嘉陵紀行

嘉陵紀行「吹上観音道くさ」を辿る(その4)

江戸の侍・村尾嘉陵(1760‐1841)が今の埼玉県和光市にある吹上観音に参詣した時に歩いた道筋を辿った話の続き。御茶ノ水駅から歩きだして、川越街道の下練馬宿(練馬区北町)まで来て、ここで川越街道から分かれ、吹上道に入ったところから。 peepooblue.ha…

嘉陵紀行「吹上観音道くさ」を辿る(その3)

江戸の侍・村尾嘉陵(1760‐1841)が今の埼玉県和光市にある吹上観音に参詣した道筋を辿った話の続き。御茶ノ水駅から歩き始めて、旧川越街道を行き、板橋区上板橋と練馬区北町の境までやってきた。御茶ノ水駅をスタートしたのが9時40分頃で、今の時刻が13時4…

嘉陵紀行「吹上観音道くさ」を辿る(その2)

江戸の侍・村尾嘉陵(1760‐1841)が文化十三年閏八月二十日(1816.10.11)に埼玉県和光市にある吹上観音に参拝した道筋を辿った話の続き。御茶ノ水駅から歩きだし、豊島区池袋本町までやってきたところから。 peepooblue.hatenablog.com 旧池袋村の鎮守、氷…

嘉陵紀行「吹上観音道くさ」を辿る(その1)

江戸の侍・村尾正靖(1760‐1841、号は嘉陵)の江戸近郊日帰り旅の記録『江戸近郊道しるべ』のルートを辿るシリーズ。今回は埼玉県和光市の吹上観音である。嘉陵が出かけたのは文化十三年閏八月二十日。現代の暦では1816年10月11日のこと。嘉陵はこの時、数え…

嘉陵紀行「川口善光寺に遊ぶ記」を辿る(その4)

江戸の侍・村尾嘉陵(1760‐1841)が書き残した日帰り旅日記『江戸近郊道しるべ』の道筋を辿るシリーズ。今回は埼玉県川口市の善光寺参りである。上野駅からずっと歩いて善光寺に到着し、その日は川口駅から電車で帰った。嘉陵は善光寺の後、川口から舟で対岸…

嘉陵紀行「川口善光寺に遊ぶ記」を辿る(その3)

江戸の侍・村尾嘉陵(1760‐1841)の日帰り旅日記『江戸近郊道しるべ』で嘉陵が歩いた道筋を辿るシリーズ。今回は今の埼玉県川口市にある善光寺まで行く。上野駅から歩き始めて、当時は荒川の渡し場があった荒川区西尾久の小台橋までやってきた。昔の豊島郡上…

嘉陵紀行「川口善光寺に遊ぶ記」を辿る(その2)

江戸の侍・村尾嘉陵(1760‐1841)が今の埼玉県川口市にある善光寺に参詣した道筋を辿っている。 上野駅から歩き始め、根岸の里を抜け、日暮里(にっぽり)駅前までやってきたところから。 peepooblue.hatenablog.com 「日ぐらしの里(荒川区西日暮里)の山下…

嘉陵紀行「川口善光寺に遊ぶ記」を辿る(その1)

江戸の侍・村尾嘉陵(1760‐1841)の江戸近郊散策記の道筋を辿るシリーズ。今回は埼玉県川口市の善光寺である。 長野・善光寺、甲府・善光寺と並び「日本三大善光寺」とも称された川口の善光寺は平等山阿弥陀院と号する真言宗智山派の寺である。鎌倉初期の建…

嘉陵紀行「成子成願寺・熊野十二社紀行」を辿る(その3)

江戸の侍・村尾嘉陵(1760‐1841)の江戸近郊散策記録の道筋を辿るシリーズ。今回は「中野長者」伝説にまつわる土地をめぐった文政元年八月二十六日(1818年9月26日)の紀行。 peepooblue.hatenablog.com 旧角筈村(いまの新宿区西新宿)の熊野十二社をあとに…

嘉陵紀行「成子成願寺・熊野十二社紀行」を辿る(その2)

江戸の侍・村尾嘉陵(1760‐1841)が書き残した『江戸近郊道しるべ』の散策記の道筋を辿るシリーズ。今回は中野の成願寺から新宿の熊野神社にかけて中野長者伝説にまつわる土地をめぐっている。文政元年八月二十六日(1818年9月26日)のことである。 peepoobl…

