2月27日木曜日、天気は曇り時々雪で、たまに猛吹雪へなった時間も。でも、気温が高かった(最高気温は5℃)ので、積もることはなくほとんど融けてしまいました。
さて、ここは海上自衛隊基地の前で、西の方向には函館山が見えていて、坂道がありますので登ることにします。太陽が当たる右側の歩道は雪はなく、左側は建物の陰に当たり残雪があり滑りやすく歩きにくい。

坂の上には旧函館区公会堂がありますね。今回はその下にある元町公園の手前まで行きます。
左の塔みたいなものは、「明治天皇上陸記念碑」で、1876年(明治9年)に明治天皇が東北・北海道巡幸で、函館へ来た際に旧税関桟橋に上陸をしたもの。

坂の途中で、「宇須岸河野館跡」の看板。アイヌ語で「ウスケシ」は、湾または港の端という意味。昔はアイヌ人が多く定住していたんですね。
室町時代の1454年に津軽の豪族であった河野政通が津軽海峡を渡り上陸し、「箱の形の館」を建てましたが、それが箱館の名の由来となったのでした。だから、箱館はアイヌ語ではありませんね。道内には数多くのアイヌ語の地名があるけど、箱館は数少ない日本語名の地名です。

その上にあるのが「ペリー提督来航記念碑」。1853年6月3日、ペリーは軍艦4隻と率いて現在の横須賀市浦賀に来航し、江戸湾深く進めて測量して幕府を威嚇し、大統領の国書を受理させます。
そして翌1854年2月10日に軍艦7隻で再来して横浜に上陸し、日米和親条約を結び下田と箱館を開港させたのです。
その勢いで、ペリーは開港が決まった箱館へやって来たのです。

ペリー広場と呼ばれる広い地。ペリーら一行は港内の測量をし箱館山へ登り、湾を見下ろして「綱知らずの良港」と判断します。それは、箱館の港がペリーにとってはとっても魅力的だったのでした。

凛々しい姿のペリー像。

彼の眼は箱館湾を見下ろしています。「ここは使えるぞ!」と。
当時アメリカは産業革命の真っ最中で、夜間も工場が稼働中。そのランプにクジラの油が使用されていて、ベーリング海や北極海で捕鯨が盛んに行われていました。そして北太平洋にも進出して、薪(蒸気船の燃料)や食料、水の補給基地が必要だったのです。そのための基地に箱館が最適と映ったのでしょうね。

ペリー来航時の足跡の5枚の絵があります。

裏には詳しい説明も書かれています。ペリーの乗船した船の名は「ボーハタン号」で2500トンもあったんですね。

道を挟んだ向かい側には「旧イギリス領事館」があります。アメリカ、ロシアに次いで3番目に建てられた領事館で、幕末の1859年に別な地に置かれ、この建物が完成したのは1913年のことでした。

イギリスの国旗であるユニオンジャックがありますね。現在は開港記念館として公開されていて、庭園は薔薇の名所になっています。もっとも、冬の今は薔薇は咲いていませんね(笑)。

詳しくはこちらをご覧いただければ幸いです。

で、この坂の名は「基(もとい)坂」。海がほんの少しだけ写っていますね。分かりますか?今日の写真で唯一海が写る写真です。

名前の由来は、函館から札幌へ向かい道の起点で、坂下に距離を測る元票が建てられたからだそうです。江戸時代は「お役所坂」とか「御殿坂」とも呼ばれたとか。

次回は、坂の上の元町公園へ、さらに公会堂へと向かいます。
では、また次回にお会いできるのを楽しみにしております。
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さて、ここは海上自衛隊基地の前で、西の方向には函館山が見えていて、坂道がありますので登ることにします。太陽が当たる右側の歩道は雪はなく、左側は建物の陰に当たり残雪があり滑りやすく歩きにくい。

坂の上には旧函館区公会堂がありますね。今回はその下にある元町公園の手前まで行きます。
左の塔みたいなものは、「明治天皇上陸記念碑」で、1876年(明治9年)に明治天皇が東北・北海道巡幸で、函館へ来た際に旧税関桟橋に上陸をしたもの。

