函館発  ぼうけんの旅

旅が大好き!2013年4月から始めて「ぼうけんの旅」は今年で12年目に突入。 車中泊中心の貧乏旅行の旅、今年で72歳を迎えいつまで続けれるのか?今のところ体力・気力はバッチリ。 いよいよ「2025 年ぼうけんの旅」は4月「春の旅」からスタートです!

2025年が明け今年は73歳を迎えて、体力的には厳しくなってきている車中泊の旅。いつまで出来るのか?まずは75歳を過ぎるまでは続けていきたい!と。未知の地を訪ねて、行くぞ!軽バン一人旅の始まりです。

2016年08月

昨夜は、台風10号の影響で大暴風雨へ。強風は、地震のような家全体の揺れを起こし怖いくらいでした。
スマホでは、暴風雨、避難準備などの警報アラームが鳴りっぱなしで、うるさいくらいだったけど、それだけ警戒が必要だった、ということです。

朝起きると、我が家でも家庭菜園で作っている収穫寸前のトウモロコシが、すべて倒壊してました。

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これは、2階から写したものですが、下に降りて写すとすべてのトウモロコシが倒れているのが分かります。

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全部、西から東の方向へ倒れています。西側は家があるにもかかわらず、よほど強い風が吹いたのでしょう。皆、同じ方向を向いて倒れています。
昨夜は、最大風速30mくらい吹いていて、道路にはあちこちから飛んできたものが散乱していたほどでした。

朝7時30分から、トウモロコシを起こして土寄せし、まっすぐに伸ばす作業に取りかかりました。
台風一過の湿度のある、30℃を越える高温でからだ全体から汗が吹き出して、全身汗まみれ。

中には、ポッキリと折れたものもあって、何本かは抜いて捨てざるをえないものもありました。

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手前のは、えんどう豆の栽培をしている棒。それも全て倒れています。
眼鏡にも汗が滴り落ちて、すぐに見え辛くなるし、喉も乾く。
休み休みながら作業して、何とか午前中には終了しました。

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半分くらい残れたかな?というくらい。残りの半分は、実を取って茹でて食用に。

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中途半端な大きさですが、収穫前に家の鍋で水を沸騰させて、その中にもぎたてのトウモロコシを入れて5分くらい。
とっても甘いトウキビの誕生です。
これを5回繰り返し、全部で30本くらい茹でる。それを、近所や友人たちへお裾分け。
もぎたては、甘く美味しい!
昨年は、東京の親戚の子に食べさせたら、「東京のトウモロコシとは別物だ!」と驚いていました。
それほど甘く、ソフトで美味しい。

畑の隅では、ミニキュウリが成長しています。

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大きさは、ウインナーソーセージくらい。1日に何本も生って、毎日朝夕の食卓に載ります。

ということで、我が家の台風の被害はこれくらいで済みましたが、道東や岩手県では亡くなられた方もいて、大きな被害を出しています。

今でも、川が溢れて避難している地域もあって、大変な犠牲を出した台風でした。

早く復旧することを願うとともに、亡くなられた方のご冥福を祈ります。

では、また!

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再び台風の警戒が必要な北海道です。先週は、1週間に3つの台風が上陸し、大変な被害
を引き起こしたにもかかわらず、また台風が呼びもしないのにやって来ます。

お呼びじゃないよ!と云いたいけど、自然の力の前には人間は無力です。今晩から明日に
かけて最大の注意を呼び掛けているが、昨夜から降り続いている雨は、さらに威力を増して
朝方からは風も強くなってきました。

今は、被害が最低限度で治まるように!と祈るだけです。

さて、今日はぜひとも見学したかった網走監獄博物館へ行きます。
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なぜ、ここへ来たかったのか?というと、北海道の歴史は網走の囚人たちが創った!
云っても過言じゃないからです。

北海道の中央部を横断する道路や十勝地方から太平洋へ向かう道路、さらには屈斜路湖
の近くの硫黄山から釧路港へと向かう道路は、囚人たちによって切り開かれました。
そんな囚人たちは、ここ網走刑務所から強制的に駆り出されたのでした。

それでは、まず入場券を買います。
大人は1080円と少し高いですが、見応え十分の施設です。何せ、広さは東京ドーム3.5個分。
この広大な敷地に25の建築物群があるのですから。
では、監獄へ入門しましょう。
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門の正面に見える建物は、ミュージアム・ショップで、オリジナルグッズや限定書籍の
販売を始め、網走刑務所の収容者が創った作業製品などが販売されています。

驚いたのがこれ。何と!函館少年刑務所の作業製品が販売されていました。
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函館市金堀町にある刑期の少ない人たちの刑務所で、決してボーイズの刑務所では
ありませんよ。少年たちは、犯罪を犯すと少年院へ送られますからね。
主に重大交通事故を起こした人たち、と聞いています。

その彼らが、社会復帰出来るようにと、技術を磨き作業所内で生産した数々が販売
されていました。
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はこだて監獄印のブランドとして、函館では定期的に刑務所となりの販売所で売られています。
ここにある持ち帰りできるもの以外に、家具などの大きな物も生産しているのです。

明治政府は、19世紀後半太平洋岸に不凍港を求めて南下政策をするロシア帝国に備えて、
まだ道路もない北海道の開拓を急ぎます。そのためには、まず道路が必要でその激務には
囚人を活用しよう、と政府は考えました。

1870年代、薩長が独占する政府に対して各地で士族たちが反乱を起こしました。佐賀の乱、
秋月の乱そして西南戦争。その結果多くの政治犯が収容されました。さらには、1880年代
秩父事件を始めとする自由民権運動で不当に逮捕された農民たち。

彼らの送り先は、最初は石狩の月形、樺戸集治監です。そこから分かれたのが釧路集治監。
さらに網走にも出来ました。まさしく政治犯や思想犯たちが労働力として送られてきたのです。

下の写真の建物は、旧網走監獄庁舎。1912年(明治45年・大正元年)から1987年(昭和62年)
まで網走管理部門として使用されていたもの。
ここを始め博物館の建物のほとんどは、今年2016年、国の重要文化財として指定されました。
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すべての建物を巡ると2時間はかかります。今日は、しっかり巡りたいのですべて丹念に
見学します。30度を越す暑さの中、出来るだけ室内にいたい、との思いもあるからです。

続いて釧路地方裁判所網走支部法廷復元棟へ。
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人形を使って復元していました。法廷は、全国6番目に古い者で、当時のシャンデリアが
すごい。天秤をイメージしていて、公正に裁く意味があるそうです。

上は一人の裁判官が、下は複数の裁判官が裁いています。
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囚人たちのお風呂。入浴時間は15分それもルール在り。もちろん毎日ではありません。
自給自足の生活だったので、畑もあって、小麦や大根など野菜も収穫していたのです。
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漬物庫があって、沢庵も自家製、鍛冶屋もありました。味噌も醤油も生産していたのです。

舎房(囚人たちの寝起きする部屋)へ行きます。5棟が放射線状に広がる舎房で、木造行刑
建築物としては世界最古かつ最大の規模だそうです。
格子の窓からは、脱出不可能か?それでもエスケープした囚人もいたそうです。
冬は寒かっただろうな、と同情します。
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独房は、窓がなく光が入らない暗黒の3畳間。受刑者がもっとも恐れた場所だったそうです。
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高い天窓から注ぐ光が唯一の希望だったのではないか、と想像します。でも、ここから脱走
した囚人がいたのだから驚きです。
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他に教誨堂もあって、お坊さんや神父さんが説教した場所です。
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最初に、監獄ライブラリーで網走監獄や北海道開拓の歴史を学習したので、各所を見学する
のに役たちました。
網走刑務所というと、高倉健さんを思い出しますが、ここは北海道開拓の歴史そのもので、
決して任侠ものの映画作品の場所ではない、と改めて思いました。

明治政府に反乱し連行された士族たち、自由を叫んだ農民たち。彼らが極寒の地網走で
何を考えて刑務所で過ごしたのか?
深く考えさせられた網走監獄博物館でした。

出口の外には、監獄グッズを販売する物産館、そして監獄食堂がります。そこで、注文した
監獄食Bランチのホッケ定食。
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米7割、麦3割のご飯に、みそ汁、フキの漬物など。ホッケの半身が付いて820円でした。
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ということで、1080円分は十分価値のある場所で大いに勉強になりました。さらに知ろうと、
1週間後には月形の樺戸博物館も訪問しましたが、それはまた後で紹介することにします。

この後は、網走駅からオホーツク海沿いに東へ知床斜里駅まで釧網線の各駅巡りをします。
それは、また明日!