嘉陵紀行「成子成願寺・熊野十二社紀行」を辿る(その1)

江戸の侍・村尾嘉陵(1760‐1841)の江戸近郊日帰り旅の道筋を歩くシリーズ。今回は新宿区から中野区にかけて、いわゆる「中野長者」伝説にまつわる地を散策。 嘉陵が出かけたのは文政元年八月二十六日。現代の暦では1818年9月26日。嘉陵は数えの五十九歳。こ…

嘉陵紀行「綾瀬・千住・花又村鷲明神詣の記」を辿る(その5)

江戸の侍、村尾嘉陵(1760‐1841)が今の東京都足立区の北端に近い花畑(当時の花又村)にある大鷲神社(鷲大明神)に参詣した道筋を辿った話の続き。参詣を終え、綾瀬川の東岸沿いに家路を急ぐ嘉陵の足跡を辿りながら、江戸時代にはなかった荒川(荒川放水路…

嘉陵紀行「綾瀬・千住・花又村鷲明神詣の記」を辿る(その4)

江戸の侍・村尾嘉陵(1760‐1841)が文化十(1813)年八月二十八日に今の足立区花畑にある鷲大明神(大鷲神社)に参詣したルートを辿った話の続き。 peepooblue.hatenablog.com 鷲大明神の参拝を済ませた嘉陵が家路を急いだ道を辿る。途中から往路とは別ルー…

嘉陵紀行「綾瀬・千住・花又村鷲明神詣の記」を辿る(その3)

江戸の侍・村尾嘉陵(1760‐1841)が文化十(1813)年八月二十八日に今の足立区の北端近くにある鷲大明神(大鷲神社、花畑七丁目)に参詣した道筋を辿った話の続き。鷲大明神に着いたところから。神社は綾瀬川沿いに北上してきた道から左へ入った場所にあるが…

嘉陵紀行「綾瀬・千住・花又村鷲明神詣の記」を辿る(その2)

江戸の侍・村尾嘉陵(1760‐1841)が今の足立区花畑にある鷲大明神(今の大鷲神社)に参詣した道を辿った話の続き。千住宿を出て、日光街道から下妻道に入り、江戸時代にはなかった荒川を千住新橋で越えたところから。 peepooblue.hatenablog.com 両岸の堤防…

嘉陵紀行「綾瀬・千住・花又村鷲明神詣の記」を辿る(その1)

江戸の侍・村尾正靖(号は嘉陵、1760‐1841)の江戸近郊日帰り旅のルートを辿るシリーズ。今回は足立区花畑にある大鷲神社である。当時は鷲大明神と呼ばれていた。 これが何年の旅だったかは明記されていないが、「正靖十二三の比、先考と共にここに遊ぶ、今…

嘉陵紀行「上めぐろ村に遊ぶ記」を辿る(後編)

江戸の侍・村尾嘉陵(1760‐1841)が文政三年三月四日(今の暦では1820年4月16日)に上目黒村(現在の目黒区上目黒)方面に散策に出かけた道筋を辿った話の続き。 peepooblue.hatenablog.com 麻布十番からスタートして仙台坂を登り、南部坂を下り、広尾から祥…

嘉陵紀行「上めぐろ村に遊ぶ記」を辿る(前編)

江戸の侍・村尾嘉陵(1760‐1841)の日帰り旅日記のルートを辿るシリーズ。今回は目黒である。 江戸近郊道しるべ 現代語訳 (講談社学術文庫) 作者:村尾嘉陵 講談社 Amazon 江戸近郊道しるべ (東洋文庫0448) 作者:村尾嘉陵 平凡社 Amazon 「文政三年辰陰暦三月…

嘉陵紀行「新曾妙顕寺詣の記」を辿る(その5)

江戸の侍・村尾嘉陵(1760‐1841)が文政十一(1828)年十月に新曾村(埼玉県戸田市新曽)にある妙顕寺に参詣した日帰り旅日記のルートを辿った話の続き。最終回。 peepooblue.hatenablog.com 目的地の妙顕寺に着き、娘の出産のために頂いていた安産の護符を…

嘉陵紀行「新曾妙顕寺詣の記」を辿る(その4)

江戸の侍・村尾嘉陵(1760‐1841)が孫娘が無事に生まれ、母子ともに健康であることの御礼参りに新曾村(埼玉県戸田市新曽)の妙顕寺に参詣した道筋を辿った話の続き。 peepooblue.hatenablog.com 有楽町線護国寺駅から歩きだして、中山道を北上し、戸田橋で…

