海外文学読書録

書評と感想

フリッツ・ラング『暗黒街の弾痕』(1937/米)

暗黒街の弾痕

暗黒街の弾痕

  • シルヴィア・シドニー
Amazon

★★★

前科三犯のエディ(ヘンリー・フォンダ)が恋人ジョーン(シルヴィア・シドニー)の働きかけで刑務所から出所する。2人はすぐに結婚するのだった。ところが、前科者に対して世間は冷たく、エディは職を失う。やがて毒ガスを用いた銀行強盗が発生、現場にエディの帽子が落ちていたため、彼は逮捕されるのだった。エディは冤罪を主張するも死刑を宣告される。

ボニー&クライドの事件を元にしている。この事件は1932年から34年にかけてのものなので、本作はわりと早い映画化だ。周知の通り、その後も同じ題材で何度か映画化されている(『俺たちに明日はない』が有名だろう)。官憲に追われながらの逃避行という閉塞的な状況にありながら、最後まで相棒を裏切らなかったところが大衆に受けているようだ。2人が一緒に射殺されるところがまたいい。この題材は犯した罪の落とし前がきっちりつけられるため、ヘイズ・コード下のハリウッドとも相性がいいのだ。ただし、本作は2人の死を解放と位置づけていて、ある種のハッピーエンドみたいになっている。ここはギリギリのラインを攻めたと言えるかもしれない。

「この世に生来の悪党なんていない。人は社会の中で悪に染まるのです」と神父(ウィリアム・ガーガン)が言っている。出所したエディが社会に馴染めなかった原因もそこにある。彼は前科者というだけで偏見の目に晒され、更生を妨げられているのだ。新婚旅行でホテルに泊まったら部屋から追い出される。職場に遅刻しただけで即刻解雇される。銀行強盗の現場に帽子が落ちていただけで犯人扱いされ、死刑を宣告される。彼は前科三犯だから次も罪を犯すだろうと目されていた。こういった偏見に晒されるのは自業自得だし、ある意味仕方がないところでもあるが、何もしてないのに社会から排除されるのは同情してしまう。これでは真面目にやり直そうとしてもできないではないか。犯罪者に再犯が多いのは、こういった受け入れ体制の不備と関係があるのだろう。一度レールから外れると元に戻るのは難しい。本作は犯罪が再生産されるメカニズムを上手く捉えている。

ただ、B級映画らしく脚本がガバガバなところが気になる。たとえば、エディが銀行強盗をした証拠は現場に彼の帽子があったことくらいだ。盗んだ現金は彼の手元になかったし、犯行に用いたあらゆる物証も存在しなかった。そもそも銀行強盗は単独では難しいから、仮にエディが犯人だとしても共犯がいた可能性がある。それを追求せず早急に死刑にするのは筋が通らない。さらに、現場にあった帽子もエディの証言によると盗まれたものである。これは検証が難しいが、少なくとも犯行の決定的証拠にはならないだろう。物証に乏しいまま犯人扱いするのはおかしい。

脱獄のために医師(ジェローム・コウアン)を人質に取ったエディだったが、その間に冤罪であることが分かり、所長(ジョン・レイ)から釈放を告げられる。しかし、エディはそれを信じない。これは当然の心理で、普通は罠だと考えるだろう。自分は明日にでも処刑される身だ。何があろうと後戻りはできない。こういった不幸なすれ違いによって死への道筋に歯止めがかからなくなるところが悲しみを誘う。