阪神間モダニズムとは、日本で明治後期から昭和初期にかけて「阪神間」(大阪市と神戸市の間)を中心とする地域において育まれた近代的な芸術・文化・生活様式のことです。
その名付け親は文化プロデューサの河内厚郎さんで、個人事務所を構え関西の文化醸成に尽力されています。月刊神戸っこ2016年9月号に河内厚郎さんへの阪神間モダニズムの意味や影響についてのインタビュー記事があります。その中から内容を紹介します。
・モダニズムの時代、阪神間の住宅街は日本一になり先頭を走った。
・単なる舶来趣味ではなく、端的に言えば和洋折衷だが、阪神間ではそのデザインがうまくいった。
・夙川、芦屋川、住吉川という3つの川が流れているが、それぞれの川沿いの街には個性がある。
・住吉川沿いは最も早く、明治30年代から郊外住宅開発がおこなわれ、日本一の金持ち村といわれた。朝日新聞の村山家と住友家が大阪から移ってきたのが大きい。
・夙川は文学の題材に採り上げられることが多い。夙川は下流から上流へ行くと変化が大きく、いろいろな場所にいろいろな人がいた。遠藤周作はカトリック夙川教会で洗礼を受け、井上靖も戦前に香櫨園に住んでいて、戦争中には大岡昇平も神戸の会社に勤め夙川を描いた。谷崎潤一郎や小松左京も一時期住んでいた。物理学者の湯川秀樹も苦楽園にいた。戦後も山口誓子、黒岩重吾、そして村上春樹に小川洋子。
・もっと大きな視点から見ると、「柔らかい個人主義」(西宮に住んでいる劇作家の山崎正和さんの言葉)。コミュニティは維持しながら、あまり村的な付き合いはしたくないという微妙な距離感、これが阪神間モダニズムの遺産。
・さらに個人のライフスタイルの処し方が洗練されている点。気取っていないけれど洗練されている。人間の考え方、モラルというのは、昔から労働や生産の方からばかり論じられてきたが、むしろ、消費生活の方に人間のナチュラルな姿があらわれる。
・『細雪』も延々と生活を描いているだけだと発刊当時は批判されていたが、今は名作と評されているのは、消費生活のスタイルが描かれているからではないか。
阪神間には数多くの昭和初期の建物があり阪神間モダニズムの文化が反映されています。今までいくつかを紹介してきましたが、阪神間モダニズムと観点で見直すと新しい発見もあります。
□白鶴美術館〝昭和の正倉院〟
□御影公会堂
□六甲山のカフェ
□旧乾邸
□その他にも旧甲子園ホテル、神戸女学院、関学、ヨドコウ迎賓館、、、
西尾家住宅(須磨)
旧グッゲンハイム邸(塩屋)
旧村山家住宅(御影 香雪美術館)
旧高嶋家住宅(神戸甲南武庫の郷)
阪神間モダニズムの庭園一覧 (22件) | 庭園情報メディア【おにわさん】 / 2000の日本の庭園を紹介する庭園マガジン。
『細雪』の世界は〝昭和の源氏物語〟とも言われているようです。『細雪』の舞台になった『倚松庵(いしょうあん)』について調べてみました。谷崎潤一郎は京阪神で13回引越を繰り返しています。それは小説のイメージと合致する環境を選んで引越したようです。

※鎖瀾閣は阪神淡路大震災で全壊。鎖瀾閣復元委員会を組織して再建活動を行ったが、再建着手直前で住民の反対運動で断念。鎖瀾閣VRを完成。
『細雪』は倚松庵で生活しながら執筆し、阪神間モダニズムの文化を自分の実生活をダブらせて描いた小説です。谷崎潤一郎の研究を続けてきた、武庫川女子大学名誉教授のたつみ都志さんの話をから阪神間モダニズムの文化について考えました。

