました。

 

そして、この事件には思わぬ「副産物」が生まれるのです。

当時の11代将軍・徳川家斉は、一橋家から将軍家の養子となって将軍の座に就きました。家斉の父親は徳川治済で、大河ドラマでは様々な場面で黒幕として暗躍してきたように描かれています。

家斉がまだ若年であることから、治済は後見人として権力を握りたかったに違いありません。大御所として君臨できれば一番いいのですが、これまで大御所と言われたのは将軍を退いた人しかいません。

光格天皇の父親に上皇の尊号を認めなかった幕府が、将軍にもなっていない治済を大御所と認めるわけがありません。治済は尊号事件のとばっちりを受けてしまう形になったのです。

このことが後々、将軍家斉と定信との対立を生むことになるのでした。

 

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