函館発  ぼうけんの旅

旅が大好き!2013年4月から始めて「ぼうけんの旅」は今年で12年目に突入。 車中泊中心の貧乏旅行の旅、今年で72歳を迎えいつまで続けれるのか?今のところ体力・気力はバッチリ。 いよいよ「2025 年ぼうけんの旅」は4月「春の旅」からスタートです!

2025年が明け今年は73歳を迎えて、体力的には厳しくなってきている車中泊の旅。いつまで出来るのか?まずは75歳を過ぎるまでは続けていきたい!と。未知の地を訪ねて、行くぞ!軽バン一人旅の始まりです。

2021年01月

1月30日土曜日、天気は昨夜から連続で暴風雪。朝起きたら結構雪が積もっていました。といっても、15㎝くらいで他の豪雪地帯に比べたら大したことはないのですが、ただ重いベタ雪だったので1時間ほど費やした雪かきは疲れました。

さて、弥生坂から北西方面へ横断します。この辺りも「函館のビバリーヒルズ」らしく私的な家並みが続いています。特に、左側の奥に見える緑の屋根の家などは素敵に映りますね。
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緑色の屋根の家は、やっぱり和洋折衷の函館スタイルの素敵な家でした。
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この家のある場所は常盤坂の角地。常盤坂の由来は、『はこだて歴史散歩」によれば、「江戸時代後期、この坂の上に大石忠次郎という屋敷があり、そこに大きな松の木があった。これは岩手県の義経腰かけの松と称された名木の種を持ってきて植えていて、近隣の名物となっていたそうな。その松の緑から常盤坂という町名が生まれて、坂も常盤坂となった」と。
この坂の中ほどには遊郭があって、「見返り坂」とも呼ばれたそうな。女と別れを惜しんだ坂から名付けられたらしい。
また、芝居小屋もあって芝居町という町名になり、芝居坂とも呼ばれたそうな。
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遊郭については、函館は東京以北最大の遊郭があった、という話を聞いたことがあります。そして、実際に魚見坂の奥にある地蔵寺には「遊女らの墓」もありました。
それは、引き取り手のない遊女たちを供養するために、合同で建立した供養塔のことで、それについてはまた後日紹介することにします。
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1階の格子の入った窓、2階の上下に開く窓、どちらもカッコイイですね。
でも、建築費は通常よりは高く付きそう。
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電車通りに戻り、弥生坂の下へ降りてきました。角地にあるこの建物も素敵ですね。
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弥生坂を見ると、上の方がロードヒーティングされていて舗装路が見えているけど、下の方は積雪のまま。これは、上の方が急傾斜だからで車で上って行くのが大変なのでロードヒーティングしているのでしょう。坂の途中でスリップして上れなくなったら困りますものね。
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海の方へ歩いていくと、一見歴史的建築物かな?と思わせる古めかしい建物があります。
これは、函館市臨海研究所の建物で、パンフレットには「ペリー上陸の地」とも書いてありました。
江戸時代は、ここに松前藩の「沖の口番所」があって、松前藩の税務署みたいな役所で、出入りする船・荷物・旅人から税金を徴収していました。
明治時代になってからは、箱館郵便役所が設置されて北海道の郵便の第1号となります。
大正時代は、1926年(大正15年)水上警察署になり、
戦後の1952年(昭和27年)には函館西警察署の建物へなり、1984年(昭和59年)まで22年間使用されたのでした。
その後解体されますが、旧建築物と同じイメージで臨海研究所が新築されて今に至っています。
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内部の見学は出来ます。研究所らしくガラス越しに研究室が見学できるし、メモリアルホールという旧函館西警察署庁舎の歩みも見れます。
主に、水産・海洋関連産業の技術の高度化や水産振興に貢献する研究施設として、2007年(平成19年)にオープンしています。
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郵便役所の石碑がありますね。
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松前藩の沖の口番所跡の説明。
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この日は、これで終了。帰りに、市電通りを歩いていたら「ペンションじょう蔵」の前に「高田屋本店跡」の石碑がありました。
江戸時代後期の大商人で淡路島生まれで、箱館で大活躍した高田屋嘉兵衛のお店があったんですね。
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駐車場の横には、「高田屋井戸の由来」と書かれた説明板があって、江戸時代はここで井戸水を使用していたのでしょうね。
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国道279号線は海峡通りになっていて、函館駅前から北海道分はわずかに1.8㎞しかない国道で、大部分は青森県の下北半島を通り野辺地町までの道路。海上区間が19㎞もありますが、津軽海峡も国道になっているんですね。
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ということで、次回はさらに北西側の坂である常盤坂、姿見坂、幸坂を紹介します。
では、また!

1月29日金曜日、天気は暴風雪。朝から強風が吹きまくり、積雪こそ大したことはないが横殴りの湿った雪が降っています。朝、新聞を取りに外に出たら、昨夜からの強い風でバケツは飛び、立てかけていた雪かきやほうきが倒れてました。やっぱり、そう簡単には春はやってきません。
春の兆しが見えるのは2月が終わってからで、3月にならないとダメですね。早ーく来い‼春!。

さて、東坂の中ほどになる弥生小学校
もともとこの辺りは寺町でお寺がいつくか並んでいましたが、1879年(明治12年)の大火ですべて焼失。いやぁー、函館は実に大火が多い。3面を海に面しているからか、風が強いので大火が起こるのか?はたまた当時の人々の防災意識が低かったのか?木造建築が多すぎて燃え広がりやすかったのか?
いずれにしても、明治から大正、昭和と戦前の函館は大火で市内西部地区が燃えているのです。
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その大火でお寺は引っ越して、その土地に学校が建設されることになったのですが、ところが1881年(明治14年)に校舎の失火により焼失するという、またしても火事。それでも、翌1882年(明治15年)に何とか開校の運びになりましたが、何と!25年後の1907年(明治40年)の函館大火で再び焼失します。何という悲劇!とにかく火事に見舞われた学校です。

それでも、1934年(昭和9年)の最大の函館大火後、ヨーロッパで第2次世界大戦が始まる前年の1938年(昭和13年)に、鉄筋コンクリート製4階建ての校舎が完成します。

看板があって、読むとここは「旧アメリカ領事館跡」なんですね。そういえば、1854年に日米和親条約が締結されて、下田と箱館が開港されますが、一番最初の国はアメリカだったんですよね。ペリーが箱館にやってきたのですから。当然、アメリカ人が多く住みつくし、領事館も必要になってきますね。
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函館の学習院」とも称されたここ弥生小学校が、多くの有名な卒業生がいるのです。すべて戦前の話ですが、主に作家ですが、直木賞作家の今東光、同じく直木賞作家の久生十蘭亀井勝一郎長谷川四兄弟(長男の海太郎は林不忘のペンネームで「丹下左膳」を書き、次男以下作家、詩人、画家として大成)、さらにはあの石川啄木が代用教員として働いていたのです。
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北海道警察発祥の地でもあるし。
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明治9年には、明治天皇も来ているんですね。
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しかし、1938年に建設された校舎は老朽化により、2012年(平成24年)に旧校舎のイメージを残して新校舎となりした。坂の下側から見ると4階建て。なお、校舎の北西側は弥生坂です。
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100ⅿはありそうな長い校舎。もう一度東坂に戻り、坂を登ると校舎に囲まれたグランドが見えます。
グランド側からは3階建て。これって、坂に建築された家などもそうですね。
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こちらは体育館。戦前は、この辺りは山麓でも高台にあって見晴らしが良く高級地故に、きっと
文化人や豪商、裕福な方が住んでいたので「北の学習院」と呼ばれていたのもわかる気がします。
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もう一度、坂を下りて校舎の前に来ると、道路を隔ててホテルがありました。「函館元町ホテル」という名。
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横には土方歳三のモニュメントがあって、奥には蔵の形をした部屋も。
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屯所の庵」とあって、ホテルの公式HPを読めば、この蔵は「明治42年(1909年)築100年旧桂久蔵邸の蔵を改修した離れの和室が客室として完成」とあります。
桂久蔵氏は、当時オホーツク・千島・樺太で活動していた大漁業家だったそうです。客室内の天井は総ヒノキ造り、丸井ステンドグラスの入った窓。一度見学したことがありましたが、それはそれは素晴らしい部屋でしたよ。お風呂は、ブラックシリカの鉱泉で「屯所の湯」というそうな。
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戊辰戦争の最後の戦いである箱館・五稜郭の戦い直前五稜郭を抑えた旧幕府軍は新政府軍の襲撃に備えました。「蝦夷共和国」の箱館市中取締に就任し、箱館警備の総元締めとなった土方歳三は、ここに「屯所」を設置したのです。つまり「屯所」は、兵士が詰めている場所だったのです。
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土方ファンは全国にいて、先日函館山登山をした時も旧幕府軍の戦士死者を祀る「碧血碑」の前には、真新しい千羽鶴と花束が添えられていました。
コロナ前は、そんなファンたちが宿泊していたこともあるホテルですが、今は函館に来る観光客はいるのでしょうか?
宿泊費などは、どうぞホテルのHPでご確認を!

では、また!


