毒親とは
一般的に毒親とは・・・
⚫︎暴力を振るう
⚫︎十分な食事を与えない
⚫︎育児放棄
などなど・・・
あげればキリがないと思うけど、
うちは見た目で言ったら、虐待されているようには見えなかったと思うし、
頑張ってる父子家庭に見えてたと思う。
どの家も少なからず見えない部分はあると思うけど、
世間のいわゆる決めつけの目って、本当に厄介だなと思う。
母が早くに亡くなって、(離婚ではないというところ)父親が一人で子供を育てている。
世間の目は、「お父さん一人で頑張ってるね」
「お父さんを助けてあげてね」これは周りからよく言われた言葉。
私から言えば、「知らんがな」「こっちも母がおらんのじゃ」
でも、大人しい私はニコニコしながら受け流すことしかできなかった。
食事は作ってくれていたと思う。
洗濯物や、洗い物も。
洋服は十分ではなかったけど、時々買い与えられた。
誕生日やクリスマスはケーキも食べた。
(プレゼントはない)
小1で母が死んだのだけど、
その頃からお風呂掃除、ご飯炊き、洗濯物の取り込み、掃除、結構やってたと思う。
長期休み明けの持ち物のぞうきんも縫ってたし、ゼッケンも自分でつけた。
夏休みは姉とお昼ご飯を作り、本当に小さいながらよくやってたなと思う。
でも、一般的に褒められることもなく、もちろん父はできていることを認めるのではなく、できてないことを見つけて説教してくる。
「言って分からん奴は牛や馬と一緒だ!」と言いながら何度も暴力をうけた。
顔はないよ、バレるからね。頭叩かれてお腹蹴られて。
息ができなくなって、涙が止まらなくて。
大人になって気づいたけど、あれは過呼吸だったんだな。
苦しくて、意識が遠のいて。
でもまだ説教止まらないし、だんだん幽体離脱みたいに心と体と意識が分離していく感覚。あれはなんというのだろう・・・一種の防御本能みたいなものかな。
世間一般的には「頑張ってる父子家庭」
覗いてみると、こわいこわい隔離空間。
まだある。一般的には見えない精神的な虐待。
続きはまた。
一歩ずつでも
今日、地域包括に電話して、新しい施設の入所へ向けて早めに動き出したいと伝えることができた。
3月に以前のサ高住を追放されてから、三ヶ月一緒に生活してきたけど、やっぱり無理かな・・・。
父との関係は、一定の距離感がないと難しい。
分かってはいたけど、施設の入居はお金もかかるし、契約やらの労力で・・・。
また一からか・・・という思いでなかなか進めてなかったけど、こっちがもたないやー!
リビングはじじいが占領してるので息子はリビングに寄り付かなくなり、(ずっと隣で同じ話を聞かされる、テレビも観れない)
わたしもゆっくりソファーでくつろぐこともできず。
大事な子育ての時間をなんで介護に取られるのか。本当に腹立たしい。
父は本当に勝手な人間だと思う。
母に先立たれたことには同情するけど、比較的大人しい、従順な女子二人の子育て、何が大変だった???
(そもそも、母も威圧的な人なので主張は許されない家庭)
やっと大人になり自由を手に入れたのに。
この家が嫌で逃げるように早々に結婚したのに。
なんで私が父の介護をしなくてはいけないのか。
施設に入ってもらいたい。これが娘の願いです。
親の意見と茄子の花
「親の意見と茄子の花は千に一つも仇はない。」
これは私が一番嫌いな言葉です。
幼少期、父から耳にタコができるほど言われた言葉。
大人になり親になった今、本当に心の底からくっだらないと思っています。
親の言葉って子供にとっては呪いのようなもの。
私も素直に受け取って、そうなんだと信じ込んでいました。
でも実際自分が親になって思うこと、
いやいやいやいや・・・
親の意見はただの個人の意見の一つに過ぎないし、子供に至極まともなツッコミをいただいて、そうだよねと感心させられることのが多かったり。
庭に野菜を植えて、その中に茄子があったんです。
それを見た父が、息子に向かって言いやがった。
「親の意見と・・・」と。認知症の人って、なんで自分の都合の良いことは覚えてるんでしょうね。
それがまた相乗効果で私をイラッとさせる。
「ないないない!親も間違うし、これはただの迷信だから」
と間髪言えずに言ってやった?言ってしまった?
そんな毎日、認知症の父との日々、恨みと感謝??入り混じり。
なんで私がという思いを抱えながら、でも放置もできない自分。
少しでも軽くなりたい気持ちで書き綴る所存です。