朝、ホテルの部屋でお茶を沸かし、残っているミカンを食べて朝食にした。
外を見ると街路樹が派手に揺れている。げげっ、屋島に行くつもりだったのに、台地の上に吹く風は強かろう。いきなり行く気が失せて来る。山上から古戦場の跡を見るのが寒そう。古戦場の跡と言っても元々屋島は島だったのに、今では埋め立てられて地続きとなっている。那須与一の扇の的のあたりも往時の面影は全くない、はず。
風の中をまずは懸案の塩屋の道の駅に行く。規模は小さいがここは琴電の駅から歩いて行けるという道の駅である。ゆったりとした丘の途中にある廃屋とか、実にムードがあってよろしい。ぺたっとした平地でもなく薄暗い山でもなく風遠しのいい丘を、季節が良ければ一駅ほど戻って歩いてみたいものである。
今回は3泊、おまけに冬なのでいくら洗濯してもそこそこ荷物の量がある。それもあっての道の駅だった。今朝の朝食は小原紅早生、これは関東では見る事がない濃いオレンジ色の早生みかんで、ポンカンと温州をミックスして酸味がないのに生きている味がする。これは買って帰って皆様の評価をあおがねばなるまい。
こんな時代になってもその土地でしか流通しないものはある。それなら可能な限り食べたい。道の駅には何種類かの土地のミカンがあり、当然うどんもお菓子も土産物を色々と置いていて、煮豆の食べ比べ(内容は、黒豆、そら豆、落花生)という商品あり、お醤油なども面白そうなのを端から詰めて送った。残念なのはオリーブを置いてなかったことだが、それは高松のオルネでも三越でも見つかるはずだから、そちらで買うことにした。
改めて屋島を目指す。同じ屋島でもてっぺんではなくて四国ミウゼアムなる民家園である。うちの近くにも民家園はあるが、そっちは行ったことはない。この四国ミウゼアウムは前回通りかかった時に妙に面白そうに見えた。屋島駅からは屋島山頂行きのバスに乗る手もあるが本数が少ないし、四国ミウゼアムの距離なら歩いた方が早い。と思ったら目の前にそのバスが!なんだかなあ。乗っちゃったよ。
入場料は1600円。最初は結構なお値段だと思ったが、その後歩けば歩くほどに惜しくなくなったから、心配しなくともいい。

まずは石垣を石畳にしたような道を登って行くことになる。いきなり出現するのがかずら橋だった。祖谷(いや)が本家だが、専門の職人(そんなのがいるんだ!?)によって作られたとのこと。だが渡るのはごめん被る。さっさとう回路を進む。次に現れたのは驚くほど立派な農民歌舞伎の建物で、小豆島から運んだらしい。小豆島、どんだけ金持ち?
四国ミウゼアムはアップダウンだらけであった。坂道を見上げれば赤毛の白人女子が一人いた。どこからきて何故ここにいるんだか。そういう自分の目の前には昔の重さの単位で表示がある石がいくつか置かれていて、持ち上げてみましょうとあった。これはいい考えだが自分は自分の荷物だけで十分なので持ち上げなかった。私は石畳を登っていき、かの女子は降りていく。振り返ったら眼下では赤毛女子が石の塊に挑んでいた。
民家とは。人が住むのだからトイレと風呂と台所と寝る場所とが一つの単位となるわけで。囲炉裏って、居間??土間は生業によって姿を変える。四国各地から集めているので砂糖を作ったり紙を漉いたり。他に灯台守の家や醤油蔵の展示もあった。これは昔の住宅展示場?
建物を移築するにも、当然重機が入る道路を作れなかったところもある。山と山の間に
ロープを渡して分解して運んだそうで、今その技を使っているのは林業の世界くらいだろうか。
私の実家も今は家の前まで車が入るが、そうでない時代もあった。山には人だけが歩く
道もあったが、だからこそその道は今はない。消え失せた。にしても、そんな昔にも洗濯機とかテレビはあり、あれはどうやってと母に聞いたら「担いで来たんさ。」と、こんなバカが生きている方が不思議だという視線で見られた。モバイルでオーダー出来ない母に。

荒い石畳の施工が素晴らしかった。アップダウンの中には滝やアーチもあって彫刻家がデザインしたらしい。観光とは名所旧跡を巡ること、と思えば民家園も観光か。お勉強にはなるが不足する華やかさを石畳の道が補っている。
民家園のひとつでは年配の人と若い人が二人で囲炉裏の火を燃やしていた。どうぞ暖まって行ったら、と言われたが、上がり込んだが最後出られなくなりそうだった。結局薪を燃やす懐かしい匂いの虜となり、延々とそこに立って話をした。一人旅の面目躍如?
民家園では定期的に囲炉裏の火を入れて虫を燻しだすとのこと。それは業務の一環なのだがひとたび火事を出してしまったら四国中から集めた貴重な民家はもちろん、屋島全体、てっぺんにある霊場の一つまで燃えてしまう。のんびりと二人がかりで火にあたっているように見えるが内心ヒヤヒヤなのである。
薪は3か月ほど乾かすとのこと。長さはともかく四つ割りにされた薪は結構太い。だがご年配が燠の上にちょいとその薪を置いたらすぐに火が点いた。ご年配は薪取りのために木に登っていて落ちて入院。このまま民家園を辞めようと思ったがそうは行かずまたここで火を燃やしているという。(若い方の話は聞けたが、ご年配の方の話はちょっと言葉が長く続くと言ってることが
全然わからなかった)この人がいなければ火が点かないしと若い人は言った。古傷のせいなのか座っていても腰が痛いとご年配は言う。座布団はありがたそうな紫色で、JASの文字が染め抜かれていた。
5人くらいのグループがやって来て、「どうぞ火にあたって行ったら」と言われても、たじろいでいる。こりゃ外国人だなと、どこから来たか聞いてみたら、インドネシアと答えた。ええええ
こんな寒いところにどうかしている、と思ってびびる。おまけに風。それで「ここは寒いから気を付けて~」みたいな事を言ってしまう。ちょっと笑っている人もいたのは彼らみたいな富裕層は旅慣れていて、もっと北にも行ったからかもしれない。
思えば英語ならうぇるかむから始まって「はぶあないすじゃーにー」とか「ぐっどらっく」で〆るべきなのだが、民家園で薪の匂いなんか嗅いでると発想が浮かんでこない。あとはスタッフの二人と「あのダウンジャケットどこで買ったんだろうねー」と噂するばかりであった。
結局屋島のてっぺんには行かなかった。こんな日に限ってまたまた屋島山頂行きのバスがやって来たが、やめた。
話は戻るが塩飽と入力しようとすると候補として塩飽大工が出て来る。どこやらに、船を作れたので器用で家も作れたとあった。うん、水漏れする船じゃ困るし。海賊を支えたのは船と刀と腕っぷし、もちろん海路の知識。ちっさい島なのに北前船で儲けて富み栄え、その中の一軒が軟弱にも書画骨董に凝る。他の家は何にお金を使ったんだか知らないけど、あの家の当主はふと、ハテこの掛け軸は本当に若冲なのかしらと思ってテレビ番組に出演することになったわけか。
買った人は何代前とか聞かなかったが、大した審美眼である。普通は騙されてお蔵は偽物だらけになるはず。また行って、とっくりと丸山応挙の子犬の絵を見せてもらいたい。時間がなくて何もかも深く考える時間がなかった。
次は岡山から入ってみたい。