1月27日水曜日、天気は晴れで気温は最高気温が8度まで上昇し、雪解けがかなり進んだ1日でした。
しかし、新型コロナウイルスの感染者数は増える一方で、最近は函館市内でクラスターが各地で発生していて、とても心配です。
私立の函館大学の学生や教職員で10数名が、翌日には自衛隊で20代の若い隊員が、そして今日は函館少年刑務所で職員と入所者が次々と感染していて、収まるどころか増加するばかりで怖いです。

さて、東坂を登ってきました。赤い屋根とモスグリーンの下見板張りの壁の建物、以前は2階の窓辺に「小林写真館」の看板があり、説明板もあったのになくなっていたのに驚きです。どうしちゃったのでしょう?
昨年あたりまでは写真スタジオとして使用されていて、現存する写真館としては北海道最古のものでした。1907年(明治40年)の大火で焼失しますが、年内にすぐ再建しているから114年目を迎える建築物です。
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さらに坂を上がると、函館中華会館があります。
商売の神様である「関帝」を祀っている建物で、現在は老朽化していて入館は出来ませんが、30年も前のことですが一度入館したことがあって覚えていますが、そろばんを持ったあの三国志に登場する関羽が祀られていたのです。
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この建物、純中国様式の建築として日本に現存する唯一の貴重な建物!なんですね。
そして、驚くことに中国から大工さん、彫刻師、漆工らを招き、レンガなどの資材も中国から取り寄せたとは!ということから、当時の函館には裕福な中国人がたくさん生活していたことが分かりますね。
1910年(明治43年)12月に竣工しているから、今年で111年目。レンガ造りの様式は、イギリス様式ですね。
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ただ、残念なことに函館には中華街はありません。横浜や長崎、神戸には中華街があって観光客で賑わって(コロナ前)いますが、函館にもあればなぁ!と中華街のある町を羨望しますよ。
中華料理店はたくさんあっても、それは全国どこでもありますからね。
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なぜ関羽が商売の神様なのか?調べると「関羽は塩の密売にかかわっていたという民間伝承があり、義に厚いとされることから商売の神様に祀られた。」とWikipediaにありました。
さらに、このことに起因して「そろばん」の発明をしたという話まであるとは!?
世界中に住んで商売をしている華僑にとっては、商売繁盛のために関羽を祀るのは当然のことなのでしょうね。世界中に華僑はいるし、そして商売熱心ですものね。
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さらに坂を上って行くと、こんな蔵まであるお宅もあります。蔵の中には何が収納されているんでしょうね。お宝でしょうけど、埃をかぶっているのもあるでしょう。
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さらに上って行きます。左に見える団地は、道営の東坂団地で、環境を守って3階建てのモダンで素敵な団地になっています。
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さらに坂は上がりますが、この先は民家が多いのです。でも、大変でしょうね。この坂はロードヒーティングされていないし、歩いて買い物に行くと「行きはよいよい、帰りは怖い」になりますよ。
重たい荷物を持ってこの坂を登るなんて、キツイ!
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この辺りが、「函館のビバリーヒルズ」にしよう!という工藤市長の考えなんでしょうか?確かに立派な家が連続していて高級住宅街ではありますが・・・。土地の値段は高いんでしょうね。
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右の建物は和洋折衷の函館スタイルの民家ですし、左の3階建ての建物は、夏の花火大火は最高の見学ポイントでしょうね。見晴らし最高ですもの。
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で、歩いてきたら弥生坂に来ました。ここは完全にロードヒーティングしてあって、坂の上にまで続いていますね。この上に関しては後日訪問しましたので、それはその時に紹介します。
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弥生坂は、文字通り弥生小学校の開校(1882年、明治15年)で名付けられた坂です。
だから、かつては称名寺という寺があったから「称名寺坂」とか、「西の坂」とか云われていたらしい。
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ここは、看板にあるように旧愛宕(あたご)中学校の敷地だった場所。校歌の碑の下に、1950年開校し1977年閉校したことの碑もありますね。私が中学生の時に、市の陸上競技場で中体連の陸上大会があって、自分の中学の席のとなりに愛宕中学の生徒たちが座っていました。
リレー種目の際、応援団を主体として彼らが自分たちの学校の名前を連呼していた時、自分の学校にいたワルたちが「あっ、ダンゴ! あっ、ダンゴ!」と馬鹿にして叫んでいたのを聞いて、思わず笑ってしまう情けない自分がいて、今思い出しても恥ずかしいことだったと反省しています。

愛宕中学卒業の皆様、申し訳ありませんでした。ごめんなさい🙇
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現在は、市営の7階建ての愛宕団地となっています。西部地区は、かつて学校が何か所もあったけど、最近は少子化によって閉校し、その土地に団地が建てられています。が、その団地も高齢化が進行して孤独死があったり、空き部屋化したりで入居者も超高齢化しているのが現状です。それは、全国どこでも同じかもしれませんが。
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ということで、東坂を登り弥生坂を下りてきました。そこで、弥生小学校をまだ詳しく紹介していなかったので、次回はこの歴史ある学校について詳しく見ていきます。

では、また!

1月26日火曜日、天気は曇りで小雨が降ったりの空模様で、昨日の晴天とは違います。昨日は、風もなく午前中はほぼ改正に近い天気だったので、久しぶりに函館山登山。前回と違う立待岬方面からの「七曲りコース」を歩きました。それについてはまた後程紹介することにして、まずは公会堂下の基坂と市電通りの交わる場所から。
正面に函館山が見えますね。もともとは338ⅿありましたが、テレビ塔などの人工物を造るために4ⅿ削り平坦な山頂へなりました。それでも、東京タワーよりは1ⅿ高い。
市内の主な坂はロードヒーティングしていて、冬は電気代がかなりかかりますね。でも、夏冷房費用は本州よりは安く済みますが、夏暑い地域と冬寒い地域では、どちらが経済的なのか?まぁ、「住めば都」というように、どこでも長く生活すれば愛着が湧いてくるから、お金の問題で済ませるわけではないんですよね。
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この坂というよりは、西部地区は看板にあるように洋風建築物が目立ちます。
幕末に開港したため、欧米からの人々が住み着き、彼らのスタイルの住居を造っていったからです。それに伴い、住民も従来からの和風と西洋の建物をミックスした建築を編み出していったのです。
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例えば、こちらの建物。1階は純和風でも、2階は西洋風。和洋折衷の函館様式の建物ですね。
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さて、やっと東坂(あずまさか)へとやってきました。坂の正面に見える弥生小学校は、後程詳しく紹介いたします。
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もともとは「ひがしさか」と呼んでいた坂。弥生小学校が建てられる以前は、浄玄寺という名の浄土真宗大谷派のお寺があって、その寺の下に2本の坂があったそうです。その東側の坂を「東(ひがし)の坂」と云っていて、そこから名付けられたとか。(「はこだて歴史散歩」北海道新聞社編より)
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まずは、市電通りよりも下の、海側へ行ってみましょう。
この周辺は、昔は外国人居留地だったことが分かります。開港して、ヨーロッパからはイギリス、ロシア、オランダ、フランスなどから、さらにアメリカからも。中国からたくさんやって来たのでした。
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函館湾へ行くと、「新島襄渡航の地」の石碑が。向かい側は、人口島の「緑の島」。
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1864年というから幕末、新選組が尊王攘夷派の志士たちを襲った「池田屋事件」が京都で起きている、とてもきな臭い時期でした。
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海外への渡航が禁止され厳罰が下されていた時期に、なぜ箱館から?
それは一つは伊豆の下田や横浜は江戸に近く取り締まりが厳しいこと、長崎も難しく江戸からはるかに遠い箱館が密航にふさわしいと選んだのでしょう。
それと、彼は五稜郭公園を設計し蘭学にたけていた武田斐三郎氏にあこがれていて、それで彼から学習したいこともあって箱館へやってきたはずです。
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冬の海でも、函館湾は函館山でブロックされた入り江になっているし、緑の島でさらに波は消されほとんど凪状態。
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こちらは海上自衛隊の函館基地。以前見学会で、中国か北朝鮮の魚雷をみせてもらいました。日本海で回収されてきたもので、こんなのが日本海にたくさんあるのか?と思ったら怖いですね。
2年前にも北朝鮮からミサイルが函館上空を飛んで太平洋に落ちたことがあったけど、怖い!
それに対して日本政府は何もしなかったのが、さらに怖い。どうして強く抗議しないのだろう?
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緑の島へ渡る唯一の橋。夜間は通行禁止です。だから島で車中泊は出来ませんね。せっかく風光明媚、とっても閑静で、清潔なトイレもあるけど、閉鎖されたらダメですね。
自家用ヨットで、どれだけ費用がかかるのでしょうね。1年で何日くらい航海に出るんでしょうね?
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新島襄の碑の手前にある「カフェダイニングJOE」。でも、今は閉館中。
昔、開いていた時に、一度訪れたことがありました。自分の高校時代の友人がこちらで働いていて、見学を兼ねてお茶を飲みに行ったのでしたが、それはもう20年以上も前のことです。
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新しい知識を求めて、国禁を犯して中国の上海に渡り、さらにアメリカ・ボストンへ。
この建物が建てられた年代は1885年(明治18年)ころで、上海航路を持つ遠藤吉平商店の事務所だったそうです。だから、136年前の建築物です。
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飛行機のなかった当時は海外航路が盛んで、函館は国際港だったんですね。今は台湾、かつては中国・ロシアと結んだ函館空港は国際空港ですが、このコロナ禍で国際便は全くなし。あれほどうるさかったインバウンドは、街中ではまったく見かけなくなりましたものね。
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ということで、同志社大学の創設者の新島襄は、ここから密航したのです。
毎年、同志社大学の関係者が来てこの碑の前でセレモニーを行っています。多分関係する大学生の落書きが、あったこともありました。
でも、昨年は中止だし、今年も行われるのかどうか?
とにかく閑散としている函館西部地区は、かつてのように観光客が訪れて賑わいを取り戻すことが出来るのか?我が家から見える大型ホテルの「啄木亭」は夜間灯りは全くつかず真っ暗のまま。受付をしていないです。
いつまで続くこのコロナ禍。早く収束して、日常の生活を取り戻したい!けど・・・。
感染しないように、感染させないように、と毎日気を付けて生活しています。
では、また!

