シン・エヴァ劇場版鑑賞、なぜ「爽快感」「置いてきぼり感」に二極化するのか
「感情資本」に恵まれた人/恵まれない人
分かりやすく言い換えれば、社会生活のある場面において、泣いたり怒ったりせず、人間関係を円滑に進めることができるコミュニケーションスキルのことです。これが一見、「資産」のようには感じられないのがポイントです。しかし、洗練された感情の働きは出自や教育、コミュニティーといった「無形の資産」によって生み出されるものです。
それゆえ、成功者はすでに一定水準の感情資本の持ち主であることが多く、労せず仕事上の交渉や付き合いをこなし、家族や友人に囲まれているのですが、不思議なことに、これらを可能にするものが意識に上ることはめったにありません。「あるタイプの人柄、話し方、ものごし、生活リズム、そして感情を管理して人間関係を形成する力が、その子どもの社会生活、社会的成功に大きく寄与するとすれば、感情の持ちようは人生の一大事」(前掲書)であるにもかかわらずです。
「シン・エヴァ」の中で、このような問題を大なり小なり抱えていたはずの主人公がいとも簡単にその問題から解き放たれて、大団円を迎えることの意味を無理やり探ると、棚ぼた的な「感情資本」の獲得以外に考えられません。そうでなければ、豊かな関係性が築けるはずがないからです。
しかし、そのようなプロセスには触れられず、気付いたら「そうなっていました」という形なので、肩透かしを食らったような感じが否めないのだと思われます。そして、それは棚ぼたが前提であるがゆえに、ますます困難なものに映るのです。
「シン・エヴァ」鑑賞後の「爽快感」と「置いてきぼり感」の二極化の理由の一つは「失われた20年」をうまく乗り越えることができた人々/できなかった人々の隔絶といえますが、感情資本に恵まれた人/恵まれなかった人の差異に対する認識の有無にあるともいえそうです。
「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」は四半世紀に及ぶ人気シリーズの総決算で、多くの人々に満足度の高い感動を与えるだけでなく、その四半世紀に及ぶ日本社会の変容が作品の受け止め方に影響し、図らずも根深い分断を浮き彫りにした、まれな映画といえるかもしれません。
(評論家、著述家 真鍋厚)

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