三度目の香川の旅 3

朝、ホテルの部屋でお茶を沸かし、残っているミカンを食べて朝食にした。
外を見ると街路樹が派手に揺れている。げげっ、屋島に行くつもりだったのに、台地の上に吹く風は強かろう。いきなり行く気が失せて来る。山上から古戦場の跡を見るのが寒そう。古戦場の跡と言っても元々屋島は島だったのに、今では埋め立てられて地続きとなっている。那須与一の扇の的のあたりも往時の面影は全くない、はず。

風の中をまずは懸案の塩屋の道の駅に行く。規模は小さいがここは琴電の駅から歩いて行けるという道の駅である。ゆったりとした丘の途中にある廃屋とか、実にムードがあってよろしい。ぺたっとした平地でもなく薄暗い山でもなく風遠しのいい丘を、季節が良ければ一駅ほど戻って歩いてみたいものである。

今回は3泊、おまけに冬なのでいくら洗濯してもそこそこ荷物の量がある。それもあっての道の駅だった。今朝の朝食は小原紅早生、これは関東では見る事がない濃いオレンジ色の早生みかんで、ポンカンと温州をミックスして酸味がないのに生きている味がする。これは買って帰って皆様の評価をあおがねばなるまい。

こんな時代になってもその土地でしか流通しないものはある。それなら可能な限り食べたい。道の駅には何種類かの土地のミカンがあり、当然うどんもお菓子も土産物を色々と置いていて、煮豆の食べ比べ(内容は、黒豆、そら豆、落花生)という商品あり、お醤油なども面白そうなのを端から詰めて送った。残念なのはオリーブを置いてなかったことだが、それは高松のオルネでも三越でも見つかるはずだから、そちらで買うことにした。

改めて屋島を目指す。同じ屋島でもてっぺんではなくて四国ミウゼアムなる民家園である。うちの近くにも民家園はあるが、そっちは行ったことはない。この四国ミウゼアウムは前回通りかかった時に妙に面白そうに見えた。屋島駅からは屋島山頂行きのバスに乗る手もあるが本数が少ないし、四国ミウゼアムの距離なら歩いた方が早い。と思ったら目の前にそのバスが!なんだかなあ。乗っちゃったよ。

入場料は1600円。最初は結構なお値段だと思ったが、その後歩けば歩くほどに惜しくなくなったから、心配しなくともいい。

まずは石垣を石畳にしたような道を登って行くことになる。いきなり出現するのがかずら橋だった。祖谷(いや)が本家だが、専門の職人(そんなのがいるんだ!?)によって作られたとのこと。だが渡るのはごめん被る。さっさとう回路を進む。次に現れたのは驚くほど立派な農民歌舞伎の建物で、小豆島から運んだらしい。小豆島、どんだけ金持ち?

四国ミウゼアムはアップダウンだらけであった。坂道を見上げれば赤毛の白人女子が一人いた。どこからきて何故ここにいるんだか。そういう自分の目の前には昔の重さの単位で表示がある石がいくつか置かれていて、持ち上げてみましょうとあった。これはいい考えだが自分は自分の荷物だけで十分なので持ち上げなかった。私は石畳を登っていき、かの女子は降りていく。振り返ったら眼下では赤毛女子が石の塊に挑んでいた。

民家とは。人が住むのだからトイレと風呂と台所と寝る場所とが一つの単位となるわけで。囲炉裏って、居間??土間は生業によって姿を変える。四国各地から集めているので砂糖を作ったり紙を漉いたり。他に灯台守の家や醤油蔵の展示もあった。これは昔の住宅展示場?
建物を移築するにも、当然重機が入る道路を作れなかったところもある。山と山の間に
ロープを渡して分解して運んだそうで、今その技を使っているのは林業の世界くらいだろうか。

私の実家も今は家の前まで車が入るが、そうでない時代もあった。山には人だけが歩く
道もあったが、だからこそその道は今はない。消え失せた。にしても、そんな昔にも洗濯機とかテレビはあり、あれはどうやってと母に聞いたら「担いで来たんさ。」と、こんなバカが生きている方が不思議だという視線で見られた。モバイルでオーダー出来ない母に。

荒い石畳の施工が素晴らしかった。アップダウンの中には滝やアーチもあって彫刻家がデザインしたらしい。観光とは名所旧跡を巡ること、と思えば民家園も観光か。お勉強にはなるが不足する華やかさを石畳の道が補っている。

民家園のひとつでは年配の人と若い人が二人で囲炉裏の火を燃やしていた。どうぞ暖まって行ったら、と言われたが、上がり込んだが最後出られなくなりそうだった。結局薪を燃やす懐かしい匂いの虜となり、延々とそこに立って話をした。一人旅の面目躍如?

