函館発  ぼうけんの旅

旅が大好き!2013年4月から始めて「ぼうけんの旅」は今年で12年目に突入。 車中泊中心の貧乏旅行の旅、今年で72歳を迎えいつまで続けれるのか?今のところ体力・気力はバッチリ。 いよいよ「2025 年ぼうけんの旅」は4月「春の旅」からスタートです!

2025年が明け今年は73歳を迎えて、体力的には厳しくなってきている車中泊の旅。いつまで出来るのか?まずは75歳を過ぎるまでは続けていきたい!と。未知の地を訪ねて、行くぞ!軽バン一人旅の始まりです。

2013年05月

 昨日は、以前の私の職場であった、函館大学付属柏稜(はくりょう)高校野球部
が、全道大会2回戦で、最近の甲子園常連校である、小樽の北照高校と戦い0-3で
敗退しました。一昨日は全道大会で延長戦で初勝利を挙げただけに、残念でし
たが、僅差での敗退だけに、次につながる試合だったのでは?
 6月の全国に出場出来る大会の函館予選では、期待しています。応援に行きたい
ですね。特に3年生は最後の大会になるので、全力投球で臨んでもらいたいです!

 さて、6月といえば、14日(金)カツオプロレス大会が亀田福祉センターにてあり
ます。6時から行われ、多分9時近くに終了すると思いますが、応援よろしくお願い
致します。チケット等は連絡して頂ければありがたいです。

 今日の1枚目です。喜多方駅です。

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 ここに来るまでは、山形県米沢市から、大峠という1000m級の峠を越えなければいけない。
昔、私が学生の頃、自転車で峠を越えました。ほとんどが砂利道で、クマでも出そうな道、頂上
近くに少しだけトンネルがあって、丸1日ががりの難コースだったことを記憶しています。今は
1985年9月に3940mの一般道としてのトンネルとしては全国7位の長大トンネルが出来たせい
で、簡単に山形・福島間が結ばれましたが、以前は大変だったのです。
 その工事を指揮したのが、あの悪名高い薩摩藩出身の福島県令(今の知事に相当)であった
三島通庸(みしまみちつね)でした。教科書にも登場しますが、明治政府から派遣されて福島県
の県令に着くなり、農民たちを強引に動員して、大峠の工事を強行します。たくさんの犠牲者が
出たそうです。生活に困窮した農民たちは、1882年一揆的な行動に出ました。それが、福島事
です。当時の農民たちは板垣退助の指導の下、自由党を結成し、各地で権力と戦っていま
した。有名なのは秩父事件ですが、全国各地で農民たちの自由を叫ぶ声が聞こえたのです。

 教科書にも出ています。「道路工事をすすめようとした福島県令と夫役(ふやく)の強制に反対
した農民・自由党中心の県会との対立が、大きな騒動に発展した。県令の徹底的な弾圧によって
自由党・農民の側が押さえ込まれた。」と。

 日本史の勉強になりましたね。全国を旅していると、各地で「あっ!これ日本史の教科書に出て
きた!」と思わず声を上げる場所もあるのです。

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 「ラーメンの香りただよう蔵の町」  喜多方ラーメンの店が120店以上あります。

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 その中の一つ、朝早くから営業していた「まこと」です。が、私には合わなかった。
残念・・・。塩分が濃いと体の調子が良くない、具合が悪くなるのです。食後しばらく
近くの公園で休んでいました。こんなことはしばらくぶりです。これを、妻は「ラーメン病
と言って笑っていますが、塩分の強い食品を取った時に、たまにあります。
 好き嫌いは全くないのですが、今までラーメンを食べた時に何度かありました。

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 蔵の多い街ですね。

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 喜多方の南、会津若松のお城です。1868年の戊辰戦争ではここは徹底的に破壊されました。
薩摩・長州を中心とする新政府軍は、イギリスから購入した最新の大砲で城を破壊、敗退します。

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 さすがに、「八重の桜」の舞台だけに観光客は多い。

若松城(鶴ヶ城)の天守閣。1384年、葦名直盛(あしななおもり)が、ここに東黒川館を築いたの
が始まりといわれ、蒲生氏郷(がもううじさと)が7層の天守閣を築きました。戊辰戦争時、城主は
松平容保(まつだいらかたもり)、彼は京都守護職として、新選組を組織したりし、長州藩を弾圧
したため、戊辰戦争では、逆に徹底的にリベンジされます。会津城の戦いでは1ヶ月の激しい攻防
戦に耐え、難攻不落の名城として知られています。
 平成23年3月に天守閣の屋根が赤瓦に変えられ、幕末当時の姿によみがえりました。赤瓦の天
守閣は全国で唯一つだそうです。

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 堀も立派ですね。
明日は、飯盛山へと向かい、白虎隊について紹介します。朝良い天気ですね。今日は5月の
最終日。明日はもう6月です。夏ですよ!ではまた! 

 昨日の昼頃から雨へと変わった天気は今朝も雨。 雨は憂鬱な気分にさせますね。
やはり、太陽が出ている天気は最高。太陽は元気の源です。 旅している時はほとん
どが晴天、どころか、雲ひとつない快晴の日が続きました。雨男返上し、晴男になります。

 昨日は、大正ロマン漂う銀山温泉を紹介しましたが、今日はさらに南下し、山形県
を代表する最上川をさかのぼり、寒河江市へ。何と読みますか?寒河江(さがえ)です。
山形市から寒河江市までJRの左沢線が出ていますが、左沢は何と読みますか?
左沢(あてらざわ)と読みます。難しい読み仮名がありますね。

最初の写真です。
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 最上川の支流、寒河江川です。奥に見える雪山は葉山(1461.7m)です。山の麓には
歴史の古い名湯、湯治場としても有名な肘折(ひじおり)温泉があります。
 昨日登場した大石田は最上川の河港として栄えたところですが、松尾芭蕉は「奥の細道
で「五月雨をあつめて早し最上川」と読んでいます。新庄での作といわれていますが、正確
には新庄の少し南にある大石田で読んだものです。なぜならば、新庄市内は最上川は流れ
ていませんからね。大石田の河港での5月29日の発句です。

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 日本海の港町、酒田では「暑き日を海にいれたり最上川」と読んでいます。6月14日に
発句しています。
ここは寒河江市の道の駅チェリーランド。河川敷が整備されていて緑の芝生が綺麗ですね。

 さらに南下し、白鷹町の道の駅、白鷹ヤナ公園です。鮎釣りのヤナがあるところです。
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 この日は、道路表示でしたが、気温30度を示していてとても暑かったです。2日前までは
朝の気温3度という肌寒い気温で、ブルブル震えていたのが、いきなり30度とは、服を着たり
脱いだり、調節に忙しかったのが、思い出されます。さすがに、30度ではTシャツ1枚で過ごし
ました。下は短パンいうわけにはいかず、通気性のある夏用の薄いトレーニングパンツに履き
替えました。厚手のGパンでは暑苦しい!

