ライブドアニュースさんのXアカウントで「JOYSOUNDの2025年カラオケ年間ランキング、『サウダージ』が10代の1位に」というトピックを拝見しました。ポルノグラフィティさんのヒット曲として存じ上げておりますが、そうですか10代の。一体何が十代さんの心を捉えたのだろう?
ポルノさんといえば『アゲハ蝶』が最近になってドラマ主題歌に抜擢されたのが記憶に新しいのだけれど、それで10代さんの知名度が上がったのだろうか?
といった興味が高じて、今回は歌詞と音からの世界観を追いかけてみてのサウダージ考察、いってみます。
もくじ
1.導入部の歌詞に滲む「サウダージ」の根幹
”私は私とはぐれる訳にはいかないから”
のっけから文学心をくすぐるフレーズが出てきます。これは、実際の自分自身が心の上で分離している状態を端的に示しているものと思われます。
失恋を認めて終わらせなければならないと受け止める私。
だがしかし、失恋を前にして未練に身もだえている私。
こんな感じでしょうか。
正に”よくある話”ですが、心情を擬人化して別人として描いていますね。
主語の私と目的語の私、どちらがどちらの私を指しているのはわかりません。
テキスト上で書き分けもされていない(たとえばわたしとかワタシとか)ので、それだけ心情の中に差のない比重で同居しており、どちらが主体なのかがわからなくなっているのではないでしょうか。
ここでわかっているのは、”はぐれる訳にはいかない”=このままではいけないということだけ、ですかね。
”いつかまた逢いましょう その日までサヨナラ恋心よ”
恋心というものを抱いている限り心の分断は避けられない。だからそれを手放します。今は、一旦。
というような、ここまでの一文。もうすでに国語でいうところの主旨が提示されている気がする強い導入部なんですが。
”いつかまた逢いましょう”の解釈がちょっぴり曲者。
「今回の恋を終わらせたら新しい恋をします」のようでいて、作中ほとんどそういう心境に至っていないんですね。
ざっくり言うと、AメロBメロは「想い人への気持ち」、サビは「未練を断ち切ろうとする気持ち」になっているんだけど、前者は想いの乱射みたいに言葉が詰まっていて、後者は比してゆったりした密度の言葉で要点だけ語られる。
もう勢いから後ろ髪を引かれまくっているのがわかる。
”そこに確かに残るサウダージ”が主人公の未練の深さそのものって気がします。
ここで曲のタイトルについてGoogleのAIさんから教わった概要を付記。
「サウダージ(Saudade)」はポルトガル語(およびガリシア語)の言葉で、日本語では「郷愁」「憧憬」「切なさ」などと訳されますが、単語では表現しきれない「失われたものや遠く離れた人・場所への深く懐かしい想い、寂しさ、愛しさ」といったポルトガル人特有の複雑で深い感情を表す言葉です。
このようにかなり深い思い入れを感じる意味合いで語られていました。
主人公、言葉を選ばずに言えば「重い」のかも。サビの説得がそれ以外の過去に押し負けてる。想いが思いがけず重い。
言葉と音の対比から考えると「複雑で深い感情」という言葉には収まらない暴れっぷりの心を飼っているのではないでしょうか。
2.二方向に引き合う概念と音表現
受け入れるべき。だが相容れない。
前項でここに挟まれた主人公(二つの私)の想いに触れましたが、引っぱり合う組み合わせの要素はほかにもあります。ある種の対比。たとえば、
”嘘をつくぐらいなら何も話してくれなくていい”
話をしてくれるのはうれしいが本心でないなら聞きたくない
”せめて最後は笑顔で飾らせて”
最初は「こう」ではなかったはず
また、本当は笑顔を向けられるような心持ではない
”時を重ねるごとにひとつずつあなたを知っていって
さらに時を重ねてひとつずつわからなくなって”
知れば知っただけわからないことが増えていく
”想いを紡いだ言葉まで影を背負わすのならば
海の底で物言わぬ貝になりたい”
気持ちを伝えるほどうまくいかないなら何も話したくない
”寂しい…大丈夫…寂しい”
だいじょうぶ、と思い直したいのにさびしさから逃れられない
歌詞から持ってきてみました。それぞれ少しずつ違うことを言っていますが、どれもこれも真逆からうまくいっていないという部分が共通しています。
Cメロのところではこれが端的に言い表されていますね。
”繰り返されるよくある話 出逢いと別れ 泣くも笑うも好きも嫌いも”と。
主人公、ちゃんと自分の失恋がありふれたものであると俯瞰できているのです。
そのあとに続くボーカル・岡野昭仁さんの「Ahー」は、それなのに固執してしまっている主人公自身の嘆きを投影しているのかもしれません。
はたまたCメロというポジションだけ第三者視点だったりするのでしょうか。陳腐さへの「やれやれ」の提示? ここは主人公嘆き説を推したいところだけれど、どちらとも断言はできません。
ここで、曲の導入部と最初のAメロの間の間奏に注目してみます。
ミファ#ソラシドレソファ# ファ#ソファ#ミレシラソファ#
主旋律のストリングスが、およそこんなメロディーを2回繰り返して繋いでいます。(耳コピなのであくまでご参考まで)
前半は駆け上がるような音階、後半は滑り落ちてくるような音階で、二つが続くことでメロディーラインが行ったり来たりしているような形になっています。
これ、二概念に苦しむ主人公の気持ちを曲側からも表しているかのような演出に思えました。
うまくいかなかった二人の物語の中で、表現上の言葉と音は寄り添っている皮肉、余計に切なさを煽られます。それぞれ最後の一音は長く伸びて震え、むせび泣いているかのようですし。
また、よく聴くとここの部分、旋律は途切れずに一息で奏でられています。この場合、音色の緊張感も相まって主人公の不安定かつ切実な心情がより明確に描かれているように感じます。
この間奏メロディーは1番と2番の間でも出てきます。こちらは1往復だけですが。
そしてその後は出てこなくなります。
これの意味するところは何なのでしょうか?