 

民家園では定期的に囲炉裏の火を入れて虫を燻しだすとのこと。それは業務の一環なのだがひとたび火事を出してしまったら四国中から集めた貴重な民家はもちろん、屋島全体、てっぺんにある霊場の一つまで燃えてしまう。のんびりと二人がかりで火にあたっているように見えるが内心ヒヤヒヤなのである。

薪は3か月ほど乾かすとのこと。長さはともかく四つ割りにされた薪は結構太い。だがご年配が燠の上にちょいとその薪を置いたらすぐに火が点いた。ご年配は薪取りのために木に登っていて落ちて入院。このまま民家園を辞めようと思ったがそうは行かずまたここで火を燃やしているという。(若い方の話は聞けたが、ご年配の方の話はちょっと言葉が長く続くと言ってることが
全然わからなかった)この人がいなければ火が点かないしと若い人は言った。古傷のせいなのか座っていても腰が痛いとご年配は言う。座布団はありがたそうな紫色で、JASの文字が染め抜かれていた。

5人くらいのグループがやって来て、「どうぞ火にあたって行ったら」と言われても、たじろいでいる。こりゃ外国人だなと、どこから来たか聞いてみたら、インドネシアと答えた。ええええ
こんな寒いところにどうかしている、と思ってびびる。おまけに風。それで「ここは寒いから気を付けて~」みたいな事を言ってしまう。ちょっと笑っている人もいたのは彼らみたいな富裕層は旅慣れていて、もっと北にも行ったからかもしれない。

思えば英語ならうぇるかむから始まって「はぶあないすじゃーにー」とか「ぐっどらっく」で〆るべきなのだが、民家園で薪の匂いなんか嗅いでると発想が浮かんでこない。あとはスタッフの二人と「あのダウンジャケットどこで買ったんだろうねー」と噂するばかりであった。

結局屋島のてっぺんには行かなかった。こんな日に限ってまたまた屋島山頂行きのバスがやって来たが、やめた。

 

話は戻るが塩飽と入力しようとすると候補として塩飽大工が出て来る。どこやらに、船を作れたので器用で家も作れたとあった。うん、水漏れする船じゃ困るし。海賊を支えたのは船と刀と腕っぷし、もちろん海路の知識。ちっさい島なのに北前船で儲けて富み栄え、その中の一軒が軟弱にも書画骨董に凝る。他の家は何にお金を使ったんだか知らないけど、あの家の当主はふと、ハテこの掛け軸は本当に若冲なのかしらと思ってテレビ番組に出演することになったわけか。

買った人は何代前とか聞かなかったが、大した審美眼である。普通は騙されてお蔵は偽物だらけになるはず。また行って、とっくりと丸山応挙の子犬の絵を見せてもらいたい。時間がなくて何もかも深く考える時間がなかった。

次は岡山から入ってみたい。

三度目の香川の旅 2

 いいもん見させてもらったなー、という話なんだろうかと思いながら景観地区を歩くと見るからに職人の若い人が目の前を通って、生身の人間に驚く。後で景観地区の崩れかけた家を補修している人とわかった。思わず「すごいね!」と言ったが重たいと思いながら持ち運んでるミカンをせめてひとつづつでも食べてもらえばよかったと、あとで気が付く。ミカン一つ差し出すことを考えつかない人とは一体。

本島は文化財が多い。さきほどの家みたいにお金があって、守る武力もあったからか。
やがて長徳寺のモッコク200mという立て札に出会った。これは天然記念物。案内板によれば枝の差し渡しが2アールって、これくらいならうちの近くのペンシルハウスが4軒建ちそう。

