クラシックとオーディオの日々

毎日聴いている音楽の記録です。

テレマンの1716年の式典と祭典音楽

今晩は、またもCPOレーベルから2025年12月19日にリリースされた、テレマンの「音楽祭 1716年」と題された珍しい市政や宗教行事にまつわる大規模な作品集を聞きます。
 
収録曲は以下の通り。
 
キリスト教世界よ! 喜びの祝祭を祝え TVWV 12:1a/b
 
ドイツは平和のうちに緑萌え、花咲く TVWV 12:1c
 
演奏
ハンナ・ヘアフルトナー - Hanna Herfurtner (ソプラノ)
エレナ・ハルシャーニ - Elena Harsányi (ソプラノ)
エルヴィラ・ビル - Elvira Bill (アルト)
トーマス・ボニ - Thomas Bonni (バス)
ケルン・アカデミー合唱団 - Kölner Akademie Choir
ケルン・アカデミー - Kölner Akademie
 
このアルバム、なぜかアップル・ミュージック、クラシックには無くて、YouTubeミュージックとQobuzには上がっています。CPOレーベルのほとんどのアルバムはアップルの方では聴けたのにちょっとめずらしい。まああまりにもマニアックなので載せなかった?ただ他のアルバムもCPOのは超マニアックなのにね。担当者がうっかり飛ばしちゃったかしら。
 
ということで、このアルバムのブックレットはアップルミュージックでは見られず、残念と思っていたら、ナクソス・ミュージック・ライブラリーにブックレットともにアップされていました。やっぱり頼りになるぜ、ナクソス
 
CPOのアルバムはとにかく解説が詳しい。さらには全曲歌詞も載っています。これがいいですねぇ。マニアックでありながら知的興味も十分満たしてくれる素晴らしいレーベルであるなと改めて感じ入ります。
 
演奏はヴィレンズ指揮ケルン・アカデミー。この団体、すごく好きで、ブラウティハムのモーツァルト ピアノ協奏曲全集やベートーヴェンの協奏曲集で小気味の良い演奏で注目して、いくつかのアルバムを聴いていて、以下でも取り上げています。
ヴィレンズの経歴を改めて読んでみたら、アメリカの人なのですね。ジュリアード音楽院を出て、なんと!バーンスタイン門下。ジョン・ネルソンにも師事しています。意外、古楽演奏家と思っていたのですが、現代アメリカの作品なんかも良く演奏するとのこと。しかしケルン・アカデミーの音楽監督として古楽の珍しい作品をたくさん録音しています。
 
さてこのアルバムに収められている2曲について。
1710年代、ヨーロッパはスペイン継承戦争終結したものの、最大の不安材料はハプスブルク帝国皇位継承問題。当時の皇帝カール6世はハプスブルク家最後の男子、しかし男子の後継者がいないという危うい立場にありました。もし彼が後継者を残さずに死ねば、誰が次の皇帝になるのかで列強が武力で争うことはほぼ確実で、オーストリア継承戦争につながると恐れられていたという時代。
そこで皇帝カール6世は方針を転換して、1713年女子による継承を認める法令を出します。
ところが1716年に皇帝カール6世とエリザーベト・クリスティーネの間に、ついに男子レオポルド太公が誕生。これで皇位継承が確保され、ハプスブルク家の断絶という最悪の事態が回避されます。このことはヨーロッパ全体にとって重大ニュース。そしてこの誕生を受けて神聖ローマ帝国の各地で壮麗な感謝祭や祝典が開かれます。
しかし、せっかく誕生したレオポルト太公は6ヶ月という短さで亡くってしまいます。
そこで女子による継承を認める法令によってカール6世の逝去後に娘のマリア・テレジアが継承。しかし周りの列強は女子の継承を認めず、領土を奪う好機と見て、オーストリア継承戦争がヨーロッパ全土を巻き込む大戦争となります・・・・。
 
女性の継承問題とか、なんだか日本と重なる部分もありますが、このアルバムに収められているのは、男子継承者レオポルト太公が生まれ、同時に平和への希望が生まれたことで、世の中は祝賀ムードとなり、自由帝国都市で皇帝選挙と戴冠式の地であったフランクフルト・アム・マイン市もそのお祝いをしなければならず、ものすごい祝宴の挙行を決定します。そして市の参事会は当時の超人気作曲家、ゲオルク・フィリップ・テレマンに対して祝祭に相応しい作品を書くこと命じます。これがここに収められている「キリスト教世界よ!喜びの祝祭を祝え」。
 
テレマンはフランクフルトにいる音楽家ではとても間に合わないので、近隣都市から演奏家を招く手配に奔走したとか。特にダルムシュタットの宮廷楽団から多くの演奏家を招いたようです。
 
そして本祭に続いて市庁舎前の広場で上演される公開演奏も命じられたテレマンが演奏したのがもう1曲の大セレナータ「ドイツは平和のうちに緑萌え、花咲く」。テレマン、大忙し。
 
前置きが長くなりましたが、こういった曲はちょっと前知識があった方が楽しめますね。
 
キリスト教世界よ! 喜びの祝祭を祝え TVWV 12:1a/b」。
全体の構成は説教前の8曲と、説教後の8曲の2部構成で成り立っています。まずはトランペット、ティンパニオーボエ、フルート、弦楽、通奏低音、オルガン、そして4人の声楽ソリストと大合唱と当時の編成としては最大の編成。そしてなんといってもトランペットが華やか。当時の祝祭の華やかさが想像できます。平和につながる喜びは今も昔も変わらず。
そしてソロと合唱で「キリスト教世界よ!喜びの祝祭を祝え!後継者が生まれたのだ!」と高らかに歌われます。ここでは壮麗さだけではなく、フーガも入りテレマンが実はバッハのように対位法にも精通していたのが聴けますね。雰囲気は少しヘンデルに近いかしら。
そしてアリア・レチタティーヴォが神への感謝と願えば叶えられん、みたいな歌詞でソロとテレマンらしい器楽の伴奏で歌われます。ここでは伴奏にも注目したいですね。2曲目のオーボエのソロ、レチタティーヴォの穏やかな弦楽伴奏。
 
1. Coro
Auf Christenheit! begeht ein Freudenfest(キリスト教世界よ! 喜びの祝祭を祝え)
祝祭全体の「扉」を開く壮麗な合唱。トランペットとティンパニを伴う祝祭的書法で、「祈りは無駄ではなかった/皇帝に後継者が生まれた」という核心メッセージを、神学的確信+政治的喜びとして提示します。
 
2. Aria
Wahrlich, wahrlich, ich sage euch(まことに、まことに、あなたがたに告げる)
イエスの言葉をそのまま歌う厳粛なアリア。全曲の神学的支柱であり、「神は祈りを聞き入れる」という命題を明示します。
 
3. Recitativo accompagnato
O teur’ und werte Wort!(おお、尊く、価値ある御言葉よ!)
直前のディクトゥムを解釈するレチタティーヴォ。弦楽伴奏付きで格調高く、祈りと信仰が現世的祝福へと結びつく論理を丁寧に語ります。
 
4a. Aria e Coro
Jesu, Brunnquell aller Güte(イエスよ、あらゆる善の源泉よ
イエスを「すべての善の源」と呼び、御父への仲介者として讃える神学的中心曲。独唱と合唱の交替が、個人の信仰と共同体の信仰を結びつけられます。
 
4b. Aria e Coro
Jesu, selig, wer dich liebet!(イエスよ、あなたを愛する者は幸いである)
より感情的・内面的な信仰告白。「あなたを愛する者は幸い」という個人的救済感が前面に出る。4aと対になり、理性(教理)→感情(信仰体験)の流れを作っていますね。
 
5. Recitativo accompagnato
Du Volk des Eigentums(神の民よ、神に身を委ねる魂たちよ)
作品中もっとも長大で叙事的。皇帝カール6世と皇妃エリザベートの祈り、民の共同祈願、そして成就を歴史叙述として語っています。祝祭の「物語部分」を一手に担う重要曲。そして時折入る伴奏がまたテレマンの音楽的な描写力を示していますね。
 