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能取湖レイクサイドパークでの車中泊は、今回の旅の中で最高に寝やすかった場所でした。
まずは、閑静な駐車場で、道路から離れた場所であること。パークゴルフ場内にはトイレも
完備しているし、風も爽やか。網戸をした窓からは快適な心地よい風が入り、ぐっすりと寝る
ことが出来ました。

十勝から来ていたパークゴルフの大会に出場する二人組は、朝早くからトレーニング。早くも
大会への意気込みが感じられます。彼らに「頑張って下さい!」とエールを送り出発。
まずは、能取岬へ。
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写真の左側に灯台らしきものが見えますね。
灯台への道が素晴らしかった!この道を美岬(みさき)ラインというそうで、美しい岬への道、
ということで名付けられたのかな?
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オホーツク海へ向かって、まっすぐに伸びた道。右端に灯台の頭が見えます。
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駐車場に停めて、歩きます。ここは網走国定公園に指定されている場所。
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立派な灯台です。
旅の一つとして、灯台巡りもあります。今まで数々の灯台を見学してきたけど、ここも素晴らしい
場所の一つ。
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高さ20mはある海岸段丘の上に位置している。オホーツクの荒波が削り取ったゴツゴツした岩肌。
オホーツクの水平線。どれをとっても感動する景観だ。
遠くに知床連山が見えた。左端が知床岬
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散策路の奥にあった記念碑。
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明日行く予定の知床半島が、はっきりと東の水平線上に見える。
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一番高い山は、羅臼岳だろうか?1660メートルの山で、30年前に登山したことがあったけど、
登りだけで6時間も費やした。羅臼側から登ったが、辛いことの連続で、よく登山したな、と今では
出来ないことを思い出した。
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天気は薄曇りだったけど、山々の頂がくっきりと見える。ズームして見ると、険しい稜線の連続だ。
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ここでは、映画のロケにも利用されているようだ。
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南極料理人」、「子ぎつねヘレン」を始め、中国からもロケ隊が来ていた。

ということで、長い時間能取湖に滞在。このあと網走駅へ向かいました。
停める場所がなく、写すのに苦労しました。
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網走では、訪問したかった場所があります。それは網走監獄博物館
明日は、その網走監獄をたっぷりと紹介します。
では、また!

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ついに、金曜日からトップリーグが始まりました。トップリーグって?と云う人もいるでしょう。
ラグビーの日本最高峰の戦いです。
秩父宮で行われた試合は、昨年の覇者パナソニックと五郎丸選手がいたヤマハ。結果は
ヤマハの勝利。フォワードの力の差がハッキリと出た見応えのある良い試合でした。

五郎丸選手は、現在フランスのプロリーグで活躍していますが、ヤマハの今年の優勝が期待
されるゲームで、これから冬にかけてのシーズンが楽しみです。

と、ラグビーファンとしてはうれしいシーズン到来ですが、3年後にはワールドカップがあります。
試合会場である札幌か釜石のどちらかには、試合を見に行きたいと思っていて、今からワクワク
しています。

さて、計呂地駅を出て、佐呂間駅へと向かいます。1987年に廃止されて29年経ちますが、ここ
佐呂間町には、旧駅舎と同じ形を再現した鉄道記念館が建てられていました。
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佐呂間駅は、サロマ湖と離れて内陸部へ入った場所にあり、探すのに佐呂間町役場へ行き
やっと探し当てました。役場からはすぐでした。

駅周辺は交通公園となっていて、蒸気機関車が展示されている。
344



















鉄道記念館は、カギが閉まっていて、近くのレストランへ頼まなくてはいけない。
そこのご主人に開けてもらって内部へ。無料です。
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スミマセン。同じ写真を使ってしまいました。
記念館の内部には、たくさんの資料が展示されていて興味深い。
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右の人物が旧駅前食堂のご主人。最盛期は、人であふれていた、と云います。
ファイターズ好きで、札幌はもちろんのこと函館まで応援しに行くとのこと。昨年函館まで来た
けど、雨で中止でガッカリ、でも帰りに夜景を見て感動した!と話してくれました。
ファイターズ、昨日はレアードの逆転満塁・大谷・中田のホームランで勝利!

今日も勝つぞ!
北海道民のほとんどは、ファイターズファンです。
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地図を見てお分かりのように、計呂地駅を出ると内陸部へ入っていることが分かりますね。
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交通公園に展示されていたディーゼル車。
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駅前食堂のご主人は、鉄道で観光に来た客が目の前にサロマ湖が見えないことにがっくり
していたことが何度もあった、といいます。そのたびに車でサロマ湖へ連れて行ったことを話
してくれて、ホントに親切な人なんだなぁ!と感心しました。

田舎に行けば行くほど、人はのんびりと、そして優しさも増えてきます。都会は、忙しすぎて
人に構っている時間がないのでしょうね。
だから、旅は有名観光地よりも知られていない地方が好き。人里離れた場所ほど、観光スレ
していないから、いろいろなことを話すことが出来る。地元の人と話すのは、旅の楽しみの
一つです。いや、大事なことです。だから、私は旅人と話すこともあるけど、出来るだけ地元の
方とお話ししています。
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駅前食堂のご主人に聞いてた知来(ちらい)駅跡。ゲートボール会館になっているけど、
最近使用されていないみたい。中も鍵がかかっていて入れず。
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ホーム側には庇があるが、線路跡はまったく見当たらず。芝生が広がっている。
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しばらく走りサロマ湖とお別れし能取湖が見えだし網走市へ。最初の駅だった卯原内
(うばらない)駅跡には、網走市鉄道記念館がある。
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建物の左側は喫茶店になっていて、右側の扉を開けて入ることが出来る。内部には
見るべき資料はほとんどなし。残念だけど、あまり整備していないように見えた。

それでも、ホーム跡地には、蒸気機関車が展示されている。
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客車はライダーハウスにはなっておらず、展示のみ。
目の前は能取湖が広がる。9月中旬になれば、ワインレッドのサンゴ草の群生地になる
そうで、一度見てみたい。
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線路跡地は、サイクリング・ロードとして活用されている。
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そして、この日の寝床を探し最初網走市の呼人浦(よびとうら)キャンプ場へ行くが、国道39号
線沿いにあって、車の騒音がある。そこで、もう一度戻り、能取湖のレイクサイドパークへ。
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広いパークゴルフ場になっていて、クラブハウスでは5分間100円のシャワーも入れる。
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雨も上がり、駐車場には帯広ナンバーの軽バンの車が2台停まっていた。話をすると、
明日からパークゴルフの全道大会があるとのことで、今日の昼から来て練習していた
とのこと。大会ごとに各地で車中泊している仲間だ、と。

十勝地方は、今夏日照時間が例年のわずか4%で、6月、7月は雨ばっかりで陽が全然
照らなかった、と話してくれた。
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ホントに、今年の北海道の天候はおかしい。例年と全然違う。特に夏の6月、7月、8月は
暑く、ジメジメしていて、おまけに台風が3回も上陸して、大雨が続いている。

9月になれば回復するだろうか?すでに農作物は打撃を受けているし、道路や鉄道が寸断
されてる箇所もある。
そんなイヤな雰囲気をぶっ飛ばすのが、ファイターズの優勝です。そしてコンサドーレの2部
優勝と一部昇格

九州のホークスファンの皆さん、ごめんなさい。きっとひっくり返しますよ。
ファイターズの優勝は、11.5ゲーム差をはねのけての優勝だから大いに期待したいところです。
といっても、まだまだ試合を続きます。今日もテレビで応援します。

では、また!

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史上初めて台風が一週間に3回も上陸した北海道は、各地で土砂崩れが発生して
鉄道や道路が不通になっているところが多く、中には孤立状態になっている場所も
あります。

今月初旬に訪れた知床半島の羅臼町では、各所で道路が寸断され停電が続き、固定
電話や携帯も不通になっていて、とても心配な状況です。

私も知床半島南側の突端まで行っただけに、もし時期が遅かったら車を置いたまま船で
避難していたかもしれません。
もういい加減、雨はいらない!こんな夏は早く過ぎ去って欲しいです。

さて、旧丸瀬布町の運動公園で車中泊したが、一晩中雨が降り続いていて朝も変わらず。
その雨の中を東へ向かう。最初の駅は、石北本線の秘境駅の瀬戸瀬駅

8月26日現在、石北本線は北見峠付近の旧天幕駅周辺で土砂崩れが発生し不通になって
いて、回復するのにひと月以上もかかるそうです。
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なぜ、ここが秘境駅なのか、というとダイヤを見て欲しいからです。
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下りが2本と上りも2本だけ。例え高校生の通学列車としても、朝の7:46に遠軽高校へ
通学して、帰りは16:25着か部活で遅れても19:44着だけ。時間が限られる。
21:15の下りは利用する人がいるのだろうか?と首をかしげる。

周辺住民のほとんどの方は、車に乗るからです。
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国道333号線沿いに、人家は何軒かあるけど、駅自体は利用者がいるかいないかの無人駅だ。
10kmほど離れたとなりの駅が遠軽駅
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昨年、今年と何度か登場している駅ですね。地図で見ればお分かりのように、スイッチバックの
駅で、旭川方面から駅へ入ると今度は逆向きに北見方面へ向かう。
かつては、名寄本線の終着駅でした。

雨が降り続いていたので、遠軽町で一休み。駅のそばにコインランドリーを見つけ、溜まった
洗濯物を洗う。洗濯機が300円、乾燥で100円、5日分の汚れものがきれいになりました。

その後、ここから名寄本線跡地を探って湧別町の中湧別駅跡地へ行く。
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ここが、湧別町と網走市を結んでいた湧網線の終着駅であり、名寄本線の駅でもあった場所
で、鉄道遺産としてかなりのものが残されている。今は道の駅「かみゆうべつ温泉チューリップ
の湯
」となっている。
325



















