函館発  ぼうけんの旅

旅が大好き!2013年4月から始めて「ぼうけんの旅」は今年で12年目に突入。 車中泊中心の貧乏旅行の旅、今年で72歳を迎えいつまで続けれるのか?今のところ体力・気力はバッチリ。 いよいよ「2025 年ぼうけんの旅」は4月「春の旅」からスタートです!

2025年が明け今年は73歳を迎えて、体力的には厳しくなってきている車中泊の旅。いつまで出来るのか?まずは75歳を過ぎるまでは続けていきたい!と。未知の地を訪ねて、行くぞ!軽バン一人旅の始まりです。

2014年01月

  今朝見たBS・NHKの「こころ旅」はひとまず今日が冬の旅の最終回。あと明日と
明後日が総集編で、しばらくお休み。また、4月から春の旅が再開されますが、それ
まで見れないのが残念です。
 それでも、春の旅は愛知県からスタートし、岐阜県・滋賀県から福井県へ、日本海
側を北上し、ラストは夏に北海道と走ります。函館に上陸したら、火野さんと一緒に
走りたいですね。
 そして、何よりも自分が春の旅に出なくては 

 さて、66回目の秋の旅はいよいよ青森県に突入しました。昨日、能代市をお伝えし
ましたが、さらに北上し秋田県最北端の町、八峰(はっぽう)町へ。白神山地から流れ
出る伏流水、「お殿水」(昔、津軽藩主が喉の渇きを潤したことからお殿水、と名付けら
れたそうです)のある道の駅「はちもり」から約2kmで青森県へ。さらに10km走ると右折
十二湖」の看板が出て来る。坂をどんどん登ること15分くらいか?さらに歩いて行くと。
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津軽国定公園の一つを構成する十二湖へ到着する。十二といっても、実際に池が33も
ある。それが、どうして12と呼ばれるようになったのかというと、大きな(1万平方メートル
以上)湖沼が12あること。
もう一つは広大なブナの森に点在する33の湖沼だが、大崩山(おおくずれやま 694m)
の山頂から見ると、12の湖沼が見えるから。
の二つの理由があるが、どちらにしても湖というより、沼がたくさんある場所。
もっとも、湖と沼の違いは何か?というと、沼は一般に水深5m以内、湖は5m以上を指す
が、区別は明確ではない。まぁ、簡単にいうと、小さなものから池→沼→湖なりますね。


なぜ、出来たのかは推定だが、1704年の能代地震による崩山(くずれやま 939.9m)の
崩壊(文字通り、崩れた山となった)で、せき止められた川が形成されたものといわれる。
いわば、湖の分類上、堰止(せきとめ)湖の範疇に入る。函館近郊の大沼・小沼・じゅんさ
い沼がそうだ。
駒ヶ岳の噴火により、軍(いくさ)川などがせき止められて沼が出来た、ということ。
全国でも、栃木県の中禅寺湖(男体山の噴火により形成)、富士山の噴火により出来た山
中湖・河口湖などの富士五湖などがあるが、いずれも火山の噴火により形成されたもの。
十二湖は山崩れにより形成されたもので、比較的小さな湖沼が点在している。
海抜250m以上の土地、ブナの森に形成されていて水質は非常に良好。ミネラルたっぷりの
美味しい水が湧出していて、世界遺産「白神の水」として売られています。
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幾つかの湖を見て舗装された道を登ること20分近く、一番有名な「青池」に到着した。
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青、というより藍色。紺に近いくらいの濃さですね。
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直径10mくらいか?余りの濃さに底が見えない。魚は住んでいるのだろうか?それとも
水清くして魚住まず」かな?きれいすぎてプランクトンもなく魚が生息できないのかな?
だからか、透明度は高い。汚れがまったくと言っていいほどないのだ。
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ここは、比較的大きな湖だ。
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駐車場に戻り、今度は日本キャニオンと呼ばれるポイントに歩いて行くことにした。本場
アメリカのグランドキャニオンを想像してもらったら困るけど、それに近い?険しい崖が
見える、とのこと。
まずは、一目見て下さい。
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崩山の浸食崩壊により、凝灰岩の白い岩肌がむき出しになった場所で、日本海からも見え
昔から船の通るコースの目印となったそうだが、どう見てもグランドキャニオンとは似ても似
つかぬ代物。名前負けしますね。誰が名づけたのだろうか?
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 ただ、紅葉だけはアメリカの本場よりも美しいです。もっとも、コロラド州など中西部には
このような紅葉は出来ないですね。ロッキー山脈の一部を除けば、乾燥したステップ地帯
か、砂漠地帯に近い気候区ですからね。
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というわけで、今日から本州最北端の県である青森県、それも日本海側を紹介していくこと
にします。十二湖は、さすがに美しい湖沼が連続します。坂道を登って順繰りに巡りますが、
汗をかいてもきれいな沼に癒されます。が、日本キャニオンは、どう見てもガッカリの一つ
札幌の時計台や高知のはりまや橋などと同じかな?

明日は五能線の秘境駅で、海にもっとも近い駅を紹介します。それも驚く名前の駅です。
無人駅ですが(当たり前ですね。秘境の駅ですから、駅員がいたら秘境でなくなりますよね)
素敵な木造の駅舎です。

それでは、また明日   


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 旅をする目的は、各自いろいろありますね。私の妻は美味しい食べ物を食べに
旅行したい、といつも云っています。そして、付け加えて「 あなたのような、車中泊
して貧相な食事ではとても一緒に旅行出来ない」と。
 仕方がないですね。私の旅は完全に一人旅。「ぼうけんの旅」ですので快適な旅
とはいえません。原則、雨であっても車の中で寝るし、食事も自炊中心でホテルや
三ッ星レストランで食べるディナーとは縁遠いものです。
 昨年、延べ100日近い旅をしてきましたが車中泊をしなかった日は2日のみ。1日
は6月の道内、とても寒かった日ですが、上ノ国のキャンプ場で知り合った東京の
ライダーに「小樽に豪華な夕食を出すライダーハウスがあって、行きませんか。そ
れと今夜サッカー日本代表がオーストラリアと対戦してワールドカップ出場を決める
試合があるから、一緒にテレビ見ながら応援しませんか」と、誘われた時です。
 もう1日は、10月の能登半島、台風が日本列島を襲った日です。さすがに車中泊
は危険と判断し、ユースホステルに宿泊したのでした。

 そんなわけで、私の旅は貧乏旅行。「タフでハードな旅。五つ星ホテルより、満天の
星空で野宿、。何でも見てやろうの精神」で旅しています。
 中学3年生の時、1967年だったと思います。受験勉強のさなかに、本屋で見つけた
小田 実(おだ まこと)さんの世界中を放浪した「何でも見てやろう」を読んで感動し
たことを今でも覚えています。小田さんは、もう亡くなりましたが函館に来た時にお会
いしています。がっちりと握手した感触は忘れられない思い出の一つです。

 さて、それでは昨日の続きです。八望台で、珍しい地形のマール(火口湖)を見た後
さらに北上し、男鹿半島最北端の岬、入道崎へと進めました。
そこで、出会ったナマハゲ
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夏場観光客がたくさん押しかける入道崎のお土産やさんとレストランは、10月も後半
となると閉じている店も多く、オープンしているのは2、3軒しかない。15年ほど前にオ
ートバイ(ホンダ・XLR250cc)でツーリングした時は、駐車場にオートバイだけで50台
以上も並んでいたのに、この時期は1台も駐車していない。
11月の3、4日で今季の営業は終了し、長い冬期間の閉鎖に入るそうだ。次に開くのは
4月後半の連休前から、と店のおばちゃんは云っていました。
それにしても「なまはげ丼」って何だろう?この時は気が付かなかったけど、この写真を
見て、こんなのがあったのか?と。

北緯40度ジャストの入道崎。
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沖合を小樽から新潟・舞鶴行きの新日本海フェリーが南下している。
碑には、北緯40度の都市として、スペインのマドリード、トルコのアンカラ、中国の北京
アメリカのフィラデルフィアなどを挙げていた。

