函館発  ぼうけんの旅

旅が大好き!2013年4月から始めて「ぼうけんの旅」は今年で12年目に突入。 車中泊中心の貧乏旅行の旅、今年で72歳を迎えいつまで続けれるのか?今のところ体力・気力はバッチリ。 いよいよ「2025 年ぼうけんの旅」は4月「春の旅」からスタートです!

2025年が明け今年は73歳を迎えて、体力的には厳しくなってきている車中泊の旅。いつまで出来るのか?まずは75歳を過ぎるまでは続けていきたい!と。未知の地を訪ねて、行くぞ!軽バン一人旅の始まりです。

2022年07月

7月31日日曜日、天気は晴れで気温は31℃まで上昇し、とても暑い日になりました。夜になっても暑さが和らぐことはなく、今夜は寝苦しい夜を迎えそうです。
そんな暑さの中で、午前中は畑仕事に精を出して汗をたくさん流し疲労困憊、さすがに午後はエアコンの効いた部屋でのんびり。全国的にも今日は暑かったようで、31℃くらいじゃ涼しいくらいです。道内では、何と釧路市で30℃を超えて33.5℃とか。あの夏でもストーブを焚く日があるほどの寒い地でも、33℃を超えたなんて!やっぱりこれも異常気象の表れでしょう。

さて、今日は上砂川町と歌志内市を紹介します。まずは、浦臼町から石狩川を渡り奈井江町へ。そのまま東の方向へ進むと上砂川町へ。
ここは三井砂川炭鉱中央立坑櫓で、1968年(昭和47年)に完成したもので深さは766mもあるとのこと。内部は見学できず、外観だけ。そばには、炭鉱資料館のような施設があったけど、困難なのか閉鎖していて、実にもったいない。数年前に訪れた時は、土日に限って開館していて見学できたのに。
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そして上砂川駅へ。というよりは、「悲別駅」の方が名前が知られているかも?
駅そのものは、1918年(大正7年)に石炭輸送専用線駅として建てられたそうな。1994年(平成6年)に廃止されたが、テレビドラマや映画のロケ地として一時人気スポットになった、とのこと。
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ドラマ「昨日、悲別で」なのだが、自分は全く知らないのでよくわかりません。富良野でもドラマ「北の国から」を見ていなかったので、「吾郎の家」へ行ってもピンと来なかったことがあったけど、ここもそう。テレビのドラマは全然見ないので、悲しいかなよく知らないのです。
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まして俳優さんの名前も知らないから、よくわからなかった、というのがここの印象です。
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上砂川線は、函館本線の支線として砂川駅から上砂川駅に向けて駅数5,路線距離7.3㎞だったが、1994年5月16日に廃止されています。
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当時の列車などが野ざらしに展示されているけど、石炭が枯渇してしまうと極端に町は廃れてしまう現実を目の当たりにすると、あまりにも悲しい・・・。
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続いて隣町の歌志内市へ。市といっても、人口は人口2800人ほどの全国1人口の少ない市です。
炭鉱全盛時代は約4万人以上もの人々が住んでいたのですが、炭鉱がなくなると人口は15分の1以下へ激減していったのです。
ちなみに、日本最大の市は何処かこ存じですか?   答えは横浜市の377万人です。
ここは西歌駅といって、1988年4月25日に廃止された函館本線の支線の歌志内線の駅。歌志内線は路線距離14.5㎞、駅数7。上砂川線同様に民営化されJR北海道になったとたんに廃止されたのです。
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多分、この辺りを走っていたのでしょう。何となく鉄道跡をサイクリングロードにしたような形跡です。
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かつての駅舎の写真が駅表示板の裏にありました。
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郷土館「ゆめつむぎ」へ入館し、石炭の歴史や歌志内市の資料を学習します。有料施設と聞いていましたが、コロナのせいもあったのか?無料になっていました。
なかなか見ごたえのある施設で、見学出来て良かったです。ここは鉄道関係。
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炭鉱に関しては充実した資料を基に説明しているし、これはミニチュアだけど実際に動かして見せてくれます。
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今は自然に帰って山になっているけど、その山はもともとは炭鉱住宅だったとは!
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炭鉱と云えば、労働組合が強かった時代もあったのです。
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芥川賞作家で小説家の高橋揆一郎(1928~2007)氏は、歌志内市の出身です。若い時代には住友石炭鉱業で働いた経験もあるのです。
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ここにはチロルの湯があるけど、まさかアルプスのチロル地方に似ているなんてことはないと思うのですが。
でも、パンフレットを見たら次のようなことが書かれていました。
スイスのチロル地方に似た風土と大自然の懐に沸くチロルの湯。併設するアリーナチロルではテニスなどのスポーツが楽しめる」と。
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悲別ロマン座は閉鎖中。かつては、上歌鉱会館で、旧住友歌志内炭鉱の職員厚生施設だった建物です。
映画館として主に使用されたとか。1953年(昭和28年)にオープンし、炭鉱の全盛時代には東海林太郎、菊池章子など昔の有名な歌手による歌謡ショーが行われていたそうです。
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その後は、倉本聰さんの看板があるようにドラマで使用されたのでしょうね。
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裏に回ると、野外ステージになっていました。
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で、次回は赤平市へ移動して旧住友石炭赤平炭坑の立坑櫓を見学してきます。料金を払って実際に櫓の中に入ることが出来たのです。
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今日は特に暑かったですね。
今、夜の9時過ぎですが、気温は27℃もあります。まさか熱帯夜なんてことはないと思うけど、寝苦し夜になることは間違いないでしょう。
寝室にはエアコンがないので、扇風機を回して寝ることになるけど、暑いのはもう結構です。自分には寒い方が合っていると思います。マイナス気温になっても平気に寝ていたし、寝袋を二重にして寝れば大丈夫!でも、寒さは我慢できても暑さは我慢できないですものね。
だから8月は旅に出ずに、せいぜい畑仕事で汗を流す程度にしておきます。
皆さんも、暑さに勝とう!なんて思わずに、暑さに負けて部屋でのんびり過ごそう!と真夏を乗り切った方が賢明だと思いますが、どうでしょう?

では、また!

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7月30日土曜日、天気は朝方はガスっていたけど、9時を過ぎる頃から太陽が出てきて晴れ。今日も真夏日で31℃になるとか。最近は、まさに夏真っ盛りで30℃前後の暑さが続いていています。畑はかなり乾燥して来たけど、来週月曜日から雨のマークが付いているから畑にとってはお湿りになるでしょう。
さて、美唄市から帰った後は岩見沢市の北村キャンプ場で温泉に入り、その後は車中泊。1枚目は、翌朝の石狩平野の農業地帯の一コマ。広い畑にはあちこちに菜の花が咲いています。
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石狩平野北部、特に滝川市江部乙を中心に30年ほど前からナタネ栽培が盛んになり、現在では日本有数の作付面積を誇っているとのこと。開花時期は5月中旬から6月上旬だから、訪れた5月18日はちょうど真っ盛りの時期だったからうれしい!
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今年は、3年ぶりに5月21日から29日まで「たきかわ菜の花まつり」が開かれたそうです。
菜の花は、もちろん菜種油を採油するためですが、見た目もきれいだし平坦な地が多く上り下りが少ない地はサイクリングコースとしても多くの人々が利用しています。
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となりは水田で、まだ苗を植えてはいないですね。田植えはもうすぐでしょうね。
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石狩川を渡る前に、こんな石碑を発見。仙台の伊達藩の支藩である岩出川藩の藩主伊達邦直が、明治に入り新天地を求めてここへ上陸したのです。しかし、肥沃な地でありながらも河口から遠すぎるとの理由で開拓を断念し、河口から近くの現在の石狩当別町に入植したのでした。
この「伊達直邦公」のこと、後から当別町で登場するので是非覚えておいてください。