嘉陵紀行「新曾妙顕寺詣の記」を辿る(その3)

江戸の侍・村尾嘉陵(1760‐1841)が『江戸近郊道しるべ』に書き記した文政十一年十月十八日(今の暦では1828年11月24日)、孫娘が無事に生まれたお礼参りで新曾(にいぞ)村(埼玉県戸田市新曽)の妙顕寺に出かけた道筋を辿った話の続き。 peepooblue.hatena…

嘉陵紀行「新曾妙顕寺詣の記」を辿る(その2)

江戸の侍・村尾嘉陵(1760‐1841)が新曾村(埼玉県戸田市新曽)の妙顕寺に参詣した道筋を辿った話の続き。中山道の日本橋から二里目にあたる平尾一里塚(現存せず)までやってきたところから。 peepooblue.hatenablog.com この一里塚付近は明治維新の新政府…

嘉陵紀行「新曾妙顕寺詣の記」を辿る(その1)

江戸の侍・村尾正靖(号は嘉陵、1760‐1841)の江戸近郊日帰り旅の道筋を辿るシリーズ。今回は埼玉県戸田市まで足を延ばす。 文政十一年戊子十月十八日。今の暦では1828年11月24日。この日の日記の最後に「正やす時に六十七歳」と書かれているが、嘉陵は宝暦…

嘉陵紀行「志村に遊ぶ記」を辿る

江戸の侍、村尾正靖(1760‐1841、号は嘉陵)の江戸近郊散策記の足跡を辿るシリーズ。久々の今回は板橋区志村周辺である。 「文政元戊寅葉月十二日、志村に遊ぶ」 現代の暦では1818年9月12日、嘉陵は数えで五十九歳である。なお、この日の記録は現代語訳の「…

嘉陵紀行「南郊看花記」を辿る(その5)

江戸の侍・村尾嘉陵(1760-1841)が文政二年三月二十五日(1819年4月20日)に江戸南郊の桜を見て歩いた日帰り旅の足跡を辿っている。 peepooblue.hatenablog.com 昔の大井村の鎮守・鹿島神社の向かい側にあった名主・大野五蔵邸(品川区大井7-4)の桜を観た…

嘉陵紀行「南郊看花記」を辿る(その4)

江戸の侍・村尾嘉陵(1760-1841)が江戸南郊の桜を見て歩いた日帰り旅の足跡を辿っている。 peepooblue.hatenablog.com 嘉陵は途中で知り合った大日向民右衛門と一緒に品川の御殿山から東海寺をめぐり、さらに南へと足を進める。 当時は東海寺境内を横切るよ…

嘉陵紀行「南郊看花記」を辿る(その3)

江戸の侍・村尾嘉陵(1760-1841)の江戸近郊散策日記『江戸近郊道しるべ』の「南郊看花記」のルートを辿っている。文政二年三月二十五日(1819年4月20日)、嘉陵が六十歳の春の記録である。 peepooblue.hatenablog.com peepooblue.hatenablog.com 高輪・泉岳…

嘉陵紀行「南郊看花記」を辿る(その2)

江戸の侍・村尾嘉陵(1760-1841)が文政二年三月二十五日(1819年4月20日)に江戸の南郊を花見をしながら散策したルートを辿った話の続き。 愛宕下通りから切通し坂を経て、増上寺境内に入り、山内の桜を愛でながら、南の赤羽門を抜け、赤羽橋を渡って、今の…

嘉陵紀行「南郊看花記」を辿る(その1)

江戸の侍・村尾嘉陵(1760-1841)の江戸近郊日帰り旅のルートを辿るシリーズ。今回は江戸南郊の桜を見て歩いた記録である。当然、僕も桜の季節に歩くべきであったが、この日の記録を読むと、江戸からあちこちに立ち寄りながら池上本門寺まで歩いていて(もち…

嘉陵紀行「小日向道永寺・柏木村円照寺 桜のつと」を辿る(後編)

江戸の侍・村尾正靖(1760-1841、号は嘉陵)の江戸近郊日帰り旅の記録『江戸近郊道しるべ』のコースを辿るシリーズ。今回は今の文京区小日向にある道栄寺から新宿区北新宿(旧柏木村)の円照寺まで歩く。タイトルで「小日向道永寺」となっているのは誤りであ…