 同じ緯度上にある町を知るのは面白いですよね。函館の場合、北緯42度ですので、
42度近辺の都市として、スペインのバルセロナ、イタリアのローマ、トルコのイスタンブ
ール
、ウズベキスタンのタシケント、中国の瀋陽、アメリカのシカゴニューヨークがあり
ます。しかし、そうそうたるメンバーですね。北緯42度の都市の中に函館も入っているな
んて。
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堂々とそびえる入道崎灯台。実際の岬はさらに北の突端で、海岸は浸食崖。特に冬場の
荒々しい波によって浸食され、ハードな岩場が連続している。岬のさらに北に水島という
無人の島があって、そこが突端になっている。
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穏やかな雲が、空一面に広がっていますね。風もなく、のんびりとしたい気分になれそう。

入道崎を離れると、八郎潟を形成している砂州の上に出来た道の国道101号線をさらに
北上。入道崎と違い、白砂青松の砂浜海岸が続く。夏場はきっと海水浴客でいっぱいなん
だろうなぁ。

そうこうして、バスケット・ボールの町能代に到着。
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能代工業高校は、あの田臥勇太(たぶせ ゆうた)選手を輩出した高校バスケの名門ですね。
ただ、今冬行われた全国大会では、残念ながら1回戦敗退でした。何度も優勝経験のある秋田
県の田舎の公立高校ですが、最近の外国人大型選手を擁する私立高校にはかなわなくなって
きています。最近では、どこでもどの競技でも外国人選手が活躍していますものね。
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能代市は、人口5.8万人。秋田県では県都秋田市(32.4万人)、横手市(9.7万人)、
大仙市(8.8万人)、由利本荘市(8.4万人)、大館市(7.8万人)に次ぐ6番目の都市
です。そしてJR五能線の町。

そこで、本日最後に五能線の絶好のカメラポイント。
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逆光ですが、午前中で列車が通過していれば、最高のシャッターチャンスだったのに。
ここは、国道101号線の橋の上。駐車場があって、そこから歩道橋を歩いて橋の真ん中
へ行き、そこで写したものです。ずーっと遠くに男鹿半島が見えますね。

電車じゃないですよ。ジーゼル機関車で走っています。三陸鉄道もそうですし、北海道の
ほとんどは電化されておらず、軽油を燃料にしたジーゼル列車なのです。電車とは言いま
せんね。

明日は、世界遺産に登録された白神山地へと行きます。
それでは、また明日 

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  男鹿半島は単調な日本海側にあっては、能登半島と並び海に突き出た土地です。
かつて、火山島だった男鹿島と本土は漂砂現象によってつながりました。北と南の二
つの砂州によって結ばれたのです。その間にあったのが八郎潟。私が小学生の時、
5年生の時かな?日本の地理を学ぶのですが、湖の大きさで琵琶湖に次いで第2位、
であったことを記憶しています。ちなみに第3位は霞ケ浦、第4位はサロマ湖。
 今八郎潟は、それこそ8割方干拓され日本最大級の水田地帯へと変わりました。
秋田こまち」を始めとする東北の美味しいお米が生産されてます。
 だから、男鹿半島は陸繋島なのです。以前に紹介した函館山と同じ地形ですね。それ
も珍しいことに二つの砂州によって島がつながったのだから。
 珍しい地形はそれだけではない。昨日紹介した寒風山の西、半島の海際には男鹿三
という信仰の山が3つ並んでいます。真山(567m)・本山(715.2m)・毛無山(677m)
の3山は、昔からの山岳信仰の霊場として知られています。標高こそ低いものの険しい
峰々が続き、人を寄せ付けない怖いほどの雰囲気があります。

 さて、今日は、その男鹿三山を紹介するわけではなく、さらに進んで日本海に近いとこ
ろにある八望台という展望台から見えた火山地形の一つであるマールを紹介します。

 マールとは、ドイツ語で「湖」を意味します。水が豊富にある場所、日本では秋田県の
男鹿半島や、鹿児島県薩摩半島、さらに伊豆諸島など海岸に近いところに見ることが
出来ます。
 マグマの水蒸気爆発によって生じた円形の火口の周囲に、雨・雪などにより水がたまり
火口は湖となります。それが、マール。
沿岸部では海とつながり海水が流入し、湾となります。この地形、1回だけの噴火により
形成され、標高は低い場所に形成されることが多いのです。

 分かりやすく説明したつもりでしたが、理解出来たでしょうか?実際見て見ましょう。
その前に、寒風山からの下りで見かけた峠の名。
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妻恋峠。「早く帰って来い!」と海の向こうで叫んでいるような、そんな気がしました。
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山頂に展望台が見えますね。一応回転展望台と謳っていますが、観光客はたくさん来る
のでしょうか?余計な心配をしてしまう観光地です。
なまはげラインと名づけられたいかにも男鹿らしい観光ロードを西へ走ると、八望台へ到着。
ここから、先ほど紹介したマールの一つの二ノ目潟戸賀湾が見える。
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戸賀湾はマール(火口湖)だったけど、日本海とつながってしまい、海水が流入し湾となり
ました。でも、こちら側が丸く湾曲しているので火口だったことが分かりますね。
一方、手前の二ノ目潟は標高50mくらいか?周囲を針葉樹林で囲まれ人を寄せ付けない
森閑とした湖となっていますね。はっきりと昔、火口だったことが理解出来ると思います。
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三ノ目潟は奥の窪地にあり湖は直接見えません。でも、凹んでいる地形から場所が特定
出来ますね。
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一ノ目潟の一部が見えますが、ここからは良く分からないので、はっきり見えるところに
移動しますと。
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一ノ目潟の全容が分かります。ここも鬱蒼とした森の中にあり、湖畔まで歩いて行くことは
困難。きっと国定公園になっているので、入山禁止かな?ザイルなどのよっぽどの装備を
しなければ近づけないところです。
ここからは、二ノ目潟も良く見えます。
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というわけで、今日は珍しい地形のマール(火口湖)を紹介しました。鹿児島県では
指宿(いぶすき)市の鰻湖山川湾、姶良(あいら)市の住吉池
東京では、伊豆大島の波浮(はぶ)港、三宅島のの新れい池など、やはり火山帯の
中のあります。男鹿は那須火山帯、鹿児島は霧島火山帯、伊豆諸島は富士火山帯
の中にありますからね。

明日は、さらに北上、ナマハゲと会って来ます。

それでは、また明日 


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  昨日のニュースで非常にうれしいことが放送されていました。それは、震災に遭って
全面開通していなかった岩手県三陸鉄道が4月6日、ついに全線列車が通ることにな
ったのです。
 運転を再開するのは、一つは北リアス線の田野畑と小本間(10.5km)。宮古と釜石を
結んでいた北リアス線は、2011年3月11日の東日本大震災でズタズタになったことは
ご存知の通り。しかし、震災5日後には、宮古からの一部区間で早くも運転再開。しかも
無料で。その動きは住民たちを大いに勇気付けました。
徐々に開通し、一番被害が甚大だった沿岸部分の島の越駅周辺が整備されて、2か月後
の4月に宮古発釜石行きの一番列車の北リアス線が動きます。
 島越周辺の被害については、昨年の4月のブログで紹介しましたが、2年経過した後で
も鉄道がいつ再開出来るかどうかは、まったく不明でした。半年後に訪れた時の10月の
ブログでは復旧工事がかなり進んではいましたが、依然として開通の目途はつかず、時
間がかかるだろう、とのことでした。しかし、ついに田野畑駅と島越駅さらに先の小本駅が
結ばれ、ついに全線が開通したことはうれしい!のひとことです。

 南リアス線は釜石と吉浜駅(15km)が駅舎も線路も被災し不通でしたが、ここもついに
開通し大船渡市盛駅まで繋がります。途中の恋し浜駅についは、4月、5月、10月の旅で
何度も登場しているのでお分かりのこでしょう。
 良かったですね。昨年お会いした方々と、再会したいです。遅い東北にも春が再びやって
きます。本当にうれしいニュースでした。