伊達藩は、62万石とも云われる巨大な藩でしたので、領地には多くの一族を支藩として配置していました。戊辰戦争で敗北し、明治期にはその支藩から多くの人々は北海道開拓のために入植しています。
今回の旅や6月の旅でも、それを知ることになったのです。
例えば、石狩当別町はこの岩出川藩の伊達直邦公により開拓されたし、それこそ道南の伊達市は亘藩が、栗山町角田は宮城県の南の角田藩により開拓された歴史があることを知ったのです。知らないことはたくさんあって、旅するたびに新しい歴史を知ることがうれしい!
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で、石狩川に架かる大きな橋を渡り左岸の浦臼(うらうす)町へ。町の中心部で、最初に目についたのがこの教会。
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プロテスタント(新教)の教会で、名を「聖園教会」と云います。建物自体は比較的新しいものですが、実はここも後にある歴史があることを知るのです。その答えは今日のblogの後半で。
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毎週、礼拝が行われていますね。
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となりには、歴史ある建物が。下見板張りの白い壁と窓は上下開きの洋風建築物。「舘(たて)」という名の飲食店になっていますが、いつ建築されたのだろう?
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国道275号線を挟んで向かい側には、石造りの倉庫が。
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その倉庫から洋風建築物と教会を見ます。
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石造りの倉庫は浦臼ワインを販売する商店のもので、浦臼町はワインの産地でもあるのです。
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で、南へ。廃止されたJR北海道札沼線の旧札的駅から西側の小高い丘を登ると、「幕末の志士 坂本龍馬家の墓」なるものを発見!
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坂が阪になっていますが、事実竜馬は北海道へ来たかったけどその前に暗殺されます。が、彼の息子になる姉千鶴の長男の高松太郎は養子として坂本直を名乗っていて、箱館戦争の前に五稜郭の奉行所で働いています。
竜馬の甥にあたる千鶴の次男の直寛(なおひろ)は、「北海道に自主独立の地」を作りたいと来道、北見地方開拓の礎となる「北光社」入植に関わりました。
その後、直寛は明治31年に浦臼に移住、竜馬の養子直(明治31年に逝去)の妻である留(とめ)は、翌明治32年に次男の直衛(なおえ)と共に直寛を頼って遠く高知から浦臼にやって来たのでした。
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明治26年には、高知で自由民権運動の闘士である武市安哉(たけち あんさい)が浦臼に信仰と教育により新しい理想郷の建設を目指して聖園農場を開きます。
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こちらは、武市とともに聖園農場の中心として浦臼開墾に尽力した前田駒次一族の墓です。
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これを知って驚き、次にもっと知ろう!と浦臼町の郷土資料館へ。のぼりには「北の竜馬館」とあって、ますます興味津々。
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これが坂本龍馬家の系図です。これで納得です。
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明治時代に建てられた聖園教会と下は現在の教会です。
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直も直寛もクリスチャンとなり竜馬の遺志を受け継ぎ、北の大地で自由と平等な理想郷を作ろう!と北海道へ、そして浦臼で骨を埋める覚悟で移住したのです。
ウーン!すご~い!!
浦臼町にこんな歴史があったなんて知らなったのです。函館にも坂本龍馬記念館があるが、彼の一族が北海道と大いに関係があるなんて!驚きでした。

次回は、炭鉄港を探る旅の続きで上砂川町・歌志内市を訪問します。

では、また!

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7月29日金曜日、天気は今日も晴れで、夏の太陽がカンカンと照り付けていてかなり暑いです。最高気温も、今年最高を連日更新して、今日は30℃を超えるとのこと。夏本番だから暑いはずです。でも、さすがに35℃を超える猛暑日にはならないです。周囲を海に囲まれているから、海風が爽やかで、むっとした暑さにならないですが、でも冷房を付けた方が過ごしやすいのでエアコン入れています。(笑)

さて、三笠市の一つ北にある町、美唄市にやってきました。最初に美唄の炭坑の歴史・様子を展示する資料館である美唄市郷土資料館へ行きましたが、当日の5月17日は火曜日でお休みでした。月曜日は公的施設は休館日になっているケースが多いですが、火曜日が休みとは!
旅していると、曜日の感覚が分からなくなることがあって、その時になって「あぁ~、今日は月曜日だった・・・」と、ガッカリしたこと何回かあります。もっとも、火曜日も月曜日に次いでお休みの日になっていることもあって、行くときは事前に調べてから訪問した方が良いですね。
後日調べたら、月曜・火曜が休館でした。
長旅している皆さんは、そんな経験したことないですか?

で、美唄鉄道の、現存している唯一の駅である「東明駅」へ。
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1972年(昭和47年)に廃止されるまで、住民の足として運行されていた美唄鉄道。この奥になる炭鉱から、当時国鉄の函館本線美唄駅まで結んでいた路線でした。
ここからサイクリングロードがあったけど、今は熊の出没もあってか閉鎖中。アルテピアッツァ美唄までのフットパスがあるみたいですが。
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木造駅舎の東明駅は、赤い屋根と緑の壁でなかなか素敵です。内部が公開されていれば、もっといいのですが。
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駅構内には、蒸気機関車が展示されていて、プラットホームもきちんと整備されて残されています。
廃止されてからちょうど50年、半世紀を経た今でも残されているのはうれしい!
維持管理している方がいるからこそです。ありがとうございます。
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100年以上前の1912年にドイツから輸入された蒸気機関車を三菱造船神戸で製造したものが、60年間働いていたのです。
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なかなかかっこいいですね。よーく見ると、10輪が連結しています。こちらの左側には5つの車輪がありますね。向こうの右側にもあるから、全部で10輪です。これは勾配のキツイ坂を上るためによりパワーが必要だったから?でしょうか。
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プラットホームの端は、コンクリートがはがれてボロボロ状態。
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さらに東の山の方へ進むと、旧栄小学校の校舎とグランドを活用したアート作品が展示されている
「アルテピアッツ美唄」へ。
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体育館にも展示していますが、やはり火曜日はお休みだから外の窓から覗くだけ。
ここは、1981年(昭和56年)廃校になった小学校を、美唄市出身の世界的彫刻家の安田「かん」さん(名前の方は難しい漢字を使っていて、漢字が出てきません。)の作品を展示している、いわば屋内と野外の美術館です。
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面白い作品がいくつもありますが、無料で見学できます。駐車場も完備してますが、道路沿いに停めても全然大丈夫です。
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こちら残されている校舎。1981年の昭和56年に廃校となっているから、すでに40年以上経過しているけど、建物はしっかりしてる様子。でも、内部は見学できず。開館日にまた来たい!
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では、見ていきましょう!
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ちょうど八重桜が満開で、桜の花が緑の芝生と青空にマッチしていて、とてもきれい!
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面白い作品がいくつもありますが、広いグランドだから歩くのが大変!
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白い石を敷き詰めた小さな池。
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こちらは、天まで続く白い道?
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ユニークな芸術作品を鑑賞した後は、炭鉱メモリアル森林公園へ。ここには、大きな炭鉱立坑櫓が2本残されています。
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建物の一部は自然の一部となっていて、ここも後何年かしたら木々に隠されて見れなくなるかも?
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2枚重ねで、申し訳ありません。このような説明する看板もしっかりあって、じっくりと見学できたのは良かったです。この後は、再び、岩見沢市の北村ふれあいキャンプ場へ戻り、車中泊。
となりは温泉(入浴料600円 Wi-Fi完備)で、車から歩いて行けるからうれしい!

次回は、石狩川を挟んで北西側にある浦幌町を訪ねます。
では、また!