1月24日日曜日、天気は晴れですが気温はマイナスで、外に出ると寒い。暦の上では大寒を過ぎたけど、来週からの2月はもっと寒く大雪だって降りますので、まだまだ冬は続く北海道です。

それでも、三寒四温なのか?少しずつはうず高く積もっていた雪が融けだして、道路にはアスファルトが見えてきていて、春近し!と感じます。

そんな雪解けの暖かい日に散策した函館山山麓の西部地区。市電通り沿いに歩き八幡坂の角地に出ると、戦前の1932年(昭和7年)に建設された旧安田銀行函館支店が見えてきます。まるで、古代ギリシアの神殿にあるエンタシスのごとく、太い円柱が正面に4本も立つ石造りの建築物。
戦後、財閥解体されてからは所有者は転々として、現在は横文字系のホテルになっていますが、コロナ禍での今後はどうなっていくのやら?
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かつてはステンドグラスだったのでしょうか?縦に長い広い窓枠がとられていますね。この電車通りは、末広町金融街と呼ばれていて、まるでウォール街か兜町か?「北のウォール街」と云われていたのは戦前の小樽市でしたが、函館も小樽も、戦前経済が反映した面影はまったくありませんね。
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さらに歩くと函館市文学館へ。実は、ここの建物も昔は金融機関で旧第一銀行函館支店だった建物です。
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銀行の建物が、今は函館に関係した文学者のミュージアムになっていて、特に石川啄木に関しての資料は日本1だそうです。
他に、函館出身者の亀井勝一郎長谷川海太郎(ペンネームの林不忘の「丹下左膳」は有名ですね。
彼の出生地は佐渡島の旧赤泊村で、そこの博物館で知った時は、てっきり函館生まれかと思っていただけに驚きました。)、久生十蘭1952年直木賞受賞作家、「小説の魔術師」と呼ばれていました。)、
佐藤泰志、辻仁成(2人とも函館西高校卒業)などの資料が充実しています。
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実はここ、国内大手のクレジット会社の(株)ジャックス本社だった場所。
日本の資本主義の父」と称される渋沢栄一が初代頭取を務めた旧第一銀行は、その後第一勧業銀行を経て現在はみずほ銀行となっていますが、函館市内の中心街が函館駅前に移るとここから移転(1964年)します。翌年ジャックスが買い取り、本社として使用していたのでした。
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その向かい側にあるのが、函館市立函館博物館郷土資料館
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もともとは金森洋物店で、赤レンガ倉庫群を建てた初代渡邉熊四郎氏の店舗だった建物です。
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函館山をバックにして建つ、なかなかシャレた建築物ですね。1880年というから明治になってまだ13年の時代に建てられています。
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おっと、市電が終点の「函館どつく前」から十字街方向へ走ってきましたね。
電車通り沿いは、古い建物とマンションが並んでいて、全国どこでもそうでしょうが、ちょっと味気ない感じがしますね。函館山山頂から見た景色も、ところどころにマンションの高層建築が目立ち、景観台無しにしています。
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さらに歩いて基坂まで来ると、旧日本銀行函館支店の現在は函館市北方民族資料館の建物。
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今は移転して函館市役所の横に日銀はありますが、建設は1926年(大正15年)、移転は1988年(昭和63年)です。翌平成元年の1989年にオープンした資料館は、アイヌ民族に関したものが多く一見の価値あり。道内旅行でアイヌ民族の資料館をいくつか見学しましたが、ここで学習していて良かったです。
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そして、基坂の角に建つ緑色の木造2階建ての古い建物。
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相馬株式会社の建物で、相馬と云えば、あの公会堂の再建に巨額の寄付をした人物ですね。公会堂の付近で日和坂の上には、木造2階建ての相馬哲平邸もありました。
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函館市内において相馬と云えば、大地主です。市内あちこちに土地を所有していて、不動産会社ですね。空き地があれば、「相馬」と書かれた看板があって、とにかく函館の不動産王!
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1910年(明治43年)から新築して増築して、現在の姿になったとか。100年以上の歴史ある建物で、今でも営業中だから内部を見学することはできません。
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ということで、市電通りを歩いているだけで次に紹介予定の東坂には辿り着けませんでした。
次回は東坂を市電通りから上って行きますので、お楽しみに!

では、また!

1月22日金曜日、天気は晴れで今日も最高気温はプラス。ここ数日で雪解けも進み、道路はアスファルトがむき出しのところもあって人は歩きやすいけど、2月になるともう一段強烈な寒さと大雪が来そう
で、安心はできませんね。

さて、ここは基坂と日和坂の間にあるバス通り。市電の通りからは1本山側にある道です。ほぼ中間地点にあるのが、グリーンゲイブルズという名のカフェ。意味は緑色の切妻屋根。もちろん、あの「赤毛のアン」のアンが住むことになったカスバート家の屋号のことですね。
ネットで調べると、カナダ、プリンスエドワード島にあるアンのモデルとなった家とそっくりです。
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ここ、今から20年ほど前に入ったことがありますが、それ以来なく一人で入るのも躊躇しています。
内部は、アンティークな飾り付けの店内で、若い女性にとってはうれしい場所となるでしょうね。
いつもコメントを寄こしてくれるクロスツブさんによると、「ジュディ&マリー」のYUKIさんがよく通っていた、と。店にはファンのためのコーナーもあるそうです。
ちなみに、「ジュディアンドマリー」とはロックグループで、YUKIさんはボーカルで唯一の女性。他に3人の男性がいて、それぞれギター、ベース、ドラムスを担当。彼女だけが函館出身です。
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そこからさらに歩き、八幡坂を横切ると、今まで紹介してこなかった教会があります。
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日本基督教団函館教会で、ハリス監督記念礼拝堂の表札もあるアメリカのプロテスタント(新教)メソジスト派で、この宗派は1873年(明治6年)に日本で伝道を開始、函館には横浜に次いで全国2番目に創設された教会です。さらにプロテスタントの教会としては、日本で3番目に古いものです。
明治6年は、キリスト教禁止の高札を撤去した年で、いわば諸外国からの圧力でキリスト教を黙認したのですが、その当年に建設されたとは!
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ハリス夫人は、のちの遺愛学院の創設者です。遺愛高校の英語科は、外国からのクルーズ船をおもてなしして、よくニュースに登場しますね。英語で案内したり、交流を深めたりして喜ばれていますが、残念なことに昨年と今年は1隻も入港せず、おもてなしが出来ませんでした。
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こちらの奥に牧師館がありますね。この辺りの脇道は細くて、両側の軒先からはツララが下がっていて、歩くのは危ない時も。
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大三坂を降りて帰ってきましたが、その途中で見かけた建物は左が蔵で、右が洋館。何かに利用されているようですが、玄関を見たら本日は閉館でした。マップで見たらレストラン「蟹処 KING Crb MEN 大三坂」となっていました。   
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この斜度を見ると、かなり急坂ですね。こちらのバルコニー付きの洋館は合名会社「川越電化センター」で家電量販店です。
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なかなか素敵な建物ですね。
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坂を挟んで向かい側は、(株)エビス商会 海産物卸とありました。これまたレトロなコンクリート製の建物です。
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市電通りを渡って向かい側から見て見ましょう。
大三坂は、坂100選に選ばれている坂で、坂の上には元町カトリック教会があるし、函館ならではの洋風建築物が立ち並んでいる坂。でも、冬は歩きづらそう。
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一方、電車通りの坂側から見たら、向かいには「高田屋嘉兵衛」の文字がある北方歴史資料館の建物が見えました。
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日本1充実している、と書かれていますが残念なことに閉館しておりました。
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その横にあった高田屋恵比寿神社の由来の看板ですが、文字が薄れてきていて読みづらい。
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高層マンションに挟まれた形で存在する神社ですが、どなたか管理する方がいらっしゃるのでしょうか?この資料館と云い勿体ない感じがしますが・・・。
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ということで、今回は基坂の帰りに寄り道をしていろいろと紹介いたしました。
次回からは、さらに北西方向の坂、東坂弥生坂を中心に紹介していきます。
では、また!



1月21日木曜日、天気は晴れ。今日の最高気温はプラス7℃で、何と3月下旬並みの気温だそうです。日の当たる場所では10度を超えていて、雪は解けて道路はビショビショの状態で水たまりが出来るほど。
歩いていても、汗が出るくらいの暖かさ。今日かなり雪は解けるでしょうね。
そんな1月にしたら珍しいくらいの温暖な気候だから、久しぶりに西部地区を散策。本日は東(あずま)坂弥生坂を歩き写真に収めてきましたので、それは後日紹介しますのでお楽しみに!

