歴史ぶらり1人旅

歴史好きのかっくんです。歴史スポットを一人気ままに探訪します。

神戸観光1日目 滝山城、布引の滝、神戸牛、湊川神社の旅(その2)

こんにちは、rekikakkunです。

 

神戸旅1日目の続き(その2)です。

 

~1日目~

 1.滝山城(続き)

  新神戸駅から滝山城に登って、

  主郭部付近に来ました。

堀切の所から、本丸へ黄色矢印方向を進みます。

堀切から本丸側の郭へ登ります

曲輪を進む

忘れてしまった遺構

進みます

進んでます

進みます

土塁みたい

階段

東屋

神戸の街

神戸の街拡大

東屋の郭から少し先に行きます

土橋状の道を進むと

本丸に到着しました。
瀧山城の石碑

本丸の先を下ると

反対側(西側)の堀切をちら見

  まさか神戸の街といっても良い所に、

  こんなに大規模な山城があるとは知りませんでした。

 

  もう少し北東にも、倒幕時赤松円心が使った

  摩耶山のお城なるものもあった様です。

 

 2.布引の滝

  滝山城訪問後、登ってきた道を少し戻って、

  分岐点に来ました。

滝山城布引の滝の分岐点

分岐点を布引の滝方面に下ってみます。

 こちらの道は結構急坂です。

看板がありました。ここも急坂を下ってます。
登ってる方達はしんどそうでした。

 しかしこちらの方が景色は良いです。

ロープウエイ 空が青くなってきました

神戸の街が広範囲に見えました

神戸の街拡大

舗装路にきました。

神戸の街が近くなってきました

西側を見ると、これ滝山城かな?

拡大

展望台

神戸の街

布引の滝へ進みます

閉まってる茶店の中を通過

布引の滝(雄滝)に着きました。
展望スペースが広く整備されていて、お客さんも居ます。

布引の滝(雄滝)

布引の滝(雄滝)

布引の滝下流も風情がありますね~

森林浴ができますね

布引の滝(雌滝)

布引の滝(雌滝)拡大

12:15 滝山城登山口に戻りました。
新神戸駅から巡って約2時間でした。

南側から新神戸駅を撮りました。
背後がもう山です。

 3.神戸牛

  さて、もはや山城は早歩きで通リ過ぎ、

  頭の中は神戸牛だけ・・・ランチに向かいます。

 

  行先は少し調べまして、手頃なチェーン店では無く、

  口コミが良くて、ランチもやってる和黒さんを

  予約しました。

駅から近く、ANA CROWNE PLAZAに向かいます

中に入ります。お店はあまり無いです。

12:25 神戸牛のお店、和黒さんに到着しました。

  たぶん余裕を見て13:00か13:30の

  予約だったと思います。

  

  ダメ元でお店に確認しましたら、入店可との事でした。

たぶん一つ前の予約のグループに割り込みました(笑)

直ぐにセットが来ました。

神戸牛拡大
おお~って見てました

神戸牛が少しづつ調理されてきました。

 その後も焼かれてきましたが、一口が小さいですね~。

お肉は美味しかったです。
最高級では無いけど、充分柔らかいです。

 サービスもお味も満足しました。

 しかし私の想像していたサーロインステーキの

 大きさとは違っていて、厚さが薄かったんですね。

 

 神戸牛はほんとに食べると2,3万円からの様

 なので、ランチで1万円未満だと、この薄さに

 なると勉強になりました。

 

 まあ一人でしたので、パクパク食べてたら、

 このグループを追い越して退店してました。

 

 4.湊川神社

  新神戸駅から地下鉄に乗り、大倉山駅で降りて、

  湊川神社まで歩きます。

湊川神社入口
(ここは大倉山駅とは反対側、南側の写真です)