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7月28日木曜日、天気は朝からカラッとした夏空で、今日の最高気温は29℃になる予報で恐らくは太陽の下では35℃を上回る今年最高を記録することでしょう。暑い1日になりそう~!
昨日は道内の足寄町で1時間に90mmというものすごい雨が降りましたが、函館はここ数日雨がない天気です。ニュースを見て各地で豪雨になっているから、申し訳なくくらいの上天気が続いています。

さて、三笠市に於ける炭鉄港を探る旅、今回は明治時代の集治監(後に監獄へ)です。集治監とは現在の時代の刑務所のことで、本州で犯罪を犯した囚人たちを北海道へ送っていたわけです。
その理由は、①北海道開拓に囚人たちを使おう→本州の監獄はパンク状態だったから。
      ②島ゆえに逃亡はあり得ない、など。
特にこの時代はロシアの南下が脅威で、早急に道路や鉄道などの整備が必要だったのです。そこで、囚人たちの労力を使い開拓が始まったのでした。
明治14年(1882年)に月形に樺戸集治監が、翌15年に空知(ここ三笠)、18年に釧路(現在の標茶)と次々に集治監が造られていったのでした。      
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高い煙突です。煉瓦造りの煙突は1890年に造られ高さは8mもあり、囚人たちによって建てられたものです。囚人といっても、重大犯罪を犯した人もいたかもしれないけど、多くはこの時代の士族の反乱により明治政府に楯突いた者たちで、いわば政治犯の人たちだったのです。
だから囚人として連行された人たちは元は武士で、決して極悪人ではなかったのです。
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この煙突は、現在の刑務所所長にあたる典獄が生活した家、つまり官舎の煙突で、広さは80坪もある広大な官舎だったのです。
廃止になるまでの20年もの間、3000人以上もの囚人たちが酷使されたといいます。
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所長のことを悪くは書いてないけど、道路開削や炭坑業務のために鎖でつながれた状態でのタダ働きの重労働。それに加えて真冬の寒さは、彼らの体を蝕んでいったことでしょう。多くの死者が出たのです。
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奔別(ぽんべつ)炭坑へ行く途中、廃校になった小学校のグランドには無数の案山子が!
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三笠市立美園小学校。「みその」と読むのでしょう。
大きな校舎と広いグランドは、今は使われることがありません。子供たちがいないけど、その代わりに地域の高齢者を見守るために無数の案山子が立っているのです。
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市街地から8㎞ほどで幾春別(いくしゅんべつ)の奔別地区へ。前回紹介した幌内神社のある路線とは別の幌内線の2つある路線の終点です。こちらは支線の終点の幾春別駅があった場所です。
そこには、炭鉱の跡が今も残っています。
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巨大な立坑櫓があり炭鉄港の遺構となっているから、見る側から見るとうれしい!
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地域を支えた炭坑だったのですが、石炭はエネルギー革命で無用の長物となり現在は廃坑へ。
周辺には人の営みは感じられず、生活している人はわずか。廃屋が目立ち悲しい!
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今でも赤い水が流れているのは、鉄分を含んでいるからでしょう。ここからは立ち入り禁止ののフェンスがあって入れません。
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続いて、幌内鉄道の唐松(とうまつ)駅へ。木造の駅舎がしっかり残されています。地域の人たちに愛されている駅だなぁ!と。
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駅舎内には、数々の思い出の写真が貼られていて、全盛期を偲ぶことが出来ます。
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子供たちも多かったんだなぁ~!塗り絵が張られていて、子供の絵がその時代を表現しています。
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三笠市最後に訪れたのが、「千人塚史跡公園」。
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ここには、囚人たちの合同のお墓があります。奥には芝桜がきれいに咲いています。
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鎖塚とよばれているもので、囚人たちは足首を鎖でつながれ、中には二人でつながれ(連鎖)亡くなった者もいたとか。多くの囚人たちが重労働や極寒の中で亡くなっていったのです。
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死者たちを、集治監空知公監の名で建てて弔っていますが、でも亡くなった囚人たちは天国でどう思っているのか?
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明治15年9月から明治25年12月までの10年間で、死者965人とあります。多いときで3000人以上の囚人がいた空知集治監、その3分の1ほどが亡くなっていたのでした。明治24年まで20年間続いたから残りの10年間で死者の数はもっと多いはずですが、調べようがなかったのか?それとも調べなかったのか?
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ということで北海道の開拓の歴史には、このようなブラックヒストリーがあるのですが、小学校や中学校では正直正確には教えていないのです。屯田兵の開拓の歴史ばかりが主で、囚人たちのことはほとんど触れていない教科書です。
この後は、美唄市に移して再び炭鉄港を探っていきます。
では、また!

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7月27日水曜日、天気は曇りで気温は28℃まで上がる予報です。曇りと云っても、10時を過ぎる頃から太陽が出てきてカラッとした夏の暑い日になることでしょう。
ニュースを見れば東海地方はすごい豪雨で被害も出ているようですが、こちらは梅雨上がりの真夏のような天気でやっと夏本番が来たか!という感じです。

さて、「炭鉄港を探る」のテーマで今回は三笠市へやってきました。
三笠市は、石狩炭田発祥の地であり、北海道最初の鉄道開通の地(手宮・幌内間、1882年)でもあるのです。そればかりか、道内初の電話の開通上水道の設置が行われた地でもあり、北海道開拓の歴史に深い関係のある町なのだから見過ごすわけにはいかないのです。
まずは、全体を見渡せるようにと達布(たっぷ)山(143.7m)の山頂へ。ここの展望台から見ます。車は山頂まで行けますが、車道は狭く大型車は無理で小型や軽が良いでしょう。
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山の上だから水準点がありますね。
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急な階段を上り上へ。まずは、真下にはきれいに四角に区切られた農地が見えます。青々とした農地は小麦でしょう。茶色い地は土お越しが終わり石灰をまいて、これから種まきか?
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南の方角には、遠く札幌市が見えています。銀色の札幌ドームがかすかに見えましたが、写真では見えるかどうか?
そういえば、昨日blog作れなかったのは野球のオールスターゲームを見ていたからで、夜10時を過ぎてしまいそのまま寝てしまったのでした。でも最後は、北海道日本ハムファイターズ清宮選手サヨナラホームランを打って勝利!うれしかったですね。
オールスター明けには、20近くある借金を返して少なくともプラスマイナスゼロにまで持っていて欲しいですが・・・。後半戦のビッグボスの采配に期待です!
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西の方向には、この次に訪れる月形町の円山(86m)があるのですが、どの山か見当がつかないです。
明治時代の初め、囚人たちを酷使して達布山と円山から狼煙(のろし)を上げて方向が分かるようにし、石狩川沿いの湿地帯に一直線に道路を開削したのです。三笠市には囚人たちを収容する監獄(刑務所)があったのです。対岸の月形町にも北海道初の監獄がありました。
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東の方向は三笠市の市街地ですが、最盛期の1955年頃の半世紀以上前ですが人口は6万人近くありましたが、炭鉱産業が無くなり2022年6月で7800人ほどにまで激減しています。8分の1へと減少です。
ちなみに夕張市は人口12万近くから7000人へ、17分の1へと大きく減少しています。
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それにしても、格子状の切れに区画された農地ですね。炭鉱は廃れても農業は継続されていますが、これも後継者問題があって若い人たちは親の仕事を継がないので、悲しいかな農地が放棄されているのです。
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次に訪れたのが旧三笠駅で、もともとの名は幌内太(ほろないぶと)駅。北海道初の鉄道である幌内線の駅で1882年(明治15年)に開業したが、1987年(昭和62年)に廃止。今は当時の駅舎を復元して観光用として名産品などを販売している施設になっています。
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跨線橋から撮影。左はトイレ。以前ここで車中泊したことがあったが、夜間0時ころにパトカーの職質を受けたので、ここでの車中泊はおすすめしません。それにトイレは夜間閉鎖されるのです。
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路線は2つあって、一つ目の幌内線の終点駅へ。駅跡には三笠鉄道記念館があって、以前見学しているので今回はスルー。炭鉱跡を探ります。まずは、発電所跡へ。
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ここで電力を製造していたのです。火力でもちろんエネルギーは石炭。
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旧幌内炭鉱変電所とありますね。奥には幌内神社もあるので後から見学します。この辺りはヒグマの出没地区で、もちろん笛を鳴らし鈴を付けて歩きます。誰も歩いておらず、一人だけなのでちょっと怖いけど、思いっきりホイッスルを鳴らしてビビりながら歩きます。
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すべて歩けば、かなり距離で全体像が分かりますが、今回は一部だけ。
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榎本武揚が幌内神社の額を書いたそうですね。戊辰戦争最後の戦いである箱館戦争で旧幕府軍総統にして蝦夷共和国総裁の榎本武揚は死刑になるはずだったけど、薩摩の黒田清隆が救い後に大臣まで勤めた人。
そういえば、「ゴールデンカムイ」最終回の31巻目では榎本武揚と共に戦って死んだはずになっている土方歳三が、マンガの中では実は生きていて2度目の五稜郭の戦いで今度は本当に戦死する話が出ていて、すごい面白かったのです。ゴールデンカムイは、大人になって(70歳になって!?)初めて漫画に興味を持って最後まで(1巻~31巻)購入し読み切り、とっても感動したのでした。
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今は本殿はなく、古い鳥居があるのみ。奥には石碑がありますけど、神社があったという形跡はありません。
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炭坑が開始された頃は、囚人たちも仕事を休み相撲や芝居をしたり賑わった、そんな時代もあったのですね。
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レンガ造りの建物、味わいがあります。多くの人がここで働いていたのでしょう。
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油などを保管する安全灯庫。鉄道駅にもあるけど、ここにもあったのです。以前は、魚のニシンの油や石油を使用していたが、爆発の危険もあり電気に代わり安全に使用されたそうです。
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閉じられた炭坑の穴。
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音羽抗という名の坑道でした。
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フランス式の煉瓦造りの建物。ここで仕事をしていた事務職の方もいたのでしょう。
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変電所のある場所近くの小高い地には炭坑に住んでいた方の住宅が30軒ほどありましたが、そのほとんどは廃墟になっていて、住民は一人も住んでいませんでした。
つぶれた家、形こそ留めているけど生活は出来ない家、おそらく電気や水道は通じていないでしょう。まさに、石炭が無くなると集落がすべて消滅する典型的な例です。
三笠市、見るべきものはまだまだあります。次回も三笠市続きます。
では、また!

