函館発  ぼうけんの旅

旅が大好き!2013年4月から始めて「ぼうけんの旅」は今年で12年目に突入。 車中泊中心の貧乏旅行の旅、今年で72歳を迎えいつまで続けれるのか?今のところ体力・気力はバッチリ。 いよいよ「2025 年ぼうけんの旅」は4月「春の旅」からスタートです!

2025年が明け今年は73歳を迎えて、体力的には厳しくなってきている車中泊の旅。いつまで出来るのか?まずは75歳を過ぎるまでは続けていきたい!と。未知の地を訪ねて、行くぞ!軽バン一人旅の始まりです。

2019年12月

12月30日月曜日、天気は曇りで気温はプラスだから今まで積もった雪が溶けて道路はビショビショ。昼過ぎにウォーキングしてきたけど、靴の中までびしょ濡れになるほど。それが明日と明後日は猛吹雪の荒れ模様とか。

さて、ここ数日は高校ラグビーをCSのJスポーツで1日中見ていて感動しっぱなしです。今日は2回戦へ勝ち進んだ南北海道代表の札幌山の手高校が愛知県代表の春日丘高校に0―19で敗退し、残念!
今日からはシード校が続々と登場し、その強さを見せていますが、高校生のひたむきな気持ちが表れた試合は大差がついても面白い!
今年後半、ワールドカップ以降はラグビーに酔いしれています。

さて、今日のblogでもって今年最後となります。今日の題材は、今年11月に行われた今年最後の箱館ぶらり歴史散歩で、集合が旧金森美術館でしたので、それについて話題にします
午前10時集合ですが、9時40分に到着すると、もう大勢の方が集まっていました。
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ここは、下の説明板をご覧のように明治末期の1911年(明治44年)に金森船具店として開店。バブル全盛の1989年にフランスはクリスタルガラス工芸のバカラ社の専門美術館として開館しました。
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バカラ社製品の常設展示としては、フランス以外では世界で唯一の店でとしてクリスタル製品を60点ほど展示していたとか。
当時のことは私は全く知らず、今回訪問して初めて知った次第で、函館にもこんな施設があったとは!と驚いたのでした。
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当時は入場料が400円とか。恐らくバブルに酔った人々が、フランスのバカラ社というだけで高価な品々を買い漁ったのでしょうね。
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もっとも、長くは続かず閉館し、今は函館大学の1キャンパスになっています。内部は見学したら、赤レンガ倉庫群始めとする金森の歴史を説明していて、中にはイスラム教とのために男性用と女性用の礼拝場までありました。それぞれ4畳半ほどのスペースで壁は真っ白。
でも、ここで祈る人はいるのでしょうか?

これが1億円以上の価値があるクリスタル製品。
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もちろん、強固なガラスの壁で覆われていて触ることも出来ません。
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解説者によると、これは世界で3個だけ。それが函館にあるのだから驚きですよ!

さて、久しぶりのコタローです。1才と半年になり人間に例えるなら20歳代の青年期ですが、1日20時間は寝ているからもうダメオヤジの格好‼️
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この寝姿を見てください。
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すごい格好で椅子に寝そべっていますよ。
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ということで、今年もあと1日の31日大晦日を残すのみ。
今年1年私の拙いblogを読んでいただきありがとうございました。
来年は、更なる道の土地へ旅し楽しいblogを作れることを祈り、健康第一の1年を過ごしたいと思っています。
では、皆さん新年が素晴らしい年になることを祈念して、今年1年間を感謝します。
では、また!

12月27日金曜日、天気は朝起きた時から雪が降っていて、午前9時半を過ぎた段階でも降りやまずこれは積もりそうな感じです。今年は降雪が少なく、スキー場が未だオープンしていない所もあったりしてが、久しぶりの大雪になりそう。
2019年もあと今日を含めてあと5日。来年は2020年で、自分の旅もあと何年続けられるか?毎年毎年貴重なじかんとなっていて、ホント大事に使わなきゃ!と心から思っている次第です。

さて最終回となったは洞爺湖岸から山側へ3kmほど入ったキムンドの滝から。
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前日は、伊達市大滝区の三階滝公園に車中泊。自分の車1台だけの孤独な車中泊でしたが、とっても静かでのんびりした夜を過ごして睡眠たっぷり。車中泊でも場所によっては、夜中でも往来の激しい場所で騒音でなかなか寝付かれないし、トイレに出入りするドライバーもいて途切れ途切れの睡眠で熟睡は無理。それに引き換え、道の駅ではなく幹線道路から外れた田舎道の公園やキャンプ場では、とっても閑静でぐっすりと寝ることが出来るのです。
三階滝公園は車中泊に相応しい快適な場所でした。もちろん、ログハウス風のトイレも清潔で快適。顔を洗って朝食を食べてスタート。途中、壮瞥町の道の駅「そうべつ情報館」の芝生で、朝のルーティンになっているストレッチと体操を20分。洞爺湖へ出てから反時計回りで東側にある仲洞爺キャンプ場へ。そこは、3連休の最終日とあって隙間のないほどのテントで埋め尽くされていました。

