函館発  ぼうけんの旅

旅が大好き!2013年4月から始めて「ぼうけんの旅」は今年で12年目に突入。 車中泊中心の貧乏旅行の旅、今年で72歳を迎えいつまで続けれるのか?今のところ体力・気力はバッチリ。 いよいよ「2025 年ぼうけんの旅」は4月「春の旅」からスタートです!

2025年が明け今年は73歳を迎えて、体力的には厳しくなってきている車中泊の旅。いつまで出来るのか?まずは75歳を過ぎるまでは続けていきたい!と。未知の地を訪ねて、行くぞ!軽バン一人旅の始まりです。

2020年12月

12月31日木曜日、天気は1日中猛吹雪で気温もマイナス10℃くらい。道内では幌加内でマイナス30℃を超えるなど、各地で冷え込んでいます。午後3時までにすでに2回の雪かきで、あともう1回しなきゃいけない。でも、粉雪で軽いから助かるが外でも作業はとても寒い。歩くと雪がキュッ、キュッと鳴って寒さが一段と増していることが分かります。明日はさらに冷え込むみたいだし、雪も多いようです。
年始は家にこもっていなさい!の天からの命令でしょうか?

そういえば、2020年最後の日の今日は、東京でコロナ感染者が1300人を超えたとかで、どれだけ増え続けるのか?いつまで続くのか?来年のことを想像すると気が滅入りますが、この先どうなっていくのでしょうか?不安がいっぱいです。

さて、ハリストス正教会の横の通りは「チャチャ登り」という名の細い坂。右の壁はハリストス正教会に対し、左の壁は聖ヨハネ教会。教会の建物の一部が見えていますね。
チャチャとは、アイヌ語で「おじいさん」という意味。この坂は急坂だから、坂を登るにはおじいさんのように腰を曲げて登らねばならない、と名付けられたそうです。
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一方、その下の坂は大三坂。この坂についてはのちほど紹介します。
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チャチャ登りの坂を少し登ると、北側にハリストス正教会。その向かい側に聖ヨハネ教会の入口があるので、そこから入ることにしましょう。
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見てお分かりのように、上から見ると十字架の形をした教会です。始まりは、1874年(明治7年)にデニングという名のイギリス人牧師が函館に来て伝道活動をしたことです。
彼の次の伝道師アンデレスが礼拝堂を設立し、大火で焼失したりで現在の地には1921年(大正10年)に、1979年(昭和54年)にこのような形として再建したのです。
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それにしてもカッコイイ建築物ですね。上からは十字架のように見えますが、1階部分は広い講堂で多くの信者さんたちが礼拝できますね。右奥にチラッと見えているのが牧師館です。
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今年は、4月に函館市内にどれだけ教会があるのか、市内をくまなく探しました結果、プロテスタントは25以上あり、中には普通の民家を開放している教会もあって、そこで分かったことは「牧師の数ほど教会がある」ということでした。
教団に属しない、いわゆる独立系の教会もあったり、異端系の教会、ネットで調べて出てこない教団の教会など調べるほど興味が湧いてきたほどでした。
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足元を見ると、マンホールも教会。
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日本聖公会は、イギリス国教会のことで、昨日紹介しましたね。左の建物が牧師館です。赤い屋根で素敵な建物です。
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日本の坂100選の一つに選ばれている大三坂は、「はこだて歴史散歩」(北海道新聞社)によると、
「昔、この坂の下に木下という人が住んでいたので、「木下の坂」といった。が、その後大三という家印(いえじるし)の人が住んだので「大三の坂」と云う風になった。今は「の」が抜けて「大三坂」と云っている。」その大三という家は郷宿だったそうで、郷宿とは江戸時代に地方から公用で出てくる村民が宿泊した宿を云うそうで、当時元町にあった箱館奉行所に来る人たちが郷宿に泊まていたのです。
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右側に函館出身の作家である亀井勝一郎の石碑がありますね。右端にチラッと見える黒い瓦屋根の建物は、東本願寺函館別院で1915年(大正4年)日本で最初の鉄筋コンクリート製の寺院として建てられています。
左に見える洋風建築物へと向かいます。
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緑色のとがった屋根の上に風見鶏がある教会は、カトリック元町教会。幕末の1859年にフランス人メルメ・カションが箱館に来て小さな仮聖堂を建てたことが始まりで、現在地には1924年(大正13年)に大聖堂が完成して今日に至っています。
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横浜の山の手教会長崎の大浦教会と並ぶ日本で最も古い教会でもあるのです。
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こちらは神父館でしょうか?
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ということで、昨日と今日で元町にある3つの教会を見てきました。一つはロシア正教会、もう一つはイギリス国教会、そしてカトリック教会と同じキリスト教でも宗派の違う教会を見ましたね。

2020年もあと4時間ほど。今年はコロナに始まりコロナで終わって年ですが、決して良い年ではありませんでしたね。来年こそ皆様にとって良い年になることを祈るとともに、今年1年間私のつたないblogをお読みいただきありがとうございました。
お体大切にして、来年もblog上でお目にかかりますように!と祈ります。
では、また!

12月30日水曜日、天気は曇りで気温は最高でプラス2度くらいか?今日は雪も降らず穏やかな冬日の日でしたが、明日以降は強烈な寒波が襲うようで、大晦日の日から正月三が日は家の中で引き籠りになるでしょうね。雪かきも大変そうですが、このコロナ禍だから何処にも行かずにじっと家にいるしかないなさそうです。

さて、八幡坂の突端にある函館西高校から南方向の道をたどると、すぐに遺愛幼稚園へ。
淡いピンク色の壁と赤い屋根、上下に開く窓、下見板張りの2階建て洋風建築物は、見るからに素敵ですね。
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日本では、現役最古の幼稚園建築物です。今から125年前の1895年(明治28年)に遺愛女学校の付属幼稚園として創立。ここは、遺愛学院の発祥の地です。
それに先立つこと25年前の1874年(明治7年)にアメリカ人宣教師M・C・ハリス氏が函館に来て伝道活動し、1882年(明治15年)に北海道初の外国人経営の学校を開きます。それが、遺愛女学校の始まりです。
幼稚園の卒業生には、文化人の今東光、初代文化庁長官を務めた今日出海、小説家の亀井勝一郎などがいます。
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本当に素敵な建物ですね。高校生や中学生が通う遺愛学院は、ここではなく五稜郭の近くの市電杉並町電停にあり、ここから5㎞くらい東方向にあります。
英語教育に力を入れていて、宿舎があって全国から女生徒が集まる名門私立女子校で、市内でも人気の学校になっています。
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今歩いている坂は、車も通れないほどの細い道で、特に名前はないみたい。あるかも知れないけど、どこを見ても表示はありません。
小さな坂を含めると、函館山からの坂は何本あることやら?結構きつい坂だから、お年寄りにはしんどいことでしょう。
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坂の途中から振り返ると、カトリック元町教会が見えます。ここについては、次に紹介することにします。
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で、遺愛幼稚園の坂を挟んで向か側に建つのが、函館ハリストス正教会ロシア正教会の教会ですね。
キリスト教(信者数は世界で23億人、全人口の約33%)は、多数派のカトリック旧教 信者数ではほぼ6割)が12億人、プロテスタント(新教)が5億人、正教会(東方正教会)が3億人と云われていいて、その他にモルモン教や異端派教会が合わせて3億人ほどいるといわれます。
正教会は、ロシア始め発祥の地のギリシア、ウクライナ、ルーマニアなど東ヨーロッパに多いですが、カトリックがローマ法王の下でまとまっているのに対して、プロテスタントはたくさんの宗派に分裂しているし、正教会も国ごとに分かれています。
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こちらは司祭館。教会の司祭さん、カトリックで云えば神父さん、プロテスタントでは牧師さんにあたりますね。なお、ハリストスはギリシア語でキリストを意味する言葉です。
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信者会館。丸窓に正教会の特徴の一つである八端十字架が描かれています。
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教会の上の十字架にもありますね。普通の十字架ではなく、上の横棒は罪状書きで「ユダヤの王・ナザレ人イエス」を表しています。
下の斜めの棒は、足台ですが斜めになっているのはイエスとともにエルサレムゴルタゴの丘で処刑された2人の盗賊の死後のことが含まれています。
つまり、一人はイエスをメシア(救世主)と認め天国へ(上向き)、もう一人はイエスをののしり地獄へ(下向き)、と。
だから斜めなんですね。
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1861年に箱館にやってきたニコライは、新島襄が密航成功するまでここの教会に住まわせていたのです。1868年の明治元年には密かに日本人3名に洗礼を授けています。
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実は市内では正教会の信者さんが多いんですよ。私が元勤めていた高校にも4名の信者さんがおりました。なぜかというと、当時の司祭さんが理科の教員としてわが校に教えに来ていたのです。とても尊敬できる方で、その影響で信仰の道に入った方がいたわけです。
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その中の一人で、私の高校の先輩にあたる人が亡くなり、ここでお葬式が行われお手伝いしました。
とても厳かな式でしたが、お墓はハリストス正教会の墓地で、火葬ではなく土葬でした。
それまで日本の葬式ではすべて火葬かな?と思っていましたが、教会などの特別なエリアでは土葬も可能なんですね。函館山山麓の墓地には、例えば外人墓地と呼ばれるエリアでペリー来航時で(1854年)に2人の水兵さんが箱館で亡くなっていますが、彼らも土葬されたんですね。
その時に初めて土葬を知った次第で、驚いたのでした。
葬式で驚いたのは、1980年にインドに行った時にガンジス川の中流のバラナシ(当時はベナレス)で、死者を薪で焼くのですが、値段が高い薪を買えない遺族もいて、生焼の時もあるのです。それを川に捨てるんですよ。それを見た時は、驚愕でした!
ムンバイ(当時はボンベイ)のゾロアスター教の寺院では鳥に食わせる鳥葬も遠くで見て、何と!世界は広いんだぁ!と感じたのでした。
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その横にあるのが、日本聖公会函館ヨハネ教会。いわばイギリス国教会のことで、一応プロテスタントですが、内容的にはカトリックに近い教団です。16世紀のイギリスの国王ヘンリー8世の離婚問題で、離婚を認めないローマ法王と対立して、国王が教会の首長になり勝手に独立したのが英国国教会です。
ヘンリー8世は、離婚は5回し6人の奥さんをもらいますが、二人目のアンブーリンはロンドン塔で刑死(娘のエリザベス1世は後の女王)、5人目のキャサリンハワードも反逆罪で刑死という、女の敵みたいな男です。
21世紀、アメリカ大統領のトランプは、このヘンリー8世の生まれ変わりみたいな人物!と云っても過言ではないでしょう。
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正面から見た教会です。いつもは行列ができてるほど人気がある教会です。イコンと呼ばれる聖人の絵が飾られている内部見学は献金200円ですが、今年は中止。
そして、来年早々からは建物の老朽化対策と耐震補強のために大規模な修復工事が行われます。工事完了は2022年末とのことだから、3年近くは見れないことになります。
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横には、説明板もあります。いつもは、観光客の似顔絵を描いたり教会などの風景画を描き販売する画家さん(?)たちが並ぶ通りも、寒いのもあるけど誰もしません。
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ここの教会群は函館市内観光の一番人気の場所で、いつもは旗を持ったガイドさんに引率された団体客がひっきりなしに訪れていますが、今年は少なく閑散としていて寒しい限りです。来年こそは、本来の大勢の観光客で賑わってもらいたい!のが市民の祈りなのです。
3時間後の明日は大晦日で、2020年も終わります。2020年はコロナに追われていた366日でした。うるう年でオリンピックイヤーでしたが、オリンピックも延期され大勢の高齢者が亡くなりました。