6. Aria(バス)
Großer Kaiser, Zier der Erden(偉大なる皇帝よ、この地上の誉れよ)
皇帝賛歌。トランペット的威厳を伴い、皇帝を「キリスト教世界の頭」として描いています。壮麗でヘンデル的。神の恵み=政治的正統性というバロック的発想が明確。
 
7. Aria(ソプラノ)
Dieses war auch das Verlangen(これこそが、わたしたちの願いでもあった)
視点が民衆に移り王子誕生が民の願いでもあったことを優しく歌います。個人と国家を媒介する重要な抒情曲。
 
8. Coro(Dictum/ルツ記4:14)
Gelobet sei der Herr(主は讃えられよ)
旧約聖書による合唱。「家系が断たれなかった」ことへの感謝が、ハプスブルク家の継承と重ね合わされます。説教前部の神学的締め。音楽はここで再びフーガが導入され、厳粛でありながら壮麗な世界を讃えます。さすがテレマン、対位法が見事、そして華やかなトランペットとティンパニが入ることで、まさにヘンデル的な祝祭感。
 
――説教――
 
9. Recitativo accompagnato
Auf! auf! ihr treuen Untertanen(立て、立て、忠実なる臣民よ!)
説教後、空気が一変します。民衆への直接的呼びかけで、音楽・楽器・賛歌による祝賀が命じられます。典礼から祝祭への転換点。喜びに満ちたバス。
 
10. Aria e Coro
Alleluja! Ein Prinz ist da!(アレルヤ! 王子が生まれた!)
作品中もっとも分かりやすく歓喜に満ちた曲。反復される「アレルヤ」が群衆的熱狂を生みます。ソプラノと合唱で歌われる祝賀音楽。王子様が生まれた喜びが素直に表現されていますね。ダ・カーポアリア風で、中間部は少し落ち着いて神が嘆願を聞きれてくれた感謝が色合いを変えて歌われます。
 
11. Recitativo
Was wird die Christenheit(キリスト教世界は)
未来への問い。「この子はやがてどんな支配者になるのか?」と未来へと視点を変える短いレチタティーヴォ
 
12. Aria e Coro(三連作)
神への感謝 → 願いの成就 → 将来への希望
という三段階構造。最初は出産そのものへの感謝が合唱、つういては祈りが聞かれたことへの歓喜バリトン、最後は王家の繁栄と再出産への希望がアルトで歌われています。同一リフレインを用い、市民の祈りの持続性を表現しています。
 
13. Recitativo
So soll zu dieser Zeit(かくして、この時にあたり)
祝祭の「正しい態度」を説いています。心・口・手のすべてで神を讃えるべきだと促す、倫理的・実践的レチタティーヴォ
 
14a–c. Aria e Coro(三連祝祷)
Lebe, teurer Leopold!(生きよ、愛しきレオポルトよ!)
王子本人への直接的祝福。最初は家族と祖国の喜びとして、続いて未来の統治者として、そして王家繁栄の象徴として、それぞれリフレインを伴い反復が儀礼的高揚を生んでいます。
ただこの願いも虚しく、レオポルトは6ヶ月で亡くなってしまうのですが・・・
 
15. Recitativo(Dictum+Accompagnato/ルカ1:80)
洗礼者ヨハネの成長を語る聖書句を、王子レオポルトに重ね合わせる象徴的場面。聖書史と同時代政治の合流点と言えますね。
 
16. Coro
Inzwischen feiern wir das hohe Freudenfest(この間、わたしたちは崇高なる喜びの祝祭を祝う。)
冒頭合唱のテキストを回想する終結合唱。全曲を円環的に閉じ、「祈り → 成就 → 祝賀」という構造を完成させています。フーガを含み祝祭的な雰囲気の中に宗教的な神々しさもあります。
 
こうやって聴くとこの曲は単なる祝賀音楽ではなく、神学・政治・市民感情を見事に統合した典礼ドラマ。テレマンは、教会音楽としての厳粛さと国家儀礼としての壮麗さ、さらにはオペラ的ドラマ性を見事に両立させていますね。さすがテレマンとしか言いようがない作品。
 
この式典の後、音楽祭とも言えるお祭りが市民広場で開かれます。
その音楽が「ドイツは平和のうちに緑萌え、花咲く TVWV 12:1c」。なんと1時間半近くかかる大作です。まるでオリンピックの開会式のような雰囲気だったのでしょうか。
 
作品は先ほどの曲よりももっとも世俗的・寓意的色彩の強い作品です。ここでは教会カンタータの直接的な神学表現から離れ、擬人化された存在たちによる対話劇を通して、「戦争から平和へ」「不安から歓喜へ」という国家的理想が描かれます。
 
この曲に登場する人物は、すべて象徴的存在です。
 
  • ゲルマニア(Germania):ドイツ世界そのもの。民と国土の声
  • イレーネ(Irene):平和の女神
  • マルス(Mars):戦争の神
  • メルクリウス(Mercurius):神の使者・吉報の伝達者
  • ファートゥム(Fatum):運命・天命
  • フランクフルト市:現実世界を代表する都市的視点
  • 合唱:民衆・共同体の声
 
これらが交互に語り、歌うことで、一人の皇子誕生が国家・歴史・天命の出来事として拡大されていきます。
 
作品の前半不安の記憶と平和への希求が歌われます。
まずは導入、ここもトランペットとティンパニによる華やかな序奏のあと、テレマンらしいコンチェルトが演奏されます。これは続いた3楽章形式ですが、お祭りの前の盛り上げ役。2楽章はオーボエ協奏曲ですね。独立して演奏しても良さそう。
 
序盤では、ドイツの象徴ゲルマニアがかつての戦争、混乱、恐怖を回想します。武器の轟音、雷鳴のような砲声、それらは「今は静まったもの」として語られますが、完全に消え去ったわけではありません。
戦いの象徴マルスは依然として力を誇示し、「戦争はいつでも再燃しうる」という緊張を残します。ここで音楽も、勇壮で鋭いリズムや管楽器を用い、不安定な世界を音で描き出します。
 
中盤では平和の確立と運命の転換が歌われます。平和の女神、イレーネのアリアでは、嵐の後に訪れる静かな海、雷雨の後に差す陽光が象徴的に歌われます。これは単なる自然描写ではなく、戦争後の政治的安定と平和の定着を意味していますね。音楽は時に描写的ですが、フーガなどは使われないことで宗教的であるよりも、喜びを表すカンタータ的。
 
やがて神の使者メルクリウスが登場し、「皇子誕生」という決定的な吉報をもたらします。この瞬間、物語ははっきりと転換点を迎え、ゲルマニアの嘆きは歓喜へと変わります。
 
後半は皇子誕生と未来への祝福となります。
ファートゥム(運命)は、この皇子が天から定められた存在であること、そして将来、国と王権を支える器であることを予言します。マルス自身も最終的には争いを退け、祝祭の音楽に加わる点が大事ですね。ここでは戦争が完全に否定されるのではなく、秩序の中に従属させられるという当時の王権思想がはっきりと示されます。
最後のアリア、マルスの「さあ、再びトランペットを高らかに吹き鳴らせ」では効果音として祝砲の音も入っていて屋外で行われた式典の雰囲気を出していますね。オーディオ的にスピーカーがぶっ飛ぶような音ではないですが、楽しめます。
終結部は合唱による国家的祝祭で、終曲の合唱では、皇帝と皇妃、そして新しく生まれた皇子に対し、神の祝福と長久の繁栄が高らかに歌われます。ここでの合唱は単なる締めくくりではなく、民衆全体がこの出来事を引き受け、共有する場です。国家的幸福が個人の幸福へと回収され、祝典は完成します。
 
