パンセ(みたいなものを目指して)

長年付き合ってきたGooブログからの引っ越しです 思いついたこと、日記風なもの、年相応の社会的なもの、市政のこと、音楽、サッカー、つまりはごった煮の内容です

「冬の旅」宗次ホール

森進一ではなく、シューベルトの方の「冬の旅」を名古屋の宗次ホールまで聴きに行った
有名な楽曲だが「冬の旅」はレコードでもめったに聴かない
ハンス・ホッターの歌うレコードを聴いてその孤独なモノクロの世界のやりきれなさに落ち込んでしまったからだ
でも、もっと昔の高校の音楽の授業では冒頭の「おやすみ」を歌ったときは気分良く歌っていた
ピアノが表情豊かに伴奏して、イタリア歌曲の声を張り上げる心地よさとは違う種類の快感を感じていた

少し前、急にこの曲を聴く気になって幸いカビの被害がないレコードをかけた
すると、昔聞いたときのような絶望感、やりきれない思いは感じない
むしろなんと表現していいかわからないが、美しさみたいなものを感じるのだった
今なら聴けるという気分になった時知ったのがこの演奏会だ

歌うのは男性ではなく女性(メゾ・ソプラノ)
この歌い手さんの情報は自分には全くない(最近の音楽界の情報はCDを買わないから手に入らない)
歌い手がどうのこうのというより、その時が楽しめればそれで満足、、
という気持ちでどんな演奏会も集中することにしている

高校で習った「おやすみ」が始まる
いきなり、あれっ!と感じる
ピアノの音が何か予想と違うような、、
自分の頭の中ではもう少し軽い音を予想していた、しかし、実際の音は重い

結局のところこの違和感(こうした発見が実演の楽しみなのだが)は最後まで消えることはなかった
菩提樹」でも、一瞬の明るい感じを見せる「春の夢」でも、また「からす」でも表情豊かな
高い音程のメロディはどこかゴツゴツしていた
自分の希望としてはピアノ伴奏は歌にまとわりつくような、それでいて物理的な音ではなく
自分の頭のなかの楽器がなってるような錯覚を起こしてくれる演奏を期待してた
(この感覚はヴォルフの歌曲をフィッシャー・ディスカウの歌うレコードのバレンボイムのピアノ伴奏で感じる)

最後の辻音楽師(ライエルマン)でももう少し虚無的な印象が残る伴奏はできるのでは
と思ったが、この人(高橋悠治)はこの演奏スタイルなのだろう
今回のピアノは伴奏というより二人がそれぞれ主張してるような気がした
そこで、これは自分だけが感じることか、、と思ったが、この演奏会のポスターを改めて見てみると
「あえて洗練を避けた無骨なピアノ」という文字が書いてある
やっぱりそうなんだ、、錯覚とか思い込みでもなさそうなので少し安心したが
それでも好みとしては、普通のピアノが良かったな、、が本音

歌い手さんの方は特に気になるところはなかった
メゾソプラノでも変じゃない
歌が進むに従って徐々に集中が高まり、熱気を帯びていくのは生ならでは
しかし、今秋はピアノが気になって仕方なかったな