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7月25日月曜日、天気は晴れで気温は27℃くらいまで上昇し暑い1日となった今日でした。
昨日は、夕張の悲しいばかりの現状をお伝えして後にしましたが、ここは夕張市と岩見沢市の境の峠を越えて岩見沢市の旧栗沢町へとやってきました。といっても、まだ市街地からは程遠い地区です。
菜の花がとてもきれいい!
黄色の花が青空とマッチして、とても美しい光景です。
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美流渡(みると)地区へ。ここは、かつて岩見沢駅まであった旧万字線美流渡駅跡です。
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万字は炭坑のあった場所。そして次の駅であった朝日駅跡へ。立派な駅舎が今も残っていてうれしい!
本当は、美流渡地区に「万字線鉄道資料館」なるものがあるのだけど、雪害の影響で現在は閉鎖中。おそらく経費削減で閉館していると思われます。
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ここも駅舎内へは立ち入り禁止で内部は見れないけど、ガラス越しには見えたので、少しは良かったのでした。
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ここにも「朝日炭坑」という名の炭坑があったんですね。道内でも空知管内には集中して数多くの炭坑があって、石狩炭田という名でひとくくりにしているけど、それぞれ地区ごとに炭坑があったのです。
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おそらく地元の人が手入れをして維持管理しているのでしょう。きれいに整備されていて頭が下がります。
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明治20年代から開拓された万字地区。万字炭山が開かれた大正3年(1914年)から大きく発展するものの、昭和30年代から40年代にかけて炭鉱の閉山が相次ぎ、昭和60年(1985年)に万字線の歴史にピリオドが打たれたのでした。71年の命だったのです。
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で、この日は岩見沢市の北村ふれあいキャンプ場へ行き、そこで車中泊したのでした。写真は翌朝の1枚。テントを張っているキャンパーも結構いました。
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ここの良さは無料というだけではなく、となりに温泉があること(600円ですが、フリーWi-Fiがあって助かります)。キャンプ場が広くて芝生がきれい!
遊歩道を歩くと公園に出て自然豊かな素晴らしい公園であることが分かります。
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気持ちの良い遊歩道です。左側には小さな小川が流れていて、多分水田への水路ではないでしょうか?
両側の白樺の木々が素敵です。
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で、北村小・中学校のグランドへと出ます。小高い丘になっているところから撮影。決して立ち入り禁止のフェンスがあるわけではなく自由に出入りできますが、ここは遠くから校舎を眺めるだけにします。グランドの芝生が良い!これだと自由に走り回り、遊ぶことが出来ますね。
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広い!広い!これだと何でもスポーツが出来ますね。鬼ごっこしてたら、絶対捕まらないかも?
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こちらは西側で道路を挟んで向かい側には神社があります。その奥は緑の屋根と赤い壁の牧場でしょうね。
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南側は農地で、田植えをしたばっかりの水田が広がります。旧北村は2006年3月27日に栗沢町とともに岩見沢市に合併しています。旧北村は農業地区で、特に水田が主。
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で、この日は三笠市へと向かいます。その途中で見た、こちらは小麦地帯。秋にまいて冬を雪の下で過ごした小麦が、今青々と育っています。これが7月後半になると、それこそ小麦色の明るい茶色になっていくのです。
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旧北村は完全に農業地帯で、小麦も菜の花もあちこちで見れたのでした。
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で、次回は三笠市で北海道初の鉄道が敷かれた歴史を見てきます。
22日の金曜日に打った4回目ワクチン接種は、土曜日1日だけ具合が悪いだけで翌日曜日からは元気回復で、今日の月曜日はいつも通りに畑仕事に精を出していて、一安心。
もう打つことはないと思いますが、最近の感染者数が激増していることを思うと、5回目もあるのか?と憂う心配もあるのです。もう、コロナはこりごり!早く収束してもらいたいですね。
では、また!

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7月24日日曜日、天気は朝方は晴れで午後からは曇り。
雨は降らず、今日は外で仕事が出来るうれしい日です。今日は晴れたので、久しぶりに畑仕事。朝食には朝採ったサンチュをパンにハムと一緒に挟んでサンドにし、ジャガイモはすべて収穫して乾燥させます。シソはジュースとシソ味噌に、トマトキュウリは生で食べました。無農薬で育てているから生で食べるのは安心ですが、葉っぱに虫がついて、時々ビックリすることもあるけどやっぱり自分で育てた野菜は格段に美味しい!のです。
さて、今日は夕張特集。昨日の最後に道の駅「夕張メロード」に到着したことをお伝えしましたが、今日の1枚目は、その向かい側にある夕張神社です。かつては、大いににぎわった神社だったのでしょうが、今は閑散としています。
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国道274号線を挟んでいるので、南側に移動すると大きな広場が見えたので寄ったら、「紅葉山小学校之碑」が。道の駅がある場所にはJR新夕張駅があるけど、かつては「紅葉山駅」だったことから、この地区は紅葉山という名前だったのです。というか、今でも紅葉山です。
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明治35年に開校し、昭和61年に閉校していますね。1902年に開校、1986年に閉校しているから84年の歴史があったのです。
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のぞみ小学校になったのは、その後校名が変わったからか?現在は老人ホームになっています。
子供の数より高齢者が圧倒的に多いから、各地で学校はつぶれて逆に校舎は老人ホームになっている現状があるのです。
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体育館は、老人には使われることはないしょうね。ジャングルジムや鉄棒も。
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野球やサッカーは高齢者はやらないから、広いグランドにはタンポポがいっぱい咲いています。
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散策したらかなりの廃屋が目立ち、さらに真谷地地区へ行くとさらに悲惨な状況に。写真に見える地区は廃屋だらけです。
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南清水沢駅はかつては左半分がカフェだったけど、夕張線廃止に伴って駅はもちろん廃止へ、カフェも営業していないようです。
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ホームは立ち入り禁止のフェンスがしてるし、雑草だらけです。
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夕張川を挟んで向かい側には、元炭鉱住宅がいくつもあるけど住民はまばらに住んでいて、ほとんどが空き室です。
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夕張市は広いエリアで、現在の北海道知事の鈴木直道氏は、市長時代にコンパクトシティ構想を提案したけど、住民にとっては無理だったのでしょうね。住む慣れた地を離れて一か所に集まれというのは、高齢者には出来ない提案だったのしょう。でも、こうも広い地区にポツッ、ポツッと住んでいては効率が悪すぎます。
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4階建ての団地にはエレベーターはなく、だから高層階には住民はおらず、1階にも一人それも高齢者が一人住んでいいるだけ。あまりにも悲しい現実があるのです。
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住民の半分以上は高齢者で、この先はどうなっていることでしょう?かつて12万人近くいた夕張市も、今は7000人を切る段階に。石炭産業は完全に消滅してしまったのです。
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奥に見える白い建物は、市の唯一の小学校である「夕張小学校」。遠い地区の子は、当然スクールバスで通学しています。
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南夕張駅方面へ。かつては私鉄が走っていた地区も、巨大な湖であるダム湖のシューパロ湖が出来たために、ほとんどの地区は湖の底へなり消滅。
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昔の列車のみが展示されていますが・・・。
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幸福の黄色いハンカチ」の映画だって、1977年の映画なんですよ。もう45年も前の映画です。我々の年代の人は知っているけど、主演の高倉健さんは8年前の2014年に亡くなっているのです。若者は興味がないでしょうね。行くのは私のような高齢者が多いですが・・・。倍賞千恵子さんも年を取りましたねぇ~。
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夕張鹿鳴館へ。かつて炭坑の幹部たちの集まりの場だった鹿鳴館。その名の通りに豪華な建物でしたが、今は閉鎖中。20年以上前に入館したことがあったけど、石炭全盛期は豪華絢爛の時代だったのです。今は維持管理が難しいのでしょうね。公務員も少なくなっているし、給料は全国一番安いから辞めている人も多いと聞きます。もっとも、財政破綻して再建途上ですので当然でしょうけど。
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最後に、石炭の歴史村へ。ここも火災が発生してやっと鎮火。その後一部が営業再開したけど、来る人いるの?といった現状です。
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自分の子供が小学生の時は、毎年のように夕張市へキャンプしに来ていました。丁未風致公園という名の公園がキャンプ場で、無料。その近くには「夕張メロン工場」があって、メロンのゼリーが食べれたのです。お風呂も使用できる施設もあったけど、今はなし。
石炭の歴史村には、遊具もたくさんあって遊園地としても大勢の観光客を集めていたのですが・・・。