来年はコロナも収まり、穏やかに過ごせますように!と祈ります。
皆さんもコロナに負けず、ご無事にお過ごしください!
では、また!


12月29日火曜日、天気は雪で気温は真冬日。1日中マイナス気温で、外を歩くと寒い。道路は凍結して滑りやすく、歩くのに注意が必要。雪の量はそれほどではなく、積雪20㎝くらいでいつもの冬と変わりないくらい。ただ、歩く人は皆一様にマスクを付けていて、距離をとって歩いています。

今年は、コロナに始まりコロナに終わる歴史的にも大変な1年でした。このまま来年も続くのか?と思えば未来も希望もない2021年になりそうですが、明けない夜明けはない!とポジティブに考え、私個人は年末は来年の旅先を学習してエンジョイする予定です。

さて、赤レンガ倉庫群を通り過ぎて八幡坂の下のロータリーに出ると、「赤い靴を履いた少女像」があります。
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全国にもありますが、函館のは童謡「赤い靴」のモデルとされる少女「きみちゃん」の像で、2009年に母岩崎かよ娘佐野きみが別れた地と云われる函館に設置された像です。像の作者は函館出身の彫刻家の小寺真知子さん。
有名なのは横浜市の山下公園ですが、他には静岡市日本平、東京の麻布十番、小樽市、青森県鰺ヶ沢町などあちこちにありますね。
奥に、人口島の緑の島とその手前に新島襄の像が見えていますね。
緑の島は、数多くの個人所有のヨットが停泊できるところがありますが、個人でヨットを所有できるなんてすごいですね。維持費がどれだけ掛かるのでしょうか?
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赤い靴の歌詞が書かれています。
赤い靴 履いてた 女の子 異人さんに 連れられて 行っちゃった 
     横浜の 波戸場から 船に乗って 異人さんに 連れられて 行っちゃった

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市電の通りに出てきました。頭を上げると、歩いて行ける距離にある名所が記されています。郷土資料までは通り沿いに100m、ロシア正教会のハリストス正教会までは坂を上がって400m、アメリカ東インド艦隊の司令長官のペリーが上陸して会見をした(1854年)場所までは400m、北海道第一歩の地は海沿いに250mと。
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通りの名前は、海峡通り
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函館山山麓の数多くの坂には、由来が書かれた柱があります。
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名前は文字通りに、昔この坂の上に箱館八幡宮があったから、そう呼ばれたそうです。
現在はありません。それは、明治時代に何度も大火に見舞われて、八幡宮は焼失。その後、同じ函館山山麓でも南の谷地頭町へ移転していますが、坂の名前は今も八幡坂のまま使われています。

電柱が埋められているのは、景観を保つ意味でも良いですね。通りには素敵なお家が何軒も見られて、ここは市内でも一等地であることが分かります。
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坂の上の方まで登ってきました。大きなビルがありますが、玄関は3階建てですが、下から見ると5階建て。入口には、白・青・赤の3色旗。これはロシアの国旗ですね。
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坂の下を振り返ってみましょう。函館湾まで200mくらいはあるでしょうか?
この時は雪はなかったのですが、降雪時はロードヒーティングがされていて、雪が降っても凍結しないのです。市内の大きな坂のほとんどはロードヒーティングされているから、車の運転は一安心です。でも、電気代金はかなりかかりそう・・・。
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ズームして見ましょう。並木道に少し隠れていますが、左側に青函連絡船の摩周丸が見えていますね。
中央右に、頭だけしか見えませんが五稜郭タワーの展望台が見えます。
確か、昨年まではクリスマス・ファンタジーに合わせて通りの並木にはイルミネーションが点灯して、夜間はとってもきれいな坂道になるのです。でも、今年は実施したのかどうか?
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ロシアの国旗は、在札幌ロシア連邦総領事館 函館事務所の建物を表していたんですね。
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その隣の建物は、ロシア極東連峰総合大学 函館校。ロシアの国立大学でロシア語を学べます。
ロシア語と云ったら、ソ連時代に旅した時(1977年 25歳の時)に少しだけ学んだけど、「スポシーバ(ありがとう)」とか、「ドーブラエウートラ(おはよう)」、「ダスビダーニャ(さようなら)」、「パカー(またね)」くらいしか記憶に残っていません。
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実は、ここの建物はかつて函館白百合学園(高校と中学校)の所有だったのです。今は、市内1の交通量の多い産業道路と呼ばれる北東の山の手地区に引っ越していますが、その建物を利用しているのです。
右側にその白百合の幼稚園と修道院があります。
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シャルトル聖パウロ修道女会 函館修道院
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3人の女性たちは、1878年(明治11年)5月28日フランスの修道会本部から派遣されて函館に上陸した修道女たち。シスター・マリーオグスト、シスター・マリーオネジム、シスター・カロリヌの3名です。

彼女たちは、大火に見舞われた函館で診療所を造り、さらに親を亡くした子供たちの乳児院・児童養護施設を建てます。さらに学校を始め、それが8年後の1886年(明治19年)、今の函館白百合学園となり、全国の白百合の第1号となっていくのでした。
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すごい偉い女性たちですね。明治時代の函館には、数多くの欧米からお偉い人たちが上陸して生活していたんですね。
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坂の上は、函館西高校。サブちゃんこと北島三郎始め作家の佐藤泰志辻仁成、三遊亭好楽の弟子の三遊亭洋楽などを輩出している戦前は女子校の名門校です。
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さすがに観光客もチラホラいて、CMなのかドラマの1シーンなのか?ポーズを取っている女性もいます。やっぱり、ここは絵になる風景です!
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ということで、日本1の坂の八幡坂を紹介いたしました。
次回は、ここから南へ少し歩いて元町の教会群をお伝えする予定です。
では、また!