ということで、1時間半に及ぶテレマンの大曲、CD2枚に及ぶ作品を聴きました。そこにあるのはもちろん国家的・政治的な祝祭ではあるものの、民衆が心から願う平和への希求と、皇太子誕生によって平和がもたらされるであろう楽観的ながらも強い希望をテレマンが代弁しているように思います。 

ガードナー指揮ベルゲン・フィルによるブラームス交響曲第2番、第4番

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今晩は、Chandosレーベルから2026年1月2日にリリースされた、エドワード・ガードナー指揮、ベルゲン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏による、ヨハネス・ブラームス作曲の交響曲第2番、交響曲第4番を収めたアルバムを聴きます。


収録曲は以下の通り。


ヨハネス・ブラームス
交響曲 第2番 ニ長調 作品73
第1楽章:アレグロ・ノン・トロッポ
第2楽章:アダージョ・ノン・トロッポ(同じテンポで、しかし優美に)
第3楽章:アレグレット・グラツィオーソ(ほとんどアンダンティーノ)― プレスト・マ・ノン・アッサイ ― テンポI
第4楽章:アレグロ・コン・スピリート ― トランクィッロ ― ますます静かに


交響曲 第4番 ホ短調 作品98
第1楽章:アレグロ・ノン・トロッポ
第2楽章:アンダンテ・モデラー
第3楽章:アレグロ・ジョコーソ ― ポコ・メノ・プレスト ― テンポI
第4楽章:アレグロ・エネルジーコ・エ・パッショナート ― ピウ・アレグロ


演奏はベルゲン・フィルハーモニー管弦楽団、指揮はエドワード・ガードナー。ベルゲン・フィルは、つい先日、デヤン・ラチッチのピアノとデ・フリエントの指揮で聴いたばかり。

note.com

柔らかさと芯の強さを併せ持つ弦楽器群、木管の個性がはっきりと聴き取れる透明な音色が特徴のオーケストラです。ガードナーはこのオケの首席指揮者。この楽団の音を知り尽くした存在。そしてこのコンビではすでにブラームスの1番、3番の組み合わせのアルバムが同じシャンドスから出ているので、これでブラームス交響曲全集が揃いました。


まずは録音はとてもナチュラル。誇張がなくて、それで弦楽器も木管も美しい。
オーディオの機器をまたちょっと足して、Gustard C16 というマスタークロックを入れてみたんですが、そうすると定位がものすごく良くなって、音の滲みが取れて、今までこういうナチュラル系の録音は埋もれがちだった音が強調されないのに自然に響いてきます。


さて、ブラームスの2番、大好きな曲です。柔らかく自然でブラームスのちょっと堅苦しいところもなくて。このガードナーの第1楽章は、一般に想像されがちな「のどかで明るいブラームス」に留まりません。冒頭の低弦による静かな動きとホルンの穏やかな呼びかけは、自然に流れるようでいて、実は細部まで精密にコントロールされているように聞こえます。。ガードナーはテンポを決して急がず、主題が育っていく過程を丁寧に描き出します。弦のレガートは厚みがありながら濁らず、木管の合いの手も控えめながら意味深く、牧歌的な表情の裏にある緊張感が常に感じられます。展開部では構造が明確に浮かび上がり、終結に向かう流れも誇張なく自然です。


第2楽章では、この演奏の美点が特に際立ちます。鮮やかすぎない録音、弦の深い呼吸、内省的なフレージング、そして音量を抑えながらも張りつめた緊張感。感情を前面に押し出すのではなく、音楽が内側から語り始めるようなアプローチで、ブラームス特有の「重く沈み込む哀感」が丁寧に掘り下げられています。中間部での表情の変化も自然で、全体として非常に格調の高いアダージョです。


第3楽章は軽快さと落ち着きのバランスが絶妙です。速く弾いて表面的な可愛らしさを強調することはせず、舞曲的な性格の中にある陰影をしっかりと保っています。プレスト部分ではリズムが引き締まり、コントラストが明確。再びテンポが戻った際にも、流れが断ち切られることなく、全体がひとつの有機体として進行します。


終楽章では、明るさと推進力が前面に出ますが、決して祝祭的に騒がしくなることはありません。弦のアンサンブルは力強く、金管もよく統制され、エネルギーは内側から湧き上がるように積み重ねられていきます。終盤はテンポを上げて盛り上げますが、決して節度を失わず、「陽気な交響曲」という通俗的イメージを超えた、成熟した喜びが感じられます。


続く交響曲第4番。こちらは第1楽章冒頭からやはり柔らかい響き。ガードナーはこの楽章を極端に感情的に煽ることなく、構造を冷静に提示しています。ただこのオーケストラと録音がとても暖かい音色のために、構造的な厳しさよりも柔らかさ、しなやかさが感じられますね。主題の性格をきちんと捉えてそれに合わせてテンポを変化させつつ、常に知的にコントロールされて、フレーズの終止が曖昧に流されることはなく、常に次の展開を予感させる緊張が保たれています。終盤の盛り上げ方も上手いですね。


第2楽章は古風な性格を帯びた音楽として、非常に落ち着いたテンポで進められます。ホルンの響きには温かみがあり、クラリネットを中心とした木管群も柔らかい響き。弦は透明で暖かい美しさと深く沈み込むような音色を保ちます。感情過多にならず滋味に溢れた雰囲気。常に暖かさを意識しているように感じます。


第3楽章は、響きとリズムは軽やか。分厚いドイツの響きというよりは柔らかで澄んだ音色。リズムは明確で推進力がありますが、常にコントロールされており、鋭さと品が両立しています。バランス的にはホルンを抑えてファゴットを出させてハーモニー感を出しているのが印象的。ホルンを木管として扱っていますね。変なアクセントや分厚く音を重ねるようなことがありません。極めてナチュラルな響きですが、後半には熱量が増していくのも聴きどころ。


この作品の核心とも言える終楽章のパッサカリア。テンポは極めてノーマル。主題が提示されて以降、変奏が一つ一つ積み重ねられていく過程が極めて緻密で明瞭、また第3変奏では弦をたっぷりと歌わせます。対位法的書法が音楽的必然として響きます。ロマン的な物語を語るのではなく、古典的な形式の枠の中でバランスを重視しながら作り上げている感じ。フルートのソロは澄んでいて感情過多にならないタイプ。トロンボーンのコラールも木管とバランスを取って全体の響きの溶け合いを重視していますね。重厚でありながら響きは濁らず、終結に向かって徐々に音楽を誠実に積み上げることによってクライマックスを作り上げているという感じでしょうか。


ということで、このアルバムは、ブラームスを「情緒的ロマン派」としてではなく、「構築の作曲家」として捉え直す演奏だと感じました。ベルゲン・フィルの透明度の高い暖かい響きと、ガードナーの冷静かつ深い解釈が結びつき、交響曲第2番と第4番という対照的な作品が、一本の思想で結ばれています。派手さはありませんが、繰り返し聴くほどに味わいが増す、非常に密度の高い一枚だと感じました。

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マティアス・バルトロメイ(チェロ)と アリアーナ・ヘリング(ピアノ)のブラームスとリヒャルト・シュトラウスのソナタとシューベルト

今晩は、Supreme Classics レーベルから2025年12月5日リリースされた、マティアス・バルトロメイ(チェロ)と アリアーナ・ヘリング(ピアノ)の演奏によるブラームスリヒャルト・シュトラウスソナタシューベルトの作品を収めた『オマージュ』と題されたアルバムを聴きます。
 
収録曲は以下の通り。
 
チェロ・ソナタ 第1番 ホ短調 作品38
第1楽章:アレグロ・ノン・トロッポ
第2楽章:アレグレット・クアジ・メヌエット
第3楽章:アレグロ
 
チェロ・ソナタ ヘ長調 作品6
第1楽章:アレグロ・コン・ブリオ
第2楽章:アンダンテ・マ・ノン・トロッポ
第3楽章:フィナーレ ― アレグロ・ヴィヴァーチェ
 
《楽興の時》D780 より 第3曲(チェロとピアノ編)
 