 さて、昨夜は鶴岡市から北上し、秋田県に突入後県都秋田市のさらに北の潟上(かたが
み)市へ。八郎潟干拓地の入り口であり、男鹿半島の付け根にあたる国道101号線沿いの
道の駅「てんのう」で車中泊。道の駅には温泉も完備し、250円で入浴できました。

 その翌日、最初の写真は、日本海に突き出た男鹿半島全体を見渡せる絶好の展望ポイン
トの寒風山(354.8m)から。ここは標高は低いがコニーデ型の成層火山です。まぁ、日本の
火山の約7割はコニーデ型の火山です。形に違いはあっても富士山に似た火山が多い、と
いうことですね。
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生憎の曇り空で、太陽は出ていない。北の方向を見ると、これから向かう白神山地が見えた。

東の方向は、かつて琵琶湖に次ぐ日本第2位の湖だった八郎潟を干拓して誕生した日本最大
級の水田地帯。広大な水田を持つのは南秋田郡大潟村。1964年(昭和39年)、東京オリンピ
ックの行われた年に発足した日本1新しい地方自治体です。RIMG2653人口3000人ほど村です。



ート
















村がスタートした1964年10月1日、秋田県69番目の地方自治体で6世帯14名の日本1
小さな自治体でした。

南東を見ると、八郎潟調整池がまだ残っています。水門があって日本海とつながっている
のは、防潮のため。逆流を防ぐ意味がある。
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さらに南の秋田市方向を見るが、雲が低く垂れこめていて視界不良。
大潟村は、その土地すべてが干拓地で海抜数メートルの低い土地だから、全域平坦。
平らな土地、森林もなく太陽を遮るものがないことを利用して、毎年次世代電池自動車
レースである「ワールド・ソーラーカー・ラリー」が開催されている。
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一方、南西方向を見ると、男鹿市の臨海部に秋田石油備蓄基地がある。拡大すると
わかりますが、大きな石油タンクがいつくも並んでいる。
そういえば、秋田県は新潟県とともに、量的にはわずかだが石油の採掘が行われて
いますね。
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北西の方向は男鹿半島の最北にある入道崎。灯台があり、灯台50選の一つであり、
灯台マニアにはあこがれの地でもある。
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そして、ここ寒風山は小噴火口の跡地が見れる場所だ。
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分かりますか?左の窪地が火口だった、ということが。
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現在は気象庁の指定する活火山には指定されてなく、地震活動や噴気活動などマグマ
の動きや噴火の兆候が全くないですが、かつては激しく噴火活動をしていました。最近
では、調査したところ2700年ほど前にありました。もともとは3万年前から活動を開始し、
大部分の溶岩は2万年前以降に噴出した、とのことです。
景観を見て御覧の通り、森が見当たらないですね。木が育たないことも火山だったことが
分かります。現在の火口は草原となっていますね。だからか、ここはハングライダーを始め
とするスカイスポーツの場にもなっています。
晴れた日だと、空を飛べたら気持ち良いだろうなぁ。

ここは大噴火口。1枚前の写真の小噴火口と比べて、その大きさの違いが分かりますね。
まるで、阿蘇のカルデラのミニ版みたい。周囲を外輪山が囲んでいます。
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というわけで、今日から何日か秋田県を取り上げます。
寒風山の名は、西日本だと、四国愛媛県と高知県の境界にある四国山地の、標高1763m
の寒風山を思い当たるでしょうが、東日本ではここ秋田県の山をいいます。
文字通り、風が強く寒いです。特に朝早く車で登ったためか誰も居らず、冬の到来を知らせる
冷たい風が吹きすさぶ山頂でした。

明日は男鹿半島でしか見られない、特異な地形を見に西へ向かいます。ホントに珍しい地形
ですよ。それでは、明日地理のお勉強をしましょう。

では、また明日 


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 旅人として、最高に尊敬できる人は植村直己(うえむら なおみ)さんです。1941年
(昭和16年)2月12日兵庫県日高町(現豊岡市)生まれ。太平洋戦争が始まった年に
誕生されたんですね。 
 1970年5月11日のエベレスト(8848m)を始め、世界6大陸の最高峰を登頂、さらに
アマゾン川いかだ下りの冒険成功。1974年から1年半かけて北極圏12000kmの犬ぞ
り探検成功。
 しかし、1984年2月12日43歳の誕生日に北米アラスカ州のマッキンリー(6194m)に
世界初の冬期単独登頂を果たしますが、翌日消息不明となります。現在に至るまで遺体
が発見されていませんが、2月13日が命日となっています。
43歳の若さで亡くなった彼は、1984年国民栄誉賞を受賞しています。
 実は、私の大学の大先輩で1973年グリーンランド3000km犬ぞり単独行の成功後、
母校に帰って講演した時にお会いしたことがあります。その2年前の、1971年8月30日
から10月20日まで、日本列島北海道最北端の宗谷岬から九州最南端の鹿児島県佐多
まで3000kmを、たった50日間徒歩で縦断した時から関心を持ちました。その後の活躍
は映画化(「植村直己物語」)されるほどですので皆さんご存知のことでしょう。
 体は大きくなく、私よりも身長は低かったですので165cmもなかったのでは?口下手で
したが、穏やかな性格からどうしてあんな危険なことを挑戦できるのか?と心配するくら
いの人物でした。私の11歳先輩ですが、旅人として大いに影響を与えた人でもあります。
あれほどの大冒険はとても出来そうにありませんが、彼の100分の1でも「ぼうけんの旅
がやれたらなぁ、と残りの人生を悔いないように旅をしたい!と思っています。

 さて、昨日の続きです。
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この鶴岡公園の中には大寶館(たいほうかん)という名の建物があります。
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実にへんてこりんな建築物に見えます。現在は郷土人物資料館となっていますが、1951年
(昭和26年)から1985年(昭和60年)までは市立図書館として市民に利用されていた建物で
すが、もともとは大正天皇(1879~1926)の即位を記念して、1915年(大正4年)10月完成
し物産陳列館や会議室、図書館として利用された建物です。

さらに歩くと庄内神社があります。
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 そして、私が訪問したかった鶴岡市立藤沢周平記念館
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1927年(昭和2年)に東田川郡黄金村(現鶴岡市高坂)の生まれ。直木賞・吉川英治
文学賞・菊池寛賞・朝日賞などを受賞した、主に江戸時代のサムライを主人公にした
著書のある作家です。
1997年(平成9年)逝去されましたが、「生まれ育った土地の風景が、今も私の中に
生き続けている
」 藤沢周平の原風景として、鶴岡・庄内は小説に描かれています。
内部は撮影禁止でしたが、活字で紹介します。彼の書斎が復元されています。
第1部は「藤沢文学と鶴岡・庄内」    第2部は「藤沢文学のすべて」   
第3部は「作家・藤沢周平」の軌跡   そして10月22日のこの日「藤沢周平と浮世絵
と題しての特別企画展が開かれていました。

「たそがれ清兵衛」・「蝉しぐれ」・「隠し剣 鬼の爪」・「武士の一分」・「必死剣 鳥刺し」・
「山桜」・「小川の辺」
などは映画化されていますのでご存知の方もいるでしょう。テレビ
ドラマでも数多くの作品がありますし、何よりも彼の著書は読みやすく多数愛読してい
ます。
そんな藤沢周平記念館で、たっぷりと時間をかけて藤沢文学を味わい感動しました。
良かったです。

というわけで、その後この日は秋田県まで走り温泉(250円)に入り、いつものように車中
泊。そのことについてはまた明日 


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 旅人として尊敬できる人、二人目を挙げるならばグレートジャーニーで有名な関野
吉春さん(1949~)です。先日も南米ギアナ高地での未踏峰のテーブル・マウンテン
初登頂のテレビ番組を拝見しましたが、彼のすごいところは未開発の地域を訪問する
ために、医者の資格を取得して旅に出たこと。ただ、旅するだけではなく、各地で病気
の人たちを治療し、信頼を得たのちにその村を調べ、村人をガイドにして探査する、と
いう実に偉いお方です。500万年前
人類誕生の地、東アフリカから人類は歩いて移動しました。それはアジアへ、そしてシベリア
から氷結しているベーリング海峡を歩いてわたりアラスカ、北米から南米最南端の
マゼラン海峡の南、フエゴ島へ。
そこまで到達するのに何万年かかったことだろう。関野さんは、その逆からスタート。
まさに人類のたどってきたコースの逆から、あしかけ10年以上もの旅をしたのです。
そのドキュメントは「グレートジャーニー」としてテレビ局から取材され放送されましたが、
彼の旅は、64歳になった今も続いています。
本当に素晴らしい人物です!

