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【syncityという縁側から#10】ことばの経年変化 | コピーとふるまいのデザイン

syncity代表のヤナギタジョーです。
デザインとは、「どう見せるか」よりも、「どう在るか」を考えること。
成果や肩書きといった“見えるもの”ではなく、所作や言葉の余白といった“見えないふるまい”の中に、らしさや思想はにじみ出る。
今回は、時間とともに緑青をまとう銅板のように、言葉が育ち、深まっていくあり方をヒントに、「経年変化するコピー」の意味を考えます。
専門性が集まり、価値観が交わり、思考がめぐる。
そこに立ち上がる余白ある場=“縁側”で、生まれていくことばのデザインについて綴りました。




「名づけ」のちから

名づけとは、存在に輪郭を与える行為だ。
ブランドにおいても、最初のコピーは「思想の種」であり、
外の世界との接点になる。

それは完成されたスローガンではなく、時間のなかで熟し、手にした人の感情や背景と共鳴しながら育っていく「生きた言葉」であるべきだ。

たとえば、寺社仏閣の屋根に使われる銅のように。
はじめは鈍く輝く金属が、年月と風雨を受けて緑青をまとっていく。
あの変化は、劣化ではない。
自然との調和を帯びた、美しさのかたちだ。

コピーもまた、そうありたい。
時間の中で意味を深め、いつしか“誰かの居場所”になるような言葉として。


言葉は“所有”できるのか?

発せられた言葉は、書き手の意図を離れ、読み手の心で再定義される。
そのとき、言葉は誰のものになるのだろう?

syncityでは、コピーを社内で完結させず、プロジェクトごとに外部のコピーライターや表現者と対話しながらつくっている。
その言葉は、誰か一人の所有物ではなく、関係性のなかで磨かれ、開かれていく。

コピーとは、“誰の言葉か”ではなく、“誰にとっての言葉か”を問う営みだと思う。


陰と陽のデザイン

東洋の思想にある「陰陽」は、
光と影、動と静、発信と沈黙を対ではなく共にあるものとしてとらえる。

コピーもまた同じだ。
伝える言葉が「陽」なら、語らない余白は「陰」。
言葉を尽くすことよりも、言葉をとどめることが、深く伝わることもある。

syncityでは、語りすぎず、想像の余地を残す設計を心がけている。
「言わない強さ」を意識することで、言葉が輪郭を持ちはじめる。


コピーとアートディレクション

どれほど美しい言葉も、それをどう見せるかで伝わり方は変わる。

文字の置き方、書体の温度、色彩の空気感。
このビジュアルのディレクションは、コピーに“からだ”を与える行為だ。

syncityでは、言葉とビジュアルの間に流れるリズムや温度を繊細に調整している。
言葉と視覚の両輪が共鳴しあってはじめて、ブランドの姿勢や考え方が“ふるまい”として立ち上がる。


言葉を耕す、共創の土壌

今、モノも時間も“所有”ではなく“シェア”の時代になっている。
syncityのコピーづくりも、特定の作家性に寄せるのではなく、持ち寄りの文化のなかで育てている。

専門性が集まり、価値観が交わり、思考がめぐる。
そんな土壌があってこそ、言葉は耕される。
僕らはそれを「叢・融・環」と呼んでいる。

・叢(So):専門性が集まること。
コピーライターや編集者など、多様な表現者が縁側に集い、それぞれの領域を持ち寄る。
・融(Yu):価値観が交わること。
思想や文化の違いが混ざり合い、変化する過程。
・環(Wa):思考がめぐること。
一方通行ではなく、対話のなかで、意味や表現が熟成していく。

この三つの循環のなかで言葉は発酵し、自然とそのブランド“らしさ”が育まれていく。
言葉づくりは、所有でも伝達でもなく、“耕し合う”ことからはじまる。


syncityという「間(Ma)」

syncityという場所は、ひとりの発信者がいる場所ではない。
社内外問わず、多様な表現者が集まり、それぞれの専門性や視点を持ち寄る“縁側”のような場所だ。

そこで交わされるのは、完成されたコピーではなく、ことばの“種”

誰が主語かではなく、「誰のために、どんな場所で機能するか」。
そうした問いが、ことばに“場”を与えていく。

空間としての「間(Ma)」に宿る、ことばのあり方を、これからも大切にしたい。


“らしさ”を育てるプロセス

「らしさ」とは、戦略でつくるものではなく、ふるまいの積み重ねからにじみ出るものだ。

syncityのプロジェクトでは、ブランドの哲学や歴史、チームの関係性などを丁寧に辿る。
言葉を発する前に、その在り方に耳を澄ませる。

コピーは演出ではなく、日々のふるまいの延長にある“姿勢”
その姿勢をすくい取るプロセス自体が、ブランドの軸を育てていく。


言葉が、誰かの居場所になるとき

いいコピーとは、主張する言葉ではなく、ふと心に残る言葉だ。

「これは私のことだ」と誰かが思えるような言葉には、余白がある。
経年で意味を深め、使う人の変化を許容する、
そんな“銅のような言葉”でありたい。

デザインは、言葉の“家”をつくる行為かもしれない。
その家が、誰かにとって「居場所」となり、長く寄り添っていけるように。

Portrait by James Gray

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