海外文学読書録

書評と感想

2025年5月に読んだ本

今期見ているアニメは、『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』、『mono』、『ざつ旅-That's Journey-』、『日々は過ぎれど飯うまし』、『ウマ娘 シンデレラグレイ』、『アポカリプスホテル』、『ボールパークでつかまえて!』、『ギャグマンガ日和GO』、『薬屋のひとりごと』の9本。どれも面白い。近年稀に見る当たりクールではなかろうか。

『mono』や『日々は過ぎれど飯うまし』といった日常系の復権が目を引く。日常系は最近までなろう系に押されて低調だった。それが今期は2本も良質な作品が出てきている。アニメファンとしてこれほど嬉しいことはない。

本命は『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』だろう。これは富野ガンダムをベースにした歴史改変アニメだが、毎回意表を突く展開を見せてくれる。富野ガンダムの旧キャラと鶴巻ガンダムの新キャラが重なり合うのがいい。惜しむらくは、この世界観が1クールで終わってしまうところだ。せめて2クールやってほしかった。

「本物と偽物」をテーマにしているところは、シン・シリーズを作ってきた株式会社カラーの自己批評アニメと言える。残り4話に注目だ。

VTuber学

VTuber学

  • 岩波書店
Amazon

生配信のいいところは配信者が等身大の人間だからで、今みたいにタレント化してしまうと距離を感じて楽しめない。

初期のVTuberがニコニコ動画やツイキャス出身なのは極めて重要である。なぜなら、彼らはネットでしか生きられない社会不適合者だから。正社員として就職することはおろか、バイトすらままらない。風呂には滅多に入らないし、部屋はゴミ屋敷のように散らかっている。リスナーはそういう配信者を見下しつつ、近所の友達のように親近感をおぼえながらコメントしている。つまり、配信者は自分より上位の存在であってはならないのだ。

ところが、VTuberが資本主義の要請で商業化されたとき、その力関係は逆転してしまった。社会不適合者だったはずの彼らが、今では我々の何倍も稼いでいる(ホロライブの演者の平均年収は5千万円である)。おまけにインフルエンサーとして社会に多大な影響を及ぼすようになった。VTuberに対する反発はおそらくこれが原因だろう。我々は汗水流して働いているのに、奴らは遊びみたいな仕事でその上前を撥ねている。アンチからすれば、いじめられっ子だったあいつがいじめっ子になったような理不尽を感じているわけだ。ネットがもたらしたパラダイムシフトは残酷である。

カバー株式会社CEOの谷郷元昭は次のように述べている。

人は生まれる時にビジュアルを選ぶことはできません。一方で、ビジュアルとは関係なく歌が上手な人、トークがうまい人など、色々なジャンルで才能豊かな人がたくさんいます。SNSによる影響も大きいかもしれませんが、今の時代は「見た目」への依存が強すぎる気がしています。歌手のAdoさんが支持される背景にも通じるかもしれませんが、見た目を問わず、自由に夢を見て、本人が持つ才能や力が評価され、支持される。そこにVTuberの可能性を感じています。(p.92)

アンチはよくVTuberのことを「絵畜生」と呼んでいるが、これは彼らがルッキズムから逃げているのが気に食わないからだろう。リアルではデブ・ブス・ババアの彼らが、ガワを被って短所を隠蔽している。アンチはそのことを卑怯だと思って嫌悪している。また、VTuberは創作的ルックスにくわえて匿名で活動しているのも特徴で、一般的な社会人とは異なる活動スタイルである。彼らは言ってみれば匿名による虚業であり、それを敏感に感じ取った人間がアンチになっている。

というわけで、本書を読んでVTuberのアンチについて考えた。

 

全体を貫いているのは「共感」の問題である。共感は助け合いに不可欠な一方、ポスト・トゥルースのような陰謀論にも利用される。イスラエルとパレスチナも共感集めゲームで支持者を取り合っているし、身近なところではフェミニストと弱者男性も共感を軸にしている。現代社会においては共感を集めた者が勝ちなのだ。