お寺の賽銭箱に100円入れて、この島の人々がなるべく息災であることを祈る。この土地のお寺なんだから、それが筋だろう。モッコクもでかいが、それよりも寺を出たところの畑の柿の木に感銘を受けた。何年モノなのか剪定が素晴らしい。この木からとれた柿の実を一つ食べたら寿命は延びて、どんな病気も治りそう。
次は何とかしてこの実が実っているところを見たくなった。渋くても甘くても小さくても大きくても出来ればひとつ、ってあの剪定の具合では小さくはなかろう。
歩き出したら途中、立派なコテ絵がある廃屋発見。こんなところにこんなものがほったらかしでいいのか。これは島の全ての道を歩いてみるべきではないのか。

さて、お茶くらい飲もうと思った。目の前にカフェの看板があった。絶妙に無視しにくい場所にあった。坂を上って店に入ると店主はあわて、出来る食事のメニューを言った。こちらはコーヒーとお菓子で十分だった。主は小柄な婦人で、小豆島から来て叔母の家をリフォームしてカフェをしていると言った。この島はコンビニもないんですよねー、と彼女は言った。すると小豆島にはあるわけか。
コンビニはともかく最低限のものが買える移動販売はあるらしい。だが問題はそこではなく、小豆島から塩飽諸島に嫁に来るのが運命のなんとやらではなく普通にあったことなのでは?
この人も普通にやって来てけろっと家借りて猫と一緒にカフェなんかやってるし!

何だろう、海は海ではなくて船が必要なだけの道?
笠島地区の海岸を見た時に、このあたりなら小学生でも船を操りそうだと思った。かの名家の主も「そんなの当たり前じゃーないですか」と言うのかもしれない。その口から
その言葉を聞きたい。あああああ、こうやって深みにはまっていくのですね。

時間がなかった。2時15分のフェリーに乗れなければ次は5時ときた。たーっと走って番所に行って駆け足で見る。展示によれば咸臨丸の水夫の50人中35人が塩飽の人間ときた。もっとゆっくり見たかった。最初にいたおじいさん、もういないし。鑑定団の家の話とか聞きたい。
また駆け足で港に向かう途中で、自力でヌートリア発見、そしてフェリーの船着き場に到着した時には汗みずくだった。

船着き場から丸亀の駅までは歩いて10分ほど。駅のコインロッカーから荷物を出し、電車に乗ろうとしたら次は岡山行きである。乗ってしまったら四谷シモンの人形にはたどりつかず、瀬戸大橋を往復することに??それはそれで楽しかろうけど思うが目的が違うし!

坂出の駅に降りたら駅メロは「瀬戸の花嫁」だった。小走りに歩いてたどり着いたのが3時半。閉館が4時。そこは築100年の洋館に迎えられた四谷シモンの人形たちに出会える場所だった。

受付の婦人は四谷シモンの人形が大好き、だからここに来る人も好き。最低限の案内だけして、あとは心ゆくまで人形と語り合えるようにと放っておいてくれる。ファンと二人だけにして人形が手籠めにされたらどうするんですかと聞きたくなるが、ええそんなことも、と答えられたら怖い。まあ監視カメラはあるのでしょうけど。

写真は撮ってもいいけれど個人の楽しみだけにしてネット上に出すのはご遠慮くださいとのこと。人形は部屋だけでなく、物入れの中にも展示されていた。道具立てとしての洋館はきれいに掃除が行き届いていた。だが赤テントの芝居よろしくもっと古汚く崩れ落ちそうに仕組まれていたら良かったのにと思う。窓には余計なものが見えないように
カーテンが施されている。この洋館の外に、永遠に止まない雨あらばと思うが、そこは残念ながら渇水の方に親しい香川県なのであった。

坂出から快速電車に乗ったおかげで、一駅で高松到着。宿はザ・セレクトン高松。古いホテルだが近くに美味しい店もあり徒歩10分で三越ときて、色々便利がいい。ホテルの目の前にはお城を模した大きな家があり、途中で見た医療専門学校の名前が表札と同じだった。まさか本当に?というか特定してどうする。ホテルの反対側の部屋は窓から屋島が見える。今回はお城側(民家?邸宅?)の部屋だったけど、屋島が見える方がよかったなあ。

ホテルを出て夕飯を食べに行き、その日は終わった。明日は屋島だ。いやー、充実でした。

 

三度目の香川の旅 1

江戸時代の「講」は村のみんなでお金を貯めて、代表がお伊勢参りをしたり富士登山をしたりして、その話を聞いたりお土産をもらったりだったとのこと。我が家の ぱなり家の「講」の代表、妻による旅の記録。写真少なし長文注意です。