「こいさん、頼むわ。―――」
鏡の中で、廊下からうしろへ這入って来た妙子を見ると、自分で襟を塗りかけていた刷毛を渡して、其方は見ずに、眼の前に映っている長襦袢姿の、抜き衣紋の顔を他人の顔のように見据えながら、
「雪子ちゃん下で何してる」
と、幸子はきいた。
「悦ちゃんのピアノ見たげてるらしい」
谷崎 潤一郎. 『細雪』はここから始まります。

「なあ、こいさん、雪子ちゃんの話、又一つあるねんで」
「そう、―――」
・・・・
「井谷さんが持って来やはった話やねんけどな、―――」
「そう、―――」
「サラリーマンやねん、MB化学工業会社の社員やて。―――」
「なんぼぐらいもろてるのん」
「月給が百七八十円、ボーナス入れて二百五十円ぐらいになるねん」
「MB化学工業云うたら、仏蘭西系の会社やねんなあ」
「そうやわ。―――よう知ってるなあ、こいさん」
「知ってるわ、そんなこと」
・・・・
「そんな会社の名、私は聞いたことあれへなんだ。―――本店は巴里にあって、大資本の会社やねんてなあ」
「日本にかて、神戸の海岸通に大きなビルディングあるやないか」
「そうやて。そこに勤めてはるねんて」
・・・・
井谷と云うのは、神戸のオリエンタルホテルの近くの、幸子たちが行きつけの美容院の女主人なのであるが、縁談の世話をするのが好きと聞いていたので、・・・
たわいも無い日常生活の会話が延々と続くのが『細雪』です。正直、読んでいてもすぐに眠たくなります。でも、その中に神戸の地名などが次々と出てくるので親密感を覚えます。
自宅が阪神間にあり主人の勤めは大阪の金融や商社の裕福な家庭で、奥さんや娘たちが神戸で食事をしたり買い物を楽しむ生活スタイルが続くのである。また、娘さん達が自分のやりたい事をして活き活きと生きるライフスタイルや、それとは対照的に金持ちとの縁談の話について人物評価をするような巷で話題にされるような話が続きます。でも、時代背景は戦前から戦中の軍部が幅を利かす時にそんなゆったりとした優雅な世界が描かれており、それはまさにモダニズムの文化であると感じます。
谷崎潤一郎は「倚松庵」に昭和11年(1937年)11月から昭和18年(1943年)11月まで妻の松子と過ごして「細雪」の執筆を完成させたようです。小説は貞之助と幸子を含む四姉妹(鶴子、雪子、妙子)と幸子の子供の悦子が登場するが、谷崎潤一郎、妻の松子、その姉妹の朝子、重子、信子と子供の恵美子をモデルにして描かれたと、たつみ都志さんは語っています。

そんな姉妹がゴロゴロと昼間を過ごした部屋が食堂の西の和室だそうです。そこは廊下を挟んで風呂場の隣の部屋で着物を脱ぎだり洗濯物の置き場になっていたようです。また、西側の壁の低い掃き出し窓があり開いていると風が通り家中で一番涼しい部屋であったようです。


西洋風のダイニングルールや応接と旧来の和室を組み合わせた構造は当時の阪神間モダニズムのスタイルで今の住宅に受け継がれています。




それまでに日本家屋では和室がつながり部屋から部屋へ移動していたが、廊下で部屋が分かれており廊下を使って移動する導線になっています。



単なる西洋化ではなく日本の文化の中に西洋文化を取り入れていき、「柔らかい個人主義」の文化を育ててきた京阪神の先人の知恵をあらためて認識しました。これから先も時代はどんどんと変わっていくと思いますが、良いものを残しつつ変革していくことが生き残る秘訣なのでしょう。
いいね。やっぱり神戸が好き。
もっとKOBE ずっとKOBE
ではまた次回をお楽しみに♠️
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新年明けましておめでとうございます
今年もよろしくお願いします






















































































































































































































































