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 桜の花が綺麗に咲いています。

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 そして、どうしてもここには行きたかった。米沢市の隣町の飯豊(いいで)町の番外地、広河原
(ひろがわら)へ。
山形・福島県境の最高峰、飯豊山(2105.2m)の麓、広河原(ひろがわら)。それこそ最上川の
源流にあたる部分です。県道4号線からダートの林道を遡ること10km以上。道は脇に雪を残し、
片方は崖、もう片方は何十メートルも下に雪解けの濁流が見える険しい山岳ロードです。時々
土砂崩れのあとか、ブルトーザーによって片付けられた1メートル近い大きな岩が道路の淵に
あります。坂を上ったり、降りたり。増水した川が道路に溢れ、低い道が川になっているところも
あります。そして30分以上かけて辿りついたのが、ここ広河原温泉です。
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 湯の間欠泉です。時には2m以上にも吹き上がるという。実は10年前に読んだ本「誰も行け
ない温泉 命からがら」(大原利雄)を読んだ時に、絶対行って見ようと思っていた温泉です。
この本、「クマとの遭遇に怯え、有毒ガスの恐怖と戦い、道無き道をかき分けて、切り立つ崖を
這い上がる。そうして辿り着いた先は、ガイドブックには載っていない“誰も知らない温泉”。
温泉は気持ちがいいもの、と一括りにされがちな風潮に一石を投ずる(?)痛快温泉探索記。」
誰も知らない温泉は、実は誰も行くことの出来ない温泉なのだ。

 この本で紹介されていたので、訪れて見たわけです。が、実はこの本2002年の発行。11年も
前です。今では宣伝されると、1年後には大きく変わってしまう時代。2013年5月に訪問すると
ただの河原ではなく、民宿に変わってしまっていたのです。入湯料600円も取る温泉になっていた
のだ。ショック! 一応日本の秘湯100名湯を名乗っているが、ガッカリでした。それでも入り
ましたが・・・。

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奥に見えるのが、それ。露店風呂は板で囲まれ、一応混浴ですが、半分仕切られていて
秘湯の雰囲気はなし。内風呂は男女別。人によっては秘湯だ!という人もいるかも知れ
ませんが、私にとっては、もっと大変な、危険な場所かな?と想像していただけに残念で
した。
湯華がすごいですね。手前まで湯華が出来ています。きっと昔から湯が湧出して出来た
ものなんでしょうね。これはすごい、見ごたえ十分です。
 
 というわけで、この日は県境を越えて、福島県喜多方市の北、まさに県境のすぐ南の道の
喜多の郷(きたのさと)で車中泊。明日は会津若松へ。ではまた明日  


 日曜日、月曜日と暖かい天候が続いたので、久しぶり、実に半年ぶりにオートバイで
山菜採りに言って来ました。バイクに跨るのは昨年10月以来、でも覚えていました。
グリップの感触、クラッチの切り替え、風を切って走るバイクは最高ですね。
バイク乗りの人だったら理解できるはず。風を感じる!ことが。

 さて、今日の1枚目。
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 山形県尾花沢市銀山温泉です。江戸時代は世界有数の(17世紀、18世紀)までは
日本は世界1、2位を争うほどの銀の生産をしていたんです。ここ銀山にもたくさんの
坑夫たちが入り、遊郭も出来たほど、人口も2万人を越えていたといいます。
銀の発見は1456年、室町時代の前半です。1631年江戸時代初期が銀山の最盛期。
延沢銀山の名で江戸時代知られています。当時から銀山の鉱夫が銀山川の中に湧い
ている温泉を発見し、1689年に廃鉱となった後は湯治場として賑わったといいます。
1741年からは羽後地方の温泉地として栄えるようになりましたが、1913年(大正2年)
大洪水により温泉街は壊滅します。その後、地元財界の力で復興しました。
 だから、大正時代に建てられた建物が今でもそのまま残り、「大正ロマン漂う銀山温泉
のコピーが使われているのです。
 とりわけ、全国的に知られるようになったのは、1983年から1年間NHKの朝の15分ドラマ
おしん」が大ヒットしたことによります。若い人は「おしん」知っていますか?

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白銀の滝です。滝の上にも道があり、その先にも行けるようになっていますが、御覧の
ように残雪がまだあり通行止めになっていました。

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車で来る人がほとんどだが、駐車場はない。見れば分かると思いますが、車を止める
スペースがここにはないのです。ここに降りる坂の上に、ある程度の駐車スペースがあり、
そこから歩いて、10分くらいかかりますが、来なければいけないのです。だから足の悪い
人たちや高齢者のために4輪バイクで宿泊客を乗せ、荷物も乗せて坂を登り降りしていま
した。小型の4輪バイクならば、この狭い道も何とか通行可能ですね。

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 ここが一番大きな「能登屋(のとや)旅館」です。3階建ての木造旅館の上にさらに
4階、5階の見晴らし台まであります。

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 正面から見ると、こういう感じ。素敵ですね。宿泊料金は高そう・・・。ちょうど女将が
宿泊客を見送りに玄関に出てきていました。

共同浴場もあり、「かじかの湯」は大人300円で入ることが出来ます。

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 ここは、能登屋の隣、旅館「永澤平八」。屋根の上の看板を見ても分かるように、きっと
創業者の名前ですね。ここも木造3階建てです。

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 銀山川には橋が12も架かっています。全てゆっくり歩いても30分もかからないくらい。
奥には、昔銀鉱山があったことを示すかのように、坑道がいくつかあり、少しだけ入れる
ようになっています。ひんやりとした低い坑道の中を歩くと、冷たい水の雫が落ちてきて
ヒヤッとします。

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 ここは旅館「藤屋」。絵が素敵ですね。どこの旅館も一度は宿泊したいなあ、と思わせる
ところばっかり。もう少し年を取ったら、奥さん連れて来たいですが、今はタフでハードな貧乏
旅行の只中。粗食に耐えて寒さに震えながら厳しい旅をしているので、こんな贅沢な旅行は
出来ない!あと10年後かな?


そんなわけで、今日は大正時代の雰囲気そのまま、大正ロマン漂う銀山温泉を紹介
しました。旅館総数およそ30軒くらい、それにお土産物屋さんが10軒ほど、共同浴場
3軒。銀山川の両側に立ち並ぶ銀山温泉、如何でしたか? 川の左岸は歩くだけでの
狭さ。右岸は何とか4輪バイクが人一人と荷物を運べる幅。今時そんな温泉があるのです。
ちなみに、従業員用の宿舎は坂の上、歩いて10分はかかる山の斜面に何軒も建てられて
いました。毎日、この坂を登り降りしているんですね。

明日は、最上川の上流へ、山形県南部を通過し福島県へと向かいます。
ではまた明日 

 1878年(明治11年)7月、通訳の伴を連れた一人のイギリス人女性が、初めての奥羽・
北海道の旅の途上、金山町に二晩の宿をとった。その時、彼女が「ロマンチック」と感じ、
「美しく静かで健康的な場所」と称えた金山の街並みは今も変わることなく、訪れる人々を
もてなし癒してくれる。
 その女性こそ、イザベル・ルーシー・バード。1831年イギリス・ヨークシャーで牧師の長女
として誕生、幼少より病弱で健康のため乗馬に親しむ。医者のすすめで23歳からアメリカ・
カナダを旅行。この旅をきっかけに最初の旅行記を出版、旅行作家としての道を歩み始める。
 「日本奥地紀行」は、1878年47歳の時に3ヶ月にわたる日光からみちのく、そして北海道
旅行の道中、妹宛に送った手紙をもとに書かれた。その後も世界各地を旅し、多くの旅行記
を残している。1904年72歳で病没。