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 12月12日、香川の山は未だ紅葉に覆われていた。概ね香川の山は低い。山は連綿と続くことなく途切れがぢで、それでも年末ともなれば色づかないではいられないらしい。
何でそんな年末に香川にいるのかと言えば、HIS のセールのせいである。羽田発3泊4日で39、800円。ホテルの朝食はついてないが、それでも安い。瀬戸内海は結構
寒いが年内ならまだ大丈夫だろうと踏んで、ぽちったのは11月だったか。

だが飛行機から降りようとしたら CA のアナウンスが「東京より気温が低い」と告げたのであった。それだけならともかく風も強かった。ぬかったか。安い理由は12月半ばで、こんな時期にフラフラと旅行に出かける人が少ないからでもある。実際私の12月の予定も詰まっていた。ぽちった頃はまだ余裕があったのに。

今回の一番の目的は塩飽(しあく)諸島、なので初日は島にいくフェリーが出る丸亀に泊まることにした。だが行ってみたらホテルは駅近くではなく、それどころか競艇場の前にあった。生まれて初めて生で競艇のボートが走っているところを見た。それもナイトレースときた。見に行ってみたいところだが既に寝間着だったのであきらめた。

さて、丸亀オークラの目の前にはバス停があった。ここでバスに乗らないのは負けだと思う。だが調べてみたらバスに乗ったらフェリーに間に合わないか、さもなくば、とてつもなく時間を持て余すのであった。

翌朝、ホテルの朝食を追加料金で食べるのも負けのような気がしてお茶を飲んだだけでホテルを出た。タクシーが来るまで観光地図を見ていたらなんと隣の隣の駅である坂出には「四谷シモン人形館」があるのだった。駅から徒歩圏内、調べてみれば金土日しか開けてないそうだがその日は金曜日、塩飽諸島の帰りに寄ることにした。

フェリー乗り場の先にはホームセンターやうどん屋や寿司屋などがかたまっていて、向かいには大きなスーパーもあった。入ると1個売りのミカンが58円。売り方が違うでしょと言いたくなるが、一袋のミカンも持て余す一人暮らしが多いのかもしれない。台湾のスーパーでは大きさがバケツほどもあるプリンを見て、ここに一人暮らしはいないのかと思ったのに。

ここでは関東では見たことのない、色が濃い早生ミカンを1袋買ってしまった。ミカン提げてフェリーに乗る。塩飽諸島、塩に飽きるというのもいい感じだが、実は潮が湧くように潮流が激しいという意味らしい。かつてはそこを根城に海賊が跋扈した、というか、海の道案内をしてお金をとり、金を出さないとなるとドえらいことになった。どうなったかは「村上海賊の娘」に出ている。本があまりに面白かったので、海賊の根城のモデルになったであろう本島(もとじま)に行ってみようと思ったのである。

船の右手は四国大橋、左は瀬戸内海の島々。船から降りると見るからによそ者の、ュック担いだ皆さんが全て同じ方向に。なので私も後をついて行った。途中メンバーの一人が立ち止まったまま動かないので見に行ったら、そこにはよくわからないものがいた。見つけた人はヌートリアですねと言った。私はその手前の溝を見て魚でもいないかと探したのに、全然気が付かなかった。負けた。

やがて名所の一つである塩飽勤番所にたどり着いた。門番よろしくおじいさんとおばあさんが立っている。聞けばどこから来たのかわからないがヌートリアもいるしイノシシもいるらしい。ヌートリアは草食で野菜を食い荒らすし、イノシシはあまり食べる習慣がないとのこと。色々聞いてみたいがとりあえず笠島伝統的建造物群保存地区を目指し、ここは帰りに寄る事にした。
笠島地区は港から2kmほど。島はレンタサイクルか自分の足で回るか、あとはフェリーで車を持ち込むことになる。私が自転車に乗るとしたら30年ぶりである。うん、歩こう。

近道もあったがわざと瀬戸大橋が見える海側の道を歩く。途中、イノシシのワナも見つけた。いや正しくは「イノシシのワナです。触らないでください」という表示を見ただけなのだが。葉っぱで隠してあるのか、どれがそれなのかわからなかった。

景観地区に入る前に埋め墓というものに出会った。この島では埋める場所とお参りする場所とを分けていたらしい。埋めた跡には自然石を置いてある。その距離が近くて江戸時代の、死人を入れる桶を思い出す。うひゃー!何か写りそうなので写真も撮れない。←嘘、すっぽり忘れてた