で、キャンプ場のある道道132号線の洞爺公園洞爺線から名前と全然違う細くて小さな小川の大川を北上すること3kmでキムンドの滝へ到着します。もっとも、そこからさらに歩くこと10分?くらいでこの滝へ。
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滑みたいな滝の一部です。
また、元の道へ戻り左手に洞爺湖を見ながら走ると、見事なひまわり畑へ。
黄色もひまわりが鮮やかで、見ごたえ十分!道路沿いにあり、カメラを写しているドライバーもいました。
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洞爺湖から離れて国道230号線へ。地図を見て出来るだけローカルな道を走ろうと、道道や町村道へ。何度か道をさ迷いながらたどり着いたのが、地名に興味を持った場所。それは豊浦町山梨
廃校となった山梨小学校です。
きっと、明治時代に山梨県出身者の方が入植し開拓した土地なのでしょう。道内には、そのような故郷の地名を付けたところがあちこちにありますからね。
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道道914号線を南下して豊浦町の美和地区へ。ここも廃校となった美和小学校。
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さらに南下したら「インディアン水車公園」へ。
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場所は、長万部町から室蘭市方面へと走る幹線国道の国道37号線で豊浦町の市街地、貫気別川沿いに1kmほど北上した場所。
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貫気別川に簗を作り、そこで鮭を水車に入らせています。

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噴火湾へと注ぐ豊浦町最大の河川で、地図を見ると源流は昆布岳(1044.9m)または留寿都村の貫気別山(994m)。左側が下流です。
留寿都村は、ここのところありがたくないニュースで全国に知られるようになりましたね。あのカジノのIR疑惑です。やっぱり!という感じで、大金が動く場所には政治家と業者の癒着が絶対あるな、と思っていたら案の定出てきましたね。自然が豊かな北海道には、IRなんて要らないですよね。
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水面下にサケがいるんだけど見えないなぁ。
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2枚下の写真の簗からこちらへ流されてきて、水車へと。
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鮭はこの簗に登って来て、右の柵沿いに流されていくんです。
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ここには、トイレもあるし売店もあってしばらく休憩。その後は、同じ豊浦町の噴火湾展望公園へ。
インディアン水車公園から南下して国道37号線へ。豊浦トンネルを長万部町方面へ抜けるとすぐ左折。
無料のエレベーターに乗って見晴らし抜群の展望台へ。
真下に見える河口に三角州のある貫気別川を挟んで向かい側に、芝生の上に多くのテントが張られているオートキャンプ場、さらに奥に地元の温泉施設の「しおさい」が見えますね。
「しおさい」の広い駐車場で車中泊したこともあります。国道37号線の道の駅「とようら」よりは閑静だし、海に面した場所は景観もきれいで車中泊には最適です。トイレも清潔です。
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最後の1枚はこれ。噴火湾を挟んで対岸に駒ケ岳が見えるかな?と思ったけどハッキリは見えず。でも、陸地だけは見えていますね。川の右岸にもキャンプ場がありますね。地図を見ると「高岡オートキャンプ場」とありました。
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ということで、秋の旅はこの後国道を走り無事自宅へ戻り終了。25回に渡りお伝えした秋の旅の総集編はこれで終わりますが、来年の春の旅まで時間がたっぷりとあります。
blogをこのまま冬眠させるのは勿体ない!と思い、この先はローカルな記事をいくつか載せていくつもりですので、今年のあと5日、さらには暖かくなる春まで再びお付き合いを!どうぞお願いします。

では、年末のお忙しい時期ですがインフルエンザが流行っていますがお体気を付けて、風邪を引かずに来年を迎えるよう祈ります。ではまた数日後に!

メリークリスマス!⛄🎄✨ 
今日は12月24日のクリスマスイブ!天気は雪で、今日の日に相応しくホワイトクリスマスとなっています。それにしても、あと1週間で2019年も終わり2020年を迎えるわけで、実に1年が早く過ぎ去っていきますね。
年賀状もすべて書き終わったし、あとは大掃除が残っているけど、来年の計画も立てなきゃいけない!来年もまた未知なる土地へ行くぞぉ!と!毎日地図を見ながら思索中です。