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 「今朝、新庄を出てから、険しい尾根を越えて、非常に風変わりな盆地に入った。」
                  ・・・「日本奥地紀行」イザベラ・バード/高梨健吉訳より

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 金山町の観光パンフレットから~
日本のどこにでもあった小さな町です。」
樹齢200年を超えるすぎの美林、石堤を流れる山水に鯉が泳ぐ大堰(おおせき)、
地元職人が建てる白壁と杉板張りの家並み、山間を黄金に染める田んぼ。
いつかどこにでもあった、観光というより暮らしという言葉が似合う、人口およそ
6400人の小さな山里です。
自然と、季節と、人。
それがおもてなしのすべてです。

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 昨夜は、町役場の駐車場に止めて、車中泊した。町を歩く人が、旅人と知ると誰もが
声を掛ける。挨拶をしてくれる。夕方、どこに止めようか?迷っていた時に金山小学校の
先生だろうか、「町役場の駐車場なら大丈夫ですよ。」と言ってくれた。
 写真はこの3枚だけだったが、(5月10日のブログにはもう少し写真が載っています。)
すごく良い印象が残っている町です。

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 その後、新庄から大石田の町へ移動、北大石田駅です。ここから見えた農村風景が
素敵でした。

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奥には、月山の雪山が見えますね。

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 山形新幹線も止まる大石田駅の名前の由来が書かれたプレート。
昔、村の中心部にある水田の中に、直径3mもある大きな石があり、その傍らには
泉が湧き出していた。村の人たちは、この石を大切にし、その泉を飲めば、どんな
難病もたちまち治るといって敬ってきた。これがそのまま大石田の地名となった、
ということです。 

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 静かな農村ですが、新庄まで伸びている新幹線がここで止まります。

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 そんなわけで、今日は山形県最北端の町、秋田県との境にある金山町を紹介しました。
朝、登校する子供たちは、皆「おはようございます」と挨拶してくれる。嬉しいですね。見ず
知らずの旅行者なのに。
風景と調和した「街並み景観づくり100年運動」に取り組む「四季奏でる町・金山」・・・訪れて
見たい、と思いましたか?とっても素敵な町です。有名観光地ではない、素通りしてしまうくら
いのホントに小さな町ですが、100年以上前にイザベラ・バードが愛した町です。
「その麓に金山の町がある。ロマンチックな雰囲気の場所である。私は正午にはもう着いた
のであるが、1日か2日ここに滞在しようと思う。」
 ここには観光のためではなく、暮らしに根付いた景観があり訪れる人の郷愁を誘う。
次に訪れる時は2、3日のんびりと宿泊してゆっくり歩いて見たいな、と感じた素敵な町でした。
おススメです!

では明日は「大正ロマン漂う銀山温泉」を中心に紹介します。ではまた明日 

 昨夜は、先日5月11日(土)25年間のプロレス人生にピリオドを打った、小橋建太
選手の特集がCS放送のG+で午後7時から6時間連続で、午前1時まで放送された。
当然録画はしたが、全て目に焼き付けた。
 高校時代は何の成績も残していない無名の柔道選手だった、小橋は一度は全日本
プロレス(当時の社長はジャイアント馬場)に入門を拒否される。サラリーマンとなって
鍛え直してもう一度入門、そこから練習漬けの毎日、日本最高のプロレスラーとなる。
が、腎臓がん、度重なる骨折など挫折が襲う。何度も克服しながら奇跡の復活を遂げ
るが、46歳となった今年、440日振りの復活試合と同時に引退記念試合として正式に
引退することになった。
彼ほど、どの試合もブーイングが起きず、どの試合も爽やか、全力投球の試合をする
選手はいなかった。リングでは常に全力で駆け回った25年間。ご苦労様でした。お疲れ
まさでした。
 というわけで、昨夜は午前様で久しぶりに(最近は早寝早起きの習慣が出来て10時以
降に寝るなんてことはありませんでした)夜更ししました。でも6時間、時々涙腺が緩みっ
放しでテッシュで眼を拭きながら画面に集中していました。感動!最高!

 さて、今日の1枚目。
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 県道11号線、旧羽州街道沿いにある美郷(みさと)町の民俗資料館。

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 明治時代に建設された建物をリニューアルした素敵な建造物ですね。

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 その後横手駅へ。JR奥羽本線と北上線の合流する人口10万人の町。秋田県南部にあり、
秋田市(人口32.2万人)に次ぐ、県内2番目の人口がある。ご存知、横手焼きそば、2009年
B級グルメの祭典であるB-1グランプリで優勝したこともある焼きそばです。

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 濃いソースで炒めた焼きそばに目玉焼きが上に乗っていて、福神漬、キャベツと味噌汁、
キュウリの漬物が付いて、500円でした。味はまあまあ、というところですかね。焼きそばです
からね。玉子を潰して黄味を絡めながら食べるのがコツだそうです。
市内には、横手焼きそばを出す店が何店もあり、焼きそばマップまでありました。

横手駅からさらに10km南下し、横手市増田町。ここは蔵のある街として知られている。
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 旧石田家。横手市指定の文化財で、木造3階建ての住宅。一部開放しています。

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 横手市増田は、江戸時代から栄えた商人の町。明治以降も発展し、商人たちは成功の証
として内蔵を建てた。この中七日町通りを中心に多くの内蔵が残されています。現在45棟が
あるそうです。

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釣りキチ三平」の作者である矢口高雄氏の出身地・増田町地区にある増田まんが美術館
漫画をテーマにした美術館としては日本最初の建物で、矢口氏を初め、著名な漫画家の原画
やプロフィールを常時展示している。
石巻でも、石ノ森章太郎漫画記念館も見ましたが、子供の頃を思い出します。小学生の頃は
プロ野球の選手か漫画家を目指しましたね。毎日、グランドで野球の練習、または友人の家で
漫画を描いていたり。どちらもセンスがなく、(根性もなかった)諦めましたけど・・・。

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国道13号線を南下、雄勝峠のトンネルを越すと、そこはもう山形県。最初のJRの駅は
及位駅。

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 及位の地名のゆわれが書いてあります。
昔,山岳修行が盛んだった時代、江戸時代かそれよりも前の時代、修行僧が位(くらい)の
高い山から宙釣りになりながら、恐怖と戦い下を覗いた修行に耐えたことが、ここ周辺の山
であったそうです。そこから位(くらい)の高い山から及(のぞ)く、で及位(のぞき)の地名が
生まれました。
駅は1904年(明治37年)奥羽本線の駅として開業した、のでした。

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 無人駅です。周辺にはまだ雪が残っていて、駅表示の裏にもありますね。

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 そんなわけで、青森県、秋田県を通り、ついに山形県に突入しました。明日は今夜の
宿泊地、明治時代イギリスからやって来た女流作家のイザベラ・バードがこよなく愛した町、
金山町を紹介します。
では、また明日 


角館はみちのくの小京都

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 気温も上昇、歩くには暖かくなって来た。田沢湖を見学して来たために、時間は9時を
回ってしまった。駐車場はほとんど満車状態。10時過ぎると満車で、入りきれない車は
街中でウロウロ、それだけ全国各地から来ていた。