坂の途中で、「宇須岸河野館跡」の看板。アイヌ語で「ウスケシ」は、湾または港の端という意味。昔はアイヌ人が多く定住していたんですね。
室町時代の1454年に津軽の豪族であった河野政通が津軽海峡を渡り上陸し、「箱の形の館」を建てましたが、それが箱館の名の由来となったのでした。だから、箱館はアイヌ語ではありませんね。道内には数多くのアイヌ語の地名があるけど、箱館は数少ない日本語名の地名です。

その上にあるのが「ペリー提督来航記念碑」。1853年6月3日、ペリーは軍艦4隻と率いて現在の横須賀市浦賀に来航し、江戸湾深く進めて測量して幕府を威嚇し、大統領の国書を受理させます。
そして翌1854年2月10日に軍艦7隻で再来して横浜に上陸し、日米和親条約を結び下田と箱館を開港させたのです。
その勢いで、ペリーは開港が決まった箱館へやって来たのです。

ペリー広場と呼ばれる広い地。ペリーら一行は港内の測量をし箱館山へ登り、湾を見下ろして「綱知らずの良港」と判断します。それは、箱館の港がペリーにとってはとっても魅力的だったのでした。

凛々しい姿のペリー像。

彼の眼は箱館湾を見下ろしています。「ここは使えるぞ!」と。
当時アメリカは産業革命の真っ最中で、夜間も工場が稼働中。そのランプにクジラの油が使用されていて、ベーリング海や北極海で捕鯨が盛んに行われていました。そして北太平洋にも進出して、薪(蒸気船の燃料)や食料、水の補給基地が必要だったのです。そのための基地に箱館が最適と映ったのでしょうね。

ペリー来航時の足跡の5枚の絵があります。

裏には詳しい説明も書かれています。ペリーの乗船した船の名は「ボーハタン号」で2500トンもあったんですね。

道を挟んだ向かい側には「旧イギリス領事館」があります。アメリカ、ロシアに次いで3番目に建てられた領事館で、幕末の1859年に別な地に置かれ、この建物が完成したのは1913年のことでした。

イギリスの国旗であるユニオンジャックがありますね。現在は開港記念館として公開されていて、庭園は薔薇の名所になっています。もっとも、冬の今は薔薇は咲いていませんね(笑)。

詳しくはこちらをご覧いただければ幸いです。

で、この坂の名は「基(もとい)坂」。海がほんの少しだけ写っていますね。分かりますか?今日の写真で唯一海が写る写真です。

名前の由来は、函館から札幌へ向かい道の起点で、坂下に距離を測る元票が建てられたからだそうです。江戸時代は「お役所坂」とか「御殿坂」とも呼ばれたとか。

次回は、坂の上の元町公園へ、さらに公会堂へと向かいます。
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コメント
コメント一覧 (2)
5年ぐらい前に、松本潤が演じた「永遠のニㇱパ 〜北海道と名付けた男 松浦武四郎〜」がテレビでありました。あまり話題にならなかったかもしれませんが、北海道の人なら知っているかと思います。私は先住民のアイヌの人が馬車馬のように虐げられているのを見て、ホントに心が痛みました。主演の松本潤が綺麗な顔をしていて、救われた気持ちがしましたけど。
これから少しづつ暖かくなっていくようです。また今年も函G農園の、野菜や花が拝見できるのを楽しみにしています。
松潤の「永遠のニシパ、松浦武四郎」は北海道で放送された時は、事前に番組宣伝もあってか、かなりの人気でしたので、もちろん私も見て感動しました。松浦はアイヌの人たちが虐げられていたことを訴えたにも関わらず、松前藩では松浦を殺そうと、テロリストまで江戸に派遣していたのだから呆れます。松浦は、江戸時代の人だったけど、人権意識が高くアイヌ人を同じ人間として同等に付き合っていたことに感動しましたよ。