このアルバムも昨年末から気になっていたアルバム。
 
まずはレーベル、このアルバムをリリースしているSupreme Classics は、ヨーロッパを拠点とする比較的新しいクラシック専門レーベルです。スター奏者の知名度や派手な企画性を前面に押し出すのではなく、室内楽や器楽作品を中心に、演奏内容そのものの完成度と録音クオリティを重視する姿勢が特徴でしょうか。特に録音に力を入れているようで、アンサンブルにおける音の分離や立体感を大切にしており、ハイレゾ音源やDolby Atmosなど、現代的な録音フォーマットにも積極的に取り組んでいるようです。
 
チェロのマティアス・バルトロメイは、オーストリア出身のチェリスト。名門の出で、ひいお爺さんはウィーン・フィルクラリネット奏者、父親もウィーン・フィルの名チェリスト。若い頃は父親に反抗して違うアプローチをしていて、バルトロメイ・ビットマンというチェロとヴァイオリンのデュオでゴキゲンなジャズ系のノリノリの演奏をしていましたが、父親を亡くしてから、無意識に彼から強い影響受けていたことに気づいたとのこと。この録音は2001年に父親が行った録音と同じホール、プログラム。それがこのアルバムのタイトル「オマージュ」につながっているようです。ウィーン・フィルやウィーン響、ヨーロッパ管、マーラー室内管、アーノンクールの率いていたウィーン・コンツェント・ムジクスのメンバーを務めていて、今はザルツブルグのモーツァルテウム音大の教授。デュオで来日もされているので聴いた方も多いかも。
 
ピアノのアリアーヌ・ヘーリングは、スイス出身のピアニストでヴァイオリンのベンヤミン・シュミットの伴奏を務めていますね。
 
早速聴いてみます。
 
録音はナチュラルで左側に位置するチェロを後方で余韻を持った響きのピアノが支えています。派手さはないけれど、音場感のあるいい録音ですね。
 
ブラームスのチェロ・ソナタ第1番第1楽章は、冒頭から重心の低い主題が提示されますが、ここでの演奏は音量や粘度で重さを演出するのではなく、音程とフレーズの方向性によって音楽を支えています。
ピアノは和声の推移を極めて明晰に示し、低音部が濁ることなく、対位法的な絡み合いが自然に耳に入ってきます。テンポは落ち着いていますが停滞感はなく、楽章全体が大きな一つの呼吸として設計されているのが印象的です。
バルトロメイの音色は落ち着きがあり、低音の芯がしっかりしている一方で、過度な重量感に傾くことはありません。フレーズの呼吸や和声の流れを丁寧に意識した演奏しているという感じ。聴き進めるほどに説得力が増していくタイプのチェリストだと感じます。感情を誇張して歌わせるタイプではなく、作品の構造や声部関係を明確に示すことに重きが置かれています。
 
対してピアノのヘーリングは、和声進行や内声の整理が非常に明晰で、共演者を単に支えるのではなく、対等な立場で音楽の方向性を示していくピアニストのようです。ペダルの使い方も節度があり、響きを濁らせることなく作品のフォルムをはっきりと浮かび上がらせています。テンポ感や呼吸の合わせ方も的確。
 
第2楽章では、メヌエット風の外形を持ちながらも、どこか影を帯びた性格が強調されます。チェロのフレーズは語り口調で淡々と進み、感情を前面に出すことはありません。その分、和声の移ろいがはっきりと感じられ、内省的な響きが静かに広がります。ピアノは旋律の背後で音楽の重心を微妙に動かし続け、楽章全体に緊張感を保っています。
 
終楽章ではフーガ風の書法が前面に出ますが、技巧を誇示する方向には向かいません。チェロは各声部の入りを明確に示し、音楽の流れを常に可視化します。ピアノも推進力を煽ることなく、構造の節目を丁寧に示しながら全体をまとめ上げ、ブラームスらしい厳格さと均衡が強く印象に残ります。
 
続くリヒャルト・シュトラウスのチェロ・ソナタ ヘ長調 作品6は、1881年から1883年頃、作曲家がまだ20代前半にあった時期に書かれた初期作品。この時期のシュトラウスは、ミュンヘンを中心に音楽的基礎を固めつつ、古典的な形式とロマン派的表現の両立を模索していました。本作も、ソナタ形式をはじめとする伝統的な構造を踏まえながら、すでに後年の交響詩を思わせる豊かな旋律感や和声感覚が随所に現れています。
 
チェロとピアノを対等な二重奏として扱っている点が特徴で、ピアノは単なる伴奏にとどまらず、しばしばオーケストラ的な厚みと推進力を担います。一方でチェロは、声楽的な旋律を担う存在として書かれていて、若きシュトラウスの歌謡性の強い関心が反映されています。作品全体には、ブラームスシューマンといった先行世代の影響が感じられるものの、旋律の息の長さや転調の大胆さには、すでにシュトラウス固有の個性が芽生えていますね。若書きでありながら完成度は高く、今日ではシュトラウス初期の重要作として評価されています。ロマン派的な情熱と古典的均衡がまだ拮抗しているこの作品は、後年の華麗な交響詩へと至る過程を知るうえでも、非常に興味深い位置を占めていますね。
 
第1楽章は若書きにありがちな勢い任せの表現や、ロマン派的な甘さを強調する方向とは明確に距離を取っています。バルトロメイのチェロは、冒頭からよく歌いながらも音色は常に整理されており、旋律を誇張するのではなく、フレーズの向かう先を丁寧に示してます。音程の芯がはっきりしているため、旋律が膨らんでも輪郭が曖昧になることがなくてシュトラウス特有の息の長い歌が誇張されることなく自然な流れとして立ち上がってきます。
ヘーリングのピアノは、この作品が持つオーケストラ的書法を強調しつつも、音量や厚みで圧倒することはありません。和声の変化や内声の動きを明確に提示することで、音楽の推進力を構造的に支えています。
 
第2楽章では、バルトロ名のチェロは、旋律をあまり感情的に引き延ばすことなく、静かな内向性を保ちます。ピアノもペダルを節度ある範囲にとどめ、和声の移ろいを濁らせることなく提示します。甘美さと思索がバランスよく表現されていて、若いシュトラウスの内面が透けて見えるような楽章になっています。
 
終楽章では、活気と推進力が求められますが、ここでも演奏は決して前のめりになりません。チェロの運動性は軽やかで、音型の一つひとつが明確に発音され、ピアノはリズムの骨格を的確に支えます。勢いに任せて駆け抜けるのではなく、全体のフォルムを意識しながら音楽を組み立てていく姿勢が一貫しており、作品を「若書きの情熱作」にとどめない説得力を与えています。
 
この演奏は、華やかさを前面に出すものではないのですが、作品の構造と書法を丁寧に読み解いたうえで、抑制されたエネルギーとして提示している点が大きな魅力。結果として、シュトラウスのチェロ・ソナタが持つ完成度の高さと、後年へと続く作曲家の資質が確実に浮かび上がってくる演奏だと感じました。
 
アンコール的なシューベルトの「楽興の時」第3曲は、バルトロメイによるチェロ編曲で、チェロのくっきりとした歌として雄弁さを持って語られます。ここでは技巧や構造よりも、アゴーギクや音楽の間が大切にされていますね。ピアノは最小限の動きでチェロの旋律を支えます。アルバムの最後に置かれることで、全体を内側へと静かに収束させる役割を果たしています。
 
ジャケットはお二人の写真が半分ずつ対等に写っているデザイン。チェロピアノが対等な位置で演奏されているこのアルバムを象徴していますね。
 
ということで、このアルバム「オマージュ」は、作品そのものへの敬意と共に父親への敬意、ウィーンの伝統を引き継いでいこうという強い意思が感じられたアルバム。派手さはありませんが、繰り返し聴くことで細部が見えてくる味わいのある演奏で、静かに長く付き合える一枚だと感じました。
 