JNRはかつての国鉄の名称。JAPAN NATIONAL RAILWAY の略。
日本国有鉄道です。
327



















湧網線は、中湧別駅と網走駅を結んだ89.9km、駅数26、北海道最大の湖であるサロマ湖
南岸を走る路線でした。1987年(昭和62年)に廃止されています。
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ここの道の駅で車中泊すれば良かった、と後悔する。国道から逸れていて閑静だし、温泉
施設(500円)もある。キャンピングカーや大型トラックもなく、ここの方が快適そうだ。

同じ敷地内には、文化施設があって雨宿りする。
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図書館もあり、小さいが鉄道資料が残っているコーナーもある。
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マンガ資料室もあって、浜頓別町出身のモンキーパンチ氏の「ルパン三世」の絵もあった。
不二子さんが色っぽい眼をして見つめている。
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ここで、2時間雨宿り。図書館で鉄道関係の本を読み直し、PCでブログをチェックしてお昼に。
旧駅前に食堂が何軒かあって、そこでランチタイム。

午後は、湧網線の各駅巡りへとリスタート。
まずは、芭露(ばろう)駅跡。10年ほど前まで駅舎はライダーハウスだったそうだが、今は
解体され介護施設へ。そばには、開拓「百年記念碑」があった。
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この施設が駅跡。建物の背後にはサロマ湖が広がる。
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サロマ湖を北西から南東へと湖畔を半周していた。波穏やかな湖畔。道内最大だが、国内
でも3位。琵琶湖、霞ケ浦に次ぐ広さ。ラグーン(海潟湖)で、海抜はゼロメートル、最大深度も
20mしかない。オホーツク海とつながっていて、海水が入る湖は、ホタテも養殖が行われて
いる。
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いくつかの駅跡があって、計呂地(けろち)駅はライダーハウスとなっている。
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国道238号線沿いにあって、画面の左側が国道。右側がサロマ湖だが、湿原が広がる。
蒸気機関車の後ろの客車が宿泊施設で300円の利用料。

他に、駅長の家があってこちらは500円。
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こちらには、有料シャワーがあって便利。
国道沿いには、駅長の家の後ろに小さなスーパーがあるが、それほど品数は揃っている
わけではない。並びと向かいにも商店もあるが、魚屋だったりして弁当が売っているわけ
ではないので、もし宿泊する場合は事前に購入した方が賢明です。
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10年前ツーリングした際、この日と同じ雨に降られて利用した時がありました。駅長の家に
泊まって、コインシャワーを浴びていた時、突然温水が止まった。100円で5分だったかな?
それとも数分でしかシャワーが流れなかったのか?記憶が薄れてしまったが、泡だらけの体
で右往左往。裸で、戸を開けて同宿しているライダーの方から100円借りた覚えがあります。

コインシャワーを利用する時は、予備にもう1枚コインを持って入った方がイイですよ。

湧網線の歴史が書かれた石碑。
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駅舎は、鉄道資料館なっていて興味ある人には面白い場所。
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左端に自転車が駐輪してあるけど、雨で連泊しているのかな?
跨線橋の下には同じくバイクがあって、雨が降り続いていると、連泊しますね。
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計呂地も開拓百年記念碑がある。多くの方が、明治時代に未開の地に入植し、開拓して
いったのですね。
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341



















ということで、明日も湧網線跡地を探して旅することにします。
では、また!

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興浜南線は、全19.9km、興部駅と雄武駅の間に6駅がありましたが、残っているのは皆無。
駅は、跡形もなく撤去されていまいました。

1933年6月に起工され、2年後の1935年9月に開業。それも半世紀後の1985年廃止されま
した。ここは、そのちょうど中間地点にあたる日の出岬
北西の雄武町方面を望む。
293



















一方、こちらは南東方面で紋別・湧別方面を望む。
294



















江戸時代の烽火台(のろしだい)跡地という、珍しいものがありました。
1790年代に蝦夷地を統治していた松前藩が、アイヌ民族が反乱を起こした「有事」の際に
通信・連絡手段として、烽火(のろし)を挙げた場所だそうです。
295



















今のようにスマホやパソコンがない時代は、このような手段しか連絡方法がなかったので
しょうね。
296



















岬の突端にある総ガラス張りの建物だが、なぜか無駄な建築物に見えるし、日の出岬という
名前も、本来のアイヌ語の名前の方が合っている気がするけど・・・。

興部駅跡から南へ行く途中の沙留(さる)川に架かる鉄橋は、しっかりと残っていた。
297



















この鉄橋の名は、オムシャリ川鉄橋というが、流れがほとんどない川の名は沙留川。
沙留駅跡は、まったくない。右は、国道238号線、通称オホーツク国道。
298



















紋別市と合併したが、かつての渚滑町から左折し、内陸部へと入る。渚滑線跡を見学する
ためです。
渚滑線は、1923年11月開業の34.3kmの路線で、全12駅。1985年に廃止されました。
ここは、その途中の中渚滑駅跡付近で、開基百周年の石碑があった。
299



















さらに内陸部へ、上渚滑にあった交通公園。ここに上渚滑駅があったのです。
300



















渚滑線は、さらに内陸の滝上(たきのうえ)町の北見滝ノ上駅まで続いていた完全な盲腸線
で、利用者も少なかったのでしょう。
301



















国道273号線はやがて、道の駅「香りの里たきのうえ」に到着。ここでランチタイム。
302



















ここでは、郷土資料館を見学したかった。まずは、蒸気機関車が展示されているコーナー。
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屋根付きの展示室だ。入場券は150円、だったかな?別の建物は歴史関係の資料室。
304



















当時の農機具が展示されている。
305



















ここで滝上町の歴史を学習した後に、旧北見滝ノ上駅跡へ。駅舎が鉄道資料館になっていて、
しっかりと保存されていることに感心します。地元の方たちの熱意が伝わってきます。
306



















内部には、駅標字板などあり。駅の名は「滝ノ下駅」や「滝ノ上駅」だが、町の名前は「滝上
「ノ」が入らない。駅だけがなぜ「」が入るのだろうか?
307



















ここから、さらに内陸部へと入る。なぜ?というと、かつて金の生産が行われていた鴻之舞
(こうのまい)鉱山を見たかったからです。
滝上町から道道137号線で峠越え、さらに道道305号線で北へ25kmほど走ると見えてきた。
316



















うっそうとした針葉樹林の森の中に、突然高い煙突が。滝上町から人家は、まったくない、まさに
熊のテリトリーだ。あちこちに「熊出没中」の看板がある。
308



















そんな森の一角にあった「鴻之舞鉱山慰霊碑」。
309



















大正6年というから1917年。第一次世界大戦のさなかだ。財閥の住友によって鉱山が
開かれ、東洋一の金山と云われた、という。
それも昭和48年(1973年)に廃鉱へ。56年の歴史があった金山。


最盛期は13000人以上の人々が働いていたのです。
310



















あちこちに残る廃鉱遺物。
311



















鴻之舞金山と紋別を結んでいた軌道があったのですね。金の輸送は狭軌の鉄道貨物で
紋別港へ送られたのでしょう。
金山なのに「銀色の道」誕生の地とあるのは、なぜ?
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鴻之舞小学校の跡地。
313



















鴻之舞中学校の跡地。
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1.3万人が働いていたなら、多くの子供たちも学んでいたはずです。だから当然学校も
あったのです。
315



















町名も各所にあります。まさに栄枯盛衰。鉱山町は、廃鉱となると誰一人存在せず、
完全に消滅してしまう。

当時の写真が掲示されていました。相当の賑わいがあった町です。
317



















山の斜面を削り、学校のグランドがあったり、住宅がたくさん建造されたり大きな町であった
ことが分かります。
廃鉱となって43年、今は誰一人住んでおらず建物はすべて解体されているし、鉱山の遺物は
木々に埋もれてしまい自然に帰ろうとしている。

夕張もそうだったが、鉱山が廃鉱となった跡ほど無残なものはない。函館でも郊外に銅山跡地
があって、銅山町という名前だけは残っている。でもまったくの無人の地で、森の一部と化して
いる。
悲しい鉱山の歴史を垣間見た気がした。

この日は、石北本線の丸瀬布駅へ。
318



















現在は、遠軽町に合併したが、ここの町の温泉ホテルで「HO」を使えるので2日ぶりに
入浴する。
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駅のそばの国道沿いに「セイコマ」もあって、食料補給。道の駅で車中泊する予定で
行ってみたが・・・。
320



















温泉の帰りから激しく雨が降り出し、道の駅には多くの車中泊のキャンピングカーが。
さらに追い打ちをかけるように、暗くなってきてから狭い駐車場に大型トラックがエンジン音を
鳴らして何台も駐車してきた。

雨と騒音、これじゃ熟睡など出来ない。8時過ぎに逃げることにした。温泉に行く途中に運動
公園の駐車場があったことを思い出して、2kmほど夜道を走る。

誰もいない公園の駐車場だが、国道から離れているし邪魔をする車もいない。ここだと何とか
寝れるでしょう。
ということで、明日は湧別と網走を走っていた勇網(ゆうもう)線跡を見ることにします。
では、また!

