朝日新聞12月22日(数学科目再編)

高校の「数学」再編へ AIの学び重視しA、B、Cの区分なくす方向(朝日新聞) - Yahoo!ニュース

へーっていう感じだ。

まあ高校数学のこの分類は受けた時代で人によっても違うくらい変わってきていると思う。しかし、それにしても、なんだか国会議員が平然と”三角関数はいらない”みたいなことを言ってしまうことと、この再編が関係しているのかどうかが気になるところだ。どうも与党や官僚(方角系)の皆さんは数学というと、面倒だという頭があって、そんなことわかrなくても自分たちみたいに立派に社会生活はできてるぜ、という感じがあるようにみえてしょうがない。

まあ基礎的なことが云々は別にして、現在の数学の体系は、やはり戦後宇宙開発や原子力開発、工業の発展といったものに寄与するために作られているのだと思う。じゃあそういう目的はもなくていいのか?疑問だ。ぜひとも日本数学会などで、つまらないとおもわず、海外の教育体系を紹介してほしいものだと思う。ここで問題なのは米国のような国は、一般と専門的にやろうとしているひとで大きな違いがある可能性があることだ。両方を紹介しないといけないと思う。で日本のいまだに50人学級前提の教室で同じことができるかですね。先生の数も問題になるでしょう。

また、ここで大きくは”データサイエンス”に寄与する人間のことをいっているのかもしれませんが、これは社会的な需要というものもあります。思い返せば1970年代くらいからずーっとコンピュータと経営のリンクについては言われてきたと思いますが、日本ではここまで行われておらず、何回かのブームもいつの間にか、終わっています。それは政治などが大きく関与して、それはコンピュータにはわからないので当然そうなるわけですが、日本の会社というのが、合理性ではなく、政府、銀行の意向などに従っていたうえではしょうがないことでしょう。これが、銀行が米国の圧力で骨抜きにされて、株式市場が海外にも開放された結果、いろいろとひずみはでているわけですが、一言でいえば、妙に米国の圧力がもろにくるようになったのが現在なのでしょう。ということで、経営も説明責任をよりもとめられるとなると、コンピュータなどでの合理的(?かどうかは別にして)な理屈をつけるひつようはあると。でも皆さん見ているように米国も大口の政治献金を行うひとたちに有利な政策などを作ってるので、どうかということはあるし、トランプ氏の関税なども一応の根拠は示すけど結構適当と、米国でも数字を使っている、数学っぽく見せていはいても、結局は適当だということでしょう。

そうなると、日本の数学教育を変えると政府が思うような人材が多数生まれるのか、なぞですね、、、

ついでですが、米国のIT業界にはさまざまな背景を持った人がいて、むしろ日本よりも宗教について深く考えていたり、社会についていろいろと発言する人は多いように見えます。例えばTexの開発で有名なクヌート氏の著作などを見ると、彼のやっていることは信仰とリンクしていることがわかると思います。そういう意味では先日の佐伯啓思氏の文章はなおさらどうかと思うのですけどね。

朝日新聞12月20日朝刊佐伯啓思氏記事雑な感想

佐伯啓思氏がウエルビーイングについて書いた論考を読みました。

ちょっとイマイチな感じでありました。

日本人は米国人などにくらべて、負けても平静のようなことが書いてあったと思いますが、しかし、今の日本ではむしろ勝ち負けにこだわるのは日本人ではないでしょうか?

野球なども高校野球で負けたら終わりのようなトーナメントばかりやるのもそのような国民性の表れではないかと思います。また、なんといっても戦争でパールハーバー作戦などは勝ちにこだわっているのではないかと思うのですが。

さらにいうと、自民党の総裁選でも、昨年負けた側は、とにかく捲土重来を期して、いろいろとやっていたのではないでしょうか。

ということで、佐伯氏がいう日本はなんだろうという印象でした。最後の文章で文部科学省がいうウエルビーイングについて述べられている部分は全く賛同するところです。むしろ日本ではそんな感じの雰囲気が今の社会ではないでしょうか。逆に他者としての神を信じないひとが多い日本では、ひととひとの繋がりは個人の繋がりでしかなく、そうなると、自ずと比較が出てきてします。聖書にも多く書かれているように、神の前での平等のような発想は日本ではなかなか難しいのではないかと思うのですがどうでしょう。

港区が米軍ヘリの騒音調査らしい

東京 港区 米軍ヘリの騒音影響 約1万8000世帯に調査へ | NHKニュース

ニュースを聞いて驚いた。ヘリポートといっても本当に赤坂プレスセンターのひとを運ぶヘリが止まるところではないのか?

これがいやだというのはどううことなのだろうか?昔からこの地域は日本軍の基地があり、敗戦後は米軍に接収されてそのままなわけで、当然軍の施設はあるものとして皆さん住んでいるのではないだろうか?