さて、24回目の秋の旅は北海道開拓の村のレストランにて。一番値段が高い、といっても1000円ちょっとくらいだったかな?記憶に残っていないけどそんなに高くはないけど、名前がここにふさわしかったので注文したのが「屯田兵定食」。
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左上がおでんに左下が豚汁、鉄板の上には厚いせんべいみたいなお餅だったかな?右上のはご飯だったか、それとも卵とじだったか、それとも別なものだったか、今となっては忘れてしまった。
結構ボリュームがあって、大満足でした。
それにレストラン内はfreeWi-Fiが効いていたので、リュックにいれていたBluetoothキーボードでblog作りもして1時間ほどゆったりとしていました。

続いて向かったのは、北海道博物館。ここも65歳以上は無料で、大助かり。主にアイヌ民族のコーナーを見学。
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たまたまでしたが、午後2時からボランティアガイドによる館内説明のアナウンスがあり行ってみることに。私を含め中年男性が3名いて、係の方が詳しく説明してくれました。
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ここも2度目の訪問でしたが、何度訪れても見応え十分で、広い館内をたっぷりと堪能。
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駐車場も十分あるし、車で来るには最高の場所です。
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今年の秋は、ご覧のテーマで展示中。
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時間は午後4時を過ぎ、そろそろ寝る場所探しをしなくては!ということで、まずは高速を使い千歳へ。支笏湖のモーラップキャンプの駐車場が良いかな?と。ところがこの日は三連休のさなかで、駐車場はいっぱいだし、キャンプ場はテントで埋めつくれていて隙間がないほど。
翌日に洞爺湖を訪れたが、洞爺湖のキャンプ場もテントで満杯で、すごい人出に驚いたのでした。

そこで、支笏湖じゃだめだ!と諦めて、支笏湖南岸を東から西へ移動し美笛峠を越えて伊達市大滝区へ。旧大滝村の東外れから南へ2kmほどにある三階滝公園へ。
ここはトイレもあるし駐車場も広く閑静な場所。案の定、誰も居らず一人静かに車中泊出来ました。
翌朝の三階滝です。
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ここも何度か来ていますが、何回来ても素晴らしい場所です。
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水量も豊富で、流れ落ちる水の音も豪快!
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マイナスイオンは1㏄あたり50,000個なんて、すごい!大滝ナイアガラ滝に比べると20000個少ないけど、札幌市や伊達市市街地の100個に比べると段違い!
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道理でぐっすり眠れたわけです。マイナスイオンが多いほど、健康増進の影響ありで、睡眠や食欲増進に最高なんですね。
眠れない人はマイナスイオンの多い滝の近くで寝てみてはいかがですか?といってもここにはホテルはですけどね。
都会の方で寝つきが悪い人は、マイナスイオンを出す機器があればグッスリと寝れそうですかね?

ということで、最終日はこの後洞爺湖へ向かいます。と同時に秋の旅25回目で最終回です。

では、また!


12月20日金曜日、天気は雲り。朝起きたら久しぶりに一面真っ白で、夜中のうちに雪が降ったのでしょう。5㎝くらい積もっていましたが、陽の当たる大部分は午後には融けてしまい、雪は日陰に残っている程度。でも、気温は1日中マイナスで真冬日だから外を歩くと寒い。

昼に車を走らすことがあって、今まで道が乾いていたので後輪駆動のままでスタート。電車通りはアスファルト路面がむき出しだったけど、裏小路に入ると凍結している場所もあって、車はスリップしてお尻が振ってしまった。思わず「まずい!」と。何とか切り抜行けたけど、その後は四駆に切り替えて大丈夫。冬はいつでも四駆で走らなくては!と痛感した次第です。失敗!失敗!

さて、ここは札幌市の北海道開拓の村。下に写るのは昔の消火栓。
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こんなのありましたね。顔が彫られた消火栓は、蛇口が1ヵ所のみ。

案内図を見ましょう。
初めて訪れた昨年はすべて歩き回ったけど、今回は何か所かだけ。まず喜茂別村の駅逓所を見学しましたね。
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続いて北海中学校。現在の北海高校ですね。かつては男子校のバンカラ風の学校だったけど、今は男女共学校となり進学にも力を入れているし、野球は時々甲子園にも出場していますね。
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ここは多分、交番の向かいにあった「旧開拓使工業局庁舎」でしょうか?
もしかして違っていたらごめんなさい。下見板張りの木造建築、窓が上下に開放する白地に緑色の窓枠の洋風建築で素敵な建物です。
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馬車鉄道が通り過ぎて行きました。函館でも電車が出来る前は、このような馬が引く線路を走る馬鉄があったのですよね。
市電でめぐる函館100選」の140ページに記載された記事がありますので、少し長くなりますが引用します。
「明治20年に開通した湯川新道(現在の市電通り)も、春先や秋口などには道路もぬかるみ、往来が非常に厄介でした。
この状況を打ち砕いたのが馬車鉄道の開通でした。明治28年、湯川の商人・佐藤祐知が亀函場所鉄道株式会社を創立し、軌道の敷設に着手します。明治30年、まず当時の函館区内で開通した馬車鉄道は、明治31年には湯川まで延伸し、入浴客・宿泊客が飛躍的に増大しました。
大正2年(1913年)には馬車が電車に切り替わり、大正7年には海岸沿いに有料道路も開通しました。」