それもこれもSNSで主張を広めやすくなったからで、アテンション・エコノミーに毒された我々は、流れてくる情報に対して脊髄反射的に反応してしまう。あの人が可哀想だ。共感しよう。この人が可哀想だ。共感しよう。万事がこの調子である。必要なのは一呼吸置いて考えること。早急に答えを出さないこと。そうすることで共感の罠から抜け出そうとするのが大切である。

ゼロ年代のオタクが「脱社会的な存在」だったという指摘が面白い。「社会や世界に問題があることから目を背けてキャラクターやコンテンツに耽溺し社会にコミットしない主体」、それが当時のオタクだったのだ。僕がゼロ年代懐古主義者に苛立っているのは、彼らが「脱社会的な存在」に留まっているからである。いつまでも子供のままでいたい。己の幼稚なナルシシズムを守りたい。今どきの中高年のオタクはこれだから呆れる。年季の入ったサブカルがチン騎士となってオタクを攻撃する気持ちが分かった。

『マトリックス』がオルタナ右翼とインセルのバイブルになっている。社会や学校から疎外された異能な者たちが、システムに騙されている大衆を目覚めさせ世界のために戦うから。また、神山健治の『攻殻機動隊SAC』もネトウヨに影響した。体制のはみ出し者が世直しをするという左翼構造がネトウヨにフックしているのだ。「反逆」をエンタメ化したサブカルチャーの罪には自覚的でありたい。

 

博士論文に加筆・修正した本。

男性学とは「男性の振る舞いや価値、あるいは物の見方に対する批判的研究であり、フェミニズム理論から知識を与えられ、その一部として位置づけられる分野」であり、「現に男女間に不平等があることを基本認識として、女性性/男性性の権力における非対称性という視点をフェミニズムと共有する」のだという。つまり、親であるフェミニズムには頭が上がらないのだ。男性学の論者がしばしば男性を抑圧する発言をするのはこういうことで、彼らは常にフェミニストの顔色を窺っているのである。男性の利益よりも女性の利益を優先する。これじゃあ何のための学問なのか分からない。

有職・既婚が男性性の証明であることを指摘している。

男性は一定の年齢に達すれば就職するのが当然であり、また、就職することが結婚するための条件となる。現代の日本社会で、「有職・既婚」という二つの属性は、男性性を証明するための重要な要素になっていると思われる。(p.78)

ところが、未婚の男女を比較すると約430万人男が余っている(2020年の国勢調査)。結婚は椅子取りゲームなので、それだけの男があぶれるわけだ。430万人の男は結婚したくてもできない。結果的には少なくない男たちが男性性から降りている。

フリーターやニートについて。

統計的な男女差は別にして、フリーターやニートといった「社会問題」はしばしば男性と関連づけてイメージされる傾向にある。平日の昼間に労働年齢にある男性がいつも家にいること、あるいは正社員としてではなく非正規雇用者として就労していることは、それだけで「社会問題」になってしまう可能性がある。女性であれば主婦として平日の昼間に家庭や地域にいるのは「当たり前」だし、非正規雇用は女性の主要な雇用形態である。(p.82)

共働き社会になっても男が稼ぐことがジェンダーバイアスとして存在し、それが男性の生きづらさに繋がっている。現代の「男らしさ」は資本主義と紐づけられており、ルッキズムと紐づけられた女性とはまた違ったつらさがある。

男も女も等しく生きづらいのだから、SNSで罵り合っている場合ではないだろう。

 

2009年の本。編者は東浩紀と北田暁大である。

つまらなかったので本書とは関係のないことを書く。

アーキテクチャと言えば真っ先にX(旧Twitter)が思い浮かぶ。Xのアーキテクチャは、インプレッションや「いいね」の可視化を通じてユーザーの関心を数値化し、アルゴリズムによる増幅と収益化の仕組みでアテンション・エコノミーを強力に促進している。この設計は、コンテンツ制作者に注目を集めるインセンティブを与え、ユーザーには人気コンテンツを効率的に提示する一方、悪質なデマや誹謗中傷を拡散する可能性もある。従ってXのこの仕組みは、アテンション・エコノミーの推進力として機能しているものの、その影響は概ねネガティブなものである。