 さて、昨日の致道博物館にあった「赤門」です。
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赤門と言えば、東京大学の正門を指しますが、ここにもありました。そして、ここから武士の
子供たちは庄内藩の藩校である致道館へ通っていたのです。
ここ博物館から歩いて10分ほどにあります。
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致道館の名称は、論語の一節
君子 学んで もって その道を 致す」から由来します。1805年、庄内藩酒井家9代目
藩主の境忠徳(ただあり)が、退廃した士風を刷新し反省の振興を図るために創設した
学校です。
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この建物は10代目藩主の忠器(ただたか)により、鶴ケ岡城三の丸に位置する現在の地に
1816年移築され、今日に至っています。
1873年(明治6年)の廃校まで約15000㎡の広大な敷地には、現存する建物の他に、学生
の宿舎、矢場、馬場、武術稽古場まであったのです。
まさに道を致すために、武士道を体得し互いに切磋琢磨して多くの人材をここから輩出した
のでした。
私が訪ねた時、小学生の子供たち30名ほどが訪問していました。館長さんから説明を受けた
後、畳の大部屋で、正座し論語を音読していました。声を揃えて、すごいですね。鶴岡の子供
たちはふるさとの歴史をここで実際に学んでいるのです。
私も授業では、五稜郭にある「箱館奉行所」へ生徒たちを連れて行きました。やっぱり、本で
読むだけではなく、本物を体験しなくてはね。その結果、土方歳三を好きになる生徒も出てき
て、うれしかったですね。もちろん、土方のDVDも鑑賞させましたよ
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春になると、桜がきれいに咲くのでしょうね。
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向こうに見える建物は鶴岡市役所です。「おしん」の映画ロケが行われていて、大きな看板
が掲げられていました。そういえば、「おしん」は舞台が山形県でしたね。
ちょうど、ランチタイムだったので、市役所の地下にある食堂でランチ定食を食べて一息。

それでは、また明日 
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 民俗学とは何か?「広辞苑には「民間伝承を調べることによって、一般民衆の生活
文化の発生と変遷を明らかにしようとする学問」とあります。例えば、「遠野物語」を描
いた柳田國男さんは有名ですが、私の尊敬する旅人の一人に宮本常一さんがいます。
彼は1907年生まれ、1930年から1981年亡くなる年まで日本中を旅してフィールドワー
クした民俗学者です。
戦時中は中断していたものの、戦後は日本全国を旅して、持参した米と味噌と引き換え
に、地方の民家に強引に宿泊を頼み、現地に何日も泊まり込んで調べたのです。
まさに、最強の旅人だったのですね。特に、交通不便な離島に赴き調査した結果は現在
多数の著書となって残っており、偉大な遺産になっています。
まさに、旅人のあこがれの存在でもありますね。究極の旅人、といっても差し支えない
人物です。
 
 さて、致道館博物館には昨日紹介した旧西田川郡役所・旧鶴岡警察署庁舎・田麦俣
の多層民家の他にも公開している建物があります。
 その一つ、旧庄内藩主御隠殿(ごいんでん)
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建物の一部と庭園が残っており、大名屋敷の面影が偲ばれる。旧庄内藩主酒井家に伝わる
甲冑(かっちゅう)などの美術工芸品や歴史資料、旧藩主の書画、さらには最上川で釣りをす
る時の竿などが展示されている。
最上川まで、城から直線距離で約10km。松尾芭蕉も詠んだ「五月雨を集めて早し最上川
では、どんな魚が採れたのでしょね?鮎?イワナ?ヤマメ?などの川魚?とにかく長い竿で
した。
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正面に旧西田川郡役所が見える。庄内地方各地に存在した建物を、解体・復元し、ここに
集約しているが、もともと庄内藩御用屋敷となっていた建物と庭園はそのまま残されている。
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江戸時代の和風庭園は、どこもそうだが人と金銭を費やした実に凝った造りですね。
三大庭園の岡山の後楽園、水戸の偕楽園、金沢の兼六園が有名ですが、他には熊本
水前寺公園なども知られていますね。そういえば、熊本の殿は東京で選挙運動中で
すね。
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昔は鳥海山を借景にして眺められたとか。鳥海山(2236m)は、出羽富士の名を持つ東北1
の山です。それを眺めながら、お茶をたしなんでいたとは、なんと贅沢なことか。
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重要有形民俗文化財収蔵庫
木製の酒器や焼き物、仕事着、庄内浜や沖合の飛島で行われていた漁具、最上川水系での
漁具、庄内地方での米作り用具など全部で8種類5350点の重要有形民俗文化財が保存され
ています。現在、生活文化を知る上で大事な資料となっていて、学校の野外研修の場にも使
われているそうです。
それに何よりもここは時代劇のロケが行われるので、その時代検証にも利用されるそうです。
たそがれ清兵衛」・「蝉しぐれ」など鶴岡が生んだ作家藤沢周平(1927~1997)の作品は
ここ鶴岡が舞台となっています。架空の海坂藩となって登場しますが、郊外には「庄内映画村
オープンセット
」があったり、庄内映画村資料館」もあります。
そして、数年前日本アカデミー作品賞を受賞した「おくりびと」も鶴岡の隣町の酒田市で
ロケが行われていましたね。
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ここは民具の蔵
古い土蔵をそのまま展示室にしているもので、庄内地方の伝統工芸品や職人用具などを
中心に、各種の民具が展示されている。

というわけで、致道博物館紹介しました。入館料は700円で、少し高いな、とも思ったけど
庄内藩のことを2時間はたっぷり堪能出来る資料がそろっており、歴史マニアには十分楽し
めるところです。おすすめですよ。
明日は、近くにある庄内藩・藩校の致道館へと向かいます。
それでは、また明日 


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  今朝もBS・NHKの「こころ旅」見た後で書いています。火野正平さんは浜松を走って
いましたが、陽が照っていて浜名湖周辺のサイクリングはとても楽しそうでした。
というわけで、今朝は今年最初のテーマソング「こころ旅」を聞きながら、お読み下さい。






 今朝の北海道新聞を読んだらとてもうれしいことが書いてありました。それは、「旅行
サイトの観光スポット総選挙」で北海道代表の函館山が堂々日本第1位の記事でした。
世界最大の旅行口コミ情報サイト・トリップアドバイザーが行った「都道府県代表観光
スポット(TDFK47)」で、道代表でエントリーした函館山が日本1の観光地に選ばれた
のです。
北海道の代表に選ばれるだけでも大変なのに、まして各都府県代表にも勝利して1位
となったことに地元の人間として、とても光栄に思います。うれしい!
ちなみに、東京都代表は東京スカイツリー、京都府代表は清水寺、沖縄県は美ら海水族
館。
1位函館山に続く2位は長野県の松本城、3位は島根県の出雲大社、4位は宮崎県の
千穂峡、5位は鹿児島県の桜島となっています。
昼間の景色も素晴らしいですが、やっぱり何と言っても函館山からの夜景ですね。世界三
大夜景の一つであり、日本では長崎神戸日本三大夜景となっていますが、長崎・神戸
どちらも見て来ましたが、どう見ても函館山からの夜景が一番! NO.1です。きっと、夜景
を見た人たちが投票したのでしょう。だから、1位に選ばれたのですね。