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客車を引っ張るこの白馬、お腹に何も身に着けていないですね。というのは、途中で落し物があるからです。
そう、馬糞ですね。私が小学生の頃、冬になるとよく馬そりが電車通りを走っていて、時々乗せてもらいましたが、馬糞もよく落としていたのです。今では信じられないことでしょうが、馬を引く農家の方は子供たちを気前よく乗せていたし、馬糞を落としても平気だった時代だったのでしょうね。

そういえば、毎年4月5月は替えが強く、それを馬糞風といったのでした。
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当時の交番と巡査さん。赤レンガ造りの頑丈な交番だったのですね。
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馬車鉄道の左右に明治期の建築物が並んでいて、ゆっくり見学すると楽しい。時間があれば1日がかりでエンジョイ出来ます。繰り返しますが65歳以上は無料です。
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先ほどの旧開拓使工業局庁舎の正面です。
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こちらは旧開拓使札幌庁舎
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旧浦河支庁庁舎で、赤い屋根とピンク色の壁が素敵ですね。
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そして出入り口となっている旧札幌停留場で、今の札幌駅のことでしょうかね?
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ということで、北海道開拓の村はとにかく歩いて楽しめますが、馬車鉄道に乗ればいいじゃないか!と思うでしょうが、馬車鉄道は何処でも乗れるわけではないし、時間も決まっていていつでも動くわけではないのです。それにルートも決まっていて、それを外れた場所へは歩くしかないのですから。
それと意外と上り下りがあるのです。谷に降りたり、坂を登ったりとかなりのエクセサイズになるのです。
で、ちょうどランチタイムの時間となりこの札幌停車場の左側にレストランがあったので休憩。
メニューを見ると「屯田兵ランチ」とあるので、それを注文。さすがにボリュームいっぱいで、食べ応え十分!それについては次回で!

では、また!

12月15日日曜日、天気は晴れだが風は冷たく真冬の天候。それでも雪は降らず、道路は乾いたままで運転しやすく冬型の交通事故は市内では発生しない状況です。凍結した路面なんて走りたくないですからね。このまま冬が終わって、早く春になってもらいたいけど、そんなわけにはいかないのが北海道の冬。これからの1月・2月が寒いし雪もドッと降って積もります。用心しなくちゃ!

さて、22回目の秋の旅は南幌町の駅逓所から。
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前回の旧島松駅逓所から国道36号線へ出て南下し、西島松で左折して道道46号線で北上し島松駅方面へ。島松駅を右手に見ながらさらに直進し、北広島駅を左手に見てさらに2km北上して道道1080号線を右折して南幌町町役場へ。もっとも、最初から南幌町町役場でナビをセットすればいいのですが。
そこは、地図大好き人間としてはアナログと云われようが、10万分の道路地図を見ながら旅したいのです。
町役場を過ぎて国道337号線を北西方面へ。南幌高校を過ぎてすぐに場所にあったのが、ここ幌向駅逓所跡
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昭和5年の夕張鉄道の開通で廃止されたとありますが、夕張鉄道は函館本線の野幌駅からここ南幌町を通り、栗山町→夕張市へと通じる鉄道でところどころサイクリング道路になっている廃線跡。
その鉄道開通以前にあったのが、ここの駅逓所なのです。
地元の松田与三氏の提供で建てられた駅逓所なんですね。
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地元のマンホールを見ると、飛んでいる鳥は鶴?白鳥?何だろう?
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残念ながら建物内の見学は出来ません。外観から見るだけです。
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続いて、国道12号線へ出て札幌市へと向かいます。さすがに幹線道路で交通量はかなり多い。江別市内から札幌市厚別区へと入り、左手側に酪農学園大学、札幌学院大学、北翔大学を見て左折し札幌啓成高校を過ぎて向かうのが野幌森林公園内にある北海道開拓の村
そこの旧ソーケシュオマベツ(喜茂別町)駅逓所へ。
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1915年に建設されたというから、100年は過ぎていますよ。もっとも、喜茂別町から1980年に移転されていますけどね。
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厩屋のとなりには人が宿泊できる建物もあります。
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明治時代から昭和初期にかけて営業していた官設の駅逓所で、個人宅ではなく道庁が建てた駅逓所なんですね。
ここで北海道の歴史を簡単に説明しましょう。明治2年の1869年、戊辰戦争の最後の戦いである箱館戦争が終結し、蝦夷地は北海道と改称開拓使が設置されます。1881年(明治14年)には明治天皇の北海道巡幸があったことは、旧島松駅逓所で紹介した通りです。
1882年に開拓使が廃止され、函館県・札幌県・根室県の3県が設置されるも、4年後の1886年には3県が廃止され北海道庁が設置されて今に至るわけです。
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駅逓所のあった喜茂別村(現在は喜茂別町へ)は、羊蹄山の東に位置し現在は中山峠(831m)を越えて札幌市へ向かう国道230号線が走っていますが、当時は函館から来るとここで宿泊し山越えに備えて準備しなければいけない大事な場所だったのでしょうね。
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となりの建物を見たら、浦河町の教会がありました。
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今回の秋の旅で紹介した浦河町の荻伏の教会が、当時の姿のまま移転されたんですね。
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荻伏開拓にあたった兵庫県の三田市からやって来た人々が、北海道開拓会社の「赤心社」を設立し、教会を設立したのでした。
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ということで、北海道開拓の村は次回も続きます。なお、ここは道民で65歳以上ならば無料で入場出来ます。この日は、ここと少し離れた場所にある北海道博物館も見学。65歳以上は無料の特権を生かしてじっくりと見学したのでした。
では、また!