ツイキャスという配信サイトがある。ツイキャスのアーキテクチャは、有料アイテムとメンバーシップを通じて課金誘導を促進している。アイテムの視覚的フィードバックやポイントのユーザーランキング、メンバーシップの限定コンテンツなどは、リスナーの承認欲求や所属感を刺激し、「推し活」と称した不自然な課金を自然な行動に変えている。ところが、この「推し活」が曲者で、本来趣味でしかなかった配信を小遣い稼ぎに利用する者が大半になった。その結果、アマチュアリズムの魅力は失われ、YouTuberみたいなセミプロが跋扈するようになる。つまり、ツイキャスのアーキテクチャはコンテンツの魅力を損ねてしまった。

結局のところ、企業が運営する「場」は資本主義の論理に従っているため、我々にとってはしばしば居心地の悪いものになる。最初はユートピアだった「場」もいずれは崩壊することになるのだ。ユーザーとしてはマネタイズされてない「場」こそ居心地がいい。しかし、それは現代社会では望むべくもない絵に描いた餅である。

 

星5をつけたので年末まとめ記事に書く。

 

ピンと来ないタイトルだったが、中身はまっとうな芸術論で面白かった。『表層批評宣言』【Amazon】が意味不明だった、という人は本書を読むといい。蓮實重彦のエッセンスが凝縮されている。

「センスを良くする自己啓発書」という体を取りながら、美学について語るところは啓蒙という感じがする。哲学者の社会的使命を果たしているのではなかろうか。文章は難しい事柄を平易な言葉で噛み砕いているし、構成もヘタウマからリズム、モダニズムと順序立てて展開していて分かりやすい。まるで食べ応えのあるお粥のような内容で、現代はこういう本こそが求められているのだろう。ベストセラーになったのも納得だった。『表層批評宣言』を見事に更新した本だと言える。

文化資本があるとは、たくさんのものに触れ、いろいろなものを食べ、つまり量をこなしているということ。ビッグデータを蓄積しているわけです。量をこなしているから、自然と判断力が身についている。さらに言えばそれは、AIのプログラムに、ネット上のものすごい量の文章や画像を「食わせる」ことで、それをもとにして「生成」ができるというのに似ています。(p.19)

文化資本をこのように説明するところもセンスがある。全体的に今どきの言葉で語られた今どきの芸術論だった。

 

1996年の本。

阪神・淡路大震災での精神医療活動を中心に書いている。著者は当時、神戸大学医学部精神神経科助手だった。

本書によって災害時の「心のケア」が世間に周知されるようになったが、僕の関心は震災のリアルタイムドキュメント的な記述だった。被災者の心理だったり生活の不便さだったりが克明に綴られている。被災者であり救護者である著者は震災の最前線にいたわけで、そういった当事者の証言はとても貴重だ。

災害マニー(躁病)という現象がある。強い不安が気分を高揚させ、危機的な状況で一種の「火事場の馬鹿力」的なエネルギーが出てくるのだ。こういうのは先の東日本大震災で経験した人も多いだろう。お祭りのような高揚感によって非常事態を乗り切る。災害マニーによって人々は積極的に助け合い、一時的に災害ユートピアが形成される。こういった生存本能が人類に組み込まれているのが興味深い。

仮設住宅の落とし穴は、住み慣れた地域を離れることと移動のために交通費がかかることである。だから仮設住宅に当選しても素直には喜べない。「避難所全盛期には希望の的であった仮設住宅は、いざ住みはじめると苦痛以外のなにものでもなかった」のだ。さらに、被災者はマスコミに自立を急かせれていた。いつまでも被災者でいることは甘えだと断罪されていたのである。被災者は踏んだり蹴ったりだった。

被災者はマスコミを通して、自分の体験していることは何なのか、ということを知りたかったのだと思う。それは、自分にとって何であるのかを語りたいという気持ちと、それが社会にどう受けとめられ、歴史にどう位置づけられていくのかを知りたいという気持ちである。