保存地区に入る。海の近くなので家々はかたまって建っていて敷地はそれほど広くない。作業場が海だからか。家並みはきれいに整備されていて普通の家かと思えば文書館であり、ビジターセンターであり、たまには民家らしく人の気配や物音も聞こえたが、人間の姿は見えないのでまるで録音であるかのよう。

そんな中、いきなり「鑑定団の家」と書かれた看板が出現した。若冲の軸などがあるらしい。面白いので入ってみると家主らしきが出て来た。500円を支払い、家の中を見せていただく。まず彼は「築100年の家です」と言った。田舎ならその程度じゃ・・と言いたくなるがポイントは醜く手を加えずに人間らしく暮らせる範囲が100年なのだ。それは言わないけど。

キレイなおうちで昔ながらのガラス戸のガラスは例の流れてのゆがみがあるやつ、釘は一本も使ってないし、一本の杉が縁側の上の屋根を右から左に支えていた。客用トイレの便器は有田焼の華やかなもの。当然、和式。

ひん曲がってる庭の松は栗林公園の松のよう、その昔、重石をつけて曲げたとのこと。
床の間には軸が二つかかっていて、それが若冲。鑑定団に鑑定してもらったら本物で、いくらだったか忘れた。かけてあるのは墨絵のレプリカ。片方にはめんどりがヒナとともに描かれ、もう片方は雄鶏が描かれている。素晴らしいのは右と左の鶏の視線が合っているところだとのこと。まあ、絵画としては合ってるべきなんだろうけど、現実としては鶏の夫婦関係とか親子関係を思ってしまう。言わないけど。

それからぐるりと回って裏手の部屋には江戸時代だったかの屏風があり、その前には顔を描いたそれだけ新しい壺があった。先日の瀬戸内芸術祭で買った、ピカソだという。何の違和感もないのが面白い。貝合わせの貝とか時代劇に出て来そうな鏡台、取っ手の付いた漆塗りのタンスなどおばあ様の嫁入り道具を経て、今度は様々なものをしまうお蔵の入口を見せてもらう。入口はにわかにはわからなくしてあり、その隣には普段寝起きしている2階への階段もある。悪趣味だろうが、その2階の有様を見たい。全部が100年前のままであるものか。家族用のトイレに風呂、台所の設備などなどはどうしているのか。言わないけど。

欄間には刀の鍔がいくつもあしらわれていて、「オシャレでしょう?」と主。ハイと答えられない。こんなところにはめこんでしまうくらいだから大した刀ではないことはわかる。問題は10やそこらでは済まない刀があったということで、水軍だか海賊だかとして現役の時代があり、実用品として大いに使われていた事を思えば。はめこまれた鍔が茶色いのが気持ち悪い。

それで刀身はどうしたのか聞いたら「まとめて警察に持ってった。」ってことはやはり別々にしてもかまわない程度の実用品である。銃刀法違反となれば、とっとと持って行っても全然惜しくなかったわけで。太閤の刀狩りはどこ吹く風、欄間が百年前だとして刀狩りは百年前じゃない。最初は太閤だって海賊行為を禁止した。この家が合法的に栄えたのはその後時の権力者達が下手に戦うよりは雇った方がいいと思いなおしたからで。

視線を移すとまるまっちくてかわいい子犬を描いた掛け軸があり、「あら、カーワイイ!」と叫んでしまったら「それ、丸山応挙です。」えええ、この子犬、幽霊?じゃなくてこれってあちこちで出て来る有名な絵じゃん!個人蔵というやつで、この人がその個人なのねと不思議な気持ち。それから「xxをお見せしましょう、靴をお履きになって」と言われて玄関脇の屋久島杉を使った壁板?を見せられ、上手に追い出されて「お終い」。自慢話を聞いてくれてありがとう、とのことだったが。いや、聞くだけのことはありました。また行きたい。

 

 

台湾 台北雑感

昨年から台湾を訪れて感じたことなど。

ホテル滞在

日本でも同じ傾向だが、SDG's ということか、サービス内容は縮小される方向にある。今回泊まったホテルもアメニティは無く、風呂場にはボディソープのみ。カミソリ、歯ブラシなどは有料販売となっていた。紙のスリッパはあるが、なぜか靴ベラが無い。これには困った。