 さて、それでは昨日の続きです。山五十川から庄内平野の中心、江戸時代、酒井氏が治
めた庄内藩・14万石の城下町鶴岡市へ向かいます。

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県都山形市(人口25.4万人)に次ぐ県第2位の人口、13.6万人の都市。その中心に鶴ケ岡
がありました。堀が残る今は鶴岡公園となっていて、その三の丸は庄内藩の御用屋敷と
なっていました。現在は致道(ちどう)博物館になっていて、今日はその紹介初日です。
「致道」とは庄内藩の藩校「致道館」によるもので、その出典は中国の古典「論語」の一説「
君子学んで以って其の道を致す」から来ています。道に致す、つまり道を究めるということ。
良い言葉ですね。
城主酒井氏は、徳川四天王の一人である酒井忠次を祖として、3代目の忠勝が1622年に
信州松代藩から移封されてきてから、明治維新に至るまで変わらずに治めていました。
酒井氏は明治後も鶴岡にとどまり、1950年(昭和25年)に郷土文化向上のため土地・建物
並びに旧藩校の資料などを寄付され、その後致道博物館として発足したわけです。

最初の写真は旧西田川郡役所。1881年(明治14年)に建てられた洋風建築で、明治天皇が
東北巡幸のおりは鶴岡行在(あんざい)所となった由緒ある建築物です。郡役所とは、当時の
郡(一定のエリア)の役所のことで、当時の建物が残っているのは全国でも数少なく、稀有な
存在です。函館周辺では江差に郡役所があり、今復元されていますね。

次に旧鶴岡警察署庁舎です。
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松の木が立派。
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1884年(明治17年)に鶴岡市馬場町に建築されたもので、新しい洋風工法に在来の手法を
加えて造られています。棟梁は、先の西田川郡役所を建築した名匠高橋兼吉です。
どちらも凝った造りで、時代を感じさせる素晴らしい建物ですね。函館での公会堂を思い出さ
せる洋風建築物です。

このような、建物がいつくか集まっているのがここの博物館の敷地で、次に田麦俣(たむぎまた)
の民家を紹介します。上の2つは鶴岡市内にあったものを解体し、ここで復元したものですが、
この民家は、出羽三山の一つ信仰の山である湯殿山(1500m)の山麓の村、旧朝日村田麦俣
から移築し保存しているものです。
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山村豪雪地域の多層民家であることが分かりますね。木造3階建てとなっていて、白川郷の
合掌造りのような建物ですね。合掌造りと同じく2階、3階は養蚕場となっていました。明治の
時代は農家は、田畑を耕す片手間に蚕を飼い生糸を生産していたのですね。それは国策で
もありました。重工業がまだ成り立っていない時代の明治時代前半、生糸の生産をし、輸出し
外貨を稼ぎます。日清戦争の前の産業革命の中核を担ったのは製糸・紡績業などの軽工業
だったのです。農民たちはそのため養蚕を強いられました。そして、農家の若い女性たちは
女工として、厳しい監督下で奴隷のように働き続けたのです。そこら辺はブログ12月後半の
「野麦峠」をご覧下さい。
壁にそりの土台が立掛けられていますね。冬は3メートルを越す豪雪地帯、馬に引かせたそり
で荷物を運んだのですね。
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兜(かぶと)造りと呼ばれる美しいかやぶき屋根の民家です。この建物、1965年(昭和40年)
に移築したものです。
私が大学2年生の1972年(昭和47年)夏、東京から青森まで自転車で帰省した時のことです。
暑い日でした。鶴岡から国道112号線を大峠(920m)へ向けて必死にペダルをこぎました。当
時は舗装などされておらず、砂利道。時々トラックやバスが土埃をまき散らしながら自転車の
脇を通過して行きます。汗をかいた顔が、乾くと埃で灰色へ、まるで灰汁を付けたかのよう。
目的は、六十里越街道走破と大学の授業「民俗学」で田麦俣の多層民家群を学んだ時の印
象が強く、一度訪ねて見よう!との思いからです。学生時代は夏・春帰省するたびに自転車で
青森まで走っていました。それも、一気にではなく、あちこち寄りながらのぶらり旅。
そういえば、その「民俗学」の教授は、有名な方で祖父江先生という名前でした。確か?祖父江
孝(そふえ たかし)さん。それこそ後で著書も購入し、何度も読んだものです。

さて、明日はさらにここ致道博物館の続きです。
では、また明日 

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  山五十川集落のHPを見たら、10年前で戸数170、人口は600人ほど。最盛期の
1952年(昭和27年)は、1794名でしたので半減どころか3分の1に減少しました。
1952年は私が生まれた年で、戦後7年目まだまだ農業が盛んだったころです。中学
1年生の時に、第1次産業人口が30%以上あった時代です。だから1800人近い人が
生活していたのですね。山戸小学校も1884年(明治17年)に設立されていますから、
今年で開校140年。ここは古くから開かれた村だったのです。

その五十川の集落を歩いていたら、偶然見つけたのがこの案内板。
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山戸能山五十川歌舞伎?何これ?そこで調べて見たら。
山戸能とは?山は山五十川の山、戸は戸沢の戸、つまり山五十川と戸沢の集落の合同で
能を演じる地芝居(村芝居)であり、山五十川歌舞伎は山五十川の集落で伝承されてきた
数百年の歴史を誇る伝統芸能です。
驚きました。ここでも、長野県大鹿村と同様江戸時代から長い間地域の人たちで伝承されて
きた農村歌舞伎なのです。
農村歌舞伎とは何か?
そこで、旅を終えてから調べたところ、江戸時代から農民たち素人が歌舞伎の伝統を、現在
に継承・復活させたもので、全国20か所以上で定期的にまたは不定期に行われています。
福島県桧枝岐村の件は以前ブログでお伝えしましたが、同じ南会津では会津田島でも7月22
日、23日に行われていたのですね。

ここが山五十川集落の古典芸能伝承館で、河内神社の境内にあります。
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山五十川では、5月3日と11月23日の、1年に2回歌舞伎が行われますが、5月3日とは
田植えの始まりの時期で、豊作を願いここ河内神社の境内で演じ、11月23日とは豊作
だったことを感謝するために行われるのかな?とも思いました。11月の歌舞伎は、ここ
ではなく歌舞伎の案内板のあった山五十川公民館で実施されます。
11月23日は今では勤労感謝の日の祝日になっていますが、古くは新嘗祭(にいなめさい)
といって、収穫祭に当たるもので宮中行事の一つ。昔から天皇が五穀豊穣を感謝し、神々
に新米を供え自身でも召し上がる行事です。戦後は勤労感謝の日になりました。
嘗(な)めるの意味は、いくつかありますが、歯でかまないで舌で味わうこと、つまり収穫した
物を舌でなめながら感謝する行為ですね。
だから、寒い時期ですが11月23日に行うのですね。分かってきました。

河内神社の境内を歩いてゆっくりと見ましょう。
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相当古い時代から建立されているみたい。いつ建てられたのだろうか?
5月3日に行われる山五十川歌舞伎は、ここ河内神社へ奉納する神事として伝承されて
きたもので、村の古い記録によれば1704年歌舞伎が行われた、と残っています。実に
300年以上もの長い間継承されてきたのですね。すごい!!
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河内神社の読み仮名は「かわうち」、「かわうつ」、「かわち」といろいろあって今調査中です。
神社も、それこそ八百万(やおおろち)の神というくらいですから無数に神が存在しますね。
一神教のキリスト教、イスラム教などと違い、日本独特の宗教である神道は、多神教の最た
るもので、どこにでも神がいます。そして誰でも神になれますね。歴史上の人物だけではなく、
アントニオ猪木も神様?猪木・闘魂神社もあるのですからね。
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牙を持つ獅子。
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立派な伝承館ですね。村の人々がお金を出し合い、総出で協力し合いながら建てた
もので、ここで行われる歌舞伎は県指定の無形民俗文化財となっています。
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鬱蒼とした森の中にある神社は、この苔むした階段を登ったところに位置します。

というわけで、今日はこの山五十川で見つけた歌舞伎の案内板から、その舞台となる
河内神社へと紹介しました。よし、今年5月3日は山五十川へ行くぞ!と気持ちは高ま
って来ました。山五十川で歌舞伎を見るぞ!と。
本州では、その長い歴史から数々の伝統芸能が残っています。もちろんそのことは
地域の人たちが懸命に継承してきた努力があるからです。北海道にはない魅力が
本州にはあります。津軽海峡を渡ると、世界が違う。それは長い歴史があるからです。
ウーン。旅を魅了するものの一つは、その歴史、人。だから旅がやめられない!