しかしマスコミはそれに応えるというよりも、被災と復興という安易な"物語"を創り上げ、その中に被災者を押し込めようとする傾向があったことは否めないだろう。(p.150)

マスコミの役目は事実を報道することであり、物語を作ることではない。新聞の売上が徐々に減っているのも、長年続いたマスコミ不信が原因だろう。マスコミは信頼を取り戻すよう努力すべきである。

 

学生に向けた講義録。コロナ禍で実施された移動の自由の制限を批判すると同時に、『暇と退屈の倫理学』【Amazon】を補足するような内容になっている。

移動の自由を制限することについては、アガンベンの考えを元に展開している。監獄に代表される通り、移動の自由を制限することは刑罰に等しい。緊急事態だからといって制限を受け入れるのは、人間としての権利を放棄するものだ。安々と受け入れていいものだろうか。アガンベンは哲学者らしく主権に焦点を当てて問題提起している。

移動の自由の制限は立法権ではなく行政権によって決められた。日本では閣議決定が当然視されている。しかし、閣議決定に法的根拠はない。これは一種の例外状態であり、実質的に行政権が立法権を兼ねている。それはかつのてナチス政権のようだった。

日本は三権分立の政体である。行政権は内閣が担当し、立法権は国会が担当しているが、内閣は国会の多数派から選ばれている。ということは、行政権と立法権は癒着しているのではないか。僕の見る限り、内閣が打ち出す方針をそのまま実行する体制になっている。日本で三権分立が本当に機能しているのか疑問に思った。

ハンナ・アーレントは目的と手段についてこう考えている。目的を立てたならば人間はその目的による手段の正当化に至るほかない。目的という概念の本質は手段を正当化するところにある。日本で行政権が突出しているのもこういうことだろう。我々は自己目的化の罠から抜け出さなくてはならない。

 

星5をつけたので年末まとめ記事に書く。

 

本書は1990年に半年にわたって行われた講演の記録である。場所は新宿紀伊国屋ホール。著者は1996年に亡くなっているが、本書は2023年になって死後出版された。

前年にベルリンの壁が崩壊し、翌年にはソ連が崩壊しようという時期である。また、日本のバブル景気は最高潮に達していた。

共産主義の敗北が目に見えてるので保守派として余裕が感じられる。また、経済面ではアメリカを立てよという主張もあり、これはバブル景気ゆえの余裕だろう。この時代が日本にとってもっとも幸福な時代だった。

ウッドロー・ウィルソン大統領が面白い。彼は関税を下げて国際的責任を果たそうとした。自由貿易を主導しようとした。さらに第一次世界大戦では、民主主義のために世界を安全にするのがアメリカの責務であるという理想を掲げて孤立主義を捨てた。

どちらも現代のトランプ政権と正反対で思わず唸ってしまう。アメリカ・ファーストを掲げるトランプ大統領は、関税を大幅に引き上げることで国内産業の保護と貿易赤字の削減を目指している。また、軍事費を削減するために国際的な軍事関与を最小限に抑えようとしていた。アメリカはウィルソン大統領以前の孤立主義に回帰している。およそ百年で揺り戻しが来ているのが興味深い。

アメリカはコマーシャルと分割払いによって経済成長を遂げたのだという。

マスコミと自動車の大衆化は人間の生活を変えました。ただ追加して強調したいのは、アメリカから世界に普及する際、二つの重要な社会的制度が結びついていたことです。一つは広告です。慣れ切ってしまった我々はなんとも感じなくなっていますが、ニュースでも娯楽番組でも放送の最中に様々なコマーシャルが乱入してきます。見たくない広告を見せられる代わり、もちろん番組は無料です。ただで娯楽を提供されているのか、コマーシャルを見ているのかわからないところもあります。誰が考えたかわかりませんが、これも偉大な発明です。その結果、マスコミと無料の広告という二つの組み合わせによって、アメリカは大衆マーケットを開拓できるようになりました。

さらに、もう一つの重要な発明が分割払い制度です。電気製品や自動車の頭金を払えば、先に品物を手に入れられ、何ヶ月もしくは何年か後まで分割払いすればいい制度です。これは二〇〇年前にはなかった。