12月27日日曜日、天気は朝から晴れ。気温は最高でも0℃度だから真冬日で寒い。それでも、昨日から積もった雪を雪かきすると体が暖まってきます。今年は毎日のように雪かきしなきゃだめかな?
それでも、サラサラ雪の粉雪だから重くはなく、作業は楽に出来るのでまだ助かりますが。

新型コロナは、とうとう東京では900人超えになり、年末は1000人を超える感染者が出そうですね。全国各地で増えていますが、人がどうしても集まる年末年始、この先どうなるのやら?
政治家は全くあてにならず、どころかトップのし首相からルールを守らず悪いことばっかりやっているし、今後日本は何処へ向かうのか?不安な2021年以降です。

さて、赤レンガ倉庫群の3回目となる今日は、函館湾をクルージングする遊覧船から。昔一度乗ったことがあります。
湾内をグルーっと周った後に、普段は行けない函館山の後ろ側へ。そこは断崖絶壁の連続で、絶景ポイントがたくさんありました。冬の今は運航していないでしょうね。何せ、観光客がいないのだから。
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赤煉瓦倉庫の間は、シーズンだったら違法駐車の車が何台も停まっているけど、1台もなし。
いつもは冬でも人力車を引く若者が客待ちしているけど、さすがに寒さもあってかこれまた1台もなし。
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ホントに観光客はいない。こんなにいない年はなかったでしょうね。観光で持つ函館に観光客がいないと、函館の経済は壊滅状態になります。来年こそは、昨年とまではいかないけど半分でもいいから戻ってきて欲しいです。もっとも、それはどこの町でも同じ願いでしょうが・・・。
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函館に来た観光客が食事をするために必ず寄る場所と云えば、ここ。ラッキーピエロIMG_5207ですね。特にここは地元の人間ではなく、客の大半は観光客のマリーナ末広店。半径200ⅿ以内にベイエリア本店、十字街銀座店があるけど、ここには地元の人間はまず来ない。
それに、いつも観光客が列をなしていて混みあっているのです。が、誰もいない!一体どうしたんでしょう?
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ハンバーガーではランキング日本1になったこともあるラッキーピエロ。あのマグドナルドが函館に進出したけど、ラッキーピエロ人気にかなわず一度撤退したこともあるだから、どれだけ地元に愛されていることか。
その後マグドナルドは再び函館進出を果たしていますが、今やラッキーピエロは全国区の人気。日本各地のみならず世界からもお店を出してくれとオファーが来ているけど、函館や近郊にこだわり札幌や東京に店を出さない心意気に地元民は拍手を送るのです。
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となりのスターバックスも客はいません。朝早いからかな?昼過ぎてから混みあうのでしょうか?
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同志社大学の創立者の新島襄の像。幕末の1864年、箱館から死罪覚悟で密航してアメリカに渡り帰国。
奥様は、会津の女性の八重さんですね。
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昔の青函連絡船だった摩周丸が見えていて、その横に大型クルーズ船が接岸できるように桟橋を工事中ですが、今年は1っ隻も来ず。昨年までは国内・海外から50隻以上も来港していたけど、来年以降来る見通しはあるのでしょうか?
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今年の函館山ロープウェイは、どれだけの客を運んだのでしょうか?世界三大夜景(ほかに香港ナポリ)として乗客数、1台当たりの客人数の日本1のロープウェイである函館山ロープウェイ。
早く元通りになって欲しいです。
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数ある坂の一つの八幡坂。日本1の坂で、数多くのドラマやコマーシャルフィルムで撮影された場所です。
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ちなみに、日経スタイル何でもランキング(2013年7月7日)では、
1位 函館市 八幡坂 1280ポイント
2位 京都市 三年坂(産寧坂) 850ポイント
3位 長崎市 オランダ坂 760ポイント
4位 尾道市 千光寺新道 650ポイント
5位 平泉町(岩手県)月見坂(中尊寺) 540ポイント
6位 那覇市 首里金城町石畳道 490ポイント
7位 熱海市 海光町石畳の坂 380ポイント
8位 神戸市 北野坂 300ポイント
だから、全国の並み居る強豪を抑えてのすごいことですよ!
まさに人口25万人の田舎都市が100万都市に勝利したジャイアントキリングですよ。

で、次回はその八幡坂を登っていきます。
では、また!


追記、先日の函館空港でマイナス18度まで下がった日の朝の我が家の窓です。
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窓は、三重。窓は、一番熱が逃げていくところだから、断熱性能にこだわって一つの窓が三枚のガラスになっていて、その間はアルコンガスという断熱性のもっともあるものを充填しています。
室内は20度、外はマイナス13度だからその差は33度。外側の1枚目の窓ガラスには雪の結晶が張り付いています。
普段はつかない内側の1枚目のガラスも曇っていて結露しているから、どれだけ寒かったかが理解できます。

先日、十勝の開拓の父である依田勉三のことを紹介しましたが、その後知人から十勝の名物「六花亭」のマルセイバターサンドをいただきました。
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マルは◯で、セイは晩成社のセイ。それはこれをズームします。左に◯の中に成の文字が見えますね。
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裏に、そのことが書かれています。明治30年代十勝開拓の祖、依田勉三翁が経営した依田牧場でバターを発表した、と。
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もちろん、美味しかったですよ。
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今日から、高校ラグビー始まりましたね。1回戦で初戦に函館ラサールが出場しましたが、残念ながら長崎北陽台高校に69-14で敗北しました。それでも、2トライ取ったのだから大したものです。
京都成章米子工業に、129-0。強いところと弱いところの差が付きすぎるのは残念。

ラグビーは、素晴らしいスポーツです!
体とからだがぶつかり合う、終わったらノーサイド。今大会期間中、一人も感染者が出ないことを祈ります。

12月25日金曜日、天気は雪。朝方は晴れていたけど、10時半を過ぎてから真っ白い真綿のような粉雪が降って来ています。気温も0℃以下で今日は1日真冬日。昨日までの暖かい日で雪が解けたけど、今朝の寒さでそれが凍り付き道路はザクッザクッの状態で、歩きにくい。
ここ数年は雪がなかったけど、今年は珍しいホワイトクリスマスです。でも、コロナのせいもあって素直に喜べないクリスマスと年末年始で、いつまで続くのか?と憂うと同時に自分も気を付けてはいるけど、いつかは感染するんじゃないかと心配するときもあります。
早く収束して欲しいけど、先行き不安な日本、いや世界。来年はどうなっていくんでしょうね?

さて、赤レンガ倉庫群の続きです。左の建物は金森洋物館とありますが、お洒落なブティック、レストラン、カフェ、お土産店などがあり、いつもは観光客で賑わっているところですが・・・。
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正面に巨大なクリスマスツリーが見える道路の向かい側にも赤煉瓦の倉庫があります。
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昨日紹介した七財橋は、倉庫をつなぐ渡り廊下のような橋の、さらに向こうの石で出来た両脇の橋で、少ししか見えていませんね。函館湾からの風が冷たく頬を冷やすけど、今年はマスクをしているので眼鏡とマスクで顔の大部分が隠れるからそれほど冷たいわけではないです。
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年間500万人から600万人近くまで増えた観光客も、今年はどれだけ減ったことか?場所的に函館にやって来る観光客はほとんどが宿泊していて、ホテルや旅館、ゲストハウスや民泊などかなりの宿泊を伴う業界は今年大打撃を被ったはずです。

例えば小樽の観光客は年間800万人とかですが、その多くは札幌市で宿泊していて、小樽は電車で1時間かからない場所だから、ほとんど日帰りの観光客。でも、函館の場合は飛行機・新幹線・フェリー、マイカーで来る客のほとんどは宿泊していきます。それだけ函館観光にお金が落ちる、ということですよね。
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少し歩くと、明治館へ。元の函館郵便局舎があった建物です。
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後ろを振り返ると、ドラッグストアの「サツドラ」が入る赤煉瓦倉庫。恐らく、中国人の爆買いを想定して数年前にテナントとして入ったのでしょうね。
我が家の近くのホテル「啄木亭」は野口観光の経営する市内でも1,2位を争うくらいの大きなホテルですが、その向かいの更地になっていた場所に2年前にドラッグストアの大手「ツルハ」が出店。そこも中国人の爆買いを想定していたのでしょうね。コロナ前は、毎日のように団体で来ていましたから。
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1911年(明治44年)に建てられた煉瓦造りの旧函館郵便局舎は、50年間使用され1962年(昭和37年)に民間に払い下げられました。
現在もガラス工房など、お土産屋さんが入店していて観光名所の一つになっています。
実は私の知人も昔、ここでお店を開いていましたが、当時は観光地になる以前のことで、数年で撤退しています。ここ十数年の賑わいを見ると、もう少し頑張ればな!と後悔するかもしれませんが、でも今年のコロナで観光客が激減するのを目の当たりにすると、どうだったか?
ウーン、この先を考えると答えが出てきませんね。どうなることやら?
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赤レンガ倉庫の歴史が書かれた説明板。
金森倉庫の創業者の初代渡邉熊四郎は、24歳の時に長崎から函館やってきます。時は、1869年(明治2年)榎本武揚が大将の旧江戸幕府軍が戊辰戦争最後の戦いである箱館・五稜郭の戦いで敗北した年です。彼は金森洋物店を営み利益を上げていき、その後は倉庫を建て巨利を得ていくのです。
先見の明があったのでしょうね。
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グルーっと回って、再びクリスマスツリーの前に戻ってきました。
手前にはカップルが座る長椅子があるけど、今年は順番待ちをすることもなく、一体どれだけのカップルが座ったことか?いつもはたくさんのカップルがここで並んで待ってカメラを撮るのですよ。
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モミの木妖精の教会は、今年も期間限定で開いていますね。
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中を見て見ましょう。
クリスマスツリーを載せている船台の会社は「富士サルベージ」ですね。この会社は海難救助や海洋汚染防止などで、流出油の除去や遭難船舶の救助などの事件が起きた時によく登場する会社で、たまにテレビで見ることがあります。
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ということで、この後は坂の町函館のいくつかの坂を登っていきます。
といっても、坂のある道はすべて函館山の斜面で、市街地はほとんど平坦な土地です。昔、江戸時代後半や明治時代は山麓の斜面に家々を構えていたのです。