基地が多摩地区にあることはおそらく何とも思っていないのだろう。ましてや沖縄にあることなど。戦闘機の訓練などヘリコプター以上の音がするのが日常である。そういった日常を送っている人たちのことを港区の住民は考えたことがあるのだろうか?

もうわけがわからないとしかいいようがないですな。

そもそも東京は米軍が結構近い場所なのであって、それは東京の一つの文化だと思う。港区の六本木だって米軍と無関係ではないのではないか。そういった果実だけをいただいて、余分になったらはいさようならというようなそんなうまいことはできないのだが、、、

何しろ日米同盟で日本にとって米軍は日本を守ってくれる存在であり、港区のみなさんは守られなくてもいいと思っているのだろうか?

ニュースウォッチ9(12月18日)

どうも違和感のあるニュースの伝え方が2点あった。

ひとつは山上被告の裁判。検察の主張が主で、弁護側の主張は断片的であった。特に重要な争点の、被告が恨みを持つに至った教団と元首相との関係について、弁護側がどう述べたのかは全く伝えられなかったが、妹の証言なども求めていたわけなので、何もなかったわけはないと思う。しかし、NHKではひところも触れられなかった。全く不公平な報道であったと思う。このような報道が流れる中で裁判員が判決に参加することには様々な面で問題があると思われる。このような事件に裁判員裁判を適用すべきではないのは前に書いた通りだ。もちろん殺人についての責任はあり、罪はあるべきだが、情状酌量の余地について弁護側が述べたことは報道すべきということだ。

もうひとつはスマホ法というやつだ。独占禁止法上の問題があったようにいっているが、しかし、一方では、問題あるアプリに対しての責任をappleGoogleはとるということだ。しかし、外で決済が行わる場合、限定的な責任になる。その場合、NHKでもちょっとはいっていたが、未成年の課金やプライバシーの流出などの責任はだれがとるのだろうか。また、アプリが勝手にスマホの中を探してデータを盗むようなことがあった場合だれが責任を取るのだろうか?日本の法律はそのあたり整備されているのかどうかが報道では全く分からなかった。少なくとも小生は非常に不足を感じてあれでは外部のサイトのアプリをいれても大丈夫という感じはしなかった。

繰り返すが、課金のような見える問題だけではなく、データの流出のような、見えない問題も含めてどう対応するのか、極めて問題のある報道だったと思う。

カナダと日本のことばへの態度の違いを思う

カナダ首相が「イギリス英語を使っている」、言語学者らが指摘 - BBCニュース

ということで、カナダではびっくりなことにカナダで定められた英語つづりがあるとのことです。日本では英国と米国の違いはよく教えられますが、カナダについてはこれまで聞いたことがなかったので驚きました。

それにひきかえ日本ではローマ字の綴りを米国語に合わせることを閣議決定したそうだ。これをNHKなどもどちらかというと嬉しそうに報道している。NHKがです。

どうしてもひとは交流すればことばも交わるけれども、独自性をどこに求めるか。おそらくお互いにわかるところは独自でいいのではないかというのがカナダ英語なのか。または、英国の支配下にありながら、米国に接しているし影響も受けやすいという地理的な条件にあってのことなのか。どちらにしても、英国と米国の間、また、フランス語の影響も受けたつづり字のようです。

それに引き換え日本はこれまで先人が作ってきたローマ字つづりを簡単に放棄して、米国に寄せていくというなんともな、今の日本を現したような状況です。

ことばの綴り方は本当に民族のアイデンティティーだとおもいますが、これを簡単に放棄してどうしようというのか。いくら頑張っても、相変わらず、YAMAMOTOはどう聞いても意識しないと米国人は”やまもろー”(母音のオのあとすぐ強く”と”というのが難しくてよわくなると”ろー”に聞こえるのか?)としか聞こえないような発音になるようです。また、そもそもが日本語の長音は難しいようです。さらに小生が何回もいってしまいますがchiはシとよまれる運命のようですが、これは意識的にchicagoなどからの類推でそうよむのでしょう。なぜこれを閣議のあと、町で結構訓令式ヘボン式の代表のようにして聞くメディアなどがいるのかわかりません。

また、地名にしても、東北地方のアイヌ語由来といわれるような地名の発音はおそらくヘボン式でも正確ではなく、アイヌ語の発音を学ばないともともとの発音はわからないし、綴りもそれを反映したものにしないといけないのでしょう。

結局カナダの英語の話を読むと、逆につづり字が違っていても言葉は同じとわかれば、実用上の不便はなく、むしろ、綴りというのはアイデンティティを示すものであるということで。そうなると、日本の長年の訓令式からヘボン式を国定にしたことの重みがわかろうというものです。単に便利などということばでは片づけられないものがあるはずです。