(……)

物は作れば売れるというものではなく、買ってもらう制度がないといけません。アメリカでは技術と社会的制度が相まって急速な経済成長を遂げたのです。(pp.117-118)

20世紀以降、資本主義のイノベーションを起こしてきたのは常にアメリカだった。こういう国を敵に回してはいけない。

 

睡眠についてはPIVOT公式チャンネルの動画を参考にしていたが、そこで語られていた内容と大差なかった。つまり、ほとんど既知の内容だったのである。

個人的には8時間連続して眠れないので、4時間の睡眠を1日2回とっている(日によって合計7時間のときもあれば、9時間や10時間のときもある)。いわゆる多相睡眠というやつだ。産業革命以前の西欧人はこの形態だったし、現代の赤ん坊もより細分化して睡眠をとっている。薬に頼らない自然な眠りを追究したらこうなった。本書は多相睡眠に触れてないのが物足りない。

入眠時は枕元のスマートスピーカーでロック音楽を流すと覿面に眠れる。また、睡眠の質を高めるため、長年依存していたカフェインを断った。健康的に過ごすため、食事と運動と睡眠は妥協してはならない。

 

以下はあってもなくてもどうでもいいパートだが、読書記録だけでは味気ないのでとりあえず公開しておく。

 

「メロい」について語ったポストが話題になっている(ツリーも参照のこと)。

女性が自身の性欲を隠蔽するために使っているのは明白で、当事者が必死になって否定しているのが面白い。ジャニー喜多川だって、彼にとってジャニーズが「メロい」から性加害に及んだわけだ。「メロい」には男性を眼差す加害性が内包されている。使うのだったらそのことに自覚的になるべきだろう。

男性への加害や差別はそこかしこで見られるが、いざ指摘すると猛烈な拒否反応に遭う。これもジェンダーバイアスの一種と言えそうだ。

 

『好きを言語化する技術』について。

SNSで自分の違和感を言語化するのと同根だろう。本来だったら表に出さなくていい個人的な感情を、アテンション・エコノミーに駆動されて言語化してしまうのだ。X(旧Twitter)にはそういう人が多い。ネットの普及で誰もが表現者になり、各自がお気持ちを表明するようになった。その結果、特に名を売る必要のない市井の人たちがコンテンツになってしまう。病的なのはいいねやインプレッションを気にして過激なことを言うようになることで、それがいつしか憎悪扇動にまで発展する。Xに蔓延するミソジニーや人種差別などの言説はその好例だ。見世物としては面白いが、社会的にいいことだとは思えない。

言語化すると脳内でドーパミンが出る。それがすべての元凶のような気がする。アテンション・エコノミーの時代だからこそ、沈黙の価値に目を向けなければならない。

 

『嫌われる勇気』が世界で売れているのだという。

www.yomiuri.co.jp

嫌われる勇気

この本は2016年に読んで読書ノートも取っているが、確かに参考になることが書いてあった。特に目的論という考え方は生きる指針になっているし、他人にも期待しなくなったので心理的に楽になった。ただ、承認欲求ではなく他者貢献を目指す、みたいな主張はついていけない。結局は活かせるところを活かす読書になった。

 

予知夢を描いた漫画が話題になっている。

mainichi.jp

本書は1999年刊行だが、東日本大震災の予言を的中させたことで最近話題になったそうだ。そしてそういう「信用」があるからこそ、今回の予言に香港人が浮き足立っているのである。

僕は占いの類はまったく信じないが、そうは言ってもいざ予言されると気になってしまう。喉に刺さった魚の小骨のような存在だ。当たるも八卦当たらぬも八卦。2025年7月を待ちたい。

 

ロヂャースのキャラクターが話題になった。

このポストをきっかけにして議論が巻き起こったが、いつもの男女対立ネタで新鮮味はなかった。

結局はこれに尽きるんじゃなかろうか。ツイフェミは自分で自分の首を絞めているのだが、当の本人はバカだから気づいてない。何も考えず好悪の感情で反応するため、重篤な視野狭窄に陥っている。ツイフェミは本を読んで視野を広げるべきだろう。

 

『SLAM DUNK』電子版が発売!