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 以前、春休みの3月末に来た時は、ここ桧木内(ひのきない)川の河川敷駐車場は無料で
止めれたが、この桜満開状態の間は、1日500円取られる。それにしても見事な桜満開だ。
例年と比較して10日近く遅れているという。この時期が最盛期なのだろう。

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 角館は、1600年関ヶ原の戦いで西軍についた佐竹氏が常陸国(茨城県・本拠地水戸)
から秋田に移され、久保田藩(または秋田藩)となる。1603年佐竹義宣(よしのぶ)の実弟
が角館で、佐竹北家として住み着き、その後11代、明治時代まで続いたことで武家屋敷
などがそのまま残った。

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 佐竹氏は京都の公家とも親戚関係があり、幕末の戊辰戦争では多くのみちのくの藩が
奥羽越列藩同盟(今まで登場して来た長岡藩の河井継之助もそうですし、会津藩を中心に
米沢・上杉藩など東北の藩のほとんどが反薩摩・長州として戦う)を形成していたが、新政府側
として参加している。そのため、ここ角館付近でも戦場となったが、幸いにも市内は無傷だった。
1868年8月の攻防戦では、新政府側のサポートで勝利したため武家屋敷はノー・ダメージ。

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 ところが、その後の角館は衰退する。なんの産業もなければ、観光地でもなかった。
午前中だけで、修学旅行の中学生が何校も来ていました。

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 1976年(昭和51年)に、重要伝統的建造物群保存地区として、国から指定されてから
全国に知られるようになり、とりわけ1997年秋田新幹線が開通してからは、首都圏からの
観光客が大勢押しかけるようになり、今では年間200万人を越す、東北でも有数の名所と
なった。
 武家屋敷は、数多くあり有料で開放しているところもあれば、無料で一部開放しているところ
もある。大きな武家屋敷は大抵有料で、やはり見ごたえはある。
ほとんどは4月中旬から11月までのオープンで、やはり冬季間はクローズしている。冬の観光客
がほとんどいないのだ。
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 2005年、角館町は、周辺の田沢湖町、西木村と合併し仙北市となった。
河川敷には、しだれ桜が満開、日本さくら名所100選の一つでもある。

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 時代劇のロケ地としても何度も登場。例えば「たそがれ清兵衛」にも武家屋敷は使用
されていた。

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 お土産屋さんを覗くと、名物はたくさんある。家には、稲庭うどん・きりたんぽ鍋セット・
山菜取り合わせなどを(3000円以上購入すると送料無料だったので)送った。

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 というわけで、角館の桜、満喫しましたか?
秋田新幹線は、東北新幹線の盛岡から西へ、田沢湖・角館・大仙市を通り秋田市へと
通じる。いいですね。新幹線が出来ると、函館にも観光客はたくさん来ますかね?

明日はさらに南下し、横手市へ、秋田県最南端へと向かいます。
ではまた、

 北秋田市の中心は阿仁で、駅名は「ひたちない」。周辺の集落の名は比立内
道の駅の名はあに。温泉の名はせせらぎ温泉。結構面倒くさい。

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 木工細工が盛んで、道の駅にはこのような置物がたくさんあった。

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 マタギの里ではあるが、近世江戸時代末期までは四国伊予の国(愛媛県)の別子銅山と
並ぶ日本二大銅山があったところでもある。明治初期まで生産活動は続き、外国人の顧問
が住み着き指導したという。だから、ここには異人館がある。伝承館もあるが、朝早かった
ので見学は出来ず。道の駅には熊肉も販売しているが、店はクローズしていたため、これも
見れなかった。大抵は朝9時開店ですよね。

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 大覚野峠を超える。標高は400mくらいか。道路の周りには雪がたくさん残っていた。

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 さすがに、道路そのものは夏タイヤでも走れるが、冷えた早朝は、昼間溶けた雪が凍結
して凍っているかもしれないので、気を付けないとね。

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 田沢湖へ到着。カルデラ湖で、日本最大の水深を誇る。その水底は海面よりも低い。
地図帳には、標高249m、水深423mと書かれている。つまり水底は界面よりも170m
以上も深いのだ。湖の淵に立つと、すぐに深くなっていることが分かる。濃い色で、水色
ではなく、紺色なのだ。深さでは世界で17番目で、だからか、田沢湖は日本のバイカル湖
と言われている。バイカル湖はご存知ロシアにある世界最深の湖。
 それに、ここの湖は摩周湖に次いで、透明度も日本第2位なのだ。つまり綺麗な湖でもある。
透明度は31mもある。湖面から31mも見える、ということだからかなりの透き通った湖である。

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 湖面も穏やかで、波ひとつない静かな湖だ。秋田県仙北市に位置している。真冬でも凍り
付くことはない。

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 樹木に囲まれた湖畔の道は周囲21km。ほとんど平坦な道だからサイクリングには最適。
ゆっくり走っても1時間はかからないだろう。でも、この時はサイクリングには寒かった。
もう少し暖まってからならいいが、このあと角館に行くので車で一周。
ここは御座石神社

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 湖面には、岩手県との県境最大の火山、秋田駒ケ岳(1637.4m)が映る。
ホントに鏡のような湖だ。

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田沢湖のシンボル辰子像です。駒ケ岳をバックに金色の乙女像は美しい。

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昔昔、辰子というそれはそれは美しい娘がいたそうだ。彼女は、年を取って醜くなる自分を
想像して、永遠の美を求めるため、禁断の水を飲んで龍になった、という。そんな伝説がこの
土地にあり、明治時代から辰子の話が広く知られるようになり、この像が建てられた、らしい。
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よくある話ですね。全国どこでも美しく、かつ若い女性の物語は、悲しい物語となっていますね。
今までもありましたね。対馬の美女塚。今金のピリカの話。青森県七戸町の美しすぎる姫の
話など。
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そんなわけで、辰子像3連発。
今日の朝は寒いくらい。ストーブを付けたいほど冷えている。やっぱり本州と全然気温の差が
あります。北海道は5月末とはいえまだまだ春のさなか、とても夏には程遠い気候です。
みちのくの小京都、角館は明日書きますね。ごめんなさい。ではまた明日 

 昨夜は、青函フェリーで午前0時過ぎに函館港に到着、結局24日(金)に
なりました。今日からは、しばらく今回の旅を振り返ることにします。題して
信濃路への旅 第1回目

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 急いで旅支度をして、慌てて出発。午前11時30分発の青函フェリーです。遠くに函館山が
見えますね。函館と青森を結ぶフェリー会社には一つは津軽海峡フェリー(株)があります。
もう一つに北日本海運(株)共栄運輸(株)が共同出資している青函フェリーという会社が
あります。以前は貨物専用のフェリー会社でししたが、規制緩和のおかげで一般車両も乗
せることが出来るようになり、津軽海峡フェリーよりは安く運行しています。

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 横津連峰を撮しましたが、ブレていて良くない。山頂付近にはまだ雪が残っているのが
見えますね。

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 この船は、共栄運輸のフェリーで、ほとんどトラックばかり、先頭には牛10頭を乗せた
家畜専門のトラックがあり、驚きました。トラック運転手が多く、客席は津軽海峡フェリーと
比較するとやはり落ちます。津軽海峡フェリーは一般乗客を対象に建造していますから
内部はホテル並に作られています。函館港のフェリー・ターミナルを比べただけでも違い
が分かりますね。どこにあるか、分からない人もいるのでは?
下北半島が見えます。肉眼では仏ヶ浦も見えました。

