夏目漱石の彼岸過迄(ひがんすぎまで)を読んだ。中盤まで面白くない。150ページくらいずっと面白くない。これはヤバイ。ファンしか耐えられない。ブルーハーツのラストアルバムみたいなもの。よって人にオススメできない。
さて、この小説は後半からやっと面白い。あるニートが俺は人からいつも嫌われてしまうのだと絶叫する。自分でどうしていいか分からない。助けてくれ。俺のどこが悪いか教えて欲しい。頼むから言ってくれ。そう叔父に頼む。
彼は変わろうとしている。よし、それならと叔父は口を開いた。周りから嫌われるのはお前のああいうところこういうところ。全部教えてあげる。
すると彼はこう言うのである。
「ぼくはあなたを一生恨みます」
え!?
なんでやねん。
ピューっと拭くジャガーさんを読んだとき以来の衝撃。読みながら爆笑してしまう。夏目漱石はやっぱりギャグ作家である。
絶対怒らないから言って!と言われたのに一生恨まれてしまった。
ただ、そういう事あるよなあと思う。
いやニートの彼のことである。彼はほんとうに変わろうとしていたのである。ところが話を聞いた途端。それまでの気持ちは宇宙の彼方。怒りがパナマ運河を渡る。それでもバカだなあと俺は言えない。その時のその時の気持ちが優先される。そつまり彼はその時感じたことを表現する。
そしてなぜ一生恨み出したかといえばかんたん。変われない自分に気がついてしまったのである。変われると思った、変わるべきだとも思った、だから叔父に心を開くことに。なのに自分には変われる可能性なんかないじゃないか。それに気がついてしまったんだけどどうしてくれるんだよああ!ということである。
彼にとってみればお前は変われないよと言われたようなもの。叔父はぜんぜんそんなニュアンスじゃない。けれど彼には。お前は一生そのまま変われないと言われたように感じたのである。
夏目漱石はマジでこういう自意識過剰なやつを描かせるといつも最高点を叩きだす。
山本文緒の「恋愛中毒」でも似た感想を持ったことがある。
ヒロインには愛する人がいたのだけれど行動が行き過ぎてしまう。法的な処置にまで発展、別れることになる。ところが彼女は自分の何が悪いのか理解できない。それがダメな愛し方なのだと法的にも世間的にも指摘されたとして、だからどうした。彼女にとって愛し方がそれしかない。
「人の愛し方はそうじゃない」と言われても、彼女には変えようがない。それは「お前はもう人を愛するな」と言われてることと同じである。
彼女の変わるべきところは、彼女にとって永久に変えることができない部分。だから彼女は自分の何が悪いのか理解できない。変わった方がいい部分が自分にとっては自分そのものだったら?呼吸をするなと言われてるようなものである。
最初の方で彼女は言う。
どうか、神様。いや、神様なんかにお願いするのはやめよう。
どうか、どうか、私。これから先の人生、他人を愛しすぎないように。
愛しすぎて、相手も自分もがんじがらめにしないように。
私は好きな人の手を強く握りすぎる。
相手が痛がっていることにすら気がつかない。
だからもう二度と誰の手も握らないように。諦めると決めたことを、ちゃんときれいに諦めるように。
二度と会わないと決めた人とは、本当に二度と会わないでいるように。
私が私を裏切ることがないように。
他人を愛するぐらいなら、自分自身を愛するように。
夏目漱石の小説に出てくるキャラクターもいつもこんなカンジだよね。
そんじゃーぬ!