海外文学読書録

書評と感想

内田吐夢『飢餓海峡』(1965/日)

飢餓海峡

飢餓海峡

  • 三國連太郎
Amazon

★★★★★

昭和22年(1947年)。北海道岩内で質店一家三人が惨殺され、犯人によって現場は放火される。その直後、青函連絡船が台風に巻き込まれて転覆した。無精髭の大男・犬飼多吉(三國連太郎)は北海道から内地に渡り、森林軌道で杉戸八重(左幸子)と知り合う。八重は置屋の娼婦だった。犬飼は八重と肉体関係を持ち、大金を置いて去っていく。一方、函館警察の弓坂刑事(伴淳三郎)は殺人犯を追っていた。

原作は水上勉の同名小説【Amazon】。

ざらざらした質感のモノクロ映像は、とても1965年の映画には見えない。体感的に1950年代前半に見える。どうやら16ミリで撮影されたモノクロフィルムを35ミリにトリミングしたらしい。この工夫により、貧乏だった頃の日本を臨場感たっぷりに表現している。

決定的なシーンでは極端に粒子が粗くなっている。たとえば、犬飼が同行者を殺害するシーンは、かろうじて動きが分かるだけでほとんど原形をとどめていない。さらに、ネガポジを反転させて白飛びさせたような映像も出てくる。たとえば、八重を殺害するシーンがそうだ。粒子を粗くしたりネガポジを反転させたり、これらは白昼夢のような非現実感を演出しているのだろう。本作に星5をつけたのは、映像に惹かれたところが大きい。

八重が恐ろしく不気味だ。当初は人懐っこい田舎娘という趣だったが、犬飼と寝て多額の現金を貰ってからは、彼に執着するようになる。

八重が犬飼の爪を保管し、あまつさえ爪に話しかけるのだから仰け反る。爪を犬飼に見立てているのだ。八重は犬飼のおかげで置屋の借金を返せたから嬉しいのである。八重にとって犬飼は、人生における大恩人だった。八重が不気味なのは、犬飼の爪を使って擬似的なセックスをするところで、恋慕の情が常軌を逸している。こいつはとんでもない化物だ、とドン引きした。

10年後、八重は相変わらず犬飼のことを思い続けている。彼女はまだ独身だった。一途と言えば聞こえはいいが、10年も想っているなんて気味が悪い。そして、八重にとって幸運なことに、犬飼と再会する機会を得た。犬飼は名前を変えて実業家になっていたのだ。新聞で犬飼のことを知った八重は、早速会いに行く。ところが、当の犬飼は八重のことを知らんぷりしている。それはそうだ。現在の犬飼は別人として新たな人生を歩んでいる。過去を知る八重の訪問は迷惑以外の何物でもない。

犬飼を前にした八重は、彼の心情を考えない。ただただ自分のことを認めてもらいたがっている。こういった配慮のなさは見ていてきついが、もっときついのが犬飼の正体が判明した瞬間だった。犬飼は特徴的な指をしており、八重はふとしたきっかけでそれを確認する。そしてその瞬間、八重は犬飼にむしゃぶりつくのだった。観客からしたらその行動は気持ち悪いし、犬飼にとっても同様だろう。そりゃ衝動的に首を絞めてしまうのも無理はない。本作における八重の人物像は「最悪」と呼べるものだった。

刑事が犬飼の本籍調査をし、彼が貧困層出身であることが判明する。そのとき、刑事は貧困と犯罪を結びつけていた。確かに現実にそういう傾向はあるが、今だったらポリコレに引っ掛かるだろう。犬飼は貧乏人であるがゆえに強盗殺人をする鬼畜だ。そういった決めつけは、現代人が見ると気になるかもしれない。

警察の取調べに対して犬飼は、観念して「真実」を話す。ところが、その「真実」は犬飼にとって都合のいい代物だった。この時点で罪が確定しているのは八重殺しと使用人殺しの二件であり、それ以外の容疑には客観的証拠がないのである。警察にとって犬飼が「信頼できない語り手」になっているところが面白い。