昨日取り上げた「山月記」の入っている文庫本の中には
もしかしたら、こちらの方が良く覚えているかもしれない
と思われる作品がある
それは「名人伝」で、弓の名手が更なる高みを求めて
師の下でいろんな修行を経て、遂には弓を引かずとも
獲物をとらえることができるようになったという話だが
印象に残ったのは、その最後のオチで
彼は弓という武器の存在・機能を忘れてしまっていたとう
少しばかり禅問答的な結論になっている
この物語は、夏休みの読書感想文に困った中学生には
短くて面白い結末なので取り上げるようにアドバイスしたことがある
そんなことを思い出していると、似たような話にヘッセの
「メルヒェン」の中の「詩人」という短い物語を思い出した
ここに出てくる人物も詩人になるべく修行を続ける
(このあたりは山月記の虎になった友人を思い出させる)
彼も師のもとで詩作以外のいろんな経験をする
彼は遂には、論語の「従心」(心の欲するところに従えども矩をこえず)
の境地に達する
そこで彼は修行で離れていた故郷に戻る
この物語の最後、男の脳裏に浮かぶイメージは「シッダールタ」に似た
とても宗教的に浄化されたような気分が支配する世界で
それは中島敦の「名人伝」に通じるものがあると勝手に思えてしまう
そう言えばアラビアン・ナイトの中にも同じような内容の話も
あったような記憶が薄っすらとある
このような物語とか小説類の本は、実生活に役立つかどうかわからない
だが、こうしたどこかに隠れているような記憶が全然ない世界はつまらない
ということで、自分は無駄なものが好きという話