さて、基坂元町公園のすぐ下南側に面した場所に建つのが、旧イギリス領事館
白い壁と青い窓枠の洋館です。
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幕末の1859年(安政6年)に建てられていて、箱館ではアメリカ、ロシアに次いで3番目の領事館です。
領事館とは、「大使館が通常はその国の首都に設置されるのに対し、在外自国民の保護や外交事務、情報収集、国際交流・広報の拠点として設置され、また戦争や災害などと云った不測の事態にはリスクを分散しつつ、大使館の機能をスムーズに移転できるような主要都市に設置されている」とか。

この建物は、1913年(大正2年)に出来、1934年(昭和9年)閉館まで機能していたのです。
現在は、開港記念ホール、開港の歴史を伝える展示室カフェ「ヴィクトリア・ローズ」及び売店の「クイーンズメモリー」、さらに、今はコロナで休止していますがブライダルも行えるとか。
つまり、キレイなバラ庭園での結婚式も出来るのです。
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館内は体験型展示を重点的に設置しており、領事執務室や家族居室は3代目領事のリチャード・ユースデン氏が使用していた様子を再現しています。実際に領事の椅子に座れたり、調度品に触れることも出来ます。入館料は大人300円。
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外側にあるローズガーデンとショップは無料です。もっとも、冬期間はバラも咲いておらず雪もいっぱいなので庭園には入らず。結構、奥行きが深いですね。
夏、バラが一斉に花開く時期に訪問したいです。バラがきれいで、見ごたえありますよ。
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坂の途中には、さまざまなモニュメントやオブジェがあって、目をいやしてくれます。
電柱や電線がなく、街路灯もシックでいいですね。奥に公会堂が見えていますよ。
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広場のある向かいに渡って見ましょう。
宇須岸河野館(うすけしこうのだて)跡
ここは函館の名前の由来ある場所で、箱の形をした土塁と掘を四方にめぐらしていた館で、15世紀中ごろに津軽の武将である十三湊(とさみなと)安東氏に従った武士たちが蝦夷地へ。同行していた河野氏がここで館を築いたとか。室町時代の道南12館の一つでしたが、1457年のアイヌのコシャマインの戦いで陥落しています。なお、宇須岸(うすけし)の意味は、アイヌ語の「ウショロケシ」で湾の端という意味。
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コシャマインの戦いとは、当時の和人たちが道南に12の館を築いてアイヌ人と交易していたが、乱暴と圧迫、卑劣な取引をしていて、それに対して首長のコシャマインが蜂起した事件。和人居留地の大部分を攻略し陥落させたが、上ノ国の花沢館領主である蛎崎氏に敗北。蛎崎氏は江戸時代に徳川家康から松前氏の名前をいただき、明治初期まで松前藩主となった人物です。

もともとは、ここは市立函館病院の跡地。
その地に立つのは、誰でしょう?ペリー広場とあるから、あのペリー?
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アメリカ東インド洋艦隊司令長官のペリー(1794~1858)。幕末の1853年6月、軍艦4隻を率いて現在の東京湾の入口付近の浦賀(横須賀市)に来航。測量隊を江戸湾深く進めて、幕府を威嚇し、大統領の国書を強引に受理させました。当時の将軍は13代の家定になったばかりで、老中は福山藩主の阿部正弘でした。
翌年再び来航して、日米和親条約を調印させ日本の鎖国を終わらせ、そそして蝦夷地の寒村だったここ箱館を伊豆の下田とともに開港させたのです。
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ペリーは、1854年2月10日午前11時30分、軍艦7隻を率いて横浜に完全武装した士官・水平・海兵隊ら500名と上陸し、出迎えた幕府の役人にその雄姿を見せつけたのでした。

条約締結後、その年の5月17日箱館へ。6月7日まで滞在します。
なお、ペリー像は函館以外に横須賀市久里浜と伊豆下田にもあるそうです。
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20日間の滞在中に、ペリー艦隊の水兵2名が死亡。彼らは船見町にある外人墓地に埋葬されました。もちろん、当時は外人墓地何て言う名前はなく、ペリーに埋葬場所を求められて仕方なく土地を提供したのが現在の外人墓地だったのですが。
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ペリー来航時の足跡が絵に描かれていますね。
なぜアメリカが日本に対して開港を求めたのか?その一つに、19世紀に入りアメリカでは北太平洋での捕鯨船の出漁増加があり、それに伴い船の難破や乗組員の日本漂着⇒彼らの現地での保護などが重要な外交課題として議論されてきました。当時工業化が促進されたアメリカでは、機械油として鯨油の需要が高まり、そこで捕鯨が行われていたのです。
だから、ペリーの黒船来航が初めてではなく、1837年にはモリソン号、1845年マンハッタン号が来ています。
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そんなペリー像が建つ基坂には、可愛らしい女性の像もあって、ほっと一息つきます。
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男の像もありますよ。
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最後に、ここは諸術調所(しょじゅつしらべしょ)跡もあった場所。
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学問所ですね。教育機関かな?幕末の時代に西洋の学問を学び人材を育てたところですね。有名な先生は伊予の国、大洲藩出身の武田斐三郎(たけだあやさぶろう)さんですね。

28歳の時にペリーとも会談しています。五稜郭の設計や建設、ここの教授にもなり、教え子には榎本武揚、前島密、井上勝などがいます。
そういえば、五稜郭公園内には武田斐三郎の顔が描かれた碑があって、バスガイドさんは彼の顔をなでると「頭が良くなる」とか説明するもんだから、彼の顔の部分だけがテカテカになっていて、みんな苦労しないで、あやかりたいんだな!と思ったものでした。

では、また!













1月19日火曜日、天気は昨夜から雪でうっすらと積もっていますが、午後からは大雪になる予報でまたまた雪かきをしなきゃならないようで、今年は雪が多い!年です。
16日の土曜日から始まる予定だったラグビー・トップリーグは、数チームの選手がコロナに感染し2月に延期。世界中から超一流のアスリートが日本に来てプレーするのを楽しみにしていたので、残念です。
例えば、ニュージーランドのボーデンバレット、スコットランドのレイドローなど、2019年の日本で開催されたワールドカップで大活躍した選手が今年日本の各チームでプレーします。16日からそれを見れる!と思っていただけにガッカリ。2月から開催できればいいのですが、昨年みたく途中で打ち切りなんてなったら、ショックで、ショックで、2年連続になるとさすがに落ち込みます。
どうかコロナ収まって、冬のスポーツが開催できますように!と心から祈ります。

さて、奥に素敵な公会堂の建物が見える元町公園には、函館市に貢献した4人の銅像が建っていますが、誰でしょう?
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四天王像と呼ばれる人たちは、一人は今井市右衛門。彼は幕末に能登の国珠洲で生まれています。石川県ですね。若くして函館発の西洋雑貨の店を開き、北海道最初の新聞社を設立し函館新聞を発行、函館屈指の大商人となり公共のために財と労を惜しみなく提供した人です。

もう一人は平田文右衛門。同じく幕末に箱館で生まれ、明治となった新しい時代の函館で西洋金物を販売し、学校や病院を設立したり、函館・小樽間を結ぶために鉄道会社を設立した人です。
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渡邉熊四郎は、やはり幕末豊後の国の竹田に生まれ箱館へ来て海産商人として巨利を得、明治2年洋物店を開き、屋号を森屋、称号を金森とします。そう、北日本最大の百貨店だった金森森屋デパート、それと赤レンガ倉庫群を経営。明治35年には函館病院の建築資金として10万円を寄付しています。

平塚時蔵は、同じく幕末に下北半島現在のむつ市で生まれ箱館へ来て商いを始めてやがて豪商へ。上の3人ら協力し新聞社や学校を設立、函館公園を造ります。
4人は、何度も大火に見舞われた函館で多額の寄付をしたり福祉事業に貢献したり、都市づくりに尽力した明治時代の経済界の重鎮です。彼らの力があったからこそ、今の函館があるのでしょうね。
明治の函館で大活躍した4人に感謝です!ありがとうございました。

そのとなりにある淡い青色の素敵な木造建築は何でしょうか?
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旧北海道庁函館支庁庁舎とあります。
1889年(明治26年)に新築され、その14年後の1907年(明治40年)に大火で焼失。その2年後の1909年(明治42年)に再建された建物で戦後まで役目を務めます。
北海道は広いので14の支庁に分かれていることはご存じでしょうが、道南には渡島と桧山の2つ支庁がありますね。函館支庁は1922年の大正11年に渡島支庁と改められ、支庁舎は1950年に市郊外の美原地区へ移転して、この建物は函館市の所有になりますが、その後は空き家へ。老朽化が進んでいましたが、その後保存運動が起こり今のように歴史的建築物として残ったのです。
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現在は、元町観光案内所として運営されていますが、以前あった函館市写真歴史館は閉館(平成28年3月3日)されていました。
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となりは、旧開拓使函館支庁書籍庫
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このレンガの積み方、イギリス式(左側の増築された部分)とフランス式(右側の本体の建物)の2種類あるそうです。
違いが分かりますか?横方向に積まれているレンガをよーく見てください。長いレンガと短いレンガを横に並べていますが、手前の本体は長い、短い、長い、短いを繰り返す列になっていますね。
奥のでっぱり部分は、短い、短い、短いレンガの列と長い、長い、長いレンガの列になっています。
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公園の出口辺りにある箱館奉行所跡の碑。
奉行所とは、その役目は武家時代の①役人の詰め所。②裁判所。で、いわば市役所と裁判所を兼ねた場所です。
港を見下ろす絶好の位置にありますが、幕末は入港した軍艦から艦砲射撃の標的になりやすい近場(1㎞以内)にあり、危ない。それで、移転しますがその場所が五稜郭でした。港から5㎞程離れているから大砲の弾が届かない場所へ、と移したのでした。
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現在の函館市長の工藤市長は、函館山山麓の西部地区を「ビバリーヒルズ」にしよう!と云っていて、東京やアジアの富裕層の避暑地としての別荘地帯として考えているみたいだけど、どうなんてしょうね?
確かに景観は抜群だし、夏の平均気温22度は避暑地としてバッチリ!新鮮な海産物・農産物・乳製品など食材も日本1美味しい産地が控えているし、観光資源にも恵まれていて、国際空港は市街地まで車で10分というアクセスも良い!
果たして、それで人は来るのか?
でも、ニセコや倶知安雪質が世界1をセールスポイントにして、いまや世界中のスキーヤーの町になって地価の値上がりは日本最大になっていますし、一昨年までは多くの外国人が住んでいましたからね。函館も、そうあやかりたいですけど・・・。そのためにはコロナは絶対に収束しなきゃ!
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こちらが基(もとい)坂。やはり奉行所があったし、函館支庁もあったから町の中心の坂という意味で名付けられたのでしょうね。
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結構広い坂で、二十間坂に劣らないほど幅は広い。坂の突き当りにある建物は、海上自衛隊函館基地
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坂については、今まで南部坂、二十間坂、大三坂とチャチャ登り、八幡坂、日和坂を見てきましたが、まだまだあります函館山山麓の坂。
これ以外に名もなき坂もいくつかあります。このあともすべて紹介する予定ですが、雪も積もっているし凍結もしているので、ゆっくりと春にかけていく予定ですのでじっくりとお待ちください。

