海外文学読書録

書評と感想

マキノ雅弘『昭和残侠伝 死んで貰います』(1970/日)

★★★★

料亭「喜楽」に生まれた秀次郎(高倉健)は、家庭の事情から家を出てやくざになる。ある日、博打のイカサマを見抜いた秀次郎は賭場のやくざたちにボコられ、イチョウの木の下で体を休める。そこで若い芸者・幾江(藤純子)と知り合った。7年後、秀次郎は板前として「喜楽」で働くことになり、兄貴分の板前・風間重吉(池部良)と肩を並べる。

昭和残侠伝シリーズ第7弾。

任侠映画が時代劇のフォーマットを転用していることが実感できた。そもそも大正末期から昭和初期という舞台設定からして、その要素が強い。人々は和服を着用し、古い慣習と価値観に基づいて生活している。善玉は義理と人情を大切にするが、悪玉はそれを踏みにじって物語を揺るがす。最終的に善玉が復讐に走るのは、『忠臣蔵』でもお馴染みのフォーマットだろう。我々の精神構造はとても単純で、勧善懲悪が実現されると胸がすっとする。見終わったときに安心感を得られる。お茶の間で放送される時代劇は概ね勧善懲悪だし、任侠映画も最終的には討ち入りで復讐を果たしている。ところが、任侠映画は復讐に際して大きな代償を払う。一緒に戦った仲間は死ぬし、自身も官憲に逮捕されてエンディングを迎える。そういった滅びの美学もまさに『忠臣蔵』だ。善玉は自分の人生を賭して「悪」に立ち向かうのである。そういった前のめりな覚悟も見る人の心を打つ。

刃物を使ったアクションも時代劇からの転用だ。本作ではドスや刀を用いて立ち回っている。刃物は射程が短いからこそ自分の身も危険に晒す。相手に体当たりするような感覚でぐっと突き刺すが、その瞬間に大きな隙ができる。基本的に一対多数の戦いなので、どう動くかというのは極めて重要だ。本作は屋内から庭先へといった空間の生かし方がいい。一人で複数の人間と戦う。殺陣もまた任侠映画の見所である。

本作で面白いのは、観音の熊(山本麟一)が中ボスの役割を担っているところだ。彼は物語の序盤、賭場で壺振りをしていたが、秀次郎にイカサマを見破られてしまう。一回目は秀次郎に警告を与えるべく仲間を連れて暴行したが、二回目は打って変わって右手をドスで貫かれてしまった。彼の出番はそれで終わりかと思いきや、4年後に再登場する。その際、彼は右手を上手く動かせなかった。彼は秀次郎に復讐すべく勝負を仕掛けるが、秀次郎はもうやくざから足を洗って板前をしている。観音の熊はここから物語を動かす大きな駒になるのだった。若かりし頃の因縁が突然蘇ってくるところに面白みがある。

秀次郎からすれば、観音の熊の再登場は過去が追いかけてきた格好だ。今は平和に板前をしているのに、観音の熊はそれを許さない。秀次郎は否応なく自分の過去と向き合うことになる。一度やくざになったら簡単に足は洗えない。恨みを持った人物が自分のところに押しかけてくる。そうすると職場に迷惑がかかるから立ち去るしかない。本作は人の因果をこれでもかと突きつけてくる。

秀次郎役の高倉健はストイックな役柄がよく似合う。寡黙で自分の欲望を露わにしないところが格好良かった。また、風間重吉役の池部良も貫目のあるイケオジである。この二人が切った張ったの大立ち回りを演じるところは最高だった。やはり任侠映画において俳優の佇まいは重要である。