12月12日木曜日、天気は曇りで時々雪がちらつく寒い冬型の天気。
今日は、私の母が3週間入院した五稜郭病院を退院し入所施設に戻る日。午前10時前に病院へ着くも数ヵ所ある駐車場は何処も満車で、仕方なく病院の裏側にある美術館と芸術ホールの駐車場へ。
用事を済ませて駐車場へ戻るが、時間があったので芸術ホールに併設してある北洋資料館を見学してみることにしました。

利用しなければ駐車料金は200円だが、ここを利用すると2時間無料へ。そしてここの入館料は100円で、しかも市内の65歳以上は50円!病院の駐車場は1時間100円だから、こちらの方が安い、と実にセコい考えで入館料を支払います。
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ところが、1時間かけてじっくりと見学したらとっても面白い!明治から昭和30年代までの北洋漁業の歴史が理解出来たのと同時に、その頃の函館がとっても賑やかだったと分かったのです。
まずは、剥製のシロクマさんから。
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このトドは体長2メートル以上ある巨大なもの。
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トドの牙は30cm以上もあり、凶器になりそう。これで敵を攻撃するんだから怖い!
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明治時代の北洋漁業は、堤さんという日露漁業を始めた人。現在のマルハニチロ(株)の前身です。
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右端の銅像の方で、隣は函館の豪商である平塚常次郎。そのとなりは堤氏の奥さま。
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函館と北洋の結び付きは、幕末の1855年(安政2年)に幕府が箱館に奉行所を置き、樺太沿岸の漁業を手掛けた時からで、とりわけ1929年(昭和4年)から1988年(昭和63年)までは母船式サケマス漁業の基地としての役割を果たしていて、多いに賑わっていたのです。
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もっとも、それ以前からこちらの方、そう箱館の町を大きくした方、高田屋嘉兵衛さんを忘れてはいけません!
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3つのコーナーに分かれていて、1つは昔の北方漁業。2つ目は北洋漁業の歩み、3つ目は200カイリ時代とこれからの北洋漁業。
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ここの北洋航海体験室は、オホーツク海の荒波を行く独航船の船長室を体験出来るもので、3分間揺れる!揺れる船室。立っていられないほどの前後の揺れで、こんな中で航海していたのか、とその厳しさを実感しました。
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他に、カニ網、サケマス流し網、底引き網の各漁業や最盛期の函館の写真も展示。
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私が生まれた1952年(昭和27年)は、北洋漁業のピークで全国から独航船が400隻以上、母船も10隻以上函館へ集合。出港するまでの間、たくさんの漁師さんたちは函館の町で豪遊していたのです。
西部地区や駅前周辺には、お金がたくさん落ちたんですね。
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出港する前に、前金として渡していたからそのお金を使わないわけがない。もしかしたら命お落とすかもしれない北洋の海。その前に使っちゃおうと!
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無事に帰ってからも稼いだ分に応じて給金が支払われるから、2度目の豪遊があったのです。

そんな函館の良い時代があったのですね。それを知った資料館でした。
では、また!

