はじめに
ブログ「禮奇亭備忘録」を8月から初めて、4か月が過ぎようとしています。多くの方にアクセスをいただき、誠にありがとうございました。
さて、2025年も教育政策・現場・学習の各領域で大きな動きがありました。3回にわたり、一年を総括し、2026年への展望をしたいと思います。

学習指導要領の改訂に向けて
2025年は、次期学習指導要領の改訂に向けての議論が本格化しました。その中で、グローバル化・デジタル社会・多様性の拡大といった社会変化に対応する必要性が強調されました。
私が特に興味をもったのは、指導要録の評価を2観点に整理するという方向で議論されたということです。つまり「知識・技能」「思考・判断・表現」の2観点で評価するというものです。(文科省資料(2025年7月)出典はこちら)
これは、観点別評価の複雑さを減らし、教師の負担軽減と生徒の学びの改善につなげることを目的としています。
「知識・技能」「思考・判断・表現」はある程度「できる・できない」の評価をすることができます。しかし現行のものは「主体的に取り組む態度」にもABCの評価がつけられ、これら3観点の総括によって1~5の評定がつけられています。これが2観点となると、特に五教科の場合は、ほぼテスト点のみで評定をつけることも可能になるわけです。
教師にも生徒にも簡素化の大きなメリットがあります。一方、学びの多様性をどう評価に反映させるかが今後の焦点となります。
みなさんはどう考えますか?
教育DX(デジタル化)とAI活用の進展
デジタル教科書
GIGAスクール構想の端末整備に伴い、次期指導要領までに「紙と同等の正式な教科書」としてデジタル教科書を位置づける方針が示されました。しかし、北欧や韓国など、先行してデジタル化を進めた国で「学習定着率の低下」「健康面の懸念」などを理由に、紙の教科書を重視する方向へ揺り戻しが起きています。
特に国語はテキストの俯瞰性・一覧性の面で読解を困難にする可能性が高いように感じます。世界的な揺り戻しを踏まえると、紙とデジタルのハイブリッド利用が現実的な姿になるのではないでしょうか。しかし財政的に併用を無償化できるかは未定です。
もし財政的な理由により、紙かデジタルか一方のみが無償化の対象として採択されたら……現実問題として、紙とデジタルの併用は可能になると思いますか?
AIの活用
教師不足や長時間労働の軽減に対し、AIを活用した業務効率化や個別最適化への対応などが言われています。しかし現実は理想にはほど遠く、部分的に移行に進んでいる段階です。更に地域格差もあり、政策的支援が必須でしょう。
それ以上に問題となるのは、倫理・ガイドライン整備です。学校への活用より、中高生の方がはるかに進んでしまっています。そのため、中高生によるAIの不正利用が急激に増加しています。
生成AIを使ってレポートや作文を丸写しする、数学や英語の課題をAIに解かせて提出するなどの不正利用。画像生成で「ありもしない写真」を作りSNSで拡散する、ディープフェイク動画を使った悪ふざけや誹謗中傷をするといった偽情報の拡散。AIで作ったイラストや音楽を「自作」として投稿、あるいは他人の作品をAIで加工して無断利用するといった著作権・倫理違反。AIチャットを使って相手を模倣してのなりすまし、あるいはAI生成の文章や画像で同級生をからかういじめや嫌がらせなどです。
これらの中で問題行動レベルのものは、学校毎の生徒指導の対象となるにとどまります。犯罪レベルのものはマスコミ等で話題となりますが、未成年であり個人や学校の特定を恐れるためあいまいな報道になっています。教員の不祥事ほどは世の中に広がらないのです。
AIはとても便利な思考のパートナーです。ただし、その力を活かすのは人間の問いかけ次第です。教育の可能性を広げる一方で、未成年による不適切利用が急増している現実を直視しなければいけません。理想と現実の間にあるこのギャップを埋めるのは、技術ではなく、倫理と教育の力だと思います。
みなさん、AIの進歩に学校でのリテラシー教育は追いつけるでしょうか?
少子化対応や地域教育格差への施策
少子化による学校統廃合は避けられない流れです。特に地方では「1学年数人」という小・中学校も増えています。そのため、複数校を統合して「小規模校の集約」が進められています。また都道府県レベルでは、「定員割れ」が常態化している高校を統合する動きが加速しています。中央教育審議会の答申(2025年)でも、少子化に伴う大学進学者数の減少を見据え、大学の統合・縮小を進めつつ「地域の知の拠点」を維持する方針が示されています。
少子化により「大学全入時代」と言われるほど、希望すればほぼ大学に進学できる状況です。ただし、進学率が高まっても地方では進学先の選択肢が限られているというような「地域格差」や「大学の質の格差」は残っています。これは日本だけでなく世界的な流れのようです。
入試のハードルが下がるこどで、学習習慣の弱体化やモチベーションの低下が進むのと同時に、学びの多様化、個別最適化の可能性が高まっています。「みんな違って、みんないい」ということは、学力が低くても高くてもかまわない、ということにつながってしまいます。ですから、学び直しや探究心をどう育て、どう評価するかが課題となります。一歩間違うと、学力の二極化が一層進むかもしれません。
そうならないためにも、統廃合後の通学支援(スクールバス、遠隔授業)や、大学の地域連携(産学官連携拠点化)など、強力な政策的な支援が必要でしょう。少子化は教育の量を減らすのではなく、学びの質を問い直す契機としなくてはいけないと思います。どう乗り越えるかは、探究心を育てる教育の力にかかっているのです。
SFの古典、H.G.ウェルズの『タイム・マシン』(1895年)では、人類が「支配する側」と「支配される側」の二層に分離してしまう姿が描かれています。教育の二極化は、このSFのような未来につながるのでしょうか。この未来を避けるために、私たちは何をすべきでしょう。みなさんの考えをお聞かせください。
次回は、現場の変化についてです。