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 約4時間の船旅を終え、4時近くに青森港に到着。青森のフェリー・ターミナルは青森駅
から西へ3km離れた場所にあり、弘前方面には市内中心部を通らずに済むので、都合が
良いです。
国道7号線を南下、弘前ではちょうど桜の満開に遭遇、桜街道はピンク色に染まり、走って
いてとても気持ち良かった。ただ、車を止めてシャッターを押すことははばかれた。結構列が
出来ていて、おまけに幅はそれほど広くはない。見て通り過ぎただけでした。

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 秋田県に入り、大館市から北秋田市鷹ノ巣で、国道105号線に変え、さらに南下。
JRから分離し、第3セクターとなった秋田内陸縦貫鉄道に沿って阿仁前田駅に到着、
ここが今晩の寝床です。クウィンス森吉と書かれてますが、温泉の名前です。駅舎温泉
ですね。5時35分は日付を見てもお分かりのように翌朝です。朝は冷えました。

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 プラットフォームから撮影、向かいの桜庭木材(株)はヤマハのピアノ材など楽器の製造
を手がけている会社ですね。所々から温泉の湯けむりが上がっています。
朝の最低気温は3度。さすがにマイナスではなかったが、いくら羽毛ダブルの山用寝袋でも
震えて寝ていました。

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 近くには森吉山(1454m)があります。那須火山帯に属する複式火山で、周辺阿仁(あに)
地方の信仰の山としても知られている。また、ここ阿仁はマタギの里でもある。マタギとは山で
生活する人々。熊も多く、鉄砲を持って山に入り狩猟を行う。山菜も豊富だ。ここの温泉には
山菜もたくさん売られていた。あにマタギ駅を降りて2kmほどのところにあるマタギの湯という
温泉内の食堂「シカリ」には熊肉ラーメンもあります。美味しいのかなあ?

このあと、東北の小京都と呼ばれる角館へ行きますが、それは明日紹介します。
やっぱり、布団で寝れるのは最高です。昨夜は、というより今朝はぐっすりと寝れましたが、
早起きの習慣がついたため朝は6時前には起床。実質5時間しか睡眠が取れなかった。
普段の生活リズムに戻るには時間がかかりそう。
では、また明日 

 

昨夜は、恋し浜駅にて、車中泊。駅の真下に車を停め静かな夜を過ごしました。写真を撮るのを忘れましたが、夜は駅のプレートとベルのところがライトアップするんです。キレイでしたよ。次行った時に紹介しますね。

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ホタテの中に、「2013,5,22 函館 oono」と書かれたのを見つけてみて下さい。それが、昨夜私が書いて吊るしたものです。ホタテとペンは駅舎の中にあります。昨夜、あのおじさんから明朝、漁港で養殖の水揚げがあるよ、と聞いていたので4時30分に早起きして行って見ました。今朝も快晴。ホント今回の旅は天候に恵まれました。雨男返上です。

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ホタテの選別をしているこの漁師の方は、震災の時に函館で避難生活をした、と話していました。稚貝は北海道から仕入れている、とのこと。

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この小石浜漁港の歴史が書かれた記念碑には、以前海苔の養殖を行っていたが、失敗し漁民は借金を背負った。が、ホタテとワカメの養殖を行ってから成功した。との内容が書かれていました。戸数わずか30戸ほど、住んでいる人も100人足らずの小さな漁港ですが、素敵な駅と漁業の集落としてこの先も続けて行って欲しいです。

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ほとんど全国的には知られていない駅だが、こんな小さな可愛らしい駅と漁港に、訪ねて行ってもらいたいな、とこのブログを通じて宣伝します。有名な観光地はただでも人は来ます。東北の幹線ルートから外れた田舎だからこそ、人情も熱いし、こちらから呼び掛けると、ぼくとつですけど親切に話してきます。ホントに素敵なところですよ。
釜石から仙人峠という険しい峠を越えて、内陸の遠野市に入りました。ここは何度も来てますが、何度来ても良いところです。

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すべてが牧歌的で、自転車でどこでもサイクリング出来るのんびりした町です。それに町中至るところに伝説、神話、物語があるのです。

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例えば、ここカッパ淵は有名ですよね。

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20年ほど昔の話です。家の子供たちがまだ小さかった時に、春休み連れて来ました。その時はカッパのお爺さんの安倍さんが生きていらして、子供たちにカッパのことを話してくれたんです。わしが小さい時にカッパと遊んだ、とか。
残念ながら、亡くなられてしまいましたが、祠の中にお爺さんの写真があります。

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遠野から険しい山道を登ること、標高1200mの峠、小田越の頂上です。目の前には1917mの北上山地最高峰の早池峰(はやちね)山が雪を頂きが見えます。

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寄り道をしながら、最後の写真は岩手県八幡平市で見かけた、南部富士の名を持つ岩手山、2000mクラスの岩手県最大の山です。
その隣に八幡平。平とあってもれっきとしたアスピー型火山です。だから、ここを通る道は八幡平アスピーテラインといいます。岩手山はコニーデ型火山ですね。

色々な事情もありまして、第二章のぼうけんの旅は、今日で打ち切ることにしました。今フェリー乗り場で、時間があったのでブログを作っています。昨日のにも書きましたが、今回は16日間の旅でした。
強く思い出に残っているところを挙げれば、
・福島県檜枝岐村の歌舞伎
・岩手県大船渡市の恋し浜駅
・群馬県谷川岳トレッキング
・長野県上田市真田幸村の里
・長野県大鹿村と上村
・山形県米沢市上杉神社
・新潟県上越市春日山城跡 などなど
たくさんの素敵な思い出が出来ました。
今回の旅で出会った皆様に感謝します。ありがとうございました。すべてが楽しい旅でした。明日からはしばらくデジカメで撮った写真を元に
総集編をする予定です。そして、まもなく第3章始めます。では、また明日

5月22日 水曜日 晴れ 昨夜は上杉神社の駐車場で夜を過ごした。町の真ん中だが、以外と静かだったし、コロッケを買った時に、店員さんから聞いていたので、閉め出されれることもなかった。

さて、昨日の河井継之助さんのことだが、函館にも寄っていたんですね。江戸でガトリング機関銃を購入した時(当時日本に3台しかなく、内2台を河井が購入したことは、先見の明あり)、江戸から船で箱館に寄り、新潟で陸揚げしたのです。もしかしたら、五稜郭で土方歳三と会っていたのかも?