12月8日日曜日、天気は朝から雪。気温も低く道路は凍結し寒い1日になっています。
78年前の今日、日本はアメリカ軍の基地であるハワイ真珠湾を攻撃し、太平洋戦争が始まりました。それから6年後の夏、広島と長崎に原爆が投下され大勢の犠牲者を出して戦争は終結。以後日本は戦争をせず平和な日々が続いていて、自分も安心して旅をしています。

これからも愚かな戦争をせずに永遠の平和が続くことを祈ります。が、先週からNHKの特別番組である「パラレル東京」を見て、これからやってくる首都圏大地震に恐怖を持ちました。
今後30年以内に70%の確率で発生する震度7の大地震、東京はほとんど地獄のような有様で、しかも地震後の1週間、1年、10年後が最悪の状態へ。もっとも、日本全体で地震は発生するし、地震でなくても台風、火山爆発など天災列島の日本、いつ災難に見舞われるか分かりません。

それを考えると何も出来なくなりますが、何があっても備えと心構えだけはしっかりと持とうと!と考えてはいますが。それは、昨年の9月6日の北海道大地震とブラックアウトでも生かされましたし、今後起こりうる天災に対しても慌てることなく対応していきたいと。

旅している間に起きたら、あらゆる知恵をだして何とか生きのびよう!と。何ごともなければそれに越したことはないですけどね。

さて、秋の旅の21回目は北広島市の旧島松駅逓所から。内部には様々な展示物。
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この絵は、クラークが札幌を離れる時、学生たちに「ボーイズビーアンビシャス」と伝えたことが描かれていますね。
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ここには明治天皇ご夫妻も巡幸していて、この部屋にお泊りになったのです。その時に使用されたトイレもありましたが、たった一度の使用の専用トイレだったそうです。
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鉄道もなく馬車で来られたのですね。東京から数か月も巡幸したそうで、飛行機で飛ぶ今の時代と違い長い間をかけて日本全国を旅したのです。そういえば森から噴火湾を船で室蘭まで渡ったそうで、当時は森ー室蘭間の連絡船があったのです。
この2部屋は入室禁止で、外側からの撮影。
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この方は、大阪の河内出身の中山久蔵氏。江戸時代後期の1828年5月4日の生まれで、亡くなった年は大正8年の1919年2月13日。
北海道の稲作の父寒地稲作の祖とも云われ、明治期に寒さに強い赤毛種の稲を作ることに成功。それは現在の道産米の「ゆめピリカ」の元になっているといか。
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彼が自宅を提供して駅逓所にしたのですから偉い!
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ということで、何度も断ったのですが、最後は館長さんが私の写真を撮ってくれました。
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外に出て周辺を散策。
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今でもしっかりと管理され維持されている駅逓所。ここ旧島松駅逓所は道内にある8か所の中では、一番見応えがある場所でした。で、次に南幌町の幌向駅逓所跡を訪ねましたが、そこは・・・?
それは次回のお楽しみ。
では、また!

12月7日土曜日、天気は晴れ。真っ白く積もった雪で、見渡す限り銀世界。気温も低く昨日は1日真冬日。つまり最高気温でもマイナスで、雪かきした後の道路はツルツル路面で歩き辛い。
まさに、真冬モード突入の北海道です。

さて、前回はむかわ町の穂別地区から夕張方面へと向かいましたが、結局宿泊したのは安平町追分の鹿公園キャンプ場で車中泊。今朝はそこから近距離にある恵庭市との境目付近にある北広島市旧島松駅逓所クラーク記念碑へ。
場所は、札幌市へ向かう幹線国道の国道36号線から左にそれてわずか、一級河川の石狩川の支流の島松川とさらにその支流の仁井別川の合流地点で、旧国道があったところ。
まずは、クラーク記念碑。
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そして駅逓所巡りも佳境へ近づき、道内最大の駅逓所である旧島松駅逓所へ。
駅逓所はこのblogで何度も紹介していますが、明治時代から昭和初期にかけて鉄道のない地域で馬車の駅として設置された建物。そこはただの中継基地だけではなく宿泊、郵便物の預かり、馬の食糧補給など何でも行った建物だったのです。
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クラーク象と云うと、札幌ドームを見渡す小高い丘の羊ケ丘展望台の思い出しますよね。
右手を挙げて「ボーイズビーアンビシャス」と学生たちに別れの挨拶をしたという、でも羊ヶ丘は観光用で実際にはここであの有名な言葉を言ったのです。
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その時は、1877年4月16日のこと。歴史を読むと1877年は明治10年で2月には西南戦争があり、9月には西郷隆盛は自害して西南戦争は終結している年。
前年の1876年は北海道大学の前身の札幌農学校が設立され、クラークが教頭として来日しています。
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この時代(幕末から明治10年代)は、西洋の思想・学問・技術の導入が推進され、文化的側面でも日本の近代化が図られていて、それを担ったのがクラークらのお雇い外国人たち。彼らの果たした役割はとても大きかったのです。