あとでもう少し詰めますね。
ほかメロディ的なところで興味深いのが、レ音とミ音の応酬。
Aメロの大半、およびCメロの大半において、ボーカルの所にかなりこの2音が多めに出てきます。
Aメロではミが多めで先行しレがついてくる感じなんですが、Cメロだとレが先行してほぼ均等・交互に鳴ります。
ここで、映画「サウンドオブミュージック」で歌われた「ドレミの歌」を思い出してみると、ちょっと面白い。レをray(太陽の光)に、ミをme(私)に、それぞれ置き換えて考えると、
”夜空を焦がして”いた主人公は日の光に揺さぶられている?(終わりかけの恋を心身に焼き付けようとしている主人公は、日が照るように明白な失恋という事実≒強迫観念に晒されている?)という暗示だったりして、
などと考えることもできます。……これはやや強引な解釈かな笑
3.主人公の心情の行方
Cメロ後のいわゆる大サビは、一度同じ尺で歌われた後、最後に転調してもう一度繰り返されます。最後のサビの歌詞を辿ると
”あなたのそばでは永遠を確かに感じたから
夜空を焦がして私は生きたわ恋心と”
”私は生きたわ恋心と”と言っているので、この恋を過去のものにできた感が出ています。転調を次のフェーズに移行したことの音楽的表現と捉えると、実にしっくりくる。
でも、と私は思うのです。
今まで手こずってきた自分内の感情の引っ張り合い、はたして本当に終止符が打てたのでしょうか。
”甘い夢は波にさらわれたの”とあるように、心情もまた波のように寄せては返し、となるのではないでしょうか。
ミファ#ソラシドレソファ# ファ#ソファ#ミレシラソファ#
思えばこれもまた、波の動線に重なるような表現のフレーズでした。
出てこなくなってから、メイン間奏部や後奏部では代わりにリードギターが「泣き」を響かせるようになるのですが。
これ。「二概念の葛藤が払拭され主人公は腹を括りました」と受け止めるのが順当かもしれません。
が、個人的には、クラシック楽器がメロディーラインで保っていた体裁が、後半ギターによって歪められ、主人公の心の状態にカオスみが増したようにも思えました。
ないまぜ。
二概念間の揺らぎはなくなりましたが輪郭も失いました、みたいな。
そして、確信が伴っているかのような”私は生きたわ”の言葉もまた然り。
素直に受け止めれば「納得、理解、決心」等に見えそうなところを、後者の解釈だと逆に「本当に生き切ったのか?」という揺らぎが生まれそうなエンディングになる。曲も音が徐々に消えていくフェードアウトで、かっちり終わらないところが着地の曖昧さを感じますし。
言わばこの曲の歌詞は主人公の「自分に言い聞かせるための言葉」。
受け止め方によって程度に幅は出るがいずれにしろサウダージは終わらない。
ずっと主人公の残りの人生に在り続ける。
こういうことなんじゃないでしょうか。
”許してね恋心よ”って、ある意味恋心さんに対して「あなたを大切にできずすみません」じゃなくて、「あなたに縋ってすみません」なのかもしれないです。
”私は私とはぐれる訳にはいかないから”
「複雑で深い感情」とやらは一筋縄ではいきませんね。
といった具合になりました。
書いてる側まで二つの解釈概念に挟まれることになりましたが、いかがでしたか?
10代さんがこういうことを考えているのかはわかりませんでしたけどね笑
カラオケ人気とあったので、「わーたーしーはー」等に見られる四分音符と歌詞の妙、AメロBメロの追いかけがいのある小刻み感、あたりかな? と推察します。
今度子供さんがいるお友達に聞いてみようかな。