 

 

 

ハンス・ガールの弦楽五重奏と弦楽四重奏曲

今晩は、cpoレーベルから2025年12月4日にリリースされた、カタリン・ケルテースを中心とする演奏陣による、ハンス・ガール作曲の室内楽作品集を聴きます。
 
収録曲は以下の通り。
 
ハンス・ガール(1890–1987)
 
弦楽五重奏曲 作品106
第1楽章:モデラート、ほとんどアンダンティーノ
第2楽章:アレグロ・コン・スピリート
第3楽章:ポコ・アンダンテ
第4楽章:ヴィヴァーチェ
 
弦楽四重奏曲 第4番 作品99
第1楽章:レジェンド ― アダージョアレグロ
第2楽章:ブルレスク ― ヴィヴァーチェ
第3楽章:エレジー ― ラルゴ ― ポコ・ピウ・モッソ、ほとんどアンダンテ
第4楽章:フーガ風カプリッチョアレグロ・コン・スピリート
 
弦楽四重奏のための5つのインテルメッツォ 作品10
第1曲:アレグロ・コン・モート
第2曲:アンダンティーノ
第3曲:プレスト
第4曲:アレグロ・コモード
第5曲:アレグレット・コン・グラツィア
 
またもCPOレーベル。いつも全く知らない作曲家と作品を、好奇心と期待と失望の可能性も含めて聴くという楽しみがあります。
ハンス・ガール(ガル、という表記が一般的ではありますが、ハンガリー系の発音としてはガールでしょう。実はちょっとだけハンガリー語を勉強したことがありまして、本当にちょっとだけね。今でも「乾杯」、と「トイレはどこですか」だけは言えます。あはは。)知らない作曲家。
パッと聴いて、ああ、後期ロマン派だな、なかなか濃くていいな・・・と思ったのですが、弦楽五重奏の作曲年が1976年。え?100年間違えてない?誤植?と思ったら1890年生まれの1987年までご存命の作曲家でした。
1970年代と言えば、シュトックハウゼンやらリゲティやらペンデレツキとかの現代音楽が流行っていた頃。その時代にこんな19世紀的な作品を書いていたとは・・・しかもなかなかいい曲。
 
詳しく調べると、ハンス・ガールは1890年ウィーン生まれ。ブラームスと親交が深く、その精神を最も正統に受け継いだマンディチェフスキに学びブラームスシューベルトの伝統を正統に継ぐ作曲家として早くから評価されていたけれど、ナチスの台頭によって活動の場を奪われ、最終的にはイギリスへ亡命しています。20世紀音楽が無調や前衛へと進んでいくなかで、彼は意識的にその流れに加わることなく、後期ロマン派的な語法を自らの「母語」として守り続けた人とのこと。そのため、1970年代に書かれた作品であっても、聴こえてくる音楽はどこか19世紀末の精神を宿していて、時間感覚がねじれているかのような不思議さがありますね。
ブラームスの孫弟子として直接引き継いた作曲技法が20世紀後半まで生き残っていたと思うと、それはそれでものすごく貴重です。
そして室内楽だけではなく、交響曲、協奏曲、ピアノ曲、オペラまで残していて、案外録音も多いのですねぇ。通り過ぎていました。
 
弦楽五重奏曲 作品106 はさっき書いた通り1976年作。2本のヴィオラを含む編成がもたらす厚みは、決して音響的な豪奢さのためではなく、五つの声部が対等な人格として語り合うために用いられています。
音楽はまさにブラームスをさらに複雑化したような世界。第1楽章は穏やかで内省的な対話から始まり、旋律は自然に受け渡されていきます。5つの声部が絡み合い、主題は明確な旋律というより、短い動機が生まれては発展し、ほどけ、また生まれていくという感じ。対位法的にもすごく、感情的な爆発はないのですが、引き込まれる音楽です。展開部的な部分はあるのですが、主題が葛藤したりぶつかり合うようなことはなく、ある一定の感情のまま進みます。しかしその淡いロマン性はとても魅力的。
 
第2楽章は切れ味のよいスケルツォで、軽快さの裏に静かな陰影が潜み、中間部では対照的な長い音による動機が柔らかく奏されます。第3楽章は、感情が最も深く沈み込んで、そこはかとない哀しみを表現しますが、決してその感情があらわに表に噴き出すことがありません。
終楽章は明るさと推進力を備えながらも、どこか含みを残したまま終わります。ガールの晩年の作とのことですが、どこかブラームスに通じるような諦観が感じられます。
 
とにかくヴィオラ2本というのが非常に色濃い響きを作り出しますね。全ての声部が生き生きと絡み合って行きます。マーラーともリヒャルト・シュトラウスとも違う。強いて言えば初期のシェーンベルク、清められた夜のような雰囲気がありますが、あれほど暗い情念は無くて、標題音楽とは対照的なブラームスの音楽を引き継いでいますね。
 
弦楽四重奏曲 第4番 作品99 は1970年に書かれた作品。唯一アダージョで始まるガールの四重奏曲とのこと。第1楽章「レジェンド」は半音階的で不安定な和声が支配し、時間を超えた物語のような雰囲気を醸し出します。
第2楽章「ブルレスク」では皮肉とユーモアが顔を出しますが、決して戯画的にはならず、常に距離感が保たれているのがマーラーとは全く違うところ。
第3楽章「エレジー」はこの弦楽四重奏曲の感情的中心で、厳しく制御された哀感が深く心に残ります。
終楽章のフーガ風カプリッチョでは対位法的技法が生き生きと用いられ、複雑系ブラームス、と言ったらいいでしょうか。内省を経た後の静かな肯定として作品を締めくくります。
 
弦楽四重奏のための5つのインテルメッツォ」作品10 は1914年の初期作品です。前の作品とは50年から60年くらい離れているのですが、同じ語法というの興味深いですね。
舞曲的で性格描写的な小品が並び、若いガールの外向的な側面も垣間見えますが、すでに感情を音楽の形式の中に収めようとする姿勢が明確に聴こえてきます。リズムは旋律的な雰囲気はウィーン的な情緒やハンガリーの要素も感じられますね。その点はブラームスも同様でしたが。第5曲ではフーガ的処理が用いられ、後年の対位法的思考の萌芽がはっきりと感じられます。
 
演奏は、ヴァイオリンのカタリン・ケルテースとレイヨ・トゥンッカリ、ヴィオラのハンナ・パッカラとエミリアーノ・トラヴァジーノ、チェロのウッラ・ランペラ、そして弦楽五重奏曲ではチェロのラウリ・プラッカが加わります。いずれもCPOレーベルでガール作品に深く関わってきた演奏家たち。興味深いのはこの中の何人かは古楽系の演奏者なんですね。ただここではロマン派のスタイルで弾いていますが、今、演奏者は両方のスタイルをこなせるのが当たり前の時代なのかも。音楽を誇張せず、内声の動きや和声の微妙な陰影を丁寧に浮かび上がらせる演奏が印象的です。旋律を歌い上げるというより、音楽が沈黙に戻っていく過程を大切にする姿勢が、ガールの美学とよく合っています。
 
なお、チェロのラウリ・プラッカは、この録音のリリース準備中に逝去されています。彼のチェロは前面に出ることなく、全体を内側から支える役割を果たしており、それはまさにガールの音楽が求める在り方そのもののようにも感じられます。ご冥福をお祈りします。
 
このアルバムを通して聴くと、ハンス・ガールは時代の流れに対してあくまでも自分の信じる音楽語法のみを守り続けた方。それを声高に異議を唱えたのではなく、音楽が人を支えるための構造を黙って守り続けた存在であったことがよく分かります。強い主張も劇的な高揚もありませんが、その代わりに、長く寄り添うことのできる静かな音楽があります。
 
