こんにちは、rekikakkunです。
神戸旅1日目の続き(その2)です。
~1日目~
1.滝山城(続き)
主郭部付近に来ました。















瀧山城の石碑


まさか神戸の街といっても良い所に、
こんなに大規模な山城があるとは知りませんでした。
もう少し北東にも、倒幕時赤松円心が使った
摩耶山のお城なるものもあった様です。
2.布引の滝
滝山城訪問後、登ってきた道を少し戻って、
分岐点に来ました。


こちらの道は結構急坂です。

登ってる方達はしんどそうでした。
しかしこちらの方が景色は良いです。













展望スペースが広く整備されていて、お客さんも居ます。







新神戸駅から巡って約2時間でした。

背後がもう山です。
3.神戸牛
さて、もはや山城は早歩きで通リ過ぎ、
頭の中は神戸牛だけ・・・ランチに向かいます。
行先は少し調べまして、手頃なチェーン店では無く、
口コミが良くて、ランチもやってる和黒さんを
予約しました。



たぶん余裕を見て13:00か13:30の
予約だったと思います。
ダメ元でお店に確認しましたら、入店可との事でした。



おお~って見てました

その後も焼かれてきましたが、一口が小さいですね~。

最高級では無いけど、充分柔らかいです。
サービスもお味も満足しました。
しかし私の想像していたサーロインステーキの
大きさとは違っていて、厚さが薄かったんですね。
神戸牛はほんとに食べると2,3万円からの様
なので、ランチで1万円未満だと、この薄さに
なると勉強になりました。
まあ一人でしたので、パクパク食べてたら、
このグループを追い越して退店してました。
4.湊川神社
湊川神社まで歩きます。

(ここは大倉山駅とは反対側、南側の写真です)
含めたエリアを神社として創建されました。
かの楠木正成の戦没地に建てられた神社です。




ここは国指定史跡になっています。
両手を合わせ、冥福を祈りました。

1331年、後醍醐天皇の倒幕計画、
元弘の変に合わせ、正成は赤坂城で再度呼応しました。
1333年、倒幕がなり、建武の新政が始まるも、
足利尊氏の謀反等により、朝廷側は劣勢となり、
1335年この地、湊川の戦いで、弟正季達
一族と共に壮絶な戦死をします。
この地は自刃の際に籠った民家があった所と
言われています。

門内拝観が出来るのかもしれません。
ここだけが建武の新政当時の史跡と思って
ましたので、近くの社務所で中に入れますか?
と聞いてみました。
そしたら若い神官の方が出てきて、
ご案内しましょうと言ってくれました。😍
お~門を開けて、中に入りました。
これは😂😂😂


確かご神官の方がおっしゃったのは、室町以降
正成自刃の地に、地元の方たちが小さいながらも
祠を建てて、祭っていましたが、次第に
寂れてきました。
江戸時代、有志の方がこの地を残すために、
塚を盛った(守った)との伝承です。
私がこの地に来てみて思ったのは、湊川神社って
多分当時は海岸線に近かったと思われます。
私は楠木軍は劣勢になって山側に向かったんだと
勝手に思ってましたが、海岸線に近い所でずっと
少人数で戦い、何度も突撃していたんだと分かり
じ~んときました。
ちょっと神格化されてるかなと思いましたが、
本物の忠臣、武士ですね~。

この正面の2つの塔の文字を見てみますと。


2人共佐賀藩ですね~。

従五位民部省輔越智宿禰博文(伊藤博文)の
塔もありました。
みんな明治初期の呼び名ですかね?
何故か佐賀藩の2人が正面に建っていて、
維新初期の力関係なのでしょうか?
ご神官の方は殉節地や湊川神社について、
色々お話頂きまして、とても有難かったです。
今は史跡の現地で教えてもらえる機会があれば、
どんどん教えてもらう様にしてます。
(貴重なお話を聞けますし、一期一会ですので)



これが水戸黄門によって造られた墓碑かな?
湊川の地に墓碑を建て正成公を祀ったと伝わります。
ご神官がこの墓碑と殉節地を守る(囲う)形で
湊川神社が建てられたと教えてくれました。
この2つが国指定史跡になってます。
幕末は京都と薩長含めた西側諸藩を結ぶ
山陽道の道筋にあたり、維新の方たちが多く
参詣したんだと思います。

(御祭神に楠木正成、息子の楠木正行の名が記されてます)
最後に3年前に行きました2人の像
の写真を添えて終わります。

この像は桜井の別れ、湊川の戦い直前に息子を逃がしたお話です。
その後正行公は、父の遺志を継ぎ、四条畷の戦いで戦死しました。
次回は、本旅行の主目的の、別所氏の三木城
と秀吉軍の付城です。
ご高覧ありがとうございました。m(__)m