1月30日土曜日、天気は昨夜から連続で暴風雪。朝起きたら結構雪が積もっていました。といっても、15㎝くらいで他の豪雪地帯に比べたら大したことはないのですが、ただ重いベタ雪だったので1時間ほど費やした雪かきは疲れました。
さて、弥生坂から北西方面へ横断します。この辺りも「函館のビバリーヒルズ」らしく私的な家並みが続いています。特に、左側の奥に見える緑の屋根の家などは素敵に映りますね。

緑色の屋根の家は、やっぱり和洋折衷の函館スタイルの素敵な家でした。

この家のある場所は常盤坂の角地。常盤坂の由来は、『はこだて歴史散歩」によれば、「江戸時代後期、この坂の上に大石忠次郎という屋敷があり、そこに大きな松の木があった。これは岩手県の義経腰かけの松と称された名木の種を持ってきて植えていて、近隣の名物となっていたそうな。その松の緑から常盤坂という町名が生まれて、坂も常盤坂となった」と。
この坂の中ほどには遊郭があって、「見返り坂」とも呼ばれたそうな。女と別れを惜しんだ坂から名付けられたらしい。
また、芝居小屋もあって芝居町という町名になり、芝居坂とも呼ばれたそうな。

遊郭については、函館は東京以北最大の遊郭があった、という話を聞いたことがあります。そして、実際に魚見坂の奥にある地蔵寺には「遊女らの墓」もありました。
それは、引き取り手のない遊女たちを供養するために、合同で建立した供養塔のことで、それについてはまた後日紹介することにします。

1階の格子の入った窓、2階の上下に開く窓、どちらもカッコイイですね。
でも、建築費は通常よりは高く付きそう。

電車通りに戻り、弥生坂の下へ降りてきました。角地にあるこの建物も素敵ですね。

弥生坂を見ると、上の方がロードヒーティングされていて舗装路が見えているけど、下の方は積雪のまま。これは、上の方が急傾斜だからで車で上って行くのが大変なのでロードヒーティングしているのでしょう。坂の途中でスリップして上れなくなったら困りますものね。

海の方へ歩いていくと、一見歴史的建築物かな?と思わせる古めかしい建物があります。
これは、函館市臨海研究所の建物で、パンフレットには「ペリー上陸の地」とも書いてありました。
江戸時代は、ここに松前藩の「沖の口番所」があって、松前藩の税務署みたいな役所で、出入りする船・荷物・旅人から税金を徴収していました。
明治時代になってからは、箱館郵便役所が設置されて北海道の郵便の第1号となります。
大正時代は、1926年(大正15年)水上警察署になり、
戦後の1952年(昭和27年)には函館西警察署の建物へなり、1984年(昭和59年)まで22年間使用されたのでした。
その後解体されますが、旧建築物と同じイメージで臨海研究所が新築されて今に至っています。

内部の見学は出来ます。研究所らしくガラス越しに研究室が見学できるし、メモリアルホールという旧函館西警察署庁舎の歩みも見れます。
主に、水産・海洋関連産業の技術の高度化や水産振興に貢献する研究施設として、2007年(平成19年)にオープンしています。

郵便役所の石碑がありますね。

松前藩の沖の口番所跡の説明。

この日は、これで終了。帰りに、市電通りを歩いていたら「ペンションじょう蔵」の前に「高田屋本店跡」の石碑がありました。
江戸時代後期の大商人で淡路島生まれで、箱館で大活躍した高田屋嘉兵衛のお店があったんですね。

駐車場の横には、「高田屋井戸の由来」と書かれた説明板があって、江戸時代はここで井戸水を使用していたのでしょうね。

国道279号線は海峡通りになっていて、函館駅前から北海道分はわずかに1.8㎞しかない国道で、大部分は青森県の下北半島を通り野辺地町までの道路。海上区間が19㎞もありますが、津軽海峡も国道になっているんですね。