今の夕張を見ると、あまりにも悲しい現実を見せられてしまって去りたくなりました。
峠を越えて、夕張市を後にすることにします。
では、また!

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7月23日土曜日、天気は曇り。昨日4回目のワクチン接種をしましたが、それがモデルナだったからなのか?は分からないけど、やはり3回目同様に昨夜から体調が悪く、今日は今まで横になって休んでいました。
打った時は何とも感じず、今回は大丈夫かな?と安心したのもつかの間、夜寝た時から打った左腕が痛く左に寝返りが出来ない。さらに腰が痛くて昨夜はほとんど寝れず。それが朝起きた時は体中倦怠感で、寝るしかないほどの状態でそれが昼過ぎまで続き、やっと今3時を過ぎてから少し体が動けるようになったのです。それで、デスクに向かってblogを作成しようかな?と。
明日は元気になると良いのですが・・・。

さて、昨日の続きです。遠浅駅には駅前の広場に、こんな大きな石が。「飛雪百年」。
明治の時代に、山形県出身者によって原生林が開墾されて一大農地へとなった歴史が書かれています。
北海道の内陸部は、ほとんどの地域が本州や四国・九州からの開拓者によって切り開かれ、今日のように日本最大の農業生産地となった歴史があるのです。
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続いて安平(あびら)駅へ。この辺の中心的な集落は一つ手前の早来駅周辺。町役場もありますからね。
安平町は、2006年3月27日に早来町と追分町が合併して成立した歴史があります。今年で16年目の新し町です。
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さて、今日の宿泊地の追分・鹿公園キャンプ場に到着して、時間があるので町内を少し散策します。
まずは、公園の前にある跨線橋を渡ることにします。朝は、汽車通する高校生が一番列車に乗るために、朝6時前からここを渡り駅に向かいます。朝7時過ぎからはこの周辺の小学生が元気よく渡って、橋の向こうにある追分小学校へと通っていてここは子供たちにとって、いや住民にとっては大事な跨線橋なのです。
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200m以上はありそうな橋の中央部分から駅を見ます。さすがにここは、石勝線室蘭本線の2つの線が停まる駅だけあって有人駅です。
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かつては何本も線があったのでしょう。広大な駅の敷地です。蒸気機関車が向きを変える転車台もあったのです。
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周囲には、多くの国鉄職員が住み活気があった町だったのです。ここは、まさに鉄道員の町としてにぎわっていたのです。
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転車台は、中央部の草が白く変化している辺りでしょうか?職員住宅の団地も見えていますね。こんな地は、道内至る所にあったのです。例えば、長万部音威子府(おといねっぷ)などもそうです。
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で、駅に到着。駅構内にはミニ資料館がありますので入ってみましょう。
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日本には、追分駅がいくつもあるのですね。秋田県や長野県、三重県、岡山県、福井県、滋賀県にも。
追分という意味は道が分かれるから、二股に分かれた地域は追分という名前が付けられたのでしょう。
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台湾にも追分駅があるんですね。となりは成功駅!
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過去から現在、未来へと。時代の玄関口として機能する追分駅ですが、鉄道はいつまで続くのか?
先日も留萌本線の廃止となって、ますます道内の鉄道網は少なくなるばっかりです。
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蒸気機関車D51の顔です!かっこいいい!!
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駅から歩いて道の駅へ行く途中、広大な農地が!青々とした野菜は何何だろう?
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追分のマンホールは、D51です。さすが!
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追分神社。残念なことに、狛犬は2つとも2018年9月6日の胆振東部地震によって壊れたままでした。
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キャンプ場では自分ひとり。5月15日の日曜日で翌朝は月曜日だから、サラリーマンや子供たちはキャンプしないですね。これが金曜や土曜日だったら、キャンプ場はいっぱいになっていたかも?
左に水道、となりは炊事場、裏側には清潔なトイレ。キャンプ場としてはほぼ満点です!
欠点は、新千歳空港に近く、夜9時過ぎまで飛行機が上空を飛ぶ音がうるさく、とくに雲が低く垂れこめている時はかなりうるさいこと。それも10時を過ぎると閑静になり、今度は深夜に走る貨物列車の音が時々聞こえるだけです。
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で、翌朝の行先は夕張。で、まずは道の駅へ。
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今回は、北海道の歴史を構成した「石炭」・「鉄鋼」・「港」炭鉄港を巡ること!
まずは、ゆっくりと夕張を走ることにします。
では、また!

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7月22日金曜日、天気は曇りで夜から雨の予報です。気温は最高で25℃まで上がり、蒸し暑い日になりそう。
今日は12時に4回目のワクチン接種があり、恐らくは今日と明日は寝込んでいるかも知られないので、ちょっと恐怖を感じています。前2回はファイザー製で何とも痛みはなかったけど、3回目のモデルナ製では1日寝こみましたからね。打った右腕が痛いのと、倦怠感で何をするにも億劫になり動けなかったのです。
まぁ、それでも高齢者でもあるし最近激増している感染者数(昨日は全国で15万人、函館でも初の300人突破)を見ると、打っておいて損はない!それに感染しても重症にはならないだろう、との思いで行ってきます。

