長嶋茂雄氏の訃報が列島を駆け巡りました。その衝撃は計り知れないものがありました。
もう、多くの方が「四番サード長嶋」の現役時代をリアルタイムで知らない令和の世の中になってもミスターの存在感は別物でした。
昭和49年、背番号「3」がバットを置いた時私は高校生でした。それからの監督時代や充電時の様子を長く見続けて来ましたが、常に時代の中心に立つべき人物でした。
長嶋茂雄さん 愛娘の誕生日に天国へ旅立つ 背番号「3」も命日に ネット注目「切ないな」「色々と縁がある日に」
gooニュース
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※以下、引用です。
プロ野球の国民的スーパースターで、元巨人・長嶋茂雄さんが3日午前6時39分、肺炎のため都内病院で亡くなった。89歳だった。
数々の伝説を作ってきたミスター。SNSではその旅立ちの日にも注目が集まった。6月3日は愛娘の次女、三奈さんの57歳の誕生日。背番号と同じ「3日」、「6時39分」は全て「3」の倍数、年齢も「89」野球だった。
ネットでは「切ないな」「色々と縁がある日に亡くなったんだな」「愛娘の誕生日までは…って」「年齢も89、野球の神様っているんだろうな」などの声が続々と寄せられた。
長嶋さんの遺体は午後1時20分頃に自宅に戻った。弔問に訪れた王貞治氏を長男の一茂氏、次女・三奈さんが出迎え、見送る様子もあった。

プロ野球は昭和30年代前半の頃はメジャースポーツではありませんでした。野球人気の中心は高校野球、大学野球でした。六大学のスーパースターのプロ野球入りとともに、プロ野球はそれまでの「職業野球」の領域を超えた人気コンテンツに成長していきます。折しもテレビの普及とともに長嶋茂雄という存在が野球の中心になっていきました。
まさに「巨星墜つ」という言葉がぴったりの人。常にヒーローであり続ける星の下に生まれたミスターの訃報に一時代の終焉、昭和の時代がまた一つ終わったという気持ちになります。
「努力の人」王貞治と比較され続けた「天才」長嶋茂雄ではありましたが、「天才が死に物狂いで努力してこそ頂点に立てる」という言葉を思い起こさせる存在でもありました。もう、これほどの時代のヒーローは現れないのでしょうか?
多くは語りません。謹んでお悔やみ申し上げます。合掌
※goo blog サービスが終了する(記事投稿が終わる2025年9月いっぱい)までは、引っ越し元(https://blog.goo.ne.jp/issan-okayama)と並行して同じ表題、文章で投稿します。
よろしくお願い申し上げます。