それでは、また明日 

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 雪と氷の世界の北海道にいると、南の地域が別世界のような感じがします。
今朝も、BS・NHKの「こころ旅」で火野正平さんが静岡県を走っている姿  
を拝見するとうらやましいです。「寒い」とは云いながらも、 路面は凍結していなし、
何よりも雪はない。空気は肌寒いかもしれないけど、1月から自転車で走れる、
というのは最高に気分が良いですね。気持ちが高揚して来ます。

 さて、昨日の舞台は山形県鶴岡市の旧温海町山五十川(やま いらがわ)地区。
再会~再び会う、というタイトルでしたが、意味は20年ぶりに山戸小学校の校舎を
見たこと。想像していた木造校舎は取り壊されたけど、その雰囲気はまったく変わ
っていなかった。これだけでも、ここに来たかいがあったのに、さらに。

 そして、村人から、「是非、行きなさい」と勧められた場所。そこが、これ。
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 樹齢1500年というから、時代は古墳時代で、大和政権が成立(4世紀末)から100年
余りの時代、それが紀元500年ころで、それから1500年後に今の時代。
聖徳太子が登場するのは6世紀の末(593年推古天皇の摂政となる)で、憲法十七条
が制定(604年)される約100年ほど前と同じ時代です。そんな時代から成長していたの
ですね。樹高が36.8mというから結構高い。枝の大きく伸びて東西に44m、南北に30m
も広がっている。
それでは、そこまで歩いて行きましょう。山道を歩いて10分くらいか?坂道を登るとあり
ました。
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これが、山五十川の玉杉。別な方向からも見て見ましょう。
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奥に熊野神社がある。熊野神社とは、文字通り熊野地方、紀伊半島の南部の熊野三山
を神としている、山の神ですね。三重県南部に熊野市もあります。もっとも熊野市は太平洋
に面していますが、熊野古道のある三山、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社
は山間部にあります。
特に有名な那智の滝で知られる那智大社は知れれていますね。周辺一帯は世界遺産にも
登録されましたね。ここは、その支社に当たります。
根が広がって神社の建物が傾いてきているそうで、今も元気に成長している姿が分かりますね。

山道から垣間見えた集落の風景。
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長閑な農村風景、といった感じがして良いですね。
登り口に降りると、こんな看板があった。
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玉杉と村人たち
昔、玉杉が切られる時に、村人みんながお金を出して買い取ったこと~村人たちが
この玉杉を愛していたことが理解出来ますね。自然を大切にする、ということが昔から
行われていたのです。
玉杉とぼくたち
子供たちの心が伝わります。お父さん・おかあさん、おじいさん・おばあさんの代から
受け継がれて、大事にされてきた地域のシンボル玉杉のことが分かります。
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玉杉物語には、この大木の由来が書かれています。1本だけすくすく伸びて大木になったこと。
ご神木と動物たちのことなど、書かれています。

心和む玉杉に感動して集落を歩いていたら、驚きのものを発見しました。ホントに偶然、発見!
それは、今回の旅のテーマともいえるもので、これを見た時には鳥肌が立ったほどでした。
ここでも、ここ山五十川の里でも行われているのか?と。
それは、何か?明日詳しくお伝えすることにします。それでは、また明日 


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 昨夜は鼠ヶ関のヨットハーバーの駐車場で車中泊しました。この日も朝は雨、
それでも時々晴れ間が見える時間に二重に架かる虹を撮影出来ました。
 さて、ここは義経伝説でも知られている。実際、ここ海に突き出た弁天島は義経
の東下り縁の地で、弁慶を伴い日本海を北上しここに達している。
兄頼朝に追われて、奥羽に逃れる際に上陸した地として有名だ。
灯台もあって、ぐるーっと1周したが、風が強く波もある。そんな中を傘を差しながら
波打ち際の遊歩道を歩く。多少波をかぶりながらも、歩いて何とか辿り着いたのが
ここ。
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弁天島には厳島神社もある。厳島神社と言えば、平家の信仰だし、その本社は広島県
廿日市(はつかいち)市の宮島にある厳島神社。全国に約500社ある厳島神社の総本社
だ。その支社は函館にもある。
その本社、海上に立つ大規模な社殿と海に浮かぶ大鳥居は1996年ユネスコの世界遺産
にも登録されている。「安芸の宮島」とも呼ばれ、宮城県の松島、京都府の天の橋立ととも
日本三景の一つに数えられている。が、しかし、それは平家絶頂期の平清盛により建て
られているのだ。まさに平家の氏神様なのだ。
ここには源氏の義経の碑と平家の信仰の神社の両方が並んで存在している。
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もっとも厳島神社は海の神様を祀っていることもあり、海を仕事場とする漁師たちは
当然信仰する。だから、漁師町にはよくある。頼朝にしても、平家滅亡後は厳島神社を
保護し崇敬をしている。

 さて、そんな鼠ヶ関を後して、ここでは行きたい場所があったのだ。それは日本海沿い
に走る幹線国道の7号線をJR羽越本線の五十川(いらがわ)駅から右折し、山間部へ入
る道である県道61号線を東へ。
山五十川(やまいらがわ)を訪問したかった。なぜなら20年ほど前、オートバイでツーリング
した時に偶然発見した古いが、でも情緒のある木造校舎を再び見たかったからだ。
ありました。
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五十川の対岸に。しかし、木造ではなく鉄筋コンクリートの校舎になっていた。
当たり前ですよね。20年の歳月が過ぎているのだ。当時だって、築50年以上は経過して
いる古い校舎だったのだから。それにここ温海(あつみ)町は鶴岡市と合併したので、周辺
の小さな学校と併合・統合し、耐震構造の校舎を建築したのだろう。
それでも、雰囲気はありますよね。特に雨上がりの霞がかかった風景は良いですね。
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山戸(やまと)小学校といいます。山は山五十川から、戸は隣の集落である戸沢から、
それぞれ取って名を付けています。創立100周年とありますが、それはもう何年も前の
話で、古い歴史があるのでしょう。
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この日は平日で、授業中。教職員にいろいろ聞きたかったけど、それは遠慮しました。
その代り、集落を歩いていた高齢者の方とお話し出来たのがうれしかった。
やはり、10年ほど前に校舎は建て替えられたそうです。そして、あそこへ、行って見て
ご覧、とすすめられた場所がありました。そこは歩いて15分ほどのところ。そこで巨大な
驚きのものを見つけました。それは何か?
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戸数200もないだろう、高齢化が進む純農村の山五十川は全国のどこにでもあるような
集落。近いうちに限界集落になるかもしれない。でも、このような村を旅したいのです。
そこで、思わぬ出会いと発見があるのです。だから旅は止められない!
そして、それはありました。二つのサプライズが。一つは自然で、明日紹介する巨大で驚き
のもの。もう一つは文化。こっちの方は感嘆の声を挙げるほどの驚きでした。こんな(失礼)
小さな集落にあるなんて・・・。それは明後日お話しします。
では、また明日 