さて、ここは苫小牧市のウトナイ湖。前夜に車中泊したむかわ町の道の駅からは、およそ30㎞西に位置し、前回のblogの厚真町のサーファーがいた海からは15㎞程の距離です。
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今はいる場所は道の駅「ウトナイ湖」に隣接しているウトナイ湖展望台で、高さ17mの位置から撮影しています。
周囲は9㎞で、もともとは海。海の跡で砂州に囲まれて湖となった海跡湖。いわばラグーン(潟湖)です。だから深さはあまりなく、せいぜい1m以内の深さだから立って歩けますが、それは野鳥のサンクチュアリだから禁止ですよ。
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100mほど離れた場所に、ウトナイ湖野生鳥獣保護センターがあるので後から寄ってみます。
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支笏湖方面の北西の方向を見ると、左側から樽前山や風不死岳、恵庭岳や紋別岳が見えています。あの山々に囲まれているのが支笏湖です。
前の道路は、北海道の一番の幹線国道である国道36号線
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南の方向を見ると、苫小牧市の工業地帯が見えるかな?と思ったらそれほどの遠望はないみたい。
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エレベーターもあったけど、階段を歩いて上り、歩いて下り湖の水面へ。北海道の自然100選になっているのですね。
美々川(びびがわ)流域とありますが、千歳市にある旧美々駅(残念なことに2017年3月4日に駅は廃止されています)付近の湿地帯から流れてウトナイ湖に注ぎ、勇払川の名で太平洋に流れています。注ぐ川は2つで、美々川とオタルマップ川。流れる川は1つだけ。
地図を見ると、千歳市は日本海と太平洋との分水嶺で、支笏湖から流れてきた千歳川(7月14日のblog参照)はやがて石狩川に合流して日本海に流れていき、その間に千歳市、特に造成された地の新千歳空港があるのです。地図を見ると面白い!のです。
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国内では4番目のラムサール条約登録(1991年)ですが、北海道では3番目。それだけ北海道には自然がまだまだ残っている証拠です。動植物の宝庫にして野鳥の楽園で、270種以上の野鳥が生息し観測しているとのこと。
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この日は風が少しあって波が立っていますね。太平洋に近い(およそ8㎞くらい。ほとんど平坦な地)こともあってか風の影響を受けるのでしょう。
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南の太平洋側の地は、見てお分かりのように山はないしほぼ平坦ですね。
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ウトナイ湖野生鳥獣保護センターへ。ここで学び、地図を見たらさらに1.5㎞先に遊歩道を歩いて行くと「ネイチャーセンター」があるので行ってみます。
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この写真を見ても分かる通り、人工的に掘って造成した苫小牧西港からはわずかに4㎞程の距離です。
汽水湖からな?と思ったら淡水湖でしたね。
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こんな素敵な遊歩道を歩いて20分ほど。木々に囲まれてマイナスイオンいっぱいで、気持ち良い!
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途中に、「真っ赤な川」が。
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こちら上流側。
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こちら下流側でウトナイ湖に流れています。
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よくよく見ると、赤いというよりは茶色っぽい。上流の勇払湿原のバクテリアによるものだそうです。
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ランチは、道の駅でこの名物(ホッキ弁当 苫小牧市はホッキ貝が採れ名産)を食べ、午後は室蘭本線駅巡りの旅へ。ここは遠浅(とあさ)駅
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名前の由来は?もともとは海で、遠くまで浅い海だった遠浅だったから?
調べてみたらアイヌ語で「トワ・サ」(羊歯の原)、または「ト・アサム」(沼の奥)、「ト・サム」(沼の端)でした。
まぁ、そうですね。北海道のほとんどの地名はアイヌ語を漢字に当てはめていますからね。
江戸時代以前からあった町は、松前や江差、函館など幾つかしかありませんからね。
次回も駅巡りして安平町へと向かいます。
では、また!

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7月20日水曜日、天気は朝から雨。昨夜は豪雨警報のアラームが鳴るほどの激しい雨で、今週も天気は悪い。10時現在では雨は止んでいても、雲は低く垂れこめていて晴れる見込みはありません。
早く太陽が出て、夏らしくお日様がサンサンと輝く日が来てもらいたいです。

さて、2日目は道の駅「縄文ロマン南かやべ」にて、たった一人で車中泊。起きた時は雨。雨の日は移動日にしていて、八雲から自動車道に乗り、一気に苫小牧市へ来ました。それも、市の東端の勇払(ゆうふつ)駅の近くにある勇武津資料館へ。雨は降ってはいないが曇り空で、相変わらず天気は悪いです。
ここは、苫小牧市市政施行50周年八王子千人同心移住200年を記念して21年前の2001年4月に建てられた資料館です。無料です。
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ここ来たのは、幕末蝦夷地を開墾する目的でやって来た八王子千人同心の歴史を知るためです。
ここは、資料館の前にある千人同心たちのお墓。
八王子千人同心とは、江戸時代幕府の直轄地だった武蔵の国の多摩郡八王子に配置された譜代の旗本及びその配下の武士たちのこと。
彼らは幕末に蝦夷地警固(ロシアの南下が脅威だったので)と蝦夷地開拓が目的で、当時の勇払(苫小牧東部)へやって来たのでした。
千人とは頭10人がそれぞれ100名ずつを組織したから。
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しかし慣れない遠方の地で、しかも冬の寒さは尋常ではなく、それで亡くなる人も多く出たのです。
ここは彼らのお墓です。
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彼らはここ以外にも道東の白糠などで開墾し、さらには戊辰戦争最後の決戦だった箱館戦争で旧幕府軍側として戦い敗れ、それは函館市近郊の七飯町にもお墓があるのです。その彼らの足跡をたどり、ここへやってきたわけです。
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では、内部へ入りましょう。
となりのむかわ町にもお墓がありますね。実は、ここへは偶然ですが6月の旅で訪れています。
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白糠町へ何度か行っていますが、ここはまだ訪れていないので、何時かは訪問したいです。
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ここでは、館長さんや学芸員の方が詳しく説明。実は千人隊の一人の子孫である5代目が七飯町に住んでいるとのこと。話をしていたら、その人の息子さんが6代目に当たり、私の教え子と分かりビックリ!
いつか七飯町の6代目に会いに行きたい、と思った次第です。
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勇払には、このような番所があったのです。上陸したのが苫小牧市の東海岸で、砂浜海岸だったから難なく上陸できたのでしょうね。
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それにしても、温暖な八王子から来ると、夏は良いけど冬は大変だったはず。病気や寒さ、飢えで多くの人が亡くなっていったのです。
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蝦夷地開拓移住隊士の墓とありますね。これを読むと、千人のうちの100名がやって来て、50名は道東釧路市の西隣の町の白糠へ、50名は勇払へ来ています。さらに15名ずつが増員されています。
警護の他に、道路整備や畑などの農作業もしていたのでした。
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で、この後は教えてもらった苫小牧市美術博物館(入館料300円)へ行き、さらに八王子千人同心のことと苫小牧市の歴史を学んだのでした。
その日は、となりの隣町のむかわ町の道の駅「むかわ四季の館」で車中泊。「HO」で無料で温泉に入り広い駐車場で寝たのですが、5月14日の土曜の夜もあってかここは大勢の車中泊の車が多くて、なかには夜中に音楽を鳴らすダライバーや暖房を入れるためかアイドリングする車もあって、うるさかったのでした。以後は、ここでは車中泊しないようにしよう!との思いです。
日付が代わって5月15日日曜日の朝。むかわ町と苫小牧市の間にある厚真町の海岸へ。ここは道内では数少ないサーフィンの海。朝8時前で早かったけど、早速サーフィンしている方が。
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全身黒づくめのウエットスーツ。水温は20℃もないだろう。寒いと思うけど、サーフィンは冬でもするのですよね。
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そして、となりの原っぱではマウンテンバイクのレースがあるみたいで、日曜日だからでしょう札幌市や遠く帯広市からも大勢の参加者が開始前に練習していました。
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自分も以前にマウンテンバイクに乗っていたから、興味はあったけどレースは2時間後なので見学は断念。
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載っているサイクリストは楽しそう!
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で、昨日と同じ再び勇武津資料館のある公園へやってきました。ここには他にも見るところがるのです。その一つである北海道開拓使三角測量勇払基点の碑。
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ここから正確に三角測量が始まったのです。
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ということで、この後は同じ苫小牧市の観光名所の一つであるバードサンクチュアリに指定されていて、ラムサール条約にも認定されたウトナイ湖へと向かいました。
それについては、また次回で!
では、また!