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一週間で3回も上陸した台風は、北海道を荒らしまくって去って行きましたが、その爪痕は
酷いものでした。北海道の母なる川である石狩川の氾濫を始め、各地で洪水や土砂崩れ
が発生しています。

昨年から運休中の日高線では別な場所で土砂崩れが起き、ますます運行が困難な状況に
なっていて、JRは廃止の方向へ持っていく理由にするでしょう。

農作物の被害も大きく、玉ねぎやトウモロコシなどの産地では壊滅状態になった地区もあり
ます。被災地の皆さんが、一刻も早く立ち直ること祈ります。

さて、昨日の続きです。美深駅から名寄駅へ向かう途中で、訪問していない秘境駅を訪れま
した。それは日進(にっしん)駅
271



















雨が降る中、たどり着きました。背後は、小麦畑。
272



















板張りのホームに小さな木造の駅舎。待合室には、案の定駅ノートが置いてありました。
このような秘境駅には、必ずと言っていいほど置いてある駅ノート。それはファイルに収め
られて、ボールペンもある。訪問者が記載したノートをめくると、ここで下車して周辺を散策
した記事があって、興味深い。

続いて、名寄駅から名寄本線の各駅を辿ります。名寄駅は、冬の旅でも訪問しているので
スルー。まず最初に上名寄駅へ。
273



















バス待合室の横に駅表示がありました。
名寄本線は、1989年(平成元年)に廃止されてから今年で26年を迎える。総距離143km。
駅数は39だが、すべての駅跡を探すのは困難で、代表的な駅だけ訪れました。

名寄市を出発して、下川町を経て西興部村興部町へと向かいオホーツク海へ出てから南下
し、紋別市を経て湧別町から内陸部へ入り、終着は石北本線の通過駅である遠軽駅。
という、長い距離の路線でした。

続いて一の橋駅。
274



















名寄市の隣町の下川町は、スキージャンプの葛西紀明選手の出身地。冬は雪が多い所
と、想像がつきます。
275



















大正9年の一の橋駅開通の際の記念に植えた松の木。大正9年は1920年だから、100年近い
前のことです。夫婦松も大きく育っていますね。

全盛期には、1日の乗客が262人もいたのです。駅員さんも8人もいて都市並みだったのです。
276



















結局、雨が本降りとなりこの日は道の駅「にしおこっぺ花夢(かむ)」で車中泊。
翌朝、敷地内にある上興部駅跡へ行く。ここは鉄道資料室となっています。
277



















マリーゴールドの黄色やオレンジ色の花々が咲いている。30年近く経っても駅舎は、しっかりと
保存されていて、地元の方たちに駅は愛されていたんだなぁ、と感じる。
278



















奥に見える建物は、トイレできれいに清掃されている。ここの駐車場で車中泊しても良かったな、
と思う。実は、道の駅では、深夜雨の中でも若者が集まり結構賑やかにおしゃべりしていたから
で、ここの方が静かで熟睡出来た、と後から思った次第です。
279



















奥の建物は老人ホームで、過疎地では学校が廃校になり、その代わりに老人ホームが
建てられている。
280



















朝7:30には開館され、名寄本線の資料をじっくりと拝見することが出来た。
もちろん無料です。
281



















近くにあった上興部中学校跡の碑と校舎。校舎は公共施設に利用されている。
282



















そして、オホーツク海へ出て、興部町の興部駅跡地へ。ここには列車が保存されていて、
ライダーハウスになっている。
283



















私も、昔ツーリングした時に利用したことがあります。無料なんです。
284



















この広い場所が駅構内だったのでしょう。ここからさらに北の雄武(おうむ)町へ向かって、
興浜南線が走っていたのです。だから、興部駅は二つの線の交差する駅で、駅員さんも
大勢いたのです。
285



















道の駅にもなっていて、建物の中には、鉄道資料室もあります。
286



















鉄道の歴史や当時の写真など、当時の賑わいを知ることが出来て感慨深いものがありました。

ここから、北へ15kmほど行くと、興浜南線の終着駅だった雄武駅。駅は道の駅となっている。
288



















7階に相当する高さ、というから30m近くあるのか、展望台がある。そこから見た雄武の町。
289



















天北線、興浜北線があって、枝幸町と雄武町の間に鉄道がなく、興浜南線から名寄本線
さらに湧別と網走を結んだ勇網線があった。現在は網走から知床斜里駅までの釧網線しか
オホーツク海を走っておらず、悲しい鉄道の歴史がある。

もし、枝幸駅と雄武駅が結ばれていたら、稚内駅から知床半島の付け根の町斜里までつながり、
オホーツク海側すべて鉄道で結ばれていたのに・・・と思っても夢物語。昔話です。
290



















道の駅のそばに、駅跡の碑がありました。
287


































「おうむ」のはずだけど、「おむ」になっているのはなぜ?歴闘50年の意味は?
興浜南線終着駅であった雄武駅は、1985年7月14日に廃止。フランス革命記念日だ。
道の駅の中には、鉄道関係の資料も。
291



















北見相生線の駅だった「北見滝の上駅」のプレートもある。ここから紋別行きもあったの
でしょうね。
最後に、ここの道の駅の食堂の名物「韃靼ソバ」を食べる。
292



















美味しかったです。

ということで、名寄本線の各駅巡りは明日も続きます。
では、また!


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昨日は、台風9号の影響で1日中豪雨で、道内では農業関係を始めかなりの被害も出て
います。先週から立て続けに3つの台風が上陸するなんて、過去にはなかったことです。

やはり、今年の北海道の天候は例年になく異常で、本来6月は乾燥してカラッとした天気が
続くはずですが、雨が連日続きジメジメした、まるで道内にはない梅雨のような季節でした。

日照時間も少なく、おかしいなぁと思っていたら7月、8月と平年の倍以上の降水量で、時には
毎日の雨。そして台風の連続上陸はダブルパンチで、農作物の生産に打撃があることでしょう。
秋の収穫期がとても心配です。

さて、本日の1枚目。北見枝幸町のバス・ターミナル。かつての駅はバスへと変換され大きな
建物となりました。
250



















そして向かい側には、かつての駅前旅館や食堂が。
251



















何と名前が「一級食堂」。木製の窓枠を見ても、かなり老朽化した建築物です。
しかも、2階の窓は上下に開放する窓です。おまけに窓の上には通風口まであるのだから。

ただ、「営業中」の暖簾は玄関フードの中に仕舞われたままで、オープンしていなかった。
十数年前までは、となりの駅前旅館と食堂もあったとか。今は更地へなってしまった。
周辺の交通公園となっている場所を散策すると。
253



















ありました!北見枝幸駅跡の碑が。奥の建物が「一級食堂」です。ハマナスの花に囲まれて、
ここが旧駅であることが分かる。
252



















裏を見ると、歴史が書かれていた。1921年(大正10年)に計画されてから12年後の1933年
(昭和8年)になって、やっと工事に着手され2年後に北見枝幸駅と浜頓別駅間が開通。

しかし、興部駅までは開通されずに1985年(昭和60年)に廃線となっている。
最後に、枝幸町のマンホール。
254



















蟹の町だからか、カニが3つ横並び。それと神威岬灯台が描かれている。

さて、次の山越えして国鉄時代日本一の赤字路線だった美幸(びこう)線跡を探します。
美幸線は、美深町と枝幸町を結ぶ予定で、それぞれの頭文字を取って名前が付けられ、
東京オリンピックが開かれた1964年(昭和39年)に美深駅と仁宇布(ニウプ)駅間が開業。
しかし、天北国境(天塩の国と北見の国)を越えて旧歌登町(枝幸町と合併)を経て枝幸駅
へ行くことはなかった。

70kmの総距離の予定だったが、結局美深駅と仁宇布駅間の21.2kmだけで、それも1985年
(昭和60年)に廃止となった。わずか21年間しか運行されなかった路線です。

まずは、歌登町にあった上徳志別小学校跡。木造の老朽化した体育館が印象的だ。
周囲には数軒しか人家はない。奥の元教員住宅には、車が停めてあって人が住んでいる
よう。

でも、となりの集落まで10km以上もある人里離れた場所。
255



















錆び付いた鉄棒が哀れに見える。
「北海道小学校廃校一覧」で調べてみたら、上徳志別小学校は1982年(昭和57年)に
志美宇丹小学校に統合され、その志美宇丹小学校も2008年歌登小学校に統合されて
いる。廃校となって、もう34年も経っている。
256



















ここから10kmまったく人家が見当たらない天北国境を走る。天の川トンネルを抜けると
宗谷管内から上川管内へ。枝幸町の河川はオホーツク海へと流れ、峠を越えた美深町
の河川は日本海へと流れる分水嶺にあたる峠道の道道120号線。

間もなくして富士重工(スバル)の試験場の看板が見えてくる。冬期間の凍結した路面での
試験を行う施設だ。
そして旧仁宇布駅へ。
261



















ここは、地元の方のボランティアでトロッコ列車が走っている。線路も5km以上残されていて、
鉄道への愛着を感じてしまう。
旧駅舎は鉄道資料館になっている。様々なグッズも販売していて、トロッコ列車の発券もして
いる。薪をくべるダルマストーブが懐かしい。
262