他のアルバムもちょっと聴いてみたのですが、なかなかいい曲が多いし、ブラームスの作曲語法を極限まで突き詰めた感もありとても気に入りました。
 
こうやって名も知らぬ作曲家を漁っていると、時に素晴らしい宝物に出会えます。他の人は誰も知らない、私だけの作曲家、という感じがして、出会えたことに喜びを感じます。
 
今はもうほとんどの人が1970年代の現代音楽といわれた作品を聴かなくなりました。あの頃の前衛音楽というのは、未来になって長い目で過去を振り返って見た音楽史の流れの中で、異端的な立場に追いやられるかもしれません。本当に一瞬の音楽の行き止まり。そしてその時代には顧られることのなかったガールのような、流行に流されず、自分の音楽的な信念を貫き通した作曲家がもっと評価される時がくるのかもしれません。当時流行遅れだったバッハのように・・・。
 

シモネットのピアノによる未聴のサティと再構築作品

今晩は、OnClassical レーベルから2025年12月13日にリリースされた、アレッサンドロ・シモネットのピアノによる、エリック・サティ作曲「未だ聴かれぬサティ ― 夜想曲と自筆写本にもとづくその他の再構築作品」を聴きます。
サティの自筆写本や断片的なスケッチをもとに、演奏可能な形へと再構築された作品を集めたアルバムで、既存の名曲集とは異なり、「まだ聴かれたことのなかったサティ」を提示する企画。
 
収録曲は以下の通りです。
 
ジムノペディ 第1番〈ゆっくりと、苦悩をこめて〉
ジムノペディ 第2番〈ゆっくりと、悲しげに〉
ジムノペディ 第3番〈ゆっくりと、重々しく〉
純化されたグノシエンヌ様式による小品
 
眠りを誘う姿勢 第1番
眠りを誘う姿勢 第2番
眠りを誘う姿勢 第3番
 
逃げ出したくなる旋律 第1曲
逃げ出したくなる旋律 第2曲
 
眠りを誘う姿勢「愛撫」
 
冷たい小品 第1番
冷たい小品 第2番
冷たい小品 第3番
 
グラーヴェ、コラール
断片(補筆)
不機嫌な囚人
 
無題の小品 第1番
無題の小品 第2番(補筆)
無題の小品 第3番(補筆)
 
短いコラール 第1番
短いコラール 第2番
短いコラール 第3番
 
犬のための前奏曲 第1番(補筆)
犬の前奏曲
 
色あせた溜息(補筆)
 
色あせた思い出 第1番「落書き」(補筆)
色あせた思い出 第2番「毛」(補筆)
色あせた思い出 第3番「再燃」
 
夜想曲 第6番(補筆)
夜想曲 第7番(補筆)
夜想曲 第8番〈きわめて遅く〉(補筆)
夜想曲第9番のためのメモ(第1)(補筆)
 
夜想曲のためのスケッチ 第1番(補筆)
夜想曲のためのスケッチ 第2番(補筆)
夜想曲のためのスケッチ 第3番(補筆)
 
夜想曲 第4番(補筆)
 
夜想曲 第1番(補筆)
夜想曲 第2番(補筆)
夜想曲 第3番(補筆)
 
題名のないメヌエット
夜想曲第9番のためのメモ(第2)(補筆)
フーガ(補筆)
 
子どものための小品「ロビンソン・クルーソー
子どものための小品 第2番
子どものための小品 第3番
 
その他の子どものための小品 第1番
その他の子どものための小品 第2番
その他の子どものための小品 第3番
その他の子どものための小品 第4番
 
小さなカノン(補筆)
カノンの主題

 

演奏は、イタリアのピアニスト、アレッサンドロ・シモネット。
ジャケットの写真を見ると若い女性かな、と思っていたのですが、ピアニストは男性で、1974年生まれのピアニストであると同時に、録音エンジニア、作曲家、プロデューサーとしても活動しており、このレーベルも自身が主宰する OnClassical レーベル。配信専門のクラシックレーベルですね。
彼は得にサティ作品については、初期作や未発表資料、秘教的・断章的作品の研究と録音で知られ、本作でも演奏者であると同時に、写本の校訂と補筆を行う中心的存在となっています。
 
このアルバムの核となるのは、やはり夜想曲群でしょう。
サティの夜想曲は、生前に公刊されたものだけで全体像を捉えることが難しく、構想段階のスケッチや断片が数多く残されています。ここでは第6番から第8番、さらに第9番に関連するメモやスケッチまで含め、夜想曲という形式がどのように生まれ、揺れ動いていたのかを立体的に浮かび上がらせています。
シモネットの演奏は、非常に柔らかい音、そしてジムノペディなどは止まりそうなほど遅いテンポ。ロマン的な歌わせ方を極力避け、音の間合いや和声の静けさを丁寧に保っていますね。
 
ジムノペディ」や「冷たい小品」、「眠りを誘う姿勢」といった比較的知られた作品群も、ここでは装飾を抑えたソフトでフラットなタッチで演奏されて、サティ独特の世界を築き上げています。
旋律が感情を語るのではなく、ただそこに置かれている、という感が強く、結果としてサティの「反ロマン主義」的な側面がはっきりと示されます。
 
一方、「色あせた思い出」や断片、無題の小品、コラール類では、未完成性そのものが音楽の魅力として提示されます。
短い動機、唐突な終止、構造の曖昧さがそのまま残されており、完成度よりも「書かれた瞬間の思考」に耳を傾けるような聴き方を促されます。
 
後半に収められた子どものための小品やカノンでは、サティの素朴さ、皮肉、そして教育的側面が顔を出します。
特に簡潔なカノンやメヌエットでは、形式そのものを軽やかに扱うサティの姿勢がよく表れており、シモネットはそれを過度に面白がることなく、淡々と提示しています。
 
全体を通して感じたのは、これは「名曲集」ではなく、「資料集」でありながら、同時に非常に音楽的なアルバムであるということ。
補筆は最小限に抑えられているようで、作曲家サティの声を前に出そうとする姿勢が一貫しています。そのため、派手さや即効性はありませんが、目を瞑って静かに耳を傾けるほどに、サティという作曲家の思考の輪郭が見えてきます。
 
サティをよく知る人にとっても、初めてサティに触れる人にとっても、これは少し特別な一枚。
聴かれなかった音楽、書きかけの音楽、完成しなかった音楽が、密やかな夜の時間の中で、静かに息づいている。そんなアルバムでしょうか。
 
 

サバディンのギターによるバッハのリュート曲集

今晩は、2025年12月22日にリリースされた、ダリオ・ビッソ・サバディンのギターによるバッハのリュート曲集をギターで弾いた演奏を聴きます。
バッハが「リュートのために」書いたとされる主要作品を、すべてクラシック・ギター用に編曲し、全曲を通して録音したアルバムです。単なる名曲集ではなく、バッハのリュート作品を一つの体系として提示しようとする、非常に意欲的な企画となっています。
 
収録曲は以下の通り。
 
J. S. バッハ
 
I. Prélude
II. Loure
III. Gavotte en Rondeau
IV. Menuetts I & II
V. Bourrée
VI. Gigue
 
I. Präludium – Presto
II. Allemande
III. Courante
IV. Sarabande
V. Gavotte I & II
VI. Gigue
 
I. Passaggio – Presto
II. Allemande
III. Courante
IV. Sarabande
V. Bourrée
VI. Gigue
 
I. Preludio
II. Fuga
III. Sarabande
IV. Gigue & Double
 
I. Prelude
II. Fugue
III. Allegro
 
 
フーガ ト短調 BWV 1000
 
 
バッハの「リュート作品」は、長く「本当にリュートのために書かれたのか」という問題を抱えてきました。現存する楽譜の多くはリュート奏者向けの記譜法ではなく、むしろ鍵盤楽器的な書法を示しており、近年では13弦バロックリュートや、リュート風の撥弦鍵盤楽器であるリュートハープシコード(ラウテンヴェルク)を想定していた可能性が高いと考えられています。実際、BWV 997 や 998 に見られる高度な対位法や和声処理は、リュートという楽器の物理的制約を超えた発想でしょうか。一方で、和声進行や低音処理の在り方は、撥弦楽器的な感覚とも強く結びついており、単純に「鍵盤曲」と断定することもできません。
この曖昧さこそが、これらの作品を今日まで聴かれている理由の一つでしょう。リュート、ラウテンヴェルク、ギターといった異なる楽器による解釈を許容する柔軟性が、作品の本質に内在しているのです。このアルバムはその問題に対し、歴史的再現ではなく、ギターという現代的な楽器を通してバッハの書法を読み直す、ひとつの誠実な回答を示しています。
 