では、また!

12月24日木曜日、天気は晴れ時々曇りで気温は8度まで上昇する予定で、積もった雪が解けて道はべちゃべちゃになりそうで、外は歩きにくい。明日からは寒くなりそうで、解けた雪は今度は凍結して青しスケート場のようにこれまた滑りそう。どちらにしても外出は厳しい!

さて、今日はクリスマス・イブ。いつもだったら、とってもおめでたい日なんだけど今年はステイホームで、ひっそりと祝うしかありませんね。いつまで続くこのコロナ、来年もしばらくは続きそうで心配は多いですが、少なくても人ごみには行かず家の中でひっそりとした年末を迎えるしかないでしょうね。

で、いきなり人ごみになりそうな場面ですが、今年は観光客がほとんどいないクリスマス・ファンタジーが行われている函館市西部地区の赤レンガ倉庫群から。
時期は雪の降る前の12月初めで、気温は低く寒かったのですが雪がなかったから散策してみたのです。
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例年だと、姉妹都市のカナダ、ノヴァスコシア州の州都ハリファックスから巨大なクリスマス・ツリーが届いているのですが、今年は北海道産のモミの木で飾り付け。
夜だと無数のLEDD電球で装飾されてとってもきれいなんだけど、夜は人も多いし寒いしで日中にやってきました。
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写している場所は、運河に架かる橋の「七財橋」。奥のホテルはラビスタ函館ベイで2008年オープン。朝食は日本1になったこともある人気のホテルです。屋上に露天風呂があります。
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明治時代に建てられた赤レンガ倉庫群が今も残り、例年大勢の観光客が来ていますが今年は閑散としていて、うるさすぎた中国語も今年は全く聞こえません。
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明治時代の函館は東京以北では最大の都市で、人口では10大都市の一つだったのです。札幌や仙台よりも大きかったのです。今では信じられませんが、何せ札幌196万人、函館25万人ですので、約8分の1です。
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函館山(334ⅿ)を背景に建つ多くの赤レンガ倉庫。今年もサンタクロースが壁を登っていますね。
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橋を降りると、湾の向こうに人口の島「緑の島」。一昨年は函館出身のロックバンド「GLAY」が2日間で5万人を集めた野外コンサートを開いたことでも知られていますね。
函館出身では、昭和の時代は北島三郎、平成はGLAY、令和は誰でしょうか?
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例年だと、数多くの屋台が出ていて昼でも大勢の観光客がいるし、夜だと電飾されたツリーの下でステージが作られて毎日イベントが開催されていて、今年は悲しいかなまったくなし。
でも、毎日6時から花火が打ち上げられるし、最終日の25日は夜8時からも上がるそうです。
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ツリーのある通りは人で埋まるほどだったのですが、今年は数えるほどの人数です。中国語だけでなく、いろんな国から来た人々が集まっていたのに・・・。
夜来ると、きれいでしょうね。ホームページを見ると、市内各地でイルミネーションが輝いていて、白い雪の下で美しい光景が見れますよ。夜来るのは、寒いししんどいです。もう少し若かったら行きますけど・・・。
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それでも、今年もサンタは赤煉瓦の壁を登ります。
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そういえば、今年はGLAYからのクリスマスプレゼントとして、23日から25日まで通常の花火よりもよりスケールアップした拡大花火を打ち上げるとか。
やっぱり、彼らは郷土愛強くて偉いですよ。いつも故郷のことを思っていて、地元の人間にとってはとってもありがたいことです。
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ご覧の通り、誰も歩いていませんね。時間は午前11時ころだからこれからぼちぼち来出すのかな?
それにしても寂しすぎますね。客待ちのタクシーが何台の停まっていて、来年こそ再び観光客が大勢来て欲しいですが。
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ということで、今回からコロナ禍の函館を案内していきます。
メリークリスマス!と祝いたいですが、連日感染者数が増え、死者もどんどん増加していっている現状を見ると、年末年始はおとなしくステイホームしましょう。
皆さんもマスク着用、手洗い・うがい、手指の消毒など気を付けて!

では、また!



12月21日月曜日、天気は雪が降ったり止んだりのどんよりした空模様です。今日は冬至で、1年で一番日が差す時間が短い日。つまり夜の時間がもっとも長い日です。北緯42度の函館では、昼の時間が9時間、夜の時間が15時間あり、明日からは1日につき朝1分夕1分ずつ計2分ずつ昼の時間が長くなります。
もっとも昼の時間が長い夏至の6月21日ころは、昼の時間が15時間、夜の時間が9時間と、今の逆。
早く夏になって欲しいのですが・・・。
昨日の寒さは尋常ではなかったです。函館空港の最低気温は何とマイナス18度まで下がったのです。函館で最低気温が二桁になることは稀ですし、ましてマイナス20℃近く下がるなんて滅多にないこと。
やはり、昨日は寒かったのでした。
それと、今朝というか深夜の午前2時過ぎに突然の大きな揺れ。下北半島東方での地震。震度4だから結構揺れました。そのせいで、昨夜は睡眠不足で眠い!昼寝が必要です。

さて、今回で9月に旅した北海道・道東の旅は20回目をして最終回を迎えます。
まずは、倶知安町の廃校となった小学校から。校舎を見ても古いですね。右側は体育館で、左側は教室。グランドは草ぼうぼうで、しばらく使用した形跡はなし。場所は羊蹄山の麓の寒別地区。
旧寒別小学校の木造校舎です。
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続いて京極町へ移動。羊蹄山の麓は、倶知安町から時計回りで京極町、喜茂別町、真狩(まっかり)村、ニセコ町と山頂から5つに分けられていますが、等分ではない。一番面積があるのは倶知安町で360度分の120度ほどで3分の1を占めていて、喜茂別町が一番少なく20度くらい。真狩村は90度くらいで、それぞれの町村で占める割合は違いますね。
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京極町のひまわり畑は、肥料になるのかな?
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こちらは何の野菜でしょうか?
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根元を見ると、大根ではなさそう。ビートかな?それともカブ?大根のような根菜類ですね。
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北東側の札幌市との境の山々を見ると、ジャガイモ畑の広がり。
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葉っぱは、すっかり黄色に色づき収穫の時期です。羊蹄山山麓は火山灰地だから稲作は出来ず、だから畑作が盛ん。様々な野菜が生産されています。
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奥に見える山は尻別山(1107.3ⅿ)。地図を見ると、ここの山頂から半分の180度は喜茂別町の所有です。あとは150度くらが留寿都(るすつ)町。残り30度は真狩村。留寿都町側の南斜面はルスツリゾートで、冬はスキー場、夏はミニ・ディズニーランドのような遊園地で、巨大ホテルもあります。
そうそう、今年初めに話題になりましたが、ここにIRつまりカジノを含む大型リゾート基地構想がありましたが、収賄事件に発展しその代議士は逮捕されここの経営者も逮捕されましたね。
カジノなんて、絶対だめですよ!
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蘭越町から黒松内町へ移動中、雨が激しく降ってきました。行きたかった場所があるので雨の中でも砂利道をドライブ。そこは廃止された駅の「上目名駅跡」。国道5号線からダートの道を山中に2㎞入ります。が、線路を目前にして「通行止め」のフェンスがあって、これ以上進めません。この先の駅跡があるのだけど、雨の中じゃ歩くのもしんどいのでここで断念。
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その代わり、少し進んだところにある熱郛(ねっぷ)高原へ。晴れていれば素晴らしい高原なんだけど。
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この雨じゃ、どんなに絶景でも良くは見えない。
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ということで、今年9月に旅した道東の旅はこれにて終了。今年はその後10月に北東北3県へ旅して今年の旅は終わり。
来年は、コロナが収まり全国を安心して旅できればいいのですが。自分の旅は、車中泊中心でホテルや旅館には泊まらず、交通手段もマイカーの軽自動車。自炊中心の安上がりの旅をモットーにしているので、決して密になるわけではありません。
だからこそ、今年も一人でのんびり、ゆったりとあせらずに旅してきた、と自負していますが、果たして来年はそれが出来るのか?
皆さんも不安はたくさんあると思いますが、来年は良い方向に向かうことを祈りましょう。
では、これにて秋の旅は終わりますが、次回からは冬の函館を少しずつですが紹介していきますね。
まずは、函館山山麓の観光名所西部地区から。

では、また!