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朝、5時起床。最近は朝早く起きている。車の中を整理後、上杉神社周辺を散策。結構、市民の皆さん散歩したり、ジョギングしたり、多くの方が朝の挨拶、おはようございます!、と。嬉しいですね。大鹿村や上村でもそうだったが、朝誰にでも挨拶するのは良いことですよね。

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上杉景勝と直江兼続の二人です。大型時代劇ドラマ「天地人」の主人公でしたね。堀もあってキレイに整備されています。20年前訪れた時にはなかった、上杉博物館が出来ていました。すごい大きな素敵な建物ですね。9時開館なので、残念ながら見学することは、無理でした。

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上杉神社です。6時に開くので中に入ることが出来ました。米沢、良い町だ!次来る機会があったら、もっとゆっくり見てみたいです。

8時前には米沢を出発し、一路蔵王山へ、一挙に1500m以上上ります。そして到着。

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まだ雪がこんなにありました。

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蔵王エコーラインを登り、有料道路の蔵王ハイライン(自動車520円)で山頂近くへ、上の写真は刈田岳(1758m)。
熊野岳(1841m)の頂上目指して1時間ほど登山しました。風がきつく、寒くもありましたが、ここまで来たなら登らなくちゃ、ネ。

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山頂からは、北の方向には月山、湯殿山、遠くに鳥海山、西の方向には朝日岳、飯豊山などははっきりと見えました。絶景です!

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蔵王のお釜も見えます。天気も味方してくれて、今回の旅行中、雨は1回だけ、それも夜中だけで、日中は晴天がずーっと続いています。暖かい気温で旅するには最高のコンデションです。

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蔵王を後にして、目的地まで一気に走ります。会いたい人がいますので。
仙台では、さすがに100万都市、渋滞は無かったけど、ものすごい車の数に恐れ入りました。塩釜を通り、日本3景の一つ松島はパス。石巻市でここを訪れたかった。

大川小学校です。児童、教職員合わせて79名の命が失われた場所です。前回来た時は、朝早かったのか静かでしたが、今日は午後2時30分で、たくさんのトラック、ダンプカーが動き回ってました。全国から集まってますからね。和泉ナンバーが結構ありました。大阪から来ているんですね。他に秋田、福島、山形など。

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もう一度手を合わせました。合掌。祈ります。もう二度と子供たちが犠牲になることがないことを!

そして、南三陸町へ。仮設の食堂だが、頑張っている澤田さんご夫婦に再会出来ました。「大自然塾」の名のように二人して自然体で働いていました。

4月14日のブログに載せましたが、ご主人の力さんご愛用のオートバイもありました。

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私も入れて、3人で。横浜のM・Kさん、澤田さんご夫婦はお元気でしたよ♪マーチング頑張ってね、と言っていました。

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そして、100km北上し、今夜の寝床は恋し浜駅。4月15日のブログにありますが、ホタテの貝殻に願い事を書いて、駅舎内に飾っています。
前回訪れて、絶対ここで朝を迎えるんだ、と強く思いました。だから、ここで寝ようと。駅前のわずかなスペースは斜面です。寝づらいなあ、と思っていたらブログに登場したおじさんが現れ、家の敷地なら平らで、誰からも咎められないよ、と云われ、今そこでキーボードを打っているわけです。お祖父さんが考えるなんて素敵ですね。地名は小石浜。でも南三陸鉄道の駅名は、恋し浜駅。
外にはほぼ満月がくっきりと見えます。今日は久しぶりに満天の星空が見えそう。好きなところで寝て、朝を迎えるなんて、ホテルじゃ無理ですよね。標高1600mの高原、野反湖の峠では、朝雲海の中に湖が幻想的に見えました。上越市では、謙信公の春日山城の駐車場で、米沢でも上杉神社の駐車場で、大鹿村では天竜川の支流の小渋川の河川敷で、本当に最高の旅をしています。そろそろ第2回目の旅は終わりに近づいていますが、しばらく休養、充電した後、タフでハードなぼうけんの旅第3章を始めます。ステージは何処か?
今8時30分、駅でホタテに願い事書いて来ました。何かは秘密。
では、道の駅と違ってトラックの夜通しのアイドリングもない、静寂そのものの恋し浜駅にて、おやすみなさい。また明日 !!

昨夜は、新潟県の山奥、魚沼市の入広瀬(いりひろせ)道の駅にて車中泊。一人だけだった。いつもは車中泊している人やトラックが一晩中アイドリングしているんだけど、独りぼっちの夜を明かした。
5時起床、近くの山へ。町が見える。

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六十里越え街道を走る。冬期間は通れず、つい最近開通したばっかり。ゴールデン・ウイークまでは雪で通行止めでした。1里が10里にもあたるくらいしんどい道で、名づけられたそうです。福島県只見町は豪雪地帯、今冬は3m50cmも積雪があった、といいます。実際、残雪は多い。

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峠を越えて、福島県側へ入りました。田子倉湖がみえる。田子倉ダムにより出来た人造湖だ。

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新緑と雪の白さ、青い空のコントラストが美しい。絶景です。

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道路のほとんどはスノーシェイドだ。トンネルではなく、雪が道路に積もらないように片側だけ壁、もう片側は柱で間隔を空けて谷側が見えるようになっている。

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雪渓を撮影するために、首都圏からアマチュアカメラマンの人々が、集団で来ていた。みんな高そうなカメラを持参、バチバチ撮っていた。

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そして、ここを訪れたかった。河井継之助記念館。

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長岡藩の武士でありながら、ここで亡くなったために、お墓もある。幕末の歴史上に登場する一人でもある。

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彼は、西郷隆盛が惚れ込んだ男、例えれば戊辰戦争時の東軍の坂本龍馬みたいな人物です。しかし、薩長は彼を許さず、武装中立を唱えた長岡藩は、奥羽越列藩同盟側について戦うことに。
落城し、八十里越え街道(六十里越えの北にあります)を総勢2000人以上で歩くが、負傷をおった継之助はここで逝去した。

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資料館へ入って見ました。たくさん資料がありました。係りの人(女性でした)が、また親切で40分近く、幕末のこと、函館のことなど話しました。残念ながら写真は丁寧に断られました。

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義に生き、ラストサムライとも云われる河井継之助。彼も幕末を生きた人物です。42歳で逝去。

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会津若松への途中、沼沢湖へ寄りました。高原にあるカルデラ湖で、以前地図で発見した時から、見たいなあ、と思っていました。

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只見川に架かる橋。JR只見線は昨年の豪雨で、この奥で鉄橋が流され、バス代行されています。穏やかに見える川も、集中豪雨となると、ダムも決壊する力を持っている。河井継之助記念館のすぐそばにも流れていたが、普段はキレイな川なのに無惨な荒れ果てた姿を見せていた。

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そして峠を越えて、山形県へ、米沢市上杉神社にある、上杉鷹山(ようざん)です。上杉景勝(謙信の養子で家督相続した)は、秀吉により、会津120万石へ。ところが関ヶ原の戦いで西軍についたため家康により米沢30万石へ減封。鷹山は財政再建を任され、立て直した人物です。ケネディ大統領が歴史上、もっとも尊敬する人物のひとりにあげています。

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そんなわけで、4時過ぎに米沢到着し、上杉神社周辺を散策、今7時近く。今晩は上杉神社のある米沢城公園の駐車場で車中泊します。先ほど、米沢名物の米沢牛を使った、熱々のコロッケを食べました。美味しかったです。真っ赤な夕陽も沈みました。ではまた明日!明日は行きたいところがあり、会いたい人がいます。それは前回の旅で紹介していますが、どこでしょうか?また明日のブログでお会いしましょう!