クラーク以外では、ドイツ人医学者のベルツ、文芸のアメリカ人フェノロサやイギリス人のハーン=小泉八雲、北海道では開拓を指導したケプロン(アメリカ人)など。
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北海道の稲作の歴史は、道南の旧大野町(現北斗市)で江戸時代後半から行われていますが、寒冷地の稲作はここからなんですね。
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クラーク記念碑のとなりには旧島松駅逓所があります。島松は地名。入館料は確か200円だったか、もしかしたら300円くらい。開館は10時だが、1時間ほど早く到着して建物の周囲をブラブラしていたら、係の方が「どこからおいでですか」と尋ねてきて、「函館からです」と答えると、「それはようこそ!」と受け付けてくれたのです。
うれしいですね!感謝ですよ。
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歴史に関してはこちらをご覧ください。現存している建物は、道内には8か所。その中で、開館しているのは5か所で、ここはもっとも大きな建物。今まで見学して来た駅逓所は、札幌市の開拓村に移転したソーケシュオマベツ(喜茂別村)、沼田町の本願寺、別海町の奥行臼、紋別市の上藻別で、この日は旧島松の後で幌向(南幌町)を訪問する予定です。
残すところは旭川市の忠別太と標茶町の塘路だけ。
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では、入って見ましょう。
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囲炉裏がありますね。昔は暖房施設がなく断熱材のない建物だったから、冬はとても寒かったことでしょうね。それと怖いのはヒグマ。今の比ではなくほど身近にそんざいしたでしょう。
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で、次回は内部をさらに詳しく紹介していきます。
では、また!

12月5日木曜日、天気は雪。昨夜の午前2時ころトイレに起きた時に外を見たら風が強くて雪はほんの少ししか積もっていなかったけど、朝午前6時半ころに起床した時は驚くほど積もっていて、こりゃ雪かきが大変だ!と嘆いたほどで、その写真は最後に載せますね。
やっぱり、12月にもなると雪も降るし積もりもしますね。でも、昨年みたく降雪が5mなんてことがないことを祈りたい。そうなったら、毎日雪かきで朝から筋肉痛ですよ!今日も1時間半の雪かきのあとは整骨院通いで午前中は終了。来週は暖かいみたいで、今日降った雪は全部融けるのかな?

さて、秋の旅の19回目は平取町の旧国鉄富内線の振内駅。
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駅の内部の半分は鉄道記念館になっていて、富内線のことがわかります。左側の建物は、平取町の福祉施設の事務所。
その建物の横には列車が保存されていて、ライダーハウスになっています。シャワー付きで1泊600円だったかな?
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蒸気機関車や信号機まであって鉄道マニアにはうれしい場所です。
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この奥は広場になっていて、車中泊だったら可能です。水道もあるし簡易トイレもあるから大丈夫。でも、キャンプは禁止の看板有。
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さらに北西に10km近く移動し旧穂別町、現在は合併してむかわ町の富内地区へ。富内駅が保存してある地区です。富内、銀河ステーションの愛称で知られている場所。
5月の旅では、この駅の横で車中泊しblogに記載したので覚えている方もいらっしゃるでしょう。
トイレは駅の正面にあります。
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トイレがあるのが分かりますね。駅跡にはホームもあるし、駅表示板も。
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ここで写真を撮っていたら地元の方に話しかけられました。その方はここの地区の代表者の方で、昔の最盛期の話や寂れた時代の話など、たっぷり1時間近く話こみ過去の栄光を知り昔は賑やかだったんだ、と。
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ホームの向かい側の建物には温泉もあり、200円で入浴出来るとか。ただし、週に数回営業で毎日ではない。この日は休館日で残念でした。
花壇は、宮沢賢治をイメージしたもの。だから、ここはイーハトーブの郷でもあります。
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足元を見たら、マンホールは銀河鉄道の夜のイメージかな?
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この日は、まだ時間がありここで車中泊はしませんでしたが、宿泊するならここは最高!
夜は満天の星空だったし(もっとも晴れていたらの話)、とても閑静な場所。ただし、コンビニ1軒もなく地元商店もなし。だから食糧は持参すること!
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ということで、ここを後にして夕張市へ向かいます。
では、また!

今朝の大雪が降った庭‼️
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一気に20cmくらいの重い雪が積もりました❗

12月3日火曜日、天気はblog作成中の午前9時は今のところ晴れていますが、スマホには渡島地方全域に暴風雪警報が出ていてそのうち吹雪となることでしょう。
と、blog作成中(9:45)に猛吹雪!前方も見えないほどの激しい吹雪です!

