11月30日土曜日、天気は雪が降ったり止んだりの1日中降雪の日。でも、みぞれっぽい雪だから道路は日向では雪は融けていて滑ることはなく安心です。今日で11月が終わり、明日からは12月。間もなく2024年が終了し、来年は2025年。時間が過ぎるのは早いもので、あっという間。車中泊の旅もいつまで出来るのか?それを考えると、あと数年か?時間を大切にしなければ!とつくづく感じる昨今です。
さて、永平寺を拝観後、北へ10㎞走り坂井市へ。ここには江戸時代以前に築城された城で、現在も残っている12の天守の一つである丸岡城があるのです。

城の周囲を車で走ると、有料駐車場があって、1時間100円だったかな?空いていたのでそこに停めて歩いて坂を登ります。越前大野城と比べると、はるかに坂道は少なく10分以内で登れそう。
坂道を登って天守閣へ行く城は山城が中心で、例えば岡山県高梁市の備中松山城や岐阜県恵那市の岩村城、さらには島根県安来市の月山富田城などは、かなり歩いて登った城でした。今回の旅でも後から紹介しますが石川県七尾市の七尾城なども山城だし、数年前に車中泊したこともある春日山城(新潟県上越市)も山城ですね。
ここは平山城で、山城と平城の中間。高さにすると30mはないでしょう。

難なく城のある小高い丘の上へ到着。天気も良くて、平日の木曜日にも拘らず観光客もチラホラ。
天守の高さは12.6m、石垣の高さは6m、城山の高さは17mしかなく、30mはありませんでした。

国の重要文化財としての丸岡城天守閣の説明が詳しく書かれています。
1575年というから450年ほど前のこと。織田信長は越前の一向一揆を平定するため大軍を派遣し勝利。ここ越前の国の土地を恩賞として部下の柴田勝家に与えます。勝家からここの土地を与えられた甥の勝豊は城を築いたのです。だから丸岡城の初代城主は柴田勝豊で、1576~1582年まで務めています。

その後徳川家康が天下を取るまで安井家清、青山家2代(宗勝、忠元)、今村盛次と城主が4人替わり、江戸幕府となってからの初代藩主は本田成重(1613~1645)。本多家は4代続いたが、1695年に有馬家の有馬清純へ。有馬家は明治維新(1869年)まで8代続きました。

大きな石で出来た鯱。高さは1.66mもあったそうです。かなり重そうで、地震が心配。
実は1934年(昭和9年)に国宝に指定されますが、戦後の1948年(昭和23年)に福井地震が起こり城は倒壊し国宝から外されています。きっと、ここの鯱はその地震で落ちたものでしょうね。

かなり急な石の階段。自分が登っている時、中年の小太りのおばさんがタクシー運転手に手を引かれて、恐る恐る降りて来てました。手摺りもなく落ちたら大けがしますね。

入城料金は確か460円だったかな?3階建てになっていて、1階からの眺め。

江戸時代の城下町としての丸岡城と周辺。大きな堀もあったし、天守閣だけではなく、二の丸や三の丸、櫓もいくつかあったんですね。堀の外側には城下町として栄えていたことが分かります。

石垣の高さは最大で6mもあって、天守閣を攻めるのは大変です。

今まで行ったことのある城は、北から弘前城、松本城、姫路城、備中松山城、四国では丸亀城、高知城、松山城、宇和島城。残りは彦根城と犬山城の2つのみ。

梯子に近いくらい急な階段でロープを引っ張りながら昇らなければいけないし、降りるときもロープなしでは怖くて無理で、なにせステップの幅は10cmくらいしかないのですから。これを見て恐れをなしたのか、断念する中年女性の方もいたほどです。

次回は、この急すぎる階段?を昇り2階、3階からお伝えします。
では、また次回にお会いできるのを楽しみにしております。
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さて、永平寺を拝観後、北へ10㎞走り坂井市へ。ここには江戸時代以前に築城された城で、現在も残っている12の天守の一つである丸岡城があるのです。

城の周囲を車で走ると、有料駐車場があって、1時間100円だったかな?空いていたのでそこに停めて歩いて坂を登ります。越前大野城と比べると、はるかに坂道は少なく10分以内で登れそう。
坂道を登って天守閣へ行く城は山城が中心で、例えば岡山県高梁市の備中松山城や岐阜県恵那市の岩村城、さらには島根県安来市の月山富田城などは、かなり歩いて登った城でした。今回の旅でも後から紹介しますが石川県七尾市の七尾城なども山城だし、数年前に車中泊したこともある春日山城(新潟県上越市)も山城ですね。
ここは平山城で、山城と平城の中間。高さにすると30mはないでしょう。

難なく城のある小高い丘の上へ到着。天気も良くて、平日の木曜日にも拘らず観光客もチラホラ。
天守の高さは12.6m、石垣の高さは6m、城山の高さは17mしかなく、30mはありませんでした。

国の重要文化財としての丸岡城天守閣の説明が詳しく書かれています。
1575年というから450年ほど前のこと。織田信長は越前の一向一揆を平定するため大軍を派遣し勝利。ここ越前の国の土地を恩賞として部下の柴田勝家に与えます。勝家からここの土地を与えられた甥の勝豊は城を築いたのです。だから丸岡城の初代城主は柴田勝豊で、1576~1582年まで務めています。

その後徳川家康が天下を取るまで安井家清、青山家2代(宗勝、忠元)、今村盛次と城主が4人替わり、江戸幕府となってからの初代藩主は本田成重(1613~1645)。本多家は4代続いたが、1695年に有馬家の有馬清純へ。有馬家は明治維新(1869年)まで8代続きました。

大きな石で出来た鯱。高さは1.66mもあったそうです。かなり重そうで、地震が心配。
実は1934年(昭和9年)に国宝に指定されますが、戦後の1948年(昭和23年)に福井地震が起こり城は倒壊し国宝から外されています。きっと、ここの鯱はその地震で落ちたものでしょうね。

かなり急な石の階段。自分が登っている時、中年の小太りのおばさんがタクシー運転手に手を引かれて、恐る恐る降りて来てました。手摺りもなく落ちたら大けがしますね。

入城料金は確か460円だったかな?3階建てになっていて、1階からの眺め。

江戸時代の城下町としての丸岡城と周辺。大きな堀もあったし、天守閣だけではなく、二の丸や三の丸、櫓もいくつかあったんですね。堀の外側には城下町として栄えていたことが分かります。

石垣の高さは最大で6mもあって、天守閣を攻めるのは大変です。

今まで行ったことのある城は、北から弘前城、松本城、姫路城、備中松山城、四国では丸亀城、高知城、松山城、宇和島城。残りは彦根城と犬山城の2つのみ。

梯子に近いくらい急な階段でロープを引っ張りながら昇らなければいけないし、降りるときもロープなしでは怖くて無理で、なにせステップの幅は10cmくらいしかないのですから。これを見て恐れをなしたのか、断念する中年女性の方もいたほどです。

次回は、この急すぎる階段?を昇り2階、3階からお伝えします。
では、また次回にお会いできるのを楽しみにしております。
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