まず、最初に柏稜高校野球部地区大会優勝おめでとうございます!キャプテン、山下くん始め皆さんの頑張りを讃えます。全道ではまず1勝、一つずつ前進して下さい。
K・Aさん、新婚旅行グアムとのこと、気をつけて行って来て下さい。
プロレス亭のiさん、もうじきカンボジアですね。地雷踏まないようにして下さいね。(笑)

さて、朝起きたら太陽が見えました。昨日の雨が嘘のように晴れています。今日も元気に旅を続けます。
私の旅のキャッチフレーズ、粗食に耐え、寒さに震え、雨にも風にも負けず、タフでハードな旅を今、最高に楽しんでいます。

最初の写真は朝食風景。トースト2枚、コーヒー、とりんご1個です。

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同じ場所で、同じように旅している方がいました。福島県田村市の方で、このあと本州最西端の山口県まで行くとのこと、原発で避難したこと、原発マネーで人は狂ってしまった、ことなどを1時間ほど話しました。福島県人はみんな原発に反対です。原子力村の住民だけが、安心だ、と言っているだけです。そんなことで二人で一致し朝早くから、結構盛り上がりました。

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春日山へ登りました。

謙信、父の為景(ためかげ)、子の景勝の3代にわたって築かれたお城です。本丸があったところです。

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眺望が非常に良く、北を見ると上越市内が一望できます。

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上杉謙信を祀る春日山神社へ行く途中で、ボランティアガイドをしているこの方が、丁寧に詳しく説明してくれました。嬉しいですね。感謝ですよ!みんな謙信が好きなんですね。

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続いて菩提寺である林泉寺を訪ねました。ここには謙信のお墓があります。

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と同時に謙信が7才から14才まで修業をしたところでもあります。仏門に入り、49才で亡くなるまで生涯、独身を貫きました。彼の生き方には、すごく共感を覚えます。心優しき戦国武将でした。自然を愛するナチュラリストでもありました。

立派なお寺です。

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ここの資料館の方が、またしても詳しく教えてくれました。この人です。

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函館から来た、というと、良い町だね、とこれは誰もが言います。函館は「魅力のある都市」でいつもランキングでは、札幌と全国1,2位争いをするほど、訪れたい魅力あふれる町なんですよ。皆さんご存じでしたか?だから、函館から来ました、と言うと、みんな「行きたいな」と言いますよ。

林泉寺の庭園も素敵です。

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次に、高田公園を訪問。ここは上杉家が秀吉により、会津へ移された後に、家康の六男が来て、城を築き越後南部を支配しました。だから、春日山城は廃城になりました。

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上越市の人たちは、この家康の六男から続く松平家よりも、17世紀初めには会津、のちに米沢に移された上杉家に、特に謙信に郷土の誇りを強く持っています。それに、ここの高田藩は戊辰戦争の時には薩摩・長州側に付いたから、なおさら人気がないのかも?越後は、奥羽越列藩同盟を結成して薩長と戦いますからね。河井継之助という人物は、長岡藩の人物で反薩摩・長州で戦死しますが、明日彼の資料館へ行く予定です。こっちの歴史は面白いです。そして、この歴史の終着点が、函館・五稜郭なんですね。点と点が一本の線でつながります。土方歳三が好きなだけに、薩摩・長州側には賛同出来ない。歴史は戻れないけど、やっぱり会津藩や蝦夷共和国に思い入れがあります。

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堀があって、桜の名所でもあり公園自体は大きく市民の憩いの場になっています。
午後からは、一気に北上、十日町市、南魚沼市、、魚沼市を経て、今は福島県境に近い山奥の道の駅にいます。
途中、大きな杉の木を発見。

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最後の写真は、南魚沼市で見かけた棚田です。魚沼産のコシヒカリは有名ですよね。新潟に入って田んぼがよく目に止まります。今はちょうど田植えの季節。農民の皆さんが手間隙かけて育てるんです。美味しいお米には、農民の皆さんの汗の結晶があるのですね。

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そんなわけで、今日は上杉謙信に惚れ込みました。武田信玄と五度(四度?)も川中島で戦っていながら、甲斐の国に救援の塩を送ったり、また領土的野心で戦さをしたことは無かった謙信。しかし、1578年49才でこの世を去ります。
戦国の世を駆け抜けた越後の名将、上杉謙信 格好いいぞ♪ 日本史の勉強、もっとしておくべきだった。知らないこと多すぎる。まあ、これからでも遅くはないですね。百聞は一見にしかず。旅して歴史を知ります。このまま、日本全国を、そしてヨーロッパを、アジアを、南北アメリカ大陸を駆け回りたい心境です。果たして何時になるか?
それはまたそのうちに!!
see you againn !

5月19日 日曜日 天候晴れのち曇り、夕方から激しい雨。
今晩は旅4日目以来の久しぶりの雨となった。今、車の屋根を雨が叩きつける中で、キーボードを打っています。
さて、朝は晴れていました。朝の風景。車中泊した河川敷から見た北アルプスの山々。昨日のパークゴルフみたいなのはマレット・ゴルフでした。長野県で多いです。

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朝一番で訪ねた場所は安曇野ちひろ美術館です。いわさきちひろさんの美術館は東京にもありますが、彼女の別荘がここにあるとのことで、造られました。素晴らしい庭園です。

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玄関も素敵です。

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自分の愛車を入れて、もう一度素敵な庭園を。

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庭園には、ちひろさんの趣味なのか、様々な花が植えられていました。ブルーサルビアとか、この花、ケシの花です。まっかな花が、まだ少しでしたが咲いていました。

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ちひろ美術館は松川町にありますが、今日の午前中は、暑くもなく、さわやかな天候でしたので自転車を取りだし、サイクリングをしました。素敵な道があるので、ロードレーサーで走っている人も結構いました。

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上の写真は、途中で見かけた一本松。300年以上昔から地域でのシンボルとして愛されてきたのです。

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偶然、この日隣町の大町市青年団が主催して「泥んこドッジボール大会が開かれていました。みんな楽しんでいましたよ♪これは見るよりやる方が面白い!参加者から泥を付けられました。でも、安心、ちゃんとお湯の用意がしてますから。

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地元のテレビ局も取材に来ていました。

こちらの神社は古いものではなんと、9世紀の初め、坂上田村麿呂が地方の豪族と戦った記録が、残っているそうです。

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大町市、白馬町、小谷(おたり)を通過し、新潟県糸魚川市へ。糸魚川市といえば静岡との間にあるフォッサ・マグマです。

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フォッサ・マグマとはラテン語で「大きな溝」という意味です。巨大な断層で、2日前は、大鹿村で中央構造線を見学したばっかり。真ん中で東日本と西日本に分断されています。

日本海の道の駅は、魚が美味しい。下の写真見て下さい。道の駅「能生(のう)」で買った大きな牡蠣です。能登半島の輪島産です。レモンが付いて550円でした。高いのか、安いのかは分からず?でも美味しかったです。

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そして上越市。この旗見て下さい。毘沙門天の旗。そう、上杉謙信の春日山城跡です。謙信神社を訪ねました。

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明日は城跡を見学しようかな、と思っていますが、この激しい雨は大丈夫だろうか?

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というわけで、今日は、長野県から新潟県へ移動しました。青森へフェリーで渡った時以来の海です。日本海に出ましたが、明日からはまた、山の中へ旅します。前回は毎日太平洋沿いを走っていましたので、海の写真ばかりでしたよね。今回は山の中を走っていますので、美しい山の写真が多いでしょう。明日は晴れるといいな、大雨の上越市でした。
では、また see you tomorrow !!