なお、この坂の紹介ですが、函館どつく方面が北西の方角で八幡坂までが函館湾に面した側。
大三坂から青柳坂までは細い市街地へ降りる坂で、谷地頭は大森浜へ面した津軽海峡側で方角的には
南で立待岬方向です。
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で、次回はこの看板にあるように「旧イギリス領事館」を見ていきます。
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それと向かいの広場にある、気になる像もあるのでそちらにも足を運びます。
今日、明日は雪がかなり降りそうで、またか、と雪かきを心配。毎日のように雪かきをしていて、飽きてきましたよ。この雪、砂漠地帯に持っていきたい!ほどです。砂漠の民に雪を降らせたら喜ぶでしょうね。

では、また!

1月17日日曜日、天気は朝から雪。昨日までは最高気温がプラスになって、少しは積もっていた雪が融けたけど、また雪が積もり朝から再び雪かきの作業です。
まぁ、冬はこれの繰り返しなんだけど、昨年はほとんど積雪は少なくて楽だったけどて、今年は例年よりも多くて大変です。こちらの方言で云うと、「ゆるくない!」なのです。ゆるくない、とは逆にキツイ!という意味で、大変だぁ!ということ。雪かきは、雪国の住民にとっては冬期間生活する上での宿命みたいなものですね。

函館でもコロナのクラスターが発生し、昨日は30名、一昨日は19名とどんどん増えていてちょっと怖くなってきました。これ以上増えないで欲しいけど、どうなっていくのだろう?

さて、函館山山麓の西部地区。現在地は地図の通りで、今は公会堂の近くまで来ました。
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この辺りは、元町・末広町の重要伝統的建築物群の保存地区なんですね。
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元町公園のレンガ造りの建築物と淡い青色の木造建築物が見えていますけど、これらについては次回に紹介することにします。
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公会堂の青紫と黄色で色づけされた建物が見えてきました。
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説明に、今より124年目の1907年(明治40年)に函館で大火があり市内の半数にあたる12000戸が焼失したそうです。その大火で市民の集会場であった「町会所」も焼けています。
町会所とは、市民ホールみたいな建物で、函館では公会堂と呼ばれていて「再建しよう!」と市民の寄付を募られたけど、大火後の苦しい状況だったので集まらず。
そこで、当時の函館の豪商だった相馬哲平氏が5万円の大金を寄付したのでした。
当時の5万円はネットで調べると、「明治40年の1万円は1999年の1088万円」との記事があり、1999年と今年の2021年の物価はどれだけ変化しているかは分かりませんが、仮に同じだとすると当時の5万円は現在の5440万円に相当します。
でも、明治の時代は人件費や資材も安かったし、これだけの金額があれば相当な建物が出来たはずです。
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その結果、1910年(明治43年)にこの公会堂が出来たのでした。
函館区」となっていますが、実は当時は函館市ではなく函館区。歴史を見れば、1879年(明治12年)に郡区町村編制法施行により「函館区」が設置され、1922年(大正11年)市制施工して函館市になっています。その間の32年間は市ではなく区だったのですね。
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青い色が素敵ですね。これは、スカイライトグレーと呼ばれる色とか。それと窓枠の黄色がマッチしていて、これまた素晴らしい色合いになっています。
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設計は鉄道会社の建築技師の小西朝次郎氏で、工事請負人は村木甚三郎氏で、寄付金を出した相馬哲平氏とともに越後(新潟県)の出身だから、当時の函館にとっては新潟出身者の方たちへ感謝感激だったことでしょうね。
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残念ながら修復工事中で入館は出来ず。
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工事は、3年前の2018年9月11日から始まっていて、終了するのは今年の3月2日だから、あと3か月近くもかかるのですね。実に3年と7か月もかかる難しい修復工事なのでしょう。
右の写真のあるように、完成した時には、明治から大正の豪華絢爛の文化華開いた当時の函館のハイカラな様式が少しは垣間見られそうです。

公会堂から港を見下ろせば、造船会社の函館どつくが見えました。何本もの巨大なクレーンを使って巨大な船を建造中みたいですね。
かつては従業員3000人以上いた函館市の中核企業で、「嫁に行くならドックの社員へ」というくらいにモテモテだった函館ドックも、その後の重厚長大企業から軽薄短小企業へ。造船は韓国、中国へと流れが変わり、企業規模も縮小し今では700人くらいに。
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私の高校時代の友人で、東京の有名私大(工学部)を卒業しドックへ入ると初任給で残業代込みで22万円(1975年4月)、私の教員としての給料は8.2万円でしたから、ほぼ3倍近い!その差に驚きました。
それだけ景気の良かった時代だったんですね。
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函館湾の南側、岸壁よりにはホテル群。インバウンドを宿泊を想定して3年前くらいから建築ラッシュで、今も建造中のホテルも。今年4月にオープン予定のホテルもありますが、この先どうなるんでしょうか?
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公会堂のスタイルは、アメリカの植民地時代の公共建築に用いられたもので、イギリスの古典主義時代の様式「コロニアル・スタイル」。コロニアルとは「植民地の」とか「植民地風の」という意味。
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確かに、アメリカ映画の18世紀や19世紀ものでは、公会堂みたいな建物が登場しますね。
例えば「風と共に去りぬ」などはそう。アメリカ南部、いわゆるディープサウスと呼ばれる一帯には金持ち白人たちが、こんな素敵な木造建築物の家屋に大勢の黒人奴隷を使用して、ぜいたくな生活をしていた、そんな映画がいくつか見た記憶があります。

ということで、国の重要文化財の指定を受けた旧函館区公会堂を紹介いたしました。
次回は、元町公園にある歴史ある建物を紹介して基坂(もといさか)を下りることにします。
では、また!




1月15日金曜日、天気は曇りで気温はプラス1度だから、ここのところ3日間連続で最高気温はプラス。道路の雪は解けてグジャグジャの状態で歩きづらく、外へ出るのが億劫になります。
そして、ついにというか函館でも感染者数が昨日16人、となりの北斗市ではクラスター発生していて、爆発的に感染者が増えています。増々、人ごみに行くことはできず、この先とっても不安になります。
どうしたらいいのでしょうか?ワクチン接種で免疫をつけるしかないのか?それにも絶対的な安心が持てないし、どうなっていくのやら?

さて船魂神社です。平安時代後半の崇徳天皇の時代の大治年間(1126~1131)というから、歴史的には鳥羽上皇の院政が始まり、平氏が台頭しその後に平氏政権が確立するあたりです。
本州から良忍という名の高僧が津軽海峡を渡り、この地へ来て言うには「ここは観音菩薩の霊跡である」と。
そこで、観音堂を建てたのが、ここの起源。名前の通り、ここは船の魂と書いているから航海の安全を守る神社です。
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北海道最古の神社とも云われるけど、それは明らかではない、と説明にも書かれていますね。道内ではあちこちに最古の神社があって、いずれにしても道内ではかなり古い時代のものです。
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もう一つは、源義経は弁慶とともに衣川の戦では死なず、生きて逃げ延び津軽海峡を渡りこの地へ来たと。いわゆる義経北帰行の伝説の地でもあるのです。それについては、のちほど。
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手水鉢(ちょうずばち)は凍結してて、手を洗うことはできません。もっとも、手袋をしているし手を洗うなら雪がたくさんあるから、それで良し!と。
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義経伝説の説明です。以前にも義経伝説を追って、道南を旅したことがありますが、ここはその第一歩の地。
義経が津軽海峡を渡る際、海が荒れ船魂明神の加護で無事を得た、といいます。上陸後に社を訪ねた時、のどが渇き飲み水を探すと、こども(童子神)が岩の上に現れて泉を教えた、とか。
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2018年秋に、道内の義経伝説を地を函館からスタートし、知内→松前→江差→乙部→寿都→岩内→積丹→小樽というふうに一つ一つ調べていきましたが、各地に義経の足跡が残されていて、もっともらしい名前があるんですね。愛人の静御前にちなんで、姫川とか、姫待峠弁慶の刀掛岩とか、道南にはたくさんありました。日高の平取町には義経神社までありましたからね。
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こちら船魂神社の狛犬。頭に雪の帽子をかぶっていますね。
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となりは函館西高校。山の斜面に建てられているから、渡り廊下も斜めですよ。
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神社の建物の左隣りは護北神社の石碑と狛犬だけ。
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右側には弥彦神社や。
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稲荷神社
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七福神の福禄寿も。
残りの6つはというと、いずれも山麓にある神社仏閣で、厳島神社の弁財天、称名寺の毘沙門天、
実行寺の大黒天、住三吉神社の寿老神、天祐寺の布袋尊、戎神社の恵比寿様ですので、そのうち紹介いたしますが、探してみるのも楽しいですよ。
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裏にあるレンガ造りの壁は何でしょうね?かなり古そうですね。
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そういえば、秋の東北の旅で青森県外ヶ浜町三厩を訪れた時に、三厩の義経寺を見学しましけど、青森県にもたくさん義経伝説が残っているのです。
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良忍上人が訪れた地の石碑ですね。融通念仏宗という宗派なんですね。
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隣りの函館西高校の校舎。函館港が良く見えて、見晴らしが良いでしょうね。
「こころ旅」でも紹介されている高校で、八幡坂の上にある高校の教員の娘さん(小学生)が、「毎日父の帰りを校門のある坂で待っていた」というお手紙で、正平さんはその坂を学校の許可を得て少し登ってお手紙を読んだのです。
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自転車の駐車場は冬期間使用されず。といっても、このキツイ坂登って自転車こいでくるのは大変でしょうね。
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ということで、北海道最古らしい神社の船魂神社は、義経伝説が残る歴史ある神社でした。
では、また!