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7月19日火曜日、天気は午前中は晴れ、午後から曇り時々霧雨。気温は最高で27℃まで上がり蒸し暑い1日でした。本州では線状降水帯が発達して豪雨となっている地域もあり、被害が出ている町もあってとても心配な状況です。どうかこれ以上雨が降らないで!と祈りたいです。

さて、ここは旧椴法華(とどほっけ)村(2004年12月1日、戸井町・恵山町・椴法華村・南茅部町の4町村は函館市と合併しています。)の水無海浜温泉
もちろん無料で入れるし、着替え場所の小屋もあります。ただ、満潮時は海水が入り込み冷たくなるし、干潮時は底から熱い湯が出ているので熱くて入れません。函館市のHPでは入浴できる時間帯を知らせているので、訪れる時は事前にネットで調べていった方がよろしいかと思います。自分が行ったときはバッチリの時間でした。
左の湯船からは湯気が出ているのがお分かりですね。
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ちょうど良い湯加減で、ここで登山の汗を流し疲れも取れたのでした。
女性の方は水着を用意してきた方が良いでしょうね。なにしろ、ここは混浴ですからね。
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崖側の大きな岩に、魚へんに中華の華という字でしょうか?何と読むのでしょう?
漢和辞典で調べても出てこず、ネットで調べてやっとのこと分かったのですが、「ホッケ」を意味するとか。
そういえば、ここ椴法華村の名前の由来については、「昔、中国(唐)から渡って来た人が、漁師が多い地元の人たちを幸せにするためにホッケをもたらしたとか」それで、「唐、渡、ホッケ」から椴法華となった、というお話があります。それで、ホッケの漢字が書かれているのかな?
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実際は、アイヌ語で「トゥポッケ」(山の走り根)から来ている説が有力だそうです。
温泉から上がり灯台へ。恵山岬灯台です。
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1890年(明治23年)に点灯したとのこと。
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公園内にある灯台資料館は閉鎖していて見学できず。見学者が少ないからかな?それとも市の施設では利用者減から合理化されて閉鎖中なのか?
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続いて旧南茅部町へ行きます。その前に椴法華村の海岸へ。ここはサーフィンの地で、よく大会が開かれている海でもあるのです。この日は一人もおらず残念。
左の山沿いには旧道がありますが、土砂崩れもあって旧道へ閉鎖。山を貫く長大トンネルが出来ています。
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奥に登山した恵山が見えていますね。この辺では崖がなく砂浜海岸があって、波もあるからサーフィンの海岸になっているのでしょう。それに道南は、海水温が道内では一番暖かいからもあるのかな?
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で、旧南茅部町の垣ノ島遺跡へ。
2011年(平成23年)に国の史跡に指定されていて、東日本の縄文文化の代表的重要な遺跡の一つになっていて、それから10年後の2021年(令和3年)7月の「北海道・北東北の縄文遺跡群」としてユネスコの世界文化遺産登録が決定しています。
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時代は縄文時代早期から後期(約9000年前~約3000年前)にかけてで、かなりの長期間にわたり縄文人の生活の痕跡が残された遺跡です。
竪穴式住居や墳墓、国内最大級の盛り土遺構も発見されていて、石器・土器・装飾品など20万点以上の遺物が出土しているのです。
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奥のコンクリート造りは、縄文文化交流センターで、道の駅「縄文ロマン南かやべ」も併設されている建物。そこには、北海道では唯一の国宝である「中空土偶」が展示されいます。
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左端は国道278号線のバイパスが走り、海沿いには国道278号線の旧道が走ってインす。遺跡は高台で標高30~40mほど。かなり広い遺跡で、ゆっくり見学しながら歩くと30分以上はかかります。
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上の地図の右端の方まで歩いて来て山側を望むと、遠くに文化センターの建物が。広いことがお判りでしょう。
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窪みには竪穴住居があったのですね。それにしても9000年前から3000年前まで、実に6000年間もここに人々が住み続けたのです。6000年間、戦争もなく飢餓もなく人々が平和に生活続けたことが驚きです。
それに比べて、今の人類は文明こそ発達したけど、この1世紀の間にどれだけ戦争があって多くの人が亡くなったことか。今でもウクライナで戦争があって、たくさんの市民が殺されていることか!
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長さ190m、幅120m、高さ2m以上の国内最大級の盛り土で、土砂を特定の場所に盛り上げた地。ここでは、貝、魚や動物の骨など食料の残りや、土器や石器の道具、さらには墓もあったのです。
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縄文人が暮らした時代は、温暖でこの辺りが海辺。だからここから漁に出ていたのです。
今から9000年も前に、縄文人たちは「しょっぱい川」と呼ばれた津軽海峡を渡り、北へ南へと、北東北とは舟で往来していたのです。これはすごいことですよ!
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ということで、ここではガイドさんが無料で説明してくれるし、資料室もあってとても学べたのでした。で、この日はここの道の駅で車中泊。夜トイレタイムで起きた時は、誰もおらず一人ぼっちの車中泊でした。もっとも、そんなことはよくあることで「一人で寝ていて寂しくないか」と聞かれますが、一人の方がどれだけ安心であることか。多くの車が車中泊している道の駅は、逆にうるさくて疲れるのです。
で、翌日は雨。雨の中を自動車道を使って、一気に苫小牧市へと向かったのでした。
次回からは、苫小牧市からお伝えします。
では、また!

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7月18日月曜日、天気は朝5時の段階では曇りでしたが今8時20分になり、やっとというか久しぶりに太陽が顔を出してきました。しばらく見れなかった晴れになりそうで、うれしい!
今日は海の日で月曜日ですが祝日でお休みで、16日の土曜日からは3連休。家の近くのホテルはほぼ満員状態で、函館にも大勢の観光客が来ていますが、ただ気がかりなのは感染者数が急激に増えてきていることです。私が夏の旅に出発した7月2日の段階ではまだ少なかったのですが、旅の中盤頃から増えだしてきて、最近では過去最多を記録して1日10万人を超えていて、とても心配です。
自分自身は今月22日に4回目のワクチン接種接種があって、少しは安心できるかな?と思っていますが、それでもここのところの増え方には危惧を感じています。早く収束できればいいのですが・・・。

さて、今日からは5月に道内を旅した「5月の旅」の、それはカメラで収めた写真を基に総集編をしばらくの間お伝えいたします。今回の目的の一つは、「炭鉄港をたどる」です。北海道は、明治時代から石炭の本場でしたが、戦後の昭和40年代のエネルギー革命により、衰退し今は全くと言っていいほど生産していません。
その石炭に関する地を探るのが今回のテーマです。

まずは、1枚目。それは炭鉄港とは全然関係ない山の山頂です。
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道南の活火山である恵山(618m)の山頂です。海から直接噴火してせり上がった山です。
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ガスっていて空はハッキリとは見えないけど、ここが山頂です。
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恵山町をズーム。中央に廃校となった恵山小学校校舎と校地が見えますね。左下に黄金の仏像も見えていますが、あれはバブル期のものです。一番左端には金閣寺をパクったお寺もあります。それもバブル期の生き残りです。
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砂浜の海岸線の中央部、茶色の建物に、前夜に車中泊した道の駅「なとわ・えさん」があります。「な」とはあなたのことで、「わ」はわたしのこと。つまり、「あなたとわたし」という意味です。
左側に国保病院、そのとなりの画面では一番左端に工場があります。
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恵山は、中腹にある駐車場からゆっくり歩いて1時間半あれば登頂できる初心者の山。
海岸線からだと、こちらはきつく3時間以上はかかりますね。
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下山途中に、ガンコウランの小さな可憐な花が満開。ちょうど5月は花の時期です。
ガンコウランはツツジ科の小低木で、10㎜ほどの実がなりジャムにしたり出来る果実です。
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登る時はカメラを1枚も撮らなかったのに、下山時は余裕があるのか何枚か撮影。山頂はガスが流れて下界が少し見えたけど、降りてくるとガスの中。視界は50mもないほど。
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それとあちこちで噴煙が上がっています。ここもそう。恵山は戦前は硫黄の産地として、このような場所で採掘が行われていたのです。目的は爆薬やマッチの原料。道南は、火山地帯だから各地に硫黄鉱山があった歴史があります。
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登山道にはあちこちに落石があり、このように道をふさいでいます。こんなのが落ちてきたらひとたまりもありませんね。怖~いです。きっと、もろい岩盤なんですね。
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ここもそう。
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落石があって、道がずれていたり。「落石注意」の看板もあちこちにあります。
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で、無事に下山。向かい側には「海向山(569.4m)があるけど、今回はパス。ここは熊が出る地域だから一人では怖いです。恵山は単独で登山しましたが、途中で一人下山してくる登山者がいて一安心したのです。
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で、下山後はお決まりの恵山海浜温泉へ。
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2枚重ねで申し訳ありません。
ここは、海底から温泉が湧き出ていて、ちょうどグッドタイミング!海水と混じり熱くもなく冷たくもない、湯加減はちょうど良好だったのです。
湯舟には、函館市内から来ていた人が(もちろん男性)一人いて、「良い湯加減ですよ」と。
で、次回はここの湯を紹介して次の旅へと向かいます。
では、また!