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 昨日は、越後の国新潟県最北端の町村上市の瀬波温泉で久しぶりに入浴したこと
をお伝えしました。実に3日ぶりの入浴で、リフレッシュしました。日本海を望む場所
に25軒の温泉宿が立ち並び、城下町村上市の奥座敷といった風情でした。
 ここで、昨日のブログを一つ訂正されて下さい。露店風呂から見えた離島を「飛島
と云いましたが、間違いです。ゴメンナサイ。粟島(あわしま)でした。瀬波温泉の南に
ある港から粟島汽船フェリーが出ています。村上市からの距離はだいたい30kmくら
いか?
一方、飛島は山形県酒田市から40km沖合にある離島で二つの島の間隔は100km
近くあります。地理のスペシャリストとして基本的な間違いをしたこと、お詫び申し上げ
ます。
 さて、その日はさらに北へと。山間部を通過する国道7号線とお別れし、日本海に沿
う道である三ケタ国道の345号線を北上。羽越本線に沿って走る国道345号線の一部
は笹川流れとも云われ、日本有数の景勝地にもなっています。
笹川流れとは、北はJR[越後寒川(えちごかんがわ)駅」のある狐崎から南は村上市
街地を東西に流れる鮭漁で知られる三面(みおもて)川河口までを指す風光明媚な海
岸線のことを指します。北半分を下海府、南半分を上海府といい、かつては北国(ほっ
こく)街道の難所とも知られてました。
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この日は、波もなく穏やかな海。このような奇岩が続く海岸線です。
ここと粟島には義経伝説があります。1186年、兄の頼朝に追われた義経一行は、奥州平泉を
めざし京都から北上します。越後路を海岸伝いに馬を走らせ、村上氏の馬下(まおろし)まで歩
みを進めたが「笹川流れ」は切り立った断崖絶壁のため、地元の漁師の案内で船により出羽の
国山形の鼠ヶ関(ねずがせき 念珠関とも書く)へ上陸を果たします。
 義経は労をともにしてきた愛馬を心配し、馬に浮沓(うきくつ 浮き輪みたいなもの)を履かせ
粟島へ逃がします。その昔、粟島には野生の馬が60頭もいたが、最後の馬は1932年(昭和7
年)に死んでしまい、今は野生馬は1頭もいないが、この亡くなった馬こそ先祖は義経の愛馬で
あろう、との言い伝えがあります。

 そして、新潟・山形県境の町鼠ヶ関へ。現在は鶴岡市へ吸収合併されているが、町の一部は
今も新潟県村上市の行政区分に入っているところもある。
その鼠ヶ関の夕日です。
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奥州3大関所の一つです。みちのくへの出入りを厳しく取り締まる場所です。ここ鼠ヶ関の
他に、太平洋側に勿来(なこそ)の関。福島県いわき市にあり、常陸(ひたちの国、現茨城
県)から陸奥(むつ)の国への関所ですね。もう一つは白河の関。下野(しもつけ)の国、現在
の栃木県から陸奥の国への関所です。福島県白河市にあります。
この三つを奥州三関といいます。
入り鉄砲に出女」~関所の取り締まりは、江戸に入る鉄砲と人質にとった大名の妻の出国
に神経を尖らせたのです。

 その翌日、昨夜半からまたも雨、朝方小降りになり晴れ間も見えてきた。日の出とともに起
き周辺を散歩したら、天からのプレゼントがあった。うれしいな、こんな形の贈り物は喜んで
受け入れます。
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虹でした。
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しかもダブルで、ダブル・レインボウを見て下さい。
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灯台のあるところだけに陽があたり、とても幻想的。早起きは三文の徳、というけれど
朝はシャッターチャンスの時間帯ですよね。
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二重に虹が架かっているのが分かりますね。
最後に天を仰いで、もう1枚。
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素晴らしい虹を見れたことに感謝です!
それでは、また明日!旅はさらに続きます 


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 54回目となるブログの秋の旅は、10月に旅したことを3ケ月後の今デジカメに大量に
撮影した写真を下に、旅を思い出しながら検証しているものです。
 リアルタイムでは10月4日から、その日のうちにスマホでブログに載せていました。ただ、
1日に載せる量は、せいぜい10枚前後の写真とともに文章に書くだけで、なかなかその地
の詳しい歴史や文化を詳しくは紹介することが出来ませんでした。
 旅を終えて帰って来てからは、逆に持ち帰った多くの資料とともに思い出して書くことが
出来るわけで、そういう意味では、リアルタイムよりもより正確に、かつ分かりやすくアップ
出来るのでは、と自己満足ですが継続しているわけです。
リアルタイムでは、LTEの地域であれば、私の5.5インチのスマホでキーボードを使用すれ
ば、PCとほぼ同じように使えました。ただ、内容的にはその日の工程や出来事だけで精
一杯。家族や友人には、その日の夜何処に車中泊しているか?は地図を広げればわかる
のですが、やはり何か物足りない。そこで、デジカメに撮った写真を下にもう一度、リアルタ
イムより丁寧に紹介しています。

 くどい前書きになりましたが、、10月の旅のメインテーマは「大鹿歌舞伎を見ること」だった
ので、鑑賞後は函館に帰ることになります。が、そこはまだ旅の継続中、未だ見ぬ別な土地
を旅したく、新潟へと方向を変えました。
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最初の写真は、大鹿村から遠く約300km以上も離れた新潟県妙高高原のパーキングエリア。
前日暴雨風の中、大鹿村大西公園で車中泊。食事は公園の中にある東屋で軽く取り、強風で
揺れる車内で寝袋にくるまり一夜を明かしました。
翌朝、雨は上がっていたものの、低く垂れこめた雲が村全体を覆い、視界はほとんどなくライト
を点けなくては車は走れない。仕方がない、この際高速を使用しよう、と。隣町の松川町から
中央自動車道で岡谷へ、岡谷からは長野自動車道で松本市をへて長野市へ、長野からは
信越自動車道で一気に新潟県上越市へと北上しました。
曇り時々雨の天気も、ここまで来たら晴れ。ばっちり太陽が出ていた。
やっぱり太陽が出ないと旅は楽しくない。暑い日が良いのだ!
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さらに日本海を北上すると、見えました。佐渡です。遠くに、島のてっぺんは雲に隠れているが
はっきりと肉眼で見ることが出来た。ここは、いつかは行きたい場所のひとつです。
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上越市から北陸自動車道へチャエンジした後、米山SAで昼食。そこで、撮影したものです。
自動車専用道を走っているため、下に国道7号線が見える。中央奥の山は弥彦山(634m)
か?
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 新潟県を南西から北西へ横切る形で走っている。上越市から一気に県最北端の村上市へ。
3日ぶりのお風呂へ。実は大鹿村では日帰り入浴施設がなく、温泉はあっても一般客は午前
中だけとかで、入れず仕舞い。ホントは、歌舞伎を見た後大鹿村を離れて温泉のある場所へ
移動したかったが、大雨で停滞せざるを得ず、結局3日間体を洗っていなかった。
 毎日入浴する方には、なんと不潔な!と顔をしかめる人もいるでしょうが、旅に出ている間は
2日に1回と自分なりに決めています。ブログを見ていると、ブロガーの中には毎日入浴する人
もいれば、3日に1回という人も。それぞれ理由はあると思います。
 山に入っている時は1週間風呂に入れず、臭いがきつくなった時も。40年近く前ですが、登山
でヒマラヤへ。ネパールを旅し、トレッキングした時は、3週間シャワーもなし。さすがに体は臭く
なるし、髪も髭も伸び放題。さすがに野蛮人になっていた。野性人の方がカッコいいかな?