ここでギターを弾いているダリオ・ビッソ・サバディン(Dario Bisso Sabàdin)は、イタリア出身のクラシック・ギタリスト、同時に編曲者としても活動しています。特にバッハ作品をギターでどのように扱うかという問題に継続的に取り組んでいて、このアルバムはその成果。彼の演奏スタイルは、ギターの技巧や華やかさを前面に押し出すものではありません。声部の独立、和声進行の明瞭さ、舞曲としての性格の保持を最優先し、装飾や表情付けは極めて節度をもって行われています。リュートの響きを模倣するのでもなく、モダン・ギター的な厚みで塗り替えるのでもなく、あくまでバッハの書法をギターという楽器で読み解く姿勢が一貫しています。
1曲ずつ聴いていきましょう。
 
まずは録音がとてもいいです。リアルな響きが目の前に響いてきて、目の前にギタリストがいそう。高音は柔らかく、低音は幅広く包み込むよう。空間表現も優れていて、残響が美しい録音です。そしてものすごく音色が多彩。甘い音から鋭い音まで、こんなに表情豊かな楽器なんだっけ?と思うくらい。素晴らしいギタリストのようです。
 
このアルバムの冒頭に置かれる BWV 1006a は原曲が無伴奏ヴァイオリンですから、とても親しみやすいですね。音楽は全体に明快で運動性が高く、リュート作品群の中でも特異な存在です。そして全体にギターの甘い音色と制約がある中での対位法が浮かび上がる演奏が素晴らしい。
プレリュードでは、華やかさを前面に出すのではなく、和声進行の輪郭を明確に示す演奏がなされています。音の粒立ちは明晰ですが、決して乾燥せず、ギターならではの持続を活かして音楽が構築されています。
ルールでは舞曲としての重心が低く保たれ、過度に軽くならない点が印象的です。ガヴォット・アン・ロンドーでは主題の性格づけが明確で、反復構造が自然に理解できます。
後半のメヌエット、ブーレ、ジーグに至るまで、速度や音量による誇張を避け、構造の見通しを優先する姿勢が一貫しています。
 
リュート組曲 第3番 ト短調 BWV 995は、無伴奏チェロ組曲第5番を原曲とする作品。リュート作品群の中でもとりわけ陰影の濃い性格を持っています。サバディンの演奏は、この重心の低さを無理に持ち上げることなく、ギターの音域と和声配置を活かして音楽を沈潜させています。
プレリュディウムでは、和声の移ろいが非常に明確で、主部ではチェロの独奏とは異なる多声的視点が浮かび上がります。アルマンドクーラントでは、舞曲としての流れが保たれつつ、内声の処理が丁寧に行われています。
サラバンドでは音を引き延ばすことに頼らず、和声の緊張そのものによって音楽が支えられています。それから繰り返しでは奏法を変えて音色を見事に変化させてまるでチェンバロのストップが変わったかのよう。瞑想的な雰囲気の名演。
ガヴォット I・II はここでも性格の違いを音色で表現していますね。舞曲を意識しての演奏。終曲ジーグでは推進力を保ちながらも最後まで構造が崩れません。
 
リュート組曲 第1番 ホ短調 BWV 996 は、即興的な要素と舞曲性が最も自然に結びついた曲。冒頭の Passaggio – Presto では、自由な身振りを感じさせながらも、サバディンの演奏は常に秩序の中にとどまっています。和声進行と対位法が明快で、音楽の骨格が常に見通せます。ギターでこういう演奏ができるってすごいですね。アルマンドは柔らかい音色、クーラントは逆に立った音。旋律線を自然に歌わせ、装飾は最小限に抑えられています。サラバンドでは、ギターの持続音を活かした静謐な響きがと装飾的なアルペジオがとても印象的で、この組曲の精神的中心。ここではギターの柔らかい音色と調性の変化に合わせて色彩を変えていて、これはリュートではなかなかできないのではないかな。ブーレとジーグでは軽快さが前面に出ますが、決して表層的な明るさに流れることはなく、全体の均衡感覚が保たれています。こういった曲は、フレットの擦れる音が、雑音としてではなくとてもカッコよく響きますね。
 
リュート組曲 第2番 ハ短調 BWV 997。このアルバムの中でも、最も強く対位法的思考が感じられる作品です。この曲はフルートでもよく演奏される作品で、私も以前吹いたことがあります。プレルディオは幻想曲的な性格を持ち、各声部が明確に分離されることで、ギター演奏でありながら鍵盤的な構造が聴こえてきます。フーガは本作最大の聴きどころの一つ。主題の提示、展開、密度の増加が非常に明瞭で、音量や表情に頼らず、書法そのものの力で音楽が進行します。サラバンドでは内省的な性格が際立っていますが、旋律線が美しい演奏です。音と音の間合いが音楽を形づくります。終曲の Gigue & Double では、変奏構造が明快に示され、複雑さを保ったまま終結します。
 
前奏曲、フーガとアレグロ 変ホ長調 BWV 998 は、リュート作品の中でも鍵盤的性格が最も強く感じられる作品。前奏曲では和声の広がりが重視され、ギターの響きが自然に空間を満たします。フーガでは声部処理の明確さが際立っていますね。ギターでここまでフーガが表現できるのですね。対位法の絡みが見事に聴こえてきます。終楽章アレグロでは舞曲的な快活さが現れますが、技巧的な誇示に陥ることはなく、構造的な推進力によって音楽が前進します。
 
前奏曲 ハ短調 BWV 999は短い作品ですが、単純な和声進行の中に、撥弦楽器的な感覚と鍵盤的思考が共存しており、サバディンの演奏はその曖昧さをそのまま提示しています。余計な表情付けを排し、あるがままに素材そのものの美しさを際立たせている演奏。
 
最後のフーガ ト短調 BWV 1000は補遺的作品として扱われがちですが、この演奏では極めて充実した内容として響いてきます。緊密な書法がギターで明瞭に提示され、フーガとしての論理が簡潔に示されています。アルバムの締めくくりとして、全体を引き締める役割を果たしていますね。
 
1時間48分聴き通りました。素晴らしい演奏でした。このアルバムは、ギターによるバッハ名曲集という枠を超えて、バッハのリュート作品を体系的に提示していて、リュート的な響きの再現でも、ギター的な名人芸でもなく、バッハの書法そのものをギターという楽器で読み解く姿勢が、全曲を通して貫かれています。
静かに、しかし深くバッハの多声音楽にじっくりと浸ることができました。

スシャンスカヤのベートーヴェン交響曲「英雄」「第4番」

新年あけましておめでとうございます。
今年もクラシックの新譜について相変わらず感じたままをあるがままに書いていきたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
 
さて、新年1日目は大晦日に聴いた第九の続きで、リマ・スシャンスカヤのベートーヴェン交響曲を聴いていきたいと思います。今日は英雄と第4番
 
ベートーヴェン交響曲第3番 変ホ長調 Op.55《英雄》
第1楽章 Allegro con brio
第2楽章 Marcia funebre: Adagio assai
第3楽章 Scherzo: Allegro vivace
第4楽章 Finale: Allegro molto
 