261































スミマセン。同じ写真を使用してしまいました。

ここで、トロッコに乗車します。距離5km、およそ40分。運賃は1800円で、自走出来ます。
260



















走り始めて数分。アクセルは右足で、ブレーキは自転車のように両手で操作します。
ほぼ直線で、ゆっくり走ると首から下げているカメラのシャッターを切ることが出来ます。
257



















鉄橋では、タヌキが出現しぶつかりそうになり。慌ててブレーキを掛けたり、真新しい熊の糞
が落ちていたりで、自然豊かなトロッコ列車です。
258



















係の人に尋ねたら、熊の糞は今日のもので昨日はなかった、といいます。
ここはまさに熊のテリトリーだ。
259


































ということで、ここでのんびりと遊びました。ただ、天気は悪くなってきてトロッコを走らせて
いる時から雨がポツリポツリと降り出してきた。
263



















駅前広場には、美幸線の記念碑があった。
264



















そういえば、昭和50年代の後半に廃止の噂が立てられて時代に、美深町長が
東京の銀座でキップを売っていたニュースがあったことを思い出した。

少しでも、足しにしようと町長自らセールスの先頭に立ったのだ。でも、いくら売っても
乗客が少なすぎる。100円の利益を上げるのに2000円以上も経費がかかる日本一の
赤字路線だったのです。

駅のそばにあった碑。
265



















仁宇布駅逓所跡で、鉄道が敷設される以前は馬による交通手段だったのです。
ここで、人間と馬の食料補給、宿泊、休憩、さらには郵便配達などまさしくオホーツク海を
結ぶ中継基地だった場所です。
266



















美深駅への途中に駅があったが、ここもその一つである辺渓(ペンケ)駅跡。
267



















手前の道が線路跡地か?駅の跡を示すものは何一つなかった。
でも、向かい側には菜の花が咲いていてきれいだった。
268



















最後は、美深駅。ここは現役の駅で宗谷本線が走っている。
鐘の塔があって、3時になると時報として、長い間鐘の音が鳴り響いた。
まるでからくり時計のよう。確か、石巻市の石ノ森章太郎マンガ記念館豊後竹田市の駅
見た時計と似ている。いや、それよりもかなり大きなメロディーだ。
269



















駅の2階は鉄道資料室になっていて、美幸線の歴史など見応えあり。
270



















というわけで、日本一の赤字路線だった美幸線跡を辿りました。行って見ると確かに人がいない。
これじゃ、赤字になるのは当然かな?との思いもありましたが、当時汽車通している高校生に
とっては、唯一の交通手段だったわけだから、廃止は地元にとっては非常に厳しい宣告だった、
と思います。鉄道は、地元の足であり集落をつなぐ絆だったのだから。

明日は、やはり廃止された140kmもの長大路線だった名寄本線の各駅巡りをします。
では、また!

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リオのオリンピックは閉会式ですが、この間数々の感動を与えてくれました。夏の旅は、この
オリンピックを見たくて、開会式の前日に帰宅し16日間通して毎日テレビの前に釘っつけ
で、応援していました。

スポーツ好きとしては、この間にたくさん見たい番組があって直接見れないものはビデオに
収録して後から観戦するという、まさにテレビ漬け。

その間に、新日本プロレスのG1クライマックス3連戦があったし、高校野球は南北海道代表
北海高校が準優勝するし、北海道日本ハムファイターズが首位のホークスに肉薄し、
優勝を伺う勢いでした。

まさに夏は、スポーツの夏。十分お腹いっぱい満喫しました。

さて、今日からは1985年(昭和60年)に廃止された興浜北線の各駅巡りをします。
浜頓別町と興部(おこっぺ)町を結ぶ計画で、1936年(昭和11年)に浜頓別駅と北見枝幸駅間
が開通したもの、最後まで興部駅までは開通されなかったオホーツク海側を走る全30.4km
の非電化単線のローカル線でした。

さて、浜頓別駅をスタートして最初の駅の豊牛駅
232



















原野の中にポツンと佇む駅舎は、荒れ放題。蜘蛛の巣が張られ、駅表示はない。
廃止されて31年間、住民も年を取っていって維持管理も困難になっていったのでしょうね。

次の斜内駅へ行く途中にあった閉校された斜内小学校。校舎は新しくグランドも整備されて
いて、現役の小学校かな?と思っていたら、地元の方に廃校になった、と云われた。

調べてみると、2010年に浜頓別小学校に統合されていて、今年で6年を迎える。
今は、地元の公共施設となっているそうです。
233



















続いて斜内駅。
234



















駅の名前も消えておらず、建物が整備されている。灯油のホームタンクもあって今も使用
されているかのように見える。
近づいたら生活している方がいる。実は、ここに住まわれている方は、札幌郊外のご夫婦で、
夏の間別荘として使用している、とのこと。

いやー、驚きました。元国鉄の駅舎を払い下げてもらい別荘にしているとは。
表札も出ていたし、駐車していた車も札幌ナンバーでしたし、窓には素敵なカーテンもあって、
この駅舎は間も現役でした。
建物の端には「熊出没注意」の看板と、下には「国有鉄道」の碑があって歴史を感じてしまう。
235


































荒れ放題の豊牛駅と別荘として整備されている現役の斜内駅は、あまりにも対照的でした。

次に、線路跡地を発見するために国道238号線を離れて旧道を走り、神威岬へ。
236



















ここ神威岬は、昔灯台の下を走る列車が、よく撮影ポイントとして紹介されていた。
岩山の下に灯台とその下を走る蒸気機関車は、絵になりますよね。
道路沿いは、崖の海岸。
238



















オホーツク海が広がる。水平線が見える海です。
灯台をズームして見よう。
237


































車を道路に停めて、歩いて行って見よう。
北の方向を見ると、豊牛駅や斜内駅がある地域が見える。
239



















山の山腹にあった線路跡地。ここを列車が走っていたのでしょう。
240



















上の写真は、南方向。北方向を見ると。
241



















背丈を越えるイタドリの葉で覆われていて、道は塞がっている。この先は進めない。
ここを走って枝幸町まで行っていたのです。

目の前に見える灯台へ行って見よう。
242



















北見神威岬灯台。神威岬は、積丹半島の方が有名だから北見の名を先に付けているの
だろう。場所は、崖の真下に位置している。
243



















石の階段が付けられているが、ところどころ草が生い茂っていて邪魔になる。
見晴らし抜群の灯台でした。
244



















さらに先に進めて、神威岬公園へ。ここから見る神威岬も素敵だ。
245



















国道は、山をトンネルで通過しているが、汽車は岬を一回りして海岸段丘の上を走り南下
していたのです。
246



















もちろんアイヌ語で、カムイの説明がなされている。カムイは神を意味している。

次の目梨泊(めなしどまり)駅跡。いろいろ探したけど分からず。多分バス停の辺りが駅
だったはず。
248



















途中、ウスタイベ千畳岩キャンプ場へ。キャンピングカーなど10台以上も駐車し、ライダーの
テントも張られていた。
249



















ということで、今日は三つの駅を紹介しました。明日は、さらに南下して終着の北見枝幸駅跡
まで行きます。では、また!


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道東や道央では、大雨となって川の氾濫や洪水が各地で出て、とても心配な事態と
なっています。被害が最小限に抑えられるように願います。

幸い函館は、今のところ少雨ですので大丈夫ですが、でも再び台風が上陸しそうで、
北海道では珍しいこと。やはり、今年の天候はおかしい。高温と大雨と高湿度、いつもの
スカッと爽やかな天気じゃないからです。

さて、今日の1枚目は猿払村の中心地である鬼志別駅跡から。
208



















ご覧のようにバス・ターミナルとなっている。建物の中には、天北線関係の鉄道資料室も
あって見応えがある。鉄道が走っていた時代に訪れたかった、と思っても遅すぎますね。
209



















鬼志別とは、やはりアイヌ語で「オ・ニ・ウシ・ペッ」。意味は「河口付近に木が群生している川」。
210



















これから向かう「小石駅」もあるし、熊出没のためにたどり着けなかった「飛行場前駅」や
昨日の最後に紹介した「芦野駅」の駅表示板もある。
浅茅野駅のもあって、うれしい!
211



















ここで、一休みして町内を散策。ここには駅前商店街もあるし、村役場もある。
でも、駅前はシャッター通り。シャッターが降りて廃業した店が多い。
212



















その中で、1軒開いているお店がありました。角にあった手作りパン屋さん。
213



















奥の工房で作っているようで、見ていたら車で買いに来るお客さんが何人もいて人気のある
お店と分かる。
ここで、ランチとして美味しそうなパンを何個か購入し、バス・ターミナルで食べる。
確かに美味しい。それに、お店の看板娘の娘さんの可愛らしいこと、こちらも笑顔になりました。

次の小石駅へ。廃線跡写真集で見た、この光景が分からず地元の方に本を見せて、やっと
発見。廃校となった小学校のずーっと先にある地元の施設が駅跡。
214



















小学校は、右にある門柱でお分かりですね。奥の建物へ行って見ました。
215



















様々な碑が建っていて、「望郷」と書かれた碑には、村長さんの名がある。

続いて曲淵駅へ。オホーツク海側から内陸部へ入り、峠を越えて稚内市の区域に入ると
太陽が顔を出して来た。それまでは浜頓別町からしばらく低い雲が垂れ込めていたけど
ここからは暑くなりそうだ。
216



