 湊川神社は明治5年、明治政府により墓所、殉節地を

 含めたエリアを神社として創建されました。

 かの楠木正成の戦没地に建てられた神社です。

境内に入ります

楠木正成の戦没地に向かいます。

案内板があります

楠木正成 殉節地
ここは国指定史跡になっています。
両手を合わせ、冥福を祈りました。

殉節地の説明板

  1331年、後醍醐天皇の倒幕計画、

  元弘の変に合わせ、正成は赤坂城で再度呼応しました。

 

  1333年、倒幕がなり、建武の新政が始まるも、

  足利尊氏の謀反等により、朝廷側は劣勢となり、

  1335年この地、湊川の戦いで、弟正季

  一族と共に壮絶な戦死をします。

 

  この地は自刃の際に籠った民家があった所と

  言われています。

説明板の下を見ますと・・・お、

 門内拝観が出来るのかもしれません。

 

 ここだけが建武の新政当時の史跡と思って

 ましたので、近くの社務所で中に入れますか?

 と聞いてみました。

 

 そしたら若い神官の方が出てきて、

 ご案内しましょうと言ってくれました。😍

 

 お~門を開けて、中に入りました。

 これは😂😂😂

殉節地

 

殉節地 拡大

 確かご神官の方がおっしゃったのは、室町以降

 正成自刃の地に、地元の方たちが小さいながらも

 祠を建てて、祭っていましたが、次第に

 寂れてきました。

 

 江戸時代、有志の方がこの地を残すために、

 塚を盛った(守った)との伝承です。

 

 私がこの地に来てみて思ったのは、湊川神社って

 多分当時は海岸線に近かったと思われます。

 

 私は楠木軍は劣勢になって山側に向かったんだと

 勝手に思ってましたが、海岸線に近い所でずっと

 少人数で戦い、何度も突撃していたんだと分かり

 じ~んときました。

 

 ちょっと神格化されてるかなと思いましたが、

 本物の忠臣、武士ですね~。

塚の入口

 この正面の2つの塔の文字を見てみますと。 

参議正四位江藤新平 って掘られています

参議兼司法卿正四位大木喬任

 2人共佐賀藩ですね~。

すぐ近くには大隈重信と共に、
従五位民部省輔越智宿禰博文伊藤博文)の
塔もありました。

  みんな明治初期の呼び名ですかね?

  何故か佐賀藩の2人が正面に建っていて、

  大隈重信伊藤博文の塔が脇側にある。

  維新初期の力関係なのでしょうか?

 

  ご神官の方は殉節地や湊川神社について、

  色々お話頂きまして、とても有難かったです。

 

  今は史跡の現地で教えてもらえる機会があれば、

  どんどん教えてもらう様にしてます。

  (貴重なお話を聞けますし、一期一会ですので)

湊川神社の南側、墓所に向かいます

楠公墓所

史跡楠木正成墓碑

 これが水戸黄門によって造られた墓碑かな?

 尊王思想の濃かった水戸藩徳川光圀により、

 湊川の地に墓碑を建て正成公を祀ったと伝わります。

 

 ご神官がこの墓碑と殉節地を守る(囲う)形で

 湊川神社が建てられたと教えてくれました。

 この2つが国指定史跡になってます。

 

 幕末は京都と薩長含めた西側諸藩を結ぶ

 山陽道の道筋にあたり、維新の方たちが多く

 参詣したんだと思います。

 

湊川神社 由緒書
(御祭神に楠木正成、息子の楠木正行の名が記されてます)

 

 最後に3年前に行きました2人の像

 の写真を添えて終わります。

大阪、四条畷神社。ここの御祭神は楠木正成の嫡男正行公(小楠公)。
この像は桜井の別れ湊川の戦い直前に息子を逃がしたお話です。
その後正行公は、父の遺志を継ぎ、四条畷の戦いで戦死しました。

 

 次回は、本旅行の主目的の、別所氏の三木城

 と秀吉軍の付城です。

 

 ご高覧ありがとうございました。m(__)m