1楽章:Adagio – Allegro vivace
第2楽章:Adagio
第3楽章:Allegro vivaceスケルツォ)― トリオ ― スケルツォ
第4楽章:Allegro ma non troppo
 
リマ・スシャンスカヤ(指揮)
ロンドン・ナショナル交響楽団
 
このシリーズ、弦楽器を前に出したスシャンスカヤらしいバランスの演奏で、結構好き。第1番、第2番、第9番と聴いてきました。
第3番英雄。久々に聴きます。
改めてリマ・スシャンスカヤについて調べると、彼女はこのナショナル交響楽団NSO)の首席准指揮者揮者なんですね。この全集は2024年に彼女の指揮のもとで行われ、2025年秋にQuartzレーベルからリリースされています。
スシャンスカヤは、モスクワ音楽院ダヴィッド・オイストラフに師事した最後の弟子として知られ、ヴァイオリニストとして国際的な名声を確立。ワシントン・ポスト紙からは「現存する最高のヴァイオリニストの一人」と評され、その集中力と卓越した技巧が称賛されています。その後、指揮者としても活躍の場を広げ、ヨーロッパ各国や中国、英国などで演奏を重ねてきました。現在は後進の育成にも力を注ぎ、指揮と教育の両面から音楽に向き合う姿勢が高く評価されています。
スシャンスカヤは、13歳の時にこの曲を聴いたことが、彼女の音楽人生の原点となったとのこと。それだけに思い入れが深いでしょう。
ナショナル交響楽団NSO)は、第二次世界大戦中に結成された、イギリスで最も長い歴史を持つプロフェッショナルなフリーランス・オーケストラとのこと。意外に歴史があったのね。戦時下には、空襲で被害を受けた各地を巡り、人々を励ます演奏活動を行うなど、社会と密接に関わりながら発展しているようで、その伝統は現在も受け継がれて、NSOはクラシックのみならず、映画音楽、テレビドラマ、ミュージカルなど幅広い分野で演奏しているとか。
ロンドンを拠点としながら英国全土から優れた奏者が集まり、柔軟で機動力のある編成を生かした活動を行っている点が特徴。近年は録音活動も非常に活発で、BBC作品やNetflixシリーズ、映画音楽の制作にも多数参加しているとのことなので、案外知らない間に聴いているのかも。現在はマネージング・ディレクターのジャスティン・ピアソンのもと、新たな方向へ向かっているようで、このベートーヴェン交響曲全集の録音もその一つでしょう。
 
聴いてみます。
第1楽章の変ホ長調の和音を2回、バンっ、バンッという前奏が突然始まる開始、当時の人はびっくりしたでしょうね。同じベートーヴェンのシンフォニーでも1番2番は序奏付きだったのが、一気に変化します。聞き慣れた曲ですが、よく考えるとこの冒頭は驚きの構成。
スシャンスカヤの演奏、古楽的な演奏ではなくて、テンポは勢いがありながらも奇を衒わないオーソドックスなもの。やはり弦楽器が前面に出て後ろに管楽器、ただ第九のような奥深さはなくて、響きは明快。変なアゴーギクもなくインテンポで進みます。この演奏はアンサンブルは1番、2番、第9より良くなっています。
録音は第1、第2、第9のようにクリア、弦楽器をクローズアップして管楽器は奥に点在。教会らしい響きと相まってなかなかよい音です。ティンパニが時々硬めのマレットで奥から聞こえてくるのもアクセント。そして今まで聴いたシンフォニーと同様、常にエネルギーと前進性に溢れています。
 
第2楽章。ここでも過度にテンポを落とさず、また神格化された音楽ではなくて、リズム感と前進性が特徴。ただむやみに早いHIPとは違って音楽的。オーボエのソロもとてもいい。悲劇性は少ないのですが、ベートーヴェンのあるがままの音楽が聴こえてきます。それからなんと言っても弦楽器の表情があります。そしてテュッティになると弦の響きと後ろで鳴る管打楽器群の音とブレンドされてとてもよいバランス。ただ、時々弦楽器と管楽器のアンサンブルが微妙にずれます。これは残念というのではなくて、それがまた特殊な効果を生んでいるように感じられるかな。全て完璧に揃っている名門オーケストラにはない味わい。 
 
第3楽章はここでも鋭いリズム感と前進性が際立ちます、スケルツォ本来の躍動が素直に伝わってきますね。アンサンブルは例によって一瞬乱れたりするのですが、それが迫真感というかライブ感になって聴こえてきますね。何度も撮り直した音じゃなくて、本番一発録りという感じ。トリオでもテンポを大きく緩めず、全体の勢いを保ったまま進めることで、楽章全体に一貫した運動感が生まれています。ホルンは教会の左奥から豊かな残響を伴って太い音で聴こえてきます。かなりストレートな解釈で、あまりコクのようなものは感じられない代わりに構成感・形式感がしっかりと聴こえてきます。
 
終楽章、冒頭は楽譜記載のメトロノームのテンポでやるととんでもない速さになりますが、ここはずっと遅くてがっしりとした感じの速さ。主題も同様、決して速くないのですが、前に進む感じを保ちつつ太い音楽で進みます。変奏曲形式の構造を明快に示して、音楽を停滞させることなく最後まで走り抜けていきます。ベートーヴェンの理念を語るというより、音楽をあるがままにしっかりと提示し、語らせる。それから運動としての「英雄」を提示する演奏。整いすぎた近年の演奏とは異なる魅力を持った演奏だと思います。最後の音はしっかり伸ばすタイプで、この充実した曲を聴いた!っていう感じになりますね。
 
交響曲第4番も傾向は一緒。序奏、冒頭の木管ロングトーンがちょっと濁りますが、すぐに合ってきますが、このあたりが常設じゃないところの弱さかな・・・。短い音では教会の響きが非常に美しいのですが、いたずらに神秘性とかは出しません。主部のアレグロ・ヴィヴァーチェはやはりテンポは前進性を感じさる演奏。アンサンブルは相変わらず時々乱れるけど、それがライブの緊迫感として伝わります。アクセントは強めだけれどHIPのような鋭さはなく、全体に軽快さだけではなくて、芯の強さがあって、表情がさまざまに変わります。ここでのクラリネットはとてもブラボー。弦楽器は表情はあるんですが、歌いすぎない節度があります。ティンパニは抑え気味で弦楽器中心のサウンドは今まで通り。しかしエネルギーがあるのが特徴です。
 
第2楽章はテンポは流れに乗って留まらず、主題の歌わせ方が自然で感情を入れすぎず、感傷的にならず、常に緊張感を保っています。弦楽器の音は厚みがあって、古楽器のような細さはなく、とても暖かい響き。フルートのスタッカートは・・・ちょっと汚いかなぁ。録音のせいかもしれませんが。こうやって聴くと4番はフルートがちょっぴりネック。でも私の自分の楽器の分野だから私が少し敏感になっているのかも・・・。私は音の好みとしてはあまり好きじゃないかな。
 
第3楽章は速め。スケルツォっぽい跳躍感と運動エネルギー。音楽が止まることなく突き進みます。トリオでテンポを落とさないのがこの全集の一貫した方針みたい。
 
終楽章はそれほど速くはないけれど、力のあるテンポはずっと維持されて前に向かっていきます。細かい音はあんまり気にしないで太い音で前進するという感じ。常に拍節を意識しています。
ただ、いつも最後でちょっとリタルダンドする。これがそれまでのスピード感を殺してしまうのだけど、終わります、って感じはしますね。最近はあまりこういう終わりに遅くするタイプの演奏を聞いてないからちょっと違和感があるのでしょうか。
 
2026年の初日を飾った、クラシックの王道、ベートーヴェンの英雄と4番。変な仕掛けはないけれど、ストレートにこの曲の魅力を伝えてくれるいい演奏でした。年当初からいい音楽に浸れて幸先いいかな。
 
ということで、今年も皆様に録りまして良き年となりますよう、心よりお祈り申し上げます。