汗ばむほどの暑さの中で見つけた曲淵駅の待合室は、後から造り直したものでしょう。
多分ここにあったのです。周囲は木材工場があって、丸太を削る工場の騒音が聞こえる。

次の沼川駅へ。
217



















地元の人に聞いて、たどり着いた場所には旧駅の写真も展示されていた。
駅の看板はあったが、レールもないし廃線跡を示す線路跡地も分からない。
写真を見ると。
218



















旧天北線沼川駅舎が写っているて、当時のことを少しは垣間見られる。自転車が10台ほど
駐輪していて稚内市内へ汽車通する高校生のものか、と想像できる。

続いて樺岡駅跡へ。
その途中で見た宗谷丘陵と牧草地。果てしなく続く草地の奥に氷河に削られたなだらかな丘
は稚内の特徴。
219



















道北へ来て、大規模な畑を見ないのはやはり冷涼すぎる気候のせいか。冷涼な地での農業は、
酪農が盛んで周囲は牛の放牧地と、牧草地が広がる。所々に牧草ロールが何十個も転がって
いるのは、まさしく北海道の風景。
220



















駅跡がなかなか発見出来ず、廃校となった樺岡小学校へ車を停めて歩くと。
227



















ありました。古ぼけて字がかすんでいる駅表示板が、まさにバス停の真ん前に。
駅の名前は、とても読めないほど錆び付いているけど、バス停から樺岡だと分かります。
228



















土地は泥炭地のよう。泥の塊だけど、まるでスコットランドの泥炭のように真っ黒。
これが何十万年も進むと石炭になるのだろうか?
長い間かかって草が積もり積もって泥炭になったのでしょうね。

続いて稚内市街地に近い恵北(けいほく)駅跡へ。しかし、駅やホームの跡はまったく
見当たらず。あるのはバス停のみ。廃止されて26年も経過すると、完全に撤去されて
跡形もなくなってしまうのか?
221




















次の声問(こいとい)駅跡も、分からず。それでも、かつて鉄道が走っていたらしき道を
発見する。それは、小学校のすぐそば。学校の近くに駅や線路がある、というのが発見
できる法則の一つ。
222



















多分、この直線道路はかつての天北線の線路跡でしょうね?
223



















ほど単線の幅と同じような道、それと舗装されずに残っているからが理由です。
この先を行って見ると、かつての栄光の跡のように煉瓦造りの建物と煙突がニョッキと
顔を出していた。
224



















イタドリの大葉が茂り、完全に建物への道を遮断していて小高い丘から撮影するしかない。
屋根は崩壊してないが、建物の四面は頑丈な煉瓦で残っている。
この建物一体何だったのだろうか?全盛時代の稚内は、樺太航路も開かれていて北日本の
最大の港町だったので、酒造工場か?味噌や醤油の醸造所か?
煙突も煉瓦造りで、長い間極寒の地で耐えてきたのです。まさに歴史遺産。

宇遠内(うえんない)駅は、稚内市街地の中にあって、まったく跡形もないので終着駅だった
南稚内駅へ。ここは何度か訪れているので、すぐに到着。
225



















ここが終着駅で、最後の駅となりました。
ということで、天北線のほとんどの駅跡地を訪問し全148.9km、29の駅のほとんどを
探し当てました。
226



















かつては、ここが稚内駅だったけど樺太(サハリン)航路のためにさらに北に稚内駅が
出来る。だから、天北線はここまで。
昨年の宗谷本線全駅巡りと今年の春の鉄道の旅で、稚内駅を訪れているので今回は
パス。
最後におまけです。この日の寝床の浜頓別町のクッチャロ湖キャンプ場へ戻る道すがら、
寄り道してエサヌカ原野へ走りました。
229



















猿払村のポロ湖から国道238号線を左折し、オホーツク海側の道を走る。
すると、そこにはガードレールもない、街路灯もない、もちろん街路樹もないし、積雪時の
マーキングもない、ただ一直線に伸びた舗装された道だけがある。
230



















天北南部広域農道と名付けられているが、エサヌカ原野の道と云った方が当てはまる。
東にオホーツク海。両側に熊笹が茂り、大きな森林はない。まっすぐな道だけがあるだけ。
231



















この絶景独り占め! 最高の気分でした。

今夜の寝床は、昨夜に引き続きクッチャロ湖キャンプ場。昨夜とまったく同じ場所で車中泊。
明日は、浜頓別町から南下し、廃止された興浜北線の各駅を巡ります。
では、また!

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天北線は、1914年(大正3年)に音威子府駅から小頓別駅まで開通したことが始まりで、
1922年(大正11年)に稚内駅(現在の南稚内駅)まで開業し、宗谷本線として日本最北の
鉄道が開通しました。

しかし、オホーツク海経由の宗谷本線に代わり日本海経由の現在の宗谷本線が完成
すると、1930年(昭和5年)にオホーツク海経由の宗谷本線は北見線と改称され、さらに
1961年(昭和36年)に北見線は天北線となりました。

そして、JR発足後の1989年(平成元年)に赤字路線の解消の一環で廃止されました。
天北線は、音威子府駅と南稚内駅を結ぶ148.9kmの長大路線の全29駅

音威子府村から中頓別町、浜頓別町、猿払村、稚内市を結んでいます。浜頓別町から
猿払村までオホーツク海を走り、最後はサハリンを望む宗谷湾を走り南稚内駅まで到達
する地域は、道内でも極めて人口希薄の地区です。

それでは、浜頓別町のクッチャロ湖キャンプ場を出て猿払駅まで行きます。
まずは、クッチャロ湖にあった旧天北線をサイクリング・ロードに変えた地図。
緑色のラインがサイクリング・ロードで、旧天北線の線路跡。
191



















クッチャロ湖を出てすぐのサイクリング・ロードは、通行止め。なぜなら「熊出没 立入禁止
の看板が。
190



















この幅だけ見ても、単線だという事が分かりますね。せいぜい一車線の道を舗装して
サイクリング・ロードにしましたが、熊が出没するようでは走れません。

浜頓別駅の次の山軽駅は、このサイクリング・ロードの間にあって、駅跡地を探すことは
無理。そこで、次の安別駅へ。ここも探すのに苦労しました。
192



















なぜなら、ナビに登場しないからです。27年前に廃止された駅など、ナビでは検索できない
ですよね。でも、地図を見て検討を付けて町道を走りたどり着いたわけです。
193



















旧安別駅の待合室は、サイクリング・ロードの休憩場とトイレになっていましたが、室内は
ガラスは割れて滅茶苦茶な状態。中に入りだけでも大変でしたのは、この写真を見ても
お分かりでしょう。入口は、屋根に届きそうなイタドリの葉で塞がれていますからね。
194



















ここも「熊出没 立入禁止」の看板があって、次の飛行場前駅には行けません。
飛行場前駅とは、かつて太平洋戦争時、陸軍の飛行場があったことから名付けられた
そうです。
195



















熊が出なければ、さっそうと自転車を走らせることが出来るのに、と思わせる
サイクリング・ロード。
196



















でも、どこからでも熊が出てきそうな道で、走っていて木の陰から出てきたらどうしよう?
197



















次の浅茅野(あさじの)駅も、地図を見て探し当てました。浅茅野集落へ行くと旧駅を示す
看板が。
198



















ありました。浅茅野駅のホームが。石垣で一段高くなった部分がホーム。北海道の夏の花
のルピナスが咲いている。花壇でも咲かせますが、野生の花で種がこぼれてどこでも咲か
せてくれます。

次の駅である猿払駅へ行く途中に、廃校となった猿払小学校があった。
199



















実は、猿払村といっても中心部は鬼志別(おにしべつ)で、猿払村の名前のここ猿払は
バス・ターミナルが置かれているだけの小さな集落。
201



















トイレも完備したバス・ターミナルで、バス停には「猿払」の文字が見えます。
ここがサイクリング・ロード終着点。でも、草刈りが行われておらず、これじゃ走れません。
それに、ここも「熊出没中」。
200



















ケシの花が咲いています。広い駐車場があるが、そんなに駐車するのだろうか?
それに道路に停めても駐車禁止のマークもないし・・・。
202



















次の芦野駅を目指すが、サイクリング・ロードはもうない。線路跡地は道道へと変わり、
そのナンバーは四桁の1089号線。この真っすぐな道にレールが敷かれていたのだろう。
203



















北海道廃線駅跡写真集」や「北海道の鉄道廃線跡」の本を読むと、ここ芦野集落が
駅跡地。
204



















正面に神社があった。私の車が停めてある場所は、交通公園となっていたが、雑草だらけ
で整備された気配はない。まして集落を歩くと廃屋だらけで、神社まで行くのに人とは会わず。
右の自治会館と白い建物の消防施設だけが使用されている感じで、あとは廃墟の建物。
205



















タンポポが咲く小高い丘にある神社からの眺めです。
207


































階段も草で覆われていて、しばらく参拝者もいなかったのだろう。
遠くにオホーツク海が見えるはずだが、曇り空で分からず。
206


































酪農感謝の碑があったが、夏でも寒冷な道北では農作物の栽培が困難で酪農主体の農業
だったのでしょう。それでも離農する方が多く、人口は減少の一途をたどっています。

猿払村の人口は、2015年で2683人。浜頓別町で3880人。宗谷管内の人口は稚内市の
3.6万人を入れても6.7万人。5年間の減少率は8.1%で、道内最大クラスの一つ。最大が
空知管内の8.3%なので、それに次ぎます。

宗谷本線すら名寄駅以北は廃止の声が聞こえてきます。だから民営化された平成の時代に
入り天北線は廃止されたのも人口減=乗客減だからです。

明日は、猿払村の中心の鬼志別駅跡へ、さらに終着駅へと向かいます。
では、また!