1月14日水曜日、天気は晴れで昨日から最高気温はプラスになり、元旦から12日まで続いた真冬日は12日間で一応終わりましたが、それも今日まで。明日からは再び真冬の寒波が襲い、雪もまた積もりそうです。それでも、昨夜は強風を伴う雨が降り、道路はかなり解けてグジャグジャの状態。幹線道路は除雪しているから良いけど、脇道は走りづらく、それが明日以降は凍結してさらに車で走るのは困難になるでしょう。歩くのはもっと大変で、いつものウオーキングはどうしようか、と迷います。

さて、函館山登山は終わり山麓の坂に戻ります。今日は日和坂(ひよりざか)。
トビ坂とも云いますが、それは鳥のトビのことで、天気のいい日には飛んでいたらしいです。
船の出入りを見る小山である「日和山」は全国にありますが、ここも港を眺めるには適した坂なのか?どうかは分かりませんが・・・。
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市電の通りは、ちょうど「末広町」の電停。次は「大町」そして終点の「函館どつく前」です。
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電車通りを挟んで向かい側には、時計台のあるホテルと北島三郎記念館
完成したのは2012年ですが、それまでは幽霊ビルみたいな何か出そうな?建物で、私が学生の頃から放置されていたビルでした。
それは、戦前の1925年(大正14年)に3階建ての金森森屋百貨店で、1930年(昭和5年)7階建てに増築され北日本最大の百貨店になりました。が、そのデパートは1936年(昭和11年)に函館駅前に移転。
その後の建物は所有者は転々とし、終戦後(1945年)はアメリカ軍に接収、その後は幽霊ビルのごとく無人のままだったのです。それが解体されたのが21世紀になった2001年、そして11年後に今日のようなビルに生まれ変わったのでした。
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さて、日和坂を登っていきましょう。どうやらロードヒーティングはしていないし、除雪はされていない模様。車がやっとの思いで1台降りてきたわだちの後がありますね。
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最初の道との境には、かなり古そうな和風建築物が見えますが、戦前に海運で財を成し「函館の海運」と呼ばれた日下部久太郎氏(1871~1953)の邸宅。大正時代初期から第一次世界大戦中に建てていて、何と100年は経過していますね。もちろん、その間補修は行ってきたとは思いますが、それにしても重厚な趣ある建築物です。
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横の通りはバス通りになっていて、この通りも由緒ある建築物、例えば中華会館、弥生小学校などがたくさんあるのですが、今回は坂を登ることが主眼ですので、後程紹介しますね。
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坂を登ってすぐに、高橋病院の天使寮。以前は、海員ホームだったそうです。建築時期は1928年(昭和3年)ころで、船乗りたちの厚生福利施設で、宿泊施設も兼ねていたとか。
それだけ、当時の函館は港町として全国から大勢の船舶と船員が訪れていたのです。
素敵な建築物ですね。
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坂から振り返って港を見てみましょう。右側の建物は、和洋折衷の函館らしい建物ですし、左は大規模な和風庭園がありそう。
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横の道路に出ると、左に見えた建物の塀がずーっと続いていますよ。突き当りは元町公園。道の山側にも和風の建物が見えています。
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坂と道の間に、こんな看板が。いろいろな建築物があるんですね。
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大きな庭園を持つ建物は、相馬哲平邸宅でした。
越後(新潟県)出身で、幕末の1861年に28歳で箱館へ来て米穀店を開業、箱館戦争で財を成しその後の明治時代で手広く商売を手掛けて、全国の長者番付にも名前を連ねたそうです。
その邸宅は記念館・資料館として公開されていますが、残念ながら4月まで冬期間はクローズで、オープンは雪の解けた春からです。
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さらに坂を上がります。右側には1階が和風2階が洋風の、和洋折衷の函館独特の建築物があります。
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洋館も多くありますが、1階が下見板張りの和風、2階が洋館にしたのは、港から見える函館山斜面の景色が2階しか見えず、1階は隠れてしまうから。函館湾に入港した船からは、洋風の近代的な建物が多いな!と思うからです。
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角地にあったこのカフェもそう。2階の窓は上下に開く窓ですが、1階は如何にも和風。
でも、屋根をご覧ください。瓦屋根ではありませんね。瓦屋根は北海道には適しません。凍結して瓦が壊れたり、雪が落ちなかったりで、ほとんどの屋根はトタン張りですね。またはコンクリートのフラット屋根。
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さらに坂を登ります。坂のてっぺんには何やら神社がありそうです。道内最古の神社とも云われる
船魂神社です。
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それについては、次回に詳しくお伝えいたします。
では、新型コロナまたまた感染者数が増え続けてきていて、全国9都府県に緊急事態宣言が出されました。でも、これは47都道府県すべてに出されてもいいのでは!と思います。
それだけ危機感を持たなくてはいけない!と強く感じます。
皆さん、気を付けてこの冬を乗り切りましょう。そして暖かくなる春を待ちましょう!
では、また!

1月11日月曜日、天気は晴れたり雪が降ったりの空模様で、気温は1日中マイナスの真冬日。積雪は30数センチ。今朝も雪かきをしました。雪中ウォーキングをすると、まだ雪かきしていない道路はとても歩き辛く足を取られます。
雪がかぶった道路でも、新雪の下はアイスバーンで凍結していて、運悪く凍った部分で足を滑らせようものなら、すってんころりんと転んでしまします。自分は今年今までに3回転びましたが、落ちたところが雪の上だったから良かったものの、凍結路面だったら背中をしこたま打って痛い目にあったかも?
今日からは、長くつの下にアイススパイクを履いて歩いていて、これだと安心です。

さて、函館山山頂から。
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昔、新日本百景(1958年昭和33年、週間読売)で1位に輝いたこともある昼間の山頂からの景色。夜景に関しては日本三大夜景で、長崎・稲佐山神戸・摩耶山と並びます。世界三大夜景の一つでもあり、香港、函館、ナポリと。
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上が津軽海峡側の大森浜に対し、下が函館湾
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海峡の向こうに青森県・下北半島が見えています。
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ズームをしてみましょう。遠くに三森山(842.1ⅿ)。手前は、函館1の繁華街である五稜郭・本町地区で、五稜郭タワーやビル群が見えますね。その手前に野球場と陸上競技場。野球場は、オーシャンスタジアムといい、戦前の球聖・久慈次郎さんの碑があります。
キャッチャーをしていた久慈さん(函館大洋倶楽部)は、日本代表チームの主将としてスタルヒン(元巨人軍)や沢村栄治さん(京都商業高校→巨人軍)らの球を受けていた人です。
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こちらは函館駅前で、旧青函連絡船の摩周丸が係留されていますね。右側のビルは、ほとんどがホテルです。
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人口島の緑の島。ここで2度、函館出身のロックグループGLAYが5万人を集めた野外コンサートを開いています。
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造船会社の函館どつく。奥には、津軽海峡フェリー青函フェリーの船が見えます。
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大森浜側には湯の川温泉街のホテル群。楽天トラベル利用者の温泉ランキング(2019年)で、堂々の全国4位となった温泉です。
ちなみに、1位は熱海温泉(静岡県)、2位 別府温泉(大分県)、3位 草津温泉(群馬県)だから、超有名な温泉町と並ぶんだから大したものです。
なお、5位那須温泉(栃木県)、6位鬼怒川温泉(栃木県)、7位白浜温泉(和歌山県)、
8位伊東温泉(静岡県)、9位秋保温泉(宮城県)、10位下呂温泉(岐阜県)
です。
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山麓の西部地区を見て見ましょう。手前からハリストス正教会、聖ヨハネ教会、奥の赤い屋根が元町カトリック教会、右に東本願寺函館別院
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函館湾の向こう、北の方角に駒ケ岳(1131ⅿ)が見えます。
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ズームしえ見ると、山頂が隠れていますね。駒ケ岳と大沼は、大沼国定公園に指定されていて、大正5年というから1916年だから今から105年も前のことですが、実業之日本社「婦人世界」で「新日本百景」を選定。三保の松原(静岡県)と耶馬渓(大分県)とともに大沼公園が選ばれたのです。
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手前の山は観音山で、登山コースの一つ。湾の向こうに北斗市が広がり、前回紹介した上磯の太平洋セメント工場が見えるはずですが、白一色で分かりませんね。
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左側の山々は知内町。煙を上げている煙突が見えますが北海道電力の知内火力発電所。右の山は北斗市当別の丸山(482.3ⅿ)で麓にトラピスト男子修道院があります。
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ということで、山頂からの風景を紹介いたしました。
そろそろ下山しましょう。踏みしめられた登山道を、下山しますが下りは楽。「人生下り坂最高!」は「こころ旅」で火野正平さんがいつもつぶやいていますが、本にもなっているんですね。

「人生下り坂最高!」著/火野正平とNHKチームこころ旅 2015年10月発売 ポプラ社1540円
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ストック2本を使って、走るように楽々下ります。転んだって、雪の上だから大丈夫!
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こんな素敵な道を歩かないなんて、何ともったいないことか!汗をかいた分、楽しいことも多かりき!
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ということで、函館山登山はこれにて終了です。また登りに来たいな!と思わせる山でした。
次回からは、雪の山麓を歩いて西部地区の坂を紹介します。
では、また!