思い出補正があるかもしれないが、スポーツ漫画で一番好きなので嬉しい。

 

星野源が新譜を出し、町中にユニークな広告を出した。それについて批判している人がいる。

広告の良し悪しはともかく、インターネットと違って町中の広告はブロックできないから厄介だ。だからどんなところにも大資本や広告代理店が入ってくる。バスや電車の中、果ては個人宅の塀までも。特に田舎では自民党の広告がベタベタ貼り付けられていて鬱陶しい。

何年か前、自宅付近の電柱にデリヘルの広告が一斉に巻きつけられた(針金が使われていた)。電話番号がでかでかと印刷されたピンク色の紙だ。自宅前のものは速攻で排除したが、それがどうにも不愉快だったことをおぼえている。

なお、インターネットの広告をブロックしたい人は、ブラウザをChromeにしてuBlock Origin Liteを入れるといい。町中と違ってインターネットでは広告を見なくて済む手段が用意されている。

 

ナチスは左翼という説が出てきて侃々諤々の大議論になっている。

権力体制が一党独裁・個人崇拝なところは左翼的だが、根底となる思想はがちがちの右翼である。この時代の右翼と左翼は鏡像関係になっているから、当然のことながら類似する政策も出てくる。しかし、根本的な思想が決定的に異なる点に注意すべきだ。議論は田野大輔を腐す方向に流れているが、さすがにナチスを左翼にするのは無理がある。

 

日向夏インタビュー。

mantan-web.jp

インタビューでの語り口が猫猫みたいでとても面白い。あの性格は作者を投影したものだった。記事を読む限り、マーケティングに長けた人なので会社員としても優秀なのだろう。売れる小説が書けるのはこういうビジネスパーソンであって、よくイメージされる社会不適合者ではない。たとえば、村上春樹もデビュー前はジャズ喫茶を経営し、繁盛させていた。売れっ子作家に必要なのは文学的素養とマーケティングの能力であり、どちらかが欠けても成立しない。

 

東京ディズニーシーと植民地主義。

note.com

万博やテーマパークが空間を利用したイデオロギーの表象という指摘が面白い。

とはいえ、事実として世界は西洋によって形作られたので、テーマパークが植民地主義を体現した作りになるのも仕方がないだろう。下手に弄ったら今度は歴史修正主義になってしまう。この世界において白人は歴史の勝者である。近代化の立役者である。すべては我々有色人種が負けたのが悪い。悔しいがそれは認めなければならない。

ディズニーシーの運営会社が「オリエンタルランド」というのも示唆的だ。日本もまたオリエンタルな植民地なのである。

 

その他、面白かったnoteとブログ。

note.com

note.com

note.com

worldend-critic.com

 

dアニメストア(プライム・ビデオの有料チャンネル)でμ'sのライブ映像を見た。

90年代から声優のアイドル化が進行していたが、『ラブライブ!』はそれの完成形だと思う。ステージのパフォーマンスが本物のアイドルみたいで驚いた。声優のアイドル化はここで頂点を極めたと言っていい。

ソロ曲やユニット曲があるのは、メンバーを適度に休ませステージを効率よく回すのにちょうどいいのだろう。経済性を考慮した仕組みに感心した。

「ラブライブ! μ's →NEXT LoveLive! 2014 ~ENDLESS PARADE~」から箱が大きくなって演出も派手になっている。

 

クランチロール・アニメアワード2025がYouTubeで配信された(現在非公開)。

『俺だけレベルアップな件』は最初からグローバル展開を視野に入れて作られている。だから同作がアニメ・オブ・ザ・イヤーに選ばれたのも意外ではない。日本人よりも外国人のほうがはまるのではなかろうか。

 

旅野そらとかなえ先生のコラボ。

www.youtube.com

これからVTuberになりたい人にお勧めの動画だ。個人勢で食っていくには、相当戦略的にやらないと無理そうである。

僕もFIREしたら趣味でVTuberをやろうと思う。

 

 

pulp-literature.hatenablog.com