これだけ米国や諸外国のテレビや放送が生で入ってきて、サッカー選手やバスケットボール選手など米国外で活躍する選手も増えてきて、日本語の名前の読み方にしても、それぞれの国で、米国も含めてヘボン式にすれば日本の発音に近く読んでもらえることはないということは皆さんよくわかっていると思うのですが、メディアはそういうことを面白がるだけであまり、真剣に取り上げて、今回のローマ字改定のときに持ち出そうという人はいませんでした。もちろんこれは日本の中の言葉にも影響して、ケセン語の綴りをローマ字で行う方法を考案した山浦氏のような努力をしようとするひとはほとんどほかにはなく、現在朝日新聞の夕刊で連載されている各地のことばについても記事もひらがなで表すわけですが、おそらくは実際はひらがなではあらわしきれないでしょう。でもそのちいきの発音を現す表記法を考えようというひとは出てこない。どういうことかなと思います。このような決定に東大の古田徹氏のような立派な哲学者も関与したことは小生にとって非常に残念でした。

小生をこのような発想に導いた田中克彦氏の著作がひさびさに読めるようなので待ちつつの文章です。

www.chikumashobo.co.jp

日刊スポーツ政界地獄耳(12月16日)

www.nikkansports.comということだ。まああまり意味がないコラムだったと思う。

連合芳野氏については、あのような発言をすることは非常に驚いた。もしかすると連合や経団連もパスポートで通称名が認められれば結構乗るのかもしれないとおもったりもする。パスポートまでOKとなると、ほとんど戸籍の名前は何なのか?ということになるのだが。

よくわからないのが通称名の利用範囲の拡大といって、自民党の中でもかなりの幅広い意見があるらしいということだ。家族の一体感などということをいうのであれば、通称名などほとんど利用不可ということだろう。それ以上認めようという人は一体何を認めようというのかなんだかはっきりしない。

というかこれはやっぱりマスコミが及び腰だからいけないので、通称名にこだわるひとたちが、どの範囲を考えているのかをもっと取材して国民に知らせる必要があるのだろう。やっぱりマスコミは政治家に都合の悪いことはやらないのだなあという印象だ。

NHK国際報道2025(12月12日)外交官の出演をみて

12月12日の国際報道2025に中国滞在が長い外交官が出ていた。

まあクーリエジャポンの記事などはいろいろな人に好評であるようだがなんだかなという印象だった。

そもそも外交ってなんだろうと。この人はほたての販売などで中国に頼りすぎだったというのだが、ものは売れれば売るのが先だ。日本の農林水産省がどれだけの支援をホタテの生産者や販売者にしてくれているというのだろう。もし世界各国でホタテの販売を外交官が一生懸命やってくれているのならああいったセリフもあり得ると思うが、どうなのだろう。まあ外交官はやってるつもりではあるのかもしれないけど、実態は、むしろ世界中セレブのためにおいしいものを求めている商人によって広がっているのではないだろうか。

外国ではいつぞやの某国で大使館に人が閉じ込められた時の大使のセリフで有名になったが、日本人の間のランク付けがあり、外交官ー>商社ー>メーカーみたいな順番らしい。奥さん同士のおつきあいなどもあり結構大変だと聞いたこともある。

というような感じで、まあ国際報道にでてたひとは、どちらかというと、ビジネスは外交に従うべき見たいな感じだが、トランプ氏をみているとそうではない。良くも悪くもビジネスを引っ張っていくという気概はもっている。

そのような気概もない、公家のような外交、21世紀となっては邪魔なだけのものになっていると思うのだがどうだろうか。

まあそういったことは関係なく、なんだかすごいひとのような触れ込みでテレビに出すわけでNHKって決してそういうひとの気に入らないことは言わない。そのあたりにも国際報道2025のキャスターT氏もやはり外国にいて、日本人序列の中にいたのだろーなーと感じた。

繰り返すが小生はトランプ氏は全くいいとも思ってないが、しかし、彼はビジネスに徹するというところがあって、すがすがしいほどだ。昔金で買えないものはないといって顰蹙を買った日本人がいたが、どうみても彼の顔などは相当にお金おwかけていそうだし、ノーベル平和賞も金でとろうという、あからさまな態度はすごい。

きっと彼であれば、米国のビジネスに貢献出来て初めて外交官の役割を果たしているといえるのではないだろうか。おそらく日本政府と仲良くやることなど最初からかんがえてないだろう。

日本は官僚はどちらかというと法学部出身者が多いためか、まずは形から入っていこうと。金というメジャーメントで測るセンスとはどうも相いれないものを感じた。

番組出演の氏は美談のようにいっているが、中国でつかまったビジネスマンを取り戻せなかった。なんだかだ。やはりなんとしても外交官ががんばって取り戻すべきではなかったのではないだろうか。それができなくて、”最強”とかいわれるというのはなぞだが、逆にそういうことが外交官の優劣を決めるのではなく、なんだか偉そうに政府にものを言えたりするのが偉いことになるのだろうか?なんともな番組であった。