12月6日金曜日、天気は雲りで最低気温はマイナス5℃と寒い朝を迎えていて、外には昨夜降った雪が白く残っています。最高気温は3℃まで上昇するけど、日陰の雪は融けずに残り根雪になるかも?
今年はホワイトクリスマスと新年を迎えることになるでしょうね。
さて、秋の旅11日目の10月12日は朝早くに道の駅「のとじま」でガラス美術館を散策後に出発して、七尾市の七尾城へ向かいました。七尾市街地から南へ5㎞ほどの山の中。
説明板にも「戦国の名城」とあります。

標高305mの地にある七尾城は戦国時代の武将上杉謙信が絶賛したほどの山城で、
1577年に「聞きしに及び候(そうろう)より、各地、加賀・越中・能登の金目(かなめ)の地形と云い、要害山海(ようがい さんかい)相応し、海頬島々(うみづら しまじま)の躰(てい)までも、絵像に写し難き景勝までに候」と、
七尾城の位置やここからの景観に感動して褒めたたえているのです。

標高は300mを少し越える程度の山にあり、七尾市が一望できる格好の位置にあります。
ちょうど、函館山(334m)よりは少し低いくらいで、ほぼ同じような地形です。

ズームして見ましょう。JR七尾線の七尾駅がある七尾市街地の先に、能登島が見えています。島へ渡る能登島大橋がクッキリ!橋の左手側は和倉温泉のホテル群が見えるはずだけど、木々に邪魔されて見えず。夜は七尾市の夜景がきれいに見えるでしょうね。

もっと、ズームして見ましょう。七尾市の人口はおよそ5万人ほど。能登島町は、2005年に周辺町村と七尾市に合併されています。能登半島では最大の町で、唯一鉄道が走っている都市でもあるんですね。
七尾駅から先は和倉温泉駅でJRは終わり、それより先は第3セクターの「のと鉄道七尾線」が穴水町の「あなみず駅」まで走っています。
かつてあった、それより北の輪島駅や珠洲駅は、廃止されて今はもうないのです。

もともとは、足利一門の有力家臣であった畠山基国が能登の国の守護職に任じられた室町時代1400年代の初め、七尾城の基礎を築いたのです。彼は能登の他に越中や紀伊・河内の三カ国の守護職をも兼務している大物でした。1408年に次男の畠山満慶(みつのり)が七尾城をしっかりとしたものへ築城し、上杉謙信により落城する1577年まで11代・169年間能登を治め、独自の能登・畠山文化の華が開いたのでした。

今年元旦の地震で一部石垣が崩れた箇所があって、一部は立ち入り禁止になっていますが、修復も行われていて安全なコースを行けるところまで行ってみます。

見晴らしの良い場所へやって来ました。高台の上で、七尾市が見渡せる景観抜群の地です。
天気も良くて、最高のコンディション。草木も濡れておらず歩きやすい。

地震で崩壊したところが痛々しいけど、ここに山城があって多くの人々が生活していた、まさにここは山上都市であったことを想像すると鳥肌が立つほど感動します。
「やっと来たぞ!七尾城!!」と思わず叫んだのでした。
次回は、さらに七尾城を詳しく見て行きます。
では、また次回にお会いできるのを楽しみにしております。
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今年はホワイトクリスマスと新年を迎えることになるでしょうね。
さて、秋の旅11日目の10月12日は朝早くに道の駅「のとじま」でガラス美術館を散策後に出発して、七尾市の七尾城へ向かいました。七尾市街地から南へ5㎞ほどの山の中。
説明板にも「戦国の名城」とあります。

標高305mの地にある七尾城は戦国時代の武将上杉謙信が絶賛したほどの山城で、
1577年に「聞きしに及び候(そうろう)より、各地、加賀・越中・能登の金目(かなめ)の地形と云い、要害山海(ようがい さんかい)相応し、海頬島々(うみづら しまじま)の躰(てい)までも、絵像に写し難き景勝までに候」と、
七尾城の位置やここからの景観に感動して褒めたたえているのです。

標高は300mを少し越える程度の山にあり、七尾市が一望できる格好の位置にあります。
ちょうど、函館山(334m)よりは少し低いくらいで、ほぼ同じような地形です。

ズームして見ましょう。JR七尾線の七尾駅がある七尾市街地の先に、能登島が見えています。島へ渡る能登島大橋がクッキリ!橋の左手側は和倉温泉のホテル群が見えるはずだけど、木々に邪魔されて見えず。夜は七尾市の夜景がきれいに見えるでしょうね。

もっと、ズームして見ましょう。七尾市の人口はおよそ5万人ほど。能登島町は、2005年に周辺町村と七尾市に合併されています。能登半島では最大の町で、唯一鉄道が走っている都市でもあるんですね。
七尾駅から先は和倉温泉駅でJRは終わり、それより先は第3セクターの「のと鉄道七尾線」が穴水町の「あなみず駅」まで走っています。
かつてあった、それより北の輪島駅や珠洲駅は、廃止されて今はもうないのです。

もともとは、足利一門の有力家臣であった畠山基国が能登の国の守護職に任じられた室町時代1400年代の初め、七尾城の基礎を築いたのです。彼は能登の他に越中や紀伊・河内の三カ国の守護職をも兼務している大物でした。1408年に次男の畠山満慶(みつのり)が七尾城をしっかりとしたものへ築城し、上杉謙信により落城する1577年まで11代・169年間能登を治め、独自の能登・畠山文化の華が開いたのでした。

今年元旦の地震で一部石垣が崩れた箇所があって、一部は立ち入り禁止になっていますが、修復も行われていて安全なコースを行けるところまで行ってみます。

見晴らしの良い場所へやって来ました。高台の上で、七尾市が見渡せる景観抜群の地です。
天気も良くて、最高のコンディション。草木も濡れておらず歩きやすい。

地震で崩壊したところが痛々しいけど、ここに山城があって多くの人々が生活していた、まさにここは山上都市であったことを想像すると鳥肌が立つほど感動します。
「やっと来たぞ!七尾城!!」と思わず叫んだのでした。
次回は、さらに七尾城を詳しく見て行きます。
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