朝食は ビュッフェ スタイルなのだが食後、食器などを片付ける人たちが半数ほど。今はそうなんだとビックリ。

食べるところなど

台湾では一般に、通常のレストランと小吃(シャオチー、小喫)と呼ばれる軽食を出す店に分かれる。今回は立派なキッチンカーも目立った。以前はリヤカーを曳いたものだったのに。

レストランの値段は日本と同じくらい。家族連れが多く10~12品の料理、値段は7000~1万元(4~5万円)程度のコースを10人くらいで楽しむ。テーブルクロスのあるレストランでは予約しないと入れないこともあるので、ホテルから予約を入れてもらったこともある。

小吃は街のいたるところにあり、麺類や餃子・焼売・饅頭などの包子、魯肉飯など一品料理が食べられる。専門店という形なので、魯肉飯と餃子みたいの食べ方は出来ない。
 南港のビルのフードコートには、大戸屋などの日本のチェーン店も多い。ローカライズされて、こんな感じのメニューになっている。

フードコートや小吃の店内ではビールが出ないので、コンビニで買って持ち込み OK でした。食事のあと、空き缶は持ち帰り、所定の場所で処分した。

スマホなどの通信

今回は AMAZON で5日間有効のデータSIM を1000円で2枚購入して、SIM FREE のスマホで使用した。香港の会社のもので、ローミングして使う形になるが、到着して電源を入れたらすぐに繋がった。妻と別行動の時には LINE のメッセージ・通話で MLA48 の台湾メンバーとは Facebook のそれを使って連絡を取ることができた。

タブレットでホテルの WiFI からは Yahoo Japan に接続できなかったが、スマホテザリングでは OK だった。中華電信の SIM は空港で購入できるが、ちょっと高い。

タクシーなど

台湾は MRT(地下鉄)公共交通やタクシーが安い。バスはホントに少なくなったと感じツ。私はそんなにスタスタ歩けないので台北市内の移動はタクシーを利用した。ポケトークという翻訳機も持って行ったが、行き先の住所を書いた紙を見せるだけで OK 。運転手は場所が分からないと、ナビに音声入力して対応していた。ライドシェア Uber も用意していったが、今回はタクシーの多い大通りなので出番はなかった。

お土産のお菓子

台湾のおみやげお菓子の定番と言えば、パイナップルケーキ 鳳梨酥 である。

けっこう当たりハズレが多いように思う。なので私たちはほとんど買うことがない。今回はホテル近くの近くのパン屋が作った直径20cmくらいの大きなものをおみやげに買ったが好評であった。

自家用に買うのは、緑豆のお菓子 緑豆糕 。これはほんのり甘くておすすめ。空港で売っているものは、おいしいけど崩れやすいものが多いようだ。

ハスの実の砂糖漬けお菓子(甘納豆のようなもの)も大好きでよく買っている。食品問屋が並ぶ廸化街ではこんな感じ。

 

年が明けて暖かくなったらまた行きたい。

 

 

Maker Faire Taipei(台北) 2025

前回の投稿でアナウンスした通り、ボール紙で作った電波望遠鏡を持って Maker Faire Taipei 2025 に参加してきた。3mm のネジで組み立ててあるので分解して、このようにキャリーバッグに入れて運ぶ。画像は帰ってきた時のものだが、行くときにももこんな様子。すきまには着替えなどを入れてクッションにする。

当日の朝、ホテルで組み立てて、会場ではこんなふうに展示。

Google 翻訳を使って繁字体中国語で作った説明資料も置いた。

 

基本的には、これを見てもらって質問は英語で受けることが多かった。台湾では、お年寄りから中学生くらいまで普通に英語を話すひとが多い。翻訳機も持参していったが、出番は少なかった。

主な質問

・これで何が見えるのか?(望遠鏡とあるので)

 画像は見えない、信号強度と受信周波数を測定して、記録・解析する。

・信号はどんなふうに聞こえるのか?

 意味のある信号ではない、単なるノイズと考えて良い。

・なんでこんなことをしようと思ったのか?

 単なる好奇心。若い人が興味をもってくれればと思う。

・なにか役に立つのか?