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台風は、コースから離れた函館の町では被害がそれほどなかったものの、通り過ぎた翌日の
天気は、ものすごい蒸し暑さ。気温も湿度も高く、強風で倒れかかったトウモロコシを立て直す
作業をしていた畑は、まるでサウナ風呂状態で頭から汗がドット吹き出してくる有様。

瞬く間にTシャツはびしょ濡れへ。昨日は何度もシャワーを浴びての作業。収穫目前のトウモロコシ
は何とか全員(?)無事でした。
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この写真は台風前のもので、二階から撮影。キラキラテープは、カラス避け。トウモロコシは15本ほど倒れたが、土を寄せて大丈夫。食べられるようになるのは、あと10日後くらいか?
8月後半になっても、まだまだ暑い日が続きますね。

さて、浜頓別の町に入り常盤駅跡。バス停になっていますね。この辺りに駅があったので
しょうね。レールがあった場所すら発見できませんでした。
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続いて浜頓別町の中心街へ入ります。頓別という地名が何度もありますが、もちろんアイヌ語。
トー・ウン・ペッ」、湖から出る川を意味しています。
今まで、中頓別町の上頓別、小頓別、浜頓別の下頓別などたびたびここの周辺には頓別が付く
集落がありましたね。

浜頓別は、開村100周年を迎えています。と同時に数日後には100kmマラソンが行われる
ようで、あちこちにその幟が立てられていました。
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北オホーツク100kmマラソン大会。100kmも自分の足で走るなんて・・・信じられません。
自転車でも大変なのに。
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浜頓別駅の跡地は、バス・ターミナル。
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大きな建物です。その中に、鉄道関係の資料室があって見学できる。
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かつての天北線興浜北線に関するもの。興浜北線とは、浜頓別駅と北見枝幸駅30.4km
を結んでいた線で、興部(おこっぺ)駅まで行く予定であった。それで興部の興と浜頓別の浜
から興浜北線の名が付けられたが、1985年廃止されてしまった。
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バス・ターミナルに貼られていた、今年のファイターズ応援大使。武田久投手谷本圭介
投手。2人とも身長は低い。武田は170cm、谷本は167cmの公表だから、実際はもっと低い
かも?結構サバを読んでいますからね。

ところで、昨日もファイターズ勝利しついに1位のホークスを追い抜きましたが、勝率ではまだ
なのでマイナス0.5の2位なのです。

ホークス64勝39敗の0.621に対し、ファイターズ67勝41敗の0.620なのでまだ2位。ゲーム差が
マイナス0.5。
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バス・ターミナルのとなりは、浜頓別町役場。
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役場に資料をいただきに行って、最初に目に付いたのが二人の等身大の姿。
やはり、背は低い。でも、谷本は一軍で、中継ぎとして頑張っていますね。
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郷土資料館があるので、行って見たら閉鎖中。残念でした・・・。
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さて、今日の寝床はクッチャロ湖キャンプ場
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管理・維持費として200円徴収されますが、とっても環境は良好。目の前が湖。木陰に
駐車して、ベンチに座りブログを書いたり料理を作って夕焼けを待ちました。
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でも、だんだん雲がかかってきて夕日は見れず。
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もともとは、海だった場所だが、砂州によって湖となったラグーン(潟湖)。1本の緩やかに
流れる川で海と繋がっています。

周囲27kmの野鳥の楽園で、ラムサール条約登録の湿地でもあります。

キャンプ場はご覧のように、広々しているし、となりのテントを気にすることは全くない。
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テントサイトも区切られているし、トイレも炊事場も何か所かにあって便利。
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最後に、浜頓別町のマンホール。
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さすがに白鳥の飛来地だけあって、白鳥が描かれている。
明日は、さらに北へ。オホーツク海を北西へ、最後は南稚内駅へと向かいます。

それでは、また!


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昨夜の雨は、畑のお湿りかと思いましたが、それは浅はかでした。今日になって豪雨へ変わり
久しぶりの台風上陸の脅威に恐れおののいています。

普段、北海道には台風が上陸しないので備えの気持ちが軽いのですね。函館は、だいぶ
コースからそれていますが、台風のコース上の地域の方は大変なことでしょう。
出来るだけ被害が少ないことを祈ります。

さて、本日の1枚目は鉄道と全然関係ないジェット機から。
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ここは、寿公園。寿駅とは少し離れているが蒸気機関車が展示されている。
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ジェット機は、ロッキードF104で自衛隊の寄贈だそうです。
ここは、交通公園になっていて、いろいろと遊園施設もある子供向けの公園。

かつての寿駅を探します。お年寄りに尋ねて寿トンネルの手前を右折して探せば、鉄橋が
あるとのこと。
農地が広がる中頓別町を右往左往して、やっと見つけた場所。
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小さな川に架かる鉄橋がありました。この先に寿駅があったとのことです。
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橋を渡ると、人家の敷地で入ることははばかれる。周辺を歩いて見るだけにしました。
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次の新弥生駅は、全く見当たらず。国道の脇にかつて鉄道があったらしき土地を発見したが、
果たしてここが線路の跡地なのかどうかは分からない。
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それでも、雑草で覆われているが鉄橋らしきものが見える。
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確かに鉄橋だ。今も撤去されずに残されていました。この辺りが新弥生駅だったのでしょう。
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単線の、幅が短い橋でした。
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中頓別と云えば、鍾乳洞が有名で行ってみたら、何と!「熊出没中で閉鎖中」の看板が。
道路は通行止め。たまたま地元のトラックが通り運転手さんに話を伺うことが出来た。

「鍾乳洞の辺りは、親子クマが徘徊してとても危険。携帯電話も圏外で、通じない。しばらくの
間は閉鎖している」とのこと。「わざわざ函館から来たのに、残念ですね。」と慰めてくれたが・・・。
しかし、今年はあちこちで熊が出没していて危険だ!
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諦めて再び元の道へ戻り、中頓別町から浜頓別町のエリアに入る。
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廃校となった下頓別小学校と中学校。校舎は今も使用できるほどの立派な校舎。
中学校の校歌の碑があった。
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草刈りをしている方がいたので、お話しする。
「熊は今年住宅街にも出ている。カメラを撮影する時は、決して車から離れないように!」と
何度も注意された。この先も熊に気を付けなくては!
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最後に、下頓別駅跡。
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オホーツク海に近いからか、ハマナスの赤紫の花が咲いていた。
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ホームの跡もはっきりとわかる。ここは複線だったのでしょう。ここで上りと下りのどちらかが
待機していたのです。

明日は、いよいよ浜頓別駅跡へと向かいます。
40年近く前、私が車を買って初めて旅に出たのが道内一周。その時、浜頓別駅のそばのY・H
に宿泊しました。でも、今は駅もユースも残っていない。
どうなっているのか?それを確かめるために行きます。

では、また!

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台風が近づいてきていますが、函館は太陽が見え雨の気配は全くしません。湿度が高い
ので昼頃から雨が降り出すのかな?今までしばらく晴天続きだったから久しぶりの雨。

畑には恵みの雨になることでしょう。今は、気温も高くムシムシしていて不快指数は高い。

さて、廃止された天北線の各駅巡りの旅の2回目は、敏音知(ぴんねしり)駅跡から。
その前に、見つけた廃校跡を利用した施設。
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左の、灯油のホームタンクの高さに注目して下さい。冬は豪雪地帯であることが分かりますね。
都市部の2倍の高さはあります。
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敏音知小学校の跡です。校歌が記念に刻まれていて、校門も残っていました。
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それにしても、立派な校舎で現在は夏季期間中のアウトドアの施設として利用されています。
付近を流れる頓別川のラフティングなどが行われています。
国道275号線の向かい側には、道の駅「ピンネシリ」があって、旧敏音知駅の跡も保存されて
いました。
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ここには、ホーム、信号機、記念碑もあって、かつての天北線の跡を偲ぶことが出来ます。
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となりは、キャンプ場になっていてテントも張られています。向かいには日帰り入浴施設の
温泉「ピンネシリ温泉」もあって、車中泊にも利用出来そう。
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「愛の鐘」(?)もあって、白樺の木陰で一休み。この日は、とても暑くて道の駅でソフト
クリームを購入し食べる。ソフトクリームは、やっぱり北海道が最高。乳製品の本場だし、
ミルクの質が本州と違いますね。同じように見えても味が全然違います。

駅表示板には、かつての天北線の駅が描かれていました。
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ここは、敏音知岳(703m)の登山口でもあり、入口には鳥居まであった。
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2時間もあればのんびりと登山できそうだったけど、暑さと熊出没中の看板を見て日和ました。
やっぱり、登山するのは暑すぎる。
暑い」という漢字は、日(太陽)が二つにプラス(+)とかける(×)わけで、二倍にアツイ意味
でしょう。もっとも、自分の勝手な解釈ですが太陽が2個あって、それが掛け算なのだからアツイ
はずです。