12月19日日曜日、天気は晴れで1日中太陽が出ていた上天気の日。でも、朝方はとっても寒くてマイナス13℃という今シーズンで最も寒い日。日が差し始めた朝の6:50でもマイナス12.8℃というから、かなり寒い。窓ガラスも雪の結晶が張り付いているほどで、外のバケツはガチンガチンと凍結。柵やKら降り続けている雪も、軽いパウダースノーで雪かきは楽でしたが、それでも高齢者ばかりの我が家の通りを1時間かけて雪かき。良い運動になりました。

さて、ここは後志(しりべし)管内余市(よいち)町。前回の石狩市厚田区からは札幌市・小樽市を抜けて一気に余市まで走ってきました。下の建物は、旧下ヨイチ運上屋
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運上屋とは、江戸時代に松前藩が行っていたアイヌ民族との交易を請け負った商人が、経営の拠点とした建物のことです。
ここは、幕末の1853年にヨイチ場所の請負商人が建てた唯一現存するもの。
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ここを見学しよう!と予定していましたが、残念ながら休館日でした。ガッカリ・・・。
手前は海水浴場になっていて、9月中頃であったが小さな子供たちが水遊びしていました。
この日は月曜日で、たいてい月曜日は公的施設はお休みの日が多いですよね。だからか、郷土資料館や水産博物館もお休みで、どこも見れない。まして、ニツカのお酒を造る工場は予約(コロナでネット予約のみ受け付け)をしていなかったせいで、見れず。余市では、散々な目にあいました。
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気を取り直して、国道5号線を南下して途中で道道36号線へ、赤井川村へ行きます。
ここは余市町と赤井川村の境の冷水峠。カルデラの中の赤井川村の盆地が見えます。
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周囲は外輪山で、昔はここが大きな火口だったのです。今は、人口約1100人の農業中心の村となっています。
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峠は展望所となっていて、晴れていれば蝦夷富士の羊蹄山も見えるはずですが・・・。
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で、この日は倶知安(くっちゃん)町でキャンプ場で車中泊。夜中から雨が降り出して朝方まで降り続けていました。朝方、ドーンという車を蹴飛ばす音で目が覚め外に出て見ると、茶色の野生動物が逃げていくのを目撃。多分、キツネか狸か?はたまた小さなエゾシカか?熊でないことは確かでした。大きさは数十㎝でしたので、キツネかな?

雨が上がり、羊蹄山麓を時計回りに国道276号線を走るドライブ。まずは、倶知安町の八幡地区の倶知安神社へ。
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偶然発見した神社で、広い境内があり駐車場もあったので朝の散歩がてら散策。神輿殿もありますね。でも、今年はおみこしを担ぐお祭りはなかったでしょうね。
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狛犬の表情。顔から涙を流しているみたい。
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何と、ここは倶知安小学校発祥の地とは!
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明治29年に開校したんですね。1896年のことで、日清戦争終結の翌年のことです。
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神社が出来たのも、小学校開校の明治29年のこと。
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倶知安町は此処から創るの碑。後ろには、どこにでもある二宮尊徳の像。歩き学習は、今の歩きスマホみたい。
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学校教育発祥の地の石碑でした。
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ということで、いよいよ道内、秋の旅も次回で最終回の予定です。
では、また!

12月18日金曜日、天気は久しぶりの朝からの晴天。気温も0度にまで上昇し、太陽が当たっている場所ではプラス気温へ。9時からウォーキングして来ましたが、体が暖かくなって汗もかくほどです。今までが終日マイナス気温で寒くて寒くて、外は雪が降っていたのに比べたたら雪かきもしなくて済むから今日1日のんびりできます。
が、また明日からは真冬日になるとか、それと大雪になりそうで、それまた心配です。今年の年末年始は、寒さと大雪とコロナの三重苦で2021年を迎えそうですね。

さて、今日は北海道の道の駅で人気ナンバー1の石狩市厚田区の「あいろーど厚田」から。
場所は、前回紹介した石狩市浜益区から日本海沿いを走る国道231号線を南下した石狩湾に面したところ。
厚田村浜益村とともに、石狩市と2005年10月1日に合併し、石狩市となっています。
海は日本海で、奥の陸地は小樽から積丹半島方面。このまま20㎞ほど南下すると日本で長さ2番目の石狩川の河口に到着します。ここから見る夕日は絶景でしょうね。
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石狩油田なんて、石油が掘られているんですね。厚田でも油田があるし、鮭の登る川もあります。
浜益区には黄金山があるのは、前回紹介済み。
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ここの道の駅は3階建てで、屋上には展望台もあります。平成30年(2018年)4月27日に道内では120番目の道の駅としてオープン。
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館内はとても広く、どこにでもある地域産品を取り扱う物販店はもちろんのこと、地域食材を使ったショップが5店もあるし、なによりも他の道の駅と違うのは石狩市の自然や歴史が分かる展示コーナーがある資料室があることです。
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江戸時代から明治時代初期にかけては北前船の寄港地でもあったんですね。
左には「番屋からの積み出し」とあり、だから浜益区の送毛には番屋があったんですね。
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こんな風に番屋から大勢の漁師さんたちによって、ニシンやサケなどの海産物が北前船に積み込み、日本海沿いに南下して大坂の港まで運ばれたのでしょう。
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人形を見ればよく分かりますね。
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厚田からは、横綱も出ているんですね。吉葉山という横綱は1920年の生まれだから、今年は生誕100周年。
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創価学会第2代目の会長の戸田城聖は厚田の出身。
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洋画家の三岸好太郎(1903年~1934年)も。祖父の梅谷十次郎は江戸時代末期元御家人で、厚田村の網元だったのです。札幌市には、道立の三岸好太郎美術館もありますね。
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第10回の菊池寛賞を受賞した小説家の子母澤寛(しもざわ ひろし 1892年~1968年)も厚田村出身。画家の三岸好太郎とは、異父弟にあたるそうです。
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人形展がとっても面白かったので、いくつか特集します。おばあさんの顔の表情が良い!
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カニが美味しそう!
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これって、昭和の食事風景ですね。ちゃぶ台があって、後ろの茶箪笥が素敵です。
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つきたての餅を蒸す薪ストーブが良い!
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あんこの入った餅が美味しそう!
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吉葉山の紹介コーナーもありました。
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最後に、2018年度ですが道内道の駅スタンプラリー完走者(120の道の駅すべて訪問)による
アンケート結果のランキングでは、景色がきれいだランキングで第2位に入っています。
1位 ぐるっとパノラマ美幌峠(美幌町)596票
2位 あいろーど厚田(石狩市)138票
3位には道南の上の国町の上ノ国もんじゅが入ってました!104票

ということで、道の駅あいろーど厚田は★5つの最高ランクの道の駅と云っても差し支えないでしょうね。と自分は判断しました。
では、また!