 この分野でアマチュアが新発見できるものはない。科学の発見を追体験すること。

 

ちなみに今回、日本からの共同出展者は6名となった。ニコニコ技研の高須さんが手配してくれたブースはこんな感じ。

 

全体の規模として出展者は、Maker Faire 東京の 1/3 くらい。個人、企業は少なく学校のクラブ活動みたいなののが多い。先生に連れられて良く分からないまま参加しているチームもあった。教育という側面が強いのだろう。

LED での光物工作物、ロボットなどが多く、私のような、ガチなサイエンスの出展はほとんど無かった。

 

最終日の夜は例のごとく高須さんの手配による参加者での懇親会である。会場は昨年と同じ「 儂來餐廳

全部で11品のコースで前菜のアワビ、からすみがとてもおいしく、その他の料理も私たち夫婦だけではとてもたどり着けない豪華な料理。

帰りの飛行機の中で来年は何を出そうか、Maker Faire 深圳にも出展しようかと思案するのでした。

ボール紙で電波望遠鏡をつくる

いろいろあって更新できなかった。表題は奇抜だが、ご期待に沿えないかもしれない。

前回の投稿、パラボラアンテナの製作は、電波望遠鏡を製作して、水素原子の出す銀河電波 1420 MHz ( 21cm 波 )を観測してみよう、というのが目的である。画像のように2mm厚のアルミ板を取り寄せ、パラボラを製作した。右側がアルミ製である。

が、この取り組みは一時中断することに。

 

アンテナをボール紙で製作したホーンアンテナに変更して実験してみようと思ったのだ。ボール紙だけではホーンアンテナは構成できないので、アルミフォイルを貼り付けて導体部分とすることに。

ホーンアンテナの設計サイトで諸元を求める。

 

2mm厚のボール紙から切り出して、作ったのがこれ、貼り付けてあるアルミフォイルは一般に使われている家庭用のものよりも厚手(60μ)の BBQ 用と称するものを使用している。

こんなにデコボコで、ビスの頭もあり、これで良いの? というむきもあろうが、実際はさほどでもなく、また ChatGPT によると、必要な表面精度は 1/20 λ とのことなので問題ない。

受信部は RTL-SDR を使って、1420 MHz のバンドパスパスフィルター、20dB の広帯域 AMPを追加した。



 

電波望遠鏡の構成としては、こんな感じになる。

データ収集・解析ソフトを使って、受信・解析を試みているが、いまのところうまく行っていない。いろいろ実験しているうちに、受信部の機器を壊してしまい、新しいものを取り寄せ中である。

 

なぜ、電波望遠鏡の構成を変更したのか、というと、あさって 11月29日から開催される Maker Faire Taipei 2025 に出展しようと思ったからである。パラボラは分解すれば21本のリブになり、トランクにも入り、なんとか現地でも組み立てられるが、ホーンアンテナのほうがシンプルで組立やすくインパクトもあると考えたのだ。

 

Maker Faire Taipei には、昨年は日本チーム有志ということで出展したが、今年も同じような形で参加する。

というわけで、Google 翻訳を使って中国語繁字体による解説資料も作って、台湾へ明日出発する。いろいろと間に合わなくて観測結果を見せられないのは残念だが、日本の爺さんがサイエンスをやっているということをアピールできたら良いかと思っている。

パラボラアンテナを実験中

思うところああって、パラボラアンテナの実験・製作をしている。恒久的に設置するのであれば、このあたりの専門店 あたりから購入すれば良いと思うが、何分にも大きなものなので、家族に迷惑にならないように簡単に解体・処分できる形で進めている。

以前から JA6XKQ 武安 氏 の考案による Geodesic Parabola Antenna ジオデシック  パラボラ アンテナ に興味を持っていたので、これで実験してみることにした。

まずは、JA6XKQ 武安 の設計ソフトで 0.5mm のポリカ板で設計通りかどうかの寸法確認、うまくいっている。これにアルミフォイルを貼り付けて実験しようかと思ったが、剛性が足りなくて、自重で変形してしまう。

MONOTARO  に厚さ3mmのプラ板を発注して、直径70cmで製作してみた。これは変形することも無く、バランスを取れば使えそう。

なるべく軽くということでプラ板を使ったが、素直に厚さ 2mm のアルミ板を使うほうが良さそうだ。

パラボラ面はこんなふうに簡単にできるが、フィーダーを焦点のところに設置することやアンテナ全体を支持するところが大変な感じ。