次の駅である周摩(しゅうま)駅跡は、バス停しかない。
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敏音知岳をバックに、放牧地と牧草地だけ。人に聞こうにも人家はないし、働いている人も
いない。

続いて松音知(マツネシリ)駅を探す。バス停があったので、ここかな?
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待合室やトイレもあって、ここでしょう!と思い込むが、ここから数十メートル行くと、
遠くに駅らしく建物を発見。
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しかし、この草むらでは困難。特に、昨日最後に説明した背丈以上ものイタドリの群落を
越えるのは無理。そこで、遠回りしたら何とか駅舎の背後に到着。
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駅の正面に周って見ると、「松音知駅」の看板が見える。
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実は、この駅舎は長い間放置されていて荒れ放題だったが、それを見かねて地元の
有志たちによって保存が始まり、展示されている。
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さすがに駅表示板は空だが、当時の状態でホームもレールも保存はしっかりしている。
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離れた場所には、信号機もあった。
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駅舎の建物には、切り替えもそのまま残っていて、地元の方たちの心意気がうれしい。

次の上駒(かみこま)駅跡は、全くなく、「北海道廃線駅跡写真集」(星雲社)を参考にして
国道と道道の交差点を写す。
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この辺りに、駅があったのでしょうね。周辺を探したけど鉄道に関するものは何一つありません
でした。
今日の最後は、中頓別町の中心にあった中頓別駅
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駅は、奥に見えるバスターミナル。三角屋根の上に尖がった塔が見える。
先の写真集では、左の「まるや食堂」は営業中できれいな建物だったが、数年前に廃業
したのか蜘蛛の巣が張られ廃墟になりそうな状態だった。それに他の建物もなくなり更地
になっている場所もあって、一層寂しさが募る。

中頓別町の人口は1752人(2015年)で、5年前に比べると222人も減少していて減少率は
11.2%。5年間で、町の人口は1割以上も減少しています。

バスターミナルの2階には、かつての天北線の資料室になっていて、自由に無料で見学できる。
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このような資料室は、ほとんど無料で時間が許す限り開放しています。
もちろん夜間は閉鎖されているが、バスターミナルは、トイレもあるし見学に値します。

横には、当時の客車が展示されている。
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ということで、旧中頓別駅までやって来ました。いくつかは保存されていたけど、中には
跡形もなく自然に飲み込まれてしまって、鉄道の跡など探しようがない場所もありました。

明日は、オホーツク海に面した町の浜頓別町まで行きたいと思います。
道北とはいえ、夏の内陸部は暑い!30度は越えているようで、歩くのがキツイ!
でも、オホーツク海側に出ると、寒流の影響で少しはヒンヤリするかな?

では、また!

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71年前に敗戦した日本は、以後二度と戦争をしていません。今後もどんなに他国と
対立しても戦争という愚かな手段だけは採って欲しくないです。平和が永遠に続きます
ように!と心から祈ります。

と少しは考えた終戦記念日の8月15日。今日も暑い!年々暑くなる一方の日本は、
この先どうなるだろうか?東京は温帯から熱帯へ、北海道は冷帯から温帯へと変わり
つつある今、来年以降の夏が恐ろしい・・・。

さて、天北線の最初の駅であった上音威子府駅目指してキャンプ場を出ます。
まずは、その天塩川キャンプ場
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左の大きな建物はログハウスの宿泊施設。でも、誰も利用者はおらず蜘蛛の巣が
張られていた。奥がテントサイトで、右側にトイレと水場がある。
昨夜の利用者は、家族連れが1組とライダーが2人。それに自分の車中泊1台だけ。
静かなものでした。
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となりにあった建物の横に、「音威子府村(旧常盤村)澱粉工場発祥の地」の碑があった。
今はソバの畑になっているが、かつてはジャガイモ畑だったのでしょう。
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現在のソバ畑は、果てしなく続いている。どこまでもソバ。

北海道第二位の大河川の天塩川を渡り、音威子府駅へ。その途中で振り返ると、天塩川
温泉の宿泊施設が見えた。
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その奥にキャンプ場がある。
天塩川を渡ると、すぐに秘境駅の一つである天塩川温泉駅がある。
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板張りのホームに赤い屋根の小さな駅舎がポツンとある。駅の後ろは天塩川が流れている。

音威子府駅から国道275号線を北上する。天塩川の支流である音威子府川沿いを走る。
音威子府川は日本海に注ぐ天塩川水系で、上音威子府を過ぎて天北峠を越えると、オホーツク海
に注ぐ河川となる頓別川が北東へと流れている。

何度か行ったり来たりして、発見!
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駅表示板は、最近復元したのだろうか?文字がはっきりと見えて新しい。
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レールは撤去されて久しいが、ホームはきちんと残っていた。1989年(平成元年)に廃止されて
から、もう既に29年経過しているが今も残っているのがうれしい。
ホームは、国道から林道を少し入るが、ゆっくりと走ると見えてきます。

続いて天北峠を越えて、中頓別(なかとんべつ)町へ入り小頓別(しょうとんべつ)駅跡へ。
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奥にターミナルがあってトイレもあり、バスも停まっていたから、ここかな?と思って
庭仕事をしていた地元の方に尋ねたら、「この先のバス停が旧駅だった場所」と教えてくれた。

付近を散策すると、廃校跡が見えた。
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小頓別小学校。反対側の門柱には小頓別中学校のプレートが。
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開校七十周年の記念碑がある。
裏を見ると、大正4年開校、平成21年閉校とある。明治時代の末期に入植した人たちが、
大正時代に入り教育の必要性を実感し個人が私費で学校を開いている。
明治・大正の人たちの苦労がしのばれる。
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閉校となって7年、玄関も1階の窓も板で覆われて中には入れない。雑草が生い茂って
いて、グランドも役に立たない。
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歩いて数分で集落の中心のバス停へ。建物の壁に「小頓別駅」の板が掲示されていた。
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待合室には、トイレもある。これで、二つ目の駅。バス停付近を散策すると、すごい建物を発見!
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和洋折衷の旅館、丹波屋。かつて林業が盛んだったころは、本州から材木商が競って宿泊し
木材を買い付けていた、という。かつて、というのは戦前の話。大正時代や昭和の初め。
戦後も30年代までは、集落の人口も増加し賑わったという。小頓別小学校が一番児童数が
多かったころと合致する。

左が洋風。右が和風。建物だけではなく、窓の仕組みにその違いがはっきりと見えますね。 「北海道の鉄道廃線跡」(北海道新聞社)の中にあった記事によると、この旅館大正3年(1914年)の天北線開通に合わせて建てられたとのことで、今年で102年目になる代物。国の有形文化財にも登録されている、という。
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100年以上も経った建物がいまだに健在とは。旅館が営業しているか、
どうかは分からなかったが、現在も生活していて生活臭がしました。

続いて3番目の駅の上頓別駅へ。
このバス停かな?と思って周辺を歩いて見た。
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近くに、「獣魂碑」があって、この周辺は酪農が盛んだったのかな?と想像する。
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見渡すと民家が数軒しかなかったが、その民家へ行って見る。歩いて100mくらいか?
そこで花壇を整備していたおじいさんに尋ねた。
「駅は、バス停ではない、この先の草むらだ」という。
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この奥へ行って見た。背丈ほどの草むらで、探しても分からず。そこで、もう一度おじいさんへ
尋ねると、今度は連れて行ってくれた。
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ありました。鉄製のホームの片割れ。奥は深くなっていたので、明らかに手前側は高く
ホームと理解できる。
おじいさんの案内がなければ、たどり着けなかった雑草だらけの草むら。
ご覧のように背丈を越える草むらで、蜘蛛の巣もあって個人で探すのは困難だ。

おじいさん、ありがとうございました。おじいさんとは、その後いろいろお話して様々なことが
分かりました。
先の「丹波屋」は、以前は違う名前だった。昭和になって丹波屋と名を変えた、とか。
ワシが小学生の頃は、子供が100人以上もいて、遠くに見える牛舎が体育館だったんだ、と。
その体育館は、その後酪農家に売却され牛の小屋になったそうだ。

昔は、たくさん人がいたから神社もあった。多くの人が参拝していたのでしょうね。
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次の恵野(めぐみの)駅は、バス停でしか分からなかった。人家は周囲には見当たらず、
人に聞くことも出来ず。先に敏音知(ピンネシリ)岳(703m)が見え始めた。
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BS・NHKの「こころ旅」の火野正平さんは、葉を広げると1メートルにもなるフキの葉
見ると、北海道に来た!と感じたそうだが、そのフキの葉が終わり夏になると、今度は
背丈を越えるイタドリの葉が生い茂っている。

イタドリは、漢方の薬草の一つで痛みを取ることからイタドリと名付けられたが、北海道では
道路沿いに生い茂り、道をふさぐ雑草で邪魔なだけ。
写真の左に見えるバス停の付近にもイタドリの葉が茂っている。

天北線の廃駅巡りの旅明日も続きます。
では、また!

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