12月に入って今日で3日目。今年もあと少しで終了。来月は2020年を迎えます。早いもので退職してから来年4月で7年、その間沖縄と四国4県を除く全国を旅して来たけど、それでもまだまだ細かいところは行っておらず、訪ねたい場所は無数に残っています。夢は広がるばかりだけど、時間と体が持つのか?
そんな弱気なことをたまに考えるが、いやいや、まだまだ出来るはず!と自分を奮い立たせて来年を迎えたいです。そのためには準備をしっかりしなくては!
その準備とは、まずは体力をつけるために今月からアリーナ通いをしていて、しっかり持久力と筋力を冬の間蓄えよう!と。それと頭の体操。図書館で借りてきて、行く先々の地域の学習をしよう!と。

さて、18回目の秋の旅は新冠町の山間部から。サラブレット街道を日高山脈へ向かって北東へ進み若園地区へ。そこで発見した廃校となった若園小学校。
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場所は道道209号線を北上すると道道71号線に合流し、そのままさらに北上すると若園地区へ。道路沿いに見つけることが出来ます。
かつては、開拓農民がたくさんいて、子供たちも大勢通学していたのでしょう。でも、今は周囲には数軒の農家さんがいるだけで、子供たちはどこにもいません。全国何処もそうでしょうが、廃校となった学校ばかりが目に付きます。特に国道ではなく地方道を走ると、目に付くことが多くショックが大きい。
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さらに走っていくと、太陽地区へ。先日紹介した太陽の森ディマシオ美術館前に到着。
もう一度見学、というわけではなく今回は太陽地区をじっくりと見て回ろう!と。
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それにしても、開設してから10年間も維持されてきたこと、しかもこんな山奥によく存在すること!感心するばかりです。多分赤字じゃないかな?と勝手に想像するけど、スポンサーがあるからなのか?出来ればずーっと維持されてもらいたい美術館です。大都会ではなく、こんな地方だからこその美術館なのだから。
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美術館から少し離れた場所に車を停めて、といってもどこでも駐車できるけど広い駐車場があったのです。でも、なんでこんな場所にあるのかな?と少し不思議。
道路を挟んで向かい側になんか建物があるぞ、と。「木の皮学校」と「一本の鍬」の看板。
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ここは明治時代の北海道開拓ではなく、戦後の満州や樺太からの引揚者の開拓で、新冠町の御料牧場を開放して入植したとか。御料牧場とは、皇室で用いられる農産物を生産している農場のことで、21世紀の令和になった今でも存在していますが、戦前は日本各地にあったとか。
そして太陽の地名はアイヌ語ではなく、開拓団長の発案で政府のお偉い方々や皇室から命名されたとか。
だから、ここは開拓してから70年ちょっとと、道内開拓の歴史の中では浅い方ですね。
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太陽開拓団発祥の地の碑。戦後直後といっても、電気もなければ水道もないインフラ全くなしの土地に鍬一本で入植してきたのだから、その苦労は大変なものであったでしょう。
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で、地元民が子供たちに教育の大切さを教えるために造った小学校が復元されています。
鉄骨の屋根に覆われているけど、元の学校は木の皮で造られていて、まさに「木の皮学校」です。ガラス窓もなく戸を閉めると室内は真っ暗。そして壁には断熱材もなく、寒い冬は雪が入る混む吹きっさらしの教室です。
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手作りの机と椅子と板を黒く塗っただけの黒板。骨組みは丸太で、灯りはランプ。こんな中で授業が行われたのです。所々に隙間があって風が入り込みますよ。
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これが一本の鍬。すべて人力だけで、森を切り開きヒグマと戦いながら開拓していったのです。
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大変な苦労があったはず。昼間も暗い密林に開墾の鍬をおろしたのです。
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朝早かったので、草はまだ朝露で濡れていてスニーカーはずぶ濡れになりソックスまでびっしょり。でも、思わぬものを発見し、うれしさもありました。もう少し周辺を散策しようと、歩くと。
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「木の皮学校」の向かい側に、地域の御神木のような巨木発見。奥の建物は数少ない農家さんの家。
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細い道を歩くと鳥居とその奥に神社が。
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ここの地区の守護神でしょうね。太陽地区の守り神です。
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畜魂碑もありましたが、ここで飼育されていて亡くなったまたは食用にされた牛、馬、豚、鶏などでしょう。
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ふるさとの木であるイタヤカエデの巨木は、開拓当初から見守っていたことでしょうね。
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何軒かある民家の中に太陽郵便局が!そして地区で唯一の自動販売機。1日に何本売れるのでしょうか?
そして赤いポストも。ここのポストには1日に何通入れられるのでしょうか?郵便局も利用する人が何人いるのか?よく成り立っているなぁ~と感心するばかり。
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周辺は農場が多く、芝の中を数頭の鹿が散歩中。
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こちらを警戒することなく、のどかに草を食べていました。
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ということで、自然豊かな太陽地区見どころいっぱい!
歩くといろいろな発見有り!この後も廃校となった学校をいくつも見つけ、戦後は山奥でも開拓民が入植して開墾していったんだなぁ、と思わず驚嘆した次第。それが高齢化で後継者なく、若者は都会へ、学校は廃校へ。農地は手放し荒れ地へ。廃屋が何軒も目立ち、地区は限界集落から廃村へとなっていくのでしょう。
なんか悲しい現実を垣間見たような・・・。

では、また!

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