 そこで、村上市の瀬波温泉へ。
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遠くに山形県飛島が見えますね。
ここは温泉街の中で、唯一日帰り入浴が出来る温泉。この日、シルバーデーで55歳以上は
700円が500円へ。ラッキー、と喜んで浴室へ、誰も居らず貸切でした。が、あとから調べたら
温泉博士」で、ここは無料で入浴できる、と知りガッカリ。失敗でした。
「温泉博士」は旅好きな人はご存知ですね。日本各地の温泉が無料で入浴できるクーポンが
50か所ほど付いている月刊雑誌です。北海道限定の「HO(ほ)」と同じですね。
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それでも3日ぶりの温泉はうれしい。
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そんなわけで、この日は入浴後さらに北上します。やっぱり晴れていると気持ちも晴れ晴れ。
そして、大好きな東北へ。山形県へ向かいます。それはまた明日 

 昨日ついに旭川の山間部でマイナス30℃を記録しました。今シーズンの最低記録です。旭川市江丹別地区でなんとマイナス30,5℃というとんでもない寒さが記録されました。昨日は、晴天のところが多く、内陸部では地表の熱が奪われる「放射冷却現象」の影響もあって一段と冷えこんだのです。旭川市内でマイナス21,8℃。札幌ではマイナス10,0℃。ちなみに函館ではマイナス11,6℃でした。連日マイナス10℃以下の気温が続いています。こんなことはここ最近ではなかったことです。この先、どこまで寒くなるのだろうか?


さて、大鹿村での歌舞伎鑑賞のまとめに入ります。まず、大鹿村がどこにあるのか?地図を見てみましょう。長野県の南部、飯田市の近く東の方をご覧下さい。南アルプスの山麓に位置します。分かりずらい地図で申し訳ないです。

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中学校の体育館へと変更した会場で購入した豆冊子の中を開くと、

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と、村の人々の役柄やスタッフ等が紹介されています。

当日の題目もプリントされて観客の皆さんへ配布されています。

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大鹿歌舞伎を紹介したパンフレットを読むと、晴れた日には会場である市場神社の境内が観客でいっぱいに埋もれていることがわかります。以下は村役場と観光協会が出しているパンフ等の資料から採りました写真ですので、最初に弁解しておきます。本来ならば、自分で撮った写真を載せるべきですが、生憎の大雨で良いショットは撮れずじまい。パンフの写真を利用して紹介することをお許し下さい。

晴れていれば、こんな感じです。

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春の歌舞伎は大河原地区の大磧(たいせき)神社の境内で実施されます。次は春に訪れたいですね。今年は無理でも来年、再来年には再訪問したいです。春の大鹿村。

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最後に、前回の文章の中で「青いケシの花」のことを紹介しましたが、ここ南アルプスの山麓にあたる高地ではヒマラヤのケシの花が栽培されています。青いケシ農園の花。

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というわけで、大鹿村何度にも渡り紹介しました。日本の村の中には、このような山間部で簡単には観光客を寄せ付けない村がいくつもあります。訪ねるのが大変な場所ほど、訪ねた時の喜びが大きいものです。私が宣伝するのも可笑しいですが、このブログをお読みの方は既存の観光地を訪ねるだけではなく、困難な場所へと旅したい!! 気持ちの方が強いのでは?と思い力を入れて取り上げた次第です。

大鹿村、良いところです。1767年に上演された記録が残る大鹿歌舞伎、古くはさらにそれ以前の時代から上演されていたそうです。大鹿中学校には歌舞伎クラブがあり、大鹿小学校でも愛好会の若手グループと発表会を開き、伝統芸能の伝承を通じて大鹿村の若き担い手たちが育っています。国の選択無形民俗文化財にも指定されています。
そんな、素敵な農村、大鹿村を是非訪問して見てはいかがですか?

では、また明日♪♪♪ 

 毎日冷凍庫の中で、生活しています。これで、9日連続真冬日。道内は例年よりも
かなり 冷え込んでいて、それに加えて灯油やプロパンガスの価格が上昇し、厳しい
生活を余儀なくされています。早く春が来ないかな、とまだ1月の中旬なのに願ってい
る有様です。
 旅のブログを見ると、南の地方では颯爽と自転車やオートバイで走っています。そん
な姿を見ると同じ日本でも随分違うなあ、と改めて地図を広げて見直すし、日本は冷帯
から亜熱帯
まであって、旅するには四季折々楽しめる国なんだ、とつくづく思いました。
 それでも冬の北海道は、それなりの覚悟をして旅しないといけませんよ!列車や飛行
機の遅れは良くあることだし、吹雪による高速道路の閉鎖や交通事故。十分気を付けて
旅して下さいね。

 さて、昨日の続きです。トラピスト女子修道院の周囲を歩いています。
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 私が小学生のころですから今から半世紀も前のこと。ここまで来るのは大変な道のりでした。
道路は未舗装だったし、友人と自転車で行った時のことを思い出すと、険しい山道を登ってた
どり着いたホントに不便な場所だったのです。
その頃は、このような高い塀はなくて、柵があっただけで内部を見ることが出来たが、今は観
光客が多く来るために造らざるを得なかったのでしょうね。
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 それにしても、まさに冬の森そのもですね。小学生のころ、この周囲はよくが出ました。
ここから通う子もいたので、春や秋には集団下校が行われていました。地域の人や学校
の先生が笛やラッパを吹きながら、上級生が下級生を庇うように下校したのです。
今では想像も出来ない光景でしょうが、当時はそれが普通でした。
 学校の校区は準農村地区だったので、春の田植えと秋の稲刈りの時期には学校を休んで
親の手伝いをしていた同級生が何人もいて、教室には空席が目立っていました。また、2年生
の時の記憶が鮮明に残っているのが、クラスの女の子が赤ちゃんをおぶって連れてきていた
ことです。2年生というと、8歳ですよ。8歳の子供が、1歳に満たないかの赤ちゃんを背負い授
業を受けていたのです。もちろん、先生方は知っていて何も云わなかったし、クラスの女の子
たちは進んでおしめを取り換えるのを手伝っていました。そんな時代だったのです。
今思うとミルクなどはどうしていたのかな?と不思議なところもありますが、赤ちゃんを背負う小
さな同級生の姿が脳裏に焼き付いているのです。
まるで、「おしん」のシーンみたいですね。1960年ころの話で、それこそ半世紀以上も前のこと
です。
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こんな道が延々と3kmほども続きますが、さすがに寒くてすべてを歩き通すことは断念。
戻ることにしました。早歩きで歩いていたので、防寒具の中で体は暖かくなったけど、指
先や足元は冷たく、我慢の限界。帽子をかぶりネックウォマーをして出来るだけ顔を覆っ
ているが、息をするたびにメガネが曇る。特に坂道を登っている時など、レンズが真っ白
になってしまう。
ダイヤモンドダストは出来なかったけど、それに近いくらいの気温で、とても寒かったので
す。
家への帰り道で、ラグビー場へ寄って見ました。
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雪原といってもいいくらい。雪でまっしろのコート。
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ゴールポストとスコアボードが見えますね。私の次男と三男は、小学生の頃からここで
練習していましたし、高体連の大会はここで行われるので何度も嫁さんと一緒に応援に
駆けつけていた思い出の場所でもあります。ここで、北海道大会の決勝が行われて敗退
した苦い思い出もあります。何回か決勝に進出し、あともう少しで夢の大阪・花園へ行け
るぞ!と。しかし、ニュージーランドからの留学生を擁する札幌の私立強豪校の前に僅差
で敗退、悔し泣きをしたことも。
そのニュージーランド留学生は、今日本代表のフォワードである東芝のマイケル・リーチ
選手です。
そんな相手と165cmの小さな我が子(三男)が闘ったのも思い出の一つです。
 
 ズームすると、遠くに先ほどのトラピスチヌ女子修道院の建物が見えます。
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中央左寄り、丘の上にレンガ色の建物が見えますね。今は周囲に小学校も出来たし、民家も
建てられるようになってきました。田んぼはほとんどなくなってしまった。
ラグビー場の隣の野球場も今は冬眠中。
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というわけで、氷点下15度近くまで下がったこの日、凍てつく大地を紹介しました。
2月になると雪まつりや冬フェスティバルがあり、活気づくのですが、今の季節は一番寒く
人々はおとなしく家の中に引きこもりかな?
空気が乾燥していますね。気温だけではなく、湿度も気にしながらストーブ・加湿器の両方
を使用しています。風邪には十分気を付けましょう。
それでは、また明日 

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