1月10日日曜日、天気は雪で午前10時現在吹雪いていて、今日は雪がまた積もりそうです。
ニュースを見れば北陸では1m以上もの積雪で、車が立ち往生したり屋根からの落雪で死亡者が出たりで、大変なことになっていて、それに比べたら30㎝前後の積雪は大したことはないのですが、それでも年々雪かきはきつくなってきているのは事実。早く暖かくなってコロナも収まり雪も解けて欲しいです。

さて、函館山登山の2回目。
標高334m、周囲約9km、牛が寝そべっているような外観で、別名「臥牛山」とも呼ばれています。
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雪道を踏みしめながら歩きますが、夏と違って滑るし時間もかかり歩きづらい。
ところどころに、お地蔵さんがありますが、これは函館山三十三観音で、ここは第5番ですね。IMG_5432



























戦前、軍の要塞となっていたため、1914年(大正3年)にこれらのお地蔵さん33体は湯の川の湯川寺(とうせんじ)へ運ばれてきます。だから、函館山のお地蔵さんは戦後に新たに造り直され、復活したものなのです。
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ここは5合目。左に行くと千畳敷。どこにでもある名前ですが、昔はスキー場になっていたとか。リフトなどはなく、滑り終えたら自分で上がりなおさなければいけないところですね。
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案内図を見ると、いろいろなコースがあることが分かりますね。冬場はこれ以外にも自分勝手に雪の上を歩いてオリジナルコースを作れます。もちろん、木々を倒したり折ったりはいけませんよ。
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5合目を過ぎると、森の中を歩いてきたコースから、少しは見晴らしが良くなり、山頂が見えだしました。
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時々、真上から雪が落ちてくることもあり、見上げると枝にびっしりと雪がついていて、これが頭の上に落ちてくるんだな、と。
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北海道の山では、ヒグマの心配があるけどここはなし。周囲が海だし、それに麓は市街地が広がっているから安心して登れる山です。
しいて上げるなら、キタキツネは生息していて私も見たことがあります。それとシマリス。夏場はマムシが出るから気を付けないと。それとスズメバチもいるから、刺激しないように!
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市街地のそぐそばの低山ですが、戦前までおよそ半世紀間市民立ち入り禁止の軍事要塞だったから、豊かな自然が残されていて、約600以上もの植物と150種類以上の野鳥が分布・生息する、、まさに自然の宝庫なのです!
植物では、ツタウルシ・山ウルシが秋に紅葉して、木々の生い茂った場所に踏み込むと、かぶれることもあります。それと猛毒のトリカブトも生息していて、一見紫色の自然の花かな?と思うけど、花も茎も葉もすべてが毒。絶対触れないように!
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尾根伝いに歩いて南へ行けば、写真左側に見られるように、電波塔があって、そこから立待岬方面への下山道もあります。
歩き始めた時は、肌寒く首まで羽毛のジャケットのファスナーを締めていたけど、さすがに7合目まで歩いてくれば体も暖まりジャケットを脱ぎたいくらいまで汗ばんで来ました。手袋も外して素手でも全然寒くありません。
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南方向を見ると、津軽海峡の向こうに津軽半島が見えます。冬、空気が澄んで乾いた快晴の日だと100km以上も離れた岩木山も見えることもあるけど、この日は見えず。
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7合目のここは鞍部になっていて、函館湾の外海越しに北斗市と木古内町の山々が見えます。
一人登山者が登ってきましたが、多分観音山コースという北側のルートを歩いてきたのでしょう。
実行寺または山上大神宮から登り始める登山道です。
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さぁ、山頂まであとわずか。テレビ局のアンテナが林立している場所が山頂です。
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で、もうすぐ山頂ってところで、ロープウェイの横に来ました。
このロープウェイ、1958年(昭和33年)に31人乗りのロープウェイが開業し、59年には山頂展望台と食堂・売店も出来ます。
1970年に45人乗りへ。1986年には函館市が出資して第3セクターの株式会社へ。1988年に125人乗りの当時としては日本最大の定員へ。
1993年に日本初のコミュニティFM局の「FMイルカ」が開局。
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麓からの所要時間は3分。ちなみに運賃は往復1500円、片道だけだと1000円。
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ここから見る南東方向には、青森県の下北半島も見えるし亀田半島汐首岬も見えています。とっても穏やかな津軽海峡。
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いつもだったら、インバウンドの外国人、特に中国人や台湾からの観光客でにぎやかなはずで、通常時は15分おきに、混雑時は5分ごとに運転されていますが、今は日本人すらそれほどおらず閑散としています。
HPを見れば、冬期間は営業時間を短縮して始発が14:30、最終が21:00となっていました。
いつもだったら朝から動いているし、夜は遅くまで営業したのに・・・。
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次回の3回目は、山頂から360度周囲を見、また市街地をズームした映像をお見せいたします。
ということで、また次回!

1月8日金曜日、天気は昨夜から暴風雪になっていて、朝起きたら玄関のドアを開けるのに力が必要なほど雪が積もっていました。こんなのは久し振りのことで、きょうから日曜日にかけて相当積もることが予想されます。今日の積雪は30㎝くらいか?雪かきに朝1時間要しましたが、それでも昼と夜も必要なくらいで、止むことなく降っています。

新型コロナウイルス感染者数は、昨日全国で7000人突破し東京では2400人を超えるなど、いつになったら止むことが出来るのか?もしかして、さらに増加し10000人超えもあるでしょうね?人類を滅ぼすのか、このウイルスは。明けない夜明けはないけど、ワクチンで日常の生活が元通りになるのでしょうか?なぜか、この先心配になってきています。

さて、6日のは晴天で無風、気温も真冬日だったけど太陽の下では暖かい日でしたの、久しぶりの函館山へ登ってきましたので紹介します。
出発点は函館護国神社。登山口にある駐車場は15台くらいスペースが在りますが、午前9時に到着した段階で満車状態で、仕方なく護国神社の駐車場に車を置き歩いて山へ向かいます。
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護国神社は、戊辰戦争最後の戦いだった箱館戦争終結後の1869年(明治2年)に、官軍の戦没者を祀るために造立された招魂場に始まる神社です。
建物の奥、左側の森に亡くなった兵士たちの墓があります。ただし、すべて新政府軍の官軍のみ。
賊軍となった旧幕府側の戦死者は一人として祀られることなく、戦場となった市街地に死体は放置されていた、といいます。
当時箱館の任侠をしていた柳川熊吉はそれを見かねて自ら収容して、旧幕府軍の戦死者を函館山山麓の南側、谷地頭の高台に埋葬したのです。その6年後の1975年生き残った幕府側の人たちの手により「碧血碑(へっけつひ)」がその地に建てられました。それはそのうち紹介いたしますね。
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周囲の積雪は20㎝くらいか?所によっては30㎝を越えている場所もあるけど、踏み分け道があるから歩きやすい。冬でも、毎日のように山登りを日課のようにしている市民が多いからです。

登り始めてすぐに、函館山の軍事基地で働いていた軍人のための貯水槽がありました。
戦前まで、函館山は軍の管理下に置かれ一般市民は立ち入り禁止。どころか、山をカメラで撮ることも出来ず、スケッチをしただけで警察に逮捕された人もいたとか。
函館山は、山すべてが要塞化されていたのです。
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明治時代から軍事要塞基地化されていて、函館山は日本のジブラルタルとなっていたのです。
ジブラルタルは、スペイン最南端のアフリカに最も近い港町ですが、現在もイギリス領です。イギリスは、大西洋から地中海へ入港する船を見張るためにジブラルタルの山に大砲を設置して、通過する船へ睨みを効かせていたのです。もっとも、今もジブラルタルはイギリス領ですが。