12月16日水曜日、天気は雪。昨日から降り続きで、連日の雪かきは1年ぶりのことなので老体にはしんどい。時々は晴れる時間帯もあるけど、天から舞う白いふわふわした雪はどんどん積り道路は真っ白。雪国に住む人には雪かきは、冬の年中行事ですが毎年きつくなってきているのは事実です。
それでも、まだ10数センチ程度なので大したことはありません。岩見沢や幌加内辺りでは100㎝を越えたとか。1mを越えた雪が積もっているのですよ。北海道の雪はパウダースノーで粉雪ですが、本州特に新潟辺りは湿った雪でかなり重そう。雪かきは重労働で、想像しただけで腰が痛くなりそうです。

冬の季節は雪のない場所で暮らしたいな!と思うときもあるけど、夏の猛暑を想像すると24時間冷房を入れっぱなしにする地域よりも、夏涼しい函館辺りが良いな!と思うのは長年過ごしてきたからでしょうか?
学生時代4年間東京で暮らしたけど、とても夏の暑さは耐えられませんでした。でも、それは半世紀以前のことで、21世紀の今その暑さ30度超えどころではなく、35度の猛暑日という人が耐えられない暑さにまでなっています。
それを考えると、冷房を年に10回くらいしか使用しない函館の暑さは「暑い!」と叫ぶほどではなく、夏の暑さはうれしいくらいの暑さです。8月の平均気温22度は、最適の暑さで、本州の夏の猛暑に苦しんでいる人は是非避暑に来てください!と呼びかけたいです。

さて、17回目の道内、秋の旅は十勝から一気に石狩へ。前日は空知管内の雨竜町にある道の駅「田園の里 うりゅう」で車中泊。ここの道の駅は、24時間開放の部屋もあるし、もちろんfreeWi-Fiも完備。トイレもきれいで、チャリダーやライダーにとっても最高の道の駅ではないでしょうか?
翌朝は新十津川町に南下して国道451号線で西へ。日本海側へ出るつもりです。
峠を越えて石狩管内の石狩市浜益区へ。海に出る6kmほど手前で黄金山(こがねやま)(739.1m)が見えてきました。
見ての通りで、「浜益富士」、「黄金富士」の名を持つ小山です。
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流れる川は黄金川、架かる橋は黄金沢橋
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名前からして金でも採れたのでしょうか?
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ダートの林道を5kmほど入ると、登山口へ到着。ここから登山が出来ますが、今回はパス。一人っきりだし、熊でも出そうな雰囲気の山なので自然豊かな付近の雰囲気を味わうだけにします。
ネットで検索したら、3時間弱で登れそうな山ですが、一部鎖がついた岩登りの部分もあるから初心者は難しい山かな?
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ここ、山小屋もあるしトイレも完備しているからいつかはもう一度訪れたいな、と。
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日本海側に出て国道231号線を南下します。奥の山は暑寒別岳(1491.6m)を中心とする暑寒別連峰の峰々。
北へ進路をとると留萌管内へ進み、増毛町へ行きます。岬の突端は雄冬岬。暑寒別岳の山塊がそのまま日本海に落ち込み、断崖絶壁が25kmも続く西の知床とも呼ばれる秘境地域です。
かつては「陸の孤島」の一つで北海道三大秘境の岬とされていました。室蘭の地球岬、根室の落石岬とともに。(と、ネットには書かれていましたが、地球岬が秘境の岬とは?信じがたいですね。)

増毛への国道が全線開通したのは1981年(昭和56年)のことで、地域の人々にとってはやっとの思いで「陸の孤島」から解放されたのでした。
で、自分が写真を写している場所は、旧国道の高台。札幌市へ向かう国道は、長大トンネルの新道が完成して時間が短縮されより便利になりましたが、旧道は送毛山道として漁港を結ぶ地域の道となっていますが、旅する者にとってはそれが素敵な道として走りたかったのです。
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名木があったり。
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送毛(おくりげ)の集落に降りると、こんな昔の番屋跡でしょうか?
番屋とは?江戸時代から明治・大正にかけて、ニシンやサケ漁などの漁夫たちが宿泊する小屋のことですが、ここはかなり大きい!IMG_4625



























宿泊施設になっていたようですが、訪れた時点では戸は閉まっていました。時期外れだったからかな?それとも夏季限定なのかな?
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この大きな建物は、右側が所有者、網元の生活居住スペース(2枚上の写真)、左側(下の写真)が漁師たちの飯場なのかな?
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一部かなりのダート道で、舗装が途切れた場所でハイエースのバンでドライブに来ていた方から「この先行けるの?」と心配な声で尋ねられたほどの道。自分は「大丈夫ですよ」と砂利道を進む予定と声をかけたが、ハイエースの車は引き返していきました。
そんな道故に、ほとんどの車は来ないでしょうね。
でも、地図を見ると新道となった国道から外れた地区に漁港があって、集落もあるのです。
そこでは、必ずと言っていいほど閉校となった小学校があって、一段と郷愁を感じますが・・・。

ということで、さらに南下していきます。
では、また!


12月14日月曜日、天気は昨夜からの雪で今日も朝から降っていて、積雪は多いところで5cmほど。
道内では、岩見沢や幌加内で40cm近い積雪があって、それに比べれば大したことはありませんが、今年初の雪かきが必要になるかも?

我が家の前の道路は一面真っ白。左は、JRA中央競馬会の競馬場の壁。
60年前の私が子供だったときは、この壁は板壁で所々に穴が空いていて中に入れました。
友達と忍び込んだ時に、馬の種付けの現場を目撃してビックリ仰天した記憶があります。
今は、警戒厳重でとてもそんなことは出来ませんね。
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私が住んでいる湯の川町は、名前の通り温泉があり個人宅でも温泉を引っ張っている富裕な方もいらっしゃいます。
左の立派な塀のお宅は水産会社の元社長さんが住まわれていて、温泉を引いています。
温泉の通り道は、ご覧のように雪は溶けて積もらず歩きやすいのです。
町内で温泉を引いている家は、道路を見ればすぐに分かります。でも、権利金が高くて庶民には無理ですね。
湯元から温泉を引くと、年に100万円は必要とかで、それに湯華が付くから維持費もかかりそう。家のお風呂に全国の温泉の元(入浴剤)を入れて、全国温泉巡りを楽しむのがせいぜいですね。
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今日から来週日曜日までの1週間は、毎日真冬日。プラス気温の日はなく、最高気温でもマイナスだということです。最低気温はマイナス9度まで下がるとのこと、それでも二桁はいかないのでまだましか、という寒さです。

寒かったけど、毎日のルーティンであるウォーキングで湯の川漁港へ行ったら、何と!津軽海峡では気あらしの現象が見られて驚きました。
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これは、海水温が高く逆に空気の温度がかなり低いために、起こる現象です。露天風呂の湯気みたいなものです。
多分、海水温はプラス10度はあるでしょう。それに対して空気の温度はマイナス5度くらいか、または10度近くにまで低下してるかも?
その差が15度以上あると湯気が立つのでしょう。冷凍庫の戸を開けると、湯気が起きますよね。
寒い日に、息を吹き掛けると白くなりますよね。
それらと同じ現象ですね。
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湯の川温泉のホテル群は、最近はお客さんが入っているのでしょうか?「GO TO」で11月頃までは客は入っていたようですが、札幌市の感染者数が激増し、旭川市では医療崩壊になりそうなくらいに感染者が増えているから、北海道に観光に来る人は激減しているのでは?
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いつもは、この先に函館山が見えるのですが灰色の世界で全然見えず。
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今年は大雪の年とか、とニュースでは云っていましたが、毎日の雪かきはしんどいなぁ。それに車で出掛けるのも、道路が凍結しているから億劫です。早く暖かくなってもらいたいけど、まだ冬は始まったばかり。しばらく我慢の時期ですね。
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もう一度、けあらしを見ましょう。
まさに冬の1枚ですね。
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今朝は、図書館に行って最大の10冊借りて来ました。今日借りると、いつのも2週間分ではなく、年末の休みもあるから来年の1月4日まで3週間分借りられるのです。
小説や紀行文、スポーツ関係の本、鉄道の写真集など10冊あれば十分長い年末年始を過ごせるでしょう。
では、また!

12月11日土曜日、天気は晴れでしたが、気温は最高でも4℃くらいだからちょっと寒い。久しぶりの朝からの晴天だったから、午前中は函館山山麓の西部地区を散策。観光客もチラホラいて、きっと「GO TO」出来ているのかな?と。若い女性たちが多かったです。
西部地区を散策して写真もたくさん撮ってきたので、それらは後日「コロナ禍の函館観光」と題してblogにアップしますので、それはまたお楽しみに!
と云っても、本日夜のニュースでは、全国の感染者数がついに3000人を越えたそうで、今後ますます増えていくのかな?と思うと、とても心配です。死亡者数も増加傾向にありますし、年末年始はどうなっていくのやら?明るい未来はなく、憂うべく状態になるのでしょうか?