ということで、次回はさらに北西側の坂である常盤坂、姿見坂、幸坂を紹介します。
では、また!
さて、弥生坂から北西方面へ横断します。この辺りも「函館のビバリーヒルズ」らしく私的な家並みが続いています。特に、左側の奥に見える緑の屋根の家などは素敵に映りますね。

緑色の屋根の家は、やっぱり和洋折衷の函館スタイルの素敵な家でした。

この家のある場所は常盤坂の角地。常盤坂の由来は、『はこだて歴史散歩」によれば、「江戸時代後期、この坂の上に大石忠次郎という屋敷があり、そこに大きな松の木があった。これは岩手県の義経腰かけの松と称された名木の種を持ってきて植えていて、近隣の名物となっていたそうな。その松の緑から常盤坂という町名が生まれて、坂も常盤坂となった」と。
この坂の中ほどには遊郭があって、「見返り坂」とも呼ばれたそうな。女と別れを惜しんだ坂から名付けられたらしい。
また、芝居小屋もあって芝居町という町名になり、芝居坂とも呼ばれたそうな。

遊郭については、函館は東京以北最大の遊郭があった、という話を聞いたことがあります。そして、実際に魚見坂の奥にある地蔵寺には「遊女らの墓」もありました。
それは、引き取り手のない遊女たちを供養するために、合同で建立した供養塔のことで、それについてはまた後日紹介することにします。

1階の格子の入った窓、2階の上下に開く窓、どちらもカッコイイですね。
でも、建築費は通常よりは高く付きそう。

電車通りに戻り、弥生坂の下へ降りてきました。角地にあるこの建物も素敵ですね。

弥生坂を見ると、上の方がロードヒーティングされていて舗装路が見えているけど、下の方は積雪のまま。これは、上の方が急傾斜だからで車で上って行くのが大変なのでロードヒーティングしているのでしょう。坂の途中でスリップして上れなくなったら困りますものね。

海の方へ歩いていくと、一見歴史的建築物かな?と思わせる古めかしい建物があります。
これは、函館市臨海研究所の建物で、パンフレットには「ペリー上陸の地」とも書いてありました。
江戸時代は、ここに松前藩の「沖の口番所」があって、松前藩の税務署みたいな役所で、出入りする船・荷物・旅人から税金を徴収していました。
明治時代になってからは、箱館郵便役所が設置されて北海道の郵便の第1号となります。
大正時代は、1926年(大正15年)水上警察署になり、
戦後の1952年(昭和27年)には函館西警察署の建物へなり、1984年(昭和59年)まで22年間使用されたのでした。
その後解体されますが、旧建築物と同じイメージで臨海研究所が新築されて今に至っています。

内部の見学は出来ます。研究所らしくガラス越しに研究室が見学できるし、メモリアルホールという旧函館西警察署庁舎の歩みも見れます。
主に、水産・海洋関連産業の技術の高度化や水産振興に貢献する研究施設として、2007年(平成19年)にオープンしています。

郵便役所の石碑がありますね。

松前藩の沖の口番所跡の説明。

この日は、これで終了。帰りに、市電通りを歩いていたら「ペンションじょう蔵」の前に「高田屋本店跡」の石碑がありました。
江戸時代後期の大商人で淡路島生まれで、箱館で大活躍した高田屋嘉兵衛のお店があったんですね。

駐車場の横には、「高田屋井戸の由来」と書かれた説明板があって、江戸時代はここで井戸水を使用していたのでしょうね。

国道279号線は海峡通りになっていて、函館駅前から北海道分はわずかに1.8㎞しかない国道で、大部分は青森県の下北半島を通り野辺地町までの道路。海上区間が19㎞もありますが、津軽海峡も国道になっているんですね。

ということで、次回はさらに北西側の坂である常盤坂、姿見坂、幸坂を紹介します。
では、また!

















































































































































































