函館山は、津軽海峡を通過する船、特に日露戦争前はロシアの軍艦に対峙する要塞基地だったのでした。それが、第二次世界大戦まで継続していたから一般市民には入山禁止だったのです。
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戦後は開放され、今は気軽に登山できる低山として子供たちの登山や、遠足にも利用されるポピュラーな山となっています。高さは334m、ゆっくり歩いても1時間、普通に歩けば40分ほどですが、さすがに冬に雪の上を歩くのは時間がかかります。滑るし、雪に足を取られるので1時間かかります。
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コースはいくつかありますが、この日は一番利用者が多い坂のきつくない旧道コース
杉の並木がありますが、明治時代函館山は裸の山だったとか。伐採を禁止しても、市民は暖房用の薪を取るために勝手に伐採して裸の山になっていて、明治時代の写真を見るとそれが分かります。
だから、これらの杉は大正時代以降か、または昭和に入ってから植林されたのでしょうね。
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とっても気持ちの良い登山日和の日で、道中何人もの人と出会い、皆「おはようございます!」と挨拶してくれてこっちもうれしくなります。
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この枝、西風が強いから西側に樹氷のように雪がついていますよ。ほんの細い枝にもその10倍以上もの雪がついてふっくらした形をしていますね。
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実は、函館山は元火山だったのです。100万年前までは火山活動していて、噴火した溶岩があちこちに見られます。
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この左側の壁は溶岩が冷えて岩となったもの。もちろん今は火山活動はまったくなく噴火の心配は全然ありません。
100万年前は、だから函館山は噴火して島を形成していたのです。1万年前の縄文時代前期の温暖期、縄文人は海抜50mよりも高い土地で生活していて、函館山を海の向こうに島として見ていたはずです。
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それが、その後漂砂現象で砂が押し寄せてきて、陸地と島が繋がり砂州が形成されます。
だから、函館の町は陸繋島なのです。島が砂でつながった地形なのです。
陸繋島は、全国的は珍しい地形の一つで、函館以外では他に秋田県の男鹿半島、今は大部分が干拓されしまった八郎潟と繋がっていますね。しかも北と南のダブルでの砂州でつながる地形です。
首都圏では神奈川県藤沢市の江の島、和歌山県串本町の潮岬、福岡市の志賀島、宮崎市の青島などが知られていますね。
世界的には、フランスのモンサンミッシェルは超有名ですし、ジブラルタルも陸繋島の一つで、やはり函館と地形が似ているんですね。
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いままでにどれだけ登ったことか?
小学生の頃から電車で来て登ったり、中学生の時は自転車で来て登ったり(ただし自転車で山頂へ行くのは禁止で、麓に自転車を置いて歩いて登りましたよ)、ご来光を見るために日の出前に登ったり、夜景を見るために彼女と一緒に、でもロープウェイはお金がかかるから使わず歩いて暗い道を手をつないで登ったり、とかいろいろ思い出があります。
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野鳥観察小屋もあります。函館山はしばらく市民立ち入り禁止だったし、一周道路もなく豊かな自然は荒らされることなく残されていて、野鳥も数多く見ることができるのです。
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一合目ごとに標識が建てられていて、ここは山頂手前の駐車場の下。上にフェンスが少し見えていますが、そこは駐車場。冬は積雪のため通行止めになっていて、関係者のごく一部の車しか認められていません。
関係者とは、山頂にある各テレビ局(NHK、TBS系、日テレ系、テレ朝系、フジテレ系、テレ東系)の人たち、ロープウェイと山頂レストラン、売店などの人たち、電波基地があるので海上自衛隊海上保安庁などの車は、毎日ここへ通勤(?)のために除雪した道を登って来ていますね。
もちろん、ロープウェイは動いているのでそれで通勤している方もおりますが。
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さぁ、まもなく山頂です。今日は、たくさん撮影した写真をいくつか飛ばして大サービスで山頂からの映像をお見せします。
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晴れ渡った真冬の午前中に、山頂から見た函館市街地です。
市街地は、ほとんど平坦で一番くびれた部分はわずか1km。「1km通り」という名前のストリートもあります。場所は、左に見える函館湾の旧青函連絡船桟橋付近から茶色のビルの市役所を通り、右側の津軽海峡に面した大森浜に至る通りです。
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昨日お伝えした横津岳連峰の山々の稜線もきれいに見えているし、この日は風がないから海の波もなく凪状態で、冬の海にしたら非常に穏やかです。ただ、左端に見える駒ケ岳の山頂部分だけが一部雲に隠れていますね。
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函館どつくの造船工場もハッキリと見えているし、湾の中の人口島である「緑の島」もきれいな形をしていますね。
一面、真っ白の函館市内です。
ということで、次回も函館山登山の続きをお伝えします。

またまた雪が激しく降ってきています。どれだけ積るのだろう?雪もコロナも、もう結構ですよー!
では、また!



1月7日木曜日、天気は午前中は晴れですが、今夜から日曜日にかけて暴風雪になるとか?で心配な天候です。コロナもついに全国の感染者数が6000人を突破し、ますます増加し続けていて一体いつ収束に向かうのかが分かりません。春になるにつれて減少していけば良いのですが、ここまま増え続けるならお先真っ暗の世の中になりそうで、怖い感じがします。早く収まれ!安心して街を歩けるような世の中になってもらいたいです!

さて、先日お伝えした十字街の旧丸井今井デパートですが、内部に残っているエレベーターを紹介します。
まず、階段を見てください。1923年(大正12年)に建築されましたが、1934年(昭和9年)の函館大火で建物の内部は全焼。しかし、当時の函館経済は東京以北最大の都市としての勢いがあり、それまでの木製の階段の手摺から、イタリアから取り寄せた大理石造りへと改修されました。
見た目だけでも豪華絢爛そのものですね。
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そしてエレベーター。何と!東北以北で現存する最古のものだそうです。たまたま観光客が来ていて、まちつくりセンターの館長さんが熱心に説明しています。
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一部5階建てですので、5階までの表示がありますね。窓口に声をかければ試乗も出来るとかで、今思えば乗れば良かったな、と後悔しています。
昇降速度は毎分45メートルで、他のエレベーターに比べるとかなりのスローペースで、最上階の5階までは15秒もかかるとか。
12人乗りのアメリカ製で、直径1.5㎝のワイヤー5本で吊るし上部にあるモーターで昇降します。
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動力は電気だが、捜査は内部のハンドルレバーを使用。説明がありました。
「東北以北最古のエレベーター」と書かれいますね。
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で今朝の北海道新聞に、たまたま道南版地域の話題ページで「道南ここにお宝」の特集で取り上げられていたのです。それを載せておきますね。
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「レトロな装飾 映画のよう」は一度見ると分かります。
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帰りにこんなものを発見。雪国ではない人には何なんだろう?と思うもの。「すべり止め砂」は砂を撒くことで、アイスバーンになっている歩道で滑らないようにします。横の絵をご覧になればお分かりですね。
今年はないけど、例年この砂を入れて受験のお守りとして受験生にプレゼントしている会社もあるほどです。滑らないから→落ちない、と合格祈願のお守りですね。
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5日に母の入所している施設に面会に行ってきましたが、その道中はまさに白銀の世界!場所は函館市の北で、隣町の七飯町(ななえちょう)との境目付近。周辺はジャガイモやダイコン、ニンジンなどを栽培する広大な畑が広がっているところです。
左側遠くに函館山が見えていますね。右の小山は北斗市の丸山(482.3m)で、麓にはトラピスト男子修道院があります。日本では男子に関しては、大分県の日出町(ひじまち)と2か所しかなく、北斗市の当別の修道院は日本初の第1号なのです。
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北を見ると、江差自動車道路が畑を横切って建設されています。その奥には北海道新幹線の高架もあります。
左に煙を上げている煙突が何本か見えますが、これは北斗市上磯地区にある太平洋セメントの上磯工場の煙突。1884年(明治17年)からの創業で、現在稼働しているセメント工場としては我が国で唯一の120年を超える歴史を有しています。
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北東を見ると、函館近郊では最高峰の山である横津岳(1167m)と袴腰岳(1108.4m)が見えています。ちょうどポプラの真裏に袴腰岳、その左側のなだらかな斜面の山が横津岳。
横津岳には、山頂付近で1971年(昭和46年)7月3日、札幌から函館へ向かっていた航行中の東亜国内航空YS11型機の「ばんだい号」が濃霧のため激突した事件があります。乗員・乗客68名全員死亡という惨事でした。自分は、ちょうど大学1年生の時で夜クラブのミーティングで喫茶店にいて、お店のラジオで聞き驚いた記憶があります。まさか、飛行機事故が函館で起こるなんて!と。
でも、その後も加藤登紀子さんが乗客だった飛行機のハイジャック事件とか、ソ連の最新鋭戦闘機のミグ25の飛来とかいろいろありましたね。
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東の方向を見ると、函館市の郊外にある低山の蝦夷松山(667m)、蓬揃山(500.9m)などが見えていますね。
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ポプラの木をズームして見ると、右側にポツンと見える山がありますが、名前は庄司山(570.3m)。
実はこの山には、松前藩主第11代目の松前邦広がこの山の麓に福山城(松前城)を移そうと計画していて、城の図面を作成し築城資金も蓄えて幕府に移城の申請までしていたのです。
が、邦広は1743年4月に死去して立ち消えになったとか。
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道路も真っ白で、一部アイスバーン状態。雪国プラス北国の雪道を走ったことのないドライバーは、こんな道を走るのは怖いでしょうね。もちろん、すべての車はスタッドレスタイヤを履いているし、中にはチェーンを撒いている車、特にトラックもいます。
本州で、特に東京などで雪が積もっているのに夏タイヤのみで走行している車がいて事故っているのをニュースで見ると、とても信じられません。冬に夏タイヤで走るなんて!自殺行為ですよ。
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ということで、今夜からどれだけひどい天候になるのか?積雪も数十センチとか?で明日以降の雪かきが大変そうです。
次回からは、雪の函館山登山をお伝えする予定です。あくまで予定です。
では、また!

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