さて今日は、十勝・幕別町の旧虫類村の「ナウマン像記念館」から。
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パークゴルフ発祥の地である幕別町と合併した旧虫類村は、ナウマン像の化石が発見された村。入館料300円を支払い中へ。
実は、この日の宿泊地はここ、と決めていて道の駅で車中泊する予定でしたが、ここの記念館も裏側にキャンプ場があることを発見し、しかも無料ときているから国道沿いで夜間もうるさい道の駅よりは、ずーっとキャンプ場の方が良い!ということで急きょ引っ越し。で、ゆっくりと見学できたのです。
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絶滅したナウマン像は、約2~3万年前に日本れ島や東アジア大陸に生息していたといわれています。
現代のアジアゾウと比べると小型で、体長は2.5mから3mほど。氷河期時代の寒冷な気候に順応するために、全身は体毛で覆われていて皮下脂肪が発達していたそうです。
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1969年、昭和44年7月に、虫類村の晩成地区(昨日紹介した場所ですね)の農道工事現場で、側溝掘り作業の最中に、作業員がツルハシを地面に打ち下ろしたら「カチン」という衝撃音が!
湯たんぽのような塊の模様のある臼葉が出てきたのです。
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その時、周囲にいたアルバイトをしていた測量を手伝う少年が「理科の教科書に掲載されていた像の歯に似ている」ことに気付き、その後専門家に調査を依頼し、ナウマン像の臼歯であることが判明したのでした。
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世紀の大発掘に全国から多くの研究者や教師、学生らが参加、その数150人で人口3000人の閑静な農村地帯の村にとっては、大騒動!何せ宿泊するないのですから。見学者も毎日1000人以上が来て大混乱したそうです。まさしく村を挙げての大発掘だったそうです。ナウマンゾウの由来は、わが国の地質学の発展に多大な業績を残したドイツ人のエドモンド・ナウマン(1854~1927)にちなんで命名された、といいます。
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像の種類は、いろいろあるみたい。
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こんな像の先祖もいて、意外と小さい。
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現在のアフリカ像に比べると、ひと回りも小さい。子供みたいですね。
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で、翌朝は中札内村へ移動。道の駅に隣接している「豆の博物館」(無料)で雨宿りを兼ねて、じっくりと見学。中札内村は、日本1の豆の生産地で下の日本地図をご覧のように、北海道は日本1位。特に小豆、大豆、インゲンは断トツの1位。意外なことに福岡県と佐賀県でも大豆が生産されているんですね。千葉県の落花生は、ピーナッツの生産1位ですものね。
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日本に豆が伝わったのは、シルクロードを経て中国から。小豆は3世紀ごろ伝来したとか。しかし、6000年前ころの古代遺跡調査で小豆の種子が出土していて、日本が起源という説もあるとか。
とにかく豆の種類は多い!瓶詰にされた豆は、ほとんど名前が聞いたことがありません。
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小豆では、北海道が作付面積で全国の80%以上、収穫量では90%以上のシェアで、特に十勝地方は道内産の60%以上。その中でも中札内村は1位の生産量を誇っているとか。
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インゲン豆では、全国のほとんどが道内産で、十勝はその80%以上とか。まさしく十勝は日本の豆類の生産地だし、畑作地帯。
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豆相場で儲けた時代もあて、戦前は博打みたいな相場もあったそうです。
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最後に、豆を使った料理。小豆を利用した料理で知っているのは、赤飯、お汁粉、おはぎなどですが、他にもたくさんありますね。
ずんだ餅にハンバーガーも。
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コロッケも。
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十勝は砂糖の原料になるビート(サトウダイコン、てんさい)も生産されるから、甘いお菓子も作れますね。十勝はスイーツの本場です。だから北海道を代表する六花亭のような菓子メーカーがあるのですね。和菓子の桜餅、柏餅、たい焼き等小豆を使ったスイーツですものね
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ということで、今日はナウマンゾウと豆の学習をしました。
では、また!

12月11日金曜日、天気は晴れで朝から快晴の天気。ということは、冬の快晴時は早朝は放射冷却現象でかなり冷え込んでいたはず。外へ出て見ると、霜柱が立っているし雑草の表面は水分が凍結していて氷の草模様になっています。
朝9時頃にウォーキングを40分して来ましたが、日陰は凍結していて滑りやすく歩きにくい。ツルツルしていて、何度か転びそうになったほどです。今までのスニーカーじゃ危ないので、明日からは冬靴を履いて歩かなきゃ!

さて、14回目の秋9月の道東の旅は、大樹(たいき)町晩成(ばんせい)から。大樹町といえば、ロケットの町。あのホリエモンが出資している民間ロケット会社の「MOMO(モモ)3号」が、日本国内初の民間単独開発ロケットとして宇宙空間へ行くのが成功しましたね。
それと、まるでヨードの湯みたいな濃い茶色の湯が出る晩成温泉があるところでもあります。PH7.8の弱アルカリ性で、イソジン色の湯。肌には優しくすべすべして、まさに美人湯として知られている温泉で。大人500円で、タオルと手ぬぐいが無料レンタル。ここで暖まり、出かけた先が生花(せいか)という地名の場所。
しかし、近くの生花苗沼は、何と読むか?というと、「オイカマナイトー」ととても読めない地名なのです。もちろん、アイヌ語から来ていますね。
その生花にあった小学校の跡地。
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明治の時代に開校しているし、十勝開拓の父である晩成社の依田勉三が、校舎建築の際に高価なガラスを寄付していることが書かれています。
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浦に見える五十嵐商店の看板にあったのが、これ。旧生花苗(おいかまない)駅逓所
駅逓は、今まで何度も紹介していますが、明治時代から昭和初期にかけて今日みたく道路が発達していない道内で、今の道の駅・鉄道駅・郵便局・旅館・レストラン・馬の休憩所・厩などを一か所にまとめた中継基地みたいな建物でした。当然交通手段は馬で、その馬の通る道沿いに道内には数百以上もの駅逓があったのですが、残念ながら現存する建物は10か所程度です。
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店はかなり前に閉めていますが、周囲を見渡せば人家はまばらで学校に通う子供はいないし、商店で買い物をする人もいません。ここは閉められましたが、となりに最近建てたお店がありますが、そこもシャッターを閉めています。悲しいかな、過疎地の集落は人口が激減して、お店などは成り立たなくなっているのです。
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十勝開拓の祖と呼ばれる依田勉三晩成社は、明治16年に現在の帯広市に入植し、3年後の明治19年に大樹町の生花・晩成地区で晩成社の牧場を開き牧畜業を始めました。
原生林を切り開き、不毛と思われた土地に鍬を下ろして畑作と酪農を試みたのです。
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その場所に行ってみました。その跡地が残っていました。
彼の行ったことが書かれていますね。遠く伊豆から北海道にやって来たんですね。
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江戸時代が終わり明治の新政府になって以後、北海道の開拓をするために内地からたくさんの人がやってきます。日高の荻伏は「赤心社」という神戸からクリスチャンたちが開墾したことは、以前お伝えしましたし、道内には出身の地名をそのまま残している場所もたくさんあります。
例えば、北広島市は文字通り広島出身者が開拓した地、釧路市の鳥取、札幌市の白石区(宮城県の白石市)、空知には奈良県の十津川村から来た人々が新十津川という名で入植しているし、三笠市には岡山が、美唄市には山形が、桧山のせたな町には若松(福島県会津若松市)や徳島、愛知があります。函館近郊の木古内町には鶴岡もあるし、豊浦町には山梨もありますからね。
北海道の地名はアイヌ語もありますが、出身地の地名をそのまま使ったところも多くあるのです。
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ここがサイロ跡らしいです。
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依田勉三の仲間の墓標がありますが、ここに秋田出身の佐藤氏のお墓があるはずです。
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大正3年に依田勉三が建てたことが分かりますね。
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依田勉三は幕末のペリーが来航した1853年に伊豆で生まれ、1925年に73歳で亡くなっています慶応義塾大学へ進み、福沢諭吉の影響もあってか北海道開拓の志を立てます。そして、1881年に晩成社の代表として単身北海道へ来たのです。
北海道の名産である帯広市の菓子メーカーの「六花亭」のマルセイバターサンドは晩成社を記念して作ったものだし、国鉄旧広尾線には依田駅もありました。1987年廃止。
2002年には、依田の生涯をつづる映画「新しい風 若き日の依田勉三」が製作されています。

ということで、今日は大樹町で十勝開拓の父である依田勉三について紹介いたしました。
では、また!