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7月17日日曜日、天気は今日も雨。このところ天気の悪い日が続いていて、明るい夏の太陽を拝めていません。
我が家の太陽光発電も、4月、5月、6月中頃までは順調に発電してたのですが、6月下旬から7月にかけて例年よりはかなり低い発電量で、特に7月は全く低いのです。梅雨のないと云われる北海道でも、雨が続く夏になっています。
暑さを避けて北海道に旅しに来た本州の方々は、悪天候が続いていてがっかりしているのではないでしょうか。

さて、夏の旅を終えて帰宅後、雨の中でも直ちに畑仕事に取りかかりました。まずは、3月末に植えたジャガイモ。もう葉っぱが枯れてきて収穫の時期です。
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スコップで掘り起こすと、新ジャガイモが採れるわ、採れるわで、まずはホンの4本だけを収穫。
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早速、塩茹でにします。取り立てだから、皮をむく必要はありません。皮を手で擦るだけで良しです。皮が柔らかいから土を取れるし、ポロッと皮剥きが出来るのです。
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茹でます。沸騰してきたら塩を少々。
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お湯を捨てて、蒸します。
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お皿に盛って、ご覧のように美味しいそう!バターを付けて食べます。
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こちらは三つ葉。ボウルにいっぱい採ってきましたが、料理すると少しになるんですね。
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水で洗って、沸騰した鍋に入れて茹でます。こちらも塩を少々。
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1分か2分ほど茹でたら、冷水につけて冷まして。
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水を絞って、包丁で5cm間隔くらに切ります。
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それにツナ缶を使って混ぜます。
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それを冷蔵庫で冷やして、お昼のおかずにします。新鮮だから美味しいですよ。
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ビーツも大きくなりました。妹にあげたら、ぼボルシチにして写真をLINEで送ってきました。
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サンチュもかなり大きくなって、毎日数枚づつサンドイッチにして食べています。
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こちらは5月末に植えたジャガイモ(種類は男爵イモ)。花が咲いてきて、こちらは8月頃に収穫出来そうです。
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キュウリも何本も取りましたが、こちらも数日後に収穫出来そう。
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ミニトマトも食べています。日が当たるところから真っ赤に実るんですね。
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ピーマンも1個収穫。次のがどんどん出来ていて、花が咲いています。
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赤紫蘇がたくさん!勝手に生えてくるのです。紫蘇味噌にします。
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茗荷は9月頃には収穫出来そう。
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ということで、我が家の畑は収穫の時期になり、新鮮な美味しい野菜が毎日採れるから、うれしいのひとことです!
雨が激しく降って来ました。太陽が見えないのは、困ったものです。晴れが欲しい!

では、また!

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7月15日金曜日、天気は朝から雨。最近は天気が悪くて、さらには明日、明後日も雨のマークが付いていて、太陽の出番がしばらくないようです。
昨日の洞爺湖の出口。出口というのは、洞爺湖もカルデラ湖だけど、ここも外輪山の一部が切れていて、川となって流れ出しているのです。湖から流れ出た川はすぐに壮瞥滝となり、やがて長流(おさる)川に合流して噴火湾に注いでいます。
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今朝の洞爺湖。かろうじて中島は見えるけど、その奥に見える秀峰の羊蹄山は見えず。ガスっていて、雲は低く垂れ込めています。
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当然、遊覧船は動かず。今日など観光客はどこへ行くのでしょう。
今年は、コロナ3年目に入り自粛も限界になっているし政府も自粛を求めてなく、道内には大勢の旅行者が来ています。目立つのはライダーが多いこと。さらにはキャンピングカーや車中泊の道外ナンバーの車が多くて、場所によっては何十台も宿泊して道の駅もあるのです。
それと、キャンプ場も金曜や土曜日は多いですね。でも、さすがに今日は雨が降っているから来ないかな?
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豊浦町に入り、大岸駅へ。周囲は漁村らしい風景ですが、廃屋も目立ちます。高齢で離村する方が多いのでしょうね。
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ホームに立つと、なおさら寂寥感がします。さびしさをひしひしと感じる集落です。
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カムイチャシ史跡公園へ。アイヌの砦があった場所です。
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道内には何ヵ所もアイヌの砦があって、それらは日本百名城にもなっています。道内では、根室半島のチャシ跡群、函館の五稜郭、松前城の3つが日本100名城になっています。
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こんな崖の上に築かれた砦でした。デフェンスするのに好都合だったのでしょう。
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今日は夏の旅最後の日。最後はいつものように、八雲の山越にある水を汲んで帰ります。
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森町へ。ここの道の駅は、トイレタイムでは何度も寄っていますが、中に入るのは初めて。
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小雨の中、公園内を散策したら、「日本冷凍食品発祥の地」の石碑を発見!読んでみたら、ニチレイが初めてなんですね。
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ここは「オニウシ公園」といって、桜の名所なんですが、今はもちろん桜は咲いておらず、アジサイだけでした。
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お昼頃には帰宅。今回も無事故・無違反で帰宅。
今年は4月に東北6県を15日間、5月は炭鉄港を求めて主に空知地方を12日間、6月は十勝地方を主に11日間、そして7月は道東、主に釧路・根室、オホーツク地方を徹底的に探る!をテーマに14日間、今年の合計はこれで52日となりました。
この後はしばらくお休み。
まずは、ほったらかしになっている畑仕事に取りかかります。畑の収穫物などはblogにてお伝え致します。
明日16日は6000km走ったのでオイル交換を予約、18日にはお坊さんが来て法事。22日には4回目のワクチン接種(モデルナ製なので、ちょっと怖い。前回はモデルナで1日寝込みましたからね。最初の2回はファイザーで全く問題なし。)が待っています。

ということで、まずは今年上期の旅を終了。下期は9月末辺りから10月にかけて涼しくなった本州へと遠征しようかな?と考えています。

まずは、夏の旅完結です!
では、また!

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ここは道の駅むろらん」の前庭にあった「白鳥大橋記念石」。海面下50mの場所から掘り出したものとか。
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パークゴルフ場とその奥に白鳥大橋。その後渡るのですが、背の高い車は風を受けて揺れるのです。前回はかなりの強風で揺れるわ!揺れるわで怖かった思いがあったのですが、今回はそれほどでもなかったです。
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伊達市→壮瞥町へ。郷土資料館を見学したかったのですが、大横綱の北の湖記念館と同じ建物内にあるのです。250円を支払い入館。
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幕内優勝が確か24回だったかな?憎たらしいほどの強い横綱というイメージがあるけど、実は私はそれほど相撲は好きではないのです。
だから、ホントはスルーしたかったけど、一応目を通しました。
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昔は、北海道出身の相撲取りは多かったのです。横綱も大勢輩出していて、千代の富士を始め十勝出身の横綱もいますよね。名は忘れたけど、何人もいたはず。
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行司の衣装も展示。
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ホントは、これを見たかった!旧胆振線の跡です。1986年に廃止された旧国鉄の胆振線。係の人に尋ねたら、ほとんど痕跡はない、とのこと。
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明治の時代に入植した人たちの住居は、こんなに質素というか簡素、いや粗末な家だったそいうです。これじゃ、となりの熊が押し寄せたらひとたまりもないでしょうね。
苫前町の三渓で起きた熊の殺人事件を思い起こします。
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昭和新山や有珠山など今でも噴煙を上げる活火山のある壮瞥町。これに関しては、詳しい資料がたくさん展示しています。
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最後に、「HO」を使って無料の温泉に入りました。

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今は、壮瞥町の道の駅でblog作成中。
この後はここで寝るか、キャンプ場に行くか?迷うところ。天気悪いですね。明日も雨が降るかも?
では、また!

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