愛知県 知多四国巡礼 第10回: 41番札所 西方寺

前回の知多四国40番札所影向寺から、海っこバス(右回り)で約10分ほど北のサンタバーバラ サンセット停で降車、山海海水浴場のある山海に降りたちます。
 山海というだけあって、海岸沿いに続く国道247号線の東側には山が迫る地域で、海辺の僅かに開けた場所に集落が集まっています。

バス停から国道を先に進み、山海交差点から国道沿いに続く交通量の少ない師崎街道を5分程歩けば西方寺伽藍が見えてくるので、左に進み、国道に出て山門に向かいます。

国道に出ると目の前が山海海水浴場の監視塔。

国道沿いに薬井門を構える41番札所西方寺伽藍の眺め。
 門の左側が参拝者駐車場なので、車で訪れても駐車場の心配はありません。
山門は切妻瓦葺で屋根を支える4本の角柱は立派なものです。

この門は一説によると、明治二十二年(1889)、海岸に漂着した流木を部材にして作られたという。
 現在の門が当時のものか定かではないが、台風を考えるとこれくらいの柱が必要なんだろう。
写真は親柱の蟇股に施された意匠。

束と控え柱の木鼻の意匠。

山門から眺める光景。
 堤防の先は山海海水浴場、目の前には伊勢湾が広がっています。

境内から山門方向の眺め。
 右に手水舎、山門左の石碑は魚供養碑で、「海に一番近いお寺」にと、名古屋周辺の鮮魚業者らによって建立されたもの。

西方寺本堂全景。

 当寺について知多四国ガイドブック、南知多三十三観音霊場の由緒・沿革を纏めると以下のようになります。
西山浄土宗 松原山 西方寺
 山海の海岸に面して建つ西方寺は永正年間(1504~22)、傳空松公上人の開山と伝えられ、当初は天台宗の寺院であったと伝えられる。
江戸中期の火災で伽藍を全焼、古文書も焼失し詳細は不明。
 享和三年(1803)、地元漁師によって海上安全の神を祀る金毘羅堂が復興されたが、昭和三十四年の伊勢湾台風で倒壊し、境内の大松も潮に洗われ枯死。
 明治三十年から近年まで、本堂、庫裏を開放し臨海教室を開いていた。
明治二十二年(1889)漂着した流木を使い山門を建立、魚の供養塔など、境内各所に海辺の寺ならでは風情を見せています。
 当寺に祀られる大師像は、「またたき弘法」の名で、昔から眼病平癒に霊験ありと親しまれている。
 開基 傳空松公上人
開山 傳空松公上人」

向拝の唐獅子と大棟の鬼。

庫裏の唐破風の意匠。

方形屋根の41番札所太子堂
 安置される「またたき弘法」は眼病平癒のご利益があるという。
弘法様の姿は拝めなかったが、年相応に視力の衰えを感じるだけに、しっかりお願いをさせてもらいました。

シンボルだった大松が姿を消した庭園、そこで見かけたこれは鬼瓦の一部だろうか?

境内から大松は姿を消したが、庫裏前のこの松が、これからの西方寺を象徴する一本となっていくのだろう。
 境内に置かれた仮設テントが本開催の賑わいを感じさせるが、後開催となると、訪れる参拝者は少なく、「海に一番近いお寺」の風情が漂っています。

皆人の 願う浄土は何処方ぞ 月も傾く西方の寺

愛知県 知多四国巡礼 第10回: 41番札所 西方寺
宗派 / 浄土宗
創建 / 永正年間(1504~22)
開基 / 傳空松公上人
開山 /  傳空松公上人
本尊 /   阿弥陀如来
札所 / 知多四国41番札所、南知多三十三観音霊場23番札所
所在地 / 知多郡南知多町山海屋敷51
影向寺から西方寺 / 徒歩​約2.6km・35分​、バス移動​約10分(片道400円)
参拝日 / 2025/12/22
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