12月9日水曜日、天気は曇りでどんよりした空模様。気温は昨日同様に最高で4℃とかで、しっかり賄って外出すれば寒くはないです。雪もないし、今年は雪かきはそれほどしなくてもいいのかな?でも、岩見沢辺りでは昨日までの積雪は50㎝を越えていて、毎日雪かきに忙しいとか。一口に北海道と云っても北の稚内と南の函館では、天気予報は全然違います。
どちらかというと、函館は東北に近い気候風土ですね。

さて、「秋、東北の旅」は前回32回目で終了しましたが、実は東北の旅に出かける前に「道内、秋の旅」を13回目で中断していたのを思い出しまして、今回再びアップすることに致しました。
「秋、東北の旅」は10月2日にスタートしましたが、その前日まで「秋の旅13」をアップしていて、内容は十勝の浦幌町のおっぱい神社でした。
今日からは、その続きで14回目からのリスタート。
まずは、太平洋に面したライダーの聖地ともいえる「昆布狩石の展望台」から。
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場所は、浦幌町の太平洋側、根室本線厚内駅から道道1038号線を海沿いに南西方向へ走ります。国道336号線に入る前、未舗装の道を左折して坂を登ったところにここの展望台があります。
ここは、オフロードライダーの聖地としてよく写真に掲載される場所。オンロードでも走れますが、わずか3kmくらいの道ですが未だ未舗装のままの状態は、オフロード愛好者に残しておきたい場所だからでしょうか?
もちろん車でも走れますが、ほとんどのドライバーは舗装された国道へ向かうでしょう。そこをわざわざ未舗装の砂利道でラフな坂道を登ってきたことが、ここに来る人の喜びなのです。これって、マゾ的な性格?いえいえ、苦労してラフな道を走ることに意義を見出しているドライバーやライダーだっているのですよ。
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十勝の、というより北海道にの海岸線のほとんどは単調で、リアス海岸はありません。だから、一直線の海岸線で、遥か彼方に太平洋の水平線が見えるのです。
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北海道では石狩川、天塩川に続く長さでは第3位の十勝川の河口付近。十勝岳の山頂付近に水源を持ち、標高2077mの高さから流れ出る十勝川の全長は、156km。北海道の畑作の中心地、十勝平野を潤して太平洋に注いでいる、まさに十勝の母ともいえる川です。
一方で海岸に出ると、戦時中のトーチカが半ば砂に埋もれながらも何個もその姿を現します。
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誰一人住んでいない荒野の河口付近。太平洋戦争末期、アメリカ軍やソ連軍の上陸に備えて大砲を備えたトーチカを設置しましたが、実際には使用されることはなかったのです。
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かなりの広い土地ですが、もったいないことに何にも利用されていません。人もいないからでしょうね。海岸は砂地。ここでちょっとしたトラブル。トーチカを見るために砂地の奥に入り込んで、車はスタック。砂地に埋まってしまったのです。これは困った!軽自動車で、しかもこの時はノーマルタイヤ。バックしたりしてもダメ。でも、冷静に考えると、4輪駆動にしたら大丈夫じゃないか!と思い、それまでの後輪駆動から4輪駆動へ切り替えたら、一発で脱出出来ました!メデタシめでたし!
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それにしても広大な原野。地図を見ただけでも十勝川河口の海岸の長さは5km以上あり、十勝川だけではなくその東となりには浦幌十勝川もあるから、ものすごい広大なデルタ地帯にして湿地地帯です。
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浦幌町の大津へ。普通大津と云えば滋賀県の県庁所在地の大津市を思い浮かべると思いますが、サケ釣りの愛好者の間では大津と云えば十勝川の河口左岸の大津集落。ここは、十勝発祥の地なのです。
読んでみたら、明治の時代には大津と函館の間に定期航路も開かれていたんですね。
人口3000人を越える賑わいがあったそうです。
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本州からの移住者は、まずここに上陸して内陸部へとまず第一歩を踏んだのです。
現在は、十勝川にさかのぼるサケを釣るためにたくさんの釣り人がここから南西側の長節湖にかけてテントを張って長期滞在。さすがにそのテントは写せませんでしたが、その数数百。
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大津漁港を経て長節湖へ。十勝の太平洋側にはいくつもの海跡湖があります。いわゆるラグーン(潟湖)ですね。海の一部が砂州によって囲まれて湖になったところです。昨日までの「秋、東北の旅」で紹介した津軽の十三湖もそうです。
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だからか、シジミを獲っている人もいました。旅人から聞いた話ですが、ここは一般の人もシジミを獲れるとか。でも、腰までの長くつが必要だしそこまでして獲ろうとは思いませんが。
おじいさんが一人で湖の底からすくっていました。
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ということで、これからは9月に旅した道内の旅を紹介していきますね。
では、また!

12月7日月曜日、天気は晴れで気温も8度まで上昇し、外を歩く分にはちょうどいい気温で快適な冬晴れの日です。もちろん雪はまったくありません。

今回が東北の旅の最終回ですが、今年はコロナ禍の中でも6月から9月にかけて道内を3回、秋10月は東北を旅しましたが、すべて車中泊の旅。グーグルのマップタイムラインによると、今年の旅した距離は地球一周分の19%、総距離7485km、300市町村を周り1288か所のスポットを見学した、と報告がありました。
昨年までは、人生初の入院・手術を経験し旅が1回も出来なかった2017年を除いて、平均して年1万kmを走っているから、やはりコロナ禍で春先に出かけられなかったことが少ない距離に表れています。
来年はどうなることでしょうか?コロナのワクチンが開発され、感染が収束して誰でもが安心して生活できるように祈りたいです。
さて、32回目の最初の写真は、小さな観音堂から。
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津軽三十三観音霊場の17番札所春日内(はるひない)観音堂で、江戸時代の初期、1614年に観音堂として建て直されたといいますが、明治に入り神仏分離令で廃止、大正時代に再建されたものです。
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そばにあった鳥居は、多分明治時代初期の神仏分離で神社の形を見せるために造られたのでしょうか?
戊辰戦争で勝利した新政府軍は、1868年に天皇の神権的権威を高めるため祭政一致」をスローガンに神仏分離令を出します。その結果、寺院からの神社の独立や神社からの仏教的要素が一掃が進められ、激しい廃仏毀釈運動(全国で仏像や仏具が破壊されましたに発展しました。この動きは民衆の素朴な宗教施設にまで及んだため、廃仏反対の動きや信教の自由の主張が高まったというから、今では信じられない時代だったのです。
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市浦村は、2005年3月28日に金木町とともに五所川原市に併合されて、今はありません。でも、15年経ってもマンホールに村の形跡が見られるのはうれしいですね。
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手前に車を停めて、十三湖の中にある小島に木造の橋を歩いて渡ります。距離は150mくらいか200mはなかったような。島に渡る目的は、市浦歴史民俗資料館を見学するため。入館料は大人300円。
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十三湖に面した町の十三湊は、室町時代の中世は港湾都市で日本海貿易で栄え、安藤氏が支配していました。当時は「奥州津軽十三湊」と呼ばれ、日本で10指に数えられるほど有名な湊町があったのです。
豪族であった安藤氏は、下の絵のように北海道で暮らすアイヌ民族と交易し莫大な利益を得ていました。この絵を見ると、アイヌは蝦夷地から昆布やナマコ、鮭など海産物を運んで取引をしていたことがうかがわれますね。
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今でこそ、砂州が増え続けて港を埋め立ててしまいましたが、かつてはもっと湖は大きく港も船が停泊できるほど海が深かったそうです。
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興味のある方は、この年表を拡大してじっくりとここの歴史を堪能してみてください。
ここの資料館は、まさに「よみがえる中世港湾都市の十三湊」を展示していました。
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日本海側にある県道を南下すると、こんな「平滝村廃村跡」の看板が。
強い西風と砂が飛んでくる日本海側は、家々を守るために西に面した側に高い板を何枚も並べて壁を作ります。津軽ではそんな家がたくさん見られますが、ここは人々が去り江戸時代に廃村になった村跡なんですね。
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そして、この日の最後の訪問場所は旧木造(きづくり)町、現在はつがる市の縄文住居展示資料館へ。入場料は200円。木造町は2005年2月11日に、周辺の森田村、柏村、稲垣村、車力村の4つの村と合併してつがる市へ。人口3.3万人の市で、ここ木造に市役所があります。
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縄文時代は、紀元前13000年~紀元後300年ころまでで、約1万年もの間続いた時代です。
北海道と北東北の17の遺跡群は、「北海道・北東北の縄文遺跡群」のユネスコ世界文化遺産登録を目指していて、あちこちにこのような資料館が設置されているし、遺跡の見学もできます。
函館近郊にもありますので、世界遺産に登録されればうれしいですね!
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何といっても、ここで一番有名なのは「遮光器土偶」です。
市の北に位置する亀ヶ岡の遺跡跡から1887年(明治20年)に出土した土偶で、北方系民族の雪眼鏡に似ていることから名付けられたのです。実物の高さは34.5㎝、国の重要文化財に指定されています。
本物は、東京国立博物館に所蔵されていて残念ながらここでは本物は見られません。
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でも、木造駅では駅舎の壁に巨大な土偶の形があります。まさに、これはサングラスですね。
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そしてマンホールにも!
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ということで、2020年10月の秋、13日間かけて東北を旅した今回、blogもこれにて終了です。木造町からは青森港フェリー乗り場までは1時間ほどで到着し、今回も無事故無違反で無事に函館の我が家に帰ることが出来ました。
さて、来年は何処へ行こうか?もちろんコロナが収まっていることが前提ですが。
今年残りのblogは、函館市内または近郊に出かけて写真に収めて紹介する予定ですが、少しの間はお休みします。
では、皆さんコロナに負けずといっても、目に見えない敵ですから、こちらで防衛するしかありません。十分対策をして年末・年始をお過ごしください。
では、また!


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