5月18日 土曜日 天候晴れ 気温26度くらい
大鹿村で朝を迎えた。今日も快晴、ただ標高800メートルに位置するため朝はかなり冷え込み、寒さを感じたほどだ。
さて、最初の写真は、車中泊した桜の名所である大西公園の背後にある大西山の大崩壊の跡。

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昭和36年(1961年)の、いわゆる36災害と、こちらでは呼んでいる台風による天竜川の氾濫、それに伴う土砂崩れの跡である。

昨日の中央構造線博物館の館長さんに教えていただいた大パノラマ展望台への林道をたどった。クネクネした山道を走ること50分。素晴らしい展望が開けました。
絶景かな、絶景かな。

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2956mの木曽駒ヶ岳が遠くにハッキリと見えた。周辺にはいくつかの峰があり、連峰を形成している。午後にはこの山の麓、権兵衛峠の下に出来た権兵衛トンネル(4400m)を通り抜けることになる。

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この2枚の写真は昨日から紹介している南アルプスの赤石岳を中央とした3000m級の赤石山脈である。長野県と静岡県の境にある日本最大級の山脈だ。

もう一度、木曽駒ヶ岳の山々をズームして見ます。

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赤石岳もズーム!

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山から降りる途中で見た大西山の大崩壊の斜面をご覧下さい。

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そしてこの神社「信濃宮」といいます。14世紀末、鎌倉幕府を滅ぼした後醍醐天皇が建武の新政を始めたのはご存じですよね。そこで出てきたのが、足利尊氏、室町幕府を開き、勝手に天皇を祭り上げる。北朝の始まり。後醍醐天皇は、奈良南部の吉野に逃げ、ここに南北朝時代となった。後醍醐天皇の皇子、護良親王は南信濃で東国南朝のリーダーとなりました。しかし、ここ大鹿村で足利尊氏の軍勢のまえに戦死します。その彼を祀ったのがこの神社です。

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勉強になります。知りませんでした。東国南朝があったなんて。彼に味方する武士たちがここにいたんですね。

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山から降りて村の中心、天竜川の支流、小渋川にかかる歴史ある橋、小渋橋です。「大鹿村騒動記」に登場してますので、思わず嬉しくなりました。そして、村の食堂ディアイーターです。

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鹿肉カレーを食べました。
そのあと、歌舞伎のことを知りたくて村の郷土資料館へ。
すぐ下の写真はディアイーターでした。原田芳雄さんの写真もあります。主題歌がまたいいんです。忌野清志郎さんが歌っています。二人とも亡くなりましたね。三国連太郎さんも出演してました。

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大鹿村でも、ここ大河原の歌舞伎は毎年5月3日に行っているとのこと。鹿塩(かしお)は10月の第一日曜日に実施、と集落で別れていて、村では年に2回歌舞伎が上演されます。大鹿村とってもいいです!気に入りました。アクセスは大変ですが、また訪れたいです。

午後からは一気に北上しました。駒ヶ根市、伊那市、塩尻市、松本市、安曇野市を経て今、池田町の、とあるパークゴルフ場らしき場所で車中泊します。長野県では、パークゴルフと呼ばず、何とか?明日思い出して書きますが、が地元の高齢者の人たちが行っています。
20年前オートバイで旅した時に訪ねた「熱田大宮神社」をまた訪れました。

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外は曇り空、昨日と違って満天の星空は拝めそうにない。天候は明日も晴れだそうです。函館は少しは暖かくなったのかな?そうそう、野球の結果はどうなりましたか?勝利の報告を期待しています。では、また明日!!

今日も快晴。最高気温は26度くらいだから半袖で行動するには最高のコンデイションでした。
昨日は、上村の道の駅に車中泊、朝、村内を散歩したら素敵なお寺がありました。龍渕寺(りゅうえんじ)。ここの境内から出る水は日本1のミネラルウォーターだそうです。

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4本の杉の木があって一本は途中で2本に別れ、両親(父と母)を意味する。後の3本は子供たち、という家族円満の巨木です。
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近くにはお城もありました。今は資料館になっていますが、戦国時代、遠山氏の領地でした。だからここ南信濃を遠山郷といいます。もっとも江戸時代は改易されて、天領になりましたが。

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高台から村を眺めました。

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天竜川が流れる素敵な村です。予定では静岡県へ歩いて入ろう、と思い青崩峠を目指しましたが、名の通り土砂崩れで通行止め、別な集落に行きました。昨日の下栗と同じように、天まで届きそうなくらい険しい斜面にお茶を栽培してました。どうして、こんなところで栽培するの?と、思わずうなっちゃうほど。

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木澤という集落では、平成9年に廃校になった学校を観光客へ開放していました。とっても素敵な校舎でしたし、80年以上たった木造校舎が良い雰囲気を出していました。

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1年生の教室が哀愁を感じさせました。

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上村には集落ごとに霜月祭という祭りがあるが、1000年近い歴史のあるお祭りで、テーマは「鬼の住む里」である。木澤小学校の隣にその神社があった。

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そして上村は秋葉街道の宿場町でもある。昔ながらの建物が数多く残っています。例えば、これ

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今は飯田市と合併したが、以前の村役場の近くに村の資料館があった。お祭りのDVDなど鑑賞し、たっぷりとここの歴史を知ることが出来た。

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そして地蔵峠(1320m)を越えて、大鹿村へ。

途中で見た、江戸時代の庄屋の家。

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ここでは中央構造線博物館の館長さんからたっぷりと大鹿村の話を聞かせてもらった。ここは南アルプスジオパーク、そして映画「大鹿村騒動記」の地でもある。

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映画見た人はお分かりでしょう。村の食堂の「ディア・イーター」。

昨日の歌舞伎は秋に実施する市場神社。ここは春に行う、映画に登場した神社です。昔明治時代、鹿塩(かしお)村と大河原村が合併し、両方の文字をとって大鹿村となったそうです。江戸時代から行われて来た歌舞伎も両方の地区で、春と秋の2回開かれていて、映画のそれはここでした。

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今日の寝床は、河川敷の大西公園。桜の名所だが、今は散ってなし。

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正面に残雪の赤石岳(3120m)を見ることが出来る一等地だ。川のせせらぎが心地好い。今日も満天の星空が見えそう。最高の旅を今しています。今日も思わぬ発見に心震える光景があり、人の歴史がありました。こんな旅、今までになかったです。本当に良い旅しているな!と自分でも思います。天候も味方してくれて、ここのところ晴天が続いています。この先もよいことがありますように祈ります。では、南信濃・南アルプスの麓から、また明日(~▽~@)♪♪♪

ブログ書いていたら、今年春の卒業生からメールが届きした。ありがとうございます。A・Nさん仕事頑張って下さいね♪3年A組の皆さん、元気ですか?きつい時があっても、前ばかり見ないで時々横を見てごらん、仲間がいるからね。
皆さんからメール、コメント相談受け付けます。どんどん寄越して下さい!
今、夜8時25分。外に出たら満天の星空でした。北斗七星がくっきりと見えます。
では、明日もブログ作ります。2月9日に始めてから1日も休まず続けています。明日も頑張って行こう!では、see you tomorrow !!

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